第37話 ライア・アンテネラ

 さて、翌日。俺はリーナに渡された地図の場所に来ていた。


「……なるほど? こういうわけか」


 GR20をわきに止めて、俺は見覚えのある建物を見上げる。

 そう、そこは――俺が、初めて人を銃殺したあの場所。

 俺とリーナが、逃亡中に泊まった宿だ。


「ここに、臥狼こと、ライア・アンテネラがいるってわけか?」


 宿に泊まってる……ってわけじゃないだろう。

 そして、あの時、俺は50代くらいであろう人間と一人しか出会っていない。

 たぶん、奴がライアなんだろう――


「お待ちしておりましたよ。ユーヤ・ヤマガミ様。いえ、今はユーヤ・ナイト・エディムス様でしたな。騎士様のお名前を間違えるとはあってはならない失態です。失礼いたしました」


 ――と少し考え込んでいた俺の後ろに、唐突に誰かが現れた。

 バッと振り返ると、そこには一人の初老の男がいた。

 グレーのスーツに、紫色のネクタイ。丸メガネをかけていて、白髪混じりの髪をオールバックにしている。

 どことなくうさん臭さを感じさせる、ニコニコとした笑み。

 なるほど……納得だ。


「アンタが、ライア・アンテネラか?」


「いえ、今の私はただのライアです。この宿の主人で、それ以上でもそれ以下でもありません。……と言って帰ってはいただけないでしょうから、どうぞ、中へ」


 まったく、足音もさせずに宿の中へと入っていくライア。

 ……おいおい、達人とは聞いていたけど、これほどまでとは。

 相手が強すぎて、一切実力差を測れねえ……



 中へ通された俺は、応接間のようなところに座らされた。調度品とかは、一見質素だが、よく見ると素晴らしい品であることが分かる。リーナの周りはこういう見る人が見ると分かる高級品ばかり置いてあるから、何となく分かるのだ。


「粗茶でございます。お口に合うかどうか分かりませんが」


「ああ、悪い」


 この宿の従業員と思しき人からお茶をもらい、それに手を付けず、ライアが入ってくるのを待つ。

 さっきこの部屋に通された時に、先にやるべきことがあるので、と少し待つように言われたのだ。

 アポも無しに訪問したのはこちらなので、何も言わず待つこと数分、ついにライアが現れた。


「申し訳ありません、お待たせしました」


 ドアを開けて入ってきて、下座につくライア。……上座、下座の概念がこの世界にあるかは分からんが、普通ライアが上座に着くべきなんじゃないかと思う。

 そして、一滴も口をつけていない俺の湯飲みを見て、不快感を表すかと思ったら、逆にうれしそうな表情になった。なんでだ?

 この中には――なんでかは知らないが――睡眠薬が混ぜられているんだ。

 飲むわけないし、飲んでないことを普通は残念がるだろうに。

 いろいろと不思議に思いはしたが、それを表に出さず俺はライアに向かって笑みを浮かべて見せる。当然、営業スマイルだ。


「いや、突然訪ねたのはこちら側だ。むしろ、時間を作ってくれて助かる」


「いえいえ、そんな。それで、本日はどんなご用件で?」


 相変わらずニコニコと気味の悪い笑みを浮かべているライアに、俺は腹芸なんて無駄なことはしないことに決めた。


「最下級の貴族である騎士としてではなく、俺はアンジェリーナ国王陛下の命令でここに来た。単刀直入に言おう。王家直属特別兵にあなたを任命しに来た。これは、それらに関する書類だ」


 持ってきた鞄から書類を出し、ライアの目の前に置く。

 この男は軍師をやっていたらしいからな。当然、字は読めるだろう。

 この国は、識字率が酷く低いわけじゃないようなので、そこはすごく助かる。

 ライアはその書類をちらりと一瞥すると、俺に向かって意味ありげな笑みを浮かべてきた。


「つまり、王の私兵ですか。ふむ、他者を圧倒する才能を持つものを集めて……市井にいる優秀なものを集めて、革命などを起こされて王家が傾くのを防ぐ役割もあるわけですね。有能な人材を配下に置くことで反乱の芽を摘み、自らの戦力増強にもなる。なかなか考えてありますね」


「……おほめにあずかり光栄だ」


 嘘だろ……今の一瞬で、あの書類を読んだのか?


「ここにはなるべくカリスマを持つ者が重宝されるように書いてあることは、つまりそういうことでしょう。やれやれ、この世界では機兵があるんですから、そこまで臆病になる必要はないと思いますが」


「この世界で一番生き延びるのは、常軌を逸した蛮勇か、常軌を逸した臆病さを持つものだろう? 俺に蛮勇は無いからな、せめて臆病であろうとしているだけさ」


 未だにニコニコとしているライア。ったく、その顔のせいで何を考えているか本当に分からないな……

 とはいえ、この男を力ずくで連れて行くという選択肢はない。それどころか、今ここで暴れられるだけで最悪だ。

 万が一逃げられたときのために機兵は待機させているが……リーナの話を信じるなら、この人は機兵をぶっ壊す化け物と互角らしいからな。機兵の数機で抑えられるとは思わない。

 交渉で何とかするか……俺、苦手なんだがな。交渉は。


「まあ、読んでもらえれば分かるとは思うが、そう悪い話ではあるまい」


「ええ、そうですね……もっとも、これは私に本当にそれほどの能力があれば、の話ですが」


「何を言う。前王に仕えていた名軍師、臥狼と呼ばれた貴方だ、能力に申し分はあるまい」


「いえ、そんなのは昔の話です。今の私はただのライア。なんの能力もありませんよ。お引き取りください」


「……望む報酬なら出そう、なんなら、他に何か要求があれば可能な限り聞こう。だから、王家直属特別兵になってはもらえないだろうか?」


 というか、この人に逃げられたら本気で困る。

 唐突すぎて、今の今まで気づかなかったのは、俺が雑魚だからか、それとも目の前にいる男が俺より凄すぎたのか……

 だとしても、どう考えてもおかしいだろ。だって、もうすでに……


(今気づいたぞ、くそっ……外の気配も感じられなくなってるし、下手したら機兵に待機させている連中もやられてるんじゃないか?)


 さっき仕事と言って出て行ったのは、これのことなんだろう。

 俺に見せるために、なんだろうな。わざわざ窓の向こうで待機している兵が分かりやすく倒されていた。それも、一般人と思しきさっき俺に飲み物をくれた従業員の人に。

 狼に率いられた羊は、羊に率いられた狼を倒すことができるってやつだろうな……


「おや、どうしましたか? ユーヤ様。少し顔色がすぐれないようですが」


「……いや、優れるわけねえだろ。俺が連れてきた二十人の兵全滅してんだぞ?」


 もう口調を貴族っぽく取り繕うのはやめて、俺はげんなりとした声を上げる。


「つーか、俺がすぐ気づくように倒していってるんだろ? 気配の消え方が凄くわかりやすかったぞ」


「いえ、そんなことは無いですが……それにしても、私一人にずいぶんな準備をされていたんですねえ」


 そんなことを言うライアにはぁ~とため息をついて、俺はにらみつける。


「あんたみたいなチート持ち……尋常じゃない化け物相手なら、いくら準備しても準備のし過ぎなんてことにはならないと思ったんだがな……ったく、足りなかったってことかよ」


「まあ、貴方はまだ若いですからね。一つ助言をしましょう」


 ライアは人差し指をたてると、ニコニコとした笑みをニヤリとゆがめた。


「交渉が成立するのは、、相手に利害をもたらせる場合のみです。貴方は私に利をもたらすことは出来るかもしれませんが、害をもたらすことはできません。つまり、私は常に貴方に対して優位に立てる。その状況で交渉しようなど思い上がりも甚だしい」


 気づけばライアの顔からは笑みは消え、黒い闇の中から三日月が覗く――化け物のような素顔が見えていた。

 なるほどな、こっちがテメェの本性ってわけか。


「どんな勝負も始まる前から終わっている……さて、ユーヤ様。私から要求してよろしいのですね? もちろん、拒否はできませんよ。何故なら――」


「――おいおい、何言ってるんだ? そんなことわかりきってるぜ」


 ぴたり、とライアの動きが止まる。

 くそっ、もう少し気づかれないと思ったんだけどな……まあ、しょうがない。


「俺はテメェに常に優位に立てるわけじゃないが――しかし、同じ立場に行くことはできる」


「……耄碌しましたかね」


 ライアが、苦笑いをした瞬間、応接室に勢いよくさっきの従業員が入ってきた。


「た、大変です! ご主人様! 周りを、見たことない機兵に囲まれています!」


「正規兵を動かすと、テメェに足がつきそうだったんでな……傘下に入った奴らを使わせてもらったぜ」


 ズン、ズン、とこちらへ歩んでくる音が聞こえる。


「やれやれ、派手に動きすぎですよ? ユーヤさん」


「そうか? 言ったろ、テメェみたいな化け物を相手にするんだ、あの程度の準備なわけねーだろうがよ」


『あー、あー、ユーヤ! 大丈夫か!』


 スピーカーから、合成音声が聞こえる。おそらく、ゴクウから聞こえてきているんだろう。ゴクウのスピーカーには変声機能があるからな。そして、ゴクウから聞こえてくるってことは、ミラか。


「大丈夫だ、ギリギリだったけどな!」


 ミラに返事をしてから、俺はライアに向き直る。


「いくらテメェが化け物とはいえ――この数の機兵に、第一世代機兵までいるんだ。さすがに、無傷ですむかと言われたら厳しいんじゃないか?」


「そう、ですね……」


 ふう、と背中を椅子に預けるライア。外の様子を窓からのぞくと、おそらく店の従業員と思われる連中が、銃を持った兵士に取り囲まれていた。


 ――完全に俺らは悪役だな。


「まあ、戦争なんて勝った方が歴史を変えるんだ。特に問題ねーだろ」


「その意見には同感ですが……彼らに手を出すのなら、私も黙ってはいませんよ」


 ゾォッ! と尋常じゃない覇気がライアから漏れ出す。顔からは笑みが消えているせいか目の前にいるのがとても人間だとは思えない。

 悪魔? いいや、そんな生易しいもんじゃねえ。


(魔王だろ)


 背筋に冷たい汗が伝っていることを自覚しながらも、俺は不敵に笑って見せる。


「安心しろ、アイツらに絶対に手は出さねえ。けどよ、お前らが先にうちの兵に手を出したんだからよ、それが虫のいいセリフだってことには気づいてるよな?」


「ええ」


 ここまでしても、俺が優位に立てたとは言い難い。

 ライアが何を隠してるか分からねえからな……

 だけど、すくなくともライアに害をなせることは証明できたはずだ。

 さあ、命がけの――世界一物騒な、交渉の始まりだ。

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