4 悪夢

+++++


『……ちゃん、だぁいすきっ。ずっと傍に居てくれる?』


私は誰かに抱きついている。

小さな私の頭を撫でる大きな手のひら。


『真朝は本当に××のことが好きなのか?

 そんなヤツより、ずーっとパパの方がいい男じゃないか』


『あら、あなた、××さんと張り合ったって仕方が無いじゃない』


温かい笑いに包まれている。

私は無邪気に笑って、誰かの腕に顔を埋めていた。



ずっと、このままで居られたらいいのに。


ずっと、このままで居たいのに。



キキキーっ


耳をつんざく高い音。

鳴り止まないクラクション。

悲鳴、救急車の音。


いやっ。

誰よ、私のパパとママを奪ったのは……。


ねぇ、返してーっ!!

良い子にするから。

もう、ずっと良い子でいるから。


返してよ、神様っ。


+++++


「やああああっ」


私は自分の悲鳴で跳ね起きた。

部屋が真っ暗で、それで、えっと。

いつものところに電気が無くて。


……どうしようっ


「マーサ」


部屋のドアが開いて、誰かが私を抱きしめた。


「やっ、怖いっ」


考えるより前に、唇が動き、反射的に身をよじる。

それでも、私を抱きしめる腕は緩められることはなかった。


汗ばんだ髪の毛を、何度も何度も、ただ、優しく撫でてくれる。


「大丈夫、マーサ。

 俺が傍に居るから。

 落ち着いて、ね?

 ゆっくり、深呼吸……。


 そうそう。ゆっくり吐いて。そうそう、うーん、良い子だ」


低くて優しい声に励まされて、ゆっくり、ゆっくり呼吸を繰り返す。


「電気……、点けて……」


真っ暗な世界が、ひたすら怖い。


「少しだけ、手を放すけど大丈夫?」


その頃には私にも、この低く甘い声が、響哉さんの声だと分かり始めていた。

こくり、と小さく頷く。


すっと体が離れる。代わりに私は自分で自分を抱きしめていた。

数秒後には部屋に蛍光灯が明々とともった。

黒のシルクのパジャマを着た響哉さん。綺麗に整えていた髪も、乱れている。

心配そうな眼差しに、申し訳ない気分でいっぱいになった。

響哉さんはベッドに腰掛けると、しょげている私の頭をそっと撫でる。


「もう一度、抱きしめてもいい?」


私が小さく頷くのをきちんと確かめてから、ベッドに足をあげ、その腕にそっと抱き寄せてくれた。


「……どんな、夢を?」


私は首を横に振る。


「覚えてないの」


思い出そうとしても、まるで霞がかったかのように、見えなかった。

残っているのは、震えるほど怖かったという感覚だけ。


「そう」


響哉さんは私の頬を撫で、背中を撫でてくれる。

少しずつ、強張った感覚が溶けていく。


「添い寝してもいいかな?」


低い声に、心臓がどきりと高鳴った。


「そ、添い寝ってっ」


思わず声が裏返る。


「俺の部屋に来てくれたら、キングサイズのダブルベッドがあるんだけど」


誘うような言葉に、ドキリと脈が速くなる。ちなみに、今私が使っているベッドは一人には少し広いセミダブルサイズになっている。


「あああ、あのっ」


「ん?

 心配しなくていいよ。うなされてたらすぐに起こしてあげるから」


いいいえいえ、私が今心配しているのはそれじゃなくって。


「キスとか、し……」


しないよね? って聞く前に、唇がそっと額に触れた。


「いくらでもしてあげるよ」


「……違いますっ。しないでって、言いたくてっ」


思わず声をあげる私を見て、響哉さんは優しく笑った。


「それだけ元気になったら少しは大丈夫、かな。ほら、横になって? 電気は消さないほうが良いのかな?」


「一番小さいのにしても、大丈夫」


響哉さんは即座に蛍光灯の紐を引っ張って、灯りを小さくしてくれた。


「明日、ベッドサイドテーブルとルームライトを買いに行こうね」


蕩けそうなほど甘い声で優しく言うと、動揺している私をそっとベッドの上に横にさせてくれた。


「腕枕して欲しい?」だの、「抱き枕みたいに抱きしめて欲しい?」だの。


響哉さんが軽い口調で聞いてくるのを次々と断っていたら、彼は


「分かった」


と言って、壁の端まで寄ってくれた。

自分の右ひじをついて、顔を支え私を見下ろすポーズを取ると、


「触らないように気をつけるから、気にせずお休み」


なんて、むちゃくちゃなことを至極当然の顔して言ってくる。


「気になるに決まってるじゃない」


「大丈夫だって。

 大丈夫、真朝ちゃんはもう、怖い夢なんて見ないよ。

 俺が保証して上げる」


響哉さんはびっくりするほど丁寧に私の名を口にした。掛け布団の上から、リズムをとるようにそっと体を叩いてくれる。そのリズムに誘われるように、いつしか、眠りに落ちてしまって。


もう、朝まで夢は見なかった。

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