玲条湊人~扉の先でキミに応える~
かみかわ
第1話 プロローグ
これほど、役に立たない予言はない。
あちこちで人々が逃げ惑っていた。
レミも例外ではなかった。母親と手を繋ぎ、必死になって安全な場所を求めて走り続けていた。
もう長いこと走っていた。休みたい。安全な場所なんてないんじゃないか。そんな弱気な気持ちが顔に出たのか、同じく息を切らしている母親がいった。
「レミ、もうちょっとだから、頑張ろう」
レミは、わかった、と口にするのもつらく、代わりに母親の手をぎゅっと握りしめた。脇腹を押さえながら、歯を食いしばる。
大通りとなっている十字路まで来ると、母親は足を止めた。
三つの選択肢を迫られた。
直進か、右折か、左折か。周りの人たちもそうだが、母親も悩んでいるのだろう。辺りをきょろきょろ見回している。
すると、直進した先にある商店街の方から、多くの人が走ってきた。
「は、早く逃げろ! 魔物たちが来るぞ」
その言葉で、十字路に立ち止まっていた人たちは、直観に任せてか、右と左に分かれて走り始める。
右折して隣街に続く道を進むか、それとも左折して市役所に続く道を進むか。
レミは直観で隣街に逃げるべきだと思った。この悲惨な状況を受けて、対策を打っていると思ったからだった。
しかし、母親はレミの手を引っ張り、市役所へと続く道を、左折を選んだ。
「お母さん」
「きっと、隣街には行けない」
「ど、どうして?」
また痛み始めた脇腹を押さえて訊ねる。
「私たちは、見殺しにされる。今の私たちだって、自分のことで精一杯なのだから、隣街の人も自分のことで精一杯のはず」
たしかにそうだ、とレミは思う。逃げる最中、置き去りにされた子どもの姿を何度か目にした。親がいつの間にか姿を消し、辺りの悲鳴などを聞き、恐怖を覚え涙していた。
それなのに、自分も含めて、誰も立ち止まることはしなかった。誰かがなんとかしてくれるだろう、誰かが助けるだろう、と見殺しにした。
そう思ったとき、そうか、と納得する。
この逃走は、生きていられる時間を延命させているに過ぎないのだ。魔物を狼とするなら、自分たちは地を削られ、袋小路へと追い込まれている鹿だ。
ふと、自分の手を引く母の顔を見た。悲痛に顔を歪ませていたが、こちらに気づくと、笑みを浮かべた。
「大丈夫。きっと、きっと助かる方法があるはずだから」
レミは、首を縦に振ることしかできなかった。
市役所の方には、まだ魔物は現れていなかった。それも時間の問題だった。ここからどうするべきか、さらに二つ選択を迫られる。
一つは、市役所で立ち止まり、魔物たちの手が伸びないことを祈ること。
二つは、さらに歩を進めて、魔物たちとの距離を離すこと。
どちらも状況的には、絶望しかなかった。
「どうしよう」
レミは、何か手はないかと必死で頭を回転させる。それを邪魔するかのように、周りのざわついた音が耳につく。
ああ、うるさい、うるさい、うるさい。
レミは心の中で毒づくも、目を閉じて集中する。徐々に、周りの音が除外されていく。無音になったところで、あることを思い出す。
「お母さん、あの噂になってた扉に行ってみよう」
「扉?」
「ほら、前に学校で、異界に繋がる扉があるって話をしたでしょ」
「霊導山の?」
「うん」
霊導山は、自分たちが逃げてきた共進高校の裏手にある緑が生い茂った山である。出入り口は、東口と西口の二つあり、市役所は東口にあたる。
「でも、それは噂であって、ほんとに扉があるかどうかなんて。それに、共進高校に近づくのは危ないわ」
そう、三択を迫られる前、二人は共進高校の方へ逃げていたのだが、すでに魔物が場を支配していたために、こちら側へ逃げてきたのだった。
「だけど、留まっていても、動いていても、魔物と対峙するなら動いた方がいいと思う。藁にもすがるしかないよ」
レミは母親の手をぎゅっと握り、真剣な眼差しを向けた。
母親は、一瞬躊躇していたが、首を縦に振った。
「わかった。行きましょう」
すぐさま二人は動き出した。
二人が山の入り口まで来ると、意外なことに、舗装された山には、数多くの人たちが列をなして移動していた。
「みんな、扉のことを聞いてきたんだよ」
二人は、人ごみの波に乗ることにした。これだけの人が集まっているのにはわけがあるはずだ。きっと、扉は存在している。
レミは、母親と目が合うと、小さくうなずいた。助かるかもしれない。ここへきてようやく、希望の光が射した。
そう思った矢先、光を閉ざす者が後ろから迫ってきた。
「魔物が来たぞ!」
誰かが発した一言が、列を乱し、混乱を招いた。
誰もが扉に向かって走りだすも、途中で詰まったのか、圧迫状態になる。二人は、押しつぶされそうになった。
列の先頭からは、悲鳴が聞こえた。詰め寄せたせいで、将棋倒しになったのか、それとも他の魔物が現れたのか。
しかし、状況を把握できる状態ではなかった。ただ、周りに圧迫され、流されていく。
今度は、下の方から悲鳴が聞こえた。すぐそばまで魔物が近づいているような気がした。
辺りはますます混乱状態に陥った。
レミは、母親の手を離すまいと、必死に手に力を込める。
突然、圧迫状態が解消され、波の流れが速くなった。それに乗じて、周りはなりふり構わず、肩を入れて強引に進み出した。
「あっ」
後方から強引にやってきた者に、身体をぶつけられて、母親の手が離れてしまった。
「お母さん!」
そう叫んだものの、周りの喧騒でかき消されてしまう。それでもレミは叫んだ。
「お母さん!」
必至に母親の方へ歩を進めるが、どんどん波に流されてしまう。
「お母さん!」
レミは、人の波に流されて、真っ暗な洞窟の中へと飲み込まれていった。
外の光が遠くなっていく。
聞こえてくるのは、「助けて」と「早く行け」という声だった。
前方に一か所だけ、スポットライトのように明かりが射している場所が見えた。
そこには噂通り、扉が存在した。周りの人の身体や頭で、扉の全体が隠れてよく見えないが、両開きの扉の縁に『目』のような形が七つ彫ってあるのが見えた。
レミは、気持ち悪さを覚えるも、波に流されて扉の目前まで来る。
だが、母親を置いて、一人で逃げるわけにはいかなかった。半身振り返り、母親の姿を探す。
突然、頭上から金切り声が聞こえ、背に翼を生やした魔物が、宙から降下してきた。扉の周りにいた人たちは、慌てて扉に入り込む。レミも巻き込まれる形で、扉の中へと吸い込まれた。
そのとき、レミが目にしたのは、降下してきた魔物によって崩れていく扉の光景だった。
★ ★ ★
レミは目を開けると、夜空に輝く満月が見えた。
そっと身体を起こし、辺りを見回すが、月明かりが射していない場所は、何も見えない。
どうやら、洞窟のようだった。
レミの目前には、あの気色悪い扉とは違い、シンプルな鉄の扉があった。それは、自分がいた世界とは、違う場所に来たことを示していた。
「ほんとだったんだ……あっ」
こうしてはいられなかった。はぐれてしまった母親を助けに行くために、レミは扉を開けようとした。押したり、体当たりしても、扉はうんともすんともいわない。
もしかしたら、と思う。
自分が扉に入ったとき、扉が崩れていくのが見えた。もしかしたら、そのせいで帰る方法を失ってしまったのではないか。
不安が心を侵食し始めた。レミは、自分の両腕をぎゅっと抱きしめた。だいじょうぶ、だいじょうぶ。泣くのはまだ早い、だいじょうぶ、だいじょうぶだから。不安が去るまで、自分にそう言い聞かせた。それでもまだ、気が休まらない。
レミは、不安を紛らわすために、今すべきことを考えた。
まず、ここはどこなのか。そして、他の人たちはどこへ行ってしまったのだろうか。次から次へと疑問が出てくる。不安を助長する事柄ではあったが、この疑問を一つずつ解決していけば、必ず母親を助けることができる、とポジティブに考えた。そうでもしないと、心が崩れてしまいそうだった。
動こう。立ち止まっていても、なにも起きない。動かなきゃ。
レミは深呼吸をしてから、洞窟の中を進んだ。
視界が利かないこともあり、恐る恐るすり足で進んでいく。
うっすらと明かりが見えた。
洞窟を抜けると、開けた場所に出た。行く手には、森が見えていた。雨が降っていたのか、森の香りがした。一歩一歩進むたびに、ぬかるんだ土のねっとりとした感触が靴を通して伝わってくる。
森の前まで来るも、辺りの静けさにレミは圧倒された。
それでもレミはめげることなく、森の中を突き進んだ。木の葉が月明かりを遮り、薄暗い。
だが、ぼんやりとでも見えていることが有難かった。
当分、暗闇だけは勘弁だ。
森は平坦ではなく、下り坂が続いていた。途中で、舗装された道を見つけた。
レミは、転ばないように気をつけながら、道を駆け下りると、道に面した場所に出た。街灯が静かに迎えてくれた。
自分が歩いてきた道を振り返ると、そこは山だった。
ふいに既視感を覚えた。この山の形をどこかで見たことがあった。レミは辺りを見渡した。
ここは。
レミは驚愕した。まさか、そんな。そう思ったときには、山の裏手に向かって走り出していた。自分の目にした景色が間違っていなければ、この先にあれがある。学校があるはずだ。
「やっぱり」
レミの口から声が零れ落ちた。予想していた通り、目の前には共進高校があった。建物が壊れている場所が多々あるが、間違いなかった。
この世界は、自分がいた世界と似ている。ひょっとしたら、まったく同じなのかもしれない。
とにかく、この街、世界について調べる必要がある。そのうえで、母親を助ける手立てを考えていこう。きっと何かいい案が浮かぶはずだ。校舎を目にしながら、心の中で誓いを立てる。
そのとき、夜空が急に夕日色に染まった。
異様な現象に、レミは空を見上げた。
ついさっきまでいた山の頭上に、閃光が放たれたのが見えた。
あれは。
閃光は、すぐに消えたが、入れ替わりにレミの頭の中で、役に立たなかった予言の文面が浮かんだ。
『夜空に閃光が放たれる。それは、この世が終焉を迎える合図』
ここに来たのは、偶然ではないのかもしれない。
レミは、夜に戻った空を見つめつつ、そう思った。
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