第8話
結界と思しきものはどうやら太郎の見立て通りのようで、電流が流れるように各巨石と、中央の魔塔を起点としてドーム状に赤紫色の膜を張っていた。如何にも毒々しい色をしているので触れようとも思わない。
魔塔へ向かい歩きながら、何か対策を練らなければならないなと頭を捻っていた。太郎が詩織に抱えられながら着地したのは東京スカイツリー駅の方角だった。そこで、ついさっき詩織が全滅させた敵の数は三桁を優に超えていた。ソラマチは広い。見るからに広い。先の魔物たちが元はここに働いている、もしくは観光客として考えると、あとどれだけの数が魔物に変貌を遂げているのか、考えるだけでも億劫になる。
いっそ飛んで頂上を目指そうとしたが、魔塔に近づけば近づくほど魔法が使えなくなって飛べないということを、ついさっき詩織の身をもって知った。つまり魔塔に入り、頂上へ向かえば向かうほど体術に頼るほか無くなるのだ。魔法も使えないとなると、いくら詩織でも大変かもしれない。故に無策であるのはまずいと、今更ながらそんなことを思って、急遽頭を捻りだしたのだ。
しかし、妙案など思い浮かぶはずもなく、行き当たりばったり、今度襲われたら覚悟を決めて殴り返す、頂上にいるであろう敵も等しく——その程度しか考えつかなかった。参ったと思いながら歩く。自分には策士としての才能はないらしい。武器になるようなものも見当たらない。修学旅行用に何か木刀でもおいてくれ、と勝手なことを思う。
一帯は明かりが消え、夜空の明かりと近くの街灯が無ければ真っ暗闇だ。
人の消えた店は物悲しく、寂しい佇まいがあったが、もしここが以前のように賑やかな場所であったなら、今こうして詩織と二人で歩く様はデートのようだろう。そういえばさっき二人で来たかったと言っていたし、今度、魔塔が消えてスカイツリーが元通りになったら二人で来てもいいかもしれない。
「今度また二人で来ようね」
太郎の心のうちを見透かしたように詩織が隣でそういった。
「僕もそう考えてたとこ」
魔塔で二人笑いあう。内心はそんなに余裕などなかったが、気取られないように努めた。もしかすると、詩織なりに太郎を気遣ったのかもしれないが。
すたすたと歩きつづけ、エレベーターホールまでやってきた。来ることが出来てしまった。とくに戦闘もなく、罠が仕掛けられていることもなく、なんら問題なくここまでやってこれた。いつの間にか、魔塔の中に入ることが出来た。
ただ、眼前にあるエレベーターには血管が浮き出たかのように赤紫の模様が張り巡らされている。忌々しい、刺々しい、邪悪で近づいてはいけないような雰囲気がある。いかにも罠の気配がする。ここまで明かりがなかったのに、そこだけ電源が生きているのもおかしな話だ。
その隣に、面を被ったかのように笑みを顔面に張り付けた女性がいて、「ご利用になられますか」と訊ねてきた。エレベーターガールの服装で、右手はエレベーターの方へ注目を集めるように構えている。そこから一切微動だにしない。
ついさっきあれだけのことがあったのだから、この人もおそらく魔物であるだろう、と思いながらも、「あなたは無事なのですか」と太郎が訊ねた。
「ご利用になられますか」
と笑顔を崩さぬままそう答えた。魔物でないかもしれないけれど、どうやら会話は通じないらしい。どうしたものかと思案する。エレベーターでどこまでか上ることが出来るならそれに越したことはない。魔物と接敵して無駄に体力を消耗することは避けたい。このエレベーターが通常のエレベーターであればの話だが。
「ご利用になられますか」
またそう言われた。いつまで悩んでいても埒はあかない。けれども早急に決めてしまっていいものではないだろう。
「ご利用になられますか。ご利用になられますか。ご利用になられますか」
急かすようにエレベーターガールは笑顔を固めて繰り返し言い続ける。まるでそれだけを書きつけられた機械のようだ。しかしここは敵地だ。冷静に考えると今まで罠に遭遇しなかったことが妙に思えてならない。この魔塔に辿り着いたときに戦闘になったのはたまたまあそこに敵がいたからだとしても、先に考えたようにまだ多くの敵は残っているはずで、あれからまったく姿を見なかったのは奇妙なことだ。
「もし敵が出てきても、私がタロウを守るよ?」
詩織が言う。しかし詩織にばかり苦労をかけるわけにもいかないし、まだ敵の数がわからないのだ。先は詩織にとっては簡単なものだったかもしれないが、これからまた同じように簡単に倒せてしまうようなものばかりが出てくるとも限らない。そもそももうここは魔塔の中だ。魔法はすでに使えなくなっているかもしれない。
足りない頭を使って考える。思いのほか戦闘狂で脳筋な詩織だが、言っていることは本心だろうし、他に何も考えていないと言えば考えていないのだろう。それに実力はさっき見て十分に理解している。先と同じくらいの数ならあっという間に殲滅しうるだろう。しかしそれは果たして詩織の体術によるものなのだろうか。もし身体に強化を付与するような魔法を使っていたとしたら、それが使えないというのは致命的だ。やはり慎重に進むべきだ。こちらには武器がない。敵が武器を持っていないとも限らない。
そして何より、敵も魔法を使えないとは限らない。
考えている最中も、耳障りに思うほど延々とエレベーターガールは利用するかどうかを尋ねてきた。しかし、こちらが答えるまで一切ほかに行動をとる様子はない。辺りを見渡してみたが、敵のいる様子はない。閑古鳥もよらないほど無人だ。
エレベーターガールの右手が指すドアの向こうにはエレベーターの籠はない。つまりどこかほかの階にあって、それを呼ぶ時間があるはずだ。籠を呼ぶ間、自分たちは近くに身を隠し、そこから敵がどう動くのか伺うことも出来るかもしれない。詩織に近くで隠れて様子を見るように提案すると、詩織は当然のように頷いた。それを見て太郎は機械的に繰り返すエレベーターガールに恐怖を抱きながらも、利用するとこくりと首を縦に振った。
あとはエレベーターが来るまで近くに身を隠し、そこから観察すればいい。
「かしこまりました。それではお乗りください」
エレベーターガールが一礼して、上へ向かうべくボタンを押すと、強烈な金属音がして、上を見上げた。鉄を切り裂くような音とともに火花を散らしながらエレベーターが下降してくる。脱線事故でも起こしそうなほどだ。
「速すぎだろ……!」
近く、エレベーターから数メートルのところにあった受付カウンターの陰に飛び込むように隠れて、エレベーターを見る。
これに乗るのか? 本当に? 超危険じゃない?
しかしそれでも太郎は遅いと思っていた。これだけの騒音を上げたとなると、ついさっきの敵の特徴からすると——音に敏感らしいと仮定すると——太郎が思いついたところで地鳴りがし始める。無人だったフロアに——中央に槍のように伸びるエレベーターの向こうから——無数の影が夜闇を駆ける獣のようにやってくる。
案の定やって来た。何かしらが起因となって敵が現れる可能性はいくつか考えられた。その中の一つが当たった。少し心地よく思ったが、喜んでいる余裕はない。むしろ当たってほしくないものだ。当たってほしくはなかったが、万が一に備えてエレベーターの近くで、それでいて身を隠し観察することのできる位置に陣取ろうとした。
複雑な心持で太郎はエレベーターのドアを凝視する。
エレベーターのドアがゆっくりと開いていく。視界を遮るように煙を吐き出していて、向こうからやたらめたらと寄ってくる無数の影から感じるプレッシャーと合わせて、危険信号が点滅どころか常時点灯待ったなしだ。こっちにはいてくれるなと願いながら煙の向こうを睨む。
エレベーターの内部に敵影は——ない。
エレベーターガールは相変わらずその笑顔を崩さずに張り付けて先にその中へと入って、開閉ボタンを押して待ち続けている。
エレベーターのドアまで数メートル。走ればきっと問題なく乗れる。詩織を見る。詩織は真剣な表情でうなずいた。太郎は詩織の手を握る。カウンターを飛び越えて二人はエレベーターまで駆ける。まっすぐに、とにかく乗ることだけを考えて走る。悲鳴にも怒声にも聞こえる雄たけびが二人を押し返そうと飛んでくる。とにかく走って、跳ねて、エレベーターに文字通り飛び乗った。
先ほどのゆっくりと開いたのとは打って変わって、まるでここから二度と外へ出すことはないと示すかのように急速にギロチンの如くドアは閉まり、エレベーターガールはただ一言「上へ参ります」とだけ言った。
エレベーターに乗り込んだ二人に攻撃をなせなかった魔物たちがドアを壊さんと殴り続けている。瞬間、急激な上昇によって一瞬体が宙に浮き、無重力状態を味わった直後、強烈な重力を感じて二人はその場に膝をついた。耳障りな金属音も中で聴くと騒音の域を超えて最早凶器だった。エレベーターガールをちらと見ると、平然として立ったままで、どうしたらそのままでいられるのか教えてほしいほどだった。どうにか接敵はせずに済んだ。そのことにひとまず安堵した。
時間にしてわずか十秒で地上四五〇メートルまで到達した。またゆっくりと開いて、途端に背中を蹴られるようにしてエレベーターの外へ吐き出された。
「ご利用ありがとうございました」
エレベーターガールは笑顔のまま一度頭を下げるとドアを閉めて、また大迷惑な金属音とともに下へと落ちていく。
フロアの改変が多少なされているようで、まっすぐにここまで上ることが出来た。そもそもエレベーターを使えただけまだ大助かりだったのだが。実際は四階から三五〇メートルまでしかエレベーターは昇らない。そこからエレベーターを乗り換えて、今太郎たちのいる四五〇メートルまで上昇するのだ。そう考えるとありがたいと言えばありがたかったが、だったらもう少し変更してくれたっていいじゃないかとも、太郎は思った。
とはいえ、大幅なショートカットはできた。あとはここからどうやってさらに上、この魔塔の最上階六三四メートルへ向かえばいいのか。どこに道があるのか。辺りを見てみると、そこはもう異空間だった。
以前の様子はない。眼下には至って変哲のない街並みが続いているから、今のこの内装を見るに明らかにおかしいことをより痛感する。悪趣味と言えばいいような、赤黒く、赤紫で、赤色を濁らせた色々が毛細血管のようにそこら中に蠢いて妖しく光っている。化け物の体内にいるようだった。
気味が悪いが、いつまでもここにいるわけにもいかない。先に使ったエレベーターを敵が利用できないとも限らない。どこかに道がないか辺りを散策していると、非常口のドアが不自然に壊されているのを見つけた。詩織を呼び、注意を払ってドアを蹴破り一度離れて、敵が出てくるのを待つ。静まり返った空間で、聞こえてくるのは緊張が隠せない自分の吐息と心臓の音だけ。詩織の音も聞こえてきそうだったが、度胸があるのか、ちらと見ると険しい顔はしていたけれどもずいぶんと落ち着いていた。
敵が現れる様子もないので、太郎たちは一度構えるのをやめて、非常口の中を覗いた。上に向かって螺旋に伸びる階段がある。わずかに一階か二階ほど登った高さから突貫工事のように無理やり外へ伸びている。なんともわかりやすい。あれを使って上まで向かえということなのだろう。太郎が詩織のほうを見ると、詩織はいつも通り微笑んで頷いた。太郎も頷き返す。
二人は階段を登り始めた。一段また一段と昇っていく。かつかつと音がする。いつ敵が襲ってきてもいいように気を抜かず辺りに注意を払う。太郎は弱い。それはさっき痛みを以て嫌なほど理解した。それにまだ罠がある可能性だってある。
そして二人はその異様な渡り階段の前に着いた。頑強そうな足場と防弾性のように厚い天井含め一八〇度以上外を見ることが出来るガラスが伸びている。この赤黒く妖しく光る血管のような模様さえなければデートスポットとして名を馳せること間違いなしの東京の夜景を一望出来る仕様だ。事実詩織は少し残念そうに太郎に寄り添っていた。
「これがなければなあ」
とも言っていた。詩織のその態度に気を抜けてしまいそうになる自分に心頭滅却するよう鞭をうち、前へ足を進める。詩織は強いから今もこうして能天気にいられるのだ。それでもきっと戦いが始まれば自分なんかより当然に戦って、勝てるだろう。けれども太郎は違う。だから今から気をつけていなければならない。落ち着いて、落ち着いて行こう。
ガラスの向こうに広がる夜景はやはり異質なところはない。あの薄気味悪い色の結界が間にある以外は。時刻は二〇時を過ぎたころだが、まだ働いている人がいるらしいビル群には明かりはついているし、マンションらしきところも、住宅も、車の行きかう道路も、変わらずだ。この異様さに気づいているのはきっと自分たちだけ。さっき倒してきた魔物と化した人々も、あの笑顔の張り付いたエレベーターガールも、自身の異様さには気づいていない。まるで催眠術のようだ。
ぐるりとスカイツリーを縛るように螺旋に上へと伸びる渡り階段を登りながら、自分はどうやって戦えばいいのかと考えた。何せ長い道のりだ。せめて敵でもいてくれたら、戦って気を紛らわすことだってできるのに、と馬鹿なことを考えて、そんなことがあったら間違いなく面倒なことになるな、と頭を振った。
頂上で待ち構えているものは一体どんなものなのだろう。やはり謎の男が言っていたように神なのだろうか。それとも魔物なのだろうか。いずれにしてもこの建物を魔塔へと変貌させ、人間をあんな風に魔物へ変化させることが出来るほどの能力を持ったものだ。どれほどの力量かは推し量ることが出来ないが、少なくともあの魔物たちとはくらべものにならないほどの力を有しているのは間違いない。
どれほど上っただろうか。ぐるりぐるりと延々と伸びている階段を登り続けて、そろそろ息が上がり始めた。体力もつけなくてはならないなあと額にかいた汗をぬぐう。隣の詩織は問題なさそうだ。それどころか、「休憩しよう?」と気をつかってくれる。太郎はそれに首を横に振って足を前に出す。どれほどの危機が迫っているのか見当はつかないが、魔物の強さは並みの人間なら平気で殺せるものだった。世間が気づいていないなら、気づいていないうちに終わらせてしまったほうがいいし、気づいていないうちに魔物が外に出てしまっては大惨事になってしまうだろう。それは避けなければならない。だからこれ以上休憩なんてしている場合じゃない。
息を切らしながら太郎は登る。終始無言で、二人は登り続けた。途中、ぐらりと渡り階段が揺れた。思わず後ろへ転がり落ちそうになるのを必死に堪えてその場に屈む。
「大丈夫?」
詩織の手を掴んで離さない。詩織は恥ずかしそうにうなずいて、「大丈夫」と答えた。しばらくすると揺れは収まり、また二人は歩き出す。何度かそれが起きて、そのたび敵の襲来が来ないか気を張ったが、結局敵がくる様子はなかった。
そしてようやく最上階に辿り着いた二人の目に映ったのは、一〇メートル弱の大蛇と、その前で大きく欠伸をした金で縁取られた白の神官服姿の男だった。その男は真水のように透き通った金髪を腰ほどまで伸ばした背が二メートルほどあるような美丈夫で、太郎たちを振り向いたときに見えた目元には痣かと思えるほどの隈があった。
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