永遠の海
@ns_ky_20151225
一 出漁
惑星リルの春は、漁期の始まりとともに明ける。
今年の漁期が始まるまで標準時間であと三十秒。ケント・アーマーのゴーグル内のモニターには、測位衛星から送られる時刻データにもとづいたカウントダウンが表示されている。濾過マスクは正常に動作し、呼吸には問題ないが、全身を覆う緑と青の防水作業服はぴったりしすぎていて居心地が悪い。船長に言わせれば、そのくらいがちょうどいいのだそうだが。
ケントは小型漁船、『ハッピー・フィッシング・オーシャン(HFO)』の上甲板の船首側で夜明けの海を見ている。乗組員はケントもいれて三人。これで社員全員だ。よぶんな人間がいても利益を食うだけ、と社長兼船長のディロン・シーは言うが、ぎりぎりの人数なのは素人にもわかる。その船長は船長室から出てこない。いまさら出漁など見るまでもないらしい。
「居眠りでもしてんじゃない」
そう冗談を言うメガンは船長の孫娘。となりに立っている。作業服は赤と青。ゴーグルと濾過マスクもおなじ色でそろえられている。そういった装具類は標準型をそのまま使っているケントとは異なり、自分用に調整し、固定バンドなどもいじって付け心地をよくしていた。
あたりを見回すと、リル漁港にはHFOとおなじくらいの小型漁船から、星間企業の大型漁船まで五十隻以上が浮かび、すべてがゼロ時を待っている。船の間の海水は灰色に濁っている。春の洪水で泥がかなり流れ込んだからだ。
これからほぼ半年の漁期でどれだけ利益を上げられるだろうか。給与は利益の配分という形で支払われるが、ケントの読みでは、最低でも陸の工場で仕事をするよりは稼げるはずだ。その最低の給与なら三年。うまくいけばもっと早く目標達成できるだろう。そうすれば地球で勉強できる。農学を学び、卒業したら食糧の増産にその成果を役立てる。みんなが安くてちゃんと味のある天然ものを腹いっぱい食べられる世の中を作りたい。
あと十秒でその第一歩だ。HFOの機関が作動する。周囲の漁船も船体まわりの海水を揺らしている。ゴーグルの情報では、いまのところ機関出力値は安定している。
ゼロ時。HFOの頭脳が予定通り船を動かす。機関全開。思ったより揺れる。スタビライザーがうまく働いていない。周囲の漁船は外海に近い順に次々に港を出ていく。禁漁期の間に収集した情報を分析して思い思いの漁場にむかう。今年は南の海が人気だ。秋から冬の海流の変化で海底の泥が大量に巻き上げられ、冬から春にかけての晴天続きで海洋微生物が爆発的に増加している。HFOも南を目指す。
「いまから緊張してんじゃないよ。出港したばかりだ」
メガンが肩をたたいてくる。ケントは体中に力を入れていたと気づいた。
「それじゃ、しばらく機関のお守りをしててくれ。電池見てくるから」
「不安定なの?」
ゴーグルに表示される機関出力値の情報を見ながら言う。
「うん、いまは大丈夫だけど、やっぱりあの二個がやばいかもしれない。じいさんとも相談するけど、八個運用でいくかもな。覚悟しといてくれ」
メガンは船尾のほうへ行った。HFOの動力源は、すべて船体表面に貼り付けられた太陽電池でまかなわれる。その電池の面積をかせぐためと、構造的な強さを保つためにHFOには窓はない。作られた電気は十個あるバッテリーに蓄えられるが、出港したばかりなのに満足に動かなそうなのが二個もある。船の運航や機器の動作に使う分は削れないから、不足分はどうしても乗組員がかぶらなければならない。温かい食べ物飲み物は我慢しないと。
港を出てしばらくすると、船と船との距離が開きはじめた。HFOは置いていかれる側だ。さすがに速いのは最新型の推進装置を備えた大企業の漁船で、大型なのに見る間に小さくなっていく。ケントもあんな船に雇われたかったが、基礎学習を修了しただけの経験なしの十五歳を乗り組ませてくれる星間企業はない。それどころか、地元企業もすべてはねられ、残ったのが個人経営の漁船。それもあちらこちら断られ、最後にやっとHFOが雇ってくれた。じいさんとその孫娘ふたりきりの経営で、社長兼船長のディロンによれば、技術なんかよりも生きのいい若いのがほしかったんだと言う。
メガンにピンを打つ。そばにいない者の注意を引きたいときの電子的咳払い。
「機関不安定。正常域だけど振動をはじめた。念のため報告」
「了解。引き続き監視をたのむ」
HFOには安定という言葉は存在しない。雇われてから出漁まで標準時で二週間しかなかったが、その間の研修でそれはじゅうぶんにわかった。船を構成する部品には新品はいっさいない。すべて中古品で、ひどいものになるとジャンク品を複数寄せ集めてひとつにしているものもある。仕様書通りに動くよう期待してもしかたないので、くせを早くつかまないといけない。機関出力値の振動はあまり良くない兆候だった。
ディロン船長のピンが飛んできた。三人会話になる。
「機関出力五十パーセント」
痰のからんだような苦し気な声だが、ディロン船長はこれが調子のいい声だ。
「出港したばかりだよ。じいさん」
「船長と言え、メグ。この振動はまずい。なだめながら動かし続けよう。それからケント、いまのうちに練習しとけ。水処理代くらい稼げ」
メガンもケントも了解と返し、HFOはさらに速度を落とす。ケントは漁具の準備をする。
船首と左舷、右舷に竿を三本ならべ、それぞれと無線接続すると、ゴーグルに情報が流れる。海水温、金属成分の濃度、仕掛けの深さ、仕掛け周囲の海水の動き。網や延縄は今期の漁から禁止された。惑星リルの政府によると資源保護のためだが、なぜか、一部星間企業には特別に許可されている。リル漁業協同組合は抗議しているが、出漁日までに撤回させるには至らなかった。
「なあに、竿のほうが魚を傷つけないから高値で売れるし、たまげるような希少種や大物は竿であがるもんだ」
出港前、ディロン船長はそう強がりを言ったが、網や延縄で量を獲れないのは利益の確保という点からは痛い。メガンは希少種や大物をねらうより大量の小物で着実に稼ぎたいと言っていた。他社はだいたいそうしている。
さっそく右舷の竿に反応あり。中ぐらいの大きさのヨロイダコが仕掛けに触っている。現在の価格と今後予想される価格が表示され、HFOの頭脳は釣り上げるよう勧めている。
ケントはその仕掛けをヨロイダコの餌のパターンで動かして興味を引き、触手が触れたところで合わせた。そいつは金属分の多い墨を吐き、情報が一時攪乱されるが、そのまま引き上げて船の冷凍庫に放り込む。ヨロイダコは体内の成分を変化させる暇もなく一瞬で凍らされた。
同時に、漁獲情報には測位衛星からの改変不可能な位置情報と時刻が打刻され、航海日誌とともに、取引時に獲物の正当性を証明する。ただし、漁協が間に入るので、買い手には詳細な情報は伝わらない。陸の漁協の頭脳には、このヨロイダコの情報を含め、漁期には小規模な宇宙港に相当する量の情報が流れ込んでくる。漁協は、およそ二十年前の設立以来、すべての漁獲の正当性を一匹のもれなく正確に証明している実績を誇りとしていた。
ただ、漁期にあげられる膨大な漁獲は食料に回されるのではない。ほかの惑星とちがい、惑星リルの天然の海洋生物は食用にはならない。水に金属成分が多すぎ、生物にはその成分が濃縮されていて、肉の有毒成分を抜いていては経済的に引き合わない。しかし、大半の海洋生物の体液には精製すると薬になったり、精密機器製造になくてはならない化学薬品の原料になったりする成分が含まれている。これらは合成できていないか、合成に費用と手間がかかりすぎるものばかりだ。そこに惑星の九割以上を占めるリルの海に生息する生物の価値がある。
これらの海洋生物は『鎧甲類(がいこうるい)』と総称される。水中で活動するよう進化したため、おおまかな姿かたちは地球の同様な生活をする魚介類に似ているが、金属成分で外皮が著しく硬化している。いまだに詳細な生態は分かっておらず、商業規模で人工的な繁殖に成功した種はない。
その鎧甲類を捕獲して処理するため、惑星リルには漁業を中心とした産業が発達した。水は処理が必要なほど有害で、大気も保護具なしで長期間さらされると良くない影響があるにもかかわらず、それ以外は地球とほぼ同じ環境だったのも幸いして大勢の移民が流入した。食料は大部分を輸入にたより、屋外ではゴーグルと濾過マスクをつけなければならないとはいえ、鎧甲類によってリル三十万の人々の生活が成り立っている。
右舷の仕掛けを再投入すると、左舷の竿に反応があったが、小型のヨロイイワシだった。一応予想価格を見て無視する。HFOの頭脳も同意見だ。
それから反応がさっぱりになった。水中からのデータには変化がなく飽きてくる。しかし、ディロン船長は、監視の頭脳まかせを許してくれない。その場にいて、自分の目で見て勘を養わないとだめだと言うが、『勘』というのがなんなのかケントにはわからない。メガンに聞くと、自分もまだわからないが、最近、じいさんの言う勘みたいな感覚を理解できそうになっていると答えた。
「HFOの頭脳よりも早く正確にまわりのようすをつかめる。その一瞬、自分が周囲の世界の一部になったような、欠けたところが埋まったような感じになって、その後のすべてが自分の思ったように進行する。そういう瞬間的な感覚だね」
ぽかんと口を開けているケントを、メガンは笑いながら小突いた。たった二つ年上なだけなのに、その時のメガンはやけに大人に見えた。
研修期間はたった二週間とはいえ、ディロン船長の方針で、出漁まで陸のHFOの社屋兼住宅で家族のようにずっと一緒に暮らしたので、ふたりとは遠い親戚のようになった。メガンは両親を早くに亡くし、物心ついたころからディロン船長と海に出ていた。基礎学習は海上での通信教育と、禁漁期に陸で通学して修了していた。それ以上の高等教育を受けるつもりはないと言う。
「ずっと、リルの海で漁師をするさ」
一方、ディロン船長は七十を過ぎようとしている。本人にやる気があっても体力がついていかない。海上でも甲板にはあまり出てこない。
「それで、生きのいいのを雇おうかって決めたのさ。技術はおれがどうにかしてやる。おまえは言われたとおり体を動かせ」
がらがらとした聞き取りにくい声でにやりと笑う。その顔は、ゴーグルと濾過マスクの形だけ抜けて日焼けしている。作業服は蛍光ピンクと青。とにかく目立つ。スタビライザーが旧型のうえ、あまり効かないHFOで長く過ごしたので陸でも船乗り独特の歩き方が治らない。メガンも同様で、陸ではふつうの歩き方をしようとしているが、気を抜くとそういう歩き方になっている。本人は気にしているようで指摘すると怒り出す。
「怒んなくてもいいじゃない。漁港じゃそうやって歩いてる人多いよ。最新型つけてる船なんかそうそうないし」
「うっさいねえ、ガキはだまってな」
そういってまっすぐな歩き方に直す。ほかに変なくせと言えば、陸で部品調達に出歩いているとき、店の窓など、全身が写るところで自分を見ていたりする。ディロン船長はそういうメガンを見てにやにや笑ったり、時にはなぜかさびしそうにしていたりする。
「よし、今日は終わりにしよう。メガン、機械いじりは明日でいい。HFOも頑張ってるが、おれ同様どうにもならんのさ。ケント、竿をしまえ。明日もヨロイダコ一匹だったら処理前の海水を飲ませるぞ」
資源保護のため、漁ができるのは日の出から日没までだ。測位衛星からの時刻データがあるのでごまかしはできない。ご丁寧に、最近予備機まで打ち上げられた。
海の日没は落ちるように早い。竿をあげ、海水で付着物などを流して片づける頃には手元がわかりにくくなっていた。
船尾から回ってきたメガンと一緒に出入口兼収納兼作業場兼トイレ区画に入り、ゴーグル、濾過マスク、作業服を脱いで下着姿になる。しめつけられていたところをぼりぼりかきながら、装備を専用の洗浄剤で拭ってロッカーに入れ、充電器につなぐ。この区画と続く生活区画は陽圧にされており、外気が入らないようになっている。また、ここはせまいが、ほかになにも置かれていないので、ロッカーを閉じてしまえばちょっとした機械いじりができるくらいの広さはある。隅には仕切られたトイレがあり、作業服の小便袋にたまった尿を空けたり、消化吸収のよすぎる合成食品のせいで二、三日に一度しか出ない大便をしたりする。排泄物は水分を抜かれ、帰港した時に回収してもらう。排泄物だけではなく、廃棄物を海洋投棄するのは重い罪に問われる。
この区画でとまどうのはメガンのふるまいだ。研修中からそうだったが、いまでもこれだけはどうしても慣れない。装備を片づけた後、ケントもいるのに平気で裸になり、バイオジェルを体中に塗り込む。これを塗ると、皮膚表面で共生微生物が繁殖し、老廃物を分解して清潔を保ってくれる。電力に余裕のある大型漁船でもないかぎり、海に出ている間は真水が貴重なのでジェルを使うが、ケントはメガンが塗りだすのを初めて見た時は驚いたものだった。
ただ、ケントは自分がびっくりしていると悟られるのはなんとなくくやしい気がするので、平気なふりをして背中を向け、おなじように裸になって塗る。それでもメガンが室内着を着終わる気配を感じないかぎり、そっちを見る度胸はない。
室内着は二人ともおなじもので、生成りのあっさりとした長そでシャツとパンツ。それにサンダル履きで生活区画に入る。
『生活』区画と言うが、壁に寄せて二段ベッドがあるきりだ。上がメガン、下がケント。上下それぞれに遮音カーテンが引けるようになっている。自分の領分は標準単位で幅一メートル、長さ二メートルほど、高さはあぐらを組んで頭が当たらないくらい。自己殺菌マットレスの足側をめくると私物の収納箱になっているが、個人用の頭脳端末くらいしか入れようがない。この空間のみがプライベートな区画になる。暗黙の了解で、ここだけはおたがい尊重しあっている。
ベッドの横の幅五十センチほどの通路の奥が船長室兼会議室兼食堂区画で、個室になっており、ディロン船長のベッドや収納がある。三人でひざを突き合わせるようにして座るテーブルもある。食料品や飲料水はここの食品合成機から出てくるものを飲み食いする。
「おつかれさん。今日は初日だし、あったかい飯と汁だ。電気はおごろう」
ディロン船長は丸坊主の頭をぼりぼりかきながら、食品合成機から湯気を立てるバーをトングで取り出している。メガンがスープの用意をし、ケントは魚風味のペーストを混ぜた。
皿をならべるふたりを見ながら、ディロン船長は「姉弟みたいだ」と言う。ケントは内心、ちょっと気に入らない。
「初日の感想は?」
メガンがバーにペーストを塗りながらケントに聞いてくる。短く刈り整えられた灰色の髪のジェルはまだつやを残している。ケントの丸坊主の頭はとうにさらさらになっていた。
「ヨロイダコ一匹」
スープを飲むと、温かさが体の凝りをほぐし、ケントは、自分が思っている以上に体を使っていたとわかった。
ディロン船長は鼻を鳴らす。
「ふん、おれは十で海に出たが、それでもヨロイアジを冷凍庫に半分は獲ったもんだ」
「また始まった。それは誘引機と目の細かい網が許可されてた時代の話でしょ」
「竿でも大したもんだったさ。ヨロイダコなら人間なみの成体を釣り上げたもんさ」
「そんな大きいのがいるの?」
「いたさ。それに、おれがおまえくらいだったころは海水より魚のほうが多かった」
メガンがあきれたように横を向く。魚の数の話題になったので、ケントは疑問を確かめようと思った。
「じゃあ、魚は減ったんだ。政府の言うほうが正しいんじゃない?」
「そうとばかりも言えん。こんな急に網や延縄を禁止するほど減ったかはあやしい。漁協の言い分ももっともだ」
「そうよ。星間企業、しかも政府にたっぷり寄付してる会社だけ許可されてるし」
「報道じゃ、その寄付のおかげで港の整備工事が予定より早く終わったって言ってたよ」
「それはそれ。別の話さ。おまえだって網が使えたら目標金額に早く届くぞ」
ケントはバーをほおばる。中が熱い。ディロン船長とメガンはその顔を見て笑う。メガンはその機会をとらえて話題を変える。
「落ち着いて食べな。なくなりゃしないよ。で、姉さんには連絡した?」
ケントは目をそらせる。
「約束だよ。身元引受と緊急連絡先になって保証してもらってるんだから、出漁は知らせなって言ったろ?」
「まだなのか。それはいかんな。たったひとりの身内だろ。こまめに連絡しなさい」
ケントの父は物心つく前に亡くなり、母がひとりで三つ上の姉ユキエとともにケントを育ててきたが、その母も昨年暮れに伝染病がもとで亡くなった。姉はすでに家を出て婚約者と暮らしている。その相手の同意を得られたので、ケントが高等教育を受けるまでは同居する意志を見せていたが、断って住み込みの仕事を選んだ。
母の葬式を済ませ、父とおなじ墓に葬った後、家は家具付きの借家だったのでこまごましたものは売り払って出、小さな仏壇と形見を姉に預けている。そのあたりの事情はもう話してあるし、姉にはHFOに就職するときの保証人になってもらった。
ふたりに話していないのは、なぜ同居を断ったかだ。姉は口ではうちに来いと言っているが、それは体面上であって、本当は疎んじられていると察せられたからだった。
リル市で一家をかまえようとしている姉は、十五にもなる弟、しかも高等教育を受けたがっている弟まで加わるのは迷惑に思っているだろう。葬式の時や、その後姉の家で何回もした相談の時の態度はそう感じられた。
だから、自分だけで生きていこうと決心した。縁を切るのではないし、今回のように保証人になってもらうくらいの面倒はかけるだろうが、それ以上の荷は背負わせたくない。これからは漁期はHFO、禁漁期はどこか住み込みの整備工場などで働き、資金がたまったら地球で勉強する。そういう計画を立てていた。
出漁くらいは知らせなければいけないというのはもっともな話だが、姉に連絡するのはどうもためらわれる。それで先延ばしにしていたのだった。
「わかった。寝る前に連絡しとく」
「それがいい」
スープを音を立ててすするディロン船長の目は、本当かな、と疑っている。
「じいさん、行儀悪い。また音立てて」
「すまん。くせでな。すすってさますんだ」
食事が終わり、食器を洗浄機にかけて片付けるのはケントがやった。水をほとんど使わない。これの人間版ができたらいいのに、といつも思う。衛生面ではジェルに文句はないが、湯の後のさっぱりした感覚に代用品はない。
「明日、どうする?」
メガンとディロン船長が海図を見ながら相談している。
「機関が安定してたら明日朝には漁場に着いていたんだが、これじゃ昼過ぎだな。その後の予定も全部それからだ」
「じゃあ、到着してからデータ取りして、漁の開始ね」
「ああ、それでいい」
「ケント、聞いた? 明日は朝からセンサーの準備、それから漁開始」
「了解。ヨロイダコの群れがいるといいね」
みんな笑う。ディロン船長のがらがら声の笑いはとくに大きかった。
「よし、じゃあ、明日からがんばろう」
それを合図に、メガンとケントは生活区画にもどってそれぞれのベッドに入った。ディロン船長は頭脳に夜間の指示をだしたり、漁協からの連絡を確認したりしている。ときどきトイレに行っている気配はするが、ケントはいちいち気にしてはいなかった。
自分のベッド区画で遮音カーテンを引いてあぐらをかく。ふうと息を吐くが、いつまでも先延ばしにはできないのでマットレスをめくって自分の頭脳端末を取り出す。学校で使っていたもので、角は剥げて傷だらけだ。
起動するとこちらの顔を探す一瞬の間の後、目に直接画面が投影される。姉へは文字連絡をするので音は絞った。膝の上で手を小刻みに動かして文章作成を始める。
通信文には、挨拶で始まり、元気でいる、いま出漁していて海の上、ヨロイダコを釣った、食事はまあまあ、最後にあらためて保証人になってくれた礼を書いた。
書き終わってからもう一度読み直し、子供のようになれなれしすぎると思うところを直した。それから送信。
まだ寝るには早い。漁協のガイドブックを呼びだして漁の勉強をする。明日のデータ取りはなにをするのか。なんのためにするのか予習しておく。
だが、しばらく解説を読んでいるうちにあくびが出てきた。港内での研修とはちがい、外海というのは自分が思う以上に疲れるもののようだ。あきらめて頭脳端末を片づけ、毛布をかぶって寝る。夢のなかでも機関のうなりと空調の低い音がずっと聞こえていた。
翌朝、日の出すこし前に朝食。洗面はジェルを口に含むだけだ。なじむまで舌がもごもごする。
「センサーテスト開始」
メガンの監督下でセンサーのチェックを始める。作業区画には人の前腕ほどの円筒が十本転がっている。全部に試験用のデータを食わせて入出力を試す。
「三号、六号に遅延」
メガンに試験結果を送る。渋い顔をしている。
「まずいかな。部品交換します?」
「うん、頼む」
部品を交換してもう一度試験。
「よし、これでいい」
次は甲板に出てセンサーを海に放り込んで実地試験を行う。センサーが船の周囲に均等に拡がるよう注意して投げ込んでいく。
昨日仕掛けから得られたのとはまるでちがう精細なデータが流れてくる。HFOの頭脳も処理に遅れを見せるようになった。
「おかしいなあ。前はこのくらいの情報は遅延なしにさばいてたのに」
メガンが不審そうに言う。ゴーグルの情報を見ながら、センサーの出力をいじって値の桁数や、情報の取得間隔を調整しているようだ。
「引き上げてリセットしよう。やり直し。なんでなんだろう」
センサーを回収、リセット操作後再投入。一本ずつはたいした重さではないが、十本をなんども回収、再投入していると腕が痛くなってくる。
それでも、昼前には満足いくようになったのか、センサーの引き上げを指示された。こんどは漁場に着くまで再投入はせず、甲板にならべておく。濡れた筐体が強い日差しを受けて輝いている。
「連絡した?」
「したよ」
前方にほかの漁船が見えてきた。すでに竿をならべている。見ているうちに次々に引き上げている。
「ヨロイサバばっかりだね。ヨロイダコはいないっぽいよ」
「じゃあ、ヨロイイカを探そう」
ディロン船長のピンが入り、作業開始。ゴーグルに表示される合図でセンサーを投入する。その情報にもとづいてHFOの頭脳が機関を操作し、現在の位置にとどまり続ける。錨の類はなぜか鎧甲類を散らしてしまう傾向があるので漁船はあまり使わない。
ゴーグルにはすぐにHFOを中心とした海のようすを立体的に表わした図が表示された。初めは粗いが、情報が蓄積され処理されるにしたがって見ている間に精細になっていく。ケントは船のへりに寄り、立体図と実際の海面を重ねてみた。この海面の下にはこんな景色が広がっているのだ。薄い雲のような微生物の集団とヨロイサバの群れが注意を引く。
「いいところはみんなとられちゃった」
メガンがぼやく。たしかに群れはほとんどすべてほかの漁船の領域にされている。
「しかたない。周辺で釣ろう。それとケントは深いところもねらってみろ」
「じいさん、この状況で深海になにがいるんだい」
「船長だ。メグ。まあおれの言うとおりにしてみろ。だめでもケントに深海用の仕掛けを経験させてやれる」
竿を六本ならべたが、うち一本はディロン船長の指示通り深海をねらう仕掛けにする。ケントは仕掛けを観察して投入した。
ゴーグルに六本分の竿のデータが流れるが、その一本だけ印をつけてほかと区別をつける。これが船長の勘という奴だろうか。
印をつけた竿以外が反応を始める。ヨロイサバなら合わせて釣り上げるが、ヨロイイワシは無視した。ほかの船ほど活発ではないが、それでも反応にほぼ切れ目はない。こうなると休みっぱなしの深海用の竿がもったいない。
メガンに目配せしてその竿を指さすが、肩をすくめてそのままにしておけという合図が返ってきた。ほかの竿に反応があるだけにみすみす儲けを取り逃がしているのがくやしいが、経験豊富なディロン船長もメガンも変えようとはしないのでケントがどうこう言えない。
いや、もう一度言おう、長い間無反応が続いてそう思った瞬間、その竿から反応が流れてきた。
「おまえがあげてみな」
ヨロイオコゼだ。予想価格はヨロイサバの五割増し。たしかに高価だが待ったほどではない。待っている間にヨロイサバが五、六匹はあげられただろう。
だから、ケントはあまり興奮もしないでHFOの頭脳の指示に従って合わせ、引き上げた。ところが、海面近くになって名称が変わった。アオヨロイオコゼ。似てはいるが価格はヨロイオコゼの十倍はする値打ちものだった。
大喜びで冷凍庫に入れようとした時、竿の操作を誤って庫内ではなく甲板に落としてしまった。もたもたして体液の成分が変化すると価値がなくなってしまう。
とっさにつかんで放り込もうとするケントと、メガンが大声で止めようとしたのは同時だった。
ケントの手に棒でたたかれたような衝撃が走り、アオヨロイオコゼはまた甲板に落ちる。メガンは竿で冷凍庫に落とす。うずくまるケントの手をつかむと腰の道具箱からピンセットを出して刺さったとげを抜き、毒液を絞り出す。
衝撃は、腕全体を焼かれるような痛みに変わり、ケントは悲鳴をあげた。
「叫べるなら大丈夫。毒はほとんど絞りだした」
メガンはケントを抱えるようにして船内に入る。ディロン船長もやってきて傷口や腕の腫れ具合を診た。
「心配ない。救急艇は不要。処置が速かったから腫れと痛みだけだ。今日中に引く。だが、メグ。おまえなにをしていた」
ケントは痛みにうめきながらベッドに寝かされ、傷口の消毒と、痛み止めを与えられた。
その日の夕食はみんなほとんど話さなかった。なにか話そうとしても、ディロン船長は鼻を鳴らしてにらむ。
「後だ。まず食え」
激しい痛みは消えたが、まだうずいているケントだけでなく、メガンもディロン船長も青い顔をしている。食べ終わってから、ケントがまず口を開いた。
「すみませんでした。軽率でした。迷惑をかけました」
「いや、アオヨロイオコゼってわかった時点であたしがちゃんと見ているべきだった。ごめんなさい」
ディロン船長がふたりの顔を順に見てから、苦い顔で言った。
「ふたりに謝罪する。一番の間抜けはおれだ。ちゃんと説明しなきゃならん。これを見てくれ」
それはケントとメガンのゴーグル情報表示をならべた映像だった。
当初はヨロイオコゼと判定されたが、海面近くでアオヨロイオコゼと再判定されている。にもかかわらず、ケントのゴーグルにのみ警告表示がなかった。
「これ、どういう?」
「だから、間抜けはおれなんだ」
本来であれば危険な生物には警告表示があり、取り扱い方法が頭脳から指示されるのだが、ディロン船長は定期的な頭脳の更新を怠っていた。というより意図的にしていなかった。それは、様々な中古部品を調整して使っているHFOでは頭脳の更新によって古い機器や部品との通信がうまくいかなくなり、動作しなくなる可能性があるからだった。だから、更新は動作確認を取ってから一部分ずつ慎重に行っていた。今度の漁でも、陸で完全に調整できなかった分は海上で行う予定だった。
しかし、最新の更新には標準型ゴーグルとの通信にかかわる修正が含まれており、ディロン船長のつぎはぎのような更新のせいで、標準型ゴーグルだけ警告表示が届かなかったと考えられる。いや、ほぼ確実にこれが原因だという説明だった。メガンは自分で調整しながら使ううちに、正常な通信ができるようになっていたのだろう。
「じゃあ、どうする?」
「きちんと更新する。頭脳についてはわかっているつもりだったが、けがをさせてしまったうえに、その原因が予想外だった以上、これからすべての部分を同時に最新版にする。今晩中に終わらせる」
「でも、そうすると調子悪くなる機器が出てくるんじゃない?」
「それはそうだが、致命的な結果にはならんはずだ。警告が表示されないなんてひどい障害は二度と発生させちゃいかん」
「わかった。すり合わせがうまくいくまでは用心する」
「うん。それとメグ。おまえも標準型のゴーグルにしておけ。ケントとおなじ画面を見るようにしてほしい」
「そうする。作業前に初期化するよ」
ディロン船長とメガンは更新時に影響を受けそうな機器のリストアップを始める。ケントは皿洗いくらいしかできないが、背中で二人の相談を聞いていた。なにをすべきかわかっている人が次の計画をてきぱきと立てている。自分はまだそこには加われないが、その場にいるというだけで頼もしい気持ちになれた。
翌朝、ほとんど痛みはなくなっていた。腫れも引き、作業には問題なさそうだ。
「空調、どうしちゃったの」
朝食時、ケントはあくびをしながら言う。夜中に空調の音が大きくなったり、耳障りな高音がしたりしてしばしば起こされた。原因はわかっているのだが、だまっているよりはと思い、わざと間の抜けた声で聞く。
「数回リセットした。これからリセットだらけになるよ。不調の機器はまず初期化だ」
メガンが頭を小突く。これはあまりいい気分ではない。姉もそうしていたが、完全に子供扱いだ。こっちは基礎学習課程を優等で修了したんだからな、と言ってやりたいが、昨夜の更新作業になんの役にも立てなかったのは事実なのでやり返せない。
だが、更新にもいいところがあった。それがわかったのはセンサーを投入してからで、標準のデータ量を流しても処理遅延が発生しなくなった。もうすこし精細にしても正常に動作する。
「これならもっと早く更新しとくんだった」
漁場のようすをさらに正確に把握できるようになったので、ずっと効率よく漁ができるようになった。そうなるとなおさら到着が遅れたのが惜しい。場所さえ確保できていればもっと漁獲をあげられたのに。
「まあいいさ。今回はケントの実地研修も兼ねてるしな。メグ、現場仕事を仕込んでやれ」
メガンはやさしくて厳しい。どんな仕事も根気よく丁寧に教えてくれる。でもそれは一回目だけ。
「それはさっき教えた」「そんなやり方だったか」「そうじゃなかっただろ」
これが注意信号。
「ちょっと手を止めろ」「そこで待て」「ストップ」
次に警告信号がでる。
「代われ」
最後に肩で押しのけられ、仕事を取り上げられる。そうなると情けない気持ちで肩越しにメガンの作業を見ているしかない。
それでも数日後には、獲物を釣り上げたり、機器の再調整をしたりする合間にHFOのバッテリー点検やフィルターの交換、洗浄作業など、ルーチンワークを実際にやらされ、できるようになっていった。
その頃には冷凍庫は三分の二ほど埋まっていたが、魚群は散り始め、すでにいっぱいに満たした他社の船は最初の帰港準備を始めていた。
ディロン船長はさすがにあせっているようだった。経費節約のつもりでしてきた中古機器の活用や、それにともなって頭脳を即時に一斉更新しない運用がすべて裏目に出た形になったのだからのんびりかまえてはいられない。毎日夕食後、ケントがベッドにもどってからもメガンと相談していた。
ケントも自習しながら迷っていた。このままでは最低でも入ってくると考えていた金額をさらに下回りそうだ。もっとうまくやらなければ、陸の整備工場のほうが実入りが良かったとなりかねない。最初の帰港で見切りをつけようか、それとも今期はHFOで我慢して、その経験をもとに他社に移ろうか。基礎学習の成績証明書の有効期限は五年。それまでに地球行きを決めないと、高等教育を受けるための試験を受けなければならないし、優等生の奨学金給付資格も失う。よぶんな費用がかかるばかりになる。
「おれたちも帰ろう」
朝、ディロン船長はコーヒーと言い張っている黒い湯を飲みながらふたりに言った。
「冷凍庫はあふれちゃいないが、いったん帰港して機器をもっとましなのに入れ替える。機関やバッテリーも満足に動くものにする」
「でも、じいさん、費用は?」
「船長だ。メグ。うちは貧乏なわけじゃない。借金はその漁期のうちに返してきた信用もある。それに、がたのきた機器をだましだまし使うのもここらで限界だ」
「漁期に整備ってのは初めてだ」
「なにもかもおれの想定が甘かったせいだ。さすがに年だな」
帰港の準備と言っても、HFOのような小型漁船ではそれほどの大仕事ではない。センサーを回収したり、甲板に出しっぱなしの漁具を収納したりするだけだ。朝食後、昼前には港に向けて動き出していた。
翌日、HFOはリル漁港に入り、まず水揚げをした。港の係官は少なめの漁獲に首をかしげたが、とくになにも言わなかった。
整備のための乾ドック使用申請を受理した時も、漁期に? と思ったが、HFOのデータを見、船体を実際に見て納得した。
「あらためて見ると、えらく苦労をかけたな」
ディロン船長は乾ドックで船底をたたきながらがらがら声でつぶやく。中古部材がつぎはぎのようになっており、塗装でもごまかし切れていない。間に合わせの機器どうしをくっつけるための結合剤がはみ出ているところもある。船全体になめらかなところがない。
メガンは機器や部材の注文と、整備の依頼を行っている。漁期なので空きが多く、すぐに受け付けられた。
「機関の整備と、例のバッテリー二個は交換。ほかに頭脳の最新版との動作確認が取れていないのは全部交換。あとはいつものとおり消耗品の補充」
ケントにもピンが飛んできて、整備の内容を送ってきた。承認や意見を言える立場ではないが、乗組員なので教えてくれたのだろう。
スタビライザーはその整備リストには入っていなかった。リスト入りする条件は満たしていなかったようだ。いずれケントも船員歩きになるのかもしれない。
もうちょっとここでがんばってみよう、とケントは思う。慣れてきたところだし、整備の後は漁獲も上がるだろう。それに一漁期も務めないまま辞めても信用を無くすだけだろうし。
「おまえも整備手伝ってくれ。でも、言ってくれれば半日くらい空けてもいいぞ、姉さんのところへ顔出して来い」
メガンが肩に手を置いて言う。
「わかった。このでこぼこした船をましにしなきゃね」
「聞こえたぞ。でこぼことはなんだ。おれの船だぞ」
三人が笑っているところへ、漁協からピンが飛んできた。HFOの売り上げの報告だった。
「なんだ、これは。まちがいか」
「ほんとだ。どこのどいつだ? こんな値をつけたのは」
ディロン船長とメガンが驚いているので、ケントもリストをざっと流してみた。
アオヨロイオコゼが予想価格の倍で売れていた。ほかは予想価格周辺で売れており、想定通りなのだが、それだけが突出して高値になっている。高値になるぶんには問題ないとはいえ、極端に相場と異なるとうれしいよりあやしいという感覚になる。
「星間環境保護協会、だって」
メガンがすぐ買い手を検索した。
「そいつらがオコゼをどうするんだ」
「わかんないよ。まあ、正当な取引だし、いいんじゃない?」
三人は乾ドックをでて注文品の到着を待つ。
「あ、あいつらだ」
メガンが遠くの白い大きな車を指さす。白い作業服を着た男が二人、冷凍ボックスを転がして積み込んでいる。車体には星間環境保護協会のロゴと、その後援社だろうか、彗星商事とライジングスターケミカルズのロゴも描かれていた。両方とも星間企業の大手だ。かれらは見ているうちに積み込みを終え、すぐに港外へと出て行った。
そのうちに機器と整備会社の技術者が到着し、三人は仕事にとりかかった。機関の中核部など、専門技術が必要なところは整備会社にまかせ、それ以外の機器や部品の整備、交換は三人で行う。作業を始めてすぐに乾ドックはおもちゃ箱をひっくり返したようになった。ゴーグルのおかげでどこになにがあるか見失わないとはいえ、あまり見栄えのいいものではない。
「そこらに置きっぱなしにするんじゃない」
「すぐ使うんだよ」
「口答えをするな、メグ。ケント、バッテリーのテスト」
ケントは本格的な機械いじりができるほど慣れていないので、指示があり次第試験データを送り込んで反応を見る仕事をまかされた。体よりも目と頭が疲れる。
「よし、今日はここまで」
日が暮れて、海上にリルの月が昇ってきたころ、ディロン船長が三人に言った。整備会社の技術者はさすが専門だけあって、とうに機関中核部の整備を終えていた。
「きょうは『娘』がきれいだね」
メガンが手を洗いながら月を見ている。
「『娘』って言うんだ。母は『鏡』って言ってた」
ケントはゴーグルのデータ表示を消して見上げる。
「どんな呼び方をしても、月は月さ。仕事の後はきれいに見える。さあ、飯にしよう」
三人はリル漁港のすぐ外にあるHFOの社屋兼住宅に帰って行った。ケント以外、船員歩きだった。
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