第16話 化身

 オリガの身体から出ていた煙が噴き出し、完全に煙が抜けきると、オリガはその場に倒れた。

 オリガの身体から出た煙は、一か所に集まり、次第に形を成していった。

 驚くことに、煙はオリガの姿となった。

 戦場にいた誰もが、事態の把握ができずに、困惑していた。

 もう一人のオリガは目を開くと、倒れているオリガに侮蔑の目を向けて嘲笑うと、次に湊人に目を向けた。


「お前か。オリガの心を揺さぶったやつは」

「何者だ?」

「憤怒の化身、とでも名乗っておこうか」


 そういって、化身は辺りを見回すと、不敵な笑みを浮かべた。


「さて、始末するか。すべてを灰にしてやる」

「みんな、逃げろ!」


 湊人が叫ぶ。化身の言葉は青文字だった。


「消えろ、虫けらども!」


 化身が両手を挙げると、大爆発を起こした。湊人は、剣を盾替わりにして、爆発から身を守るが、強烈な爆風と熱が襲いかかってきた。

 勢いよく吹き飛ばされ、木に衝突して、ようやく止まることができた。

 化身が立っていたところへ、顔を向けるが、土煙と白煙が混じり何も見えなかった。


「うっ」


 右腕に視線を落すと、皮膚が焼かれ、全体的に血が滲んでいた。剣を持っていた側だったからこその負傷だった。

 だが、痛みに気を取られている場合ではなかった。

視界が開け始めていた。

 サクリファイスが安置されている建物も、化身の起こした大爆発によって、消し飛んでいた。そこにあるのは、兵器であるサクリファイス、青色のボディをしている大砲だった。軍艦などに備わっている大砲よりは、二回りほど小さく、爆発に巻き込まれてもなお、破損することのない強固さを誇っていた。

 オブリヴィオンと戦う際に、どんな爆撃にも耐えられるように作ったのだろう。

もしかすると、サクリファイスは、ディフィートに住む人たちの象徴だったのかもしれない。どんなことがあろうとも、屈しない心の強さを示しているように思えた。

 湊人は、サクリファイスから、化身へと顔を向けた。そこに姿はなかった。逃げたのか、それとも虚を突こうと森に隠れたのか。

なんともいえない恐怖を感じ、湊人は思わず、後ろを振り返ってしまった。

 そこに人影はなく、森が広がっているだけだった。

 再び前を向き、湊人は歩き出そうとしたが、そこから先は地面が抉り取られ、大きな穴が空いていた。

 その中心に化身が佇んでいた。

 湊人は、穴の中へと降りて剣を構える。化身はこちらに身体を向けて、ゆったりとした拍手をした。


「生き残ったか。見込みがあるな。私と共に破壊を楽しまないか? 怒りに身を任せるのだ。お前にも理不尽だと思うことがあるだろう? すべてを力でねじ伏せるのだ」


 憤怒の化身というだけあり、言葉から、読み取れるのは憤怒の感情だけだった。


「そんなことに興味はない」

「そうか。残念だ。この世界の終りまで見せてやろうと思ったが、死んでもらうしかないようだ」


 そういうと、化身は湊人に飛びかかり、拳を振り下ろした。

 湊人は剣で対抗するも、その衝撃は、風圧と熱は、オリガの比ではなかった。

耐えようとするも、無意識に呻き声をあげていた。


「抵抗しなければ、楽に死ねたものを。そんなに苦しみたいのなら、もっと苦しませてやろう」


 化身は、間を空けることなく、拳を繰り出してくる。

 湊人は重たい拳を、ぎりぎりで受け止めていく。一撃でも喰らえば死が確定しているため、絶対に気は抜けなかった。

 だが、湊人の身体は悲鳴をあげていた。身体は重度の火傷を負い、立っているのだけでも精一杯というところまで来ていた。

 そんな状況下で、化身よりも先に剣を振った。負けたくないという気持ちがあった。

 それは、オリガの過去を知り、オリガの今の気持ちを聞いていた湊人だからこそ、抱ける気持ちだった。オリガは国を救う気持ちを取り戻していた。あと少しで、オリガは自らの手で、この戦いに幕を引ける。

 ここで負けてしまえば、オリガの気持ち、ここまで戦ってきた反乱軍の気持ち、平和を求めているオブリヴィオンの人たちの気持ちを、すべて裏切ることになりかねなかった。

 勝ちたい。なんとしても勝ちたい。

 みんなの気持ちに応えたい。

 湊人は剣を振るう。

 化身は躱すことができず、拳で跳ね返していく。


「どこに、こんな力が……」


 化身の心には、憤怒以外に、恐怖の色が見えていた。

 あともうひと押し、あともうひと押しだと、自分にいい聞かせていたが、ふいに右手から握力が失せ、剣から離れた。肩からぶらりと垂れ下がり、うんともすんともいわない。

 左手一本になってしまった。

 剣から重みが消えたことで、押し切ることができず、化身に反撃を許してしまう。

 化身が拳を振りかぶったのをみて、湊人は左手一本で剣を思いっきり振った。

 化身の重い拳を受けるどころか、衝突した際の爆風に、腕が煽られてしまう。そして、化身の二度目の攻撃で、湊人の腕は、爆風により上へと弾き飛ばされ、湊人自身も後ろへと仰け反ってしまう。

 完全に無防備な状態となってしまった。


「終わりだ!」


 化身が拳を振り上げた。

 湊人は現実を受け入れるしかなかった。敗北を受け入れるしかなかった。

 湊人の目には、化身が拳を振り下ろしていく様が、スローモーションとなって見えた。


「ああ……負けた」


 湊人が、そう呟いたとき、ある言葉が耳に届いた。


「まだだ。まだ諦めるな」


 化身が振り下ろした拳は、湊人には当たる前に爆発を起こした。

 湊人は尻餅をつき、顔を上げると、煙の中から見えたのは、オリガの姿だった。

 化身の拳を拳で受け止めていた。


「お、オリガ……」

「キミが私に応えてくれたように。私もキミに応える」


 そういって、オリガは残った拳で、化身を殴り飛ばすと、湊人の方を向いた。

 その顔は、穏やかで柔らかい表情をしていた。


「立てるか?」


 湊人はオリガの差し出された手をつかみ、立ち上がった。


「オリガ、大丈夫?」

「ああ、問題はない。淀んでいた心に風が吹き抜けたような気分だ……湊人、私に力を貸して欲しい。オブリヴィオンを守るために」

「オリガ、それは僕のセリフだよ」


 二人は笑みを浮かべるも、立ち上がった化身に顔を向けたときは、真剣そのものだった。


「あと何回、剣が振ることができる?」

「一回だと思う。徐々に左手からも握力が消えつつある」

「そうか。ならば、止めは任せてもいいか? 恥ずかしいのだが、自分の能力に負けてしまってね。さっきの拳を合わせたとき、左手が使い物にならなくなってしまったんだ」


 湊人は、オリガの左手に視線を落すと、手は指ごと潰れてしまっていた。


「私がなんとか、化身を押さえてみせる。そのあとは、キミに頼みたい」

「わかった」


 オリガが一歩前に出ると、化身も歩きだした。


「哀れな男だ。まさか、お前がそっちに加担するとはな。オリガ、この私を、この憤怒を受け入れた時のことを思い出してみろ! お前のすべてを否定した街の人間を思い出せ!」

「もう、それはいいんだ。私は仲間と共に、もう一度この国を守る道を歩む」

「呆れた野郎だ。あのときの怒り、憎しみ、屈辱を忘れたわけではないだろう? 同じ目に遭うことのないように、いまここで、裏切り者たちを始末するべきだ」

「いまここで、すべきことは、お前を殺し、罪を償うことだ」

「馬鹿が!」


 化身は拳を振りかぶり、オリガは左腕を盾にして受けた。爆発は起きるものの、オリガは踏みとどまる。

 すぐさま、オリガは反撃に出た。右の拳が、化身の身体に突き刺さる。

だが、化身の身体はくの字に曲がることなく、踏みとどまった。


「私が、お前に負けるわけがないだろう。私はお前の動力源だった憤怒だぞ? どちらが上なのかは、お前がよく知っているはずだがな?」


 そういって、化身はオリガの身体に拳を突き刺した。

 オリガは口から血を吐くものの、構わず、またも化身の身体に拳を叩き込んだ。


「知っている。だが、負けるとは限らない。いま、私は一人で戦っているのではない」

「仲間を得たからといって、何になる? 実力の差が埋まるわけではない」


 化身の拳がオリガの身体に突き刺さる。

 肉弾戦になっていった。

 しかし、圧倒的にオリガの方が不利だった。すでにオリガの右手も潰れてしまっている。どちらも使えなくなったオリガは、痛みを無視して左右の手を交互に使いながら、化身に攻撃していた。自分よりも重い拳、衝突の際に起きる爆風と熱。それらを正面に受け続けるのにも、限界が来ていた。

 足もとがふらつき始めたオリガに、化身は笑みを浮かべていった。


「オリガよ、オブリヴィオンの消滅は任せておけ。憤怒から目覚めたことを後悔して、死ぬがいい。これで終わりだ!」


 化身は下から拳をオリガに向けて振り上げた。


「勝負は、最後までわからない」


 オリガは化身の拳を躱すと、後ろに回り、羽交い絞めにした。

 湊人が剣を持って、化身に迫る。


「勝負は最後までわからない、だったな」


 そういって、化身はその場で爆発した。

 羽交い絞めにしていたオリガは、爆発によって、身体が離れてしまう。


「オリガ!」


 オリガは、そのまま地面に倒れた。


「お前も死ね!」


 すでに、湊人は化身の間合いまで来てしまった。化身は撃退しようと拳を固め、振りかぶろうとしている。もう、引き返すことはできなかった。行くしかない。湊人は、止まることはせずに、剣を振る体勢に入る。


「愚かな!」


 湊人の目前にまで、拳が迫ってきた。これを紙一重で躱し、渾身の一撃を振りかぶった。


「うわあああああああああああああああああああ」

「雑魚が!」


 躱すことを読まれていた。

 化身の拳が、湊人よりも先に届く位置まで来ていた。

 そのとき、化身の身体がズレた。

 足に矢が刺さり、湊人に向けて伸びていた腕に槍が刺さったのだ。


「なん、だと……」


 湊人は、そのまま剣を振り切った。

 化身の身体は、真っ二つに引き裂かれ、滑り落ちるように、地面に落ちた。


「ぐ、ぐううう。き、貴様ら」

「僕たちの勝ちだ」

「こんな、こんなこと……が」


 憤怒の化身は、煙となって消えていった。



                 ★ ★ ★



 憤怒の化身が消えたことを見届けると、足から力が抜け、湊人はそのまま後ろに倒れた。

 目の前には、星々が浮かぶ空が見えた。化身が爆発を起こしたことで、木々が焼けて取り払われたからだった。

 湊人の視界に、ぬっと顔が入り込んだ。


「湊人、やったね」


 侑里が涙を浮かべながらいった。


「最後の一撃は見事だったぜ」


 なんだか悔しそうな顔をしながら、零がいった。


「湊人さん」


 レミはそういって、小さくうなずいた。


「みんなのおかげだよ。もしも、僕だけだったら、死んでいた」


 湊人は起き上がろうとするが、両腕に力が入らなかった。


「ごめん、起こしてもらってもいい?」


 そういうと、侑里が、ゆっくりと身体を起こしてくれた。オリガのことが気になっていた。無防備で爆発を受けてしまっていたことが気がかりだった。

 零の肩を借りて、倒れているオリガに歩み寄る。


「オリガ?」

「大丈夫だ。生きているよ」


 オリガは顔だけを動かして、返事をした。


「どうやら、思った以上のダメージのようだ」


 オリガは参った顔をしていた。


「オリガ、ありがとう」

「なにをいう。それはこっちのセリフだ。ありがとう」


 そこへ、反乱軍の人たちがやってきた。

 ダータラは、四人の姿を見ると、駈け寄って来た。

 そして、何もいわずに、全員を抱きしめるようにして、抱きついてきた。


「ありがとう。お前ら、ほんとによくやった」

「ダータラさん、い、痛い。痛い」

「ああ、悪かったな」


 そういって、ダータラは倒れているオリガに目を向け、歩み寄った。


「オリガ、この国を守ってくれたことを感謝する」

「だが、私は」

「いや、私が標的としていたオリガは、煙となって消えた。お前の部下のロネも生かしてある」

「そうか」

「帰ろうか。オブリヴィオンに」

「いや、私はここに残る」


 そういって、オリガはゆっくりと体を起こし、立ち上がった。ふらつく身体を支えるように、ダータラが肩を貸した。


「お前は帰ってくるべき人だと思う。私たちが、お前を裏切ったことには変わりはない。私たちにも、背負わなければならない罪がある」


 オリガは首を横に振った。


「私は、私欲のために動いた。しかし、お前たちは、国のために動いた。ただ、許されるのだとしたら、ロネを許してあげて欲しい。彼女もまた、私に応えてくれた人だから」


 ダータラは小さくうなずいた。



                 ★ ★ ★



 生き残った者たちは、港まで戻ってきた。


「オリガ、ありがとう。オリガも重症なのに、わざわざ送ってくれて」

「私がキミたちを送りたかったのだ。気にすることじゃない。そして、改めて礼をいいたい。この国を救ってくれて、ありがとう。キミたちに感謝する」

「ほんとにオリガは、帰らないの?」


 湊人が訊ねると、オリガは首を縦に振った。


「もう街へ帰ることはできない。私の心が、そういっている」


 その言葉に、嘘はなかった。


「そういえば、キミたちは、どこから来たんだい?」

「僕たちは、異世界から来たんだ」

「異世界。そうだったのか。だから、見慣れない格好をしていたのか。ここへはどうやって?」

「僕たちの世界から、他の世界に繋がっている扉があるんだ。僕たちの世界も、危機に瀕していてね。それを回避するためには、ブラッドクライが必要だったんだ」

「そうだったのか。お前たちになら、危機を回避できるだろう」

「ありがとう」


 すると、船の方からペナートが声をかけてきた。


「そろそろ、出発するよ」


 湊人は、手を挙げてわかったと返事した。


「オリガ、それじゃあ、僕たちは行くよ」

「その前に、キミたちの名を教えてはもらえないだろうか?」


 四人は、自分の名を告げると、オリガは胸に手を当てた。


「キミたちの名を、私は胸に刻みつけておく」


 オリガは優しい顔をしていった。


「それじゃあ、オリガ。さようなら」

「ああ、さようなら。いつか、キミにまた会える日を楽しみにしている」

「うん、僕も楽しみにしてる」


 そういって、四人はオリガの下から離れ、船に乗り込んだ。

 船尾に行くと、オリガの姿が見えた。

 優しい笑みを浮かべ、小さくうなずき、背を向けて歩きだした。

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