第12話「ダイシ様」



「なんですか、そのダイシ様って……?」


 鷹志田がその名を口にすると、舞衣がびくりと肩を震わせた。

 その反応からして、彼女も知っていることは明らかだった。

 ついさっきまで停止していた脳みそが少しだけ回転をあげはじめた。

 トップギアとまではいかないが、二速ぐらいまでならなんとかあげられそうだった。

 少なくとも下手な考えをしておかしくなるよりはマシといえた。


「……いえ、先生にはあまり関係のないことで」


 舞衣は首を振ったが、そんな言い訳では誤魔化せない。

 明らかに宇留部家の人々は焦っていた。

 ダイシ様なるもののことを、鷹志田に聞かれたことを悔やんでいるのだ。そこまでして聞かれたくない内容ということか。

 一族の秘密、ということであろう。

 薄々勘づいてはいた。

 この山奥に住んでいる一族に、なにやら秘密があるということは。

 ただし、隠しているはずなのに、どこかで徹底さがなく、むしろ察してください程度でしかないのが不思議なぐらいだ。

 それについは想像できる。

 秘密があることはあるが、親族全員がそれを絶対に漏らしてはならないと思っている訳ではない。秘密が漏れる、イコール自分たちにとっての不利益に直結するというものではないという関係性があるのだ。

 例えば、親族に殺人犯がいるということは、隠しておきたい共通の秘密になるだろう。

 公になっていないばあいならば、できる限り秘密にしたいはずだ。殺人犯が親戚にいれば、就職・縁組、あらゆる場合で不利になりかねないのが人の世の常だからだ。

 一方で、サッカーくじのBIGで六億円が当たったというのは良いことであるができたら秘密にしたほうがいい。

 ずるいものに集られるおそれがあるからだ。

だが、親戚に六億円の金持ちが現れたことが漏れたからといって、親戚に問題が生じるかというとそうではない。話のタネ程度にしかならないものだ。

 つまり、宇留部家の秘密というのは、そこまで深刻なものではないはずだ。

 ついさっきまでは。

 だが、状況が変わり、さっきの化け物のような女の登場により、その秘密は第三者に知られたくないものに変貌したのだ。

 だからこそのこの舞衣の反応だ。

 しかし、ここで口をつぐまれても鷹志田にとっては迷惑なだけだ。

 すでに彼は巻き込まれている。

 逃げ出すためには知っておいたほうがいい。

 情報を。


「悪いのですが、そういう誤魔化しはなしにしてもらえませんか。もう私はとことんまでこの家の問題に巻き込まれています。舞衣さんは直接見ていないからわからないでしょうけど、私はあの化け物と顔を合わせているんですよ。洒落じゃなくてマジで生きた心地がしませんでした。あの化け物がなんなのかの説明をいただけないとなにもできない。―――知っているんでしょう、あなたたちは?」


 鷹志田にしては嫌味のこもった言い方だった。

 ただひとりの部外者として孤立して周囲が敵になるのは考えものだが、こうでも言わないと自分を抑えられる自信がない。

 隠し事をされていて、ハイそうですかと引き下がれるほどお人好しではなかった。


「あんたには関係ないだろ!」

「武さん、あなた、刀自の初孫にしてはかなり待遇が悪そうですね。細かい事情はどうしても舞衣さんの方がよく知っていそうだ。あと、小夜子さん、あなたも」

「あたし?」

「理由は知りませんが、舞衣さんとあなたはよく情報を共有している風に見える。智さんの場合はきっと姉弟の仲が良いので、あなたから伝わったのでしょうね。―――舞衣さん、ここで一番詳しそうなのはきっと貴女だ」


 本来、刀自の三女である菊美も年齢からすれば知っていてもおかしくなさそうだ。

 ただ、さっきの化け物が出て以来の反応からしても、菊美のそれは今ひとつ鈍いように感じられた。

 武・静磨よりはマシ程度だ。

 最も強い反応を示しているのは小夜子とやはり舞衣だ。

 であれば、交渉というか情報を引き出すためには舞衣を陥落させるのがもっとも手早い。

 なにより時間がない。

 外堀を埋めて回っている時間はないような気がする。


「……てめえ、ふざけんなよ!」


 元ラグビー部が詰め寄ってくる。

 くそ、おまえの相手をしている暇はないんだよ。あの化け物を目の前で見てしまったら、足がすくんで動けなくなるんだよ。だから、その前になんとかしたいんだよ!

 いい加減にしろ、クソが。


「悪いね、武さん」


 その時、横合いから突然顔を出した静磨がほとんど躊躇もなく武の脇腹を蹴り飛ばした。

 いわゆるヤクザ蹴り、ケンカキックの前蹴りの要領で。

 いきなりの攻撃に壁まで吹き飛び、尻餅をつく武。

 何が起こったのかわからず呆然としている。


「え……」


 咄嗟のアクシデントに弱いのか、暴力を振るわれるのが苦手なのか、静磨に蹴られたことを認識できず目を見開いている。


「面倒だからちょっと黙ってろや」


 上から言い放つと、静磨は舞衣の方を向いた。


「舞衣ちゃん、その弁護士さんの言うとおりだぜ。なんか知っているんなら話してくれよ。どうも昔から本家の連中は隠し事が多いような気がしていたんだ。うちの母ちゃんだって、薄々何かを知ってはいたけど隠していたみたいだし。正直言って、シカトされてんのは気分悪かったけど、俺には関係のない話だから黙っていた。でも、もうダメだ。なあ、俺んところの母ちゃん、もしかしたらヤバイんだろ? 戻ってこないのはそのせいなんだろ? 本家のやることに口を出す気はなかったけど、関係ないなんて言い草はもう聞きたくねえんだよ!」


 ややヤンキー風味な静磨にしては多弁だった。

 おそらく、もともとよく喋る方だったのだろう。

 ここでは話し相手が少ないから黙っていただけで。

 そして彼の訴えは至極もっともなものであった。

 舞衣たちは罪悪感からか俯く。

 完全な部外者であるところの鷹志田はともかくとして、親戚であり刀自の危篤に駆けつけてくれた清美・静磨親子に対して配慮がかけていたことにようやく気がついたのだ。

 切羽詰っていたとはいえ、気配りの足りない行動そのものであった。


「……ごめん、静磨くん」

「静兄さん、ごめん」


 呆然とまだ座り込んでいる武以外は頭を下げる。


「静磨くんを仲間はずれにするつもりはなかったの……。ただ、ダイシ様のことって本家筋以外にはあまり伝えちゃならないってことだったから」

「それはいいよ。だけどよ、そのダイシ様ってのについては、さすがにもう教えてくれんだろ? そこの弁護士さんだって無関係じゃないんだ。小夜子のいうことを聞いている限り、変な殺人犯がいるってわけじゃないんだろ」

「そうなんだけど……」


 静磨は見た目よりも頭がいい。

 実際に化け物然とした姿を見た鷹志田と小夜子と違い、舞衣たちはかなり最初からそのダイシ様の存在を認知していた。

 普通ならば、幸吉は化け物に扮した強盗に襲われたのであり、邸内を殺人鬼がうろついているおそれがあると考える場面なのに。

 ひとを殺す化け物よりは、人を殺す殺人鬼の方がイメージされるはずだ。

 それなのに、舞衣たちは最初から人外の存在のことを念頭にいれていた。

 要するに、宇留部家のとくに本家筋にとってはあの化け物は身近なものということの証なのだ。


「じゃあ、弁護士さん、聞いてくれよ」

「へっ、私が?」

「……へっじゃねえよ。話を聞いてんのか。俺みてえに頭のよろしくないのが聞くよりも、あんたの方が適役だろ。しっかりしてくれよ」

「静磨さんが聞いたほうがいいのでは?」

「俺は分家だけど、いちお宇留部の人間だからな。話にフィルターがかかるおそれがある。あんたなら完全部外者だし客観的になれんだろ。だから、あんたがやってくれ」

「そういうことなら」

「舞衣や小夜子もそれでいいな」


 二人の女はこくこくと頷いた。 

 静磨の見せた知性の輝きに驚いていたということもあるのだろう。

 どうやら、肉体専門の派遣労働者で正社員になれないという静磨の経歴から単純に現在の能力を推定していたのだろう。

 静磨自身、母親との会話の中でわかりやすいチンピラ的対応をしていたことからすれば、決して不見識という訳ではないが。


(まあ、親戚とは言えあまり顔を合わせていなければ偏見を抱いてしまうのも仕方の無いところか。私も智くんのチャラい外見だけでモノを見ていたし)


 鷹志田も自分のことを省みた。


「……じゃあ、とりあえず座りますか」

「俺は聞いてっから好きにしてくれ」

「どこに行くんです?」

「窓とかをきちんと戸締りするわ。この居間だけでも確保しないとな。雨も降ってきそうだし」


 座ろうとしない静磨に聞くと、そう返ってきた。


「おい、武さん。ちょっと手伝いや」

「な、なんだよ」

「入り口にバリケードすんだよ。そのダイシ様とやら対策だ」

「そんなもの効くのか?」

「知んね。しないよりはマシだろ。作戦会議している間ぐらいもてばいいだろうし」


 そう言うと、武とともに静磨は入り口をソファーやテーブルで塞ぎだした。

 少なくとも外からすぐには中には入れないようにだ。


 ガタンガタン


 その時、ガラス窓の一つが大きな音を立てた。

 まるで誰かが叩いているかのごとく。

 全員の視線がそこに集まる。

 カーテンで閉ざされていてなにもわからない。

 一番近いのは鷹志田だった。

 鷹志田は離れようと思ったが、うまくいかなかった。

 それどころか心は怯えきっているというのに、足だけが前に進んでいく。

 やめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろやめろヤメロロロロロロロロロロロロロロロ……

 カーテンが引かれているので外の様子はわからない。

 この居間は全体的に和風の宇留部の屋敷においては、珍しく洋風なので、窓もごく普通のサイズだ。

 カーテンは揺れもしないので、開いていないことは確かだ。

 だが、そこになにもいないという保証はない。

 めくった先にあの化け物女の、かすりの着物が待っていないとも限らない。

 それどころかいてもおかしくない。

 いて当然な気もする。

 だから、自分のものではないかのように手が伸びて、カーテンにかかった時、鷹志田の顔は歪んだ。

 引きつった。

 そこにいるものを想像して。

 めくる。

 開く。

 

 そこには何もなかった。


 いなかった。


 






 良かったね








 君たちはまだ生きていられるよ

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