第2話 運命

|真っ白な世界で、一人の影だけが、ぽつんと佇んでいた。

 自分との距離は離れていたが、瞬きをするたびに、影との距離が縮まっていく。


「きみは誰だい?」


 声をかけるが、その影はいつものことながら、返事をしてくれなかった。

 しばらくの沈黙が続いたあと、影の後ろから扉が現れた。

 装飾を施した荘厳な扉だった。

 あのシンプルな扉とは違う、別の扉。

 夢から醒めないように、影と扉に集中する。

 いつもここで、夢が終わってしまうからだった。

 しかし、今日も続きを見ることは叶わず、玲条湊人れいじょう みなとは目を覚ました。

 ベッドから身体を起こすと、自室から襖を挟んだ隣のリビング兼台所に移動して、トーストで焼いたパンと目玉焼きを朝食とした。

 こんな生活が、昔の人たちにとっては一般的だったと思うと、なんて平和だったのだろう。

 この世も、ようやく平和が訪れた。

 ほんの半年前まで、血を流す戦いが続いていた。事の発端は、能力者たちにあった。能力者とは、生まれたときに、二つの資質が備わっている人のことを指す。

 一つは、武器。身体から、剣、槍、弓、打、四つの適性のうち、一つを具現化する。

 もう一つは、個性。一般の人には、才能という言葉に置き換えられている。

 戦いが起きるまでは、武力を使わず、個性だけを使っていた。武力を行使してしまえば、血を流すことになってしまうからだ。これが暗黙の了解であり、それが当たり前だった。

 だが、その暗黙の了解を鬱陶しいと思う者たちもいた。その者たちは、武力に偏った能力を持っていたからだった。

 おもちゃを手にいれれば、遊んでみたくなる。武器を手に入れれば、威力を試してみたくなる。能力を持っている者は、自身の資質を試してみたくなる。

 欲求が背を押し、暗黙の了解を破る者が現れ、各地で猛者たちが、それぞれの思想を掲げて立ち上がり、悲惨な戦いが続いたのだった。

 それも、三か月前に終止符が打たれたことで、こうしてのんびりと、ホットココアを飲んでいられる。

 湊人が、ほっと溜息をついていると、インターフォンが鳴り、直後に扉からノックの音がした。軽快なリズムを刻んでいる。

 椅子から腰を浮かしたとき、以前に、合鍵はポストの中だと教えたことを思い出し、湊人は浮かした腰を下ろし、再び湯気の立つココアに口をつけた。

 間を置いて、鍵が開く音がすると、元気な声が聞こえた。


「湊人、まだ寝てるの?」


 湊人は、部屋に入ってきた姫川侑里ひめかわ ゆりの姿は、いつもと違っていた。艶のある長い髪を、今日はヘアゴムで結び、ポニーテイルにしていた。

 一番の変化は、昨日、支給された制服を着ていたことだった。これまで上下黒地の軍服を着ていたこともあり、紺色の上着、チェック柄のスカートという姿に違和感を覚えた。


「なんだ、起きてるじゃん」

「侑里、心配し過ぎだよ」


 終戦した日から一か月間、湊人は緊張から解き放たれて、一度も学校に行かなかったのだ。それを気にしてか、侑里は毎日のように家へ来るようになったのだ。

 それからは、自分が玄関を開けるまで、ずっとインターフォンを鳴らすという、地獄のような攻撃を受け続け、それを解消するために、合鍵の場所を話したのだった。


「ねえ、どう? この格好」


 侑里は、その場で回ってみせた。いい返事がくることを期待している感情が、湊人の心に伝わってきた。

 湊人の個性は、言葉から真偽を見抜くことができ、言葉に乗る感情を心で受け止めることができる。真偽の判定は、言葉を発した者の頭上に、真の場合は青文字、偽の場合は赤文字となって綴られる。


「似合ってるよ。でも、今日はどうしてポニーテイルにしたの?」

「一新したかったの。せっかく制服を着るんだから、ついでに髪型もね。あのさ、湊人も制服を着てよ」

「うん、いいよ」


 湊人は、皿を片付けたあと、隣の部屋に行き、クローゼットを開けて、まだビニールが被せてあった制服を開けた。女子の制服とは違い、上下黒の学ランだった。

 着替え終わると、侑里が部屋に入ってきた。


「入っていい?」

「いいよ。こんな感じ」

「なんか、湊人には合ってない気がする」

「そうかな。別にいいと思うけど」


 侑里が、クローゼットに目をやった。


「上着の学ランは脱いでさ、この服でもいいんじゃない? 必ず制服を着て来いとはいっていないんだし」


 侑里が手に取ったのは、赤地のウィンドブレイカーだった。


「こっちの方が似合うと思う」


 その言葉は、侑里の頭上に青文字で綴られていた。そして、この方がいい、という押しの感情が伝わってきた。

 自分の個性を侑里は知っている。だからこそ、心の方からも強めにアプローチしてきた。


「わかった。これを着て行くよ」


 湊人の身支度が整うと、二人は家を出た。

 外は相も変わらず、戦いの爪痕が残っている。道路のコンクリートは剥がれた状態で、標識は、くの字に折れ曲がり、住宅地だった場は、焼け野原となっていた。

 それでも少しずつ、復興はしている。

湊人が住んでいる仮設住宅も、その一つだった。他にも、市役所や遠くに見えるビル群も着々と元の姿を取り戻そうとしていた。

 しかし、まだ解決していない問題を抱えていた。それは、この国に留まらず、世界を巻き込んでいた。


「さすがに二か月経つと、この景色にも慣れてきたね」


 侑里は歩きながら、空を見上げた。その先に映る光景は、異様としかいいようがない。

 夜空に観測不能な閃光が発生したあの日から、日中だというのに、空には朝と夜が混在するようになった。最初は、新手の能力者の力、世界が終焉を迎えるなど、様々な噂が飛び交い、騒いでいた。もちろん、湊人も例外ではなかった。

 だが、現状が継続していくなかで、何も起こらなければ慣れがきてしまう。

 二か月ほど経った今日、誰もが騒がなくなった。


「だけど、ほんと困るんだよね」


 侑里が溜め息をついた。うんざりした気持ちが伝わってくる。


「なにかあったの?」


「夜の時間帯でも、明るいでしょ。何時なのか、わからなくなる時が未だにあるん

だよね」


 朝と夜が混在しているせいで、今が朝の六時なのか、夜の十八時なのか、わからなくなるのだ。


「アナログ時計からデジタル時計に替えたら? 僕は、それで改善できたよ」

「まさか、空の明るさが、こんなに大切だったとはね」


 しみじみといっていた侑里が、急に立ち止まった。

 侑里が顔を向けた先に目を向けると、対面の歩道に、新堂零しんどう れいの姿があった。軍服ではなく、学ランを着ていた。大きな目は、しっかりと前を見据え、自信に溢れた足取りで、歩を進めて行く。

 湊人が声をかけようとすると、侑里が待ったをかけた。


「ねえ、ちょっと様子を観察してみない?」

「そういうのは、やめておいた方が」

「いいじゃん。普段、一緒にいるだけに、私たちの前では見せない一面があるかもしれないし。はい、決まり」


 楽しそうな顔をして、侑里は歩き出した。

 斜め後ろから零を観察していたが、さほど変わった様子は窺えない。当たり前といえば、当たり前だった。通学中に異様な行動を取る方が難しい。

 あえて異様というならば、零ではなく、他の生徒たちの様子だった。とくに反応が大きかったのは、女子だった。話しかけることはしないが、すれ違う零を見て、目を奪われていた。

 その理由は、単純明快であり、新堂零という男の経歴にある。

 軍事学校改め、共進高校は、能力者だけが入学することが許された学校だった。

 能力には、規定のランクがあり、A、B、C、D、Eの五段階がある。

 ランクは、攻撃力、防御力、素早さ、能力値の総合評価で決まる。

 その中でも、零はAランクであり、その強さは、同年代だけで比べると、全国で五指に入るといわれている。

 先の戦では、敵方の主力の首を獲った。それだけでなく、ルックスもいい。中世的な顔立ち、背が高く細身でありながら、鍛え上げられた肉体を持っている。

 天は二物を与えないのではなかったのか。

 そんな零に、湊人は同級生であり、友達ながら憧れていた。

 彼の強さに。

 当然のことだった。

 湊人はEランクなのだ。それだけではなく、すべての値において、能力を持たない者、一般人と同じレベルであり、学校始まって以来の低能力者なのである。


「なんだか、面白い反応もないし、つまらないね。もう零に声をかけようか」


 周りの女子の反応を見ながら、侑里がいった。前々から気づいていたが、侑里は零のことを気にかけているようだった。

 二人は、横断歩道を渡り、零が歩く歩道に移動すると、侑里が声をかけた。


「零!」


 零は立ち止まり、振り返った。

 侑里が駆け寄っていく姿に、今度は男子が目を奪われていた。

 実は、侑里も零と劣らぬほどの人気を誇っている。ランクは零よりも一つの下のBではあるが、侑里は戦場で自身の個性である『観察力』で成果を上げ、一目置かれる存在であり、くわえて女性としての魅力がある。スタイルはいわずもがな、周りに対しての気遣い、時折見せるどこか遠くを見るような目が、男子の心を射止めていた。


「なんだ侑里か。おっ、湊人! おはよう」

「おはよう」


 湊人が歩み寄っていく間、自分にも視線が及ぶ。それは、二人の輪に入っているからこそだった。

 決して、羨ましいとか、そういう目ではない。異物を見るような目だ。

 なぜなら、ランクが低い者は、少なからず劣等感を持っている。同様にランクが高い者は、優越感を持っている。その感情が、互いの関係を邪魔してしまう。どうしてもランクが低い者は、嫉妬してしまい、相手の言葉を邪推してしまう。

 それだけに、周りには、二人と会話している自分の姿が異様に映ってしまうのだ。

 おまけに、Aランクの零、Bランクの侑里と話している最低ランクのEである玲条湊人という男は、何かすごい力を持っているのではないかと囁かれるほどだった。

 湊人も、たしかにランクが低いという劣等感は抱いているものの、それと人間関係は別と割り切った。いや、割り切ることができた。おそらく、初めて出会ったときから、この二人から憐みなどを言葉から感じることがないからだった。だからこそ、軍事学校の入学時に出会ったときからここまで、関係が続いているのかもしれない。


「つか、なんで上着がウィンドブレイカーなんだ?」

「ああ、侑里がこれの方がいいって」

「へえ」


 再び歩き出すと、零がいった。


「ところで、今日の放課後はどうする?」

「できれば、また協力して欲しいな」


 二人の会話を聞いていた侑里が、呆れた顔をした。


「また訓練するの? もう戦いは終わったんだから、別にそんなことしなくてもいいんじゃない」


 戦いが終焉を迎えたあと、湊人は自主的に訓練場で、身体を鍛えていた。

 湊人は、学校に行かなかった一か月の間、腑抜けていたわけではなかった。

ランクを少しでも上げ、低能力者から脱するために、基礎体力を作っていたのだ。

 その気持ちを呼び起こしたのは、戦での出来事がきっかけだった。

 ランクによって、出陣場所が違う。勝つために、勝てる場所に割り当てられる。

 湊人の相手は、一般人だった。他のEランクの人たちは、敵のEランクと思われる人たちと戦っていた。

 湊人だけが省かれたのは、銃弾を弾き落とすことが、できないからだった。動体視力、反射神経がなければ、能力者と戦っても一撃で殺されてしまう。

 しかし、一般人ならば、気を付けるのは銃弾のみになる。それだけに集中していれば、勝利を収めることができる。だらこそ、湊人は一般人と戦うことになった。

名ばかりの能力者であることを自覚させられたのだった。

 悔しかった。腹立たしかった。

 ここ数日は、零との特訓のおかげで、今では銃弾を弾き落とすほどの反射神経はないが、目で追うことは、できるようになった。


「僕がやりたいことだから」

「よくわからないなあ」


 首を傾げる侑里に、零が鼻で笑った。


「侑里、お前は男心ってやつが、てんでわかってねーな。男ってのは、時として強くありたいと思うことがあるんだよ」

「なんか面倒臭いね」

「面倒臭いって、お前なあ」


 話をしているうちに、共進高校が見えてきた。


「今日から、どんなことをするんだろうね。制服が支給されるまで、ずっと学校に顔を出せとしかいってなかったからね」


 侑里が期待を込めながらいった。

 これまでは、戦を仕掛けるか、仕掛けられるまで、戦闘訓練を行ってきた。接近戦、遠距離戦、それら二つを混ぜた実践形式戦、しかし、これからは学業が主体となるのだろう。

 戦うことは、もうないのだから。



                 ★ ★ ★


 

 放課後、三人は訓練場にいた。

 室内でありながら、床には柔らかい土が敷いてあり、壁には衝撃を吸収できるだけの設備が施されている。

 湊人は自身の武器、剣を具現化して、槍を手にしている零と対峙していた。

 武器の威力は、最低限まで落とさなければならない。そうでなければ、どちらかの攻撃が通ってしまうと、受けた方が死んでしまうからだった。

とはいえ、攻撃をくらえば、思いっきり頬を叩かれるほどの痛みはある。

安全が保障されている中でも、湊人は実践という意識を持っていた。実際での戦いでは、一撃イコール死に直結しているからだった。

 湊人は積極的に攻撃を仕掛けていく。自身の中で掲げている目標、零に一撃を与えることを達成するために。

 しかし、ランクの差、実力の差、腕前の差が、大きく湊人の前に立ちはだかっていた。自分の攻撃を、零はことごとく受け流していく。零の槍を左右に揺さぶり、隙を作りたいのに、それがまったくできない。

 湊人は焦った。どうにかして状況を変えたい、そう思って剣を大振りした。その攻撃を待っていたかのように、槍の柄が湊人の横腹に命中した。

 湊人がひるむと、零は畳みかけるように、矛先で湊人の身体を突いた。

 突きのラッシュに、湊人は防御もままならない。

 耐え切れず、その場に倒れた。


「ほらほら、どうした、どうした!」


 息があがり、大の字に倒れている湊人に、新堂零が激を飛ばす。


「ここでへばるのか。根性を見せろ、根性を。稽古をつけて欲しいといったのは、どこのどいつだ」


 湊人は、剣を支えに立ち上がった。あえて嫌味な言い方をしているのが、湊人の心に伝わってくる。


「もう一本」

「よし、かかってこい」


 そういって、今日、初めてこの訓練の中で、零は個性である気迫を発揮した。肌が焼けるような、ひりひりとした感覚がした。零は槍の柄を両手で握りしめ、頭上へと持ち上げて構えた。

 湊人の目には、一部の隙も見当たらなかった。まるで結界を張っているようだった。

 気負うな、行け! 行くんだ!


「うわああああああ」


 湊人は、弱気に流れた心を払拭するかのように、声をあげて突っ込んだ。うまく槍をいなして接近戦に持ち込めば、勝機はある。

 だが、自分がすべきことを、逆に零にされてしまい、がら空になった横腹に槍の柄が命中した。

 湊人は、その場にうずくまると、零が、槍の底で何度か地面を突き、立ち上がれと催促してきた。


「終わりか? これで終わりなのか」

「終わりに決まってるでしょ!」


 侑里が二人の間に割って入った。


「湊人、だいじょうぶ? こんな一方的なのは、訓練っていわないんじゃないの」


 湊人の背に手を当てていた侑里は立ち上がり、じっと零を問い詰める。


「いや、僕が頼んだんだ。ちょっとだけ本気で戦って欲しいって」

 横腹を押さえながら、やっとこさ、湊人は立ち上がった。

「でも、あんまりじゃない」

「そうでもないよ。Aランクに手合わせを願えるなんて、普通じゃありえないからね」

「だけど、個性まで使うなんて」


 侑里が零に非難の目を向けた。


「あのな、能力者は個性を織り交ぜて、戦いを挑んでくる場合もあるんだ。単なる訓練なら使わなかったけど、ちょっと本気でと言われたら、使ってもいいだろ」

「加減をしようっていってるの。端で見てた私だって、気が引くほどだったんだから。まったく、Aランクが大人げない」

「うるせーよ。で、どうする、湊人」

「ちょっと、休憩で」


 やっと痛みが引いてきた。湊人はそのまま、仰向けに寝た。

 零は具現化させていた槍を消し、地面にあぐらをかいて座った。


「前と比べて、剣筋がよくなったな」


 湊人の目には、零の言葉が青字になって頭上に現れ、零の感心している気持ちが、心に伝わってきた。


「よかった、少しずつだけど強くなってるんだ」


 湊人は空に手をかざし、ぎゅっと拳を握った。


「あのさ、訊きたいことがあるんだけど」

「なに?」

「湊人は、ランクを上げるために訓練してるんだよね?」

「そうだよ」

「だけど、どうして強くなりたいの?」


 侑里のいっている意味がわからなかった。

 その考えが顔に出てしまったのか、侑里が改めていった。


「強くなりたいから、ランクを上げるのはわかるのだけど、それはイコールじゃないと思ったの。だって、『どうして』の部分が抜けてるでしょ? だから、湊人は、どうして強くなりたいのかなって」


 湊人は言葉に詰まった。どうしての部分は、自分の目標には、明確な答えがなかった。


「やっぱり、私は湊人が強くなりたいと思う気持ちが分からないなあ。零がいっていた気持ちが起こったとしても、世の中は戦いから手を引こうとしてる。今日の授業のように、Aランク以外は、戦いに出ることがないっていわれたでしょ」


 その通りだ。もう自分が戦いに出ることはない。

 戦いがあるとすれば零の方だ。

 Aランクは、各地で戦を起こそうとする者を取り押さえるために、監視役として配属されるらしい。


「零が強くなりたい、というのならわかるんだ。監視役を勤めなきゃいけないから。でも、湊人はそうじゃない。湊人は強くなるよりも、立派な個性があるんだから、それを活かしたことをした方がいいと思う」


 侑里のいい分に、零が横から口を出した。


「おい、侑里。湊人が強くなりたいって、いってるんだから別に引き止めるようないい方をしなくてもいいだろ。湊人も湊人で、どうして強くなりたいのか、はっきりといってやれ」

「いってやれ、といわれても。ランクをあげるために強くなりたいとしか、考えてなかったから、その、わからない」

「はっきりしないなあ」

「そんなことを言われても」

「まっ、いいか。理由は後からでも、ついて来るっていうからな。湊人、もう一回勝負するか?」

「今日はこれぐらいでやめておくよ。そろそろ、行かなくちゃ」

「まだ、見に行ってるんだ」


 侑里が肩をすくめて、呆れたような顔をした。


「扉を見つけて、もう何日経つの」

「一か月ぐらいかな」

「よく毎日、足を運ぶね。私はそんなに根気が続かない」


 扉を見つけたのは、体力をつけるために霊導山を走っていたときだった。

今日はきつめにしよう、そう思って舗装されていないコースを走ることにした。頂上まで行けば、拓けた休憩所に着くだろうと踏んでいたからだった。その途中で、洞窟を見つけた。

 あることに気づき、興味本位で入ってみると、扉が安置されていた。それは飾り気のないシンプルな鉄の扉だった。こちらから開けてみようとしたが、微動だにしなかった。

 湊人は、トレーニングしていたことも忘れて、じっと扉の前で誰かを待った。

 洞窟に入る前に、泥がかたどった足跡を見つけたからだった。

 誰かが、この場所から出てきたにちがいない。この扉は、どこかに繋がっている、そう思った。

 その日から、湊人は扉のもとへ、昼休み、放課後、晩御飯の後に通うようになった。

 二人には、扉から誰かが来るまで明かすつもりはなかった。実はね、と話を打ち明けて驚かそうと思っていたからだった。

 しかし、数日も経たずに、侑里に隠し事をしているのをバレてしまった。

 侑里の個性は、観察力。

 あとから聞いた話だったが、自分が扉を見つけた日から、昼休みや放課後が近くなると、時計を気にしていたらしい。

 湊人は、二人に扉のことを話した。最初は信じていなかったが、学校が終わってからすぐに、実物を見せると、二人は驚いていた。

 さらに、足跡について話、もしかしたら扉から人が出てきたのかもしれない、と湊人が自分の推測を話すと、二人は好奇心をくすぐられていたようだったが、自分ほどではないらしく、扉のもとへ行ったのは、それっきりだった。


「このあと、一緒に見に行かない? 今日は誰かくるような気がするんだ」


 湊人が誘うと、侑里は溜め息をついた。


「その台詞、扉について訊いたとき、毎回そういってるよ」


 湊人は苦笑いしながら、頭を掻いた。


「まあ、私はいいけど」


 そういって、侑里は零に顔を向けた。


「よし、着替えが済んだら、久しぶりに全員で見に行くか」


 話がまとまると、湊人と零は、汗を流すためにシャワー室へ向かった。



                 ★ ★ ★


 

 逢魔が時だけは、空に変化が訪れる。

 昼と夜が混同した空をはねのけて、濁った夕日が空を染め上げていた。

 霊導山を歩いていると、侑里が両腕を擦り、辺りを見回しながらいった。


「この時間帯の森って、なんか不気味」

「妖怪や幽霊と出会う時間帯だから」


 湊人がさらっというと、侑里は露骨に嫌な顔をした。


「おいおい、まさか幽霊とか苦手なのか?」


 後方を歩いていた零が煽る。


「べつに、苦手じゃないよ」

「そうだよなあ。Bランクで人気を誇る姫川侑里が、幽霊ごときにビビったりしないよな」

「あ、当たり前じゃん。ビビらない、ビビらない」


 侑里の声が、小さくなっていく。


「待て」


 突然、零がそういった。


「どうしたの?」


 足を止めて湊人が訊ねると、零は強張った顔をしながら一歩退いた。


「おい、いまの見たか」


 二人は、前方に目を向けた。とくに変わった様子はない。舗装された道の両側に森が広がっている。見慣れた景色。ところどころで、木の葉の隙間から橙色の光が射し込んでいた。それが時々、人影に見えるときは、たまにある。


「見間違いじゃない」


 侑里がいうと、零は眉をぐっと寄せ、引き攣った顔をする。


「やばい、来るぞ、来るぞ」


 零は正面を見たまま、静止していたが、槍を具現化した。異様な状況に、侑里は慌てふためく。


「え、何が来てるの?」

「見えないのか。ほら、来たぞ来たぞ!」


 侑里は前を向き、弓を具現化した。


「零、どこから来てるの」


 真剣な目で侑里は、正面を見据える。

 すると、後ろにいた零はそっと侑里に近づき、頭を軽くチョップした。

 振り向いた侑里に、零はにっこりと笑いながらいった。


「びびってるじゃん」


 湊人は、零の芝居だと気付いていた。

 零の言葉が赤文字だった。嘘をついている証拠だった。さらに、おちょくってやろう、という気持ちが心に伝わっていた。

 おちょくられた侑里は、ただただ黙って零を睨みつけていた。


「いや、ほら、そのジョークだよ。いやあ、見栄張ってたから、どれほどのものか見てやろうと思って」

「そう」


 侑里は手に持っていた弓を真正面で構える。


「ちょ、ちょっと待て。おい、やめろ」


 侑里によって弦が引かれると、矢が形を成した。


「やだ」

「悪かった。俺が悪かった。もうしないから。だから、こんな至近距離で放つのはやめてくれ。マジで死ぬ」


 零は両手を挙げて降参のポーズをとる。

 侑里は、息をつくと弦を元に戻した。


「次はないからね」


 人差し指をピンと張り、零に向けていった。


「お、おう」


 ふん、といって侑里は先を歩き始めた。

 零は溜め息をつき、湊人の隣にやってきた。


「まったく、あんなに怒らなくてもいいじゃねーか。少し試しただけだろ」

「でも、謝って正解だったよ」

「えっ?」

「侑里のヤダは真面目だったし、恐ろしいぐらい、冷たい気持ちだったよ」


 それを聞き、零は湊人から侑里に視線を移した。


「しばらく、間を開けておこうかな」


 零の顔を夕日が照らしていたが、顔は青白くなっていた。



                 ★ ★ ★



 洞窟の出入り口に着くと、湊人が先に足を踏み入れた。

 逢魔が時には、まだ視野が利くが、ぼやけた薄暗さだ。足場が悪く、天井が低くなる場がある。女の子である侑里は、頭上には気にしていなかったようだが、何度か足をとられそうになっていた。

 道なりに歩いていると、鉄の扉が見えた。


「あいかわらず、頑丈そうだな」


 零が扉の縁を叩く。


「で、湊人、どのくらい今日は待つつもりなの?」


 侑里がいった。


「そうだなあ、一時間ぐらいにしようか」

「ほんと気が長いよね」


 侑里は、適当な岩を見つけて腰を下ろした。


「二人はさ、扉からどんな人が出てくると思う?」


 湊人が訊ねると、二人は顔を合わせて、首をかしげた。


「靴跡があったんだから、人間だろう。だけど、意外と俺たちと違う姿だったりして。靴を履く習慣は残っているけど、姿形は、頭がでかくて体が細いとか」

「ということは、零は、この扉からやってくるのは、宇宙人だと思うわけか」

「そういうことになるな。こんなところに扉を作るんだから、その線は間違いじゃないだろ」

「侑里は?」

「想像つかないけど、いまの零の案を借りて仮説を立てるなら、この扉の先からやってきたのは、私たちの誰かだったりして」

「それは面白いな」


 零がかぶりを振り、同調する。


「だけど、そうだとしたら俺たちは一生会うことはできないな」

「なんでよ」

「パラドックスってやつがあるだろ。ほら、よくいうだろ。未来の自分は、過去の自分に直接会ってはいけないって」

「もしも、そうだったら困るなあ」


 湊人は心の底から、別の人がやってきて欲しいと思った。そうでないと、この扉が何のか聞くことができない。なぜ、ここへやってきたのかも聞けなくなる。

 ふいに、侑里が出口の方を見た。


「どうしたんだ?」


 零が訊ねると、侑里が唇に人差し指を添えた。


「おいおい、さっきの仕返しかよ。謝っただろ」

「黙って」


 湊人に零が視線を向けた。どうやら、真偽を確かめて欲しいようだった。

 湊人は首を縦に振った。侑里の言葉は青文字、心に伝わってきたのは、警戒だった。

 湊人は二人よりも前に立ち、じっと薄暗い先を見つめる。零と侑里は、湊人の後ろに隠れ、覗き込むようにして、同じ方向に目を向けた。

 土と石が擦れる音が聞こえた。

 近い。

 思わず、三人は身構える。

 そして、薄暗い中から、輪郭が見え始める。


「夜空に、閃光が放たれる。それは、この世が終焉を迎える合図」


 女の声だった。

 三人は、前を見張る。


「空に、朝と夜が混在し、一時に現れる逢魔が時。そのとき、扉に現れし者こそ、世界を救う者たちなり。賢者の導きに従い、異界から七つの宝石を集めよ。さすれば邪神の復活を阻止することができるだろう」


 現れたのは、共進高校の制服を着た少女だった。小金色の長い髪をなびかせ、真っ直ぐな瞳をこちらに向けていた。


「今から私と、七つの宝石を集めに、扉の向こうへ行ってくれませんか」


 唐突な言葉に、零と侑里はきょとんとしてしまう。

 零と侑里は、図ったように湊人の顔を同時に見た。

 二人が少女の話した内容について真偽を聞きたいのだとわかっていたが、驚きのあまり言葉が出ない。少女の話していたことは、すべて青文字だった。

 湊人は二人の視線に応えるために、何もいわず、うなずいてみせた。

 それを受けて、二人は目を見開いた。


「ちょ、どういうことだよ。七つの宝石? その前にもなんかいっただろ。ちゃんと説明しろ」


 零がまくしたてるようにいうと、少女は静かな声で、もう一度予言をいい、話を続けた。


「私は、そこにある扉から、この世界にきました。こちらに来たのは、偶然でした。けれど、私がこちらの世界に来た日、夜空に閃光が放たれたのを見て、偶然ではなく、運命だと思いました。私は、予言でいうところの賢者として、この世界にやってきたのだと。なので、私と七つの宝石集めをして欲しいんです」

「予言通りに事が進んでいるから、宝石集めをしなきゃいけないってわけか」


 零は、打って変わって落ち着いた口調でいった。


「ところで、どうして、きみは共進高校の制服を?」


 湊人が訊ねた。


「私の世界とあなたたちの世界は、似ているんです。似ているといったのは、多少異なることがあったからです」

「どんなところが?」

「すみません。それについては、答えることができないんです」

 少女の言葉から、湊人の心に、もどかしさが伝わってくる。

「わかった。これ以上、それについて詮索することはしない。それじゃあ、邪神が復活する日はいつ?」

「三年後です」

「なんだ、意外と猶予があるのね。それなら、今すぐじゃなくてもいいんじゃない?」


 侑里は余裕があると思っているようだったが、湊人はまったく逆の考えだった。七つの宝石を集めるだけの話で、三年後に起きる出来事をここで話すだろうか。だが、答えはまだ出せない。

 まだ少女は、いい足りていないような気がしたからだった。


「聞かせて欲しいことがあるんだ」

「なんですか?」

「きみは、僕たちに話していないことがあるよね」


 少女の話に嘘はなかったが、これまでの話で、少女から、焦り、不安、悔しさが心に伝わってきた。邪神の復活、その脅威を考えれば、焦りや不安を抱くのはわかる。

 けれど、悔しさの出処がわからない。

 それが、湊人の心にずっと引っかかっていた。


「私は」


 そう少女が口にしたとき、零が横から口だしした。


「先にいっておく、湊人に嘘をつくのは無駄だからな。世界が似ていて、共進高校に通っているのなら、俺のいっている意味がわかるよな?」


 少女は、唇をぎゅっと閉じ、何か考えているようだったが、観念したのか、ふっと息を吐いた。


「実は、私は邪神の放った魔物から逃げてきたんです」


 少女の言葉に、三人は驚きを隠せなかった。


「予言にあった予兆が、私の世界には現れなかったんです。夜空に閃光が放たれることがなければ、空も昼と夜が混在することもなくて……でも、私は七つの宝石の力に賭けたいんです。宝石には、邪神の復活を阻止する力がある。それなら、きっと倒すこともできる」


 少女の目は、まっすぐ扉を見据えていた。


「予言だと、賢者の導きに従い、異界から七つの宝石を集めよ、とあります。つまり、集めることができるのは、賢者ではなく、逢魔が時に扉に現れし者、あなたたちしかいない。だから、どうしても宝石を集めてもらいたいんです。繰り返しになりますが、お願いします。私と一緒に宝石を集めるのを手伝ってください」


 少女は深々と頭を下げた。


「私は、ここまで逃げてくるまでに、自分のことで精一杯で、多くの人を見捨ててきました。けれど、ほんとは見捨てたくなかった。もう逃げ出したくないんです。私はみんなを助けたいんです。お願いします」


 伝わってきた悔しさの出処を知った。少女は自分のふがいなさを悔いていたのだ。

 そのとき湊人は、少女に感動を覚えていた。危機的状況になれば、誰だって自分が可愛い。自分を第一に守りたくなる。けれど、少女は何もできなかったと恥じている。なんて心の強い人なんだと思った。

 少女の気持ちは、零と侑里にも伝わっているようだった。

 三人は顔を見合わせて、うなずいた。みんな考えていることは同じだった。


「よし! 扉の向こうに行こうぜ」


 零が元気よく声をあげる。


「ほ、ほんとですか」

「ああ、それに宝石を集めないと、俺たちの世界もやばいことになるからな」

「さっさとこっちの邪神は封印して、あなたの世界にいる邪神を退治しましょ」


 侑里が笑み浮かべていった。


「ありがとうございます」

「それに、こっちには零がいるから問題ないよ。彼はAランクなんだ」


 湊人が零の方を見ていった。


「すごいですね」


 少女は、感嘆しながらいった。


「そういえば、きみの名前は?」


 湊人が訊ねると、少女ははっとした顔をする。


「すみません、自己紹介が遅れました。私は、レミっていいます。ランクはCで、武器は打拳、個性は記憶です」


 三人もそれぞれ、自己紹介を済ますと、零が扉に身体を向けた。


「よし、さっそく行くか」

「なにか準備をしなくてもいいのかな?」


 湊人は、三人に訊ねた。


「必要ないだろ。たとえ、俺たちの世界と違ったとしても、なんとかなるだろ」


 零が適当なことをいう。


「それに、現地調達の方が、なんか冒険してるようで楽しいじゃん」

「あのね、遊びに行くわけじゃないんだからね」


 侑里の注意を、零は煙たそうにして手で払う。


「わかってるよ。だけどさ、ネガティブになるのは、よくねーよ。ここはポジティブに考えていこうぜ。要するに、なんとかなるってことだよ」

「レミちゃん、こういう男は信用したらダメだからね」


 レミは困った顔をして、はい、と答えた。


「それじゃあ、レッツゴーといいたいところだけど。扉って開くのか? 確か、開かないって話じゃなかったか?」

「きっと開きますよ。予言通りに事が進んでるので」


 レミが答えると、零はほっとした顔をした。


「そうか。それならよかった。それじゃあ」


 零は扉に触れるも、手を引っ込めた。


「どうしたの急に。まさか怖気づいたの?」


 侑里が茶化すと、零はむっとした顔をした。


「そうじゃねーよ」


 そういうと、零が湊人の方へ顔を向けた。


「湊人、お前が開けろよ。ずっとこの扉に興味を抱いていたのは、お前なんだからさ」

「え、いいの?」

「当たり前だろ。ほら」

「ありがとう」


 湊人は、扉の前に立ち、両手で扉に触れた。ゆっくりと力を入れていくと、それに合わせて、扉が開いていく。

 扉があった面には、銀の膜が張られていた。

 この先には、何が待っているのか。

 湊人は期待を寄せて、一歩を踏み出した。

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