三 変化
星間環境保護協会がリル政府から貸与され、調査船として使用している『ブルー・スカイ・リル(BSL)』は遠目に輪郭だけを見れば中型の貨客船だった。しかし、近くに来ると観測設備や調査用の小艇、無人機が固定されてカバーをかけられており、その色や汚れ具合が様々なので、船体自体は白なのに上甲板より上は磯の岩のようだった。
BSLにはリルに降りた協会員のうち、調査チーム三十名が乗り込んでいる。フィンの率いる生物部門は七名。それ以外に乗組員が十名いる。
HFOは注意深く横付けし、救助用の固定具でつながれた。ケントは、招待されたのはディロン船長とメガンだと思っていたので、自分も呼ばれた時にはびっくりしていた。挨拶を交わした時、フィンは、アーマー君と、まるで学生の時の指導員のような呼び方をするので照れ、ケントと呼んでくださいと頼んだ。メガンがその照れ具合をおもしろがり、小声で、アーマー君、とささやいてくるが無視する。
出入口はエアロックになっており、入ってしまうと船内にはとくに陽圧はかけられていなかった。三人は全身を簡単に洗浄し、ゴーグルとマスクを外して腰にぶら下げて入る。船内は外から見た印象と異なり、整理整頓が行き届いている。食堂までの船室の扉には標本室とか第一実験室などとあり、室内にいる者らしき人名もならんで表示されている。すれちがう人は皆愛想よく会釈したり挨拶してきたりした。
三人は調査チーム全員が集まれそうな広い食堂の奥の個室に案内された。五人ほどがゆったり着席できそうな食卓が用意されている。
「食前酒はいかがされますか」
ディロン船長とメガンがうなずき、ケントだけ断ったので、フィンは三人分の食前酒と炭酸水を注文した。それらが届き、フィンが乾杯を行った。
「調査チーム生物部門リーダーとして、皆様をお迎えできてうれしく思います。そして、希少種を次々と釣り上げるHFOの皆様を讃えます。また、そのような技術を持つ皆様と一緒に仕事ができるのはわれわれの喜びであります。HFOの皆様のご協力により、このプロジェクトの無事成功を祈ります。乾杯」
「乾杯」
お互いに目を合わせ、飲み物を味わう。
「これはいい酒だな」
ディロン船長がうれしそうに言う。
「ええ、ヨロイユウレイイソメにふさわしいでしょう」
「こんなのを呑ませてくれるなら、毎日持ってきてやる」
「すみません。お金で勘弁してください」
フィンがあわてたように言い、皆笑う。それから食事になったが、これは合成で、フィンはすまなそうにしていたが、ケントにしてみれば陸で食べられるような合成食品なので文句はなかった。それに、食品合成機から出てきたものをそのまま出すのではなく、ひと手間加えてあるので見た目や味に楽しみがあった。
食事中、フィンは話をするほうも聞くほうも上手だった。いつもは聞いているほうが多いケントもおしゃべりになり、HFOに雇われるまでや、地球行きの希望の話をしていた。メガンはそんなケントを、おや、という目で見たが、ケントは気づかなかった。
「食糧の増産。立派な夢ですね」
フィンが感心したように言ったが、ケントは照れたのか、学生の時に友人に指摘された、自分の夢に批判的な意見も言ってみる。対立する立場も理解していると示して、客観的で利口な自分を演出したかったのかもしれない。
「でも、迷ってもいます。食品合成が可能なのにわざわざ天然食料を増産するのは、環境破壊につながるんじゃないかって。実は友人に言われたんですが」
「それは理屈としては正しい。自然環境を食料増産のために使えば、それは環境破壊です」
フィンは即座に答える。
「けれど、わたしは、いや、われわれ保護協会は、環境の適切な利用には反対していません。これはよく誤解されるのですが、自然環境を金庫に閉じ込めてだれも触れるべからずというのは協会の活動ではないのです」
「じゃあ、どんな活動なのかな?」
ディロン船長が興味を引かれたらしく、口をはさんだ。
「線を引くのがわれわれの活動であり、存在理由だと考えています。科学的な調査によって、ここまで開発し、ここからは後世に残そう。そういう線引き屋です。わたしたちは」
フィンは指でテーブルクロスに線を引く。
「リルでは、どのあたりに線を引こうっていう目鼻はついたんですか」
メガンがその指を見ながら聞く。
「いいえ。それに、それはわれわれが決めるのではなく、リル政府の仕事です。われわれは調査と助言をするのみです」
フィンはグラスの酒を干して続ける。
「思ったより時間がかかりそうです」
「そりゃまた、なぜです?」
フィンはちょっと考えて答える。
「リルは九割以上を海が占めます。ここで環境調査と言えばほぼ海洋の調査です。生物なら鎧甲類でしょう。正直に言って、ここに来るまでは基礎的な調査は済んでいるものと思っていました」
「実際は?」
「リルの方、とくに漁師の方には申し訳ないのですが、政府や地元漁協の調査に満足しているとは言えない状況です」
「ほう」
「たとえば、鎧甲類について言えば、政府はこれまで現場での調査をほとんど行っていません。漁協のは漁獲データを統計的に処理した情報が大半です」
「政府は漁協まかせだったし、漁協は漁協だからな。求められるのは利益のための情報だし」
「ええ。それはまだ理解できますが、漁協発行のガイドブックに不正確な記載が多いのにはまいりました」
「たとえば?」
「価値の低い種、たとえばヨロイイワシやヨロイエイの記載はあまり信用できません。こちらで実際に捕獲して調査しなおしです」
ケントは、いまはじっと聞き耳を立てている。炭酸は抜けてしまったが気にしていない。
「その失望と、今回の調査に漁協が加わっていないのは関係するのかな」
フィンはディロン船長の目を見る。
「いいえ。リル政府の決定です。本来ならわれわれは地元組織との協力体制は最初に作ります。ほかの惑星ではそうです」
メガンが首をかしげる。頬がうっすら染まっている。
「政府は調査組織を小さくまとめておきたいと言っていました。漁協まで加えると大きくなりすぎると。予算や人員の都合だそうです」
フィンの口調は、それにはあまり納得していなさそうだった。
「本当は、なぜだと思ってる?」
ディロン船長がフィンの目をじっと見て言い、フィンは目をそらさず返事をする。
「わかりません。みなさんのほうがくわしいのでは? 政府と漁協、あまりうまくいっていないのですか」
ディロン船長は漁協以前、さらにその前身組織の結成以前から漁師をしている。フィンは、みなさんのほうが、と言ったが、答えを求めているのは明らかにディロン船長に対してだ。
「組織同士があまりしっくりいかない理由はただひとつ。金だ」
「人間社会は宇宙のどこでも変わりませんね」
フィンはまたグラスを干す。顔色はまったく変わらない。
食事の皿が下げられ、ケーキとコーヒーが運ばれてきた。スタンドのケーキは合成だが、ケントの鼻がポットのコーヒーはコーヒーなのを嗅ぎ分ける。フィンはケントの表情の変化を逃さずとらえて話の接ぎ穂にした。
「これについては謙遜しません。わたしの自慢。どこへ行くにも持っていく地球産の豆です」
ケントは一口飲んで目を輝かせる。
「優等を取った時、お祝いに飲ませてもらったけれど、それよりおいしい」
「喜んでもらえてよかった」
ディロン船長とメガンもほろ酔いの後のコーヒーを楽しんでいる。
「豆はどうやって保存してるの」
メガンがコーヒーカップ越しにフィンを見ながら聞く。
「われわれは生体試料保存については自信があります。コーヒー豆はその応用ですね。たとえば、酸化を完全に止めてしまいます。ほかの変化もほぼ止められます」
「鎧甲類も?」
「ええ、ここでできない分析や試験は地球で行うので、試料の劣化は許されません。ヨロイユウレイイソメの体色が変わったら大変です」
フィンはわざとヨロイユウレイイソメの名前を出し、それを悟ったディロン船長がコーヒーを飲みほしてフィンを見る。
「もう一杯いかがですか」
ディロン船長はうなずいて目で言う。そろそろ本題に入ろう。
「ありがとう。ところで、船をこの海域までまわしたのは、われわれと食事をするためだけですかな」
「いいえ。重要な調査のためです」
フィンは説明を始めた。
「基礎調査を行ってすぐ気づいたのですが、政府や漁協の出している鎧甲類各種の個体数の概算が多すぎるようなのです。わたしのチームはいくつか海域を区切ってざっと生物資源量を測定しましたが、見積もられている個体数の維持はできそうにありませんでした」
コーヒーを一口飲んで続ける。
「それで、われわれはモデルとなる海域を設定し、さらに詳細な調査を行う計画を立てました。ちょうどその時、HFOの漁獲が目を引いたのです」
「どんなふうに?」
酔いのさめたメガンが聞いた。
「希少種です。鎧甲類の希少種は、生態系を階層としてとらえた場合、上のほうに位置します。それで、われわれは希少種の豊富なところに調査海域を設定したいと思っていました」
そう話しながら、空になったケントの皿にケーキスタンドからチョコケーキを取って乗せた。ケントは恥ずかしそうにしている。
「HFOはほかの漁船があげないような希少種を次々にあげてくる。そしてとうとうヨロイユウレイイソメをあげてきた。調査海域はここに決定です」
「海中はあまりいい条件じゃないぞ」
「ええ、ここにきてすぐわかりました。ノイズだらけですね。しかし、すでにベテランを雇ってあるというわけです。ノイズなんかに負けない勘と技術を持っておられる」
テーブルの上で指を組み合わせる。
「ここに腰を据えて調査を行い、われわれ独自の鎧甲類個体数の見積もりを出します。そのためにお願いがあります」
コーヒーの湯気がカップの上に漂う。
「この海域での調査期間中は、BSLをHFOの母船とし、情報の相互共有を行いたいのです」
「期間はどのくらいになりそうかな」
「残りの漁期いっぱい。調査の進み具合によっては今年いっぱい。一か月は帰港なしで。補給はBSLが行います」
「契約はどうなる」
「漁獲の報酬は変わりませんが、BSLが母船になる期間中はHFOに発生する費用はすべてこちら持ちです。実際には消耗品の補給や廃棄物の回収といった現物払いになりますが」
「メグ、ケント、どうする?」
「あたしはいいよ。ケントは?」
「情報の即時共有って言ったけど、BSLのセンサーからのデータもこっちで見られるの?」
「もちろんです。相互共有ですから」
「なら賛成」
「じゃあ、契約書を送ってくれ」
フィンは、ディロン船長、メガン、ケントと順に握手した。メガンがまた頬を染めている。
夕食会は終わり、三人は礼を言ってHFOにもどった。船が外され、お互いにはなれていく。
船内に入り、契約書を確認して有効にした。HFOとBSLの頭脳が通信規格や暗号強度を相談する数十秒がたち、共有が成立した。
「やっぱりすごい」
ケントが表示されるデータを見て感心する。センサーの測定範囲と精細さの桁が違う。だが、考えてみれば、これほどの機器を持っているのに希少種はHFO頼りなのだ。そうなると、ディロン船長の言う『勘』という感覚がますますわからなくなってくる。
ディロン船長がつぶやく。
「これがBSL母船のみでの測定か。搭載している小艇や無人機も使えばさらに細かく測定できそうだな」
翌日から漁を再開する。BSLはHFOの邪魔をしないようにはなれるが、上部構造物が見えるくらいの距離にとどまっている。ディロン船長は今日はふたりでやってみろと言って甲板には出てこなかった。
海藻塊はまばらで、静かな海が日光を反射し、これから暑くなりそうな朝だった。いつものようにセンサーを投入するが、いちどBSLのデータを見ているので大ざっぱに感じられる。
ケントはHFOのセンサーと仕掛けからの生データ、整形データ、BSLからのデータを切り替えながら海中のようすを想像してみた。
「BSLからのデータって整形済みだよね」
メガンに言う。
「そうだよ。暗号かかった生データなんか、こっちの頭脳が処理しきれない」
「なんとかならないかな。BSLのデータにも鼻歌を合わせてみたい」
笑われ、小突かれて、ケントは不機嫌になった。
「でも、いままではそれでうまくいっただろ。勘だよ、勘」
メガンは真顔になった。
「そうだね。笑ってすまない。でも、こればっかりはどうにもならないな。頭脳の性能の問題だから」
ケントはむっつりと押し黙って海中の想像にもどった。しばらく考え、今日は二層だが、例のヨロイダコみたいな中層がぼつぼつ発生しかけているんじゃないかと推測した。そういう想像図をメガンに送ると、あたしもそう思うと言うようにうなずき、動画に合わせて手ぶりをする。
「こちらBSLのフィン。HFOのみなさん、いいですか? いまのケント君の海中各層の想像図、どういう根拠でこれを導いたか教えてほしいのですが」
突然通信が入ってきた。ケントは、ゴーグルをいつものようにHFOの全員に送信する設定のままで使っていたが、いま、全員というのはBSLも含むと気づいてとまどい、赤面した。メガンが声に出さずに笑っている。
「あ、あの、ノイズの発生パターンからです。こっちのセンサーと仕掛けからの生データをじっと見てれば、なんとなく……」
「なんとなく?」
「海中のようすが浮かんできます。すみません、でたらめで」
「いや、こちらの観測ともおおむね合っている。われわれは五層から七層に分けているが、中間層の挙動はほぼケント君の想像図に……」
その時、ケントがさえぎった。
「すみません。来ました。いったんぬけます」
「了解。こっちでも見てる」
竿の一本に印をつける。
「なんだと思う?」
「たぶん、トゲヨロイザメ。前とおなじ突っつき方してる」
それから十分ほどデータがはねたり静かになったりした。
「次大きくなったら合わせます」
はねた。ケントは竿に指示を送る。なにかがかかったが、まだ生体とは判定しない。中間層をぬけてあがった時、生体と判定されたが種までしぼりこまれず、トゲヨロイザメを始め、可能性のある種の名前が表示された。
「よし」
海面まで上がってきた姿を見てメガンが喜ぶ。名前を見るまでもなくトゲヨロイザメだ。中ぐらいの大きさ。すぐに冷凍庫に投入した。
「よくやった」
「おめでとう」
ディロン船長とフィンから同時に通信が入ってきた。メガンはもう場所移動の指示を出している。船が動き出す。
HFOはBSLからかなり離れ、お互いに見えなくなった。BSLはまだ調査を続けており移動はしない。
その日はもう数回仕掛けをつつくようなデータのはね方をしたのだが、なにも釣れなかった。仕掛けを片づけながらメガンに言う。
「明日は海藻だらけになって、キンヨロイアンコウがあげられるんじゃない?」
「で、それから少ししたら前みたいに海中が二層になって、ヨロイユウレイイソメがあげられるって? そんなふうになにもかも周期になったら楽でいいんだけどな」
ばかにしたような言い方をされたが、腹を立てる前に、それももっともかとケントは思う。そんなはっきりした周期があるなら漁師は苦労しないし、保護協会だってHFOを雇うまでもない。自分はビギナーズ・ラックでいい気になって海を軽く見ていたのだろう。
夕食後の会議兼雑談で、明日の予定を決めた後、メガンがケントの言った予想をからかうように話したのを聞いて、ディロン船長は言う。
「ケントは、海からの情報をまじめに解釈しようとしてる。その態度はいい。経験が足りないだけだが、それはこれからだからな。どうだ、地球行きはやめにして、このまま漁師にならんか。筋はいいぞ」
「からかわないでください。いまの儲けが続けば地球行きを早められそうなんですから」
「そうだな。利益は上がっとる。調査計画のおかげだ」
「後がどうなるかわかんないけど」
「メグ、あまり心配してもしかたないぞ」
「でも、調査が終わって、保護が進められれば漁獲割り当てができて、たぶんHFOみたいな零細ははじきだされるよ。いまの調子じゃ、漁協はあてにならなくなるだろうし」
「政府は漁協をつぶしたいのかな」
「はっきり言うなあ、ケントは。つぶすまではいかんだろうが、力を弱めるつもりだろう。すでにある程度は成功しとるし」
「じゃあ、リルの漁業は政府と星間企業が仕切るんだ」
「そうかもな。おれたちみたいな中小零細がたくさんあって、それを漁協がまとめてるって形はもう終わるんだろう」
メガンがみんなに茶のお代わりを注ぐ。その時、画面の一つに緊急の記号が点滅し、三人とも注目する。緊急の報道だった。
警察は漁協の代表を含む上層部十五名を背任の疑いで逮捕。漁獲データ操作による取引手数料の不正な取得。五年前から行われていたと見られる。現在、認否は明らかにされていない。なお、漁協は情報封鎖。頭脳は物理的に隔離を終えている。
その後、組合員向けの注意として、データ受付は警察が頭脳から証拠情報を回収した後、再開されると表示された。今週中の予定。
「おれたちより先に漁協が終わったか」
「どうする?」
「どうもしない。大変な事件だが、HFOにはすぐ影響はない。こういう時は小さい会社で助かる。よけいなかかわりがないからな」
ディロン船長は、データ受付が再開されたらピンを打つよう設定しながらメガンに返事する。ケントは、そう言われてみればそうだな、とすでに漁協の事件を他人事のように考えていた。
翌朝。海藻は増えていた。しかし、歩いて渡れるほどではなく、それどころか飛び石づたいができるほどでもない。昨日にくらべたら増えたという程度で、海中のようすも変わりなかった。
今日もディロン船長は出てこず、船内にいる。メガンが言うには、昨夜は平気なようにしていたけれど、あの事件を無視できるはずがない。じいさんなりに情報収集して仲間に連絡取るつもりだろう。HFOを一番いい方向に向けなきゃいけない。
「でも、HFOは保護協会と契約してるし、当分は事件から距離置けるんでしょ」
「そうだけど、それがまずい。漁協派から見れば、どっちが優勢になるかうかがってる卑怯者か、下手すりゃ政府派についた裏切り者だよ」
「ああ、そうか。契約のタイミング良すぎだな。まったく」
ケントはいやな気分になった。HFOは、うまく立ち回ったつもりが、童話に出てくるコウモリのように仲間を失うはめになるかもしれない。
ゴーグルには、見慣れたノイズだらけのデータが表示されている。まわりは見渡すかぎり海藻塊の浮かぶ海と青空で、ほかの船は見えない。
午前中、メガンがアオヨロイオコゼとヨロイエイを釣り上げ、ケントは仕掛けをつついているような兆候をなんどかとらえたが、合わせるのには失敗した。
昼過ぎ、ディロン船長からピンで報道を見ろと言ってきた。
リル市警察と市庁舎前で組合員の集会が開かれている。不当逮捕に抗議し、漁協上層部の逮捕取り消しと頭脳封鎖の即時解除を要求している。
「こんな集会、初めて見る」
「あたしもだ。煙が出てる。どっちがやらかしたんだろう」
報道では、集まった組合員とその関係者が火をたいたようだが、警察も発煙弾を使用したらしいと言っていた。撮影者が集会に近づきすぎていて、煙がどっちからのものかわからない。怒号や、解散を命令する声がとぎれとぎれに入っている。全体を見渡せるような映像はなかった。
「ちょっと、個人的な通信いいですか」
「いいぞ、早くしてやれ」
ディロン船長が許可を出し、メガンもうなずく。ケントは姉を呼びだしたが出ない。メッセージを姉と婚約者に残して通信を切った。
「出ない。メッセージ残しといたけど」
「報道はそのまま見てていいぞ。それから、おまえへの通信は優先的に回すよう設定した」
「ありがとうございます。仕事にもどります」
メガンが肩を軽くたたいてくる。慰めてくれるようでありがたい。報道を映像のみにして視界の片隅に置き、仕事を再開する。海中からの情報に集中していたほうが気が紛れていい。
ノイズに鼻歌を合わせながら海面を見つめる。見たところで仕掛けやセンサーからくる以上の情報を得られるはずはないのだが、おだやかな海と海藻塊を見ていると、ここから三日ほどのところでごたごたした争いが起きているとは信じられなかった。
一時間ほどたった時、姉から通信が入った。ケントはふたりに合図して仕事から抜けさせてもらう。
「ケント、いま、いい?」
「いいよ。姉さん。そっちは大丈夫?」
姉はどこかの室内から通信している。報道で聞こえてきたような音はまったくしていない。うしろの窓から見える景色もふつうの住宅地のようだ。
「大丈夫。マーフィーの実家に避難してる。そのごたごたで返事できなくて」
それなら安心だ。ケントは姉の誘いで婚約者の実家を訪問した日を思い出した。いつもそよ風の吹いているいい田舎だ。
「なら安心だ。マーフィーも一緒にいるの?」
姉の顔が曇る。けがはなく、通信も問題ないが、出勤したまま市庁舎から出られる状態ではないらしい。ケントからのメッセージは受け取っており、返事は姉がまとめて行っている。それから、思い出したように、母の位牌と形見は持ち出したからと付け加えた。
「けががなけりゃいいけど。じゃあ、報道じゃ集会って言ってたけど、もう暴動なの?」
「ほとんどそんな感じよ。うわさじゃ軍が投入されるかもって」
「え、なに?」
「軍。保護協会の外惑星人を傷つけたかどうかしたらしいって。うわさよ、あくまでうわさだけど。確かめられなくて。ネットがあまり使えないの。なぜかしら」
ケントは視界の片隅に追いやった画面を横目で見たが、そんな報道はされていなかった。
「報道じゃなにも言ってないよ」
「うん、だからあたしもあまり信じてないけど」
「わかった。とにかく姉さんが無事なのはうれしいけど、マーフィーが心配だ。いったん切るけど、なにかあったら連絡お願い」
「ええ、そうする。そっちはなにもないの?」
「そりゃ、海の上だから。静かなもんだよ」
「そう、そうだったわね。あ、それと、義兄さんって言いなさい。書類出したのよ」
「いつ?」
「今日。そっちの仕事が終わったころに連絡するつもりだったの」
「おめでとう。こんな時だけど」
「ありがとう。じゃあ、いったん切るわね」
「うん、マー……、義兄さんの状況、とにかく連絡して。じゃ」
姉との通信を終える。メガンがこっちを見ていた。リル市の集会は暴動になっているらしいと言うと心配そうな暗い顔をする。ただ、軍投入のうわさには否定的だった。いや、そういう事態を信じたくないだけかもしれない。
「いくらなんでも逮捕への抗議運動で外惑星人を傷つけるなんて信じられない。万が一そうだったとしてもいきなり軍はないと思う」
「フィンに確認取れないかな?」
「それはじいさんにやってもらおう。いまの話、じいさんにも言ってもらっていい?」
ディロン船長と短く話をして暴動について伝えると、会議の時に確認してみようと返事があった。メガンよりも暗い声をしている。
その日はもう漁獲はなかったが、三人ともそれどころではなく、夕食後、明日の漁場をどうするかといった予定を立てるのも、センサーからの情報をざっと検討しただけで済ませてしまった。
それからディロン船長がフィンを呼びだそうとした時、向こうから通信が入ってきた。
「フィンです。よろしいですか? すでにご存じでしょうが大変な事態が発生しました。今後について相談したいのですが」
「こっちもそのつもりだ。全員聞いている」
「まず、こちらの現状をお知らせします。報道はこれからになりますが、協会員が一名、けがを負いました。投石が頭部に当たって重傷です。現在リル市の病院に収容されています」
「そんなうわさがあったので確認しようと思っていたが、事実だったんだな」
「ええ、事実です。今後の活動に重大な影響を与えるでしょう」
「中止か?」
「なんの決定にも至っていませんが、このままの続行は難しいでしょうね」
そこへ緊急報道が入り、フィンの言った通りの内容が伝えられた。ただし、入院先は伏せられていた。解説者は星間治安維持軍が投入される可能性についても話をしている。また、外惑星人に被害が生じた点を政府は重視し、暴動のさらなる過激化を防ぐため、通信ネットワークの規制が行われるとも伝えていた。
「フィン、軍投入はありそうか」
「わかりません。リル政府が出動を求めるかどうかです。むしろこちらが聞きたいのですが、リルの警察は暴動対処をうまくできそうでしょうか。みなさんの実感はどうです」
三人とも否定的だった。そもそもメガンとケントは暴動を実際に見た経験すらないし、ディロン船長さえおぼろげな記憶でしかない。警察の対応経験などは推して知るべしだった。
リルは大気、水の有害性ゆえに、建物や空調、水処理設備が破壊された場合、即座に重大な事態に発展する。天災に備えた避難所はあるが、暴動は想定していない。人が意図して行う破壊には到底耐えられない。
そのため、政府は実際に破壊が行われるより早めに超光速連絡艇を発進させ、治安維持軍を要請する可能性は高いと思われる。
そう説明すると、フィンは眉間にしわを寄せた。急に年を取ったように見える。
「どことでも一瞬で通信できたらと思いますよ。超光速航行ができるのに通信はできないなんて」
たしかにその通りだな、とディロン船長も思った。すぐに通信できるならようすを見る余裕ができるし、状況の変化に即応もできる。だが、現実はそうではない。超光速船は距離に応じた時間がかかる。
「そんな、たらればの話をしてもしょうがないぞ。保護協会はどう動くつもりだ」
「そうでした。すみません。いまは警察と連携を取って、病院のけが人を人質に取られないようにするのと、われわれも含めて地上降下している人員の安全確保です。とりあえず、陸の者たちは海上か軌道上へ避難させます」
「調査はどうする。中止か」
「落ち着くまでは一時中止です。もちろん、双方に落ち度はないのですが、そちらの不利益にならないよう善処します」
「補給は?」
「それについては申し訳ありません。避難の規模にもよりますが、不足が生じます。HFOは帰港しないのですか」
「暴動がどうなるか見極めてから帰港するつもりだ。いま帰ると最悪の場合、船を押さえられて動きが取れなくなる可能性もある。実はさっきからHFOの陸側の頭脳と連絡が取れない。通信規制をすると言っていたが、こっちまで影響するとは思っていなかった」
メガンは驚いて別の画面で操作してみるが、通信不能のエラーが返された。自己診断をさせたがこちらの機器には異常はない。
「帰港の予定がないのであれば合流しませんか」
「そうしよう」
ディロン船長は頭脳に指示を出し、HFOはBSLに向けて動き出す。合流する合理的な理由はないが、こういう時に寄り集まりたがるのは本能的なものだろうとケントは思った。お互いの無事を目で確認したいのだ。
BSLとは真夜中に合流し、救命具で固定されたが、三人はHFOにとどまった。報道に変化はない。暴動は夜中になって沈静化したようではある。しかし、明日日が昇ればどうなるかわからない。姉から、マーフィーは市庁舎で夜を明かすと連絡が入ってきた。個人の通信はいいのだろうか。規制をかける基準が分からない。ケントはベッドで、不安なのになにもできないあせりがどういうものか感じている。くやしいような悲しいようなもやもやに怒りを混ぜたようだ。
翌朝、朝食はフィンの要望でBSLに招かれてとった。前回の個室で、食事はふつうの合成品だが、あのコーヒーを濃い目に淹れて飲ませてくれた。
食後、フィンはあまり眠っていない目をこすりながら、暴動のせいで移動がままならず、協会員の避難がうまくいっていないと話した。海よりも軌道上に送りたいが、郊外の宇宙港への道がふさがれている。少人数に分けてひそかに移動させているが予定より遅れが生じているようだった。
「暴動はそんなに組織化されているのか」
「ええ、予想外でした。逮捕からすぐに抗議集会、それから要所で暴動、道路封鎖。短期間でよくやります」
「だれか指導者がいるんだろう」
フィンはうなずく。
「どうもなりゆきで始まった抗議運動ではないようです」
フィンは、失礼、と言って壁の画面に報道を映した。夜が明けるとともに暴徒はリル市の市庁舎、警察のまわりを始め、中心街で活動を始めている。建物の屋上から撮影されているらしい映像では、路上のいたるところで煙が上がり、車両がひっくり返されている。警察車両も被害にあっていた。
政府は、暴徒も建物の破壊は避けるなど、理性的な部分を残しているので、今後の交渉に期待をつなぐとしている。そのため、現時点での軍の出動要請を否定している。しかし、暴動の長期化や被害の拡大が想定される場合、今後の要請はあり得ると発表していた。
「逮捕を取り消せっていうだけでこんなひどい……。ありえない」
「メグ、おれもそう思う。たぶん、もっと別の要求をつきつけてるはずだ。政府発表で『交渉』なんて言葉を使ってるしな」
ケントは、同じ内容の繰り返しになった報道からフィンに目を移して言う。
「保護協会の仲間と連絡取れてるの?」
「いまのところは取れてます。しかし、ケント君の心配はわかります。ディロン船長の言うように、ただの暴徒ではなくなにか別の要求を持っているのであれば、外惑星人の立場は危ういものになるかもしれません」
「フィン。朝をおごってくれた理由がわかったぞ。そりゃ危険すぎる」
「お願いできませんか。政府は報道管制と通信規制を行っていますし、陸の協会員は安全のため閉じこもっています。こちらの判断材料になるような情報がほとんどありません」
フィンはコーヒーを飲もうとしたが、すでに空だった。カップを置いて言葉をつづける。
「生物の調査とおなじで、現場での観察がどうしても必要です。しかし、われわれ外惑星人はどうしても地元民にはなりきれません」
「いや、だめだ。おれやメグは顔が知られすぎてる。暴徒のようすだとHFOの乗組員って知られるだけでまずい。旧友たちと連絡を取ってみたんだが、保護協会と契約してるってだけで政府派みたいに思われてる」
ディロン船長はフィンの視線に気づく。
「いかん。ケントはいかんぞ。雇って二か月もたっていない。そんな責任を背負わせるわけにはいかん」
「しかし、それなら活動しやすいのでは? あまり知られていないでしょう」
四人とも黙り込み、テーブルの上にはコーヒーの湯気だけがただよっている。画面では都市のいたるところから煙が上がり、時には火も見えた。
「わかりました。行きましょう」
三人がケントに注目する。
「奴らの活動の規模や別の目的がありそうか調べに行くんですね。ただ、条件があります。姉の所へ寄らせてください。リル市の郊外です。結婚したんです」
「ケント、気持ちはわかるが、よく考えろ、かなり危険だぞ」
「実は昨日の夜、あまり眠れなくて。なにもできないままじっとしてるのはもうごめんです」
「お姉さんというのはどちらにいるのですか」
フィンに地図上の場所を示す。
「条件はわかりました。ここなら時間がよぶんにかかるというほどじゃない。かまいません」
それから行動計画を練った。漁港に入るのは危なそうなので、夜のうちに山ひとつへだてた磯に着けて上陸し、ハイキングコースを使って山を越えてリル市に入る。そこで暴徒の活動の拡がり具合の観察を行う。配布物などがあれば入手する。また、指導的人物がいれば撮影する。その後、ケントは姉の避難先に向かう。日が暮れてから上陸した磯から脱出する。
「後は船ですが」
「わかった。それはHFOが引き受ける。危ないが、保護協会の小艇で行くよりはましだろう」
「お願いします」
フィンの疲れた顔が明るくなった。先の見通しが立って、ちょっと重荷をおろした気になったのだろう。その荷はケントが背負うのだと、ディロン船長はカップの底のコーヒーをすすった。
HFOはあわただしく出発した。陸に着くまでの間、ケントとメガンは準備に追われ、ディロン船長は情報を集めて上陸しなくて済むようにならないか探っていた。
ケントは作業場でメガンに手伝ってもらいながら装備についているHFOの社章をすべてはずすか塗りつぶした。その跡をどうしようかと考えたが、基礎学習を受けていた学校の校章を描き込んだ。下手だが遠目にはごまかせそうになった。
「あんた、東校だったんだね。あたしは西だった」
「西はバスケ強いんだよね」
「そうらしいね。あたしは禁漁期に通学してただけだから、部活動はやってなかった。ケントはなにかやってた?」
「園芸部。芋と豆を作ってた。小さい芋にすかすかの豆しかできなかったけど」
「なんで?」
「毒を抜いても土が違いすぎるみたい。品種改良しなきゃいけないけど、そこまではできなかった」
「地球で勉強するんだろ。できるようになるさ」
「うん。そのつもり。最初は屋内で育てるようにして、最終的には屋外で栽培できるようにするのが目標。有毒成分を貯めない品種を作りたいけど、だめでも簡単に抜けるように改造する」
「ケントの作った食べ物、楽しみだ」
「ありがと」
顔をあげてメガンを見ると、メガンもこっちを見ていて目が合う。笑って作業にもどった。
三日後、陸が見えるところまで近づき、そこで日が暮れるのを待った。暴動はおさまっていない。報道のうえでは、新たな要求は出ておらず、暴徒の指導者についても触れられなかった。ディロン船長も情報をつかんでいない。通信規制のためと、HFOというだけで過去のつながりがほとんどなくなってしまったとさびしそうにしている。
ケントは漁場にいるふりをして数回連絡してみたが、姉は家から一歩も出ていないのでリル市のようすはまったくわからないと言う。義兄は市庁舎からの脱出に成功していたが、実家にたどりつくのが精いっぱいでなにも観察していなかった。
それでも、ケントはほっとしていた。暴徒は組織化されていると言っても、水も漏らさぬ警戒まではできていないと分かっただけでもいい。義兄は日が暮れた後に作業口から逃げ出して徒歩で実家に向かったが、だれにもとがめられなかったと言っていた。
「無理するな」
「気をつけて」
ディロン船長とメガンに見送られて、磯に跳び移る。後から飲食物、工具、衛星通信機、ゴーグルやマスクの予備の入ったリュックサックを投げてくれた。手を振ると、HFOは沖へ戻っていった。
ゴーグルに地図を表示し、山を越えてリル市に入る経路を検索する。遊びではないので最短経路を選択して移動を開始した。
頂上付近からはリル市が見えた。市庁舎や警察など一部の建物以外は暗い。街灯も電気が制限されているのか破壊されているのか点灯しておらず、火で下から照らされている煙がところどころに立ち上っている。そこからは下りなので道がはかどった。
ハイキングコースのリル市側の口で仮眠をとっておく。水を一口飲んで木陰のベンチに寝転がった。
寝たと思ったらすぐに顔を照らす朝日で目覚める。それでも体はすっきりしていた。マスクに苦労しながら、水でクラッカーを流し込む。未処理の大気をすこし吸って口中が酸っぱくなったので唾を吐く。
リル市に入ったところで衛星通信機を作動させた。これから見るもの聞くものすべてがHFOとBSLに送信される。
「おはよう。これからリル市に入る。通信状態どう?」
「おはよ。こちらHFO。通信良好」
「おはよう。BSLだ。同じく良好」
メガンとフィンが返事をした。
まずは市庁舎に向かうが、報道で見るほど殺気立ってはいない。ごみが片付けられていなかったり、投石や火を燃やしたりした跡はあるが、建物を破壊していないというのは報道で言っていた通りのようだった。
庁舎のある市の中心部に近づくにつれて人が増えてくる。ケントは緊張したが、呼び止めようとする者はいない。交差点では火がたかれ、煙を出すためにゴムでできたなにかだろうか、ぐにゃぐにゃしたものを投げ込んでいた。
警察署の前ではプラカードを掲げた集団が声を張り上げているが、不当逮捕への抗議や、逮捕者の即時解放を要求している。
「裏を回りこんで行け。警官隊が出てきた。そこは危ない」
ディロン船長が注意してきたが、ケントもそうするつもりだった。警察署の前をまっすぐ行けば市庁舎だが、わきにそれる。なにかが当たっているような音や叫び声が聞こえてきた。足が震える。来なければよかったと思ったが、もう遅い。
警察署から離れると暴徒はまばらになり、落ち着いてきた。水を一口飲む。
「おい、なにしてる!」
うしろから怒鳴られ、ケントは立ちすくむ。
「なんだ、学生か。危ないぞ、うちに帰ってろ」
振り返るが、走っていく人ばかりで、そう怒鳴ったのはだれかわからなくなっていた。ほっとしてまた歩き出す。走りたいがどうしても震えがおさまらない。足が絡まるようだ。
市庁舎が正面に見えるところまで出てきたが、その前の広場まで行く気にはどうしてもなれず、建物の影からのぞく。
広場にはざっと百人以上が集まり、火をたいている。集団をうしろから見ているのでプラカードの文句が分からない。また、指導者らしき者が台に乗って演説しているが、庁舎のほうを向いて指向性のある拡声器を使っているのと、大音量にしているので声が割れて内容がつかみにくい。
「……しかるに政府は漁協に対し……、許しがたく……、……権力者の横暴……、……われわれの手に取り戻す……、……不当な……、……断固として戦う……」
「ケント君、場所を変えられないか。できれば前の方。もちろん、危険であればそこでいいが」
フィンに言われ、ケントはそろそろと動き始める。斜め前の位置に行くつもりだった。プラカードの表示が読めるようになる。『政府打倒』『公平に配分せよ!』『リルは漁師のもの』
そういった文句が移り変わりながら表示されている。台上の演説者もプラカードとおなじ内容を繰り返し叫んでいる。ケントはフィンの指示でその演説者や集団の前の方にいる者たちの顔をひとりひとり拡大して撮影した。
「ケント、報道を見てみろ」
ディロン船長に言われて視界の片隅に報道を表示させた。市庁舎内からの中継と出ている。二、三階から撮っているのだろう。現場の音は解説者の説明がかぶせられて内容が不明瞭に、ただの騒々しい音にされている。また、プラカードの文句はさっきの警察署前の集団とおなじものに変えられていた。
「なに、これ」
「悪党同士の喧嘩だ。これは」
ディロン船長が吐き捨てるように言う。ケントは報道と目の前の現実を何度も見くらべた。
「不法集会を解散しなさい」
もうすこしで前列の全員を撮影し終わるという時、解散を大音量で命令しながら警官隊がやってきた。
「もういい、そこを離れて。はやく」
「逃げて!」
フィンとメガンの声が重なって聞こえにくかったが、聞き返すまでもなくケントはその場を離れる。足ががくがくする。広場の集団に警官の集団が突入し、殴り合いが始まる。逮捕とか鎮圧といった言葉では表わせない、ただの暴力沙汰だった。それが見えないところまでなんとか逃げると震えはおさまった。最初は速足だが、すぐに走れるようになる。
夢中で、騒動の音が伝わって来ないところまで走り、閉店の札をさげた車両整備店があったので壁にもたれて息を整えた。
「無事ですか」
「大丈夫。まだなにか必要な情報ありますか」
務めて平静を装った。態度だけでも落ち着いたふりをしなければ。もう子供じゃない。
「いいえ。ありがとう。お姉さんの所へ行けそうなら行ってください」
「はい、そうします。じゃ」
そう言って撮影を停止する。報道は表示したまま姉のところに向かった。混乱は警官隊が鎮圧しつつあるようだが、本当だろうか。
事前に連絡しようかと思ったが、また急な状況の変化があるかもしれない。行くと言って行かないとよけいな心配をかけるから連絡はやめておく。それと、人目を避けながら移動するのに思ったより時間がかかった。HFOに回収してもらうのを変更して真夜中にした。
歩きながらチーズ味のバーをかじる。今度は大気を吸わないようにできた。今朝はどうかしていたのだろう。子供でもできる屋外での食事に失敗するなんて。
リル市の中心部から郊外へ行くと、さっきの騒動が嘘のように静まりかえる。人同士の殴り合いや叫びをあんな間近で見たのは初めてだ。なまのむきだしの暴力は受け入れがたい。吐き気がする。
でも、あの暴動の渦の中心に飛び込んでみたいと感じたのも事実だ。叫び、触れるものすべてを殴る。そうできたらどうだろうとあこがれる自分もいる。恥ずかしい。ケントは、この思いだけは他人には絶対に言わずに心の奥に封印しておこうと決めた。
日が傾き、足元が暗くなるころ、姉のところに着いた。家の前から連絡する。
「姉さん。ぼく。ケント」
扉のカメラに顔が写るように立つ。
「ケント、なんで? とにかく入りなさい」 姉が、義兄とその両親に話す声が聞こえる。それから扉の入室灯が点灯した。第一室に入り、外扉を密閉してから全身洗浄する。ゴーグルとマスクを外して腰にぶら下げ、内扉が開くのを待つ。
姉が抱きついてきた。うしろには義兄と両親が立っている。心配そうで、笑顔ではない。ケントは姉を引きはがして、母の位牌に手を合わせてから事情を簡単に説明した。
「だから、すぐ帰ります。真夜中に回収なので」
「それなら車を出すから、食事くらいはしていきなさい。まだなんでしょう?」
義母がそうすすめてくれ、ケントが笑ってうなずくとやっとみんな笑顔になった。
「姉さん、義兄さん、おめでとう。こんな時でちゃんとお祝いできないけど」
夕食の席であらためてお祝いを言う。
「ありがとう。その丸坊主、似合ってきたわよ」
姉が頭をなでる。腹は立たない。温かい食事がすぐに用意された。
「……じゃあ、HFOは保護協会と一緒なんだ」
「そう、だから心配で。協会の人が大けがしてるから」
食後、再度事情を確認してきた姉に話す。姉さんも心配だったとつけくわえれば良かったかもしれないが、それはさすがに照れ臭かった。それから、今日撮影した市庁舎前の光景を見せた。みんな、報道が事実を変えていると知って衝撃を受けている。
「抗議だけじゃなくて、漁協の権力拡大も要求してたのか」
義兄がつぶやく。政府側が事実を隠蔽してただの抗議集会に見せかけようとしたのは許せないが、それと同時に、こういうやり方で権力を握ろうとするのにも怒りを感じている。
「どっちもどっちなんだな。たぶん、逮捕だってでっち上げじゃなくて、なにか後ろ暗い事実があるんだろう。おまえは心当たりないのか」
義父が義兄に言う。義兄は首を振った。
「そんな身分じゃない。でも、言われてみればってのは二、三ある」
義兄によると、去年の漁期が終わったころから、急に漁協からの申請書類の審査が厳密になったり、過去にさかのぼって調査をして誤りがあれば再申請させたり、とにかく漁協関連の事務仕事に時間をとられるようになったと言う。
「じゃあ、政府と漁協、もうかなり前からいがみあってたのかねえ」
あきれたように義母が言う。姉は困惑する。
「そしたら、どうすればいい?」
「どうもしなければいい」
ケントは言い切り、注目されてから続きを話す。
「これは嵐みたいなものだから、じっと首をすくめて通り過ぎるのを待っていればいい。晴れてから慎重に情勢を見て有利なほうにつく。それしかない」
みんな黙っている。その沈黙を義父が破った。
「この中で一番若いケント君が一番老成しているとはな。その通りだ。じっとしていよう。なにも信用できない。いま見たように報道もだ。落ち着いてから自分たちで事実を調べよう」
「でも、ケント。あんたはそうはいかない。わかってんでしょ」
姉が指摘する。
「うん。ぼくはHFOに雇われてるから、政府側って見なされる。それはしようがない。もし漁協派が権力を握ったら、そのつながりで姉さんたちに迷惑かけるんじゃないかって思う。それはごめん。謝る」
「そうじゃない。あんたはいっつも……」
言葉を言いきれず、青い顔になった姉の肩に義兄が手を置く。
「あんたはいっつもそうやって謝ってばかり。自分が悪いって言って逃げちゃう。一緒に暮らそうって言ったのに、その時も迷惑だからって逃げた。今度も謝って海に逃げちゃうの?」
「そんなつもりじゃ……」
「あたしたちはあんたを迷惑がってなんかいない。疎ましく思ってたりしない。だから、ここで暮らせばいいじゃない」
テーブルの三人もこちらを見て、そうしなさい、とか、落ち着くまででもいたらどうだ、と言った。姉はさらに言葉をつづける。
「あんな危ない場所にあんたをひとりで送るような会社、ろくなところじゃないでしょ。たまたま無事だったけど、巻き込まれてたらどうなってたか」
「それはちがう。全部自分で決めた。そりゃ正直なところ、同居を断った時は姉さんが言ったような思いもあったけど、もうちがう。ぼくは地球へ行くよ。それが目的でいま働いてる。だから辞めない」
「ちょっといいかな」
義兄が姉の肩越しに口をはさんだ。
「ユキエ、義弟は、ケントは大人だ。それは認めてあげなさい」
それからケントのほうを向く。
「君の考えや決心はよく分かった。でも、わたしたちは家族なんだからもっと頼ってほしい。たとえば地球行きにしても、全額は無理だが、いくらかは援助できる。それと、もうちょっとしばしば連絡してほしい。ユキエがさびしがってる」
「ありがとう。でももうじゅうぶん頼ってます。身元保証人になってもらってるし、母を守ってもらってます。あ、連絡はもっとするようにします」
「もっと甘えていいんだよ」
「ええ、でもそろそろ行かないと。甘えついでに磯まで送ってくれますか」
姉と義兄が外出と車の準備をするまで、ケントはもう一度母の位牌に手を合わせ、義父と義母と握手をして外に出た。空には『鏡』が浮かんでいる。明るい夜だった。姉は作業服やゴーグルのつけ具合を直そうとしてくる。
「ユキエ、ケントは大人だってさっき言ったところだろ」
「あたしの弟です。いつまでも」
歩いてきたときは山を越えてけっこう歩いた気がしたが、車だとそれほどでもない。沖にHFOの船影が見える。
三人とも車を降り、すでに磯ぎりぎりに着けているHFOに向かう。甲板にはディロン船長とメガンが出ている。
「ケント、よくやった。そちらの方がお姉さんご夫婦かね。こんばんは」
ディロン船長が先に声をかけてきた。姉と義兄がお辞儀をして手を振る。ケントは荷物を先に投げてから姉と抱き合い、義兄と握手した。それからさっと跳び移った。
「弟をよろしく」
「わかりました」
メガンはまじめな顔をしている。ディロン船長が手を振った。
「さようなら。お幸せに」
HFOは磯からはなれると向きを変えて沖に向かう。ふたりはずっと立っていた。『鏡』のおかげでかなり沖に出るまで姿を見ていられた。
「ほんとによくやった。無事でよかった。疲れただろう」
船内に入ると、ディロン船長が声をかけてくる。
「お姉さん、ケントそっくりだった。よろしく頼まれちゃった」
メガンが頭を小突いてくる。ケントはほっとすると同時に、陸にいたままのほうがよかったんじゃないかとも思う。頭のなかがこんがらかっている。一日の間になにもかも変わってしまった。
HFOとBSLに大きな変化はなかった。ケントの撮影した暴動の映像は分析にかけられている。暴動の目的として、漁協派の権力拡大が掲げられているのが注目された。進展によっては保護協会は契約を打ち切ってリルからの脱出を検討しなければならない。
それにしても良い情報がない。けが人は病院から動かせず、避難は予定より遅れている。報道の意図的な歪曲については保護協会の上層部とフィンも頭を抱えている。情報源のひとつなのに信頼性が失われてしまった。
その翌日、リル政府は決断を下した。報道によると星間治安維持軍を要請。標準時の午前零時に超光速連絡艇は地球の軍司令部に向けて発進した。
この未明の緊急報道はケントたちをたたき起こした。すぐにフィンから連絡が入り、軌道上の宇宙港に滞在している協会員が連絡艇の発進と超光速航行への遷移を目撃したと知らせてくれた。
軍が到着すれば、漁協派の暴動はあっけなく終わる。しかし、リル政府もただでは済まない。自らの手で治安維持ができなかったという無様さのつけは払わなければならない。
もうなにもかも昔のままではいられないだろうと、ディロン船長は画面を見ながら伸びをした。
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