第12話 ディフィート
船首にいたオリガは、海を眺めていた。
数年ぶりに訪れる忌まわしき場所。
オリガの脳裏に、またも昔の記憶が甦ってきた。
★ ★ ★
オリガは立ちあがり、祭壇のように積み上がっている死体の山へ、現実へと目を向けた。
雨が振り続ける中、生きている仲間を探した。
もしかすると、この中に息をしている者がいるかもしれない。
「助けにいくぞ。頑張れ! 今、助けに行くぞ」
大声を出しながら、死体をかき分けて探していった。人が積み上がっているところは、丁寧に死体を退けていった。
「助けにいくぞ。頑張れ! 今、助けに行くぞ」
オリガの声は探し出したときよりも、小さくなっていた。雨は止むことなく、激しさを増していく。体温が奪われ、疲労が増していた。
だが、オリガは、生きている仲間がいると信じ、探すことをやめなかった。自分が住んでいる前に生きている物が死んでしまうことを恐れたからだった。
「助けにいくぞ。頑張れ! 今、助けに行くぞ」
オリガは叫び、手を休めることなく、生きているだろう仲間を探し続けた。
その作業は、二日目に突入した。
雨は上がり、オリガを夜空に浮かぶ星々が、照らしていた。戦場から聞こえてくるのは、未だにオリガの声だけだった。
だが、誰一人として応えてはくれなかった。積み上がっていた山の一番下にいた最後の人の肩を揺らし訊ねた。
「助けに来たぞ、もう大丈夫だ」
しかし、返事はなかった。
しばらくの間、オリガは放心状態にあった。気づいたときには、ディフィートの中心街に足を向かっていた。今の自分に戦う気力などなかった。
ただただ、わけがわからなかった。戦場にいる以上、死というものは訪れることは理解していた。これまでも、仲間の死を見てきたが、今回は、その比ではなかった。
その衝撃は、戦って死ぬことを本望としていたオリガの心を抉り、自ら死にたいと思うようになっていた。
楽になれる。
何もかもから解放される。
心の中で、呪文のように唱えながら歩き続け、オリガは中心街に足を踏み入れた。
だが、オリガが救われることはなかった。戦いに出なかった者たちは、自ら命を落としていた。
この者たちがなぜ死を選んだのか、オリガはその思考には至らなかった。むしろ、苛立ちを感じていた。
なぜ、私を殺す前に死んだのか、と。
オリガは、中心街から戦場に引き返していく中で、ずっと無意識に呟いていた。
「助けに行くぞ。頑張れ! 今、助けに行くぞ」
戦場に戻ってきたとき、オリガはその場にへたり込んだ。
「助けに、た、たすけ……」
オリガは、星々に照らされた祭壇のような死体の山を見つめながら、呟いていた。
いつしか戦場に静寂が訪れた。
そこは、血の臭いと煙の臭いしかしなかった。戦いが終わったはずにもかかわらず、耳には悲鳴、銃声、雄叫びが、こびり付いていた。
オリガは、そばに落ちていた拳銃を見つけ、拾い上げた。銃創を確認すると弾は空だった。
ふと、オリガはポケットに手を伸ばした。一発だけ、拾った銃の型に合う弾丸が入っていた。拳銃に弾を装填して撃鉄を引く。
そこで、オリガの手が止まった。
私は今、何をしようとしていた? ここで死ぬことが正しい選択なのか。心へ問いかけていくうちに、オリガの弱っていた心に光が射した。
そうだ……私は生きている。生きているんだ!
ここからどうにかしてダンダルシアに帰り、オブリヴィオンが勝利したことを報告しなければならない。ここで死ねば、戦いに負けたのではないかと人々が思い込み、不安になるかもしれない。
そう! 私は生きて帰らねばならない。
仲間が命を賭けて勇敢に戦ったことを、その家族に伝えなければならない。私は、何としてでも、帰らねばならない。この先で苛酷なことが待っていようとも。
疲れ切っていたはずのオリガの身体は甦り、負の感情が消え去った。
オリガの目に生の輝きが戻った瞬間だった。
悲鳴を上げている身体に鞭を打ち、オリガは撃鉄を解除して銃を置き、立ち上がった。ダンダルシアに帰るためには、船を見つける、もしくは造らなければならない。
オリガは船を探すために、ディフィート中を駆け回った。一日経った頃、戦火に巻き込まれなかった森の中を抜けて、自分たちが戦った海岸の反対側で、手漕ぎ式の小舟を見つけた。
オリガは、喜ぶ暇もなく、次の行動に移った。
すぐに帰りたかったものの、問題があった。ここへ来たときとは、船の性能は段違い。予想では、二、三日は海と戦わなければならない。
オリガは、中心街で食料をかき集めるために向かった。森の中を駆けていると、外からでは見えぬように、背の高い木に隠れた建物を見つけた。
建物の中身を見ずとも、そこに何があるのかは、すぐに理解できた。オブリヴィオンを消滅させることのできる兵器、サクリファイスが安置されているのだろう。
本来なら、壊すべきもの。
しかし、オリガは扉を開けることさえもしなかった。戦いは終わったのだ。もう誰も、この兵器を使うことはない。
オリガは、その場を後にして、荷造りのために中心街へと走り出した。
そして、準備を整え終わり、その時が来る。
オリガは、オブリヴィオンに向かって小舟を漕ぎ出した。オリガの帰りを導くかのように、波は穏やかだった。
自分の力が波に伝わり、確実に前へ前へと進んでいく。生きろ、と背を押されているかのように感じた。
このままの勢いなら、不眠不休で漕ぎ続けば、二日でたどり着けるかもしれない。
だが、希望を見出したオリガに、海は手のひらを返した。
その日の夜、次第に波、風が強くなり嵐となった。オリガの乗った小舟は、制御が効かないところまできていた。生きろと背中を押されていたはずが、気づけば試される形となっていた。
ここで諦めて死を選ぶか、自然に抗い生を選ぶか。
苦しいなかで、オブリヴィオンはまだ先であることを理解しつつも、オリガは自分の心に何度も訴えかけていた。
もう少し、もう少しでオブリヴィオンに着く。
そして、一睡もすることなく、ディフィートから出て四日目の朝、ついにオリガの努力は報われた。
オブリヴィオンの港が目に映った。
オリガは自分の使命が果たせると、小舟の上で立ち上がり天に向かって雄叫びをあげて、心から喜んだ。
★ ★ ★
目を開けると、前方に島の輪郭が見え始めていた。戦場となった箇所は、未だに緑がなく、開いていた。
「オリガ」
後ろから呼びかけられたが、振り返らずとも誰なのかは声だけでわかった。
「ロネ、なんだ?」
「そろそろ準備を」
「わかった」
そう告げたが、背後から気配が消えなかった。
オリガは振り返り、ロネに視線を向けた。
「なにか用か?」
「いえ。ただ」
「ただ?」
「私は最期まで、あなたに、ついて行きます」
オリガは黙ったままうなずき返すと、ロネもまた黙って船内に戻っていった。
オリガたちを乗せた船は、ディフィートの沿岸に着いた。
数年ぶりの地に、オリガは感傷めいたものがあった。
木々が焼け焦げ、地面は黒く、あちこちに錆びた武器が落ちていた。仲間か、それとも敵か判断はつかないが、人骨と思われるものが、地面から見え隠れしていた。
誰もが場に圧倒されて顔を引き攣らせていたが、ロネに連れ出されて船から出てきたペナートは、平然としていた。
「さあ、ペナート、案内しろ」
「まずは、この縄をほどいてくれないか? 昨日から背が痒いのに、これじゃあ拷問だ」
捕えたその日に、手首をがっちりと縄で縛りあげていた。
「無駄口は叩かない方がいい。本物の拷問を味わうことになるぞ?」
オリガが鋭い目を向けると、ペナートは一歩退いた。
「さあ、ブラッドクライの場所に案内しろ」
「ここからなら、サクリファイスの方が近い。まずはそっちから」
「いや、ブラッドクライからだ。サクリファイスは、ブラッドクライが無ければ動かない。まさか、調べていないとでも思ったのか? さっさと案内しろ。私の気は短いぞ?」
「わかったよ」
ペナートは森の中へと歩き出した。
中心街から外れ、以前にオリガが小舟を見つけた場所とは違う海岸に出ると、ペナートは足を止めた。
「ここだ」
その先は、断崖絶壁だった。辺りを見回しても、建物などは見当たらなかった。
「ペナート、そんなに早く、死にたいのか?」
「オリガ、僕に冗談をいう余裕がないことぐらいわかるだろ。ここで間違っていない。ただし、ブラッドクライは、この絶壁を下りる途中にある洞穴の中だ。今は潮が満ちて高波が激しい。到底、そこまで行けるもんじゃないぞ。時間を置くしかない」
ペナートの顔は自信に満ち溢れていた。
「それともう一つ、いっておく。お前はブラッドクライを手にすることはできない。あの四人と反乱軍は、必ずここへやってくる。そして、必ずお前の野望を阻止する」
「それがどうした? 私が先にブラッドクライを手にすればいいだけの話」
「この荒れ狂う波の中を進むなんて、お前でも無理だ。この波が収まるまでに半日はかかる。お前はブラッドクライを手にする前に、反乱軍、そして、あの四人に敗れるってことだ」
「面白い。面白いじゃないか。いいだろう。そのお前の望みを、この私自らの手で断ってやる」
オリガは断崖絶壁の縁に立ち、見下ろしてみると、波の浸食によって削れた岩が、いくつか点在していた。オリガは、荒れ狂う波をもろともせずに、岩へ岩へと移動していく。そして、ペナートがいっていた洞穴にたどり着いた。
奥へ進んでいくと、大きな鉄の扉があった。
「面倒だな」
しかし、こんな扉は、あってないようなものだった。
オリガは、扉を強引に開けた。
――その瞬間。
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