騎士と姫君 9
「きもちわりぃ……」
ガルデが口元を押さえながらぼやいた。リドレーフェも少しうつむいていたが、心配そうに見守る顔に、何とか微笑みを返す。
「慣れてないと、酔うことあるケドすぐ治るヨ。エフィーゼ、ここ、ドコかわかる?」
ザラに問われ、エフィーゼは視線を景色へと向けなおした。『ゲート』から放り出されるようにして降り立った場所は、濃い緑に覆われている。
触れる空気は確かに故郷へと帰ってきたことを実感させたが、普段よく来る場所ではなかった。しかし、記憶と照らし合わせているうちに位置関係が掴めてくる。
「アスサラの森ですね、恐らく。メレスティラの北西に位置しています。街はこの場所からは見えませんが……あちらの方角だと思われます」
「三人が『ゲート』に巻き込まれたのはお城の近くだったから、ここまで動いてから定着したのね」
伸ばされた指先を目で追って、マリーは言う。
マスターによると、彼女たち以外に『ゲート』を通った者の痕跡はないとのことだった。定着するまでの間、新たに巻き込まれる者が出なかったのは幸運といえるだろう。
「とにかく、オウンガイアへと戻ることが出来ました。改めて御礼を申し上げます。――急ぎましょう」
「エフィーゼ! ちょとストップよ! ……このままで行くはデンジャーね。まずは姿をチェンジするよ」
言うが早いか、ザラは取り出したステッキをくるくると回し始める。
「えと、ちんとんしゃん、へべれけへべれけおウマがトール!」
それから唱えられた謎の即興呪文により、皆の姿が白い煙に包まれ、一瞬にして変化した。
「あら……これはまた地味に」
「本当! マリーちゃんは町の女の子Aで、あたしはBって感じ」
「すげー! 姫様も普通の女の子になっちゃった!」
それぞれの特徴は残しているものの、服装を含め、受ける印象はずいぶんと変わっている。
はしゃぐ三人に、ザラは得意げな顔を見せた。
「ジミーに見えたほうが、調査にはベンリーね」
「僕にも見して見して!」
「マジだ。超地味な雰囲気に――」
「ショータローはあまり変わらないわね」
「え」
「確かに。――じゃなくて、祥太郎さん、えーと、素朴さが魅力だから」
「じゃああとは、わたしの結界で身を隠して……と。それじゃ、街まで移動しましょうか。ショータロー、お願い」
「…………」
「ショータロー、なにボーっとしてるのよ? 早くしないと!」
「あ――りょ、了解!」
慌ててパチン、と指を鳴らす祥太郎。
周囲の景色は水に溶かしたように歪み、再び別の景色へと描きなおされる。
――次の瞬間には、周囲に人がいた。建物に囲まれた大きな広場は白い石畳が敷き詰められ、赤や黄色、鮮やかな色をした布に覆われた露店が並んでいる。
「ここって……市場じゃない? 何でこんな街のど真ん中に転移させるのよ!?」
「い、いや、少し動揺して」
「しっ、怪しまれてるヨ」
ザラが短く言って、皆を広場の端まで誘導する。
鎧を身につけた中年の男は、話し声が聞こえたことに不審げな顔をしていたが、気のせいと思ったのか、また歩き出した。
マリーは近くに人がいないのを改めて確認してから、固まって立つ全員を包み込むように結界を張りなおす。
「これで大丈夫。外に声は漏れないわ」
「空気穴は?」
「……それもご心配なく」
「今のって、格好からして兵士? イディスってやつらかな?」
改めて広場を見ると、鎧を着た男女が目を光らせているのが目立つ。
場所の広さに対して露店の数は明らかに少なく、客の姿もまばらだ。その状況で活気のあるやり取りなどあるはずもなく、時折ぼそぼそとした話し声が聞こえるだけだった。
「はい……それ以外には考えられません」
祥太郎の問いに、エフィーゼは声を絞り出した。リドレーフェも無言で唇を噛む。
「三人とも、落ちつくのヨ」
「承知しております」
「わたくしも、大丈夫です。皆様の指示に従います」
「おいらは姫様に任せる!」
ザラの言葉には、予想よりも冷静な反応が返って来る。彼女はほっとして頷くと、再び広場に目を向けた。
エフィーゼたちの話からすると、城での戦闘が起こったのは昨日か一昨日。そもそも別の世界同士をつなぐものである『ゲート』間の移動は、時間のずれを引き起こす場合もあるのだが、その調整も上手くいっていると聞いた。
「このブンだと、戦いはオワタのね。でも詳しいこと誰かに聞いてみないとワカランチンよ」
「兵士さんがこっちに向かってきます!」
「とりあえず飛ばすよ!」
口に出すと同時に、祥太郎は全員を一気に転移させる。目標としたのは、向かい側に見える人通りのなさそうな道だった。
「……おぇ、これも何回もやると酔う」
またふらふらとしているガルデの背中をリドレーフェが撫でつつ、静まり返った通りを歩く。
「ここは、本当にメレスティラなの? あんなに活気があったのに……もう」
そこまで言って、彼女は口をつぐんだ。そして首を小さく振る。
「いえ、きっと大丈夫。……そうじゃなかったとしても、わたくしたちで乗り越えなければならないわ。アパートの皆様にも、せっかくこうしてご助力いただいているんだもの」
「そうですよ、姫様」
「あのお店、開いてますね。行ってみません?」
その時、壁のように冷たく閉ざされた街並みの中に、ぽっかりと空いている扉を見つけた理沙が声を上げた。
そちらへと向かうと、食堂と思われる小さな店内には、ぽつんと座る老女の姿だけがある。
彼女は突然姿を現した一行に驚いたように顔を上げてから、申し訳なさそうに首を曲げた。
「すみませんねぇ。もう何もなくて」
それから少しの間、沈黙が流れる。
「あの」
それを破ったのは、リドレーフェだった。
「……何か、あったのでしょうか?」
店主は不思議そうに
「食材は、全部兵士さんがたが持ってっちゃってね」
「そうではなく、あの……陛下や、お城の方々は」
「あんたがた、知らんのかね?」
「それは……」
「あのー、ワタシたち、旅の芸人なのヨ」
言葉に詰まったリドレーフェに代わり、口を出したザラを、老女は舐めるように見た。
「芸人? それにしてはまた地味な」
「そんなのはお化粧でバケバケすればOKよ? そんなことより、来たばっかりのワタシたちだから、お国のことが知りたいのネ」
「バケバケ? ……まあ、あんたがたもこんな時にめぐり合わせて大変だったね」
それから彼女は、店先へと一旦顔を出し、何度か周囲を確認した後、扉を閉める。
「……メレスティラは、イディスに占領されちまったんだよ。姫様の誕生パーティーの時、お城で騒ぎがあって、気がつけばこの有様さ」
彼女はやれやれと首を振り、小さく震えるリドレーフェの前で、その言葉を口にした。
「王様とお妃様も、処刑されるって」
「姫様!」
ガルデが崩れ落ちる体をとっさに抱きかかえる。
「……ごめんなさい。大丈夫です、ガルデ」
リドレーフェは顔を両手で覆い、荒い息を立てた。覚悟はしていたことであったが、まだ細いその体で受けるには、重い宣告だった。
「姫様? この子が?」
「お、お姫様役なんですよ! 彼女、カワイイから」
理沙のフォローにも、店主はまた首をかしげる。
「地味だけどねぇ」
「――誰か!」
そこで唐突に割って入った、切羽詰った声。
皆吸い寄せられるようにそちらを見た。――店の外だ。
続く悲鳴に、誰からともなく飛び出していた。
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