第6話

 ああ、ついに、この日がやってきた。

 私は目の前の旅行かばんを、感慨深く見つめた。

 三泊四日のサークルの合宿に、今から出発するのだ。

 私にとって、合唱とは学校で仕方なくやらされるものだった。

 つまり一切興味がなかったということだ。

 そんな私が、無理してお金を工面してでも、合唱サークルに入ろうと思ったのは、高木先輩と会えるからに他ならない。

 言葉を交わさなくても、顔を見て、声を聞ければ、それで満足だった。 なのに、そんな憧れの先輩と一つ屋根の下で三日と半分も過ごす幸運が待っていたなんて。

 喜びと興奮に震えてしまう。

 合宿費用を捻出するためにバイトのシフトを増やし、生活費を切り詰めた甲斐があるというものだ。

 おまけに、健康的な食生活をしていたせいで、体重が二キロも落ちて、スリムになった。

 化粧もナチュラルメイクが板についたし、服だって、それなりにかわいいものでそろえることができた。

 一八年生きていて、今が一番、可愛いと、自分でも思う。

 そんなときに、先輩と同じ建物で泊まる幸運……。

「朝から何べん繰り返してんの。いい加減、うっとうしいからさっさと行きなさい」

 幽霊がすらりとした足で、しっしと犬でも追い払うような仕草をする。

「もう少し、感動に浸らせてくださいよ」

「ええい、もう知らん。あんたが行かないなら、あたしは消える」

「ちょっと待ってください。何度も言ったけど、ついてきちゃ駄目ですよ。もしかすると、鉄吉に消されちゃうかも知れないんですからね」

 幽霊は返事をせず、すうっと消えた。

 時計を見ると、もう出かける時間だ。

 私は頬が緩むのを抑えきれないまま、かばんを持って家を出た。


 バスの席決めは、上の回生から、好きな場所に座っていくことになった。

 一回生は一番最後だから、残った場所にでも座ることになるのだろう。

 さして期待もせず、自分の順番を待つ。

 男女の塊に別れて、バスの座席が埋まっていっているようだ。

 順番が来て、ステップを上がる。

 すぐに高木先輩が目にはいった。

 どんな人ごみのなかでも、高木先輩をみつけだしてしまう自分の能力が恐ろしい。

 峰川先輩たちとじゃれあっている先輩の近くに、空席はなかった。

 ちょっと残念だ。

「のりちゃん、隣、あいてるよー」

 実夏が手を振ってくれる。

 そのとき、峰川先輩が立ち上がった。

「のりちゃん。悪いけど、俺と席、かわってくんない?」

「お、峰川、実夏ちゃん狙いか?」

「すっげー。峰川、マジだぜ、マジ」

 車内がざわめく。

 実夏を見ると、真っ赤になっている。

 でも、嫌がっているようには見えない。

 むしろ、嬉しそうだ。

「いいですけど」

 私がそう言うと、誰かが、ヒューヒューと声を上げた。

 峰川先輩、勇気があるのね、と感心しながら席を代わろうとして、目指す座席の隣に、微笑む高木先輩を発見した。

 そうだった。

 峰川先輩の隣って、高木先輩だよー!

「おはよう、のりちゃん」

 天使のような笑顔が眩しすぎる。

「お、おはようございます」

 峰川先輩の席は窓際なので、通路側の高木先輩の前を通らなければならない。

 長い足をよけるようにして通るとき、緊張しすぎて、手と足が一緒にでてしまいそうになった。

 なんとか無事に着席する。

 今日の先輩は黒のポロシャツに、細身のジーンズだ。

 シンプルなのに、モデルかというほどに、見事に着こなしている。

「峰川のわがままで、迷惑かけちゃったね」

「いえ、そんな……」

 二人がけのバスの座席はそんなに広いとは言えず、したがって、先輩との距離も近い。

 近すぎて、体温を感じるような気さえする。

 ほら、高木先輩の香水の香りが、こんなにも感じられる。

 刺激が強すぎて、頭がくらくらしてきた。

「ま、俺としては、峰川サンキューって感じだけどね」

「?」

「峰川が交代したから、のりちゃんがこうして横に座ってくれたでしょ」

 ひそひそ話をするように、片手で口を覆いながら小声で言った先輩は、軽く片目をつぶった。

 ぼんっと頭から煙が出そうだ。

 その言葉は、社交辞令に違いない。

 だけど、そうだとしても、鼓動が高まる。

「可愛いな。すぐに赤くなる」

「からかわないでくださいよ。私、そういうのに、免疫ないんですから」

「なんでからかってるなんて思うの。俺は真面目に言ってるんだけどな」

 高木先輩の表情は冗談やうそを言っているようには見えない。

 心臓がバクバクして、ただただ、嬉しかった。

 だけど、同時に、もやっとしたものが湧き上がってきた。

 先輩はどうしてこんなことを言うのだろう。

 彼女だっているし、私のことを好きだというわけでもないだろうに……。

 でも、それを先輩に聞くことはできなかった。

 不機嫌な先輩の顔を見るのは怖い。

「ところで、のりちゃんってさ、鉄吉と付き合ってたりするの?」

 先輩に聞かれて、私は飛び上がらんばかりに驚いた。

「つ、つ、付き合うなんて……」

「買出しのとき、鉄吉がすごい勢いで絡んできただろ? その後は二人で帰るし、この前は部室でのりちゃんがCD返してたのを見たんだ。だから二人の間になんかあんのかな、と思って」

 私はぶんぶんと首を横にふった。

「ありません。それは大きな大きな誤解です」

「そっか。なら良かった。のりちゃんと仲良くしても、鉄吉に怒られる筋合いはないってことだ」

 高木先輩が白い歯をきらりと光らせて笑った。

「皆さん、こんにちはー! 合宿盛り上げ役、三回生の鴨居(かもい)です!」

 立ち上がった鴨居新吉かもいしんきち先輩が、マイクを片手にハイテンションでしゃべりだした。

「冬の定期公演の合唱曲や、合宿ミニコンサートで披露する曲の練習で、皆さん、忙しいわけですが、頑張るためには、ご褒美も必要です。と、いうわけで、最終日の夜は、ビッグイベントをご用意」

「もったいぶるなよ、鴨居ー。ただの飲み会だろ?」

 誰かの突っ込みに、笑いが起こる。

「いえいえ。今年は一味、違うんですよー。今年は、いつもの宿泊先が改装中のため、初めて琵琶湖山水荘さんに泊まることになりました。ところが、ここにはなんと、いわくつきの部屋があるのです」

 鴨居先輩はいわくつき、という箇所をわざと低い声で、重々しく言った。

「宿泊室の割り当て表を作っていたら、二〇二号室だけ、抜けてるんですね。僕達が貸切にするので、他に誰かが泊まっているはずもありません。気になって、オーナーに尋ねたら、そこは開かずの間だっていうんです。開かずの間なんて響き、誰でも怪談話を連想するでしょう? 僕もそうだったんです。で、聞いてみました、オーナーに」

 そこで鴨居先輩は言葉をきって、みんなの顔を見回すように、目の玉をぐるりと回した。バスの中がしんとする。

「何故、開かずの間にしているのか。オーナーは話すのをしぶっていましたが、宿泊先を再考するとの脅しが効いたみたいです。とうとう口を開いてくれました。二〇年ほど前のある日、山水荘の二〇二号室で、女性が死んでいたそうです。服毒自殺でした。遺書が見当たらず、身元も不明。仕方なく、山水荘で葬式を出したそうです。二〇二号室の畳には、女が吐いたおびただしい血がこびりついており、部屋を綺麗に改装しなければいけなかったほどでした。ところが、それからしばらくすると、二〇二号室に幽霊が出ると噂になりました。そしてとうとう、男性客が、その部屋で突然死したのです。原因は不明でしたが、その遺体は、何かから逃げるような格好で、死後硬直していたそうです。恐ろしくなったオーナーは、それから二〇二号室を開かずの間にしました」

 バスの中がどよめいた。

 嘘だと馬鹿にする者、本気で怖がる者。反応はさまざまだ。

 作り話だろうと思った。

 鴨居先輩の話し方だって、別に怖くない。

 そう思うのだが、背筋がぞくぞくして、私は思わず自分で自分を抱きしめた。

 だって、もとから怪談が嫌いなんだもん。

 おまけに、私には今、幽霊が憑いてるのよー!

 二〇二号室の幽霊だって、本当にいるかも知れないじゃない。

「なんでそんな怪談があるとこに泊まるの?」

 怯えたような女性の声に、鴨居先輩はにやりと笑う。

「それはもちろん、肝試しをするためにです!」

 悲鳴、驚き、その他もろもろの声で、バスの中は騒然となる。

 肝試し?

 よりによって、そんないわくつきのところで?

 絶対、いやだ。怖いよー!

「のりちゃん、気分、悪そうだよ」

 しまった。

 ふるふるしていたら、高木先輩を心配させてしまったようだ。

 何でもないと言おうとして、顔をあげる。

 と、私のあごに、先輩の長い指がかかった。

 くいと上を向かされる。

「ちょっと失礼」

 あっと思う間もまもなく、先輩の顔が近づいてきた。

 香水の香りに包まれる。

 な、な、な、なに?

 なんなの?

 予想外のことに、完全に、思考がショートして、固まってしまった。

 その間に、なおも先輩との距離が近づき、ミントの香りがする吐息が頬にかかると、ついにこつんと、額と額が当たった。

 私の汗ばんだ額と、先輩の清らかな額が、密着してるー!

 さっきまでの恐怖が、ぶっとんでいくほどの衝撃だった。

「うん。熱はない。バスにでも酔ったかな?」

 ごんっ!

 鈍い音と同時に、頭を打っていた。

 先輩から離れようと、思いっきり身体を引いたせいで、窓枠に頭を打ちつけたらしい。

「の、のりちゃん、大丈夫?」

「す、すみません。大丈夫です……」

 うう。なさけない。

 こんな姿を先輩にさらしてしまうとは。

 動揺しまくってるときに、あんまり話すと、ますます駄目な私を見せてしまいそう。

 こういうときは、落ち着くまで狸寝入り戦法だ。

「先輩。私、寝不足なので、ちょっと寝てもいいですか」

 先輩に了解をもらって、目をつぶる。

 頭はさほど強くは打たなかったらしく、鈍い痛みはすぐに消えた。

 高木先輩がすぐ横にいると思うと、それだけで、心拍数があがってくるような気がする。

 何をどんな顔で話せばいいか、迷ってしまう。

 でもでも、こんなチャンスは滅多にないんだ。

 もうちょっとしたら、起きたということにして、高木先輩と話をしよう。

 そうは思うのだが、さっきの額こつんを思い出すと、平静ではいられない。

 顔をちゃんと見ることも難しいだろう。

 心の準備ができるまで、しばらくかかりそうだ。

 バスの中は、肝試しの話で盛り上がっており、やかましいことこのうえない。

 だが、次第に喧そうが遠くなる。

 まずい。

 最近、無理してたから、体が眠りを要求しているらしい。

 このままじゃ、本当に寝てしまう。

 焦って瞼を開けようとするのに、重くて上がらない。

 寝たくないのに……。

 そう思ったのを最後に、記憶が途切れた。


 割り当てたられた部屋に移動して、荷物を置きながら、私は一人、暗くなっていた。

 だってね。

 起きたら、宿についてました……。

 ああ。

 先輩と、せっかく隣の席になれたのに、私ったら、ずっと寝てたわけで。

 もったいないうえに、どんな顔して寝てたのかを想像すると、恥ずかしさに居てもたってもいられない。意味もなくぴょんぴょん飛び跳ねてしまいそうだ。

 よだれを垂らしてたりしたら、最悪だわ。

 いびきをかいてたりしたら、ありえないわ。

 ずどーんと落ち込む私に、実夏が明るい声で話しかけてきた。

「峰川先輩に席を譲ってくれて、ありがとー」

「どういたしまして。でも峰川先輩、すごいね。実夏狙いって思われそうなのに、どうどうとあんなこと、みんなの前で言っちゃうなんて」

 さっきの出来事を無理やり頭から追い出してそう言うと、実夏は、照れたように微笑んだ。

「うーん、実はねー、前の買出しのときに、告られちゃって。付き合うことにしたんだー」

「そうなのっ? 実夏、峰川先輩好きだったの?」

 意外だ。

 自分を棚にあげてなんだけど、峰川先輩の容姿はよく言っても十人並みだし、取り立ててカッコイイところは見当たらない。

 でも実夏は、テレビで大人気の大人数アイドルに、こっそり混ざっていてもおかしくないようなルックスをしている。

 実際、実夏のアドレスを、何人もの男の子から教えてくれとせがまれる。それほどの人気ぶりなのだ。

 性格だって優しくて、おしとやかだし、もっといい人と付き合えそうな気がする。

「のりちゃんったら、なんであの人を選んだの? っていうような顔してるよ」

「へ? あ、うん。いや……」

 ばれてた!

 気まずくて、咳ばらいをすると、実夏が笑った。

「ううん。いいの。のりちゃんみたいな表情をされたの、三人目だから。峰川先輩って、ああ見えて気遣いの人なんだー。確かに見た目は普通なんだけど、これまで付き合ってきた人とは違ってね、一緒にいると、大切にされてるな、心地いいなってすごく思ったの。不思議なんだけど、全然好みのタイプじゃないのに、いつの間にか、惹かれてたんだよねー。だから今、すごく楽しい」

「そうなんだ。おめでとう」

 なるほど。

 顔とかスタイルというようなわかりやすいカッコよさじゃなくて、実夏は内面を選んだということなのだろう。

 私だって、高木先輩を好きなのは、イケメンだからというだけじゃない。笑顔とか、声が素敵で、優しいし……。

 あれ?

 でも、よく考えたら、私、高木先輩のことって、あんまり知らないよね。

 優しいかどうかも、実はよくわからない。

 ずっと、遠くから眺めるだけだった。

 と、いうことは、私はずっと、高木先輩の誰かに対する態度を見てきただけだ。それも、見える範囲だけで。

 それって、私は高木先輩の何を好きということなんだろう? 

「ありがと。ところで、のりちゃんは、高木先輩のこと、やっぱり好きなの?」

 考え込んでいた私は、ひょえっと短く叫んでしまった。

 なんてタイムリーで、直球な質問なんだ。

「え? い、いや、それはその……なんていいますか、あれだよ、あれ」

 激しく動揺する私に、実夏がすべてを悟ったような顔をして頷いた。

「峰川先輩が、のりちゃんが望むんだったら、肝試しのカップルを高木先輩とにしてあげるって。相手を決めるくじ引きのときに、操作できるらしいよー」

「そ、そんな、不正は駄目だよ」

「なんで? 高木先輩はそうして欲しいって言ってたって聞いたよー」

「ええっ! 本当に?」

 信じられなかった。

 高木先輩がそんなことを言うなんて。

「それとも、鉄吉のことが気になってるの?」

「え? そんなことないよ」

 なんでそこで鉄吉の名前が出てくるんだろう。

 そういえば、鉄吉が高木先輩に近づくなと言っていたことを思い出す。

 もしかして、バスの中のことも、怒ってるんじゃないかしら。

 このうえ、肝試しまで先輩と一緒になるなんてまずいような……。

「そっかー。じゃ、遠慮しないで。峰川先輩にはお願いしておくからねー」

 迷っていると、満面の笑みで実夏が言った。

 断るタイミングがつかめないまま、話が終わってしまった。

 どうしよう。

 高木先輩と肝試しだなんて。

 こういうとき、いつもなら幽霊が出てきて叱り飛ばしたりしてくれるのに、何をしてんだろう。

 って、私が来るなって言ったんだった。

 今頃、映画見たりして楽しんでいるに違いない。

 もしかして、遠出して、ファンだとか言ってたアイドルグループのコンサートに行ってたりするかも。

 ええい、役に立たん。

 もんもんとしていたら、無性に喉が渇いてきた。

 ジュースでも買おうと、廊下に出る。

 自動販売機は廊下の端に設置されていた。

 ジュースが飲みたいけど、太っちゃうかな。

 何を選ぼうか悩んでいたそのとき、私の左側にあった扉が開いた。

 廊下の突き当たりに設けられた、非常階段に通じる扉だ。

 あっと思った瞬間には、力強い腕に抱きすくめられ、私は非常階段に連れ出されていた。

 叫ぼうと口をあけたとたん、目の前に指が一本、突き出された。その先に見えたのは、鉄吉の顔だった。

「静かに。噂になりたくないだろ」

「て、鉄吉!」

 久しぶりに間近で見る鉄吉は、さらに日に焼けていて、たくましさを増したようだった。

 買出しに行った日から、気まずくて、鉄吉とはあまり話していない。

 この前、CDを返したときも、ほとんど言葉は交わさなかった。

「何してるの、こんなとこで」

「お前を待ってた。ついでにももあげ運動をしていた」

 ……どうしてもトレーニングから離れられない人なのね。

「来るかどうかもわからないのに?」

「練習時間までに来なきゃあきらめた」

 鉄吉は無造作に腕を掻きながら言った。

 蚊にでもさされたのか、ぷっくりと赤く腫れているところが数箇所見えた。

「こんなことしなくても、部屋に呼びに来ればいいのに」

「噂になれば、高木先輩に誤解される。お前が困るだろ」

 鉄吉がぷいっと顔を横に向ける。

 少しすねているように見える。

「バスの中でのこと、忠告を聞かなかったから、怒ってるの?」

「あれは、仕方ない。お前から近づいたわけじゃない。だが、密着しすぎていた」

「見てたの?」

「俺がいたのは、お前達が座った後ろの席だ。気配はよくわかる。頭はもう大丈夫か」

 そんなとこまでバレていたのか。

 恥ずかしさで身体が熱い。

「個人情報を明かすのは、悪いと思って黙っていたが、お前だけには話しておく。高木先輩の彼女を俺は知っている。今は短期留学中だ」

 初耳だった。

「どうして鉄吉がそんなこと知ってるの?」

「バイトで知りあった。高木先輩はそのことを知らない」

「どんなバイト?」

「霊関連だ」

 …………。

 気になるけど、掘り下げて聞くのは怖い。

「だから高木先輩は彼女と別れてない」

「そうなの……」

 最初からわかっていたはずなのに、改めて聞くと、残念な気持ちになる。

 だったら、高木先輩のあの思わせぶりな態度はなんなのだろう。

 いくら私でも、ちょっとは期待してしまうじゃないか。

「それをわざわざ伝えに?」

 鉄吉もご苦労なことだ。

 私にそれを伝えるために、蚊にさされながらこんなところで待ってたなんて。

「違う。そんなことより大事なことがある。二〇二号室の幽霊のことだ」

「幽霊? もしかして、あの話、本当なの?」

 鉄吉が頷いた。

「部屋の前に行ってみた。何かの気配がする。あの程度なら、一般人には害がないかも知れない。だが、お前は違う」

 不吉なことを、さらっと言ってくれる。

「何が違うの?」

「お前には幽霊が憑いている。すなわち、今は霊媒体質になっている。それは霊を呼び寄せやすいってことだ」

 ぞぞぞっと産毛が逆立った。

「ってことはどうなるの?」

「お前に取りつこうとする、もしくは害をなそうとするかも知れない。危険だ」

「そんな……」

 部屋に近づけないということはつまり……。

「肝試しは気分が悪いと言って、参加しないことにするんだな」

 頷くしかなかった。

 先輩との肝試し。

 行けないとなると、とたんに惜しかったという気分になってくる。

 だけど、幽霊は怖い。

 本職の鉄吉が言うのだから、本当に危険があるのだろう。

 仕方がない。

 他の健全な方法で、先輩との合宿を楽しむことにしよう。

「鉄吉は参加するの?」

 鉄吉は首を横に振った。

「俺もやめとく。妙なモノを見るのは、バイトだけでたくさんだ」

 言いながら、鉄吉が廊下に目をやった。

 なにやら館内が騒がしくなってきたようだ。

 そろそろ集合時間らしい。

 鉄吉と一緒に出て行ったのでは、みんなに怪しまれてしまいそうだ。

 私は先に中に戻ることにした。

「じゃ、先に行くね」

「そうだ。お前についた幽霊、どうしてる?」

 唐突に鉄吉に聞かれて、私は足を止めた。

「鉄吉に消されないよう、大人しく家で待ってるよ」

「そうか」

 言ったきり、数秒間黙り込む。

「なに?」

 じれったいな、もう。

「あの幽霊だが、もうすぐ……」

 そこまで言って唇を閉じ、鉄吉は言葉を捜すように、視線をさまよわせた。

「いや、やっぱいい。何でもない」

 なんだ、なんだ。

 ものすごく気になるわ。

 だが鉄吉は、くるりと身体を翻し、階下へと駆け下りていってしまった。

 幽霊が、もうすぐなんだというのだろう。

 もうすぐ、ここに来るとか?

 それはありそうだけど、そんなことを言うのに、あんなに迷うものだろうか。

 気にはなったけど、集合を呼びかける館内放送にせかされて、私は考えることを止めて、ドアノブを回した。



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