第5話「のり塩ポテチ」

 ようやく俺が普通に声を発することを冴子に許可されたのは、「蕎麦処 玄助」の二階、俺の自室に入った後のことだった。ここならば、安全地帯という事なのだろうか。冴子は、コタツに潜り込んで俺と向き合っている。


「おい……今日という今日は、説明してもらうぞ。さっき、何が起こったんだよ。今の状況、一体どういう事なんだよ。お前知ってんだろ?」

「ええ……宗次君に、いつどういう形で説明するか迷ってたんだけど、そろそろ潮時みたいね」

 いまだに、興奮と恐怖の嵐が身体の中から収まらない俺に対して、相変わらず冴子の表情は冷静そのものだ。

「あれ、祠堂会の連中の仕業か?」

「ええ、そうよ」

 冴子は、至って平常な面持ちで、コタツの中央に置いてある、のり塩味のポテチの袋に手を入れた。

 因みに、これは、冴子のリクエストで買った物だ。俺はコンソメ派なので、のり塩を食べたのは数年ぶりのことだ。

「なるほど……じゃあ、俺の推測を話していいか?」

「ええ……どうぞ」

「祠堂会……それからお前……この世界の人間じゃないんだろ」

「うん……そうよ。やっぱり判るわよね」

「あ……当たり前だろ。この世界の、どこの国の人間が『法学方陣』だの『制御ボード』だのを使える? スマホもキャッシュカードも知らない人間が、どこにいるんだよ!」

「そうよね~」

「どこの世界に、『モーリ・ソーバ』なんて言う日本人がいるんだよ。正確な発音は『もりそば』だろ」

「あ……こっちでは、そうなんだ……」

 この指摘については、珍しく冴子は、恥ずかしそうに頬を赤らめた。

「例えば、そうだな……お前……未来人か?」

「ん?……何よ、それ。未来……?」

「未来の世界からやってきたってことだよ」

「言ってることが良く判らないけど……きっと、それは違うわ。私はね、『こことは似て非なる所』から来たの」

「似て非なる……?」

「祠堂会の教祖、祠堂幸三もそうね。正確には、今の祠堂幸三だけど」

「今の?」

「そう。本来の祠堂幸三とは、一年前に入れ替わってる。本物は多分殺されてるわ。今の祠堂は、私と同じ世界に住んでた『学者』よ」

「祠堂だけなのか、あの団体でこの世界の人間じゃないのは。で……あいつは、一体この町で何やってるんだ?」

「この町を中心に、『スタンダード』を構築しているのよ」

 いきなり、訳の判らない用語が出てきた。「スタンダード」……?

「この前見せた、鉄くぎを使った『法』があるでしょ。ああいうことを可能にするために、物理現象を制御するための基本システムよ」

「んんんん……?????」

「物理学、神秘学、宗教学、言語学、文化人類学、ありとあらゆる知識を複合させて、『世界の情報を再構成する技術』よ。私がいたところでは、場所によって『フォーマット』とか『ベーシック』とか『オペレーションシステム』とか様々な名称で呼ばれていたけど、全部同じものね」

 最後に言った「オペレーションシステム」という名称が、俺には一番ピンときた。

「ああそうか。パソコンやスマホのソフトを動かすためにはOSが必要だよな。それと同じか」

「う~ん、私にはそっちの方がわからないけど、まあそういうものだと思うわ」

「ひょっとして、俺が使えるようになった妙な能力も、その『OSの上で動いているソフトウェア』ってことか?」

「まあ、きっと、そういう理解で正しいんでしょうね」

「なんで、そんなことを祠堂はやってるんだ?」

「まずは、この函館を中心に、『信仰城塞都市』を構築する。その先にあるのは世界制覇ね」

 その言葉を、一応想像はしていた。しかし、あまりに突拍子も無い話なので、俺は言葉を失った。

「私の世界では、全ての国は、『独自のスタンダード』で防御された『信仰都市』の集団で作られているの。その中で、とある都市に所属している一人の優秀な『学者』がいたの。今は祠堂幸三と呼ばれているあの男よ。しかし、彼はスタンダードを設計する『都市設計者』すなわち『コンストラクター』としては、天才的だったけれど、『学者』としての他の能力は大したことが無かったの」

「そもそも、その『学者』って何だよ。俺の世界で言うところの学者とは意味合いが大分違うようだけど……」

「ええ、『法学』には、色々な方向の能力があるの。『法』を実際に施行する『プレイヤー』、スタンダードを解析する『スキャナー』、スタンダードを改ざん、上書きする『エディター』とか……特に、法を施行する『プレイヤー能力』が無いと、あの世界では決して上に立てないのよ。そこで、祠堂が考えた事は、法学技術が発達していない、今私たちがいる『この世界』ならば、自分が天下を取れるんじゃないかってことなの」

「そういうことかよ……姑息な奴だな」

「そうよ。ここはスタンダードの構築を人為的にされたことが無いから、とても脆弱なの。恋愛経験も無くて、エロ本も見たことが無いウブな男の子に、いきなり性体験させるようなものね」

「おい……判りやすいけど、お前だって女子なんだから、そんな例えするなよ……」

「この世界ならやりたい放題よ。敵国が構築したスタンダードも存在しないから、セキュリティは無くてもいいし、完全に白紙の状態だから、簡単にスタンダードを構築できる。住人の記憶情報まで、あっという間に変更できてしまうなんて、私がいた場所ではありえない話なのよ」

 なるほど、それでいきなりロープウェイを作るといった、「物理的な情報の再構築」も可能になるわけか。冴子の話から、俺はそう理解した。

 冴子の説明はさらに続く。

「だから祠堂は、この世界の存在を突き止めて、自分の『全情報』をこっちに移転してきたのよ。二度と元に戻らない覚悟でね。そして、祠堂会のトップにすり替わって、信者を利用し始めたの」

「それにしても、何で宗教団体なんだよ」

「スタンダードの中心になっているのは、『教典』なの。その教典の世界観を現実化させた物が、スタンダードだとも言えるの。それを可能にするためには、教典の内容が『真実』である必要があるの。そして、教典の内容が『真実』だというのは、『それを信じている信者が存在すること』によって、保証されるのよ。信者の数は多ければ多いほどいいわ。それだけ、教典の内容の『真実性』も強力になって、スタンダードも強化されるのよ。だから、祠堂は教祖の座に居座った後に、教典をそっくり自分が作成した物に全面改訂したのよ。そうやって、信者達の信仰心をスタンダード構築の原動力にしたのね」

「なるほど……それで、もう一つの重大な疑問に答えてくれ。お前の正体は何なんだよ」

「私もそこに住んでた『学者』よ。博士号もとってるわ。祠堂がこの世界を制覇すると、かつてない強力なスタンダードが完成してしまうのよ。全世界、全人口を飲み込むほどの大規模なスタンダードっていうのは、私の世界では、いまだ存在したことが無いの。そうなると、いずれは私の住んでた世界も飲み込まれてしまうかもしれない。それを阻止するために、私の国の上層部が私の存在を散々苦労して移動させたのよ」

「お前一人を?」

「ええ」

「ひょっとして、一人だけ選ばれたってことは、お前優秀なのか?」

「ええ、かなりね」

 自分で言うかよ……まあ、納得も出来るけど。

「なるほど……それで、最後に俺にとっては、一番重大な疑問だけど……」

「宗司君が、連中にとって何なのか、ね」

「そうだ。結局、この俺って何なんだ?」

「私達の世界では、あり得なかったケースだから、良く判らないのよ。でも推測するに、きっと一種の『特殊体質』なのよ。スタンダードの構築に対して抵抗力があるのね。周囲の情報を敏感に察知して、無意識のうちに気に入らない物は削除したり、場合によっては、自分が気に入るような形で、書き換えたりしちゃうのよ。スムーズにスタンダードを完成させたい祠堂にとっては、目の上のたんこぶのような存在よ」

「それじゃ、予定通りにスタンダード構築が進行しなくて困った祠堂は、その元凶を探していたっていうことか……? 黒田真奈美とかの、学生信者も使って」

「そうよ。あなたに関連する空間では、非常にいびつな形で、情報が構成されちゃっているのよ。この教師は気に入らないから、一生竹馬に乗って暮らしてしまえとか、坂道を登るのが億劫だから、いっそロープウェイでも作ってしまえとかいった、個人的感情が反映されちゃってるのね」

「そ……そうなんだ」

 俺は、開いた口が塞がらなかった。竹馬とかロープウェイとか、散々馬鹿げた設定だと思っていたことは、全て俺の意識の反映だったとは……

「でも、イナゴバーガーはどうなんだよ。あんな物、俺は断じて望んでないぞ」

「きっと、逆にこんなことが起こったら嫌過ぎると思ったことが、反動で実現しちゃったんじゃないかしら? 悪夢を見るとの同じ原理で」

 う~む……つまり俺は、絶対体験したくない事態を想像して、墓穴を掘ったわけだ。

「待てよ?……じゃあ、タケウマは?……あいつは、どうやら今の状況を異常だと自覚していた。スタンダード構築に、心と身体が抵抗していたのか? 確かに性格が天邪鬼で、ひねくれていたけど、俺と同じような『体質』だったってことか?」

「そういうこと。先生も常にマークされてたのよ。スタンダード構築を阻害している要因だと認定されちゃったのね。それで、あそこにいた生徒のうちの誰かが暗殺したのよ」

「だからか……いつもお前は『気にするな』『自然に振舞え』って言ってたけど、あれは周囲の状況に疑問を持つと、連中にそれを察知されるからだな」

「そうなの……だから、こういった事情を説明するべきかどうかも迷ったの」

俺は、何も言えなくなってしまった。想像以上に、自分はとんでもなく厄介な立場に追い込まれているらしい。

 冴子は、真剣な表情で、俺のほうへ急に身を乗り出してきた。

「ねえ、宗司君。聞きたいんだけど。あなた、私のこと嫌い?」

「な……なんだよ、急に」

「どう? 嫌い?」

 あくまでも真剣に、冴子は俺の目を、真正面から凝視している。

「べ……別に嫌いじぇねえけど……」

 俺は、心臓の鼓動の高まりを嫌でも意識しながら、冴子から眼を逸らして答えた。

「じゃあ、あらためてお願いがあるの。これからは、今まで以上にもっと恋人らしく振舞ったほうがいいと思うの。私だって、あなたのこと嫌いじゃないもの。だったら問題ないでしょ」

「そうだな……現実がそういう設定になってる以上、それに従わないとやばいってことだよな」

 俺がそう言うと、冴子はやけに寂しげな微笑を浮かべてから、すっと目を伏せた。

「ごめんね。本当は紗枝さんがいるべき場所に、私が居座っちゃってるのよね」

 予想もしていなかった名前が、想定外のタイミングで、冴子の口から出た。

 俺は心臓を針で一突きされたような衝撃を受けた。


(こいつ……)


(知ってたのか。紗枝という名前まで……)


 気がつくと、俺は口を半開きにしたまま、一言も発することも出来ずに硬直してしまった……

 結局……

「ああ……ええと……まあ……その……」

 ようやく喉から絞り出されたのは、こんな言葉だけだった。

 しかし、冴子は淡々と続ける。

「でも、それもこれも、スタンダードが生成途中で不安定な、今の状態に限定した話よ」

「どういうことだよ、それ」

「今は、この街を作りだす、無数の構成要素の内『桑城宗司の彼女』というパーツが納まるポジションが空白になっているのよ。どうやら、私はそこにすっぽりはまることで、一時的な情報の移転に成功したらしいの。だから。もう少し我慢してね」

「なるほど……そういう仕組みだったのか……」

 つまり、冴子という新規に割り込んできた構成要素が出現し、それに合わせて、周囲の人間達の記憶情報も「書き換わった」ということなのだろう。それで、俺の家族や学校の連中も、冴子のことを、まるで昔から知っていたような気になっている。俺は、乏しい思考力でそう解釈した。

「それじゃあ俺達、この限定期間に今まで以上に恋人らしくするって……具体的に何するんだよ……」

「そうね。まずは、手始めにデートをしたいのよ。これ、切実な問題なんだけど」

「な……! デ、デ、デ、デートだとお?」

 不覚にも、俺の声はど派手に裏返ってしまった。当然、冴子にも思い切り気が付かれているだろう。

「駄目かな~……」

 またもや、この上目遣い。例の捨てられた子猫のような表情。

 ピンチだ。この顔をされるのはやばい。

 しかし、俺にとって「デート」というものは、極めて重大な意味合いを持っているのだ。俺は、紗枝との初デート、すなわち人生における初デートをしないまま、今に至っているからだ。紗枝以外の女子を、人生初デートの対象に選ぶというのは、例え期間限定の特殊設定であっても、どうにも抵抗がある……

「そ……そもそも、何で俺とデートするのが、切実な問題なんだ。どういう魂胆だよ」

「ソリッドを手に入れたいのよ。だから、町を案内して欲しいの」

「ソリッド……」

 その単語が引き金になって、俺の脳内で、先ほどの惨劇の様子が、録画映像のように再生された。

「そ……そうだ。タケウマを焼き尽くした物体! ありゃ何だ? 砂時計だった。あれは、間違いなく砂時計だったぞ!」

「真珠をちりばめた砂時計『亜麻色の髪のマグラトオ』ね」

「お前は、『ソリッドは燃料』だと言ってたけど、ありゃそんなもんじゃないぞ。むしろ『弾薬』だ、殺人兵器じゃねえか。ああいうもんだったとは聞いてなかったぞ!」

「ソリッドには、ありとあらゆる種類と用途があるのよ。強力なものは戦略兵器ですらあるの」

「そうか……その中でも、鉄くぎなんかは、あくまでも日用品としてのソリッドに過ぎないってことだな」

「私は、最低限の所持品だけでここに移転されてきたから、殆どソリッドの持ち合わせが無いのよ。しかも、前の世界で使えたものが、こちらでは使えなかったりで、新しく見つけることも容易じゃないの。だから、町に出て使えそうなソリッドを見つけて、買っておきたいの。このままじゃ、祠堂とは戦えないわ」

 冴子は、そんな重大な発言を、まるで明日の夕食の相談のように、さらりとしてのけた。

「確かに……そりゃ切実な問題だな……ていうか、『戦う』って……?」

 冷静に考えて見ると、それはとんでもなく恐ろしい事なのだった。

「おい、祠堂会と戦うのかよ! お前が? それとも……お、お、俺も??」

「もちろん、私だけで戦うわよ。宗司君とご家族に迷惑をかけられないもの」

「お前だけで……? や、やめとけよ。あぶねえぞ! あいつらやべえぞ。殺されるぞ!」

「やるしかないわよ。私以外に誰がやるの?」

 冴子は、眉ひとつ動かさずに、いつもながら淡々と答えた。

 無力な俺は、そんな彼女の揺るぎない決意表明に対して、何一つ発する言葉を持たなかった。確かに、こっちの世界では「法学」とやらの知識を持っているのは冴子しかいない。さらに言えば、水面下で進行している異常事態に気がつき、知っている人間は、冴子の他には俺だけなのだが……

「ええと……それじゃあ、仮に、これからも祠堂を放置した場合は、この世界はどうなっちまうんだ?」

「『函館スタンダード』の基本形が完成すれば、まずは函館市が『法学的に閉ざされた信仰都市』になるのよ。はっきりとした境界線を持った、全く違う摂理によって支配された空間になるのね。その段階まで行けば、外の人間も事態の異常さに気がつくでしょうけど、もう遅すぎるわ。法学的に防御された都市は、どんな物理的攻撃も受け付けないのよ。逆に、ソリッドによる攻撃は、法学的にしか防御不可能だわ」

「それで……? その後はどうなる?」

「最終的には、祠堂会の信者数はどんどん増えて行き、『函館スタンダードの支配領域』はそれに比例して広がっていき、全世界を飲み込むのよ。祠堂による世界統一独裁政権の誕生よ」

 自室と高校の間を往復し、プラモを作るだけの毎日を送ってきた俺には、現実感が全く沸いてこない話だ。しかし、やっぱりその事態はまずいのだろうと思える。

「ああ……判ったよ。四の五の言ってる場合じゃねえって事か。確かに、戦うかどうかは置いておいて、自分の身を守るためにも『弾薬』は必要だよな……」

 そこで、俺は一つ息を大きく吸い込むと、深い深いため息をついた。この際、個人的なこだわりを捨て置いて、決意を固めないといけない状況らしい。

「よし……仕方ねえな……今度の日曜日に二人で外出しよう。ただ、それは別にデートじゃねえぞ」

「うん、ありがと。じゃあ、一つお礼してあげるわ」

 ……ん? 何だ? お礼といわれて、あらぬ想像もしてしまう俺だったが。

「そのポテチ、最後に残ったコナコナ、宗司君にあげるね」

 意地でも失望なんてする物か。

 まあ、せいぜいこんなことだろうとも思っていた。そんなものは、言われるまでもなく、俺が食うつもりだった。所が、袋を覗くと、いつの間にか大きなポテチのピースは全滅していて、殆ど空になっていた。何で、食べるペースがこんなに速いんだ、こいつは。

「ああ、ありがとうよ。涙が出るほど、めちゃくちゃ嬉しいよ。子供の頃からの俺の夢が叶ったぜ」

 俺は大口を開け、ポテチの袋に残ったかすを、ザザザと注ぎ込んだ。

「それじゃ、私お店の手伝いに行くわね。デートするなら、お小遣いためなくちゃ」

 言い終わるが早いや、冴子はこたつを抜け出すと、パタパタと階段を下っていった。

 一人取り残されてから、俺は去って行った冴子に対して、駄目押しのように、

「デートじゃねえぞ……」

 と、呟いた。


 やがて深夜になってから、クラスメートからの連絡網で、「無期限で臨時休校になる」というメッセージがスマホに入った。

 教師があんな怪死を遂げた以上、死因が判明するまでは、生徒の安全を確保できないだろうから、それも致し方ないことだった。



 ☆                 ☆



桑城宗司(こんな事、お前に知らせるべきかどうか迷ったんだ。でも、教えるよ。昼間とんでもない事件が起こったんだ。タケウマの奴が通り魔に会って死んだんだよ。嫌いな先生だったけど、死んじまうなんて……ショックだった。信じられないよ……)

桐嶋紗枝(えええええ? マジで? 冗談じゃなくて? タケウマが? 通り魔? 怖いよ~!)

桑城宗司(俺、不安なんだ。とんでもないことが、これから先も起こるんじゃないかって思って……)

桐嶋紗枝(宗司君も気をつけてね。気休めにもならないかもしれないけど、せめてわたしが、あなたの無事を祈ってる)

桑城宗司(ありがとう、紗枝……)


 時間が経過するにつれて、今更のように不安が押し寄せてきた。

 これから、どうなるんだ、俺……

 祠堂会……函館スタンダード……殺されたタケウマ……特異体質で、彼らにマークされている俺……

 こんなことを紗枝に相談しても、どうにかなるものでは無いのは判っている。

しかし、俺はそれでもあいつにメールを送って、不安を紛らわしたいと思ってしまったのだ。

 我ながら駄目な人間だ。こんなに俺って軟弱だったとは……


「ええええ? デートオオ?」

「おい、香澄! 声が大きい!」

「なんでよ~。別に、秘密にすること無いじゃん~」

 次の日の夜。俺は妹の香澄の部屋にいた。

 冴子が店の手伝いをしに一階に降りている間に、身近にいる唯一の同年代の女子である香澄と、デートの作戦会議をすることにしたのだ。そうでもなければ、こいつの部屋に入る用事なんてあるはずがない。

「でも、まだ初デートしてなかったなんて、信じらんない! お兄ちゃん、どれだけウブなのよ~!」

「まあ、そう言うなよ。どこに行って、何すればいいのか考えてくれよ。一応お前も女なんだから」

 俺のこの失言のせいで、香澄は、余計に膨れ顔になった。

「何よ~その言い方は。そんなの判らないわよ。どこで何すればいいのかなんて、人によって全員違うでしょ。加納先輩の趣味なんて、お兄ちゃんが一番良く判ってるはずじゃない。自分で考えなさいよ~」

 わが妹ながら、ぐうの音も出ない正論を言う。しかし、あらためて考えて見れば、俺は冴子のことなど何も知らないのだ。

「じゃあ、もう一つの頼みがある。悪いけど、あいつにお前の服貸してやってくれないか? あいつ、休日はラフな格好ばかりしていて、デート着とか持ってないらしいんだ」

 当然、これは嘘だ。実際には、冴子は制服とパジャマ以外の服をいまだに持っていないのだ。

 幸い、この提案は大成功のようだった。香澄は、一瞬で機嫌を直し、打って変わって明るい顔になった。

「え? それなら大歓迎よ! あたしの服でいいなら、先輩のために一肌脱ぐわ」

かくして、懸案事項の一つは、あっさりと解決した。冴子が手伝いを終えて、二階に上がってくると、香澄は速攻で呼び止めて自分の部屋に連れ込んだ。まだ、日曜日には時間があるのに、二人はあーでもないこーでもないとコーディネイトを始めたようだった。

 一人自室に戻った俺は、自分自身の「課題」に取り組むことにした。

 コタツに潜り込むと、テーブルの上に積んである、鉄くぎの山と向かい合った。冴子のアドバイスも受けて、俺は俺なりに今日から「法学」の訓練をし始めることにしたのだ。

 一体、自分ごとき人間に、何がどこまで出来るのか、それはまだ皆目判らない。しかし、このままでは、きっと俺は冴子のお荷物にしかならないのだ。最低限、冴子の足を引っ張ることなく、自分の身だけは守れるくらいの能力を身につけなければ、冴子だって危ないのだ。勉強関係では、からっきしなまくらな俺だが、命に関わる問題となれば、やはり必死になる。

 数本の鉄くぎを指でつまんで「吟味」してみた。

(うう……ん……これは、違うな……こっちの二本には書き込まれてる……)

 練習しているうちに、釘に「情報が書き込まれているかどうか」を見分けることは、かなり楽にできるようになった。それから、情報を「抜き取る」こと、そして再度「書き込む」ことにも慣れていった。問題は、抜き取ってから同じものを書き込み直したとしても、何の意味も無いということだ。それだけでは、ただの宴会芸に過ぎない。

 そこで俺が考えたのは、情報をソリッドから「抜き取る」のではなく、コピーして体内に「複写」できないか、ということだった。そうすれば、一つのソリッドのデータを二つに、二つを四つに……という風に「倍倍ゲーム」で増産できるのでは無いか。とりあえず、現在の俺に短期間にマスターできるのは、それ位しか無さそうだ。

 一本の釘をつまむ。中には明らかに「情報」とやらが詰まっているのが判る。その形のままに、イメージを自分の中に映し出してみる。

(これじゃ駄目だ……また抜き取ってしまった……)

 冴子に言わせれば、「データコピー」が出来るかどうかの確証は無いという。俺の能力は、元にいた世界では前例が無いものだったから、あいつにとっても未知数なのだ。

 しかし、俺の身体の中には手ごたえがあるのだ。できる「はず」だという、直感が。

 やがて、香澄との相談を終えた冴子が、俺の部屋のドアを開けて入ってきた。

「どう? 調子は」

 と言いながら、俺から向かって右側からコタツにもぐりこんできた。冴子の太ももらしい物体が、俺の膝にムニュリと当たる。

 俺は、しかつめらしい表情を崩さなかったが、内心では動転した。多分、俺の身体からは「エッチ波動」が噴出しただろう。しかし、努めて平常心を装った声で、

「着ていく服は決まったのかよ」

 と言った。

「うん。宗司君、日曜日にはきっと、私の可愛さに驚愕するはずよ。期待しててね」

「はいはい、自画自賛だな」

「で……調子はどうなの?」

「う~ん……出来そうで出来ねえな~」

「まあ、時間はかかるかもね……」

 冴子は、制御ボードを操作しながら、淡々と答えた。昨日から、恋人らしく行動するためにも、護身のためにも、俺達は可能な限り、近くで過ごすことにしたのだ。

「所で宗司くん、前から思ってたんだけど……」

「ん? 何だよ」

「この部屋にある、沢山のコレクションはどなたのものなの?」

 完全に不意をつかれた。このタイミングで、「その話題」に触れられるとは、全く予想外だった。

 ついつい忘れていたが、そこは俺の急所なのだった。俺は、「社会における被差別階層」である「バノタ」であることは、一切カミングアウトしていないし、これからもするつもりは無い。特に、学校の女子達には、バンプラだらけのこの部屋の様子は、絶対に知られたくない秘密だ。

 考えて見れば、冴子だって立派な女子なのだ。しかし、そもそも出会いの瞬間からして、こいつには俺の部屋を思い切り見られてしまっている。

「おばさまの趣味なの?」

「な……お袋が買うわけねえだろ!」

「じゃあ、おじさま?」

「それも有り得ねえだろ!」

「え?……じゃあ……宗司君?」

「あ……ああ、全部俺のものだよ」

「あなた、こういう物が好きだったの?」

「まあな……悪いかよ……」

 俺は、冴子から目を背けてうつむいてしまった。まるで、拷問を受けているような気分だ。

 バンッ!

「宗司君、素晴らしいわね!」

「は?」

 例の、手の平で机を叩く音が、目の前で小気味よく鳴り響いた。驚いて思わず顔を上げると、冴子はキラキラした笑顔を満面に浮かべていた。

「言っちゃ悪いけど、あなたにこういう審美眼があるとは思わなかったわ! 素晴らしい趣味だわ。彫刻のコレクションだなんて!」

 はあ? 彫刻~?

 冴子は、コタツから抜け出るとバンプラの陳列棚の方へ移動し、腰をかがめて作品を一つ一つ食い入るように眺めていった。

「これよ、これ。私、これが一番好きなの」

 そう言って、比較的新しいシリーズ「バンテル・ラムダ」の主人公機を指し示した。

 こいつ……侮れない奴……

「スカーレット・バンテル」は人気メカデザイナー加藤邦明の最高傑作の誉れも高い、超売れ線メカなのだ。それを真っ先に挙げるとは……しかし……

「で……これって何なの?」

 やっぱりだ…… こいつはバンプラというものを一切理解していないのだ。

「古代の神像なの? それとも甲冑の戦士?」

「い……いや……それは……」

 俺は、つたない言語能力で、何とか自分なりに説明することにした。アニメとは何か。キャラクター商品とは何か。プラモデルとは何か……

「ふーん……そうなんだ~」

 一通り聞いても、冴子は何だか狐につままれたような表情をしていて、理解してくれたかどうかは判らなかった。俺は、立ち上がって陳列棚に近づくと「スカーレット・バンテル」を手で取った。

「あ、触るのに手袋とかしなくていいの?」

 やっぱり、理解してない……

「い……いや、そんなご大層なものじゃねえんだよ。お前も素手で触って構わねえぞ」

 俺は、あちこちと色々なギミックを動かして見せた。玩具的要素もバンプラの重要な一側面だからだ。

「すごいわね。形状を変更できる、造形作品なのね」

 ま……まあ、確かに正しいことは言っているが……

「でも、こっちも綺麗ね。中心から放射状に空間が構成されてるわ。素晴らしい作品ね」

 ううむ……そういう芸術的な観点からバンプラを鑑賞されても、身が縮む思いだ。俺はもっと単純に、少年の心で「かっこいい」かどうかでしか、バンプラを見ていないのだ。

「で、宗司君が一番気に入ってるのはどれなの?」

 冴子が、悪気もなく言ったその言葉で、俺は「個人的重大事実」をようやく思い出した。

 余りにも奇怪な事件が色々起こりすぎて、すっかり意識から「それ」が消え去っていたのだ。

「そ……そうだ! それだそれ! お前が出現して、そのドアが出現したショックで、最高傑作が消えちまったんだ。どうしてくれる!」

「え? そうなの?」

「そうだよ! そのアクリルケースの中、空っぽだろ! そこには苦労して作って、特に気に入った奴が飾ってあったんだよ!」

「そうだったんだ……私が現れたせいで無くなっちゃったのね……ごめん……」

 感情としては、いくら謝ってもこればっかりは償いきれない重罪だ。ただし、これは個人の責任能力を超えた、ある種の超常現象だから、諦めるしかない部分はあるとも思うが。

「まあ……いいけど……所で言っとくけど、俺がバンプラ好きなことは、学校では絶対に言うなよ」

「え? 何で?」

 やっぱり、こいつは全く判ってないらしい……俺は、特大のため息をついた。

 アニメとかプラモが、社会的にどういう地位にあるかという概念が、すっぽり抜け落ちている冴子には、俺の青少年としての苦悩など理解不能なのだ。しかし、駄目元で一応は説明してやることにした。なぜ、バノタがカミングアウト出来ないのかを。

 一通り聞き終わった冴子は、何故だか、わなわなと身震いを始めた。

 いきなり握りこぶしを作り、近くの壁をドカンと物凄い勢いで叩くと、

「納得できないわっ!」

 ……と、ひときわ大きな声で叫んだ。

「な……何がだよ」

 俺は、冴子のあまりの剣幕に気圧されて、一歩後ずさった。

「個人の趣味に、文句をつけるとは何たる理不尽!」

 ドンドンッ!

「しかも、こんな芸術的で創造的な趣味を馬鹿にするとは、余りに非道だわ! 判ったわ。明日、学校に行ったら、バンプラに文句をつける連中を、私が論破してやるわ。完璧な、美しすぎる理論武装で、片っ端からぎったんぎったんに論破してやるわ!」

 ドンドンドンドンドンドンドンッ!!!

「ま……待て、待ってくれ。そんなことはしなくていい! 本当にしなくていい!」

 全くこいつは、普段は冷静なのに、自説を力説する時とか、感動したときには、我を忘れるらしい。

「そうなの?」

「ああ、そうだ……というか、頼むからやめてくれ、そんなことは! お前が俺の趣味を理解してくれるだけで十分だって!」

「まあ……宗司君がそういうなら、黙っておくけど……じゃあ、別の提案していい?」

「何だよ」

「私も、バンテルのアニメって読んでみたいな」

「ん? お前やっぱり判ってないな。アニメは読むものじゃねえぞ。それからバンテルはシリーズ一つだけでも五十話もあるんだ。お前、そんな暇ないだろ。色々作業してるみたいだから」

「それは大丈夫よ。私、二つか三つ位の事柄なら、同時に平行して頭使えるから」

「なるほど……お前は色々と凄いな……じゃあ、見てみるか? 言っとくが、お前に楽しめるかどうかは保証できねえぞ」

 俺はDVDボックスを棚から引き出すと、第一巻をTVの横に置いてあるプレイヤーのトレイに入れ、TV画面が目に入る位置でこたつに潜り込んだ。まもなく、これまで数えきれない程見た「ファースト」のOPが始まった。

「私もそっちに入っていい? こっちだと見難いわ」

 俺は一瞬言っている意味が判らなかったのだが、こっちの承諾を得ないまま、冴子は俺の隣に潜り込んできた。

「もうちょっと、向こうに寄ってくれない?」

「ちょ……ちょっと待て、何するんだよ!」

 大き目のコタツなので、同じ辺に二人が入るのはギリギリ可能だったが、さすがに腰の部分がびっちり密着してしまった。こんな状態では、鑑賞どころではない。「エッチ波動」だだ漏れだ。冴子は、顔は液晶TVの画面を向いたままだが、指はさかんに制御ボードを操作している。なるほど、器用な奴だ……

「ふーん……絵が動く紙芝居なのね。面白い技術ね。どういう『法』を使って制作してるの?」

「別に、そんな訳の判らない技術使ってねえよ。全部手作業で、たくさんの絵を描いてるんだ」

「えええ? 凄い手間じゃない。何て非効率的なの?」

「そうだよ。滅茶苦茶時間と人手がいるんだ」

「そうなんだ~」

 そんな、とりとめのないやりとりを繰り返しているうちに、俺の中で、一つの戸惑いにも似た感情が、密やかににじみ出て来た。

 一体自分は、ここで今、何をやっているんだろうと……

 バンプラをずらりと飾ったままの部屋で、同じコタツに女子と並んで潜り、いたく当たり前に、バンテルのDVDを観る……


 俺は自分自身に問いかけてみた……


 これと同じようなことを、俺は紗枝と出来たのだろうかと……


 「これ」は、長らく俺にとっては生きるか死ぬかの重大問題だったのだ。

 あれは、確か中学三年生の時の事だ。

 とあるクラスメートの男子が、美少女アニメのグッズを学校に持ち込んだことがあった。それを見つけた他の生徒達が、酷くそいつを馬鹿にしたのだ。特に、とある女子の「キモーいッ!」という大声は、今でも耳にこびりついている。それにつられて笑っている周囲の友人達の中には、紗枝の姿もあった。これは、俺にとっての拭い難いトラウマになった。

 はたして、紗枝を俺の部屋に呼ぶことになったなら、このバンプラをどうするべきなのか。全て片付けるべきか。カミングアウトするべきなのか。一生隠しておくべきなのか。はたまた一切バノタを「卒業」するべきなのか……

 紗枝と付き合うことになった瞬間から、俺に突きつけられた宿年の踏み絵。付き合い始めて四日で紗枝はイギリスに行ってしまったから、ずっと保留になっていた。

 しかし、俺はささやかな希望を得た。この娯楽を受け入れてくれる女子が、少なくとも一人はいることが証明されたのだから。冴子だって一応女子だ。かなり変わったタイプだとは思うけど……

 遂に、この「宿題」に白黒をつけるべき時がきたのかもしれない……俺はそう思った。


☆          ☆


桑城宗司(今月は、金欠だよ~実は、俺バンテルのプラモデル好きなんだよ。今月でる新製品欲しかったんだけど)

桐嶋紗枝(へえ~バンプラって奴? 宗司君、好きだったんだ。知らなかった~。あれって幾ら位するの?)

桑城宗司(値段は色々かな。俺もそこまで好きじゃないから、滅茶苦茶高いのは買わないんだ。今まで言わなかったのは、キモイ趣味って思われないかって心配だったからだけど、実はガキの頃から割と好きだったんだよ)

桐嶋紗枝(そんなこと思わないよ~。だって私、宗司君がどういう人か知ってるもん。キモイ人って、趣味がキモイんじゃなくて、その人の性格がキモイんだよ。)


 紗枝からの最初の返信を開く直前、俺の心臓は破裂するんじゃないかと思った。

しかし、蓋を開けてみれば、そんなに心配するようなことじゃなかったんだ。これこそ正に、国語の授業で習った「杞憂」ってやつだ。

 「キモイのは趣味じゃなくて人」……涙が出るほど嬉しい正論を、紗枝は書いてくれた。俺は、自分が選んだ彼女をもっと信じるべきだったんだ。

 長年に渡ってのしかかっていた心の重石が取れて、俄然俺のモチベーションは上がった。体調も心なしか絶好調だ。

 俺は、引き続き「情報の複写」に挑戦する。学校はまだ休校が続いているから、時間はたっぷりあるのだ。何度となく反復して行くうちに、もう少しでうまく行きそうな手ごたえも出てきた。

 冴子は冴子で、俺の部屋の中を移動しては、奇妙な作業をしている。プログラムそろばんで何やら計算をしては、あちこちの畳や壁に、鉄くぎや縫い針をプスプスと刺しているのだ。何となく、人体のツボに針を打つ、東洋医術を連想した。それが一体何なのかは、俺には理解出来そうも無いので質問しなかったが、彼女の口ぶりでは「必要な作業が佳境に差し掛かった」ということだ。

 その間、TVには昨日に引き続き、バンテルのアニメが流れ続けていて、既に第二クールも半ばに突入している。何ともシュールな光景だ。TV画面には、小さなメモ用紙に鉛筆で描いた「方陣」が、セロテープで貼っており、冴子のおでこにも、同じような「方陣」が張ってある。その仕掛けによって、直接画面を見ていなくても画面の情報が頭に入ってくるらしい。つくづく器用な真似をする奴だ。

「ところで、祠堂会と戦うって、一体何するんだよ。祠堂幸三を倒せばいいのか?」

「仮に祠堂一人が死んでも、ナンバー2にスタンダードを管理する能力が備わっていたら意味がないのよ。目的は、ずばり『スタンダードを破壊』することね」

「スタンダードを破壊?」

「ええ、そのためには『教典』の位置を特定して破壊する必要があるのよ。もしくは、教典からスタンダードを発生させている『方陣』でもいいわ。基本的には、二つは同じ場所にあるのが常識だけど」

「だったら、信者を捕まえて、教典をかっぱらえばいいんじゃねえか? あいつら肌身離さず教典持ってるだろ」

「一般信者が持ってる『基本教典』じゃ駄目なのよ。一部しかない『最高教典』がスタンダードを生み出す核心なのね。教典はピラミッド構造を持ってるの。『最高教典』と『方陣』は『核室』と呼ばれる部屋に厳重に保管されてるわ。これを破壊するには並大抵の威力のソリッドじゃ無理なの」

「どこにあるんだ、その『核室』って。突き止めることは出来るのか?」

「それが出来れば、私の勝ちよ。相手はそう思っていないでしょうけど、少なくとも勝つ自信はあるわ」

「つまり、今はまだ判らないってことだな」

「そうよ。問題は、ここのスタンダードの構築が未完成だってこと。そのせいで、思うようには、情報の精査とか『スタンダードの構造解析』が出来ないの。だから、ソリッドの使用も不安定だし」

「でも祠堂の方は、そういう問題は無いわけだよな。何せ、本人が設計して、構造を知り尽くしたスタンダードなんだから」

「そうよ。だから、祠堂の方は、スタンダードに完全に対応する強力なソリッドを、効果的に使えるの。こっちは、今の段階でも、敵の土俵で戦わなきゃいけないから、相当なハンデを背負ってるのよ。しかも、私達に与えられた時間の猶予は短いのよ」

「どういうことだ?」

「今はまだ、スタンダードの『基本階層』が構築中の段階なの。それが完了したら、祠堂は第二階層、第三階層と、どんどん『上位構造』を引き続き構築していくわ」

 「法学」とやらの専門知識を持っていない俺だが、その用語のイメージで、冴子が言わんとしていることは、何となく理解できた。

「ん? ひょっとして、スタンダードも『階層構造』を持ってるのか? 教典と同じで」

「そうよ。より複雑で、部外者には解析不可能な上位階層が完成したら、こっちに勝ち目は無いわ。より強力な高級ソリッドを敵は使用できるようになってしまう。この前先生に使った、低級ソリッドどころじゃないのよ」

 タケウマが殺されたときの光景が脳裏に再生され、俺は、その言葉に心底驚いた。

「お……おい、待てよ! あの、あっという間に人体を焼き尽くした砂時計が……あれで『低級』だってのか?」

「そうよ。だから、時間が無いの……」

 そう言いながら、また冴子は針を壁にプツリと突き刺した。俺は、ようやく事態の深刻さが理解でき始めた。

「スタンダードが未完成だから、こっちは思うように『法学』を使えない……だからと言って、完成されたらされたで、向こうはもっと強力な『法学』が使えるようになる……元々、敵が作った土俵の上で戦うわけだから、どうやったって圧倒的に不利じゃねえか……じゃあ、どうすりゃいい……」

 俺はそこで一旦、長い独り言を中断し、しばし黙思した。

「いや……待てよ?……そうか……スタンダードの『基本階層』だけが構築し終わった瞬間で、『上位階層』を構築する前の状態なら、条件は五分五分までは持ち込めるってことか?」

「素晴らしい、宗司君。それこそが模範解答だわ。泣いても笑っても、勝負は短期決戦になるわね」

 冴子はそうやって褒めてくれたものの、俺はむしろ軽い失望を覚えた。俺なりに貧弱な頭脳を酷使して、珍しく名案を思い付いたと思ったのに、やはり冴子の方ではとっくに出していた結論だったのだ。

「あれ……?」

 そんな会話をしている最中、俺はちょっとした引っ掛かりを覚えた。鉄くぎをつまんだ指先に、これまでにない、妙な感覚があったのだ。

「ちょっと、宗司君、それどうしたの?」

「ううん、何だか妙な感じなんだけど、『これ』どうなってんだ?」

「それ、こっちに貸してみて……え? 何よ、これ?」

 冴子は、身体を乗り出して俺から鉄くぎを受け取ると、目を見開いた。

「宗司君、凄いわ。この釘に書き込んだ『情報』が、あなたの体内にも『複写』されてるわ。でも、二つの情報が『連鎖』してるのよ」

 珍しく少々興奮気味にそう言いながら、冴子はこたつから一旦抜けて、俺の隣に潜り込んできた。

「連鎖?」

 冴子の体温を間近に感じながら、俺は何とか平静を保ちつつ答える。

「こっちの『白紙のくぎ』にその『情報』を移せる? やってみて」

 俺は、まだ『情報が入っていない釘』に、体内に取り込んだ『情報』を流し込んでみた。これで、情報が書き込まれた鉄くぎは二つになったわけだが……

「やったわ! これで『並列連鎖』された二つのソリッドの出来上がりだわ! 凄いわ、宗司君!」

「ええと……この二本の釘の『中身』、って……良く判らないけど、『一つに繋がってる』んじゃないか?」

「その通りよ。ソリッドは二つでも、書き込まれている情報は『連鎖』してるの。じゃあ、今度はその『連鎖した情報』を『まとめて』複写できない?」

俺は、さっきの感覚を再現しようとした。再び、体内に「二つ分の釘の中身が入って来る」奇妙な感覚が起こる。

「そうしたら、それをこっちの『二本の空白の釘』に、『二本分の連鎖した情報』を同時に書き込むのよ……」

 言われたとおりに、別の二本の釘に情報を移しこむ。

「ほら、見て。これで、この合計四本の釘は全体で『並列四連鎖』されてるのよ」

「よく、判らないけど……それって、何か凄いのか? 普通のソリッド4つと何が違うんだ?」

「それが、大違いなのよ。『単独のソリッドを同時に複数起爆させる』よりも、こういう風に『一つに連鎖されたソリッドを起爆させる』方が遥かに強力なの。ソリッド連鎖には、『並列連鎖』と『直列連鎖』があるんだけど、『並列』はわりと簡単に出来るのよ。格段に強力なのは『直列』なんだけどね」

 俺は、説明をされている間にも、さっきと同じ作業の繰り返しで、四つを八つ、八つを十六個と、どんどんと鉄くぎを『連鎖』させていき、あっというまに、この場にあった全ての鉄くぎを『一つに繋げて』しまった。やっていて思ったが、これはパソコンで打った文字列をコピーアンドペースト、つまり「コピペ」する作業とそっくりだ。

 何と俺は「情報コピペ人間」になってしまったのだ。

「でも、こうやって沢山のソリッドを『連鎖』できても、起爆できなかったら意味ねえんじゃ?……いや、起爆はお前がすればいいのか。こうやって、無数の鉄くぎを連鎖させて起爆させれば『核室』って奴も破壊できるんじゃねえか?」

 俺は、自分なりにナイスアイデアのつもりだったが……

「ううん……駄目なのよ。どれだけ連鎖しても、所詮こんな『雑用ソリッド』じゃ戦いには使えないの。せいぜい、暖房の火力が強くなるくらいね」

 やはり、現実は厳しいようだった。俺ごとき、一民間人の特殊能力程度で、世界征服を簡単に阻止できるほど、世の中は甘くないということだ。

「そうか~難しいもんだな」

「でも、凄いわ。これを連鎖するのは、私だと理論的な解析が必要だけど、あなたは感覚的にそれができるのね」

「そうなのか……でも、何とか『これ』自分で『起爆』できないもんかな~どうすりゃいいんだ?……ええと……こう……か……?」

 大量の鉄くぎを握った状態で、俺なりに、ソリッドを『起爆』させるイメージを浮かべてみた。理論的には判らなくても、あくまで感覚としては「起爆」という状態が理解できる気がするのだ。

「あ、あれ……?」

 突然、机に転がっている他の釘の集団が、まるで磁力で吸いつけられたように、俺が握っている釘に繋がって行った。しかし、あれこれと操作しようとすればするほど、連結された釘は「起爆」することも無く、ガシャガシャと蛇のように動き回った。

「うわ、何だこれ! まるで、自分の身体みたいに動かせるぞ。おもしれえ~」

「良かったじゃない。起爆は出来なくても、とりあえず一つ用途が見つかって。いい遊び道具ね」

 冴子は子供のようにはしゃぐ俺の様子を見て、保育園の保母さんのような口調で言った。

 俺は、少しむっとして隣にいる冴子の顔を見やった。

 その表情とは裏腹に、何故か目に涙が滲んでいた。

 一体、何が起こったのかと訝しんだが、原因はすぐに判った。

 前方のTV画面では、バンテルの前半の山場、かの有名な「二十五話」が流れていた。主人公の親友が、母艦を守るために戦死するエピソード。俺も観る度に涙する名シーンだ。こいつ……俺と会話しながら、平行してアニメを見て、きちんと感動してたのか。どういう頭の構造してるんだか……俺は、液晶TVの画面から冴子の顔に目を移して、ニヤリと笑った。

「お前、結構涙もろかったんだな」

 冴子は、当然俺の意図を汲み取ったようで、ばつが悪そうに頬を赤らめると、

「イナゴ食べて泣いた、あなたほどじゃないわよ……」

 と反撃してから、再び制御ボードの作業に向かった。

 俺は、再び鉄釘を持つと「コピペ」の練習を続行した。やってみれば簡単だ。今度はもっと複雑なデータを、別のソリッドで複写できるようにするといいのかもしれない。そのためにも、冴子との「デートもどき」で、有効なソリッドを手に入れることは重要になってくるのだ。

 そんな作業に没頭しているうちに、気がつくと、時刻は深夜の二時になっていた。

 バンテルのDVDはとっくに7巻が終わっている。

「ああ、また一枚終わったか。おい、まだ続き観るのか……?」

 と、何気なく話しかけたが、冴子は、頭を俺の肩にもたげて、寝息をスースー立てていた。ずっと「コピペ」の練習に集中していたため、隣にいたのに気がつかなかったのだ。

 こいつも眠るのか……当然、眠らない訳は無いんだけど……

 いつだって涼しい顔をして、カミソリのように明晰な冴子だが、意外と寝顔は子猫のように無邪気だな、と不覚にも思ってしまった。

 疲れて眠っているのを起こすのも可哀想だから、そのままにしてやることにした。俺は、冴子に肩を貸したまま、もう少し練習をしていればいいのだ。

 やがて、時計の針は三時を回った。

 室内には、俺が持つ釘が奏でる固い音が、カシャカシャと絶え間なく響いている。それを無心に聞いているうちに、一度は忘れかけていた、「あの思い」が俺の脳裏に再来した。


 一体自分は、ここで何をやっているのだろうと……


 こうやって、自分の部屋で同じコタツに並んで潜って、バンテルのアニメを見る……

 同じシーンを見て、同じように感動し、同じように涙を流し……


 これでは、まるで恋人同士だ……


 きっと、恋人というのは、こういうことをするんだ……少なくとも、俺がイメージしていたのは、例えば「こういうこと」だったんじゃないか……

 ようやく、うすぼんやりと意識を包み始めた眠気の中で、にわかに俺は、胸のきしみを覚えた。


 何故なんだろう……何故、こんなに苦しいんだろう……


 紗枝……

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