第16話 暗殺者

「ふむ、アンジェリーナ王女の護衛だと聞いたからさぞや強いのだと思っていたが……期待はずれだな」


 心底がっかりしたような声音で呟く、暗殺者A。 そんなことを期待するってことは、こいつ戦闘狂の気でもあるのか?

 とはいえ、俺はそれに何も言い返せず……ただ苦笑いを返すしかない。


「そもそも、こんな程度の護衛しか付けられないようでは、やはり王家の失墜は本当のようだな」


「そうか? まあ、俺、本当はあいつの護衛じゃねえしなあ。俺自身に戦闘力は全然ねえよ。むしろ俺が今は守られる側っぽいしな」


 肩をすくめて、やれやれのポーズをとる。

 それを見た暗殺者Aは完全に失望した眼差しになって――


「殺すか」


 そう呟いた途端――


(くっ!?)


 ゾッと、まるで室温が一気にマイナスになったかのような感覚に襲われる。

 これが、殺気ってやつか……ッ!


「モブキャラのくせに、調子のんなよ……それに、さっきから殺す殺すと、プロシュートの兄貴に怒られるぜ? マンモーニ」


 俺は額に冷や汗を感じながら、左手でソファに脱いでいた上着を掴む。


「モブキャラ?」


「劇とかお話で出てくる、主人公とかにさっさとやられる雑魚のことだ」


「……現実と虚構が区別できぬ餓鬼は早めに始末すべきだな。それが良識ある大人の役目だ」


 対して、暗殺者Aは更にもう一本バタフライナイフを開く。こちらも、刀身が黒く塗られている。

 というか、良識ある大人は暗殺なんて企てないと思うんだが。


「……二刀流ってか? それはうちのムサシの十八番なんでやめてもらえませんかねえ」


「いや? これはこう使う」


 ビュッ! と音がしたかと思ったら、そのナイフが突然眼前に現れた。


「!」


 咄嗟のことだったので、つい俺は大きく右に体を倒し、逃げるようなアクションで躱してしまったが――その際できた数瞬の間が、命取りになる相手だった。


(しまっ……)


 音も無く俺が避けた方向に回り込んでいた暗殺者Aの、黒く妖しく光るナイフが、俺の首筋に近づいている。マズイ、避けられない、死ぬ……っ!


(ッ!)


 『死ぬ』――その二文字を自覚した瞬間、背中の汗が一瞬で冷や汗に変わる。何も考えられない、頭がショートする。頭が一瞬空白で支配される。

 しかし、それも僅かな間のこと、俺の脳は活路を求めて再び動き出す。


(マズイ、マズイ、マズイマズイマズイマズイマズイマズイ!)


 空転していた頭の歯車が、再びかちりと噛み合い始める。一瞬が、何万秒にも感じられる。どうしても俺はこのナイフを避けきれない。それが、はっきりと分かる。俺は――ここまでなのか? 何もできず、こんなところでのたれ死ぬのか? いや……そんなことがあってたまるか! こんなところで死んでたまるかよボケ!


「ああああ!!?!?!?」


 ほとんど反射的に、左手が動いた。左手に持っていた上着を、ばさっ! と暗殺者Aの顔面に被せる。

 そのせいで視界が封じられた暗殺者Aのナイフを、間一髪外すことに成功した。

 ……コンマ一秒遅れてたらやばかったな。

 安堵したのも束の間、俺はすぐさま暗殺者Aの顔面に――今は俺の上着で隠れていて顔自体は見えていないが――左拳を、突き刺す!

 確実に決まった、そう思った瞬間、拳から手ごたえを感じられないことに気づいた。

 まさか、外した!?

 俺は突き出していた左拳でそのまま服を引っ掴み、手繰り寄せ右腕に被せた。


「惜しかったな」


 暗殺者Aは、恐ろしく低い、底冷えした声で言う。ギラリと光るナイフが、その後相手が何をするかを雄弁に伝える。


「あ……」


 これから起こるであろう出来事を想像し、俺の背筋に、またもやぞくりと冷たいものが走る。

 目の前には――ギリギリ俺の拳があたらない距離にいた暗殺者A。その自慢のナイフはもう振りかぶられている。

 あと一秒もしないうちに、そのナイフは今度こそ正確無比に、俺の頭蓋を割るだろう。そうなれば、俺は見るも無残な姿になり――そして、二度と立ち上がることは出来なくなるだろう。

 ああ、こいつの言うとおり、ホントに……


「くそっ……」


 俺は低く呻き、目の前に迫るナイフを視認し――

 右手に被さっていた上着のポケットに入っていた、Σの引き金をカチン、と、引いた。

 パァンッ!


「……ホント、惜しかった。今の拳で勝負が終わっていれば、こうはならずにすんだ」


 Σから出た弾丸は暗殺者Aの眉間を撃ち抜き――そのまま部屋の壁に紅い華を咲かせた。

 前のめりに倒れ、ピクリとも動かない。……当然か。たとえ心臓が止まっても、人間は数十秒間から数分間ならば生きていられる。しかし……普通は、脳をやられたら、即死だ。

 そう、即死。つまりもうこいつは生きていない。俺が……殺した。

 俺がそれを自覚し、スッと血の気が引きかけたところで――バァン! と寝室のドアが開け放たれた。

 いや、正確には――吹っ飛んできた暗殺者B,Cによって、扉がぶち壊された。


「リ、リーナ?」


 がやったんだよな? つい、偽名じゃなくなってしまったが。


「ユーヤ! 無事ですか……っ!?」


 急いで暗殺者達をふっ飛ばしたらしいリーナが、駆け込んできて……絶句した。

 血まみれの部屋と、俺をゆっくりと交互に見る。


「これ、は……?」


 唖然とするリーナに、俺は搾り出すように――言った。


「……殺られそうになったから、殺った」


「……賢明な、判断です」


 賢明? 何を言う。


「懸命だっただけだ」


 俺はそう吐き捨て――暗殺者B,Cを見る。どちらも全身黒ずくめで、見分けが付かない。


「……ユーヤは、戦闘訓練を受けたことがあるわけじゃないんでしょう?」


「ああ。もちろん戦闘経験がゼロという分けではないが……命の遣り取りは、初めてだ」


 この暗殺者たちは、自分たちのことを腕利き、そう言っていた。

 訓練を受けた人間が自分たちを腕利きと称したんだ。こいつらは相当強かったんだろう。


「…………」


「…………」


 気まずい沈黙が流れる。

 何も考えずに――いや、とりあえずこの沈黙を破ることだけを考えて――俺は、ぽつりと口を開いた。


「リリス……強いな」


「ユーヤこそ」


 それで会話終了。

 気まずいとかそういうレベルの以前に、何を喋ればいいのか分からない。

 正当防衛とはいえ人を殺してしまった後に、俺は一体どんな顔でどんな声でどんなことを言えばいいんだ?

 シューヤなら、なにか気の利いたことを言うんだろうか。

 わからない。

 この動揺を悟られまいと思えば思うほど――言葉が出ない。


「……とりあえず、動けないように手足を縛ろう」


 俺はそう言って、ロープも何も持っていないことに気づく。

 どうしようか。フロントに行って言うか? 暗殺者を殺しました、って。それで、そんなことをしたら俺達はどうなるんだ? まさか逮捕はされないだろうが……いや、そもそもこっちの世界に正当防衛なんて概念があるのか? 裁判になれば確実に無罪を勝ち取る自信があるが――そもそも裁判なんてもんがあるのか?

 分からない、分からない……


「……ヤ」


 いや、そもそも隠し通すんだったら……死体をどうすればいいんだ? 目撃者(暗殺者B,C)をどうする? まさか殺すか?


「ユー……、ユー……ヤ」


 殺すのはマズイ。だが、じゃあどうする? こっからすぐに逃げて……ムサシに乗って、遠くまで行くか? いや、そんなことしたって無駄だろう。そもそも、今は俺たちは戦争しているんだ。余計な敵を増やしている場合じゃ――


「ユーヤ!」


 いつの間にかリーナが目の前にいて、俺の肩を掴んでいた。


「リー……ナ?」


 考え事に没頭しすぎていたらしい。また、偽名を忘れちまってたよ。


「す、すまん。なんだ?」


「……足の関節はぬいて、腕も折りましたので、彼らは動けません。だから、そんなことよりも役人に通報しましょう。まだ機能しているはずです。宿屋の人に言えば、きっと呼んでもらえます」


 足の関節ぬいたって……お前、どんだけ強いんだ?


「そ、そうか。……そんなことして、大丈夫なのか? 俺達が疑われる可能性のほうが高いぞ? 武装もしていたし」


 武装した人間なんてそうはいないだろう。そもそも、銃刀法違反で捕まるかもしれない。

 それが一番ベストだと分かりながらもついそんなことを言う俺を……リーナは、強い眼差しで見つめてきた。


「ユーヤ、この世界はユーヤのいた世界じゃありません」


 少し厳しい口調だ。まるで、年長者が年下を窘めるような……って、そういやリーナって結局いくつなんだ? 少なくとも俺より年下には見えない。

 そんな変なことを考える俺をよそに、真剣にリーナが俺に語りかける。


「今私たちは暴力や暗殺が平気で行われる状況にいます。……ユーヤ、あなたは今まで暴力と隣り合わせの日々では生きてきてはいなかったんでしょう?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る