二 花
惑星リル最大にして唯一の大陸は同じくリルと名付けられている。その首都もリル市で、漁港もリルだ。最初の移住者は命名には時間をかけなかったようだ。
ケントはソファベッドを元に戻して朝のシャワーを浴びた。熱い湯が心地いい。肩や腰のこわばりがほぐれていく。
となりのシャワーにメガンが入ってくる。
「おはよう」
おたがい挨拶するが、ケントは平気をよそおいながらもそちらを見ないようにする。やたら意識されるのも迷惑だが、まったく気にもされないというのはいい気分ではない。姉もそうだが、年下の男に対する女というのはみんなこうなのだろうか。
先に出て昨夜のうちに洗浄を済ませた作業着を着る。そのころにディロン船長も起きてきた。
「よう、メグは?」
「シャワー」
「いつまで浴びとるんだ。おれが入れんじゃないか」
メガンはディロン船長が入るのは怒る。こういうところが弟扱いされて軽く見られてるんじゃないかと思う理由だ。
朝の用意をする。色や形や香りがはっきりわかる食べ物。陸でしか食べられないようなものだ。
「今日で整備終えられそうか?」
シャワーから出てきて着替えているメガンに聞く。
「見ないでよ。試験結果さえ良ければ。あとは機械を組み込むだけだから」
「そうか。今日は朝はいい。シャワー浴びてくる」
そう言うが、ケントはディロン船長の分も用意した。いつもそう。シャワーを浴びる前は食べないというが、出てくると食べたがる。本気にして片づけてしまうと不機嫌になるのだ。
「合成?」
メガンがベーコンをつつく。
「全部合成」
ケントが答える。これは陸にいるときの毎朝の儀式のようなものだ。天然の輸入品などふだんの食事では手が届かないのに、メガンは必ず聞いてくる。ただし、合成と言っても船で食べる味気のないものとちがい、デザイナーが見た目や食感などに気を使ったもので、HFOに備え付けられているような市販の食品合成機で作れるものよりはましだ。
ケントがミルクを一杯飲むか飲まないかのうちにディロン船長がシャワーから出てきて、当然のように食卓につく。
「今度は北に行こう」
突然、思いついたように言う。メガンとケントはディロン船長の顔を見る。
「海流だ。南北からの海流がぶつかって渦を巻いてる。希少種がいそうだ」
「賭けはまずいんじゃない」
「分のいい賭けさ。他社もほとんど船を出してない」
「だから不安なんだよ。安全な方に乗っかったほうがいい。南」
「おれたちじゃ勝てない。星間企業は網やら延縄やら使えるんだし」
結局、メガンが折れた。一回だけやってみよう。
その日、整備をほとんど終えたHFOはまあまあ見られる姿になっていた。乾ドックを出て港内で試験を行い、すべての機器の正常動作を確認した。
結局、ケントはリル市へは行かなかった。忙しさを言い訳にして、流れるデータばかり見ていた。
日が暮れて帰り道、あの星間環境保護協会の車がまた冷凍ボックスを積み込んでいた。今日はなにを仕入れたのか。相場を超える高値だったのだろうか。
「昨日調べたよ」
メガンが聞こえやしないのに小声で言う。
「あいつら、政府と星間企業合同の資源調査に呼ばれたんだって」
「保護団体をか、なんで?」
ディロン船長が不思議そうに聞き返す。ケントもそう思った。
「保護活動で得た独自のノウハウがあって、生物資源の調査じゃ、そこらの研究機関だと太刀打ちできないんだってさ」
「じゃあ、政府は本気か」
「うん、船まで貸してる。名前だけ立派な奴らを呼んで書類をかっこよく飾るつもりじゃあないみたい」
「漁協は?」
眉をひそめてディロン船長がさらに小声で言う。
「まずいよ。この調査からははじかれてる」
「ほんとにまずいね」
思わずケントは口をはさむ。リルの海洋生物資源についての活動なのに漁協をはずすなんて、政府はあえてごたごたを起こしたいんだろうか。
「あまりかかわらないようにしよう」
ディロン船長が足を速めた。納得のいく意見だとケントは思った。
翌朝、頭脳を完全に更新し、船の中身もほとんど取り換えたHFOが港を出た。北に針路をとる。海流がぶつかり合っている漁場までは三日。HFOは会社設立以来初めて返済に一漁期を超えそうな額の借金を背負っての漁となる。それについては、ふたりともケントにはなにも言わないが、会話から察せられた。
だけど、船内の雰囲気は明るい。更新された頭脳と、動作保証の機器や部品ばかりのHFOは以前ほど手間をかけない。実際に見に行かなくても、ゴーグルの表示を見ながらの遠隔点検で信頼性を保てるようになった。HFOに安定という言葉が戻ってきた。
その分、ケントの教育も進む。周囲に船がなく、通常の航海であれば、ケントにまかせておけるくらいになった。
漁場に着くと、センサーを投入し、海中図を作成する。流れが複雑で、HFOの頭脳は船を定位置にとどめておくのにかなりの能力を使っている。
「全部深海用の仕掛けで行こう」
メガンが指示を聞いて肩をすくめる。希少種ねらいならそうするしかないが、深海ははずれたら救いようのないくらいはずれる。
「なんでディロン船長はあんなに賭け好きなの?」
竿の準備をしながらメガンに聞いてみる。
「さあね。でも、じいさんにはそういうところがあるんだよ。漁に仕事以外のものを求めてるみたい」
海面には浮遊性の海藻が多い。からまりあって家が建てられるくらいの大きさの塊になっているものもある。大小のそれらが海流で早く遅く回っている。
仕掛けを投入し、予定深度に達すると、ゴーグルに情報が流れてくる。金属濃度の濃い層まで沈んでいる。ヨロイダコやヨロイサバはこの濃度では生きていけないが、もっと貴重な体液を持っている希少種、トゲヨロイザメやキンヨロイアンコウなどが生息している。
ただし、その非常に濃い金属分が邪魔をして、センサーの情報があてにならない。六本の竿の情報は、それぞれが急に折れて山になったり谷になったり一定せず、頭脳が異常データを刈り込んでそれらしい結果に整形しているので真実の姿ではない。これが漁でなかったら、光学撮影機器と照明を送りこめば済む話なのだが、値打ちのある鎧甲類は光で警戒し、みんな仕掛けに食いつかなくなってしまうだろう。
「生データも見ろ。ケント」
ピンとともにディロン船長の指示が来る。ぐにゃぐにゃのデータがなんの役に立つんだろう。
「勘を養え。整形データだけだと合わせるタイミングがわからんぞ」
メガンは首をかしげている。ケントは一定時間で生データと整形データが切り替わるようにゴーグルをセットした。
それでも、ずっと見ていると、異常データの発生にも周期があるのがわかった。海流のせいだろうか。脈を打っているようにも見える。
一時間ほどたった時、その脈が乱れ始めた。走っている人の脈のように、振れ幅が大きく、周期が短くなってくる。海流の速度は変わらない。しかも一本の竿のみそうなっている。
ふたりにピンを打つ。
「まだわからん、そうかも知れん。待て」
ディロン船長の指示が返ってくる。数分後、脈は元のように戻ったが、すぐにまた乱れる。
「次、大きいのが来たら合わせて見ろ」
ケントは生データのみに切り替え、その竿に集中した。測定範囲を超える脈が来た瞬間、合わせる。しかし、その次の瞬間、脈は平静に戻ってしまった。
「いいぞ、監視を続けろ」
数十分後、となりの竿が同じような反応を示し始める。仕掛けを突っついているのか。頭脳は種類を特定しない。そもそも生物と判定していない。それでもディロン船長は合わせるよう指示を出す。その根拠はなんだろうか。メガンを見ても首を振るばかりだ。
さっきと同様に、数分すると元に戻り、またすぐに乱れる。大きくなった瞬間、合わせた。
トゲヨロイザメ。判定が表示され、引き上げが始まる。海面近くで再判定されても表示は変わらない。ふたりから「よし」という声がする。かなりの大物。価格も大きさ同様なかなかのもので、待ち続けただけはあった。名前の通りとげだらけでケントほどの大きさの鎧甲類が釣り上げられ、すぐに冷凍庫で凍らされた。
「やったな。あのノイズをよく見わけた」
メガンが肩に手を置く。ゴーグル越しの目が笑っている。
けれど、その日はそれっきりだった。ディロン船長が言うには、トゲヨロイザメは警戒心が強く、一度釣り上げたところでは日を置かないと釣れなくなるらしい。場所を動かずにほかの深海希少種をねらってみるのも手だが、明日からは釣ったら場所移動しようと、夕食後に決まった。
「ちょっといいか」
自分のベッドに入り、遮音カーテンを引こうとした時、メガンが話しかけてきた。ケントがマットレスに座ったままうなずくと、向かいの壁にもたれた。
「なあ、よけいなおせっかいかもしれないけど、姉さんとうまくいってるのか」
「いってるよ。なんで?」
「うん、陸に上がった時、ずっとこっちにいたから」
「それは、整備が忙しかったし」
「でも、リル市だろ。ちょっと行ってくるくらいならかまわなかったんだよ。そう言わなかったっけ」
ケントは目を伏せる。
「あたしはじいさんしか身内がいない。あんたは姉さんたちだけ。似たようなもんだけど、なぜか、あんたは身内を避けてるみたいだな」
ケントは返事をしない。メガンは頭をかく。
「すまん。そりゃ、あたしたち一緒に仕事するようになってそれほどたってないから、いきなり話すって無理だよな。まあ、話せるようになったら話しな。相談乗るよ」
早口でそれだけ言って上の段に飛び込んでしまった。機関のうなりと空調の音だけが残る。
翌日の朝食後、メガンと甲板に出るとあたりの海が海藻で埋まっていた。ディロン船長も出てきて驚いている。
「海流のせいだろうが、こりゃまた」
大小の海藻の塊が波で上下しているが、歩いて渡れそうだ。海藻くらいでは航行には差し支えないが、金属分を含んだ生体が蓋のようになっているのでセンサーの情報にひどくノイズが乗る。ほかの漁船を見ないのも当然で、これではセンサー頼り、頭脳頼りの漁は成り立ちようがない。場所を変えて海中図を取ってみたがひどいもので、昨日作成した図面とは整合性の取れないものになった。
「メグ、ケント、昨日の要領でやってみろ。勘を養え」
海を見渡しながら、ディロン船長はうれしそうだ。漁具を準備し、仕掛けを投入すると昨日以上の乱れたデータが流れてきた。データを整形すると残る部分が少ないほどだ。
「あきらめろ、生のまま見るんだ」
「じいさん、むちゃ言っちゃいけない。こりゃ漁にならないよ」
「船長だ。メグ。なにを言うか。これこそが漁だ。今日はおれもここにいるぞ」
日光を全身に浴び、ゴーグルを流れるでたらめを監視してじっとしている。まれにデータに規則性が発生しそうになる瞬間はあったが、昨日のようにはっきりしてこない。
そういう時に鼻歌が聞こえてくると思ったらディロン船長だった。ノイズだらけのデータに合わせて低く、小さく歌っている。その歌が途切れ、ピンが飛んできた。
「来たぞ、触ってる」
「今度はあたしがあげるよ」
メガンもわかったらしいが、ケントにはどの竿かわからない。ディロン船長がデータに印をつけてくれた。
「ありがとう。でも、これ、ほかとどう違うの?」
「まあ見とけ。昨日のパターンとはちょっと違う。もっとおだやかだ」
メガンが合わせる。かかった。しかし判定不能。かなり抵抗している。ヨロイアンコウだな、キンかクロか、とディロン船長がつぶやいた。
海面近くまであがり、海藻塊をひっくり返しながらキンヨロイアンコウが姿を現した時、三人とも歓声をあげていた。空中に上がった瞬間、種類が正常に判定されて価格が表示されたが、現在の価格も予想価格も途方もないもので、ここに来た価値はじゅうぶんにあると満足させられる値打ちものだった。冷凍庫に投入するときもみんなで見送ったほどだ。
「あれ、なに?」
冷凍庫の扉が閉まった後、振り返ったケントが海面を指さす。
「ヨロイエイの卵の鞘だ。中身はとうに出て行ってるな」
その鞘は海藻塊の裏に数十個うみつけられており、腕の長さほどのしっかりした茎の先がこぶし二つ分ほどの透明な球状に膨らんでいる。そこに卵が入っていたのだろうが、いまは空だ。それが日光を受け、揺れるたびに虹色に輝いている。ケントは記念に数十秒録画した。
「めずらしいもんじゃないぞ」
「でも、きれいだから」
「そうだね。きれいだ」
その日は場所移動した後、小型のヨロイエイが一匹かかっただけだったが、みんないい気分だった。とくにディロン船長は得意げだった。
「まいったね。今度ばかりはじいさんの勝ちだ。文句ないよ」
肉風味ペーストを塗ったクラッカーをかじりながらメガンが感心している。
「メグ、食べながら話すな。しかし、おれの勘もまだまだいけるな。大当たりだ」
「冷凍庫がいっぱいになるまでここに居座ったらどのくらいの儲けになるかな」
熱いスープに用心しながらケントが言い、メガンが答える。
「スタビライザー、最新にしよう」
「歩き方、気にしてる?」
メガンが背をたたき、ケントはむせた。
「だまってな」
ディロン船長はにやにやしてそのやり取りを見ている。三人とも笑いだす。不思議なものだ、とケントは思う。キンヨロイアンコウが一匹あがっただけでこれだけみんなが幸せそうになる。なぜか。大きな儲けを得たからというだけではなさそうだ。もっとほかの理由があるに違いない。なんだろう。
ベッドに入ってからも考えてみたが、よくわからなかった。ふと、ヨロイエイの卵鞘の録画を見てみようと思った。キンヨロイアンコウをあげた直後の気持ちにもどれるかもしれない。
でも、録画は録画だった。あの喜びの空気までは記録できていない。虹色に輝く鞘がただ揺れている。ケントは繰り返し再生にした。ついでに漁協のガイドブックでヨロイエイについて調べてみる。生態や繁殖についてはほかの鎧甲類同様、あまりわかっていない。というより、漁協は鎧甲類全体の生態調査にそれほど熱心ではない。種類と体液の成分など、漁に必要な情報がわかればよいという程度の記載しかなかった。
流し読みしているうちに、ケントはおや、と感じた。卵鞘には四から六個の卵が入っているという記載と孵化するまでの連続画像があった。ガイドブックのは五個入りの鞘の画像で、鞘は密封パックのように卵を包み、エイの稚魚が出て行った後もその型がついていた。
しかし、今日の録画では、鞘の型は卵一個分か二個分しかない。どの鞘もそうだった。種類が違うのかなと検索してみたが、卵の数が四個以下のヨロイエイは載っていなかった。卵の数は資源の再生産にかかわるので、比較的正確な情報のはずだ。このような鞘を作るほかの鎧甲類も調べてみたが、すっきりする答えはなかった。
「で、どうした、連絡したのか」
朝食のテーブルでひざの置き場所を探しながら、昨日見たヨロイエイの卵の数とガイドブックの記載のずれの件について話すと、ディロン船長が聞いてきた。
「うん、ガイドブックにあった連絡先にしてみたけど、老齢個体で卵の数が少なかった可能性があるって」
「なるほどな。年を取ると卵の数が減るのか」
その日の漁もうまくいった。主にディロン船長が絶好調で、乱れたデータから獲物を見つけ出し、ピンを次々に打ってくる。それに助けられ、ふたりはそれぞれ午前と午後に大型の希少種を一匹ずつあげた。
「さすがだね。あたしにはまだわからない」
「どうやってあんなノイズのなかの魚が見えるんだろう」
メガンもケントも感心するばかりだった。
「おまえらもいずれわかる。勘を養え」
一週間後、大型の希少種ばかりで冷凍庫を満たし、HFOは意気揚々と帰港の準備を始めた。ディロン船長の鼻歌はふたりにうつり、作業しながら三人とも歌っている。
ケントは結局、勘については手掛かりもつかめなかった。希少種を五匹釣り上げたが、実質はディロン船長が釣ったようなもので、ケントは竿を操作したに過ぎない。それでもほめてくれる。「よくやった」というがらがら声をなんども聞いた。
リル漁港の係官は水揚げを見て表情には出さないものの、内心では驚いていた。HFOのディロン船長を知る人たちは、まあ、あの人だからまたばくちを打ったんだろうなとうわさをしていた。
しかし、さらに漁港の人々を驚かせたのはついた値段だった。星間環境保護協会がすべて相場の倍以上の値で買い占めてしまった。それまでも保護協会は変わった行動で注目はされていたが、今回の買い占めでさらに耳目を集めた。
HFOもつられて目立ち、ディロン船長には新型機器や整備サービスの売り込みが来るようになった。船長はそれらを社長として角の立たないように、しかしすべて断った。メガンとケントにまで声をかけようとする者もいたが、さすがにそういう奴には声を荒げていた。
「廃棄物をおろして、消耗品積み込んだらすぐに出港するぞ。魚相手ならいくらでもしてやるが、ああいうのは苦手だ」
ディロン船長が作業を急がせていると、白い作業服の背の高い男がやってきた。どの方向から見ても星間環境保護協会のロゴが見えるようにデザインされている。ゴーグルは視界の広い一般向けのもので、表情がよくわかる型だった。
「すみません、『ハッピー・フィッシング・オーシャン』のディロン・シー船長でしょうか」
三人は手を止めてそちらを見たが、メガンとケントはすぐ作業にもどった。聞き耳だけを立てている。
「そうだが、どちら様かね」
ディロン船長はわざと聞いた。
「お仕事中申し訳ありません。わたくしは星間環境保護協会のフィン・キーンと申します。リルの資源保護プロジェクトの調査チームのリーダーを務めています。あ、生物部門の」
その男は自己紹介しながら身元情報を送る握手をしようとしたが、ディロン船長は工具を持ったまま立っている。しかたなくいったん手を引っ込めた。
「実は、本日水揚げされたトゲヨロイザメやキンヨロイアンコウなどについてお伺いしたいのですが。また、ほかにもお話があります」
そう言いながら、フィンは居心地悪そうにしている。どこかほかの場所で二人きりで話したそうだ。
「なにが聞きたい? 簡潔に頼む。漁期なんでな。すぐにでも出港したい」
「では、あの希少種を釣り上げた漁場を教えていただけないでしょうか。報道などでご存知と思いますが、われわれは政府の委嘱を受けて資源調査を行っています。保護が目的です。短期間にあれほどの漁獲をあげられるくらいの生息場所が残っていたとは思いませんでした。ぜひ調査にむかいたいのです」
「だめだ。それで話は終わりか」
「もうひとつだけ。HFOを雇いたい」
ディロン船長はまじまじとフィン・キーンの顔を見る。それから苦笑いした。
「キーンさん、なぜこんなぼろ船を雇いたいんだ。保護協会の調査船は最新型だろう」
「船や機器類はそうです。しかし、かんじんの人員が、わたしを含めてよそ者です。リルの海についてほとんどわかりません。勘が働かないのです」
ディロン船長は工具を置く。
「アオヨロイオコゼ、トゲヨロイザメ、キンヨロイアンコウ。漁期が始まってすぐにこれだけの種類を獲ってきた船はほかにはありません。調査資料を早くそろえるために相場より高値を付けて独占しましたが、それならそもそもHFOを雇ってしまったほうがいい。そう判断しました」
ゴーグルを通して顔はよく見えるが、この男はいくつくらいだろう。ディロン船長は目をすがめる。二十代なのはまちがいないが、前半なのか後半なのかわからない。目には十代のような幼さを残しているが、口元には三、四十の働き盛りの男のしっかりさがある。
「急な話だな。詳細な情報がほしい」
「もちろんです」
キーンは業務用の笑顔を作り、手を差し出す。ディロン船長は軽く握手をし、相互に身元情報が交換された。
「では、業務内容や契約条件についてはあとから送ります。よろしくお願いします。お時間をありがとう。お話しできてよかった」
キーンは後ろで見ている二人にも手を振って大またで去っていった。
「二十一。若いんだ。もっと年上かと思った」
メガンが転送された身元情報を見てつぶやく。ケントはディロン船長のそばに行った。
「どうするんですか」
「まずはあちらがどう出るかだな」
「漁協を通さなくてもいいんですか」
「所属してはいるが、おれたちの主人じゃない。そこまでの義理はないさ」
ディロン船長はまた工具を持つ。
「さあ、今日中に出港するぞ。細かい点は海の上で決めよう」
すぐに断らなかったのはなぜだろうと、ケントは消耗品の品質確認をしながら考えている。
「よし、あらかた完了。出港するぞ。北だ」
「まだいけるかな」
「いける。ケント、おれを信用しろ。深海で希少種が待ってる」
港を出るとき、遠くの突堤に白い服の男が立っているのをメガンが見つけた。
「フィン・キーンだ。手を振ってる」
ディロン船長とケントは手をあげて答えた。メガンは腕をあげて大きく振っている。HFOは穏やかな海面を北にむかって、徐々に速度を上げて進んでいった。
港が見えなくなり、甲板に残していた作業も終わった。全員船内に入る。
「会議だ。ケントも来い」
気楽な口調だった。ためらうケントの背をメガンが押す。HFOの今後を決定する会議にケントも加えてくれる。いざそうなってみるとためらいがあった。自分にそういう判断をする能力があるのか。
しかし、せまい船内にケントがためらっているだけの広さはない。ケントは平気な顔をしているが、内心は押されるように船長室に入った。
ケントは自分とメガンの分の茶を淹れ、ディロン船長には黒い湯を淹れた。口には出さないが、これをコーヒーと言うのはいまだに信じられない。
「じゃ、はじめようか」
保護協会から届いた契約書類が映し出された。頭脳がその書類の映像に要約を重ねる。
保護協会はHFOを乗組員ごと調査船として雇い、HFOは鎧甲類を主とした海洋生物の採集に当たる。調査のため、この採集活動は禁漁期も行う。契約は漁期、禁漁期をそれぞれ一漁期として、一漁期ごとに更新。報酬は固定と漁獲に対する歩合にわかれる。固定分は少ないが、船の整備費用は保護協会持ち。歩合として、獲った鎧甲類は種類にかかわらず、常に漁港での同種の取引価格の一割増しで買い上げられる。なお、保護協会の指定した種については五割増しとなる。
「ここまでは悪くない」
するどい目をしてメガンが言う。ディロン船長が続きを読む。
「だが、漁獲データや航海日誌を提出しなきゃならん」
「じゃあ、一か、せいぜい二漁期で契約切られるね」
うまい話だと思ったらひっかけがあった。ケントは茶をすすってあきれて言った。
「そこはなんとか交渉できないの?」
「そうだな、メグ」
書類に、契約期間かデータ提出の条件について見直しを要す、とメモをつける。
おや、とケントは思う。契約するかしないかという会議ではなかったのか。する方向で動いているじゃないか。メガンまで条件を詰めようとしている。
「断るんならとっくに断ってる。握手もしない。書類を受け取るってのは、漁師の世界では契約の意志ありって意味だ。学校じゃ習わなかっただろう」
ケントの顔を見てディロン船長は面白そうに言った。メガンも愉快そうに言う。
「ケント、あんたの顔は読みやすいね。特にゴーグルつけてないと声に出してるみたい」
「まあ、ごたごたにこっちから飛び込むわけだが、書類にもある通り調査任務だから禁漁期も活動できる。若い時分以来だ」
丸坊主の頭をなでながらディロン船長は昔を懐かしむ。漁協の前身すら未結成だったころは一年を通して出漁していた。秋の繁殖期には鎧甲類はひどく活発になり、一部の種は狂暴とも言えるほど行動が変わってしまう。それを頭と力で釣り上げる。そして冬。荒れた海での漁。昔は頭脳まかせにできず、自分で機関を操る毎日だった。
「メグやケントみたいな若い者にリルの秋冬を教えてやりたいって、ずっと思ってたんだ」
さらに書類の検討が行われ、HFO側の修正要望をつけて返送された。すると、通信が入ってきた。フィン・キーンが会議に参加したいと言っている。ディロン船長はふたりに目で問いかけ、ふたりはうなずいた。
「よし、つなぐぞ」
キーンが画面に現れた。黒い髪を短く刈り込んでいる。ときどき画像が揺らぐ。
「えらく強い暗号をかけてるな」
ディロン船長が言う。
「すみません。保護協会の規則なんです。乱れてますか? 復号時の取りこぼしでしょう。声はどうです?」
「そっちは大丈夫。じゃ、話をしよう」
「それでは、契約期間についてですが、途中での打ち切りがご不安であれば、調査期間か一漁期のどちらか長いほう、ではどうでしょう」
「つまり、なんらかの理由で今回の調査が早期に終わっても一漁期の間は契約が続くんだな」
「はい。その代わりと言ってはなんですが、漁獲の買い上げについて、こちらの指定した種であった場合を三割増しの価格としたいのです。これは、調査が長期におよんだ場合の固定費の増加や、逆に、シー船長がいまおっしゃったような事態が発生した場合のリスク回避のためです」
「四割五分」
「三割と八分」
「よし」
双方が合意し、この条件について書類が書き換えられた。
「それから、こちらから提供するデータの件だが、漁協を通すときのように詳細についてはぼかしたいのだが」
「それはご容赦いただけないでしょうか。われわれの調査のためには正確なデータが必要です。お約束しますが、保護協会は鎧甲類の市場に進出するつもりはありません。また、これまでもそうでしたが、提供いただいた資料はわれわれが調査目的で用いるものであり、報告書へそのまま転載は致しません」
「しかし、後援社は化学薬品系の商社にメーカーだ。データの二次利用はないと言い切れるのか」
「ご懸念の点は理解します。ただ、後援社はリル政府の資源調査と保護協会の活動に賛同いただけた方々ですので、この調査から利益を上げる意図はお持ちではありません。ですので、二次利用についてはないと申し上げます」
「書類に明記できるか」
キーンは即答せず、一瞬考えた。
「わかりました。書きましょう」
「あなたにも立場はあるだろう。すまないと思うが、そこははっきりさせておかないとな」
ケントはそばで黙って聞きながら、キーンが後援社の担当に説明しているのを想像する。資金提供してくれた会社を疑うような条件を明記するのだから、よほど上手に話さないといけないだろう。でも、この人ならうまくなだめるだろうなと思った。
さらに話が続き、書類が書き換えられていく。メガンとケントも質問し、時間ばかりたつように思われたが、ディロン船長が黒い湯のお代わりを飲んでしまうころには最終版ができあがっていた。
「それでは、書類にもとづき、指定種など業務データを送ります。今後ともよろしくお願いします。シー船長」
「ディロン船長でいい」
「では、わたしはフィンと呼んでください。もちろんおふたりも」
フィンはディロン船長に挨拶し、そばのふたりにも手を振って消えた。契約は五秒後に有効となり、データが流れ込んできた。
ディロン船長とメガンは契約に沿うよう頭脳に指示を出す。漁獲データや航海日誌は保護協会あてにも送信される。その日誌にもとづいて、経費の支払いが行われる。また、ゴーグルを調整し、仕掛けにかかったのが保護協会の指定種だった場合はその旨が表示されるようにした。
三日後、まだ海藻塊が散らずに密集したままの漁場に到着し、前と同じくセンサー投入後、仕掛けをおろした。乱れたデータが表示されるが、メガンもケントも整形しない。
ケントは当たりを待ちながら、地球行きが早まりそうだと考えていた。これからHFOの利益が上がれば給与も増えるだろうし、禁漁期に別の仕事を探さなくてもよくなる。もちろん、このまま雇い続けてくれればだが。そのためにもまじめに働いて成果をあげないといけない。
とは言ってもわからないものはわからない。今度はディロン船長は出てこず、助言もくれない。いま値がはねたのはノイズか、トゲヨロイザメが仕掛けをつついているのか。仕掛けの情報からセンサーの情報を引き算すれば、背景雑音を減らせるんじゃないかと思ってやってみたがそんな単純なものではなかった。
「メガン、わかる?」
「さあね。当たりを感じようとするより、まず海中のようすを想像するんだ。金属成分の濃度のちがう層があるのはわかるだろ。それを手掛かりにする」
メガンに言われた通り、海中の層をデータから描こうとしてみる。二時間ほどあれこれ考えて大ざっぱに整理する。大きく分けて三層。下層ほど濃い。でも層の境は平面ではなく、中層が上下の層に不定形に食い込んで動いているらしい。その食い込んでいる部分にセンサーが触れるとデータがはねるようだ。その想像で動画を作ってメガンに見せてみた。
「そうだね。でもあたしはその中層はあの海藻みたいなたくさんの塊になってるんじゃないかって思うんだ。で、上層と下層の境を漂ってる」
メガンはケントの想像図を修正した。そう言われてみるとそのほうが本当らしい。
「じゃあ、海中で中層がヨロイダコみたいに漂いながら触手を上下に伸ばしてる?」
「うん、そんな感じ。それがぴったりくる」
昼が過ぎ、海藻塊の海面上に出た部分は強い日差しで乾いてきている。ケントは中層の動きがわかったような、わからないようなあいまいな気持ちだった。その時、前の漁のディロン船長を思い出した。鼻歌だ。上層と下層の間をすべる中層を思い描き、触手を伸ばすようすを想像しながら、ゴーグルを流れるデータに合わせてごく小さく歌う。
「なにやってんだい?」
メガンが気づく。
「ディロン船長のまね。ノイズデータで鼻歌」
笑いだしたが、そのすぐ後、メガンも歌いだした。
数十分後、メガンがピンを飛ばしてきて、一本の竿に印をつけた。その仕掛けからのデータのみ、ノイズの入るパターンが鼻歌に合わない。
「あたしが上げるよ」
次にそのパターンが大きくなった時、メガンが合わせた。それが上層まで上がってきたとき、アオヨロイオコゼと判定された。けっこう大きい。保護協会の指定種の印もつく。
気をつけながら冷凍庫に投入した後、ふたりとも微笑んでいた。
それから場所移動したが、その日はそれきりだった。でも、ケントは満足していたし、メガンもそうだった。
後で船内にもどってからわかったのだが、メガンが釣り上げた時、船長はほんとうに居眠りしていた。保護協会との契約の詳細部分を確認したあと、ふたりの仕事ぶりを見ながら機器を遠隔調整していたが、漁協からの連絡を読んでいるうちに眠ってしまったと言っていた。夕食時、アオヨロイオコゼ一匹と聞いて不満そうだったが、その割に二人が落ち込んでいないのを見て思うところがあったのか、あまり叱責されなかった。
食事と明日の相談の後、ケントはベッドに飛び込む前のメガンをつかまえた。
「船長、大丈夫?」
「大丈夫って、なにが?」
「居眠りなんて、らしくない」
メガンはケントのほうへ向き直る。
「たしかにな。でも、歳だから」
ベッドの自分の領分でひとりになって寝転がっても、ケントは今日のディロン船長について考えていた。若い者にリルの秋冬を教えてやりたいと言っていた。また、HFOには借金が残っている。それが、保護協会と急な契約をした理由だろうか。そのせいで、ケントの見えないところで漁協とやりあっているのかもしれない。居眠りしたのは心労が響いたからか。いや、ちょっと考えすぎか。メガンの言うとおり、歳なだけか。
ケントは考えを漁協のほうへさまよわせる。HFOと保護協会の契約は漁協にはなんの得にもならない。これから漁獲はすべて直接保護協会に行くから、漁協には取引手数料は入らなくなる。施設使用料のみだ。ただし、港湾施設には政府の整備資金が入ったから、そこはそうそう値上げできない。
ケントはあっと起き上がり、マットレスをめくって頭脳端末を取り出し、起動する。最近の報道からリル政府の漁業施策に関するものを検索する。港湾整備、測位衛星の予備機打ち上げ、そして資源調査。すべて政府から資金が出ているか、政府と星間企業合同で進められている。それについての論説まであった。漁協派と政府派の意見を並立させて報道している。
世の中の動きを知らないのは自分ばかりだったわけか。ケントは頭脳端末を片づけて毛布をかぶった。なにも知らない者には悩みもない。気楽な奴だ、と自分に言う。
いつのまにか寝てしまったが、体がそうなってしまったのか、いつもの起床時間に目が覚める。
朝の挨拶をし、支度を終えて甲板に出ると、海のようすが変わっていた。海藻塊がまばらにしかない。どこかへ散ってしまっていた。
「すっきりしたのはいいけど、まだ獲物いるかな」
ケントがそう言うと、船内のディロン船長からとにかくセンサーを投入してみろと指示が来た。メガンもうなずいているのですぐに十本放り込む。
昨日にくらべればましなデータが流れてくるが、三層あるようには見えない。
「真ん中のヨロイダコ層が消えた」
ケントが言い、メガンも同意する。
「はっきり二層だ。じいさん、どうする? 仕掛けおろす? 移動?」
「船長だ。メグ。いいかげん仕事中は船長と言え。おれも出るから待て」
なぜ出てくるのかケントにはわからない。データを船内で見るのと甲板で見るのはどう違うのか。でも、実際の漁ではディロン船長にはかなわないのだから、そうするのが正しいのだろう
朝から日差しが強いが、ディロン船長の蛍光ピンクも負けてはいない。腕を腰に当ててまわりを見回している。そのうちに鼻歌が出たのでケントは耳を澄ませて聞き、ゴーグルのデータと重ねて心の中で一緒に歌ってみた。
「ここで釣ろう。極深海用の仕掛けを一本だ」
約十分後、そう言って船のへりに腰をもたれさせる。目はまだ海面を見ている。メガンとケントは極深海用の竿を準備するが、それは、竿と言っても漁協の定めた規格に合わせてあるというだけで、実態は小型クレーンだ。海底までほとんどたるみなしに仕掛けを送り届け、その後もからまないように状態を維持し続ける。引き上げも早く、体液の成分が変化する時間を与えない。
「なにが上がりそう?」
「たぶん、ユウレイねらい。そうだろ? じいさん」
「船長だ」
それ以上なにも言わず、にやにや笑ってうなずいている。
ケントは極深海用の竿を据え付け、仕掛けが送られていくのを見ながら検索した。ヨロイユウレイイソメは海底の砂の中に生息する平均二メートルほどの細長く多数の足のような剛毛がある鎧甲類で、体液は抗老化剤の原料になる。ただし、体が破損しやすく、いったん傷をつけてしまうとそこから体液の変化が始まって原料としては使えなくなる。体色が白から紫に変わったら価値はない。飼育には成功していないので、紫がどのくらいの時間で、また、どのような作用で白にもどるかはわかっていない。生態が謎だらけの鎧甲類だ。
捕獲事例としては、海底を根こそぎさらう網に三十センチもない幼体が入ってくる例がときどきあるが、網で捕まるとほかの鎧甲類と混ざって引きずられているうちに傷つき、すべて紫の無価値品になる。竿なら傷をつけずに上げられるので価値は高いが、まれにしか捕獲されていない。まして成体は数えるほどしか記録されていない。
その検索結果にある画像を見てケントはふきだす。竿を使って成体をあげた事例に載っている漁師は十歳ほど若いディロン船長だった。子供用ゴーグルをつけて船長の足のうしろからこちらを見ているのはメガンだろうか。
「ひとりでなに笑ってんの」
そう言うメガンと、ついでにディロン船長にも画像を転送する。
「こら、昔の画像引っぱりだして遊んでんじゃない。でも懐かしい」
「本当だ。これはもっと北だったな」
ディロン船長は二人にその時の漁獲データを転送した。ここよりは条件が良かったようだ、いま使っている竿ではなく、ただの竿と深海用の仕掛けで上げている。
仕掛けが海底に到達した。データが流れてくる。海面から上層の状態がよくなっても、下層の高濃度の金属のさらに下、海底付近のようすはわかりにくい。深度データを信用するならば、仕掛けは砂に埋もれてしまっているはずだが、それほど誤差が出ている。
深度以外の表示を見ながらケントが指示を出す。仕掛けがひれを展開し、ヨロイユウレイイソメの獲物のパターンで海底すれすれを泳ぎ回る。仕掛けが自力で動き始めると、深度が修正されて正しくなった。海底から二、三センチ上を小さい円を描きながら大きい円を作るように遊泳している。ヨロイユウレイイソメがかかるまで、すこしずつ大きい円の中心をずらせながら待ち続ける。
昼が過ぎ、ケントが濾過マスクを調節しながら水をすすっていると、ディロン船長の鼻歌が始まった。データを見なおしてみる。
表示されるデータに大きな変化はないように思える。だが、小円の中心が描く軌道が、想定される大円の円周からわずかにずれている。誤差のようにも見えるが、まるでつつかれているようだと思い、はっと緊張する。
「こいつはおれが合わせる。見てろ」
ディロン船長は竿を手動制御モードに切り替え、操作部を直接握り、レバーに親指を置いた。ケントは流れるデータ越しにじっと見る。メガンもそうしている。
親指がちょんと押すようにわずかに動いた。続いて巻き上げが始まる。細かく操作している。
「冷凍庫開け。すぐ放り込む。邪魔にならないようしゃがんどけ」
ふたりは身を低くする。実際には数十秒だが、数時間もたった気がして白いヨロイユウレイイソメが引き上げられた。大げさでなく三メートルはある。それが頭上を通り過ぎていき、冷凍庫に入れられた。
冷凍庫が閉まると、三人ともほうっと息をつき、それから笑い出した。
「あれがヨロイユウレイイソメなんだ」
「白!、三メートル! あんなの初めて!」
「こいつは指定種じゃないのか? 表示なかったぞ」
ディロン船長はすぐ冷静になった。後で連絡が入った時についでに聞いたのだが、指定種になっていなかったのは保護協会の手落ちで、まさか獲れるとは思っていなかったのでリストに入れていなかったとフィンが謝った。それからすぐに訂正版リストが送信されてきた。
ひとしきり喜び合い、三人とも落ち着きを取りもどした後、ケントが仕掛けの付着物を取っていると、目の隅に光るものを感じた。そちらを向くと、波にもまれたのか、海藻塊がひっくり返り、空になったヨロイエイの卵鞘が光を受けて輝いていた。動くたびに光を散らかしている。
植物園の特別展示で見た地球産の花があんな感じだったな、と母に連れて行ってもらった思い出がよみがえってきた。香りが記憶に残っていた。ケントはとても感激して嬉しかったのだが、姉がケント以上に興奮してはしゃいだのでかえって冷静になってしまったっけ、と思い返す。
ヨロイユウレイイソメは密集しない。HFOは移動したが、その日はほかの深海希少種も釣れなかった。しかし、ケントはデータを何回も繰り返し再生し、海中の状態を想像する手掛かりを得ようとしていた。ディロン船長はなぜ甲板に出たのか、竿を手動制御にしたのはなぜか。意味のない行動に思われる一つ一つが驚嘆する漁獲に結びついている。まぐれではない。以前にも釣っている。
だが、ディロン船長の行動の理由について仮説すら立てられずにその日は暮れた。バーとペーストとスープの夕食を済ませ、ケントが後片付けを終えた瞬間、見ていたかのようにフィンから連絡が入った。
そちらに向かっている。われわれはヨロイユウレイイソメの捕獲を重要視している。直接会って話したい。こちらの船で五日後に夕食はどうか。
そう礼儀正しく誘ってきた。ディロン船長はふたりを見る。メガンはうなずいた。
「招待ありがとう。五日後に会いましょう」
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