騎士と姫君 10

「誰か……誰か!」


 店を出た通路の向こうから走ってくるのは、若い女だった。髪を振り乱し、服ははだけていて、足も時々もつれてよろける。その後には、にやけた顔で追ってくる二人の兵士がいた。


「おのれイディス!」


 エフィーゼが憤怒ふんぬの表情で走る。三人の間へ飛び込むようにして入り、背中へとかばった彼女に告げた。


「今のうちに逃げなさい」

「あの――」

「いいから早く!」

「はい、ありがとうございますっ!」

「おい! ――あーあ、逃げちまったよ」

「てめぇ何邪魔してくれてんだよ。俺たちが誰だかわかってんのか?」


 背が高く細い男と、小さく重そうな体をした男のコンビが凄んでみせる。しかし、適当にあつらえたような武具といい、気迫も威厳も感じられなかった。


「鎧で着飾った烏合うごうの衆であろう」


 低く響く声に、男たちは怒るのも忘れて唾を飲み込んだが、すぐに背の高いほうが顔を歪め、大げさな笑い声を立てた。


「はっ、地味なくせに騎士様気取りか。いっぱしに剣なんか持っちまってよ」


 その言葉に、隣の男もけらけらと笑う。

 エフィーゼは黙したまま、腰に帯びた剣へと手を伸ばした。


「何をしている!?」


 その時、騒ぎを聞きつけた他の兵士がやってきた。

 全部あわせても四人。脅威となるような数ではなかったが――。


「待て!」


 そこに割って入った別の男の声。

 ――と同時に、白い煙がもくもくと立ち上り、周囲を覆い隠していく。


「これは――」

「君たち、こちらだ!」

「――皆様、参りましょう!」


 通路の先で手招きをする、髭面ひげづらの男。その体を覆うボロ布の隙間から見覚えのあるものが垣間見えた気がして、エフィーゼはつい叫んでいた。

 皆も一瞬顔を見合わせた後、煙で視界が閉ざされる前に走り出す。


「いたぞ! あの地味な連中だ!」

「おい、あの地味な奴らを捕まえろ!」


 だが、不審者がいるという情報が瞬く間に広まったのだろう。進んだ先々で、姿を見咎みとがめられてしまう。追手の数は、次第に増えていった。


「ちょっとザラ、地味なことでかえって目立ってるんだけど!?」

「Oh、これは思わぬ落しぶたね」

「落とし穴でしょ!」

「地味地味うるせー! どっか行け!」


 祥太郎しょうたろうが睨みつけると、追手の姿が次々とかき消えていく。


「あの角を曲がるぞ、急げ!」


 それに気づかない男は振り返らずに指示し、体を傾けた。間髪を入れず細い路地へと入り、何度か曲がることを繰り返した後、建物の窪みに身を隠す。


「……どうやら、けたようだな」


 事実は全く違うのだが、とりあえず皆、頷いておく。


「イディスの連中が残した煙玉だが、こんなところで役に立つとはな。――しかし、奴らに歯向かうとは、君たちも中々無茶をする」


 汗を手の甲で拭う際、また布の隙間から見えたのは、銀の鎧に刻まれた、白い蝶の紋章だった。今度はそれを、リドレーフェもはっきりと目にする。


「女人が暴行を受けていた。見過ごすわけにはいかない」

「ワタシたちは旅の芸人一座だけど、正義のミカタなのよ」

「そうか」


 男は嬉しそうに笑み、それからこう口にした。


「私たちは一人でも多くの助けが欲しい。どうか、手を貸してはくれないか」


 ◇


 連れて行かれた広い地下室には、多くの人がいた。

 怪我人の姿も目立つ。子供や老人の姿もちらほらとあった。


「友人の邸宅を使わせてもらっているんだ。彼は今は……ここにいないのだが」

「ティダウさん、どうでしたか?」


 一人の若い男が近寄ってきて、男に尋ねる。こちらには軽く頭を下げたきり、すぐに視線を戻した。新たな仲間が加わることには慣れているのかもしれない。


「処刑は、明日の正午に行なわれるとのことだ」

「そんなに早く……!?」


 その会話を耳にし、押し殺した悲鳴が方々で上がった。

 ティダウと呼ばれた男は部屋の隅々までを見渡し、穏やかに、けれどもよく通る声で言う。


「絶対にお二人は助け出す」

「しかし――まだあの城を突破する算段もついていないというのに」


 誰かの発言に、室内がさらにざわざわとした。


「あの城、とは?」

白珠城はくじゅじょう――オウンガイアの王城だ。我らが誇る美しい城が、今は我らに牙を剥いている」


 ティダウは振り返ると、エフィーゼだけではなく、新たな仲間全員に聞こえるように語り始める。


「あの日――といっても、つい一昨日のことだな。姫様のご生誕を祝うパーティーの最中、イディスの輩が煙幕を焚き、混乱に乗じて仕掛けてきた。脱出した者の話によるとその後、城が大きく揺れ、煙幕が黒い色へと変化したらしい。それに触れたある者は唐突に血を噴き出してたおれ、ある者は昏々こんこんとした眠りにつき、ある者は石となったという。私の部隊がメレスティラへとたどり着いた時には、城の周囲も禍々まがまがしい霧が覆い、近寄れなくなっていた。触れれば同様に死か、眠りか、石だ」


 彼は大きく息をつき、舌で唇を湿らせる。


「そして今はメレスティラの町全体もその力で囲まれ、陸の孤島とでもいうべき状態にある」

「あれは悪魔の力だ。イディスの奴らには悪魔がついてやがる」


 それまで黙って俯いていた男が吐き出すようにして言った。彼の腕や頭には包帯が巻かれ、切れ端が男の体に合わせて細かく震える。


「そうよ、あんなのにどうやって勝てばいいの?」

「俺だって、あんな目に遭うのは御免だ!」

「まずは落ち着け! 皆で知恵を出し合えば、きっと攻略できる!」

「今日明日で、一体何が出来るっていうんだ!」


 恐れや不安は伝染し、士気を下げていく。諦めていない者たちでさえ、具体的な案は何一つ出せない。


「……わ、わたくしは」


 それを悲痛な表情で見ていたリドレーフェが、か細い声を絞り出す。注目が集まると、先を続けられずに震えた。


「姫様……」


 心配したガルデの呟きを耳に入れ、ティダウは目をまたたかせる。


「君も、姫君なのかい?」

「そ、それはですね、彼女にはお姫様の役をやってもらってて」

「なるほど」


 彼は理沙りさの言葉に少し笑って、遠くを見るように目を細めた。


「我が国オウンガイアの姫は、とても可憐で、お優しい方なんだ。今は行方がわからなくなっているが、必ず見つけ出してみせる」


 リドレーフェはティダウの顔を見る。そして決心したように、もう一度言葉を発する。


「わたくしは」


 彼女を再び見た沢山の目が、驚きに見開かれた。おお、と誰かが声を漏らす。

 輝く光の粉を振りまきながら、その姿が元へと戻っていったからだ。


「リドレーフェ様……」


 姫君は胸を押さえて大きく呼吸をしてから、はっきりと告げる。


「わたくしは、無事です。こちらの方々に、命を救っていただいたのです」


 ザラが大きな身振りと珍しく厳かな表情で、観客へと向けお辞儀をしてみせた。マリー、理沙、祥太郎も同じようにすると、抜群のタイミングで変化が解ける。

 さなぎから蝶が生まれ出るようなその光景に、驚きとも感嘆ともつかない声があちらこちらから漏れた。


「見たでしょう。あちらに悪魔がついているのなら、こちらには精霊が味方しています」


 リドレーフェはその藍色の瞳で、一人一人を見るように視線をめぐらせる。


近衛騎士このえきしエフィーゼ」


 彼女の身振りと言葉にあわせ、真の姿を現したエフィーゼが静かに礼をした。


神命騎士じんめいきし、ガルデ」


 その名前が呼ばれた時、一段と場が沸き立った。当人は目を泳がせながらも、小さく頭を下げる。


「そして、あなたがたも一緒です。諦めずにこうして集まってくれてありがとう。勝ちましょう、必ず。オウンガイアにまた平穏を取り戻しましょう!」


 先ほどまでの空気が、嘘のようだった。人々の顔には希望の色が灯り、割れんばかりの拍手と、歓声が地下室に響き渡る。


「姫様!」

「姫様、よくぞご無事で……!」


 リドレーフェが語り終えると、瞬く間に出来た人だかりの中に彼女たちの姿は埋もれてしまった。


「リドレーフェって国民に愛されてんだなー」

「ファンタスティックなスピーチだったよ。プリンセスの巨人というヤツね」

「それを言うなら脅威きょうい? ――わかった、矜持きょうじね」

「マリーちゃん、よくザラさんの言ってることわかるよね……」

「そんなことよりも、ワタシたちも、作戦会議よ!」


 ザラは人差し指をリズミカルに振りながら言う。


「とりあえず、片っ端から何とかしていくしかないんじゃないですかね?」

「僕らの作戦って、結局最後は力技だよな」

「まぁ、最終的にはそうなるにしても、ある程度対策を立てないと」


 マリーは理沙の持つ黒い二つの結晶に視線を向け、それから溜め息をついた。


「……何だか急に、胡散臭くなってきたことではあるし」

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