第4話

 バイトが終わって携帯を見ると、メールが来ていた。

 遊ぶための資金不足に万年悩まされている私には、友人からの誘いのメールが来ることはめったにない。

 あるのは、サークルや大学関係のお知らせくらいだ。

 節約のためにスマホを持てない、いや、持たない私は、巷ではやっているコミュニケーションツールにも縁がなく、みんなの中で決まったことを、一人知らないということもある。

「何だろ? 買出しは明日だったよね。まさか、一日、間違えた?」

 焦りながら、メールを開くと、送信者は鉄吉だった。

 連絡と題されたメールの本文には、学生会館裏、夕方四時に待つ、と書いてある。

 ……果し状ですか、これは。

 時計を見ると、三時時を過ぎたところだった。早番だから良かったものの、そうでなかったら、鉄吉を待ちぼうけにさせてたところだ。

 着替えを済ませ、化粧ポーチを取り出して、崩れたところをささっと直す。

 我ながら、手馴れてきたもんだわ。

 バイト先から、大学まで、徒歩四〇分程度の道のりを、日傘を差しながら歩く。バスに乗れば楽だけど、そのお金がもったいない。

 ガソリンを燃やすんじゃなくて、脂肪を燃やすのよ、私。エコだ。これこそ、エコ生活だ。

 炎天下の道を歩き、ようやく学生会館についたときには汗だくだった。

 何度も額をハンカチでぬぐったせいで、さっき直した化粧もよれよれになっているだろう。

 でも、待ち合わせの相手は鉄吉だ。

 私の化粧が崩れていることになど、気づきもしないに違いない。

 そのまま、学生会館の裏に回る。

 鉄吉は来ていた。

 日差しを少しでも和らげるべく、学生の要望で作られたという藤棚の、その縁につかまって、懸垂をしている。

 筋肉が日の光を受けて、つややかに輝いていた。

 なぜ? 

 この炎天下で?

 絶句した私の気配を感じたのか、背を向けて懸垂をしていた鉄吉が、ぽんと飛び降りこちらを向いた。

「な……」

「ちょうどいい高さの棒があった。そして俺は今、体がなまっている」

 質問する前に答えを言われてしまった。やっぱり残念な日本語で。

 鉄吉が汗を拭きながら、藤棚の下のベンチへ移動する。

 小さな藤棚の下に置かれたベンチは、人が二人すわるのが精一杯の長さしかない。

 汗臭そうな鉄吉に近寄るのはためらわれるけど、日傘の中にいるよりも、ベンチのほうが涼しそうだ

 鉄吉が一番左端に座っているので、できるだけ、右端に身体を寄せて座った。

「何の呼び出し? 簡単な話なら、明日でいいのに。どうせ、買い出しで会うんだから」

「お前、何をくっつけてる?」

「は?」

 不満げな私に謝るでもなく、いきなりわけのわからない質問が飛んできた。

 さすが、空気の読めない鉄吉だ。

 腹が立つのを通り越して、戸惑ってしまう。

「何って言われましても……。化粧品から衣服まで、いろんなものを身に着けてますが」

「違う。頭の上に、たまにくっついてるやつだ」

「え? 髪飾りはつけてないけど」

 言いながら、気がついた。

 もしかして、鉄吉は幽霊のことを言ってるのかも。

 まさか、この人、幽霊が見えるなんてこと、ないよね?

「な、なにもくっついてなんかないよ」

 鉄吉がどう出てくるのかわからず、私は慌てて否定した。

「そんなはずはない。昨日、はっきり見えた。公園で」

 清美と話していたところを鉄吉に見られていたようだ。

「盗み聞きしたの?」

「話の内容は聞こえなかった。そんな近くにはいなかった」

 良かった。ほっとする。

 でも、遠くから見たんだとすれば、言い逃れできるかも。

「見間違えじゃないの?」

「俺の目は二.〇だ」

 それだけ目がよければ、サバンナの草原でも生きていけるか知れない。

「……だ、第一、なんかついてても、私にはわからないかも知れないじゃない」

「もう一度言うが、そんなはずはない。帰り道、お前はあれと話してた」

「つけたの?」

「心配だから」

 鉄吉が悪びれず言った。

 し、心配だから、ですと?

 その言葉は意味深だけど、日本語が残念なこの男に、そこまでの意図はないのかも知れない。

 どぎまぎしているうちに、後をつけられたことを怒るタイミングを、失ってしまった。

「お前、最近変わった。急に女らしくなった。変だと思ってたら、妙なものがついてるみたいだ。たたられてるのか? とりつかれたのか?」

 鉄吉が私の頭を覗き込むように、ずずずいっと身体を寄せてきた。

 ちょ、ちょっと。

 めっちゃ距離が近いよー!

 意外にも鉄吉からは、干草に似た匂いがした。

 思ったよりもずいぶんいい匂いだ、なんて思ってしまった自分にびっくりして立ち上がる。

「たたられてないよ。むしろ、力になってくれてるんだから」

「幽霊が?」

 思わず頷いた私に、鉄吉がちょっと勝ち誇ったような表情を浮かべて見せた。

「やっぱり幽霊が憑いてるんだな」

 しまった。

 語るに落ちてしまった。

「でも、でも、悪い幽霊じゃないよ。私にいろいろアドバイスしてくれたりするし、いつも一生懸命で、結構いい人なんだよ」

「幽霊に何をアドバイスしてもらうんだ?」

「お化粧とか、服装とかについて」

 恋愛についてとは、さすがに言いづらいので、ちょっと脚色する。

「もちろん、操られてるんじゃないよ。ちゃんと自分の意志で、勉強しながらやってるし」

「それで、急に女らしくなってきたのか」

 鉄吉が腕をくんで、ベンチにもたれた。

「男どもの目がお前に向くなんて、迷惑だ」

 鉄吉がぼそっと、そう言ったように聞こえた。

「え?」

 どきりとして聞き返すと、鉄吉が再度言った。

「それにしては化粧崩れが酷すぎる」

「なっ」

 さっきのは聞き間違えだったのか。

 どうやったら、あんな聞き間違いをするんだろう。

 自信過剰になってるのかな、私。

 恥ずかしさに、どっと汗が噴出す。

「ひっどーいっ! ここまで歩いてきたんだよ。鉄吉が急に呼び出すからでしょ?」

「俺は善人だ。お前がたたられたり、とりつかれてるかもしれないのをほっておいて、死人になられたら寝覚めが悪い。もし悪霊なら、助けてやらないといけない」

「助けるったって、何ができるのよ。素人が幽霊に戦いを挑む気?」

「違う。俺の家は、拝み屋だ」

 はい?

 頭の上に、はてなマークが浮かぶ。

「お、おがみや?」

「神社の副業でやってる。怨霊、悪霊を浄化したり、霊の障りを取り除いたりする。おおむね、好評だ。しかし、謝礼は高いから頼むときは気を付けろ」

 恐るべし、鉄吉。

 どこまでも、私の常識をやすやすと打ち砕いてくれる存在だ。

「お前の話を聞いたかぎり、すぐに心配はなさそうだ。だが、憔悴してきたり、俺がおかしいと感じるようになれば、お前に憑いてるモノを排除する」

「そんな怖いこと言わないでよ」

 鉄吉の目がマジすぎて、私は怯えた。

 こんな身近に見える人がいたなんて。

 さらに、見える人が拝み屋とかなんとか、怖そうなものとつながってるなんて。

 浄化する、とか排除するなんて、物騒な言葉を聞くと、ぞっとした。

 幽霊は私にいろんなことを教えてくれるし、一緒にいるととても楽しい。

 彼女はどう思っているか知らないけれど、私にとっては友達も同然だ。

 勝手に消されたら困る。

 幸いにも、幽霊は出てこない。

 鉄吉がいるときには、絶対に姿を現さないように伝えなくちゃ。

「お前は生きている。死んでいるモノとそう簡単にかかわるものじゃない」

「でも、あの人はいい幽霊だよ」

「今は、な。だが、何か魂胆があって近づいたのかも知れないし、これから先、悪霊にならないとも限らない」

「とにかく、幽霊については何の害もないし、大丈夫だから」

「何か異変があれば、言うんだぞ。力になれる。友達のよしみだ。料金は無料にしてやるから、心配はいらない。それから、もうひとつ」

 鉄吉の目が、私をまっすぐに見た。

「お前は自分にもっと自信を持っていいと思うぞ」

「え? 何、それ?」

「言葉通りだ。じゃ、またな」

 自分だけ納得したようにうなずくと、鉄吉はさっと走って行ってしまった。

 ぽかんとして見送る。

 自信を持っていい。

 鉄吉はそう言った。

 鉄吉のことだから、その言葉に深い意味はない。

 だけど、頭の中繰り返してみると、言われたことは、意外なほど嬉しかった。


 鉄吉から聞いた話をどうしても伝えたかったのに、朝になっても幽霊は帰ってこなかった。

 怒られないように、晩も朝も、野菜入りの味噌汁とご飯というバランスを考えた食事を食べたというのに、いったいどこをほっつき歩いているのだろう。

 結局、鉄吉のことが伝えられないまま、私は集合場所に向かうことになった。

 今日は、合宿の飲み会用のお菓子や酒を、サークル有志で買いにいく日なのだ。

 私はこの日を心待ちにしていた。

 買い出しには高木先輩が参加するのだ。

 例年、一回生は荷物もちとして男の子が何人かと、上級生のお気に入りの女の子が参加するこの行事に、私が参加することになったのは、ひとえに高木先輩に熱視線を送る私の努力のたまものだろう。

 とか、言ってみるが、実は前回ミーティングで、うちの回生の出席率が悪すぎて、私に出番が回ってきたというのが、本当のところだ。

 でも。

 私にとっては願ったり、叶ったりなんだけどね。

 高木先輩にとったら、私なんて道端の草も同然の存在だろうけど、化粧も服も、ついつい気合が入っちゃう。

 ただ、一つ心配なのが、幽霊のことだ。

 そういうイベントに、暇な幽霊が来ないとも限らない。

 鉄吉が幽霊を消さないよう、しっかり見張っていなければならない。

 私は気合を入れまくり、部屋を出た。


 集合場所のバス停につくと、すでに数人のサークル仲間がいた。

 笑顔で挨拶を交わす。

 一回生は四人、二回生と三回生が二人の計八人で買出しに行く予定だ。

 鉄吉はというと、ベンチに座っているので、めずらしくおとなしくしているのかと思ったら、両脚を数センチ浮かせて、太ももをプルプルさせていた。

 鉄吉、期待にたがわない奴め。

「お、高木」

 はっと顔を上げると、先輩が軽く駆けながら、道路を渡ってくるところだった。

 ブルーのシャツとジーンズというラフな格好なのに、夏の暑さを感じさせない涼やかな微笑みのせいで、まるで王子様みたいに見えた。

「おはようございます」

 三回生に軽く頭を下げた先輩と目が会う。

 そのまま、こっちへ歩いてくる。

「おはよう。一回生は女の子三人に男が一人か。鉄吉、荷物持ち、よろしく」

 微笑む先輩の白い歯が眩しい。

「高木、さっそく一回生女子と親交を深めようとしてるのか?」

 二回生の峰川渉みねかわわたる先輩が、高木先輩の首に手を回す。

「峰川こそ。実夏みかちゃんのこと、狙ってるんだろ?」

 高木先輩の言葉に、峰川先輩が赤面した。

「ばっ、馬鹿なこと言うな。俺は実夏ちゃんファンクラブの会長なだけだ」

 横で実夏がくすぐったそうに笑った。

 向こうのほうでは、花田さんが三回生の先輩と談笑している。

 実夏はもちろん、花田さんもいるだけで花がある。

 それに比べて私は、ただの人数あわせ兼荷物もちだと思うと、ちょっぴり悲しくなってしまう。

「そういう高木はのりちゃんのこと、最近、気に入ってるんだろ?」

「へ?」

 峰川先輩がそう言ったのが耳に入って、私はきょとんとした。

「のりちゃんさ、急に可愛くなってきたもんだからさ。男でも出来たんじゃないかって高木が気にしてたんだ。実際どうなの?」

「峰川、そういうこと、こんなとこで聞くか? 失礼だぞ」

 高木先輩がたしなめるようにそういう。

 どうしよう。

 ここはきちんと答えるべきか。

 誤解されてはたまらない。

「彼氏なんていませんっ!」

 力みすぎて、大声を出してしまった。

「だってさ。良かったな、高木」

 峰川先輩が、高木先輩の背中を軽く叩いた。

「のりちゃん、高木さ、最近、彼女とけんか中で落ち込んでんだよ。癒してやってあげて」

「峰川先輩、そういう言い方、駄目ですよー。のりちゃんに失礼じゃないですかー」

 実夏が口を尖らせる。

「ごめんね、のりちゃん。峰川、しらふで酔える奴だから。悪く思わないで」

 高木先輩が、両手を素早く合わせて、ごめんというポーズを取ったとき、ちょうどバスが来た。

 自然とそのまま乗り込む形になる。

 車内は午前十時という中途半端な時間にもかかわらず混んでいた。

 厳しい暑さは気にならないのか、夏休みの今の時期も、京都には観光客が多いのだ。

 人波に押されるようにして、私は前に進んだ。

 気がつくと、すぐ横に高木先輩が立っている。

「のりちゃん、さっきのこと、本当にごめんね」

 高木先輩がささやくように言った。

 背の高い先輩に見下ろされると、何もかも見透かされそうで落ち着かない。

「いえ、気にしてないです」

「あいつら、暇なのか、そういう話ばっかりするんだ。オレはそういうの、苦手なんだけどね。この前も、のりちゃんのこと、引き合いに出してくるから、何て答えていいか困ったよ」

 そう言うと、高木先輩は伺うようにこちらを見た。

 私があの時の先輩の言葉を知ってるかどうか、試しているのかも知れない。

 だとしたら、先輩も少しは悪いと思ってくれてるのかな。

「先輩に彼女がいるって噂は有名ですよ。だから、私、引き合いに出されても、ちっとも気にしてませんから」

「実はそのときね……」

 先輩は声を小さくした。

 背の高い先輩の声が聞き取りにくくて、私は少し背伸びをする。

 先輩がつけている香水の匂いが、強く香った。

「のりちゃんのこと、他の誰にも興味を持って欲しくなくて、わざと嘘を言ったんだ。みんなが手を出しにくいようにね。それがのりちゃんにまで聞こえて、嫌われちゃうと本末転倒だから、先に謝っとくよ。ごめんね」

「?!」

 今、なんと?

 このまえ、自分に都合がいいように聞き間違えたから、自分の耳を信じられなかった。

 信じられない思いで見上げた先輩の顔は、ふざけているようには見えなかった。

「可愛いよ、のりちゃん。一生懸命なとことか、すごくね」

 ささやくように言う先輩の声に、私は卒倒しそうになった。

 なんだ?

 これは夢か。

 それとも、私は先輩が好きすぎて、妄想と現実の区別がつかないようになってしまったのか?

「次、降りるよ」

 我に返ると、目的地付近だった。

 降車ボタンを押した先輩が穏やかに微笑んでいる。

 私、返事もしないで、赤面したまま固まってたんじゃないかしら。

 そのときだった。

「あんた、何をのぼせ上がってんの!」

 聞きなれた幽霊の声が響いた。

 ――幽霊さん!

 バスの中に突然現れた幽霊に、私は度肝を抜かれた。

「あれほど言ったのに、そんなでれでれした表情になって……」

 バスが止まる。停留所名のアナウンスが流れて、人の波が動いた。

 ――ちょっ、待って。タイミングを見て、トイレにでも行くから。そこで話そう。

 なおも言い募ろうとする幽霊を制止する。

 幽霊が出てきたことは問題だが、今はそれどころじゃない。

 私はぎこちない動きで、降り口へと進んだ。

 ちらりと見上げた高木先輩は何もなかったように、すました顔をしている。

 誰にも興味を持ってほしくないから、嘘を言っただなんて本当なのかな?

 私の聞き間違いでなければ、可愛いとも言ってくれた。

 彼女がいる高木先輩にそんなことを言われても、脈がないのはわかっている。

 なのに、羽が生えて飛んでいきそうなほどに、ふわっと心が軽くなった。



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