第5話 フーリエ
「湊人さん、起きてください」
目を開けると、レミの顔があった。上体を起こして窓側を見ると、三つの敷布団が三つ折りになっていた。
「二人は?」
「隣の部屋ですよ。朝食の準備ができたので、行きましょう」
湊人は起き上がった際に、久しぶりに扉と影の夢を見なかったと思った。何度も見ていただけに、何かしらのメッセージかと思っていたが、一時のものだったようだ。レミに遭うまで、あの洞窟に通い続け、常に扉に執着していたからこそ、見ていた夢なのかもしれない。
三人と同じように敷布団を三つ折りにして片付けてから、隣の部屋に移動した。
マロウの姿はなく、零は椅子の背に寄りかかり、侑里は姿勢を正して、向かい合うように座っていた。
「おはよう」
そういって、湊人は席に着き、目の前の料理に視線を落した。
「朝ごはんは、炒飯だけなんだ」
「軽いものにしてくれって頼んだら、これが出てきたんだ」
椅子の背もたれに寄りかかっていた零は辟易したような顔をしていた。
「たしかに軽くないもんね。朝から杏仁豆腐って」
「侑里なんて、炒飯が出てきた瞬間に、席を立ったからな。失礼なやつだよな」
「うるさいわね。ちょっとしたトラウマになってるの」
「それにしても、ゆったりとした起床だな。気が弛んでるんじゃないのか」
言葉とは裏腹に、零の顔は笑っていた。彼なりの朝の挨拶なのだろう。
「朝ごはんを食べて、引き締め直すよ」
「おう、そうしてくれ」
「なにが、そうしてくれよ。湊人が来るほんの少しまで、ずっとうとうとしていたくせに」
侑里指摘すると、零はむっとした顔をする。
「そういう余計なことをいう必要はねーんだよ」
「あら、余計だったの? ごめんなさい」
「くっそ、なんて嫌な女なんだ。もう一度胸焼けして、弱ったらどうだ? そっちの方が可愛かったぞ」
「なんですって?」
朝から火花を散らす二人をよそに、湊人とレミは、横で笑っていた。
なんとか胸焼けすることなく食べ終えると、部屋にやってきたマロウに食事の礼をいい、この街を出て行くことを告げた。
すると、街の端まで総出で見送りに来てくれた。
「きみたちに渡したいものがある。一つだけで申し訳ないが、これを」
そういって、マロウが湊人に手渡したのは、能力者の力を封じ込めることのできる牢銃だった。
「でも、これ」
「いいんだ。余分だから気にしなくていい。シャルルに恩を返してあげなさい」
余分とはいえ、大切な武器であることに代わりはない。それ以上に、嘘をついたままで、受け取るわけにはいかなかった。
「あの、これ」
湊人が牢銃を返そうとしたとき、侑里が横から身を乗り出し、湊人から銃を奪った。
「ありがとう、マロウさん。これでシーゼを確実に倒せるわ。私たちが、マロウさんの代わりに戦ってあげる」
その言葉に三人は驚いた。牢銃を使ってシーゼを捕えるのは期待が薄いといったのは、侑里自身だったからだった。
「仇を取ってくれるというのか」
「ええ。任せておいて」
「反乱軍に期待せずに、おぬしらに期待しようかの」
マロウは力強くいった。
「それじゃあ、マロウさん、お世話になりました。お元気で」
「ああ、お前たちも気をつけて」
侑里が街に背を向けて歩き出す。零は動揺しながらも後に続き、レミは街のみんなに手を振り、歩き出した。
だが、湊人だけが、一歩を踏み出すことができなかった。侑里の心境の変化はつかめないが、牢銃をもらうのであれば、ほんとのことを話すべきだと思ったからだった。
「あの、マロウさん。実は」
「おまえさんは、ミナトといったね」
「は、はい」
「昨晩の話、悪いと思ったが立ち聞きさせてもらった」
「え」
「それを踏まえて、いわせてもらおう。きっとお前たちならペナートを見つけることができるだろう。この国を救うおうと考えてくれた想い、ほんとにありがとう」
そういって、マロウは頭を下げた。
この気持ちに応えたい、そう湊人は思った。そのために強くなりたい。どういう風に強くなりたいのか、なぜ強くなりたいのか、まだわからない。
だが、何かしらの役に立ちたいと思った。
その気持ちを湊人は一言に込めた。
「いってきます」
力強く答え、湊人は一歩を踏み出した。
★ ★ ★
十番目の名もなき街が、次第に見えなくなっていく。再び、草原と星々だけの空間が訪れる。空間は代わり映えしないが、確実に、自分たちの気持ちは、この国、オブリヴィオンに訪れたときに比べて変わっていた。
湊人は、先頭を歩く侑里の隣に並び、声をかけた。訊ねたかったことは、もちろん心境の変化についてだった。
侑里もこちらの意図を察していたのか、こちらを見て笑みを浮かべた。
「やっぱり、来たか」
「うん、聞かせて欲しい」
「私ね、湊人がいっていたことをあのあとも考えてたんだ。なんで、湊人はこの国を救いたいなんていうんだろうって。私たちには関係ないし、目的を達すればいい。その考えがずっとあって。おかげで、ちょっとだけ寝不足なんだからね」
侑里は人差し指で、湊人の頬を突いた。
「そのおかげもあって、どうして湊人が、この国を救いたいというのか、その理由にどうしてレミちゃんがかかわってくるのかを、やっとわかったんだ。あのとき、私は、レミちゃんは私たちの世界を救いにきたわけじゃない、自分の目的を遂げる過程に、私たちの世界と絡んでいただけといったよね」
「うん」
「私は、勘違いしていた。あの子は、自分の目的のことだけを考えていると思ってた。だけど、そうだとしたら、私たちの世界について触れる必要はなかった。だけど、そうしなかった。そう思ったとき、気づいたんだ。この世界に来る前に、私はみんなを助けたい、といったあの言葉は、自分の世界のことだけじゃなく、私たちのことも含まれてたんだって」
侑里は後方にいるレミを一瞥した。その表情は申し訳なさそうな顔をしていた。
「それに気づいたとき、この世界に来た意味はあるんじゃないかと思ったの。宝石を探すことだけじゃなく、レミちゃんが私たちの世界を救う賢者として現れたように、私たちも、この世界を救うための何らかの役目を担っているんじゃないかって。だから、安全策はやめた。あれじゃあ、役目を果たすことはできないから」
そうだったんだ、と湊人は思った。
「マロウさんから牢銃をもらったのも、そのためだったんだね」
「うん、私たちはひ弱だから。そうでしょ?」
侑里は湊人の顔を覗き込むようにしていい、ふと笑った。湊人ともそれにつられて笑っていると、後ろから零が二人の間に入ってきて、肩に腕を回した。
「なんだなんだ、楽しいことがあるなら、俺にも教えてくれよ」
「だーめ、私と湊人だけの秘密」
「は? 三人の仲じゃねーか。秘密はないだろ」
「零には関係ない」
「それは聞いてから俺が決める」
零は二人に回していた腕を降ろすと、侑里の方を見た。
「話したとしても、Aランクの人にはわからないだろうなあ」
「なんだ、その嫌味ないい方は」
零は不満気な顔をした。
「まあ、秘密のことはいいや。だけど、老中を貰う必要はなかっただろ。部屋から抜け出す芝居をしたときは、牢銃が欲しいといったけど、実際には俺の力だけで充分だろ。たぶん護身用にもならないと思うぜ。最終的には、この世界に来たっていう観賞用になるかも」
「自分の力にうぬぼれていると、足もと掬われるわよ」
「うぬぼれてない。俺は事実をいったまでだ」
侑里はもうわかったといわんばかりに、あっちいけと手を払った。
「なんだよ、冷たいやつだな。レミちゃんはこんな女になって欲しくねーなあ」
「レミちゃん、こういう自信過剰は、相手にしないほうがいいよ」
二人から賛同を求められるが、なんと返事していいか困ったのか、レミは苦笑いするだけだった。
「二人とも、レミを困らせるのはやめよう」
湊人が割って入ると、零と侑里は、責任の押し付け合いするかのように顔を突き合い、そっぽを向いた。
「いつも、あんな感じなんですか?」
レミが湊人にいった。
「まあ、そうだね。あれが一日に一回はあるよ。だから、僕の中ではお約束みないなものになってる。むしろ、こんなやり取りがないと、喧嘩してるんじゃないかって思うぐらいだよ」
「へえ、湊人さんも大変ですね。そのたびに、仲裁しないといけないなんて」
「いや、今回は、レミに話題を振ったからいっただけで、普段は聞いてるだけだよ。二人は互いのことを認めてる。そうじゃなかったら、こんなやり取りできないからね」
「いわれてみれば、そうかもしれません。湊人さんは、二人とあんなやり取りしないんですか?」
「僕は、しないなあ。特にいうこともないから」
「やっぱり」
「そんな気がしてた?」
「湊人さんって、なんか言葉が優しいというか、思いやりがあるというか」
「それはきっと、個性の影響だね。幼いときから、色んな人の言葉を聞いて、感情を受け止めてきたから、何の気なしに使ってる言葉が、いかに恐ろしいモノか知ってるんだ」
「言葉が恐ろしい?」
レミは首を傾げた。
「言葉って、人を癒すこともできるし、傷つけることもできる。誰でも持ってるけど、扱いにくい道具なんだ。だからかな、僕は冗談もあまりいわない。なにが相手を傷つけるかわからないから」
「でも、それって窮屈じゃないですか?」
「そうだね、とても窮屈だ。だからこそ、友達の存在はありがたいと思う。互いのことを思い合ってるし、許容もある程度わかってる。だからこそ、冗談をいい合える。とはいえ、それに甘えると亀裂が生じることがあるから、やっぱり注意は必要だけど思うけどね」
「でも、湊人さんは冗談をあまりいわないと」
「いや、それは、ほんとにいうことがないからだよ。二人を友達だと思っていないわけじゃないからね」
「わかってます。冗談です」
そういって、レミはにこりと笑った。この子はやり手だなあ、と湊人は思った。なんとなく、言葉の言い回しや雰囲気が侑里に似ているような気がした。
すると、前を歩いていた零が、声をあげた。
「おっ、フーリエが見えてきたぞ」
前方に見えてきたのは、ビル群だった。名もなき街とは違い、フーリエはコンクリートの建物が建ち並んでいた。
足を踏み入れると、すべての建物のシャッターが閉ざされていた。シャルルがいっていた活気を感じることはできなかった。
当然といえば、当然だった。人の姿はなく、壁には銃弾の痕や、血飛沫が濁った色で残っていた。時折、ビルとのビルの隙間風が、せせら笑っているように聞こえ、不気味さを感じた。都市にいるというよりは、廃墟にいるような気分だった。
「はあ、まずは人探しからか。面倒臭いなあ」
溜め息混じりに零がいった。
侑里は辺りを見回しながら、零の意見に同意した。
「そうね。この都市は広いって話しだったから、骨が折れるかも。多少危険でも、私たちを敵とみなして、襲ってきてくれた方が、ありがたいぐらいね。ひとまず、歩き回ってみない。立ち止まっていてもどうしようもないから」
侑里の提案で、再び四人は歩き出すが、歩けど歩けど人の姿がなかった。成果といえば、フーリエの土地が、碁盤目のようになっていることがわかったことだった。
「困ったわね。これじゃあ、埒があかない」
「なにか方法はありませんか?」
レミが訊ねると、侑里は顎に手を当て考え出す。
「いっそのこと、暴れてみるか」
零が提案すると、侑里は険しい顔になった。
「そんなことしたら、敵と勘違いされるでしょ」
「シャルルの手紙が、まだ残ってるし、それで納得させればいけるんじゃね?」
「零はちょっと黙ってて」
「またかよ。俺は何度黙ってればいいんだよ。俺はな、手っ取り早い方法を提案してるだけなんだぞ。足蹴にすることねーだろ。それに侑里だって、敵とみなして襲ってきてくれた方がありがたいって、いっていたじゃねーか」
「私のは受け手、零のは攻め手、全然立場が違う。どこの世界に暴れてる人の話を信じる人がいるの。ここにはペナートさんがいる可能性が高いんだから、フーリエの人には、私たちが敵ではないことを信じてもらう必要がある。そうでしょ」
「侑里がいいたいことはわかる。だけど他に手があるのかよ。その顔は浮かんでないんだろ? だったら多少強引でもいいじゃねーか」
そのとき、遠くの方から音が聞こえてきた。こちらに近づいてくる。
「なんだ、この音」
零が音のする方向をじっと見つめる。
聞き覚えのある音だった。喉元まででかかっているのに、思い出せない。
「このまま待ってみるか? もしかしたら、ここの人かもしれねーし」
「いえ、いったん隠れましょう」
レミがいった。
「この音は、シャルルさんの街を襲っていたビトリアルの人たちが乗っていた、スエーのエンジン音と一緒です」
そうだった、と湊人は思い、レミの意見に賛同した。
「僕も隠れた方がいいと思う」
「面倒臭いから、迎え撃った方がいいんじゃないのか?」
零は槍を具現化させる。
「相手の人数がわからないから、迎え撃つのは危ないよ。まずは敵を把握しないと」
「仕方がねえーな」
四人は、隣の道に移動すると、壁際から覗き込むようにして、さっきまで自分たちがいた道に目を向けた。
スエーが数台、通り過ぎていく。乗っていたのは、レミの予想通り、ビトリアルの武装した者たちだった。
「ここから、どうするんだ?」
零が誰ともなく訊ねたとき、離れていくエンジン音に混じって銃声が轟いた。次いで雄叫びが聞こえてきた。
「暴れだしたようだな」
「来た道を戻って、様子を見ましょ。それからでも対応するのは遅くないと思うから」
そういって、侑里は来た道を戻り、表には出ずに、ビルの脇から表の様子を窺った。
ビトリアルが暴れているのかと思いきや、両側の建物にある窓という窓から、銃器を持った者たちが、下にいるビトリアルの兵士たちに向けて、弾丸の雨を注いでいた。
その光景に、暴れなくてよかったと湊人は心底思った。零に視線を向けると、目が合った。これ以上ない罰の悪そうな顔をしていた。
「よかったわね、零。私が止めて」
「はい。まったく、その通りです」
侑里の前に、零は申し訳なさそうにうなだれた。
この間にも、ビトリアルとフーリエの人々の戦いは激しさを増していった。
その中にシーゼの姿があった。手には機関銃を持っていた。出会ったときのように舌を出しながら、笑みを浮かべて的確に窓にいるフーリエの人たちを仕留めていく。
ビトリアル側は、閉ざされたシャッターを爆破して、ビルの中へと流れ込んでいった。外に残っている者は、引き続き窓から狙うフーリエの人たちを狙い撃っていく。
そこへ、フーリエ側は第二陣を投入した。前方、後方から銃器や武器を持って突進した。
フーリエ側の勝利かと思いきや、両側から挟んでいたビルの窓側が吹き飛んだ。
高い位置をビトリアルに占拠され、立場は一転する。
「おそらくフーリエは、この一戦に賭けてるわね」
湊人も侑里と同じことを感じていた。フーリエ側の士気が衰えないのは、背水の陣なのだろう。
「このままだとまずいわね。ビトリアルにフーリエを占拠されかねない。ここは討って出ましょう。相手の数は多いけれど、フーリエの人たちが持ち堪えているうちに参戦した方がいいと思う」
「そうだね。それがいい」
いよいよだ、と湊人の拳に力が入る。
「作戦は?」
「作戦ってほど大それたものじゃないけど、すべきことは、地の利を得た、ビトリアルの兵士たちを倒すことを優先したいと思う。だから、前方から向かってくる敵と銃弾を零とレミちゃんが担当して欲しい」
侑里の作戦を聞いていた零とレミは、わかった、と返事をした。
「僕は?」
訊ねた湊人の肩に、零が手を置いた。
「湊人は、ここに残ってろ」
「なんで。鍛えてきたんだから、今ならできるよ」
「だからこそ、駄目だ」
「どうして?」
「対人なら俺も止めやしない。生身の相手なら、苦戦することなく、勝てるようになってるはずだ。だけど、対銃撃はこれまで数えるほどしか訓練してきないんだろ? だから、湊人をあの場に立たせたくない」
湊人は奥歯を噛みしめた。零の心使いを感じていても、表に出てビトリアルを追い払う一旦を担いたかった。
あの夜、侑里にあそこまでいっておいて、このまま何もできないのかと思うと、悔しくてたまらなかった。
だが、湊人は身を引くしかなかった。なんといっても、零が首を縦に振ることがないことは、伝わってきた感情でわかっていた。
「わかった。ここで待ってるよ」
湊人が返事をすると、三人は表に出た。
侑里は弓を具現化して、親指と人差し指の股除く、三か所に矢を挟み、狙い撃つ構えを取った。しなった弦を離すと、三本の矢は的確にビルの上にいる兵士たちに命中し、倒れていく。
こちらの存在に気づいたビトリアルの兵士は、銃器を侑里に向けて撃った。作戦通り、零は具現化した槍で弾き落とし、レミは具現化した指抜きの皮手袋をはめた手で、銃弾を受け止めて地面に落としていった。
ビトリアルの兵士たちの目には、三人の姿が脅威に映ったのだろう。逃げ出す者が現れた。
だが、それを許さない者がいた。
シーゼは、戦場から背を向けた者に、容赦なく弾丸を撃ち込んだ。
「てめえら、何をビビッてるんだ! 撃て、撃て、撃てええええ!」
ビトリアルの兵士たちは、シーゼの脅迫に正気を失い、四方八方に銃を乱射し始めた。
すると、零は侑里から離れて、兵士たちに向かって走り出した。地の利を得ていた兵士たちは、もうそれほど残っていない。防御はレミだけで充分だと判断し、侑里はシーゼ以外の一掃を零に頼んだのだろう。
零は、華麗な槍さばきで、ビトリアルの兵士たちを、次々になぎ倒していく。
銃撃で五月蝿かった戦場が、静寂に包まれた。両者の兵士たちは、隙を見計らい、どこかへ行ってしまった。
湊人は、そっと表に出て辺りを見回した。多くの人が地面に横たわっていた。見上げれば、ビルの骨組みとなっている部分にひっかかり、ぶら下がっている人もいた。
正面を向くと、機関銃を手に持ったシーゼが、にたにたした顔をしながら、舌を出していた。
「おまえらか。こんなに早く会えるとはなあ。どこかの街に隠れて、震えてると思っていたよ。おっ、そっちにいるのは高台にいた女じゃねーか」
シーゼは高揚し、侑里とレミを舐めるような目で見ていた。
「そこの御嬢さん、俺のところに来なよ。いい思いさせてやるから」
「あんたみたいな、ゲスな男のところに行く馬鹿がいるの?」
毅然とした態度で侑里がいってのけると、シーゼは高笑いした。
「強気なところがますます気に入った。十番目の名もなき街には、お前みたいな女はいなかったからなあ。どんな顔をしながら泣き叫ぶのか、聞きたいもんだ」
「許せない」
一歩踏み出した侑里を制止させるように、零が腕を出した。
「こいつの相手をするのは、俺だ」
「野郎には興味がないが、まあ、死にたいのなら殺してやる。楽しんでいる途中で邪魔されるのも癪だしな」
「強者の影に隠れていることをいいことに、粋がってるヤツの言葉は、ほんと虚しいだけだな」
「なんだと?」
シーゼの眉がぴくりと動いた。
「なんだ、気に障ったのか。ただ街を破壊するだけの能無しにしては、自覚していただけに上出来だな」
「てめえ……あの街で宣言した通り、その減らず口を叩けなくしてやる」
「やってみろ」
零は、槍を斜に構えた。
最初に動き出したのは、シーゼだった。機関銃を連射して、零の胴体を狙い撃った。零は意に介さずに、突進する。吸い込まれるように矛先がシーゼの腹部に向かっていく。
シーゼは避けられないと思ったのだろう。機関銃を盾にした。
「馬鹿が!」
零はもらった、と確信した顔をした。
この光景は、シャルルと戦った時と似ていた。違うところといえば、シーゼが死体を盾として使っていないことだった。
戦闘において零は、同じミスをしたりはしいない。ましてや、死体を盾としてシーゼが使っていない分、湊人は確実に仕留めたと思った。
しかし、矛先がとらえたのは機関銃だけだった。
シーゼは機関銃に矛先が当たった瞬間に後ろに飛び、串刺しを免れた。
再び、二人はにらみ合う。
零は構え直し、シーゼは武器を失った。
前回の戦いはここまでだった。それだけに、さっきの一撃で仕留めきれなかったのは、痛手だったかもしれない。
本番はここからだ、と湊人は思った。
シーゼは不敵な笑みを浮かべ、懐に片手を突っ込んだ。
「生身の身体で、よくここまでついてきたな。だが、これで終わりだ」
そういって、シーゼが懐から出したのは、指揮棒だった。
「おい、俺を舐めてるのか?」
零が問うも、シーゼは何も言わずに駆けだした。迎え撃とうと零も駆け出し、槍を地面と水平に突き出した。
「これで終いだ!」
不思議なことに、零の槍とシーゼの指揮棒が衝突した。
弾き飛ばされたのは、零の方だった。宙で二回転し、地面に擦るようにして倒れ込んだ。
「ほら、立てよ。今ので死ぬような玉じゃねーだろ」
零はすぐに立ち上がり、再度、自ら突っ込んでいった。
「おまえは、俺に街を壊すだけの能無しといったが、お前はただ突進するだけの能無しだな」
槍の矛先と指揮棒が触れたとたん、シーゼが指揮棒を右に振った。それに従うように零は右に弾き飛ばされ、激突したシャッターはひしゃげていた。
「俺の指揮は絶対だ。誰も逆らうことはできない」
湊人は目を疑った。戦いにおいて、零が地面に倒れていることなど、これまでに一度も見たことがなかった。
そもそも、常に強者でいた零が、劣勢に立たされていること自体が、信じられなかった。シーゼの力は、Aランクの実力を、新堂零という男以上の実力を持っているのか……。
そんなはずはない。零が負けるはずがない。零なら勝てる。零が勝つ。
湊人は、無意識に、力を込めて指組みをしていた。
「どうだ? 思い知ったか俺の力を! 今さら泣いて命乞いをしても無駄だぞ。嬲って殺してやる」
「だからいってるだろ。喋るだけ虚しいって」
零はよろめきながら立ち上がると、手離してしまった槍を拾い上げて、また斜に構えた。
「同じ手ばかりを繰り返すとは、能無しにもほどが」
そういいかけて、シーゼは口を閉ざした。
それもそのはず、遠くに立っていた湊人でさえ、怖じ気づいてしまうほどの気迫を感じていた。全身に鳥肌が立ち、吐き気がしてきた。
気迫とは、まったく別物。混じり気なしの殺意を込めた気迫だった。
「いくぞ」
これまでのように零は突っ込んだ。
シーゼは、気迫に気圧されていたものの、これまでと同じ行動を取る零に、ほくそ笑んでいた。
「やっぱり能無しか」
シーゼは狙いをつけて指揮棒を振ったが、その寸前で零は動きを止めた。予想外の出来事に、シーゼは対応できずに振り切ってしまう。
零は、がら空きになった肩に槍を突き刺し、すばやくその場から離れ、またも突っ込んでいく。
ここでも零は、変則的な動き方をした。突こうとしていた槍を自ら逸らし、攻撃をしなかった。この変則的な攻撃とフェイントを織り交ぜ、シーゼは手足に四か所の穴を空けられる。
テンポが狂い、零の攻撃に対して疑心暗鬼になっているようだった。
「そろそろ、終わりだ」
そういって零が身体を前に倒した刹那、その場から姿が消えた。驚いているうちに、シーゼから悲鳴が聞こえた。顔を向けると、シーゼの左肩に槍が突き刺さっていた。
零は素早く槍を抜き、その場で、もう一度攻撃の態勢に入った。
シーゼは、指揮棒で自身を守ろうするが、そのときはすでに零の姿なかった。
「こっちだ」
シーゼが後ろを振り向くと、太ももに槍が突き刺さった。悲鳴を堪え、苦痛に顔を歪ませながらいった。
「おまえ、何者だ。能力者なのか?」
「これから死ぬやつに、答える必要はない」
零は槍を引き抜くと、また視界から消えた。
シーゼは指揮棒を構えて辺りを見回し、抵抗する様子を見せたが、次第に動きが鈍くなる。操り人形のようにぎこちない動きをしていた。なにが起きているのか、気づくまでにそう時間はかからなかった。
シーゼの腕と脚に、悲鳴をあげる暇もあたえない速さで、零が槍を突き刺していたのだ。地面が血で濡れていく。もう身体を支える余力がなくなったのか、シーゼはその場に膝から崩れ落ちた。
零は、どこからともなく姿を現し、矛先をシーゼの鼻先に向けた。
「一定の速さにはついてこれても、変則は苦手のようだったな。指揮者失格なんじゃないか?」
シーゼの顔は血の気が引き、真っ青だった。
零が槍を引いたとき、シーゼが擦れるような声を出した。
「ま、待ってくれ」
その声に反応し、零は手を止めた。
「殺さないでくれ。頼む。ビトリアルのやつらの情報をやる。お前は俺に街を破壊するだけといったが、俺たちは、ある人物を探しているんだ」
「誰だ?」
「ペナートって男だ」
その名を聞き、四人は驚いた。まさか、ここでペナートの名が出てくるとは思ってもみなかった。
「俺は、ペナートを見つけないと殺されるんだ。俺は、自分を、愛する人を守るために仕方がなく」
シーゼの言葉は赤文字だった。
しかし、零は、シーゼが項垂れたのを見て、槍を下げようとしていた。
「零、それは嘘だ!」
湊人が叫ぶと同時に、シーゼは飛びかかり、指揮棒を振りかぶった。
「俺の勝ちだ!」
だが、シーゼの不意打ちは、零に届かなかった。
零は、紙一重で交わしたのだった。
そのとき、湊人には、二人の行動がスローモーションのように、ゆっくりと見えていた。
湊人の目は、シーゼの最期をとらえていた。いつものように、にたにたとした笑みを浮かべ、舌を出していたが、どことなく、虚しさが滲み出ていた。
死が確実となったことを悟り、魂が抜け落ちたのか。それとも、自身の目的を達することができなかったことへの想いなのか。
もう訊ねることは叶わないが、あんな虚しい顔をして死ぬのだけはごめんだと、湊人は思った。
零は振り返り、シーゼの心臓めがけて槍を突き刺した。
勝った。
だが、新たな問題が生まれた。
自分たちとビトリアルに共通事項があることが、明確になったのだった。
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