悪夢を招く者 9

「いいか棒人間。次は――」

「言わなくてもわかるっピ。師匠の思いは伝わってくるっピ! 『イシンデンシン』ってやつなんだっピ。あと、師匠も今は『棒人間』なんだっピ」

「そんなん言わなくても分かるっピ――分かるんだから言うなクソッ。ああ調子狂うな」


 しかし、さいの頭の中は今までになくクリアだった。『音楽』の影響を受けていないからだろう。聞こえないというわけではないが、力を奪われるような感覚はなく、ただのBGMとしか感じられない。

 仮眠室を出てから、特に誰とも会わず、問題も起こってはいなかった。棒人間の体は軽く、歩幅が小さいのを除けば移動もスムーズだ。音を立てることもなく、廊下を影のように進んでいく。


「そんなら――」

「予知能力は無理なんだっピ。他の影響も受けない代わりに、師匠の能力も使えないんだっピ」

「いちいち思考を読むんじゃねぇって!」

「誤解っピ! 読んでないっピよ! 師匠が口で言う前に、思念を飛ばしてきてるんだっピ!」


 棒人間二人のひそひそ話は、そこでピタリとやむ。誰かが来るのを察知したからだ。急いで、近くにあった観葉植物の背後へと隠れる。


「もう少し出力を上げられないかしら?」

「いや、無理ですって。あまり強くすると、どんな副作用が出るか分かりませんし」


 明るい女と、低めの男の声だった。話し声は、足音と共にこちらへと近づいてくる。


「だからちょっと。もうちょっとだけよ。みんなの為だもの。ね、お願い!」

「はぁ。そ、そこまで言われちゃ――善処します」

「良かったぁ、タキさん、だーいすき」

「ちょ、レーナさん、あんまりくっついちゃ」

「ふふ、ちょっとだけ、ね。つい嬉しくて」


 才は静かに、その様子を鉢の陰からのぞき込む。思わず声をあげそうになり、慌てて顔を引っ込めた。


「タキさん、ステキだもの。女の子がほっとかないでしょ?」

「いやいや、そんなことは……」


 声が近づいてくる。あるはずのない心臓がバクバクと脈打っている気がした。

 足音が耳元で聞こえたかのように思えた一瞬。そして同じスピードで遠ざかっていく。あたりが再びしんとすると、才は大きく息をついた。

 隣に居る棒人間は、ずっと押し黙っている。意思がすぐに伝わってしまうのは心地の良いものではないが、こういう時には便利だった。


 タキと呼ばれた男は知っている。ベテランのエンジニアで、増報装置アンプリファイア・システムは、主に彼の担当だ。

 そして、レーナと呼ばれた女――いや、女と呼んで良いものか。それは白く立ち上る煙のような、実体のないだった。声には確かに聞き覚えがあったから、それは間違いなく自分の知ると同じ存在なのだろう。


(了解だっピ!)


 口を開く前に、棒人間の声が直接頭に響く。


(ボクは、遠子とおこさんさんを探し続けるっピ。師匠は、アンプなんとかを頑張ってくるっピ!)


 先ほどの話の内容からして、増報装置アンプリファイア・システムの出力を上げられてしまう可能性は濃厚だ。それはどうにかして阻止したい。


 才は黙ったまま頷き、レーナたちの後を静かに追った。



 ◇


「二手に分かれたっピ」


 仮眠室。

 『通信役』となった棒人間が発した言葉に、皆ピクリと反応した。


「二手に分かれたって? 何かあったのか?」

「えっと、タキってヒトと、レーナに会ったんだっピ。もちろん隠れたから見つかってないっピ。アンプなんとかの出力を上げるって話をしてて、それはヤバイから、師匠が追いかけて、もう一人のボクは遠子さんさんを引き続き探してるっピ」

「大丈夫かなー。僕たちも行かなくていいんだろうか」

「でも、今あたしたちが下手に動いてもいいことないですしね」


 何だか要領を得ない報告だが、大変そうではある。腕組みをしてうなった祥太郎の背後から、理沙は冷静に言った。


「あと、師匠から伝言なんだっピ。『レーナには肉体がないみてぇだ。たぶん、他の奴らもそうなんだろう。あの音楽で、人の形をしてるように見せかけてるだけだ』。だっピ。今は師匠もボクになってるから、音楽の影響を受けてないんだっピ」

「凄いじゃんか! じゃあ僕たちも棒人間になれば――」

「それは無理なんだっピ。今のボクの限界を超えてるし、みんなの能力も使えなくなっちゃうっピ。それからマリーちゃんさんは、ロコツにイヤな顔をしないで欲しいっピ」

「まあまあマリーちゃん、もしもの話だからね。……とにかく、やっぱりこの音楽を先に何とかしないとってことですよね。才さんの予知や祥太郎さんの転移もそうだったけど、力に干渉されちゃうから」

「そうなんだっピ。だから今ボクたちが頑張ってるっピ!」

「ボーニンゲン。レーナの肉体がないって、どんな感じかしら?」


 それまで黙っていたマリーが、唐突に問いを投げかける。棒人間は少し嬉しそうに、手をパタパタとさせながら答えた。


「えっと、白いケムリみたいな感じなんだっピ!」

「煙……ね。もしかしたら、その形態もあって、侵入を簡単に許してしまったのかも」

「ま、それもあるがな。とにかく俺たちの技術力あってのことだ」

「へぇ。――って!?」


 目の前には、いつの間にか男がいた。名前も、会ったことがあるのかどうかすらも思い出せない。ただ、敵だということだけは、はっきりと理解できた。

 マリーは咄嗟に結界を張り、理沙はを操って敵をかく乱し、祥太郎は即座に仲間を連れて、空間を飛ぶ。――はずだった。しかしそれよりも早く撒かれた何かによって意識が揺らぎ、力は歪められる。


「――うぐっ」


 床に叩きつけられ、腹から声が押し出された。祥太郎は急いで横へと転がる。体は棚へとぶつかったけれど、それ以上の衝撃はやってこない。

 恐る恐る体を起こすと、そこは薄暗い部屋だった。今までいた仮眠室ではない。近くに仲間たちの姿はなかった。

 自分だけ転移してしまったのだということに思い当たり、すぐに戻ろうと意識を研ぎ澄ませた時、部屋の中で何か音がしたことに気づく。

 身構えたところにかかったのは、意外な声だった。


「……祥太郎くん?」

「遠子さん!?」


 そちらを見れば、大きな棚に寄り添うようにして座っているのは、確かに遠子だった。驚く祥太郎の顔を見て、彼女はほっとしたように微笑む。


「祥太郎くん。良かった、会えて」

「はい、あのっ」


 戸惑う祥太郎の目に、遠子の姿勢が不自然に映った。彼女が後ろ手に縛られているということを知り、慌てて近寄る。


「大丈夫ですか?」


 急いで拘束を解くと、彼女は痛そうに手首をさすった。


「ありがとう。助かった」

「でも、みんなが……多分、捕まって」


 祥太郎は今までのことを簡潔に話す。遠子は少し考えてから、言葉を発した。


「きっと大丈夫。今のところは。あの人たちは、利用することしかできないから」

「利用するって?」

「彼ら――仮に『悪夢ファントム』としましょうか。このアパートに侵入した後、まずは増報装置アンプリファイア・システムを抑えた。私を捕らえたのは、対能力者用に作られたロープ。倉庫にあったものよ」


 彼女は解かれたロープを持ち上げてみせる。


「さっきここに、『悪夢ファントム』の一人が来たの。私の心を覗けるようなフリをしてたけど、嘘。そんなこと出来るならさっさとやった方が早いもの。情報を得るにしても洗脳をして、自発的に話してもらうことが必要なのよ。だからもし皆が捕まったとしても、『協力者』として利用しようとするはず」

「そっか――なら」

「でも、安心はしてられないわよね」


 ホッと表情を緩めた祥太郎に釘をさすように、遠子は言葉を続けた。


増報装置アンプリファイア・システムの出力を上げるって言ってたんでしょう? それに、『悪夢ファントム』たちは私たちと友好を深めに来たわけじゃない」


 祥太郎は大きくうなずき、少し考えてから言う。


「どうします? 遠子さんが増報装置アンプリファイア・システムのある場所を知ってたら、転移できるかも」

「いえ、私の説明だけじゃ、上手くイメージできないでしょ? ここはコントロールルームの一室だから、目的地までは近い。まずは部屋が見えるところまで移動しましょう」

「心外だわ。私達は仲良くしたいと思ってるのに。ほんとよ」


 今度は動揺しなかった。想定の範囲内だったからだ。祥太郎は振り向きもせず、遠子の腕をつかみ、以前訪れたことのある『VIPルーム』を強く思い描く。

 ――だが。


「――ぐあっっ!?」


 足に鋭い痛みが走った。それは先ほどまで遠子を縛っていたのと同じ、対能力者用のロープだった。隣では、同じく体を絡めとられた遠子が苦悶の表情を浮かべている。

 痛みをこらえ、見上げた目には、レーナの不敵な笑みが映る。


「!?」


 覚えたのはまず、違和感だった。その髪は少ない照明を受けて金色に輝き、長いまつ毛に囲まれた大きな瞳は薄い茶。白い肌は少し上気して赤みが差し、艶やかでふっくらとした唇からは熱い吐息が漏れる。


「私たちね、ここに来た時、力をたくさん使っちゃったの。だから、姿を維持するのも中々大変で……でも、とっても見つけちゃった」


 の嬉しそうな微笑みは美しく、そして、これ以上なく不気味に見えた。

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