第2章 オッドアイの少女

第4話 火本の相談

 翌朝、トーストの焼ける香ばしい匂いで目を覚ます。


 そういえば昨日、白雪さんがここに泊まっていったんだったな。

 朝飯を作ってくれるなんて昨夜の事が嘘みたいだ。

 キッチンへと足を運びながら、台所に立つ白雪さんの姿を思い浮かべると新婚みたいだなんて少し浮かれてしまう。

 性格はどうあれ、容姿は月島に負けずとも劣らずの美貌を持っているからな。


「よう、もう九時だぞ」


 そんな期待をしていた俺を裏切り、台所に立っていたのは金髪に眼鏡をかけた一人の男だった。


「な、なんでお前がここにいるんだよ」


 俺が渋い顔をして言うと、男は悪びれる様子もなく料理を続けた。


 火本と俺は昔からの悪友だ。

 二人とも両親がおらず、同じ養護施設で育てられたのだが、クォーターの彼は青い目が理由であまり友達がおらず孤立していた。

 そんな彼に俺が話しかけたのがきっかけで仲良くなったというわけだ。

 

「まぁまぁ、そんな怖い顔するなよ。俺とお前の仲じゃないか」


 席へ着く俺に火本が宥めるように言う。

 別に今回が初めてのことではないのだが、せめて事前に連絡でもしてくれればと思う。


「お前は昔っから自分からは連絡よこさないじゃないか、だから心配になって見に来たんだよ」


 トーストの乗った皿を俺に差し出しながら火本が言う。


「それにしても無用心だぜ、鍵もかけないなんて」

「鍵は昨日ちゃんと掛けたはず——」


 ——ひょっとしたらと食べかけのトーストをくわえながら白雪さんがいるはずの部屋へ急いで向かう。

 そこにはキチンとたたまれた寝巻きと布団があるだけで、彼女の姿は見あたらなかった。

 後についてきた火本が部屋の状況を眺めて言う。


「なになに? もしかして誰か連れ込んでたのか? お前もなかなか隅におけないなぁ」


 火本の言葉を無視して、俺は靴を履き玄関を飛び出した。


「どこ行くんだよ?」


 玄関から聞こえる声もすぐに遠くなる。

 右も左もわからない彼女をこのまま放っておくわけにはいかない。

 こんなことが月島にバレたらただじゃ済まないだろう。


「日下部さん? そんなに慌ててどうしたんですか?」


 事務所から数メートル離れた場所で声をかけられた。


「白雪さんを探してるんだよ! 女の子で黒くて長い髪の子なんだけど」


 声がした方向へと顔を向けると、目的の人物が目の前にいた。 

 にっこり微笑みながら白雪さんが言う。


「その女性の方なら知っていますよ。今あなたの目の前にいますよ」

「何勝手に出歩いてんだよ、何かあったらどうするんだ?」


 やれやれといった感じに白雪さんはため息をつき。


「私もさすがに子供じゃないんですから、そこまで心配しなくても大丈夫ですよ」


 頬を膨らませ両手を腰に当てる。

 だからリアクションが古いって。

 火本が八時頃に来たらしいから、その前からいなかったことになる。


「何してたんだ?」

「散歩をしていました。枕が変わるとあまり眠れないみたいです」


 えへへ、と照れながら笑う。

 初めての外泊に緊張してたのだろう、彼女の顔には少し疲れの色が見えた。


「散歩は構わないが、何か書置きとか残しておいてくれ。こっちの身が持たん」

「はい、すいませんでした」


 やけに素直だな。

 外とはいえ人通りがあまりない場所なので、もっと噛み付いてくることを想像していたのだが……。

 そこで彼女の言葉を思い出す。

 超が付くほどの方向音痴の彼女が、ここまで無事に帰ってこれた時点で気付くべきだった。

 もしかしたらと彼女のおでこに手を当てる。


「セクハラです、やめてください」


 彼女が手を振り払おうとするが、まったく力が入っておらず空振りに終わる。


「熱があるじゃないか!」


 体調が悪いときほど方向音痴ではなくなる彼女の額はとても熱く、立っているのも辛そうな状態だった。

 俺は嫌がる彼女を押し切り無理やり抱きかかえた。

 いわゆるお姫さま抱っこというやつだ。

 事務所までそんなに距離があるわけじゃないので、白雪さんくらいの体重なら苦もなく運ぶことができる。

 白雪さんは頬を紅潮させていたが、それが熱によるものなのか恥ずかしさからくるものなのか俺にはわからない。

 とにかく、俺は事務所へと向かった。



*****



「んで、いったいどういう状況なんだ?」


 事務所へ戻った俺は白雪さんを寝かせ介抱したあとリビングで火本から尋問を受けていた。


「びっくりしたぜ、お前がいきなりかわい子ちゃんをお姫様抱っこして戻ってくるんだもんな」

「別に、ただの依頼者だよ」


 コップに入ったジュースを飲み干し、カランと氷がグラス当たる音を鳴らす。

 火本が煙草に火をつけて一息つく。


「ただの依頼者がこんな状況になるわけないだろ。まぁ、あまり深くは聞かないけどさ」

「そうしてもらえると助かる」

「どうせ月島がらみの面倒に付き合わされてるんだろう、お前も大変だな」


 当たらずとも遠からずといったところか、


「そういや月島はどうしたんだ? 珍しく留守みたいだけど」


 先ほど、白雪さんを寝かしつけるときに携帯にメールが来ていた。

 調べものがあるので事務所へ来れるかどうかわからないとのことだ。

 月島の調べものが何なのかはわからないが、依頼者を疎かにするような奴ではないので特に心配はしていない。


「——というわけだ」

「なら今日は暇ってことか?」

「まぁ時間は空いてるが、白雪さんがあんな状態だからな」


 俺は視線を白雪さんのいる部屋の扉に向ける。

 昨日寝ていないのか、俺と火本が話していてもまったく起きる様子はなかった。

 白雪さんを放って火本と出かけるなんてことはできるわけがない。

 かといって、ここでじっとしているのも手持無沙汰なのは事実だ。


「ほんの少しだけ俺に付き合ってくれ、時間は取らせないから」


 火本は「頼む!」と机に両手をつけて頭を下げた。

 こいつからの頼み事は何回も聞いてやっているが、そのほとんどは女性絡みで俺なんかに聞くより月島に相談しろと言っている。

 結局俺が月島に意見を求めるのなら手間は省いたほうがいいに決まっている。


「その話を聞く前に飯にしよう。せっかくの料理が冷めちまう」


 とりあえず話だけでも聞いてやるかなどと考えながら、火本の愛情がたっぷり入った朝食を口に運んだ。



*****



 結局、俺は火本に付き合うことにした。

 さすがに、子供ではない白雪さんを付きっ切りで看病する必要もないだろう。

 念のため、白雪さんが起きたときにと机に書置きと連絡先を書いたメモ、軽食を残し駅へと向かう。


 火本の頼みというのはこれから会う女性に一緒に会って欲しいということだった。

 知り合った経緯などは教えてくれなかったが、火本いわく少し特別な娘らしい。

 それが彼からした特別なのか、世間一般からした特別なのかは定かではないが、話しをすればわかるとのことだ。


「実のところ、俺も会うのは初めてなんだ」

「そういう話は先に言えよ」


 このご時世、会ったことはないが知り合うというのはよくある話なのだろうが、俺を付添い人として巻き込むのは勘弁願いたい。

 わかっていればわざわざ来なかったのに。


「——そうなるだろうと思って言わなかったんだよ。それに言っただろその娘は特別なんだよ、今日だって会う約束をするのにどれだけ時間がかかったか」

「お前がそこまでして会いたいと思う気持ちは悪くはないが、俺が一緒に行く理由はないだろう?」


 初めて会う女性に人見知りをしないよう、俺を挟んで気を紛らわそうとするなんて、男らしくない話じゃないか。


「何か勘違いしているみたいだけど別にそんな理由じゃねぇよ、ちゃんとした仕事の話さ。ちょっと俺には管轄外でな」

「管轄外?」

「そ、正確に言うと俺の手に負えない」


 火本の仕事は人助け。

 代理人とも保佐人ともまた違う、困った人を助ける人助け。

 一応は月島探偵事務所に席を置いているものの、俺や月島と別行動を取ることが多いのであまり事務所には顔を出さない。


「んー、俺の仕事は悪がいて成り立つというか、なんていうのかな。悪い奴がいて、それを倒すのが俺みたいな? 正義の味方?」

「正義の味方というか、まさよしの味方にすら成れているかわからないけどな」

「まさよしは悪くない!」


 それは味方になるというか、庇っただけだと思うが。


「まぁとにかく、悪がいない仕事は引き受けてないのよ。頭脳労働ってやつ? そういうの俺得意じゃないし」

「だからって俺に頼むのはお門違いってやつだろ」


 悪者がいて成り立つ仕事というのも変な話だ。

 それに頭脳労働なら尚更、月島のほうが向いている。


「いや。お前でいいんだよ、月島は推理、お前は分析。例えるならお前はワトソンの役だ。」


 眼鏡のブリッジを中指で押す。

 蛇足だけれども、眼鏡をかけている人のこの動作は正直恰好いいと思ってしまう。

 続けて火本が言った。


「そして俺は行動だ。お前が望むなら矛にもなるし盾にもなろうじゃないか。お前は俺や月島のようなやつと相性がいいんだよ。だからお前を選んだ」

「そいつは——、光栄な話だな」


 冗談半分で話を聞きつつ、何の恥ずかしげもなくそんな台詞を口走る火本。

 こいつは昔からそうだ、俺より何倍も何十倍も器が大きいのにやけに俺を過大評価する。

 俺はそんな人間じゃないんだよ。

 自分じゃ何もできない、いつもお前や月島にくっついているだけのただのダメ人間さ。

 仕事だって……。

 生活だって……。

 人生だって……。


「それで、その特別な娘はどこがどういう風に特別なんだ? そろそろ教えてくれてもいいだろ、事前にわかっていればそれなりに対応の仕方があるってもんだ」


 少し考えてから火本が言った。


「出会ったきっかけからになるけど、俺のサイトにメールが届いてな、その内容がちょっと変わっていたんだ」

「変わっていた?」

「あぁ。『先日お化けが出ると噂の屋敷に行ったところ友達が姿を消しました。数日して家に帰ってきたものの以前と全く違う友達の様子に少し戸惑っています。誰に相談しても前と変わりがないというので変に思いメールしました。』ってな、気になって返信してみたんだが、結構精神的に参っていたみたいでな、それで何とか話を聞こうと今日まで説得してたわけ」


 お化けねぇ……。

 魔女である白雪さんの存在が明らかになってしまった以上お化けの存在も否定できなくはない。

 だが、やはり現実味に欠けるというか、簡単に鵜呑みにできるほど俺の器も大きくはなかった。


「どこが変わっているんだ? 聞いた感じお化けに悩まされているだけみたいなんだが」

「そこなんだけどさ」

「けど?」

「誰も困ってないんだよ。友達が変わったって言っても前より明るくなったみたいなんだわ。人当たりもよくなって、誰とでも気兼ねなく話すっていうの?」

「なんだそりゃ」


 お化け屋敷で行方不明になって人付き合いが良くなるなんて聞いたことないぞ。

 そんなお化け屋敷なら是非とも行ってみたいもんだ。


「話を聞いてみないことにはどうにもできないな」

「だろ? だから今日会うんだよ、メールだから本当か嘘かもわからないし、依頼者の冷やかしかもしれない」

「でも、もしお化け退治になったらお前の言う正義の味方になれるんじゃないのか?」

「そうかもしれないが、それでも俺一人じゃ手に負えない」

「なんでだ?」


 少し間を空けて火本が言う。


「お化けって怖いじゃん」


 それが理由で俺のとこへ来たのか。

 俺が大きくため息をついてから。


「んで、特別だっていうところがいまいちよくわかんないんだが。ただお化け屋敷に行って友達に変化があったってだけで、特別にまでなる要素があるとは思えないんだけど」

「特別というか、これは俺の勘なんだけど」


 真面目な表情になり火本は言った。


「依頼者は何か隠している」

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