第6話 毒と薬
火本と事務所の前で別れると、俺は白雪さんが寝ているはずの自分の部屋へと向かった。
今朝、体調が悪いにも関わらず出歩いていた彼女を心配していたが、布団で未だに寝ている彼女を見て俺は胸を撫で下ろした。
「病気の女の子を見捨てて出かけるなんて、薄情なのね」
白雪さんを確認し部屋を出ようとすると背後から声を掛けられた。
後ろからガサガサと音が聞こえたので振り返ると、白雪さんはアルコールランプやビーカーなど化学の実験器具を取り出していた。
いつもそんなもの持ち歩いているのか?
「具合は大丈夫なのか?」
「良いとは言えないけど、それでも楽にはなったわ」
「あまり無理するなよ、治りかけなんだから」
なにやら粉のようなものを計りながらそれを分けて水に溶かしていく。
よく見るといつの間にか彼女は眼鏡をかけていた。
かわいいなちくしょう。
「何やってんだ?」
「見てわからないかしら? 薬を作っているのよ」
「風邪の特効薬か何かか?」
「風邪に特効薬があるわけないじゃない、風邪はウイルスなのよ。何億って種類のウイルスを一気に退治できたら医者の仕事がほとんどなくなってしまうわ」
話ながらもその手は止まることなく薬を作り続ける。
「だから免疫を一時的に活性化させて病原菌に対する組織を作るのよ。もちろん副作用はあるけれど」
なんとなく言っていることは理解できるが、それは特効薬とどう違うのだろうか。
「まぁこんなことも、私が魔女だからできることなんだけどね」
俺は黙って彼女の英姿颯爽とした調合を見ていた。
最後に呪文を唱えると、ビーカーに入っていた白濁水が透明になっていく。
「これでよし、と。あとは冷ますだけね」
これまた慣れた手つきで片づけを行い、彼女の手元には液状の薬だけが残る。
「それで、どこに行ってたの?」
薬を冷ますまでの暇つぶしとでも言わんばかりに、彼女が聞いてきた。
「別に、旧友との雑談さ」
「今朝いた人?」
「あぁそうなんだが、って起きてたのか?」
俺が白雪さんを抱きかかえていたとき、白雪さんは寝ていたはずだ。
「あんな恥ずかしい格好で連れてこられて、すぐに眠れるわけないじゃない、私は乙女なのよ」
ほんのりと顔を赤くして白雪さんが言う。
俺の知る限り、自分のことを乙女とか言う人間はたくましく生きている気がする。
「そんな乙女を置いていけるほどの頼みごとだったのかしら」
頼まれたことも知っているのか。
「火本には何かと借りが多いんだよ」
「ふぅん。そういえばあなた、月島さんにも借りがあるんですってね」
白雪さんは何やら他意のある言い方をして俺を問い詰める。
あいつめ余計なことを。
「そんなに借りばっかり作って、どうやって返すのかしら」
「ちゃんとできることをやっていくつもりだよ」
まるで母親に叱られているみたいだ。
ったく、なんで俺が説教じみたことを言われなきゃいけないんだ。
「まぁそれはどうでもいい話なんだけど」
「俺の恩義はどうでもいいことなのか」
「言い直すわ、銅でもないわね錆くらいかしら」
錆でもいい話ってなんだ。
白雪さんは少し間を空けた後、真面目な顔をして切り出す。
「冗談はこれくらいにしておいて、その頼み事、何か私に手伝えないかしら」
「手伝うって、白雪さんはお客さんなんだ。そこまでしてもらう義理はないさ」
「私が手伝いたいと言ってるのよ。一宿一飯以上のもてなしをされて、何もせずになんていられないわ」
これが彼女なりの返し方なのだろう。
俺が独断で決めることはできないが、彼女が俺たちのために手伝いたいと言ってくれていることは素直に嬉しい。
俺は渋々と了承して、とりあえずは火本と月島に話を聞いてみてからということで了解を得た。
火本は二つ返事で大丈夫だと思うが問題は月島だ。
*****
「アンタ何言ってるの? 依頼人の白雪ちゃん放っておいて火本君の手伝い?」
その日の夜、月島へと事を伝えていた。
電話越しではあるが、月島は未だ調べ物が終わらないのか若干イラついているようだった。
「もちろん白雪さんのことを放っておくつもりもないさ。ちゃんと週末はそっちの仕事をするし、手を抜くつもりもない」
「アンタがそれでよくても、白雪ちゃんが一人になっちゃうじゃない」
月島自身が白雪さんの相手をするという選択はないみたいだ。
「それが、白雪さんが仕事を手伝いたいといってきたんだ」
「どういうことよ?」
白雪さんが手伝いたいと言った旨を説明すると、月島は呆れたように言った。
「そんなことダメに決まってるじゃない。白雪ちゃんはお客さんなのよ、大事な大事な依頼者なの。手伝いどころかアンタの相手をさせることだけで悪いのに」
耳から離しても聞こえるほどの声で月島が捲し立てる。
まるで俺がお客さんみたいじゃないか。
「白雪ちゃんに代わってちょうだい、私が気持ちは嬉しいけどってちゃんと断っておくから」
横でこちらの様子を見ていた白雪さんに電話を渡す。
白雪さんは任せてといった表情で電話を受け取った。
「はい、白雪です」
白雪さんの声色がやわらかくなったのは言うまでもない。
この猫かぶりを知っているだけに彼女の本当の性格を知ったら月島はどんな顔をするのだろうか。
その姿を想像していたら白雪さんに恐ろしい形相で睨み付けられた。
どうやら顔に出ていたみたいだ。
「はい、大丈夫です。ふふっ、そうですね――」
時折笑っている彼女と月島がどんな話をしているのか気にはなるが、どうせ俺の悪口だろう。
あまり聞きたい話ではない。
「——よろしくお願いします。それでは」と彼女は電話を切った。
「どうだった?」
ふぅ、と一呼吸して白雪さんは俺を見た。
「手伝いのことは大丈夫よ、納得してもらえたから」
「そうか」
さすがの月島も、白雪さんの頼みは断れなかったのだろう。
話の断片から推測すると、白雪さんの実家に行くまでにまだ時間があることや、火本とはもう面識があるなどと言って説得していた。
まぁ、面識とはとてもいえないが、俺は黙っていた。
「だから安心して、後生をおとなしく暮らしてちょうだい」
どんな話をしていたんだよ。
まさかの解雇通告だ。
先ほどの可愛い白雪さんが元の毒だらけに戻って正直寂しいが、何はともあれ月島の了承を得た。
「ということで、私の手伝いが決まったわけなんだけど、私は何をすればいいのかしら?」
それはこっちが知りたい。
俺は白雪さんに何をさせたらいいのだろうか。
魔女のことを火本には秘密にしながら手伝えることってなんだろう。
——ちなみに火本には月島に連絡をする前に手伝いのことを伝えた。
「白雪さんって、あの寝てた子だろ? 手伝うのは構わないけど、こっちだって仕事なんだ。ちゃんとお前が面倒みろよ」とだけ言われた。
予想とは違い何か含みのある言い方だったが、手伝うことについては特に断る理由はないみたいだ。
「何をするかは明日火本と話し合うことにして、今日はもう寝ることにしようか」
「一人で? それとも誘っているのかしら?」
「お前が俺の誘いに乗るとは最初から思ってないよ」
そもそも誘ったつもりもない。
「あら? そんなことはないわよ。あなたのことは好きではないけれど、抱かれたくないとは言ってないじゃない」
え? マジですか?
その話だと白雪さんは好きでもない奴に抱かれてもいいってことになるぞ?
「私としても薬の効きにくいあなたに興味がないわけじゃないし、一回くらいなら襲われても許してあげるけど?」
「許す許さない言ってる時点で俺に対する気持ちがわかるよ!」
襲われること前提かよ。
「そう言いながらその手に持っている枕は何かしら?」
「毒を食らわば皿までって言葉があるじゃないか」
「私の毒に犯されるなら本望でしょうね、まぁ犯されるのは私なのだけど」
「笑えないし、下品だぞ」
可愛い顔して危ないことを言う。
白雪さんの飴と鞭ならぬ、薬と毒はその後も続き。
結局俺はまた応接室で寝ることとなった。
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