第8話「オリーブの実」

 身体中を踏みつけられているような寝苦しさの中で、俺はふと覚醒した。

 うっすらと瞼を開くと、視界は墨を流したように真っ暗だった。やはりそこは物置小屋の中らしく、片手は冴子とつないだままだった。

 ノソリと上半身を起こすと、身体のあちこちがギシギシと痛んだ。

 まだ、寝付いてから大して時間は経っていないようだが……

「どうか……したの……?」

 俺につられて冴子も気がついたらしく、目をこすりながら、寝ぼけ声を出した。

別に、何かが起こったわけでは無い。

 しかし、自分は起きなければならないという、強迫観念にも似た決意だけがある。

「ここ……確か、校舎の近くだよな……」

 そうだ……何故に、自分達が再びこのヤマ高に戻って来たのか、その最大の理由をようやく理解したのだ。

 そもそも、俺には最初にここに来た目的があった。敵との戦いに巻き込まれたために、それを中断したままになっていたのだ。

 だから、俺自身の潜在した意思が、俺をまたここに戻したのだ。

 こんどこそ自分は、「それ」をやり遂げなければならない……

「俺、また西階段に行くよ……」

「そうなの?」

「そうだ……悪い、頼みがある。お前も一緒に来てくれないか」

 俺は、自分でも判らないが、どういうわけかそんなことを冴子に頼んだ。情けない話だが、どうしても冴子にそうして欲しかったのだ。

「ええ、いいわよ。じゃ、行きましょうか」

 冴子は、俺の唐突な提案に対して、何一つ詮索すること無く立ち上がった。

「あ、悪い。その前に、お前だけ先に出て外で待っててくれないか。俺、やることがあるんだ」

「ええ……いいわよ」

 冴子は、これにも素直に従い、さっさと物置の外に出ると扉を閉めた。

 暗闇の中で一人きりになった俺は、ポケットからスマホを取り出し、電源を立ち上げた。

 闇の中で明るく浮かび上がる液晶画面を指で素早くなでて、ポチポチと文字を打ち始める。

 それを誰に送るのか……そんなことは分かりきってる……

 紗枝……桐嶋紗枝だ……


桑城宗司(紗枝、ごめん。変なこと言うようだけど、聞いて欲しい。俺は決心したんだ)


 そこまで打って、送信した。しばらくすると、紗枝からメッセージの着信があった。


桐嶋紗枝(そうなの?)


 たった、これだけの文面だった。

 俺は、それに対して再び返信を打つ。


桑城宗司(ああ、そうだ。俺は、自分自身と、きちんと向き合わなきゃいけない。やっと、それに気がついたんだ)

桐嶋紗枝(それでいいの?)

桑城宗司(ああ、そうだ。ごめん……そのことで、俺を取り巻く世界はもう、前とは全く違ってしまうかもしれない。もう、紗枝の声が届かない世界になってしまうかもしれないんだ。それは辛い……とてつもなく辛い。でも、仕方ないんだ)

桐嶋紗枝(でも、それを宗司君は選ぶのでしょ? 辛い道をあえて選ぶというのは凄い勇気のあることだわ。私は尊敬する。あなたは凄い人だわ。やっぱり私が彼氏に選んだ人ね。私の声が届かないところにあなたが行ってしまうのは……それは私にだって、凄く辛いことよ。でも、忘れないで。私は、あなたの人生を応援するわ。ずっと、応援する。絶対に、あなたが彼氏でいてくれたことへの感謝は永久に残る……そう信じてるわ)

桑城宗司(教えてくれ……紗枝……俺はこれから、どうすればいい? 分からない……何も分からないんだ……)

桐嶋紗枝(それは、きっとあなた自身で見つけることが出来るわ。これから先も、きっと沢山の悲しいことや辛いことがあなたを待っていると思う。でもその度に、きっとあなたはそれを乗り越えられるわ。頑張って。負けないでね。ほんの少しの勇気があれば、世界は変えられるわ。世の中は動かせなくても、ほんの少しの勇気であなたが変われば、世界は変えられるもの)

桑城宗司(ありがとう……ありがとう……紗枝……)

桐嶋紗枝(私こそ、あなたにお礼を言わせてね。ありがとう……宗司君)

桑城宗司(何で? 俺は何もしてない……結局、お前に何もしてやれなかった……)

桐嶋紗枝(そんなこと無いわ。私は、あなたに出会えて良かった。あなたの優しさに救われたもの)

桑城宗司(そうなのか……)

桐嶋紗枝(そうよ)

桑城宗司(最後にもう一度言わせてくれ、紗枝……ありがとう……そして、さようなら……)


 俺は、その最後のメッセージが送信されたことを確かめると、涙で霞んだ視界の中で、スマホの電源を静かに落とした。


☆           ☆


 北校舎に入るドアは、冴子が既に「合鍵」で開けてくれていた。中に侵入すると、二人一緒に、問題の「西階段」へと向かった。

 三階と四階の間の踊り場……俺は再び「そこ」に立った……

 未だ払拭しきれない怖れと戦いながら、過去へと時間をさかのぼらせる。

 この場所に刻まれた情報、そして身体の中に眠る記憶を掘り起こす……

 半年前の「あの日」、「あの時間」にも、俺は確かに「ここ」にいたのだ。そして、紗枝も。

 そこで「何が」あった?

 紗枝は「何を」言った……?


「桑城君……私ね。実はイギリスに留学することが決まったの……ごめんね……言って無くて……」


 こう言った……? そう言ったと俺は思っていたが……


 本当に? 本当にそう言ったのか?


 違う……そうじゃない……


「桑城君……私ね。今日委員会があること思い出したの。だから、今日は先に帰ってて」


 そうだ。単にこう言っただけだった……


 本当は、そうだった……


 それで……?


 ……次の瞬間、「何か」が飛んできた。

 「北」の方から……

 得体の知れない、どす黒い敵意を持った、固まりのような「何か」。

 それが、俺の頭に飛び込んできたのだ。

 鈍器で頭を殴られたような衝撃が頭の中で乱反射した。

 意識が混濁する……

 視界がぐるりと回転しながら、ゆっくりと俺は倒れこむ……


 倒れこんで……


「危ないっ!」

 突然、冴子の声が耳に飛び込んできて、俺の意識を辛くも現実に引き戻した。

 そして、背中から身体を抱きかかえられる感触……

 俺と冴子の身体は、もつれ合って、その場で転倒した。

 踊り場の床の上で我に返ると、目の前に、真っ暗な天井が見えた。倒れた時に、したたかに肩口を打ったらしく、激痛が走っている。

 背中には固いリノリウムの感触。冴子は俺に覆いかぶさっていて、ポニーテールが俺の頬に少しかかっている。

「大……丈夫……?」

 いつになく、悲痛な色を含んだ声で、冴子が俺に囁きかけた。酷く痛みはあるものの、身体的な大事は無いだろう……しかし、心の方は全然大丈夫じゃなかった。


 そうだった……全て思い出した……


 そういうことだったのだ……


 「あの頃」……俺は、「俺と紗枝が生きるこの世界」が、どこの誰とも分からない奴に、「スタンダード」とかいう訳の判らないシステムで勝手に改変されることを本能的に拒否していた。あの頃の俺は、世界の変化どころか、時間がこのまま永久に停止して欲しいとさえ思っていたのだ。

 だから、祠堂による「スタンダード構築」を、「情報の書き込み」を、俺の肉体は無意識のうちに妨害していたのだ。

 それで、スタンダードの構築プロセスは、「あの日」「あの瞬間」、意思を持った生き物のように、俺を障害だと判断して排除しようとした。

 そう……たった今俺がされたように、「脳」に「攻撃」を加えたのだ。

 しかし、抵抗力の強い俺の身体はそれをはねのけた。そして、その「攻撃」は近くにいた、より抵抗力の無い紗枝へと向かった……

「俺がこの世界の変化を拒む最大の理由」……そう、「紗枝」を替わりに排除することにしたのだ。

 紗枝は脳に攻撃を直撃され、昏倒した。そして、この踊り場から転げ落ち、頭部を痛打。

 病院に搬送された紗枝は、数時間後、俺の声が届かない世界へと行ってしまった……

 永遠に旅立ってしまったのだ……

 俺は、首を持ち上げて、踊り場の隅に目をやった。

 真新しい菊の花が生けてある花瓶が置いてあった。

 きっと、それは紗枝の一周忌まで置かれ続けるのだろう。

 さっき来た時も、これは同じように置いてあったのだ。しかし、俺は気がつかなかった。

 いや、気が付かない振りをしていた……


 冴子は、既に俺の横で膝を立てて起き上がっていた。俺もやっとのことで上半身を起こした。しかし、全身から力という力が抜けてしまい、とても立ち上がることは出来なかった。

 言い知れぬ怒り……そして虚無感が俺の中で渦を巻いている。

「ふざけんじゃねえよ……」

 我知らず、俺は口にしていた。

 その感情は、こんなことをしでかした「スタンダード」、そして「法学」へと向かっていった。

「何が、法学だ……何がスタンダードだ! 紗枝は殺された……こんな馬鹿げたもんの為に殺されたんだ! 祠堂やお前がいた世界の、そんな訳のわからないもんが、持ち込まれたおかげで、この世界は……俺は滅茶苦茶になったんだ!」

 冴子は、どこか遥か遠くを、強固な決意を秘めた視線で見つめていた。

「俺の家族を……これまでの生活を返せ! ……紗枝を……紗枝を返せえええ!」

俺の慟哭をよそに、冴子は両足で凛と立ち上がった。そして、

「敵はミスを犯したわね……今の『攻撃』をしてくれたおかげで『核室の場所』が判ったわ。北のほうだわ……」

 と、独り言のように言ってから、突然階段を駆け降りていった。

「私、行くわね! 宗次君はついてこないでね!」

 冴子の足音が遠くに消えて、しばらく経っても、俺は真っ暗な踊り場に一人へたり込んだまま動くことができなかった。

 やがて、氷のように停止した時間の中、俺の胸の底から一つの「想い」がこみ上げて来た。


 行かなくては……


 紗枝の所に行かなくては……


 俺はよろめきながら立ち上がると、階段を駆け降りた。

 校舎を出ると、北門を抜け、ひたすらに道を走った。無我夢中で走った。

 それは、いつも陸上部で外周を走る時のコースだった。

 護国神社を抜け、ロープウェイ駅へ。元町教会から、元町公園へ……そして港へ、さらに外国人墓地まで。部活だったら、そこの辺りで学校へ折り返すのだ。しかし、俺はさらに走った。

 紗枝に会う為に。

 俺は会わなくちゃいけないのだ……

 そして、到達した。

 俺は、「そこ」を知っていた。半年前は、何度と無く訪れていた場所だったのだ……

「紗枝……」

 目の前には、一つの真新しい墓石があった。

 線香の燃えかすは見るからに新しく、瑞々しい菊の花も供えてある。紗枝のご両親が、欠かさず訪れているのだろう。

 俺は、いいかげん涙もろい人間だ。ドラマを見ては、アニメを見てはいちいち涙ぐむ。しかし、こんな俺が、紗枝が死んだ時には泣かなかった。葬式の席でも、誰もが泣いていたあの時でも、俺は泣かなかった。意地でも泣いてなるものかと思ったのだ。

 泣いたら、紗枝が死んだことを受け入れてしまうことになる。だから、意地でも認めたくなかった。そんな馬鹿げたことがあるはずがないと信じたかった……

 しかし今。


 ようやく……俺は、俺に泣くことを許した……


「紗枝……」

 俺の身体は、墓石の前で膝から崩れ落ちた。

「紗枝えええええええ……」

 理屈では、判ってるつもりだ……どんな出会いでも、いつかは別れの時が訪れるのだと……当たり前のことだ。でも、それはずっと先の未来、俺と紗枝が、じじいとばばあになってからのことだって……

 根拠もなしにそう思い込んでいた……

 だけど……幾らなんでも……

「ようやく、俺達の想いが通じ合って……たった四日で……それでおさらばなんて……あんまりじゃねえかよおお……!!」

 俺は、半ばやけくそに立ち上がると、弾丸のように再び走り出した。

 行く当ても無く、ともかく走らずにはいられなかったのだ。身体を動かしていないと、心が引き裂かれ、壊れてしまいそうだった。心臓が破裂しても、走り続けてやろうと思った。

 ぼろ雑巾のような俺が、いつしか辿り着いた場所は、とある神社の境内だった。普段、部活で走る時は、ここで休憩をすることにしているのだ。

 鳥居をくぐった所で、性も根も尽き果てた俺は、ばったりと地面に崩れ落ち、大の字になった。

 厚い雲に覆われた虚空を、茫然と見つめているうちに、暴風雨のような呼吸も次第におさまっていった。

 地面の冷たい感触……

 張り詰めた空気……

 様々な雑多な情報が、否応なしに入り込んでくる。


 町に刻まれた記憶……人々の思い……感情……


 これは、何だ……すげえ「情報を受け取りやすい場所」だな……神社は、いわゆる「パワースポット」だからか……?

 それで、現在の「この町の状況」が、まるで手に取るように判った。

 「函館スタンダード」は、殆ど完成形に近づいているらしい。それにしても、この巨大な「壁」は何だ……?

 首を横に向けると、海と函館山の境界に、ビルよりも高い「巨大な城壁」がうっすらと浮かび上がっている。もっとも、それはまだ「物理的に存在」しているわけでは無い。しかし、「論理構造」は、既に形成されていて、後は「物質化」するのを待つのみとなっている。俺は、その「完成予想図」を見ているのだ。


 この先、この町はどうなるんだ……俺は一体どうなる……


 それも判ってしまった。手に取るように……

 「函館スタンダード」が完成した後の、俺の生活。それを「シミュレート」した結果も、まるで今現実に、目の前で体験しているように判ってしまう……


 ん……? なんだ……?

 ここは……どこだ……?


 ああ、いつもの「グッドラック」か……

 内装が大分変わっているけど、これは「グッドラック」なのだ。


 俺達はいつも通りの配置で座っている。これが「未来予想図」……? 食ってるのは、カリビアン・チキンバーガー。メニューは昔のままだ。間違ってもイナゴバーガーなんて物は無さそうだ。

 アキヤもいる。座っているのは相変わらず、俺の正面だ。その隣には、サトミもいる。結局「元の鞘」に収まるのか……昔どおりに、俺は高校生に戻れて、桑城家の一員にも戻れるって事か? なあんだ。心配して損したな。別に、これなら問題ねえじゃねえか。祠堂のやつが世界征服しようが、俺の生活は元に戻してくれるんじゃねえか……


 だったら、問題ねえじゃん……


 だけど……じゃあ、紗枝は……?

 ふと疑問が生じた。あいつは、この状況ではどういう扱いになるんだ……?

 俺は、平静を装って、しかし怖れと戦いながら、アキヤに尋ねてみる。

「なあ……紗枝は今どうしてるだろうな……」

 すると、馬鹿話で笑いっぱなしだったアキヤは、途端に表情を曇らせた。

「さあな……天国で幸せに暮らしてるんだろうぜ。おい、桑城……気持ちは判るけど、いい加減しっかりしろよ。お前がいつまでも、そうやってうじうじしてると、桐嶋だって喜ばないぜ」

「ああ……判ってるけど……」

 判ってたよ……駄目元で確かめてみただけだ。そうだよな……「スタンダード」が完成したからって、死人が戻ってくるわけじゃない……

 こればっかりは、諦めるより仕方が無い。

 もうどうでもいい……紗枝がいない世界なら、何がどうなろうが……祠堂が独裁する世界になったって、俺の知ったことじゃねえ……仕方ないんだ……


 仕方が無いけど……


 なんだ?……それでも、何かが釈然としない……納得できない。

 一体、何なんだこれは……

 俺の心のどこかで、何かが引っかかってる?


 そうか……


 自分が置き去りにしていた、その存在に気がつかない振りをしていた、とても重要な何か……

 その実像が、体の奥底でひっそりと焦点を結んでいく。


 そうだ……そうだったんだ……


 そうだったんだよ……!


 俺は椅子からやおらに立ち上がり、叫んだ。

「おい……ちょっと待てよアキヤ。『加納』はどうした?」

「ん……? 何だよ。加納? 誰だよそれ」

 アキヤは、きょとんとしている。俺が何を言っているのか、本気で判って無さそうだ。

「誰だよって……何言ってんだ、お前! 『加納冴子』だよ。俺のクラスメートの。『俺の彼女』の『冴子』だよ!」

「お……おい、桑城。一体何言ってんだよ! 全然わかんねえよ! お前の『彼女』って?」

「冗談じゃねえよ! 冴子はどこに行った! あいつがいないなんて、そんな馬鹿な話はあるかよ!」


 俺は何ていう「間抜け」だったんだ!


(でも、それもこれも、スタンダードが生成途中で不安定な、今の状態に限定した話よ……)


 冴子が言っていた言葉だ。

 あいつは、この世界にとって、「異分子の情報」だった。

 スタンダードが生成途中だからこそ、あいつはこの世界に存在できていた……?

 なら、もしも祠堂の「函館スタンダード」が完成したら、「本来は、はまるべきポジションが存在しない」、冴子はどうなっちまう?

 その結果も、俺にははっきりと判ってしまった。完成した世界には居場所の無い『あいつの構成情報』は、全てが散り散りバラバラになって、消えてしまう……


 有り得ねえ!


 「初めから、そういうことになっていた」って事か……? それこそ冗談じゃねえぞ!

 俺は、ガバと上半身を起こし、辺りを見回す。

 当然だが、そこはグッドラックなんかじゃなく、神社の境内だった。

 一体、冴子は今どこで何をしている……?

 遥か遠方から、花火大会のような、あるいは雷にも似た爆音が、長い尾を引いて轟いてくる。

 あれは……戦闘の音……?

 冴子は、あのヤマ高から走っていった後、一体どこで何をした?

 皮膚から伝わってくる、その「記録」を辿ってみる……

 えらく鮮明に判るぞ……

 そりゃそうだ。たったさっき起こったばかりの、「新鮮ホヤホヤの情報」なのだ。

 さっき俺と別れた後、冴子はまずグラウンドに出たんだ……その後で、何をした……?

 そうか……もう一つの「ライン引き」を見つけたのか……それで……? 

 それを使って、リトル・ハックルを起爆させ、ある方向へ爆走した……

 さっき、俺が階段の踊り場で「攻撃」を受けた時、冴子はスタンダードの中心がどこかを悟ったのだ。俺や紗枝を襲った攻撃は、北の方角、そして大体5~6キロ離れた場所から発せられていた。

 ならば、そこにスタンドードの発生源である「最高経典」と、それが保管されている「核室」がきっとあるはずだ。冴子はそこを目指して、函館のメインストリートである「行啓通り」を劇走していった。「函館駅前」から「松風町」へ。「荒川町」から「千歳町」へ……

 そして、目的地付近と思われる地点で静止すると、冴子は辺りを見渡したのだ……


 一体、それらしい建物なりがあるのだろうか……


 はたして、妙な形の「巨大建造物」が目の前にあった。やたらに背が高い……

 一体これは何だろうと思いながら、上を見上げる。そして……

「な……何よ、これはあああ!!!!」

 頭上にあるものを見つけて、冴子は叫んだのだ。

 「これだ!」と確信し、冴子はリンゴを取り出すと、即座に「発動」させた。

 ボンという音と共に、リンゴが「起爆」し、冴子の身体はふわりと宙に舞いあがった。例の重力の方向を変更するソリッドだ。巧みに進行方向を操作して、あっという間に地上百メートルにまで達すると、最上階の壁にスタリと垂直に立った。

 強風にあおられながら、冴子はその建物の窓から室内を探った。

 しかし、直後に首をかしげる……

 おかしい……ここではないのか……?

 自分の勘違いだったのか……と思い、何気なく地上を見下ろした。そして、そこには予想だにしていなかった光景があったのだ。


「な……何よ、それはああああああ!!!!!」


 函館市民にとっては、常識中の常識かもしれない。

 しかし、冴子にとって、「それ」は正に驚天動地の事実だった。

 スタンダードの基本は、「世界の構造を何等分に分けて解釈するか」なのだ。冴子が元にいた世界では、全ての信仰都市は「正多角形の城塞」の形態をとっていた。そして、核室もまた正多角形だ。

 冴子が今立っている、「五稜郭タワー」の最上階こそは、「五角形城塞」である「五稜郭」の外形を、唯一肉眼で確認できる場所なのだった。

「なんで、誰も教えてくれなかったのよおおお!! こんな『簡単な答』がデカデカとあったなんてええ!!」

 確かにそうなのだ。五稜郭タワーの最上階が五角形だったため、始め冴子はそれが「核室」だと勘違いした。しかし、正解はもっと簡単だった。

誰かが、函館の地図を一目冴子に見せていれば、核室の在り処は簡単に判った筈なのだ。

 「五稜郭」こそは、祠堂がスタンダード構築の中心を函館に選んだ、最大の理由だった。

 そして、驚異的な短期間で、スタンダードを完成形に導く原動力となったのも、「五稜郭」の賜物だった。

 リンゴの効力は徐々に落ちてきて、冴子の身体がタワーの壁から、少しずつ滑り落ちて行った。

 残る効力を巧みに利用して、冴子は「斜め下方向」へと落下して行った。

 目指すは、五稜郭公園の入り口……

 祠堂が待つ決戦の場所へ!

 冴子が地上へ降り立つのを待たず、行く手をさえぎるように、突然一つの物体が空中に出現する。

 それは、見た目はただの懐中時計。言うまでもなく、敵の攻撃ソリッドだ!

 ソリッドネームは何だ?……「セントクラットの惨劇」だと?

 こいつは、やべえ! めちゃくちゃ強力な奴だ!

 冴子の直前で起爆寸前になっている!

 即座に、冴子もソリッドで迎撃する。

 複合的な構造で連鎖させた、大量のメロンの種を一気に放出する。

 不協和音を奏でる轟音。

 それと同時に、二種類の爆光が同時に起こり、夜の五稜郭を明々と照らし出す。

 猛烈な爆風にあおられ、冴子の身体は、まるで枯葉のように宙を舞った。

 敵の攻撃特性は綿密にシミュレート済みだった。おかげで、冴子は何とかその攻撃をしのぎきった。

 しかし、この一回だけで、百発もの種を使ってしまった。


 まずい……!


 このままだと、冴子は負ける……それが、俺にははっきり判ってしまった。

 「核室の位置さえ判れば勝てる」というのは、敵が冴子の存在に気が付かず、「奇襲」をかけられるという前提があってのことだった。この状況では圧倒的に不利だ。特に、あいつの最大の防御兵器である「ナクソクス」が、今は俺の手にあるのだ。

 どうすればいい……

 今すぐあいつの所にいくには……

 俺は、冴子から預かったソリッドの袋の口を開けた。中には、二本のチョーク「リトル・ハックル」があった。

 そうか。これさえ起爆できれば……

 俺は、地面に膝まづいた体勢で、それを両手でしっかりと握った。


(起爆しろ……起爆してくれ……!)


 俺を冴子の所に連れて行け!

 満身の力を両手の拳に集中してリトルハックルを握り「それが起爆した状態」を、頭の中にイメージする。

 これは……?

 チョークがじりじりと発熱してきた……? これは気のせいじゃ……ない?

 いける!……俺の中に一つの「確信」が生まれた。


 これが「起爆」という奴か!


 全身からマグマが吹き上がるように「推進力」が生まれるのを感じた。それは、地面と反発しながら、同時に思い描いた方向へ直進する力なのだ。

「行けええええええっ!!!!」

 その雄たけびと同時に、俺の身体は僅かに浮き上がった。両膝から地面の感触が、フッと消える。

 続いて、前方へと強烈な加速が発生する。

 アメコミのスーパーヒーローのような姿勢で、ただし地面からたった数センチの高さを、俺は猛スピードで滑走していった

 一気に神社の鳥居を抜け、石段を滑り降り、参道を進んでいく。さらには「幸坂」も下っていく。目指すは路面電車のレールだ!

 両手で握るチョークが発する熱が焼けるように上がって来た。それにつれて、飛行速度はますます増大して行く。夜の函館の冷気が、容赦ない風圧となって、顔面を斬り裂かんばかりにすり抜けていく。


 冴子……


 半年前の「あの日」以来、俺はメッセージを紗枝に送っていなかった。

 当たり前だ。天国に届く手紙なんてあるはずがないんだ……

 冴子が現れた後で、俺は半年ぶりに紗枝にメッセージを送ったのだ。

 俺への返信は、全て冴子が打っていたのだ。あいつが持っていたのは「紗枝のスマホそのもの」だったからだ。

 そして、あの言葉も紗枝のものだった……

 冴子が、この世界に散らばっていた、紗枝の記憶、感情の情報の欠片を拾い集め、俺に届けてくれていたのだ。

 紗枝なら、きっとこんなことを俺に言うだろう……こういう風に感じるはずだと……

 メッセージを冴子が打っていることに、俺はとっくに気がついていた。本当の紗枝なら自分を「私」とは書かない。「あたし」と書くんだ。

 判ってはいたけど……判らない振りをしていた。

 それを俺が望んでいたんだ。紗枝はまだ生きている。イギリスに留学して生きている。そんな俺が生み出した虚構の物語の中で、生き続けていきたかったから……

祠堂にしてみれば、この「虚構の設定」こそが、奴のスタンダード構築を阻害していた元凶だったのだ。

 だけど、いつまでもこんなことはしていられない。だから、俺は真実を認める決心をした。

 ありがとう紗枝……本当にありがとう……俺の彼女になってくれてありがとう……

 しかし、俺はまだ言っていないんだ……

 俺は、冴子に救われた。支えられたんだ。

 あいつのお陰で、俺は紗枝の死に向かい合う勇気を持てたんだ……

 なのに、あいつには、感謝の言葉を一つも言っていない……憎まれ口ばかり言ってきたんだ……


 今なら、白状できる……


 最初に見た瞬間から、惹かれていた。

 紗枝とは違うタイプだけど、可愛いと思ってしまった。ポニーテールも、もちろんツボだったし、胸がやたらとでかいのも好みだった。デートの時は滅茶苦茶可愛いと思ってしまった。

 あいつといると俺は楽しかった……幸せだったんだ!

 でも、できるだけそれを表に出さず、素っ気無い態度を取り続けた。

 そうしないと、紗枝が死んでしまったことを、俺は受け入れなければならない……そう思っていたから……


(私は尊敬する。あなたは凄い人だわ。やっぱり私が彼氏に選んだ人ね)


(あなたは、それを乗り越えられるわ。頑張って。負けないでね)


(ほんの少しの勇気があれば、世界は変えられるわ。世の中は動かせなくても、あなたが変われば、世界は変えられるもの)


(あなたにお礼を言わせてね。ありがとう……宗司君)


(あなたに出会えて良かった。あなたの優しさに救われたもの……)


 あの文面は、同時に、「冴子本人の心」でもあった。

 あいつは、ああやって、俺にエールを送り続けてくれていたんだ。

 紗枝を失ってから半年もの間、俺は自分の部屋に閉じこもり続けた。アニメを見て、プラモを作るだけの、死人のような生活を続けてきた。

 実際には、冴子が現れた正にあの日、俺は半年振りに学校に行くことができたんだ。

 紗枝はまだ生きているのだと、自分を偽ることによって……

 そんな意気地の無い俺のために……あいつは、泣いてくれた。

 あの学校の物置で過ごした夜……

 冴子の過去に触れて、俺が泣いていた時、あいつも同時に泣いていた……

 それを俺は知っていた。

 紗枝が死んだ時には、誰もが泣いた。

 しかし、冴子だけは、紗枝を失った俺のために泣いてくれたんだ……

 そして今、冴子は一人で戦っている。

 あいつには、元の世界自体には何の思い入れも無い。この世界にだって無い。祠堂の野望を阻止する動機なんて、これっぽっちも無いんだ。

 じゃあ、あいつはなんのために? 誰のために戦う?

 間抜けすぎる俺は、そんな大事なことですら、ようやく今になって知った……

 只一つ、俺が生きてきた世界を、俺の手に取り戻すためだけに、あいつは戦ってるんだ!


 俺が、あいつのために泣いたという、たったそれだけの理由で……


 なんて、馬鹿野郎だ!


 それなのに……

「当の俺が……こんな所で、いつまでもうじうじしてる訳にいくかあああ!!!!」

 俺は、市電の路線に到達した。

 直角にターン!

 レールに沿って、身体がねじ切れそうな急加速をする。

 大町から広末町へ……十字街……魚市場通……市役所前……見る見るうちに駅を通過する。

 市役所前……函館駅前……松風町……荒川町……千歳町……昭和橋……堀川町……千代台……中央病院前……

 そして、目指すは「五稜郭公園」駅!


 見えた……あそこ……か!


 前方に、冴子の姿が小さく見え始めた。

「冴子おおおおおおおおおおおお!!!!!!!」

 その絶叫は、冴子の耳には届かなかった。しかし、しっかりと情報となって「心」には伝わっていた。

 あいつが……冴子が振り返った。

 リトルハックルを使って地面すれすれを爆走する、俺の姿が目に映った。

 祠堂が、五稜郭の入り口に仁王立ちしている。

 「核室」を守るために、あそこに待機していたのか!

 ソリッドを使い果たした冴子に止めを刺すために、特大の攻撃ソリッドを、今正に放とうとする寸前だった。

「このお! クソじじいがああっ!!!」

 冴子との戦いに集中していた祠堂も、さすがに俺の存在に気がついた。

 しかし、遅い!

「俺の彼女に手を出すんじゃねええええええええ!!!!!」

 俺は冴子と違って、何の法学も使えない。だから、肉体を使い、物理的に攻撃するしかない。

 奇襲を食らった祠堂は「法学装甲」を「物理攻撃対応」に切り替えようとしたが、僅かに間に合わなかった。

 俺の渾身のタックルが奴に直撃した。

 祠堂は派手に吹っ飛び、もんどりうって地面を転がった。どんな優秀な学者か知らねえが、肉体的には年齢なりのオヤジに過ぎない。俺の肩口にも激痛が走ったが、奴のダメージはその比ではあるまい。これで、しばらくは動けないはずだ。

「宗司君! 何でここに来たの! 危ないわよ!」

 冴子が、地面に仰向けになった俺に駆け寄ってきた。

「ば……馬鹿野郎! お前を助けるために決まってるじゃねえか!」

 軽い脳震盪で頭をふらつかせながら、俺は精一杯の虚勢を張った。

 冴子はっと驚いた顔になった。それは、意気地なしの俺としては、思いもかけない言葉だったのだろう。きっと、こいつにとっては、俺は面倒のかかる息子のような存在だったのかもしれない。それも仕方ないことだが……

「私を……? 助ける……?」

「当たり前だろ。お前は『俺の彼女』だろうが! 恋人の危機に駆けつけない男がどこにいるんだ!」

 すると冴子は、今にも泣きそうな顔で俺に微笑みかけた。

「そうね……本当にそうよね……」

 勇ましいのは口だけかもしれない。俺に何が出来るのかは判らない。しかし、今度という今度は、たった一度だけは、当てにされてもばちは当たるまい。

「宗司君……あなた、リトルハックルの起爆が出来たのね。凄いわ! だったら、私をお城の石垣のそばまで連れて行って。早く!」

 見ると、祠堂がふらふらと立ち上がりかけている。奴にもそれなりの根性はあるらしい。

 ぐずぐずしている暇は無い。俺は、冴子の身体を強引に抱き寄せた。

 再び、両手の中のリトルハックルを起爆させ、俺達は石垣に向けて突進した!

 チョークは殆ど燃え尽きている。しかし、二人を数十メートル先まで運んでいくには十分すぎる量だ。

 しかし、石垣に到達する直前で、何やら弾力のある壁のようなものにぶち当たって、俺達は急停止した。急激なGを受けて、軽く目眩をおこした。

「うわっ……と! 何だ、これ? これも法学装甲か?」

「函館スタンダードの中核部を守る『第一装甲』よ! まずは、これを破るわ」

 そこに、祠堂が放ったソリッドが、俺達を襲う。またもや「セントクラットの惨劇」だ。

 あぶねえ!

 俺は、咄嗟にポケットに手を突っ込む!

「冴子! これを!」

 俺が、ナクソクスを取り出そうとすると、それは手から独りでにスルリと抜けていき、空中で自動的に「起動」した。

 鈍い振動音と共に、ネックレスを中心に強靭な「法学装甲」が形成される。

敵のソリッドが赤い爆光を発して弾ける。

 しかしその衝撃は、全て「装甲」の外側へ流されてしまった。爆風の激流も、一切内部には入ってこない。

「な、何だ、これ! 前に使ったときより、防御が格段に強力になってねえか?」

「あいつの攻撃は、底が浅いのよ。二発目よりも三発目、三発目よりも四発目を受けた方が、効率よく防御できるわ!」

 祠堂の顔色が明らかに変わった。自分の攻撃が完璧にはじかれて、狼狽している。

 そうか、祠堂は法を施行する「プレイヤー」としては大したことが無いといっていた。

 というより、冴子が凄いんだ。

 前に、こいつは自分のことを「かなり優秀だ」と言っていて、俺はそれを自画自賛だと思った。しかし、違う……実際にはむしろ「謙遜」だった。

 冴子は「とんでもなく凄い」学者だ。今ならそれがわかる。

 冴子はその場でしゃがみこんで、石垣に向けて左手を広げ、右手でプログラムそろばんを猛スピードで弾いている。地面には、学校での戦いで敵から奪った「基本教典」が開いて置かれている。

 そうか、これが決定的な鍵を握ってくるということか!

「私は、この城郭の法学装甲を『構造解析』するわ! 宗司君は、こっちを!」

 冴子は、例の「ソリッド収納薬ビン」からするりと、とあるソリッドを取り出して俺に差し出した。

 それは、物置小屋の中で見せられた、ソリッドとしてのポテンシャルが妙に高い「石ころ」だった。

 俺は、それに触れた瞬間、電流が走ったように、それが意味するところを悟った。


 そうか!……これは……「あれ」だったのか!


「こっちの作業は、後二十秒で完了するわ。それまでに宗司君も出来る限りやって!」

 冴子が、俺に「何を」「どうしろ」と言っているのかも判った。

 これこそ「以心伝心」だ。「この石に入力された調整情報」を、俺の体内でコピーして、「並列連鎖」された「巨大な情報の固まり」にしろということだ。

「判った! やってみるぜ!」


 コピペ!

 ……並列二連鎖!

 コピペ!

 ……並列四連鎖!

 コピペ!

 ……並列八連鎖!

 コピペ!

 ……並列十六連鎖!

 コピペ……!

 ……並列三十二連鎖!


 そうしてる間にも、冴子はそろばんを猛スピードで弾き続ける。膝の上に乗せた制御ボードには、膨大な量の表示が流れている。教典から推測出来る、五稜郭を覆っている法学装甲の構造が、明らかになっていくのだ。


 コ~ピ~ペ~……

 ……並列二千連鎖!


 コオオオ~ピイイイ~ペエエエ……!!!

 ……並列四千連鎖!


 俺の中に入ってくる「情報のサイズ」が、倍々ペースで膨らんでいく。急激に心拍数が増え、呼吸も苦しくなってきた。

 しかし、続ける! 俺の身体の容量が許す限り、コピーし続ける!

 突然、祠堂が放った、さらなるソリッドの起爆が、俺達の至近距離で起こった。

 真っ赤な閃光で目が眩む。爆音で鼓膜が斬り裂かれそうだ。

 しかし、一切爆風は入ってこない。またもや、こちらの「法学装甲」が攻撃を全て受け返したのだ。

 まだ持ちこたえるのか……?

 しかし、ナクソクスだって、無限の効果は無いのだ。

 いつまでもつ? 頼む、耐えてくれ、ナクソクス!


 コオオオ~ピイイイ~ペエエエ……!!!

 ……並……列……一万……六千……連……鎖……!!


 コオオオオオオ~ピイイイイイイイイ~ペエエエエエエ……!!!!!!

 ……へいい……れつううう……三万……三……千……連……鎖あああ……!!!!!


 もう……限界……か……!


「宗司君、こっちは、もういけるわ! タイミングを逃さないでね!」

 そう言いながら、冴子は俺の手をしっかと握った。そして、もう片方の手で、一粒の「オリーブの実」を空中に出現させる。それは、この時のために温存しておいた、たった一つしかないソリッド。

 奇妙な不協和音を立てて、オリーブが弾ける!

 俺の身体の中を、内臓が丸ごとひっくり返るような衝撃が襲った。

 次の瞬間、俺の目に映っていたのは、遥か眼下に横たわる、「五稜郭」の全貌だった。

 俺達は、いきなり「地上百メートルの空中」に浮いていたのだ。

「な……何だあああ? いきなりこんな所に?」

「ソリッドネーム『マンザの空は青い』。プログラムされた経路を辿って、超高速移動するソリッドよ!」

 これを、冴子が行った意味は、すぐに判った。ドーム状に五稜郭を覆う、法学装甲の頂上部。そこが装甲の構造強度が最も弱い箇所、通称「クラックホール」だった。

 今、俺達はその真上に浮かんでいるのだ。

 冴子は、そこをめがけ、次なるソリッドをリリースする。

 理科準備室で俺達がゲットした天秤ばかり、「岩窟王」だ。

 数cmの狂いも無く「岩窟王」は「クラックポイント」に吸い込まれていき、目も醒めるような紫色の光を発して起爆した。

 凄まじい轟音が俺の身体の芯まで震わせる。五稜郭が悲鳴を上げているようだ。

その僅かな瞬間、法学装甲を形成している、「構成情報の連結」が全てバラバラになった。五角形の城壁を覆っている、石垣の一つ一つが、「ソリッドとしての拘束」から解かれた!

 そう、冴子が見つけたソリッド……何の変哲も無いと思われた「あの石ころ」は、五稜郭の「石垣」に使われた物の一つだった。

 この城郭で繰り広げられた戦争の記憶、ここを築いた人々の思いの蓄積が、この石ころにソリッドとしての強力なポテンシャルを与えていたのだ。

 僅か数秒間のチャンス!

 俺は、それを見逃さず、「三万三千連鎖にコピペされた情報」を、その石垣に流し込んだ!

 体内にパンパンに蓄積されたデータが、一気に消滅する感覚が起こる。

 それと同時に、三万三千個の石垣を、自分の手でまとめて掴み取ったような手ごたえを感じた。


 これは……いけるか!


 俺は、そんな確信と共に、渾身の「力」をこめた。

 物理的な「力」を筋肉で出すわけでは無い。五稜郭を囲んでいる石垣の集団に、それらを強引に「剥ぎ取る」イメージを送り込んだのだ。

 地鳴りのような重低音が、眼下の「五稜郭」から響いて来る。

 黒雲のような土煙をあげて、石垣が崩壊し始めた。星型に連なった無数の巨石の行列が、空中にユラユラと浮かび上がる。

 ついに、五稜郭は「法学装甲の外郭部」を失い丸裸になった。


 まてよ……? これも……いけるか?


 その時、俺の頭に一つの「奇抜なアイデア」がひらめいた。

 俺達の周囲には、もうもうたる噴煙に混じって、無数の石垣が浮遊している。これを使って、ある「大道芸」を出来るんじゃないかと思いついたのだ。

 さらに、俺は「力」をこめ、今度は別のイメージを石に向けて送った。

「くっつけええええええ!!!!!」

 まるで、一つ一つの石を、俺の手で直接操っているように、空中に浮かぶ三万個の石が、磁石に吸い付くクリップの山のように、次々に連結していった。

「もっとくっつけええええええええええ!!!!!」

 無数の石垣の集団は、ガツンガツンと鈍い音を空中に響かせながら、やがて一つの形を作り上げていく。

 それは、巨大な「ムシ」。

 長大な足を持った、クモだった。実は、俺がイメージしたのは、バンテルに登場する「多脚ロボット」だった。しかし、どうみてもこれはクモになってしまった。五稜郭の星型が持つ五つのトンガリが、そのまま4本の足と頭になったのだ。クモなのに4本足でも構うものか。むしろ、6本も足がある生き物なんて俺は認めねえんだ!

「凄いわ宗司君! こんなことが出来るなんて! あなた天才だわ!」


 やれる……こいつは……動かせるぞ!


「う……っごけええええええええええええ!!!!!」

 巨大グモ……咄嗟に命名した「ジャイアント・ジョロウグモ」は俺の意思を受けると、ギリギリと軋みを上げて、空中を泳ぎだした。ソリッドの効果が切れ、落下しつつある俺達の身体を、胴体部分でフワリと受け止める。

 地上に小さく祠堂の姿が見える。顔面蒼白だ。「法学装甲」を壊された上に、それを形成していたソリッドを、まとめてこちらに奪われたのだから無理も無い。

俺は、「略してジャイジョロ」の長大な足の一本を、地上にいる祠堂めがけて、真っ直ぐに突き立てていった。

 こいつは紗枝のかたきだ。何が何でも、一発食らわせてやらなきゃ、俺の気がすまねえ!

「ジャイジョロ」の足の先端が、爆音と共に大地を貫く。

 冴子は、脚を構成していた石垣をソリッドとして「起爆」させ、地面に大爆発を起こしたのだ。

 周囲に大量の土砂と、もうもうたる煙が広がっていく。あれでは、祠堂は例え直撃をかわしたとしても只ではすむまい。

「宗司君、あんな奴はもうほっといて。すぐに飛び上がるのよ!」

「判ってる!」

 俺は、「ジャイジョロ」の四本の足で、地面を全力で蹴った。

 函館の夜の空に、俺達を乗せた巨大なる石のクモが再び舞い上がる。そして、跳躍が頂点まで達すると、今度は四本の足を束ね、巨大な「槍」のようにすると、真っ逆さまに地面めがけて落下させていった。

 目標は、五稜郭公園の中央部……

 「函館奉行所」だ!

 全国の職人が血と汗を注ぎ込んで再建した、函館市民の誇り。これを破壊するのは忍びない。しかし、その地下には「核室」が……「函館スタンダード」の核心部分がある!

 冴子は、「ジャイジョロ」の脚の先端部が函館奉行所に突き刺さると同時に、脚部を構成している数千個の石垣を「並列起爆」させた。

 凄まじい爆光と轟音。函館の大地が轟々と揺れる。

 これで、核室の第二装甲も打ち破った……のか?

 大量の土煙が空中に充満し、視界はまるで利かない。

 しかし、それが、徐々に収まっていくにつれて、巨大なクレーターが函館公園の中央部に姿を現した。函館奉行所は跡形も無く消え去ってしまったのだ。

 しかし、クレーターの中央には、コンクリートのように平坦な石でできた天井がのぞいている。

 これが?……「核室」の天井部? 

 俺達は、フラフラと落下していった。「ジャイジョロ」は再び空中に跳躍していたが、バラバラになって崩れ落ちている。構成している石垣を起爆しすぎて、「ソリッドとしての結節」がちぎれてしまった。

「お、おい……これ、どうすんだよ、冴子!」

「こうするのよ!」

 そういって、手の平から、二つの「天秤ばかり」を出現させる。これが残された、最後のソリッドだ!

 これは……何だ……? これに入力されている情報は?

 その二つのソリッドは、ただの「連鎖」をされている訳ではなかった。

「直列連鎖」で繋がれた「岩窟王」だったのだ。

「これで、とどめよ!」

 核室の天井部の中央に、二つの天秤ばかりが真っ直ぐに落下していく。

 そして、「並列連鎖」とは比べ物にならない程、強力に増幅されたポテンシャルが、天秤ばかりから発散する。

 これまでよりも遥かに密度が濃く、鮮やかな爆光。そして、鼓膜を破らんばかりの轟音。

 核室の外壁が粉々になって飛び散った。

 しかし、衝撃を逃がす経路はコントロールされている。爆風と瓦礫は俺達を綺麗によけて流れてくれる。美しいほどに、見事な攻撃だ。


 勝ったのか? 一体どうなった?


 すでに、俺達を乗せたジャイジョロの胴体中央部は、ボロボロに崩れながらも地面近くにまで舞い降りてきていた。どうやら、なんとか軟着陸してくれるようだ。

 俺達はもうもうと舞い上がった噴煙が収まるのを待った。

 今の攻撃で、第三装甲を破壊した……? それが砕ける感触を、俺は確かに受け取ったはずだ。

 いや……しかし……待てよ?

 それは、違う……

 そもそも、「装甲の破壊」などと「情報を感じ取れている」時点で、それは「スタンダードがまだ生きている」事を意味するのではないか……?

 他でもない、俺の「この能力」自体が、「函館スタンダード」の上で動いている「ソフトウェア」だからだ。

 やがて、噴煙は消えて行き、核室の状況が明らかになった。天井は半分以上崩壊し、その下に核室内部が見えている。

 巨大な五角形をした、複雑な「方陣」が床に刻まれている。その中央には、分厚い五冊の「本」が積まれていた。それこそが、スタンダードの根幹である「最高教典」なのだ。

 動いている!

 核室は、まだ「第四装甲」で辛うじて守られているのだ!

 スタンダードは、いまだ構築中なのか……?

 いや……それどころじゃない……たった今、基本階層が完成してしまった所だ!

 突然、自分の足元から、鋭い振動が噴き出るように伝わって来た。

 それは、地震の揺れともまた異なる、攻撃的な波動だ。

 腹の底まで響いて来るような重低音……頭の中をひっかくような不協和音……大小さまざまな音が、あらゆる方向から同時に襲って来た。

 五稜郭公園を中心に、「都市の変容」が始まっているのだ。

 ギシギシと耳障りな軋みを上げながら、大小の建築物が、外形や窓枠の形、あらゆる形状を、見る見るうちに変容させている。

 外形だけでは無い。周囲に存在する、ありとあらゆる物体の「色彩」が、虹のような光を発しながら、一定の法則に従って変化していく。


 こういう……ものだったのか……


 世界を構成している、あらゆる情報の再構築……

 すわなち、「スタンダードの形成」という言葉の意味を、俺は始めて知った。

 まずい、一刻も早く止めないと……!

 こちらの手持ちの攻撃手段は……


 無い……!


 そうだった……! 「メロンの種」も、「岩窟王」も、全て使い切って、何も残ってないんだ!

「フフフ……フハハハハハハ!」

 轟音の嵐に混じって、癇に障る高笑いが前方から聞こえてきた。

「どうやら、ソリッドを使い切ったようだな!」

 ぽっかりと穴を開けた核室の天井の向かい側に、足を引きずって歩いてくる祠堂の姿があった。骨折の一つや二つはしているようだが、先ほどとは違って、喜色満面といった表情だ。

「冷や汗をかいたが、ここまでだな小娘! よくぞ、ここまでやったと褒めてやろう!」

 ここに至って、俺は心の底から絶望した。

 このままでは基本階層の構築プロセスが終了してしまう。そうなれば……冴子は……冴子は消滅してしまうんだ……!

 どうする……どうすりゃいい?……

 俺は、ふと隣に立つ冴子の表情をうかがった。

 うつむいて目をつぶり、唇を真一文字に結んでいた。これまで、あいつが見せたことも無い、苦悩に満ちた表情。

 やはり、駄目なのか……流石の冴子でも、遂に万策尽きたってことなのか……

 しかし冴子は、眉をひそめたまま、静かに両目を見開いた。

 右腕を前に突き出し、掌を上に向けてゆっくりと五本の指を開いた。

 そして……

「どうやら、仕方ないようね……」

 と、謎めいた言葉をつぶやいた。

 冴子の掌の上に、複雑な色の光の渦が、モヤモヤと生じる。

 それは徐々に一つの……いや、「三つの物体」を形作っていった。

 まるで予想だにできなかった、しかし俺の目ならば、見間違えようの無い物体を……


 全く同じ形状をした、三つのプラモデル完成品……


 俺が制作したバンプラ……「青の三竜」だったのだ!

「な……何でだよ! 何で『それ』がここに!」

「最初にあなたの部屋に入った時、これが飛びぬけて強力なソリッドだったから、内緒で貰っておいたの。ごめんね……できればこれだけは使いたくなかったけど……」

 そうか……確かあいつは「私が現れたせいで無くなっちゃったのね……ごめん」と言ったのだ。それは確かに「嘘」を言ってはいない……

 しかし、まさか「そういう意味」だったとは……

 バンプラの陳列の順番が狂っていたのも、こいつが一つ一つソリッドとして調べたからだったのだ……

 祠堂の顔は、再び、見る見るうちに青ざめていった。

 無理も無い。ソリッドとしての「青の三竜」は、とんでもない状態にセッティングされていたのだ。

 凄まじく大量の、そして俺の能力ごときでは、とても正確に複写できないような、複雑な情報が微小化されて書き込まれている。

 一体、これを構築するのに、どれだけ時間をかけたんだ?

 それにしても、これは一体何なんだ?

 「並列連鎖」でも、「直列連鎖」でもない。

 それぞれのソリッドが持つポテンシャルを螺旋構造で連結し、増幅させあう。

 冴子の十八番の技術「螺旋連鎖」……だって?

 そういうものなのか!

 そして、これから何が起こるのか、そのシミュレート結果も判ってしまった。

 こんなとんでもない代物の「起爆」を直撃されたら、核室はひとたまりもない。

 「第四装甲」ごと、木っ端微塵に粉砕される。

 同時に、これが発する「函館スタンダード」も、完全に消滅する……

 そうなると……どうなる……?

 何てことだ……!

 何て、俺は間抜けだったんだ!


(でも、それもこれも、スタンダードが生成途中で不安定な、今の状態に限定した話よ……)


 確かに、祠堂が完成させようとした「函館スタンダード」の構成要素には、「冴子という情報」は存在しなかった。しかし同時に、スタンダードが無かった、もともとの状態の「こっちの世界」にとっても、冴子は存在しないはずの異分子だったのだ。

 すると、スタンダード消滅と共に、冴子の存在情報は、どこの世界にも戻れずに、バラバラになって消えてしまう……

 祠堂の野望を阻止できようが出来まいが、どの道、冴子は消えるしかなかった……?

 それを承知で、あいつは送り込まれてきた? どう転んだって「捨て駒」だったってことか?

 それを知っていてあいつは、あんなに平然としていて……あんな風に笑っていたのか?

 そんなのって……そんなのって、あんまりだろ!

 ソリッドネーム「ある勇者の追憶」は正に起爆寸前だった。


「やめろおお! 冴子おおおおおおおおおおお!!!」


 俺は、冴子の背中に向かって、絶叫した。

 直後、冴子が俺の方へ振り返った。

 悲しげで、皮肉げで……それでいて優しい微笑。

 それが、この時冴子が俺に見せた最後の表情だった。

 最初に真紅。次に目もさめるような紫へ。複雑な変化を見せつつ、巨大な光が発散し、周囲を包んだ。

 「螺旋結合」されたソリッドの起爆だ。


 再び、一切の感覚が消滅した……


 全ての情報が散り散りバラバラになり、俺の周囲を嵐のように吹き荒れている。

 祠堂が絶叫を上げながら、「全存在情報」を拡散させていく。

 建物も……道路も……人の記憶も……感情も……あらゆる情報が飛び交っている。

 「函館スタンダード」は消滅したのだ。

 やがて、これらの情報は、ゆっくりと全てが「あるべき場所」に「あるべき形」で収束していくのだ。

 しかし、冴子の「存在」はまだ俺の傍にあった。


 それを感じたのだ……


 俺は、冴子の腕を掴んで引き寄せた。どこにも行ってしまわないようにしっかりと。

「おい!! 何てことするんだよ! 何でやっちまったんだ馬鹿野郎!」

「ごめんね……宗司君の大事なバンプラ壊しちゃった……」

 冴子の言葉が伝わってくる。

「言葉では無いが言葉のような情報」で、それは俺の意識に届くのだ。

「でも、これであなたの世界を、あなたの手に取り戻したわ。一応、けじめをつけられたわね……」

「馬鹿野郎! そんなことじゃない。お前、消えちまうんだろ! バンプラが残ったって……元の生活が戻ったって……お前が消えちゃ何にもならねえだろうが!」

「それから、ごめんね。紗枝さんのふりしてメール送ったりして」

「そんなこと謝るんじゃねえ! 消えるな! お前……一人ぼっちで生きてきて、一人ぼっちで消えていくなんて……そんなのあんまりじゃねえか! 悲しすぎるじゃねえかよ!」

「☆△〇◆Ю§μΨ∀◆ЮΨ∀◆Ю>Ж〇……」

 それは冴子の声だった。

 冴子の言葉が聞き取れなくなっている……?

 元の世界でしゃべっていた言葉に戻りつつあるということか?

 しかし、その声と重なって、辛うじて意味もまだ読み取れる。

(一人じゃなかったわ……短い間だったけど、私、幸せだったわ。友達も出来て、家族も出来て……楽しかった。そのおかげで、これまでの人生に悔いは無くなった……何よりも……私のために涙を流してくれた、あなたに会えただけでも……十分だわ……)

「そんな事言うんじゃねえよ! お前の居場所なら、これから作ってやる! 俺の彼女になってくれ! 今度は、俺達本当の恋人になるんだ! それで、俺の傍にいてくれ! 俺の隣で弁当を食ってくれ! また、一緒にメロンを食おう! また、一緒に函館山に昇ろう!」

(ごめんね……でも、安心して。あなたは、すぐに私のことも忘れるのよ……覚えていないことでは人は悲しめないでしょ? だから、大丈夫よ。あなたはもう泣かずにすむわ……)

 俺の両手の中で、冴子の華奢な手の感触が、徐々に薄くなってきた。

「何、馬鹿なこと言ってんだ! 忘れるわけねえだろ! 忘れてたまるかよおお!!」

 ためらい無く、冴子の身体を両腕で抱きしめた。どこにも行ってしまわないように必死で抱きしめた。


 しかし、冴子の体温も、鼓動も、感情も……


 風に吹かれた砂塵のように、拡散していってしまう……


 情報がうずまく虚空の中へ……


 跡形も無く、消えてしまった。


(宗司君……さよなら……これからも楽しく生きてね……)


 その言葉を、最後に受け取ってから……


 俺の意識は途切れた。

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