第6話「夕張メロン」
そして、日曜日。
俺は「蕎麦処 玄助」の店の前に立っていた。「デート」の相手である冴子は、香澄と共にまだ家の中にいる。直前になってから、またコーディネイトのプランに変更を加えたらしいのだ。
予定の時刻から待つこと数十分。冴子が香澄と共に姿を現した。
「おまたせ、宗司君」
冴子は俺の眼前で、ファッションショーのように、得意げにくるりと左回転、さらにくるりと右回転して見せた。
「ああ、待ったぜ。さっさと行こうぜ」
「ちょっと~お兄ちゃん! 加納先輩に対して、何か感想は無いの~?」
俺がさっさと歩き出そうとしたら、香澄は本気で怒り顔になった。
あいつが言わんとすることは、当然判ってる。要は、「可愛いよ、冴子」とか「おおっ! すっげえ可愛い!」とか言えって事なのだ。
一応、俺も登場した冴子の姿は上から下まで確認はしている。冴子のイメージに合わせたのか、靴やタイツまで、渋目の色彩で全身をまとめている。この服はやけにレトロな柄だが、形はワンピース……なのか? 今日の気温を考えると、少し寒そうだ。香澄の持ち物のはずだが、あいつがこんな大人っぽい服を持っているとは意外だった。香澄の抗議はあえて黙殺して、今度こそ歩き出そうと思っていたら、
「おい、宗司! ちょっとこっちに来い! 話がある!」
いきなり、横から親父のだみ声が飛んできた。何事かと思ったら、親父が店の中から顔を出し、俺に手招きをしている。しぶしぶ俺が店の中に入ると、親父は入り口の扉をガララと閉め、声が外に漏れないようにした。
そして、真剣そのものといった顔で、声を潜め、珍妙なことを言い出した。
「おい……宗司。脈があると思ったら、即座に決めちまえよ……」
「な……なんだよ、脈があるって……」
「とぼけんじゃねえぞ。お前、サエちゃんと『まだ』なんだろうが。こういうことは、即断即決で、早いほどいいんだからな」
親父が言わんとしていることは当然判っている。要は、冴子とナニをナニして、何とやらをゴニョゴニョする件についてだ。
「な……! なんで、親父がそんなこと気にすんだよ。関係ねえだろ」
「馬鹿野郎、大有りだ! 俺はな、サエちゃんにうちの嫁に来て貰いてえんだよ!」
「な……! よ、嫁だと?」
俺は、あくまでも声を潜めた上で、思い切り叫んだ。
「ああ、嫁だ!」
「あいつを? 本気でうちに欲しいってのか?」
「 め ち ゃ く ち ゃ ほ し い ! 」
「そう……なんだ……」
「香澄なんて、いずれ嫁に行っちまう。お前なんかはまあ、居てもいなくてもいい。しかし、サエちゃんをゲットできるなら、お前にも生きる価値がある。俺はな、何としてもサエちゃんを う ち の 娘 に し て え ん だ よ ! サ エ ち ゃ ん が 産 ん だ 孫 の 顔 が 見 て え ん だ よ ! 」
「おい……親父……あいつ変わってるぞ。変人だぞ。イナゴバーガー喜んで食べるような奴なんだぞ! 判ってるのか?」
「ああん? この味オンチめ! 馬鹿野郎! グッドの『ジャパ・イナ』はうめえじゃねえか!」
(親父……食ってたのかよ……)
「ていうよりお前、自分の彼女に対してひどい言い様だな。まあ、今回の『軍資金』渡しとくぜ、いざとなったら、こいつを使え。いいな!」
と、言って、親父は有無を言わさず一万円札を俺に握らせた。
親父……まあ、有り難いっちゃ有り難いが、余計なお世話だ……
かくして、俺は大幅に増えた軍資金を手に、冴子と共に市電に乗ったのだった。
車窓の外で、揺れながら流れていくのは、見慣れた函館の町並みのはずだった。しかし、「疑似」とは言え、デートという人生初の状況のせいか、まるで初めて見る風景のように、どこかよそよそしい物にも感じてしまう。
車内はそこそこ混んでいた。一瞬、車体がぐらりと揺れると、咄嗟に冴子が俺の腕にしがみついてきた。不意をつかれたので、流石に動転した。何度も冴子とは身体を接触させたが、こういう形になったのは初めてだ。自然と動悸が激しくなる。
走行は静かになったが、冴子は腕をそのまま俺に絡めている。
(考えて見れば、こうしてる方が、恋人らしいからいいわよね)
接触通話で冴子が話しかけてきた。
(まあ……な……)
俺は何とか平静を保って答えたが、妙に柔らかい感触を上腕部に覚えた。
ん……?ひょっとして?……これは、胸の……膨らみ……か?
思わず、こらえきれずにエッチ波動を噴出してしまうかと思ったが、同時にふと別の違和感も覚えた。
待てよ……冴子……こいつ……今、こいつの方がエッチな気持ちになってねえか?
(おい……冴子……お前……今、何考えてるんだよ……)
(恥ずかしいのよ……変なこと言わないで!)
(恥ずかしい?……お前が?)
(ええ……私にも、この世界でこういうことすることが、社会的にどういう意味合いを持っているのか、だんだん判って来たみたいなのよ)
(全く……相変わらず、頭でっかちなこと言うな、お前は……)
(恥ずかしいものね、確かに、余り学校の知り合いには見られたくないわね)
そうこうしているうちに、市電はお馴染みの「十字街」に止まった。しかし、普段とは違い、俺達は電車を降りると函館港側へ歩いていった。最初の目的地は、大手スーパーだ。まずは、本来の目的である、ソリッドを調達しなければならないからだ。常識的には、高校生カップルが初デートに選ぶ場所じゃ無い。 若い男女で入るとすれば、新婚か同棲中のカップルだろう。
買い物客でにぎわう店内に足を踏み入れると、俺達は、生鮮食品売り場に向かった。期待通り、数え切れないほどの種類の野菜が置いてある。
「まずは、野菜を探したいのよ」
「ふーん……野菜もソリッドになるのか?」
「一番強力なソリッドは、基本的には金属や鉱物なの。つまり、無機物ね。でも、これは高価な高級ソリッドで、発動は不安定だわ。その次に強力なのは植物。それも、生きた植物の種子なのよ。これが一番安価で安定した攻撃ソリッドなの」
「なるほど~種子ね。だったら、豆なんかがいいんじゃねえか? 大豆とか?」
「ええ、生きた大豆はソリッドネームを『くらやみ乙女』と言って、前にいた所では、一番コストパフォーマンスの高い攻撃ソリッドだったの。でも、こっちでは全然駄目ね。もう宗司君の家で試したのよ」
「なるほどな~ 難しいもんだな」
冴子は、野菜を一つ一つ手にとって、ソリッドとしての可能性を探っているようだった。しかし、どうも表情はうかない。やがて、俺達は野菜売り場から果物売り場に進んでいった。
「前にお前、学校を案内して欲しいって言ってたけど、あれもソリッドを探すのが目的だったんだろ?」
「ええ、そうよ」
「学校ではめぼしいもの見つかったのか?」
「いくつかの補助用のものはあったけど、攻撃用の強力な奴は無かったわ。でも、『本命の場所』についてはまだ探してないのよ。一か所、確実に見つかるだろうと思える場所があるんだけど……」
「ん? どうしたよ」
「あ……これ……!」
冴子は、『とある果物』に触った途端に表情を変えた。
「これいいわ! 中身の種子が凄いポテンシャル持ってる!」
俺は、その果物の値札を見て、即座に悟った。なるほど……と。
「おい……これ買うのか?」
「ええと、これ幾ら?」
「上物の夕張メロン……一個五千円だよ……」
「ええっ?……なんで、これだけ滅茶苦茶高いの?」
「あたり前だよ。これ、北海道最強……というか、日本が生んだ、世界最強の果物だぜ」
「ああ、なるほど……道理で常識外れに強力なのね……」
「つまり……何だ。要は『強力なソリッド』って『高価なもの』なのか? そんないい加減な指標で決まるもんなのか?」
「ええ、そうよ。スタンダードって、都市に住む『住人の価値観』とか『倫理観』とかも、『構成要素』なのよ。だから、社会の中でのブランド価値までが、そのスタンダード内で使われるソリッドとして特性を規定するの。だから、一般的な傾向として、『高価なものは強力』なのよ」
俺は、ため息をつきながら、財布の中身を見た。幸い、俺には親父から授かった軍資金がある。これを使えば、一つは買えるわけだ……
「しかもこれ、中にもの凄く沢山種が入ってない?」
「そうだよ。メロンは沢山種が入ってる」
「これだけあれば、一度に制御ボードに『登録』できるソリッドの容量を遥かに越えてるわ。有望な戦力よ」
「よし、買おうぜ」
「買えるの? こんなに高いのに」
「親父から小遣い貰ったんだ。二人で美味いもの食えってね。でも、『この世界を救う武器』がメロン一個の値段で手に入るなら、安いもんだぜ」
もちろん、これは嘘だ。実際には、親父は○○ホテルに入るための軍資金のつもりだったわけだが……
「ありがとう、宗司君。凄い成果よ。おじさまにも感謝しなくちゃね!」
「よし、じゃあこれ買ったら、後はあちこち行って遊ぶか?」
「ねえ、ここで果物ナイフも一緒に買わない?」
「は? そんなもんどうするんだよ」
「どこかで、これ二人で食べましょうよ」
「ちょっと待て。屋外でメロンって……無茶だろ!」
「そうなの……?」
最初は無茶だとは思った……しかし、少し考えただけで、夕張メロンの魔力に俺は負けてしまった。きっと、これを家に持って帰ったら、両親と香澄は思わぬ土産に狂喜乱舞するだろう。俺の取り分も半分以下に減る。しかし、冴子と二人なら、世界最強の果物、夕張メロンをたんまりと食えるのだ。
「そうだな……確かに、それは面白そうだな。そのアイデア乗った! ナイフなんて必要ないぜ、安物のカッターで十分だ」
かくして、俺達はメロンとカッターをゲットして、スーパーを後にしたのだった。
その後は、ひたすら歩いた。赤レンガ倉庫群、函館公会堂、イギリス領事館、元町教会、函館護国神社……と、函館山周辺の観光地という観光地を、片っ端から走破した。冴子は、始終右腕を俺の腕と組み、左手では大事そうにメロンを抱えこんでいた。余程メロンを食べるのが楽しみなのか、歩いているうちに、妙なメロンの歌まで作曲して口ずさみ始めた。
「ゆ~う~ば~り~メロ~ン~は、美味しいよ~、美味しいね~、ゆ~う~ば~り~メ~ロ~ン~は~偉大な~り~強いな~り~最強~なり~たたえ~よ~メ~ロ~ン~ゆ~う~ば~り~……」
こんな感じで、例によって節はめちゃくちゃだが、こいつがメロンに対する幻想と期待を膨らませていることだけは、伝わってきた。
「ねえ、あれに乗りたいんだけど」
冴子が、「函館山ロープウェイ」を指差して言ったのは、大分日も傾いてきた頃だった。
「ああ、そうだな。もうすることもないし、乗るか」
「香澄ちゃんに教えてもらったのよ。恋人同士なら、日が落ちた後で、あれで山に登るべきだって」
香澄の奴、俺に助け舟を出したつもりか……
確かに、すっかり忘れていたけど、函館山からの眺望は、自画自賛のようにも思うが「日本三大夜景」の一つとか言われてるらしい。
休日なので、ロープウェイはかなり混んでおり、俺達はすし詰めのゴンドラで展望台に昇って行った。到着した時には、大分腹も減ってきたので、展望台レストランで飯を食うことにした。この際、親父から貰った軍資金の残りで食べられる、最高額のメニューを二人で選んだ。道産ブタ、イクラ、サーモン、ウニ、ホタテ……と俺の好物がフルコースで並んでいる「函館スペシャル」だ。こいつは、俺ですら美味いと思ったのだから、冴子の方は文字通り狂喜乱舞だった。
二人で、あっという間に食事を平らげたら、デザートはいよいよ夕張メロンだ。俺達は、レストランで会計を済ますと、屋上の展望テラスに上がって行った。
「何なの、これはああああ!!!!!」
それが、カッターで苦労して切ったメロンを一口食べた直後の冴子の反応だった。
「凄いわ! これは、人類の到達した究極の美食の境地だわ! 食べる芸術よおお!!!」
確かに、俺にとってもそのメロンは気が遠くなるほど美味かった。しかし、同時に気がついた。こいつと物を食べると、不思議と美味さが増幅するのだと。しかも、その傾向は時間を経るごとに強くなっている気がする。
もっとも、メロンを買った本来の目的は、食べることでは無く、メロンの種をソリッドとして確保することだったのだ。冴子は、きれいに取り去った種をハンカチの上に集め、洗面所できれいに水で洗い流した。かなり面倒な作業だったが、めでたく何百個ものソリッドが手に入ったのだった。
ちょうどその頃、太陽の頂部が水平線の下に沈み、辺りが急速に暗くなり始めた。冴子は、展望台の手すりから身を乗り出し、眼下に広がる函館の景観に釘付けになっていた。函館山のふもとから伸びる、扇形の海岸線に合わせて、星くずをぎっしりと敷き詰めた街が、徐々に浮かび上がっていく。
日本有数と名高い函館の夜景……確かに見事だ。
無粋な俺とは違って、審美眼がある冴子なら、さぞ感激しているだろうと思い、隣に目を移した。
冴子は涙を流していた。それも大粒の涙をぼろぼろと。
バンテルの時とは違い、今度は冴子を冷やかす気にはなれなかった。こんな時に水を差すのは野暮というものだ。
感涙を流すほどいい物だと思ってくれたのなら、ここに昇って正解だった。香澄の奴には感謝しないといけない……
展望台は、風がかなり強かった。今日の冴子の服装では寒いだろう。
ふと、こいつの肩を抱き寄せてやろうという思いが、不埒にも浮かび上がった。
何故だか、そうすることが、とても自然なことだと思える。
周囲を見れば、周りは身を寄せ合って夜景に見入るカップルだらけ。
実際、俺達も恋人だという設定に従うなら、同じようにするべきなのだ。
しかし、それをする資格が俺にあるのだろうか……というもう一方の思いも、拭い難くあるのだ。俺は、冴子の服装に可愛いという言葉一つもかけてやれなかった、所詮はニセ彼氏なのだから……
結局、自分が羽織っていたパーカーを脱いで、冴子の肩にかけてやるのが、俺の精一杯だった。
「ありがとう」
涙が流れるまま、前を向いたままで、微かに声を震わせて冴子は答えた。
これでは、まるで恋人同士だ……と、再びあの思いがよぎる……
俺の彼女は、紗枝一人しかいない。その事実は動かない。
そのはずなのに……
しかし、こんな事をこいつとするのは、これが最初で最後になるのかもしれないのだ。
だったら、こういうのも悪くは無い。いや……これで良かったのだ。
「なあ……もしも祠堂の計画をぶち壊したら、お前……元にいた世界に戻るのか?」
妙に湿っぽい気分になったせいなのか、思いもかけず、そんな言葉が口をついて出た。
「やっぱり、そうだよな。お前にも、元の世界に家族や知り合いがいるんだろうし……」
俺は、冴子の顔を何故か見ることができなかった。
だから、俺の質問に対して、沈黙で答えるあいつが、まだ泣いているのかどうかも判らなかった。
やがて、淡いオレンジ色の陽光が水平線の下に消え入ると、さらに風が冷たくなってきて、薄着になった俺の身体に震えが来た。
俺は特大のくしゃみを一つした。
それに続く長い沈黙の後、冴子はようやく……
「まあ……そんな所ね……」
と、やけにサバサバした声で答えた。
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