第四章 生徒会の陰謀

□芦屋真咲の解明


 事件の翌日、部室で晴高ネットに犯人挑発のメッセージとやらを投稿していると、そろそろ下校しなければいけない時間となってしまった。野上はどこかに寄って、事件の推理を続けようと言い張ったが、店の中であの鬱陶しいテンションで喋られるのは勘弁して欲しい。個人で推理して、翌日披露しあうということで解散となった。

 別に野上の指示に従う訳ではないが、俺もこの事件について改めて考えてみた。

 まずあの日の出来事について。

 あの日、化学室で首吊りがあったかどうかは分からない。だが、化学室から悲鳴が聞こえた事は間違いない。俺も廊下で確かに聞いた。廊下から化学室の様子を伺った際も、中に人の気配があった。だが、鍵を開けて入ると中には誰も居なかった。首吊り死体があったという場所には、血痕とノートとケーブルが落ちていた。

 血は赤インクやペンキなどには見えなかった。野上が持ってきたおもちゃを信じるわけではないが、血液で間違いないだろう。

 問題は赤い表紙のノート。気になったので、詳しく観察するため家に持ち帰ったのだが、見過ごすことが出来ない文字が書かれていた。


 ――悪魔のノート――


 使い込まれた感じはしないが古さを感じるのは、背の部分が日に焼けて変色しているからだろうか。

 赤い表紙には幾何学模様が書かれており、表紙の最下部に六桁の数字が並んでいた。

 中をめくって見ると、最初のページに大きな文字で『悪魔ノ言語』と書かいてあった。

 その下に、

『関わる者に災いをもたらす悪魔の言葉。』

『ただし、全員が逃げることは許されない。毎年、一人生け贄を用意しなければならない。』

 別の筆跡で、

『関わるな! 関わったら命はない!』

 さらに別の筆跡で、

『今年の生け贄は、アラキバ』と、書かれていた。

「アラキバ」とはどこかで聞いた事がある単語だと思いネットで検索してみると、堕天使の名前であると書かれたホームページがヒットした。

 ノートの次のページには、日記の形式で以下の事が書かれていた。


8/3

悪魔言語を甘くみていた。

いきなり悪魔の洗礼。


8/4

12時間閉じこめられた。

気が狂いそうだ。


8/5

ここはどこだ!

まるで終わりが見えない地獄だ


8/6

明日地獄の門番がやってくる。

もういやだいやだいやだ

もうやめる!


 数ページ空けて、アルファベット、数字、記号の羅列が五ページほど続く。日本語でないのはもちろん、英語などの言語ですらないように思われた。

 そこから空白ページが続き、最後から四ページ目からまた記述が始まった。

 文中に「てにをは」があるので日本語だと思われるが、アルファベットの方が多く、日本語があってもカタカナだ。ただ、矢印や×のマークが書かれているところをみると、メモ書きのようにも見えた。

 ノートに記述されていたのはそれだけだ。

 そして事件の翌日、部室からそのノートは盗まれてしまった。

 油断があったと言われれば否定は出来ない。せめて全ページ写真に撮るなりして教授に見てもらうことができれば、なにか分かったかもしれない。しかし、今となってはそれも不可能だ。この事件の解明は、俺の手に掛かっている。

 あのノートで最も気にすべき点は、『悪魔』という忌むべき単語がそこかしこに記述されていたことだ。

 俺は最悪の事態を考えていた。あの時、悪魔召喚が行われていたのではないかと。

 あのノートによると、毎年悪魔に生贄が捧げられたと書かれていた。

 日付から考え、今年以前の犠牲者と思われる者の手記には、厳しい状況に直面している事が記され、数日で終わっていた。

 次に続く文字の羅列は召喚の呪文なのか? あのような術式はロンドンでも見た覚えがない。

 悪魔の召喚には魔法円が必要だ。しかし、あの時、化学室の床にはその様なものは無かった。もちろんすぐに消せるものではないし、すぐに描けるようなものでもない。

 だが、予め用意しておけば、放課後のわずかな時間でも召喚が可能ではないだろうか。

 例えば、魔法円が書かれたシートを使うという方法はどうだろうか。あるいはロープ自体に術式を施し、それで円を作り魔法円とする。しかし、この様な方法で魔法円の代わりとなるかは聞いたことがない。

 だが、その考えを完全に否定しきれない事実がある。現場に落ちていたあのケーブルの事だ。

 俺は、あれをただのLANケーブルだと思ったのだが、それを見た龍胆寺はそうではない、あれは聖十字の刻印を持つものであると確かに言ったのだ。

 龍胆寺が、なぜそのような事を知っているのかは聞きそびれてしまった。もし、言葉通りの効果があるならば、術者は聖なる守護を期待したのかもしれない。召喚した悪魔から術者を守ることも魔法円の役割の一つだからだ。

 しかし、その方法が知られていないとすると、やはり不完全なものだったのではないか。詳しく調査したいが、悪魔のノートと一緒に盗まれてしまった事が悔やまれる。

 どんな目的で悪魔を呼び出したのであろうか。

 タロットカードの『吊られた男』は北欧神話のオーディンだという説がある。オーディンはルーン文字の解読方法を知るために、九日の間自ら首を吊ったのだ。

 そう、英知を得るために。

 中世の錬金術師は、水銀などの卑金属を黄金にする事に命を懸けていた。

 そう、悪魔に魂を売る事も厭わずに。

 そして、化学室には水銀が存在する。

 ここで一つの仮説を立ててみよう。

 一昨日の化学室で、禁断の英知を持つ悪魔を呼び出し、『水銀』を『黄金』変えようとした人物がいた。その者は、首を吊って殺した人間を生け贄とし、悪魔召喚の儀式を行った。

 だが、ケーブルを使った魔法円は不完全なもので、悪魔の召喚には成功したが身を守ることは出来ず、生け贄もろとも食われてしまった。僅かな血の痕を残して…

 それならば、呼び出された悪魔はどこに行ってしまったのだろうか? 今も化学室に住み着いているのだろうか? そう考えると、事件の翌日、化学室から部室に帰る途中に襲われたのも無関係とは思えない。

 あるいは、それが組織的に行われた犯行とは考えられないだろうか? 一人でこの様な企てが出来るとも思えない。裏にはなんらかの組織が関与していると考えた方が自然だ。

 もしこの仮説が正しいなら、残念だが俺の手に負えないかもしれない。ロンドンの教授に相談するべきであろうか。


 俺が初めて教授に会ったのは、ロンドンの日本人学校に通っていた中学二年の初夏の頃だった。隣の家に住んでいたマルコに紹介されたのだ。

 その頃のマルコは、春先にやっと怪我が治り仕事に復帰したのだが、すぐにまたバカンスだといって長期休暇をとっていた。怪我でろくに仕事をしていなかった筈なのに、さらに休みを取るなんてさすがラテン系だ、そう皮肉を言うと、

「ボクが休むことによって若いイングランド人に仕事を回しているのダヨ」と変な言い訳をしていた。だったらイギリスに来なければいいのにと言うと、

「どうしても来て欲しいと言われたので仕方なく来たのサ」

 そんな事を言っていたが、俺はイタリアの田舎よりロンドンの方が日本のアニメとマンガが手には入るからだと睨んでいる。古いFIATに乗っているのも、自国の車だからではなく、ルパンが乗っているからというのが理由だそうだ。

 そのFIATに乗ってロンドンの中心街までアニメ、マンガグッズを買いに行くのに何回か付き合わされていたので、その時も買い物かと思っていたが、着いたのはパブだった。

 そのパブはThe George and Dragonといった。日本語でいうと『聖ジョージとドラゴン亭』となるらしい。マルコの好きそうな名前だ。

 イギリスの法律を詳しく知らなかったので、未成年がパブに入っていいのかとマルコに尋ねると、

「ボクもイタリア人だから分からないヨ。知らないのだからショウガナイ」と無責任に答えた。

「ボクも飲まないヨ。車だしネ」

 当たり前だ。ここで酒を飲まれたら俺が困る。

 カウンターでオレンジジュースを二つ受け取り、店の隅のテーブルに向かった。そこに居たのが教授だった。

 教授は、スリーピースのスーツを着てシルクハットをかぶり、手にはステッキを持ち、背筋をまっすぐ伸ばし紅茶を飲んでいた。

 マルコに紹介されると、教授は流ちょうな日本語で、

「初めまして。スティーブン・キーンです。以後お見知り置きを」と挨拶してきた。

 俺が思い描いていた英国紳士そのものだった。もっともその格好は、俺を驚かせるための仕掛けだったと後から聞かされたのだが。

 教授というニックネームは、大学で日本の古典文学の研究をしているという、そのままの理由だった。そのため、日本語の読み書きはもちろん、古典も原文で読めるそうだ。本人もそのニックネームを気に入っており、パブの店員にも日本語の発音で、「キョージュ」と呼ばせていた。

 学校の友人はもちろん、家族ともあまり会話がない俺は、マルコの怪しい日本語はともかく、久しぶりに聞いた教授の完璧な発音の日本語に感激した。あまりの嬉しさに、その日は生い立ちから学校での立場など、どうでもいい事を自分から進んで話してしまった。

 教授は日本の文化や学生の生活にとても興味を持っていて、俺のそんな話を喜んで聞いてくれた。親父の実家が兵庫の出身だと知ると、先祖は蘆屋道満ではないかと言ってくれたのも教授だ。恥ずかしながら俺はその時まで、蘆屋道満どころか陰陽師の存在も知らなかった。

 その年の夏が終わると、マルコが真面目に働き出したので教授に会う頻度は減ったが、月に何回かはそのパブを訪れ、話をした。

 時には、教授の友達も紹介されたが、ほとんどが日本のアニメ、マンガ好きだった。しかし、英語が出来ない俺は、彼等とあまり会話ができなかった。

 教授は、日本の小説やマンガを数多く所持しており、「君も日本人なら自分の国の文化に誇りを持て」と口癖のように言っていた。日本ではマンガもアニメもあまり見なかった俺だが、教授に言われると、日本と繋がる唯一の絆のような気がして、学校の休み時間は教授に借りた本ばかり読んでいた。本を読んでいれば学校にいる間、誰とも口をきかなくても平気だった。

 俺が先祖に興味を持ったと知ると、陰陽師についての資料も数多く貸してくれた。教授は平安時代の文学を特に研究していたので陰陽師についても熟知していた。まれに教授でも知らない儀式があると、原典を調べて教えてくれた。

 俺の陰陽師としての知識は、全て教授から教えてもらったと言っていい。卜占などは教授も驚くほど上手くなった。先祖の血のおかげだと言われたが、俺が先祖の本当の力に覚醒するのはもっと後の事だった。

 教授ならきっと、この事件について良いアドバイスをしてくれるに違いない。

 簡単に電話か、せめてチャットでもできればいいのだが、今、ロンドンはちょうどランチタイムだ。マルコと違ってきちんと働いている教授は大学にいるのだろうが、仕事を邪魔するのも気が引ける。しばらく連絡を取っていないので、近況を伝えるメールのついでに仕事の状況を聞いておくにとどめよう。


 その翌朝、登校すると野上が俺の席まで飛んできた。

 前の日に晴高ネットの掲示板に投稿した件で進展があったのかと思ったが、返事が無いという報告だった。

 返事があるとすれば昼休みか放課後だろうと言ったのだが、休み時間ごとに俺の席まで来て大騒ぎしていた。昼休みなどメシを食べる暇もないほどだ。龍胆寺に押し付けようとしても、状況を察してどこかに逃げていた。昨日は良い作戦だと思わないでもなかったが、こんなおまけがつくなら反対しておけばよかった。

 放課後になっても、掲示板に返事は書き込まれていなかった。やはり、校内掲示板なんて誰も見ていないのだろう。

 野上は龍胆寺の居ない部室で、「犯人の癖に不真面目な奴だ」と理不尽な文句を言っていた。怒るなら返事をくれない事より犯行を起こした事を怒れ、と常識を教えていた時に電話が鳴った。

 発信者を見ると龍胆寺だった。至急、生徒会室へ来いという。今回の事件に関連した事だそうだ。俺は生徒会が事件に関わっている予感がしていたのだが、それが当たったようだ。

 わけもわからず興奮する野上を伴い、急いで生徒会室に向かった。


 生徒会室の前に着くと、野上は俺を押しのけて勢いよく扉を開け、

「探偵に用があるのはどなたかな?」などと戯言を言いながら勝手に入って行った。

 俺も続けて入ると、部屋の奥に居た同じクラスの見澤陽子が手を振りながらやって来た。

「芦屋くーん。いらっしゃい。こっち、こっち~」

 嬉しそうな声を上げ、俺と野上の手を取ると、パソコンデスクまで引っ張っていった。

 そこに龍胆寺も居たのだが、見澤に手を取られている俺を見ると不機嫌になり、こちらを睨みつけた。

「ちょっと! デレデレしすぎじゃない?」

「なんだって?」

「なんでもないわよ!」

 電話で呼び出されて来てみれば、この仕打ちだ。

「たまには生徒会に遊びに来てよね。野上君と一緒に毎日来てもいいのよ」

 同じクラスである見澤は、生徒会の役員共の中で唯一の探偵部の味方なのだが、なぜか龍胆寺とあまり仲が良くない。休み時間に俺と野上が馬鹿話をしていると、見澤は、「なんの話しているの~?」と気軽に声を掛けてくれるのだが、そんな時、龍胆寺を見ると決まって嫌な顔をしている。そして、後で何の話をしていたか問い詰められるのだ。

「呼ばれたから来たのに随分な扱いだな」

「そうよ。ひとの恋の邪魔をしないでよ。愛する人同士が一緒に居るんだから!」

「ちょっと! なに馬鹿なこと言っているのよ!!」

 いつもの言い争いが始まりそうな雰囲気になってきた。勘弁してくれ。

「そんなことより、僕達をここに呼んだ理由を説明して欲しい」

 野上が空気を読まずに横から口を挟んでくれたおかげで、やっと本題に入れそうだ。

「あんたが、悪いんでしょ!」

 一方的に俺を悪者にしつつ、龍胆寺は話を続けた。

「このメッセージを見て。昨日の返信だと思わない?」

 生徒会の掲示板なんだけど、と前置きして見せられたパソコンの画面には、

【全校生徒に告ぐ。晴高にラプラスの悪魔が復活した】

 というメッセージが表示されていた。


──ラプラスの悪魔──


 俺の心臓が大きく鼓動し、嫌な汗が流れた。

 だが、俺の動揺をよそに、隣で野上が奇声を上げた。

「キタキタ! キターー! よっしゃー! ついに来たな! これは紛れもなく犯人からの返事だ!」

 騒ぎ過ぎだ。見澤が珍獣を見るような目で見ていた。

「なに? なに? これって野上君へのメッセージなの?」

 これだけ騒げば、疑問を持つのは当然だ。見澤への説明をどうしようかと考えていると、

「さっき来るとき簡単に説明したでしょ」と龍胆寺。

 事情は説明済みなら話は早いと思ったが、見澤は小首を傾げて、顔にクエスチョンマークを浮かべている。説明するならきちんとしてくれ! どいつもこいつも俺の手間を増やしやがって!

 ここまで来ると隠すのは不可能だと思い、見澤に一昨日起きた事件と、犯人に宛てたメッセージを晴高ネットの全校生徒向け掲示板に投稿した事を簡単に説明した。

「へぇ、そんな事があったんだ~。会長にも話していい?」

 呑気に見澤が答えた。

 それは困る、そう止めようとした、まさにその時に、生徒会室奥の資料室に続く扉から会長が現れた。

「ククッ。僕の噂話ですか。これは光栄ですねぇ。おやおや、芦屋くん、生徒会室にようこそ。部の新設申請以来ですかねぇ」

「会長どういう事だ! 犯人のメッセージが、なぜ生徒会の掲示板に書かれているんだ!」

 俺は会長に詰め寄った。

「なんの事でしょう? あいにく僕は忙しい身の上なんですよ。フフッ」

 邪悪な笑いを顔に浮かべて会長が答えた。

「どこまでお前が関わっているんだ」

「僕が? 僕は会長ですよ。生徒会すべてに関わっているに決まっていますよ。そういえば先ほど見澤くんが、目安箱に生徒会へのお願いが来ていたと言っていましたねぇ。その事ですかねぇ。もちろん『その』お願いも責任を持って対処しましょう。それとも君たちの手に負えますかな」

 会長は意味ありげに笑いながら、右手で眼鏡のつるをいやらしくつまみ上げ言った。

「それは、僕にこの事件が解決できないという事か!」

 珍しく野上が怒って会長に掴みかかろうとしたので、慌てて後ろから肩を掴み、耳打ちした。

「やめとけ。敵にこちらの手の内をばらしても良いことないぞ。一旦部室で考えよう」

「そうだな。分かった」

 野上はそう言って頷くと、会長に背を向けると右手を上げ、

「探偵は何度でも現れる! また会おう!」と宣言しながら生徒会室を出て行ったので、俺もその後に続いた。

 背後から、「芦屋君またね~」と見澤が声を掛けてきた。後ろを振り向くとなぜか不機嫌な龍胆寺と目が合った。別の意味でも早々に引き揚げた方がよさそうだ。


「出たな」

 部室に着くとまっすぐ窓際まで進んだ野上が、外を見ながら演技がかった声でそう言った。

「ああ」

 俺はそう答え、「犯人からのメッセージだと思うか?」と続け、椅子に座った。

「いいや、犯人ではないのですよ。これは……」

 野上はゆっくりこちらに振り返った。

 俺は、またこいつ何か言う前に溜めの時間を作っているなと察し、口を挟んでやろうかと思ったが、後でよりウザい結果となることが想像できたのでやめた。

「怪人の仕業だ!」

 俺と龍胆寺が呆れてなにも言えないでいるのをいいように取ったのか、満足したような顔で、

「これは怪人の仕業ですよ!」とまた言った。

「僕の推理に声も出ない様ですね。なぜそうなのか分かりますか? 霧君!」

 お前の妄想など知るかと思っていたが、俺の向かいの席に座った龍胆寺が律儀に答えた。

「分からないわ。教えてちょうだい」

「いいですか。考えてみてください。こちらの挑戦状に挑発で返すふてぶてしさ。しかも、あの、一見謎のメッセージ。これは怪人の仕業に違いないんですよ!」

「なるほど、そうなのね」

 龍胆寺はなぜか野上に対して素直だ。

「それで、その怪人とやらは誰なんだ?」

「それをこれから推理するんでしょ。なんか軽くない? ねえ、ちょっと、分かっている? 密室で殺人事件が起きて怪人が暗躍する。そしてそれを解決する探偵がここに居る! これ以上のシチュエーションはないよ!? まあ、諸君が焦るのも無理はないですけどね。初めての事件で緊張しているんでしょう? もっと肩の力を抜いた方がいいですよ」

 そう言うと俺の後ろに回り、肩を揉んできた。バカが語りかけます。ウザい、ウザすぎる。いいからお前も座っておけ。俺を見下ろすな。

「だから、どうやって捕まえるんだよ」

「そうですね、犯人、いや! 怪人を追い詰める鍵は、残されたメッセージにあります! 霧君ホワイトボードだ!」

【全校生徒に告ぐ。晴高にラプラスの悪魔が復活した】

 百均で買ったホワイトボードにメッセージを書き写し、『晴高に』の文字に丸を付けた。

「『晴高に』これは当然、晴彗学園大学付属高等学校、言うまでもなくこの学校の事でしょう。だが、ここをよく考えて欲しい。他の高校の生徒が我が校を略すとき『晴学』と呼ぶ。もしくは『晴彗高校』です。僕も中学の時は『晴学』と呼んでいた。しかし、我が校の関係者は『晴高』と呼ぶ、それはなぜか。『晴学』と略すと隣の大学と区別がつかなくなるからです。つまり、『晴高』と書いている時点で学校関係者であることを自ら暴露しているのだ!」

 まあ、校内の掲示板に書かれたメッセージだからな。学校関係者を疑わない理由はない。

「次の文、『ラプラスの悪魔が復活した』だが、この文からすると、以前この高校には悪魔が存在していたことになります。これは過去に起こった事件を指しているのか、それとも何かの比喩なのか。ラプラスの悪魔とはどんな悪魔なのか」

 俺はその名前を聞いてからずっと、ロンドンで教授に叩き込まれた知識の中から該当する悪魔の名前を思い出そうとしていた。ソロモン七十二柱の悪魔、北欧神話、アステカの神… どれも違う。架空の悪魔なのか?

「ラプラスの悪魔って言うのは…」

 龍胆寺が声を上げた。

「物理学の用語だったと思うわ。世界に存在する全ての原子がどういう動きをするか知っている存在がいるとすれば、その存在は未来に起こる全ての出来事を知ることができる。そんな存在の事だったと思うわ。未来に何が起こるのか分かっていたら、神様か悪魔だわね」

「なにっ! その悪魔は、世界のすべてを知っているというのか?」

「未来に何が起こるか分かるくらいなら、きっと過去の事も今の世界もなんでも知っていわよ」

 なん……だと!

「へえ。随分詳しいね」

「昔そんな名前のゲームがあったのよね。気になって調べた事があったのよ。随分前の事だからあまり自信ないけど」

「ゲーム? それの事なのかな?」

「どうかな。私が知っているのはキューハチ版だから」

「……」

「……」


 俺は衝撃を受けたまま動くことができず、野上と龍胆寺の会話を聞く余裕さえなくなってしまった。

 人を、いや神をも凌ぐ英知を持つ悪魔の存在。そんな悪魔を召喚する事ができるのか?

 状況は全て俺の立てた仮説通りに進行している。

 やはり、あの時『ラプラスの悪魔』が召喚されたと考えた方がいいのだろうか。いや、そう考えざるを得ない事態である。そして、その悪魔は確実に俺を認識しているだろう。化学室からの帰りに襲われたのがその証拠だ。もしかして、あの襲撃は悪魔からの警告だったかもしれない。だが、そんな脅しに怯む俺ではない。初仕事に悪魔退治、相手に不足はない。この謎は俺が必ず解明してみせる。


「……」

「……って、聞こえている?」

 野上に強く肩を揺すられ我に返った。

「ぼーっとしないでくれよ。真咲君はどう思うんだ?」

「え?」

「ちゃんと聞いてなさいよ! なんで掲示板にメッセージを書き込んだのかってこと。野上君は怪人の挑戦状だって言っているけど、意見はないの?」

 もし俺の仮説が正しいなら、なおさらここで彼等に真相を話すわけにはいかない。

 野上の茶番に付き合っていられない状況となってきたが、今はその相手の情報が無さすぎる。ここは野上に同調して情報収集に徹した方がよさそうだ。

 ゆっくり深呼吸して、丹田に気を入れると、体中に気が漲るのを感じた。

「俺もあの時、化学室で何かがあったと思う」

 俺なりのけじめをつける宣言のつもりであったが、野上は変な顔をして、

「あたりまえだろ? どうした? やっぱりなにかおかしいぞ」と言った。本気で心配しているようだ。

「なんでもない先に進めろ」

「そうか? しっかりしてくれよ。『理由』の次は、『場所』つまり、探偵部へのメールや僕が書き込んだ全校生徒向け掲示板への返信ではなく、なぜ生徒会の『目安箱』か、なのだが」

「生徒会が関係していたりして」

「もちろん、それは考慮に入れる必要があるね。いや容疑者に格上げしたっていい」

「くそ、また生徒会の仕業か」

 そう呟いた俺の言葉に野上が食いついた。

「そう、それ! 僕達の目を生徒会に向けさせるための陽動の可能性もある。いずれにせよ、わざわざ誰も見ない生徒会の掲示板に書き込みをしたのは、理由があるはずです。それが分かれば怪人の手がかりがつかめるかもしれない。思い当たる点はありますかな?」

 龍胆寺は首を横に振った。俺も黙っていた。

「メッセージについては、また後で推理しよう。事件全体についてだけど、僕の作戦に怪人氏がまんまと引っかかったのはいいとして、こちらからさらに仕掛けたい。そのために何か事件の手がかりとなるものはないですか?」

「はい。ちょっといいかしら」

 いきなり龍胆寺が手を上げた。

「犠牲者が消えたって言っていたよね? あっ、犯人もか。その消えた人が生徒なら、事件日以降学校に来ていないと思って、お昼休みに職員室に行って調べてきたわ」

 俺は素直に感心した。目の前の自称探偵より気が利いている。

「偉い! 霧君! 探偵ポイント10点だ!」

 変な制度を勝手に導入するな。

「昨日だけならたまたま休んだ人もいると思って、今日まで待ったのよね。偉い?」

「偉い! 5点追加だ!」

「それでね、先生に昨日と今日学校を休んでいる生徒がいないか聞いたら、一年に一人だけ居るって教えてくれたの」

「おー! それで!」

 野上が椅子から立ち上がり、龍胆寺の方に身を乗り出した。

「だけど、残念!」

「え?」

「その生徒は、事件があった日の午前中、体育の授業中に倒れた生徒だって。救急車で病院に運ばれて、まだ入院中だそうよ。つまり、事件に無関係だわね」

 龍胆寺がそう言ってニッコリ笑うと、野上が椅子に崩れ落ちた。こいつからかってやがる。

「そういえば、おとといの二時間目に救急車が来ていたな」

 あまりの落胆ぶりを哀れに思い、フォローにならないフォローをしてしまった。

「でも行方不明になっている生徒が居ないっていう事はわかったでしょ」

「ああ、そうだな。いや! 良くやってくれた。その通りだ。いいぞ! この調子でどんどん行こう! 真咲君は何か意見はないのか!?」

 立ち直りが早い事だけは認めてやろう。

「はい! 先生!」

 龍胆寺がまたノリノリで手を上げた。あまり構うともっと調子に乗るぞ、この男は。

「積極的なその姿勢や良し! 発言を許可しよう!」

 ほら、このザマだ。

「『目安箱』への投稿だけど、サーバーのログから投稿につかったパソコンや生徒IDを割り出せると思うわ」

「そんな事ができるのか?」

「校内のネットワークシステムはよく知らないけど、晴高ネットはログインしないと書き込めないし、できると思う」

「素晴らしい! 探偵ポイント10点追加! それで、どこをどうすればそれが分かるんだ?」

 何ポイント溜めればいいんだよ。などとツッコミを入れてやるほど俺は優しくない。

「投稿の管理は生徒会がやっているようだから、生徒会に頼めば見せてくれるかも」

「よし、生徒会室に戻るぞ! 怪人の尻尾を捕まえた!」



○龍胆寺霧の観察


 生徒会室に向かうため颯爽と部室を飛び出して行った二人を見送り、私は陽子ちゃんにメールを書いていました。

【今から生徒会室に向かいます (ニッコリ絵文字) 今度は二人をくっつけようとしないでね。もう怒るよ(プンプン絵文字)】

 するとすぐに返信が来ました。

【だって二人ともラブラブだったから(ハート絵文字) でも芦屋君って会長とも怪しくない? っていうか、会長の総受けオーラの前には二人の絆もピンチだよね (ハート絵文字)】

 さっきの生徒会室での陽子ちゃんは、いくらなんでもやりすぎです。

 二人と会長さんがお話している時も、陽子ちゃんは私の腕を取って、「キャー」とか、「ウホッ!」とか、「コレ! やばい!」とか、「最後までイク気じゃない!」とか興奮しすぎで、抑えておくのが大変でした。

 二人とも天然なので気付いていないと思うけど、うかうかとしていると恋人同士にされちゃいますよ。いや、陽子ちゃんは会長さんも犠牲にしようとしているのか。

 陽子ちゃんには妄想のネタにされるし、真咲君からは理不尽に攻められるし、会長さんも可哀そうでした。私も会長さんと真咲君をわざと引き合わせようとしたのではありません。会長さんが席を外していたので大丈夫かと思って二人を呼んだのだけど、奥の部屋に居たんですね。

 もう一度念を押したメールを出してから生徒会室に向かいました。

 生徒会室に続く廊下には、すでに真咲君の大きな声が響いていました。扉を開けると真咲君が会長さんに詰め寄っているところでした。

「だから知らないですよ」

「ならなんで生徒会の掲示板に返信があったんだ!」

「悪魔とかなんとか、ただのいたずらですって。勘弁してくださいよ。もう部活に行かないと」

 状況はお白洲に連れてこられた下手人とお奉行様というところでしょうか。問題はここでは大岡裁きは期待できそうにないところです。

 野上君は腕組みをして壁に寄りかかり、変に恰好を付けたポーズで二人を見ていました。

 陽子ちゃんはちょっと離れた場所でそんな三人をにやにやしながら見つめていましたが、私に気が付くと小走りで近寄ってきて、親指を立てて小声で、「ラブラブだね!」と言いました。本当に懲りないんだから! なーんて言いつつ、私もちょっと面白そうなので三人の事を見守ってしまいました。

 話し合いが続くうちに、事件に関する話題を完全に逸脱し、真咲君の説教が始まりました。

 真咲君曰く、生徒会の裏には悪の秘密結社がいて、世界に混沌をもたらしているそうです。その野望は真咲君が阻止すると息巻いていました。私はもっと聞いていたかったのですが、一方的に詰め寄られた会長さんが可哀想になってきたので止めに入りました。

「真咲君、会長さんが知らないって言っているのは、とぼけているのではなく、存在自体知らないって事だと思うよ。普通の高校生はフリーメイソンなんて知らないと思うよ。野上君もほら、生徒会の『目安箱』の事を聞かないと」

「ああ、そうだった。真咲君、先にこちらの用事を済まさせてくれ。安倍会長とは後で何時間でも時間を取ってもらうから」

 真咲君は不満そうな顔をしていましたが、

「分かった。先にそちらを済まそう」と言ってくれました。会長さんは心の底から疲れた様な顔をしていました。

「そう、僕達は生徒会に捜査協力を求めにきたのだ。生徒会の掲示板のアレをね、ナニして…」

 野上君が私を見つめてもじもじしているので、引き取って答えました。

「『目安箱』に投稿されたメッセージの詳しい情報が欲しいのです」

 会長さんが顔を上げました。

「詳しい情報っていっても、本来ならプライバシー保護の問題で公開できない、というのが生徒会としての回答だけど、そもそもあそこに書かれているのが全てだよね? 見澤さん」

「そうだよね。生徒会専用の管理画面はあるけど、返信コメントを書けるだけだし」

「えー。本当に?」

「嘘をつくとためにならないぞ」

 答えたのは陽子ちゃんですが、真咲君は会長さんを睨んでいました。

「僕も先代の生徒会から引き継いだだけなんで、ねえ、見澤さん」

「秘密の機能があるのかも知れないけど、私は聞いた事ないよ」

 そこで、改めてメッセージを確認する事になりました。生徒会室のパソコンの前に集まり、『目安箱』のページを開いたところ、私はあることに気がつきました。

「このページ、学校のドメインじゃないね。このドメイン隣の大学のだ」

「つまり?」

 みんなの視線が私に集まりました。

「生徒会のページからリンクされているけど、『目安箱』のシステムは隣の大学に置いてあるってこと」

「それって不自然ってこと?」

 野上君が恐る恐る聞いてきました。

「そうだね。ちょっと怪しいかな」

「会長! どういう事だ、やっぱり生徒会が黒幕か!」

「知らないよう。勘弁してくれよ。もう部活いかないといけないのに、まだ資料整理が終わってないんだよう」

 会長さんが可哀そうなくらい怯えて答えました。

「会長さん。引継資料の中になにか情報はないんですか?」

「見たこと無いよ」

「隠しているのは分かっている!」

「まあまあ、真咲君、落ち着きたまえ。そうガミガミ言っては、安倍会長も思い出せないでしょう。ねえ、安倍会長、ちょっと忘れただけですよね? まったく会長も人が悪いのだから~、このっ、この~。僕にこっそり教えてくださいよ~」

 ちょっと気持ち悪いのですが、やたら下手に出るのも探偵のテクニックなのでしょうか。

 しばらく二人がかりで追及していましたが、横から陽子ちゃんが口を挟みました。

「会長、生徒会の一員として、私たちは間違った事をしていないと断言できますが、真咲君達の気持ちもよく分かります」

 なにかを企んでいる顔をしていました。

「そ・こ・で」

 ああ、これは絶対なにか良くない事を考えています。

「後腐れないように河原に行って拳で語り合うというのはどうでしょう! 『お前やるな!』『お前もな!』的な友情が芽生えると思います。青春ですよ、青春! きっと絆が深まります!」

 強引にも程があります! 知っている、知らないの話から、いつの間にか仲直りの話になっているし。陽子ちゃん、あなたの魂胆は分かっています。河原で戦って三人に友情が芽生えたとしても、別の関係に脳内変換するつもりでしょう!

 身内にも裏切られた会長さんの顔には、今日一番の悲しみが浮かんでいました。

 さすがに暴力は賛成できません。どうやって止めようかと考えていると、あるアイディアが浮かびました。

「もう、ダメですよ。そんな事言って。高校生らしくスポーツで解決しましょう。来週球技大会もあるし。ウチのクラスと会長さんのクラスで良い成績を残した方が勝ち。ね?」

 私も『目安箱』のシステムについて気になっていたし、クラスメイトから頼まれていたことも一緒に解決してしまおうと思いついたのでした。

「分かった。仕方がない、こちらも譲歩しよう。いいな。会長」

 真咲君は私の小ずるい策略に気が付いていないようでした。

「……」

 会長さんは返事をする元気も無い様でした。

「それからもう一つ、僕達の誰か安倍会長に勝ったら、『郷土史探究偵知部』という部の名前から『郷土史』と『究』の文字と『知』の文字を取っていただきましょう」

 私の上を行く野上君の要求さすがです。

 会長さん、この部屋に居る人間を代表して謝ります。

 ごめんなさい。



□芦屋真咲の解明


 なぜ悪魔は生徒会の掲示板に自らの痕跡を残したのか。そうしなければいけない理由があったからだ。

 今回の事件に生徒会が関係している事は明白である。そして、自らの潔白を証明する義務がある生徒会は、証拠の開示を拒んでいる。この状態で生徒会を疑うなというつもりか。

 悪辣なる生徒会の陰謀が露見した今、我が校の未来は俺達の活躍にかかっている。


 悪魔がメッセージを残した日――俺達が生徒会長の悪事を指摘した日――の翌朝、俺、野上、龍胆寺の三人は授業が始まる前に教壇に立ち、クラスの皆に頭を下げた。

 校内で進行している悪事を阻止するため、来週の球技大会で生徒会長のクラスに勝ちたい。ぜひ協力して欲しいと。

 その言葉にクラスの皆は拍手喝采で応えてくれた。

「よっしゃー! 任せろ! 俺達のクラスの団結を見せてやる!」

「会長のクラスって普通科の進学クラスだろ? ウチのクラスに喧嘩を売るとどうなるか思い知らせてやろうぜ」

「そうだ! 会長に勝って当たり前だ! 目標はクラス総合優勝ダー!」

 クラスメイトは口々に協力を約束してくれた。

「昨日、生徒会室で二人が会長とやりあったんだって? 陽子ちゃんから聞いているよ! 頑張ろうね」

 一部の女子には既に見澤から説明があったらしく、その言葉に歓声が上がった。見澤も生徒会の役員なのに俺達に協力を約束してくれている。

 俺はクラスメイトから、これほどの反応があるとは予想していなかった。彼等彼女等を誤解していたのかもしれない。俺の横で龍胆寺は笑顔で何度もうなずいていた。最大限の感謝をすると共に、みんなの笑顔を守ることを心に誓った。


 我が校の球技大会は、二日間の日程で学年に関係なくクラス対抗形式で行われるそうだ。

 種目は、男子がバスケットボール、バレーボール、テニス、サッカーで、女子はサッカーの代わりにソフトボールとなる。テニスはダブルスが三チーム編成なので、一クラス六人が選手登録できる。その他の競技は、競技人数プラス数人の交代要員が登録できる。また、複数の競技に参加するのは可能だが、不参加は許されず必ずどこかの競技に参加しなければならない。ただし、クラスで競技種目自体を棄権する事は許されている。所属している部活と同じ競技には参加できないというルールもあるようだ。

 毎年、参加人数が集まらないのと競技時間が長いことで、サッカーに参加するクラスが少な目だということを聞いた。総合優勝を狙うために俺達のクラスは、男女とも全ての競技にエントリーした。

 試合は、トーナメント形式で行われ、組み合わせはくじ引きで決められる。試合に勝つたびにポイントが与えられ、各競技のポイントを総計して一番多いクラスが総合優勝だ。

 野上はああ見えて動ける奴だ。学期の初めにあった体力測定でもクラス上位の成績を出している。小学生の頃は地元のサッカーチームに所属していたらしい。中学でもサッカー部だったが、中学二年の夏に膝を壊してしまいリハビリのため休部、完治した後も部に復帰することなく退部してしまい、それ以来サッカーはやめてしまったと聞いた。

 つまり、あいつのウザさは体育会系に由来するものなのだ。いざという時に根性があるから手におえない。

 話が逸れたが、怪我をして以来、体育の授業でもサッカーはなかったようで、久しぶりのサッカーに張り切っている。後はバスケとバレーにも参加するそうだ。テニスは、相手コートにボールを落とす技術が著しく欠落しているらしい。簡単に言えばへたくそという事だ。

 一方、龍胆寺はあまり運動が得意ではないようだ。本当は一種目だけしか参加したくなかったようだが、クラスの皆にお願いした手前、ソフトとテニスの二種目にエントリーしていた。

 そして俺はエントリーする種目について悩んでいた。龍胆寺の様に運動が不得意という理由ではない。道義的な理由にあった。俺の『力』を使っていいのかという事だ。


 俺の力を覚醒させてくれたのは教授だ。去年の七月、ロンドンの高校に通っていた時の事だった。

 教授はその年の初めに、俺が通学で使っていた鉄道の乗換駅の近くに引っ越していたので、前にも増してよく会うようになっており、その日も借りていた本を返すため、学校帰りに遊びに行っていた。

「最近君は、オカルトや超常現象と呼ばれる分野についての本をよく読んでいますよね。小説も学園日常系より、ファンタジーや異能バトルものの方が好きのようだ」

 確かに俺は今年に入ってその手の本をよく読んでいた。借りていた本も、神に匹敵する力を手に入れた主人公の少年が世界を救う話で、俺も教授も大好きなシリーズだった。その本の感想を話している時に、俺がこんな力を手に入れたいと呟くと、教授が超自然の力を手に入れたらどうすると聞いてきた。

「もちろん、正義のためにつかいますよ」

 俺は冗談でそう答えた。だが、教授はそうは受け取らなかった。

「君ならそうするだろうね。ところで世界には、解明されていない謎はいくつあると思う?」

「さあ。無限にあると思うけど」

「死海文書、キリストの聖杯の行方、アトランティス大陸など昔から謎とされてきたものはたくさんありました。その多くはただの伝説、悪い言い方をすると作り話だったわけです」

 俺は黙って聞いていた。

「二十一世紀に入って、これだけ科学技術が発達しても世界から謎は無くならない。むしろ科学が発展した事により新しい謎も生まれました。UFOなんかその典型ですね。つまり、」

 教授が俺の顔を覗き込んだ。

「世界に溢れる謎を解くには、科学の力だけでは駄目なのです。だが、科学が駄目なら別の方法を使えばいい。そう、実は遙か昔から『別の方法』を使って世界の謎を解く事に挑んでいる人々がいたのです。君は、自分で世界の謎を解いてみたいと思わないかな?」

「なんだか面接みたいですね」

「そうだね。これは最終面接なんだ。私はある組織に属しています。その組織の歴史はとても古く、歴史から慎重に隠されてきました。秘密結社と言っていいかもしれない。元々学問を研究する団体が元になっていると言われています。謎を解き明かすという事は知識を得ること、未知の物事を解明するということですから。しかし、いつの時代も支配者は、被支配者が知識を得ることを良く思っていませんでした。地動説を唱えた男がどうなったか知っているでしょう?」

「まさかガリレオもその組織の一員なんですか!?」

「Yesとも、Noともいう事を禁じられています。組織に属している人物の名前は最高の秘密です。正確に言うと、私が所属している組織もその組織の支部の一つにすぎません。支部同士の繋がりもありませんが、目的は一つです。世界の謎を全て解き明かすこと」

 正直、俺は戸惑った。今の話の半分も理解できていない。

「マルコも入っているんですか?」

「彼はメンバーではないし、この話題は一切禁止だ。完全に二人きりの場合を除いて組織について話すのはNGです。実は君と初めて会った時から君の力には気付いていました。それ以来、失礼だが君の事は陰からテストさせてもらいました。テストの結果は合格です。君には私達の組織に加わる力をもっています」

 俺に『力』があるだって?

「組織の一員になるということは、危険な探究の道を歩み続ける事になる。後戻りはできません。命を落とす危険もあります。事実、結成以来、命を落とした人の数は計り知れない。ただし、君の持って生まれた力を使えば、その困難に打ち勝つことができると信じています」

「力ですか?」

「そうです、正確に言うと眠っている力を呼び覚ますのです。人間に隠された能力を見出す方法と、その能力を覚醒させる方法の発見こそ、組織の歴史の中で最大の成果といって良いでしょう」

「俺に力なんてないですよ」

「今はその自覚がないはずです。その力は、残念ながら闇の力です。君自身、心の奥底では、その力に気が付いていますが、その能力が他人に影響を及ぼすのをひどく恐れている。その力を使いこなす事ができれば、君にとっても組織にとっても大きな助けとなるでしょう」

 俺が学校で人との接触を避けて過ごしていたのは、その力が他のクラスメイトに影響するのを無意識に避けていたためだったのか。

「その力の源泉は、君の先祖の陰陽師、蘆屋道満だ」

 蘆屋道満は平安時代の陰陽師だ。安倍清明との呪術対決に敗れ、一旦は清明に弟子入りした道満だったが、清明が唐から持ち帰った秘術を手に入れると、それを使って清明を亡き者にしてしまう。だが、清明が師事した唐の伯道上人はこの事を知ると日本に渡り、清明の骨を掘り起し秘術を使い清明を甦らせた。そして道満は、甦った清明に敗れてしまうのだ。

「それは、つまり闇の力を解放するって事ですよね? 俺、悪の人間になってしまいませんか?」

「確かに闇の力は君自身に悪しき影響を与えてしまいますが、安心して欲しい。まず、君の闇の力を解放した後に、その力を押さえる聖霊の加護を君に宿し、闇の力を封印します。解放された闇の力を君自身が制御するのは難しいですが、その力と同等の聖霊の加護により、君のその強大な力には常に安全装置が掛かった状態となります」

 聖霊の力で闇の力を封印するだって!?

「今まで通り日常生活を送ることができますし、むしろ無意識のうちに漏れ出た闇の力に煩わされる事もなくなります。そこから先は君の努力次第です。君は聖霊の力を制御する方法を学ばなければならない。聖霊の力を弱めた分だけの強大な闇の力を手にすることができるのです」

「でも結局使うのは闇の力なんでしょう?」

「もちろん闇の力そのものを使う事もできます。闇の力は君の体に大きな力を与えてくれるでしょう。でも、君に期待しているのは、そんな使い方ではありません」

 教授は身を乗り出し、まっすぐ俺の顔を見て言った。

「陰陽師の修行をしてどう思いましたか? いろいろな術を学んでも、得られた結果が物足りなかったのではありませんか?」

 俺は頷いた。正直そう思っていた。

「それは、術の元となる君の力が足りなかったからです。陰陽道の術式というのは、回路にしかすぎません。その回路に流す燃料が弱いものであれば、得られる術力もわずかなものです。君に眠っている闇の力を燃料としてその回路に注ぎ込めば、強大な術力が得られるはずです。しかも、回路を通って出力される術力には、正義も悪もありません。闇の力が陰陽道の回路によって変換され、純粋なエネルギーとなるのです」

 俺は自分に異能の力が宿るのを想像した事もあった。しかし、その運命を受け入れる覚悟があったかというと、答えは否だ。俺には荷が重すぎる。断わろうと口を開きかけたその時、『逃げるのか?』俺の中の何かが問いかけた。

『お前の持っているこの力から逃げるのか? 一生この力が目覚める事を恐れて暮らすのか?』

 逃げたくない。それが俺の出した答えだ。俺は覚悟を決めるために一つ質問をした。

「その組織の最終目的は、なんなのですか?」

「世界の謎を全て解き明かした時、人類は次元を超えて進化する事ができると信じている。私達は、これが行き詰った人類を救うただ一つの方法だと確認している」

 俺はその言葉に背中を押され、人生最大の決断を行った。

「やります! その組織に入りたいです!」

 教授は微笑みながら右手を差し出した。俺も黙って手を差し出し、握手を交わした。

 次の日曜日、邪悪な力の解放と聖霊の加護を体に宿す儀式を行うため、俺は再び教授の家を訪れた。

 いつもの書斎には、ろうそくの火が灯されており、お香の匂いが立ち込めていた。教授に椅子に座って目を瞑る様に言われ、教授の唱える呪文の様なものを聞いているうちに意識を失ってしまった。何時間経ったのだろうか。目を覚ました時には、体の中に異質な力が存在している事に気が付いた。

「『白銀の黄昏団』にようこそ」

 俺の意識が戻った事に気付いた教授は、そう言って手を広げた。

「君の体に眠っていた邪悪な陰陽師に由来する闇の力を解放しました。その力は君の右手から放出されます。そして左手には、その力を押さえる聖霊の加護の力を宿しました」

 左右の手のひらを見つめてみるが、実感はなかった。

「今の君の能力では、数%しか聖霊の力を弱める事はできません。つまり、使える闇の力も数%という事です。聖霊の加護を弱める事に反比例して、闇の力の威力が増すことになるのです。この先修練を積めば、聖霊の力を完全に制御することができるようになります。重ねて忠告しますが、聖霊の力を抑える時と場所は十分に気にしなければいけない。長時間、暗黒に身をさらすと君の体と精神に重大な影響を及ぼしてしまいます」

 こうして俺は、『白銀の黄昏団』に入団し、組織のために働く義務、そしてそのための力を手に入れた。

 組織は完全な秘密主義のため、教授以外の組織のメンバーを知らない。力を得てすぐに組織の仕事を与えられると思っていたが、教授からは、力を体に馴染ませるために今は学業に専念しろと言われた。そうしている内に親父の仕事の都合でその年の三月に帰国する事となってしまい、本格的な修行はさらに延期されてしまった。だが、自主的に訓練を重ねてきたお蔭で力のコントロールは上手くなってきたと思っている。

 俺の左手に宿る聖霊の力と右手に宿る闇の力。闇の力を解放すれば、俺の身体能力は大きく向上する。特に力の源である右手は、力、素早さ、正確さ、全てが大きく底上げされる。手を使う球技などその辺の高校生では太刀打ちできないだろう。

 だがしかし、この能力を学校の行事で使ってもいいのだろうか。

 大会を勝ち抜き、生徒会が隠匿している秘密を明らかにすることが、復活した悪魔の手がかりになる。それはこの学園を救うことにつながるし、その謎の解明が、『白銀の黄昏団』の目的だ。それは十分に理解しているつもりであるが、自分の身体のみを使いフェアに試合をしている生徒に対し申し訳が立たない。

 さらに、右手の闇の力を解放することは、例え僅かでも周りに負の影響を与えてしまう。

 そんなことをするつもりもないが、体育館など閉鎖された空間で闇の力を全て解放してしまえば、中にいる生徒全員が恐慌に陥ってしまうだろう。

 能力を使って、周りに悪い影響を与えてでも勝ちに行くべきか。

 参加しても能力を使わなければいいのか。

 それなら競技参加を辞退するべきなのか。

 結論は未だでない。

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