第十九話 好きなもの探し
外に出て数分も歩けば、せっかく風呂に入った体も洗濯した服も、汗だくになってしまった。
この炎天下のなかで探し物をするというのは、デートというよりも我慢大会のほうがしっくりくるような気がする。
「それにしても、こんなんでいいのか? どっかの公園の噴水とか、お前が好きな水を探してもいいんだぞ」
「いいの。覚えていてくれるのはユウシさんなんだもん、ユウシさんが好きなものをさがすの!」
「そういうもんなのか」
「そういうものなのですー」
自転車を手で押しながら、トウカがくすくすと笑う。トウカの自転車は有史のアパートに置いてあったためそのままにする訳にもいかず、かといって公園に放置しに行くのも気が引けたため、持ってくることにしたのだ。
最初は有史が押していたのだが、トウカが使う自転車のサイズは小さく、押すとどうしても中腰になるのが辛かったため結局トウカが押すことになった。
「にしても、ゆっくり変わるものってたかが知れてるんだけどな」
「うーん……あ」
唸りながら空を見上げたトウカが、真上に向かって指を差した。
「雲」
「ああ、たしかに。昔は『今から手品であの雲を消します』とかやったなぁ」
「あ、そんなことやってる男子いるよ」
「だろ? 種もしかけもありませんって、当たり前だよな」
「しかもなかなか消えないよね!」
「そう、そういうときに限って消えない」
こまめに休憩と水分補給を挟みながら、住宅地を歩いていく。
疲れているはずなのに、残された時間が僅かしかないと意識する度に、足が自然と地面を蹴った。
「洗濯物」
トウカが、今度は一軒家のベランダを指差す。
「洗濯物?」
「形は変わらないけど、ほら、干したやつってゆっくり乾くから」
「確かに……いや、でもそれなら俺は干した後の洗濯物のほうが好きなんだけどな」
「いいのー。ゆっくり変わるんだから」
「……俺の好きなものを探すんだよな?」
口では文句を言いながらも、少し嬉しくはあった。洗濯物が乾く様子が好きかと問われれば首をひねりたいところだが、トウカが自分の好きなものを増やそうと、探してくれる。それが嬉しかった。
「木!」
大通りに出て、トウカが街路樹を指差す。
「住宅地にもあったけどな。公園にもあるし」
「ここの木のほうが綺麗に並んでるからいいの」
「ま、成長するものは基本好きだな。ゆっくりだし」
「じゃあ、人間も?」
「んー……捉え方によってはそうなるかな」
「そっかそっかー、人が好きってなんだか素敵!」
街路樹の横を通り抜ける度に、蝉の声が近づいては遠ざかる。
そろそろ休憩を挟んでおきたいが、木陰よりも他の日影を探したほうがいいだろう。
そう考えて、少し歩いた先にある、駅の改札口に設置されたベンチに腰かけた。
通り抜ける風は生温いものだが、無いよりはいい。日陰でそれを受けるだけで、炎天下でのそれとはだいぶ感じ方が変わるものだ。
「……木といえば、季節の移り変わりも好きだな」
「あ、ほんとだ! 花が咲いたり、葉っぱが赤くなったり、ゆっくり変わるもんね」
「ああ」
「それなら、有史さんは世界が好きなのかな。なんかすごい」
その言葉に、思わず吹き出してしまう。どんな考え方をすればそんなに壮大な話になるんだか。
「申し訳ないが、地球全体って意味での世界は嫌いだな」
「え、そうなの?」
「ああ、嫌いなもので溢れてるよ。さっき言っていた人間ってのも、実のところ、嫌いな人間はたくさんいる」
自分や真澄を弾いた世界。弾いた人間。どれも嫌いなものばかりだ。
理不尽が蔓延る世の中で、今も多くの人々が辛い思いをしていることだろう。
「俺が好きなのは、真澄やトウカがいるような、小さな世界だけだな」
「あれ。いま、わたしも入ってたよね?」
「……どうだったかな」
「あ、いじわる! 絶対入ってた!」
「聞いてたならいいだろう」
最初は、自分の世界には真澄しかいなかったのだ。
真澄がいなくなった今、こうして地面を踏みしめていられるのはトウカがいるからに他ならない。
だからこのあと、トウカを帰したあとに。確認しなければならないことがあった。
「そろそろ時間だな。夕暮れには施設に帰れるようにしたほうがいい」
「え、まだ帰りたくないよ、だって、最後でしょ? 急いで帰れば大丈夫だし」
「トウカ」
「……」
「急いで帰ろうとして、事故に遭ったらどうするんだ。真澄は事故で亡くなったと言っただろう」
「……うん、わかった」
「最後のさよならは、あの公園にするか」
「うん……ありがとう、ユウシさん」
駅の日陰から出て、ここまで来た道のりをゆっくりと戻っていく。ここに来るまでに見つけた、身近にある「ゆっくりと変化するもの」を、再確認するように。
忘れないでおこうと思う。今後嫌いなものが増えたとしても、好きなものは変わってしまわないように。
公園には、すぐに着いてしまった。もう少し距離があると思っていたのだが、探し物をしながらうろつくのと、目的地に向かって真っ直ぐ歩くのとでは、やはり違うようだった。
公園に着くと、トウカは今まで手で押していた自転車に乗る。時間は無いのだ。
「なんだか、あっという間だったけど…帰らなきゃね」
トウカのその言葉は、有史に向けられたというよりは、自分自身に言い聞かせているようだった。
だからこそ、自分はごく普通の言葉で返す。そうすべきだと思った。目を潤ませながらも泣くまいと努めている、トウカのために。
「ん、気を付けて」
「うん……たくさん、たくさんお世話になりました」
「こちらこそ」
トウカはゆっくりとペダルを漕ぎだす。この背中を見送るのもこれが最後かと思うと、瞬きすら惜しいと感じてしまう。と、その背中は遠ざかる前に、ぴたりと止まってしまった。
「ユウシさん、さようなら!」
日差しを浴びて振り返った彼女が、手を振りながら見せた笑顔はとても輝いて見えた。
有史は目を細めて、手を振り返す。それを確認してから再び自転車を走らせた背中は、今度こそ振り返ることなく、陽炎の向こうへと消えていった。
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