9.呑兵衛と一緒に考えてみよう

 鶴岡八幡宮に残された俺とユエは、生ぬるい夜風を受けながら、ゆっくりと散歩でもするように中央広場を歩いていた。


「さて、考えをまとめないとな」

「なんの?」

「色々、だ。先日のお前との出会いからの続く、色々なモヤモヤをスパッと解決するんだよ」

「推理パート?」

「何をもってして区分とするかは知らんが、概ねそうだ」

「そう、それじゃあ付き合う」


 僅かに俺の後方をひょこひょこと歩いていたユエが、隣へ並び協力の意思を見せる。

 戦力になるかどうかは別として、ありがたい限りである。


「さて、まずはここだな」


 そうこうしている内に、最初の目的地へと到着する。

 柳原神池周辺。最初に九音と出会った辺りである。

 

「ふむ…最初は石を調べるか」

「石? 投げるの? ストーンをすっとーん?」

「馬鹿をいうな、そして黙れ。清美が言っていただろう、空から降ってきたと。奇妙な事に、俺も同じような体験をしていてな」

「ここは、石降りの名所?」

「だったら話は早いが、恐らくそうじゃない。というより、そんな場所あってたまるか。…ああ、やはりな」


 池へと近づき、携帯の明かりを頼りに両膝を突いて地面を調べる。そこには先日俺が階段下で見た、二つの平べったい石とほぼ同じものがいくつも転がっていた。


「ここまで多いって事は八幡宮の人が撒いたのだろうな。となると、ここの物である事はほぼ確定か」


 後は確証がほしい所だ。願わくは、この石が柳原神池周辺にのみあるという事が分かれば万々歳なのだが。

 そう言えば、ユエの奴結界を張っていると言う事は俺よりも八幡宮に詳しいのではなかろうか。


「おいユエ、お前八幡宮にしばらくいたんだろ? これに似た石を他で見なかったか――――」

「…染み渡る美味さ」

「おいこら! 何飲んでんだお前!!」


 背後へ振り返ると、そこには酒瓶片手にお猪口を口に運ぶご機嫌な様子のカモノハシがいた。ビジュアル的に最悪である。


「水」

「嘘こいてんじゃねえ! 水でそんな風になるか! 臭いで分かるんだよ! ほのかなアルコール臭が、風に乗ってたおやかに鼻をくすぐんだよ!」

「知らなかった? これ、アルコール臭のする水のようなもの」

「よし分かった。酔っ払いに話は通じないな。もういい、それよこせ」

「やー」

「やーじゃねえ! 子供のような拒否を大人の特権を片手に繰り出すな!」

「いえーい」

「はっはっは、おいおい酔っているのか? それともおちょっくっているのか? 没収だ! 断固として没収だ!!」

「お断り」


 そして拒絶からのお猪口一気飲みである。

 だが、普段からこのような映像規制されんばかりの行為を行っていたというならば、先ほど抱きつかれた際に、日曜の酔いどれ親父のような臭いがしていたのも合点がいくというものだ。

 それはさておき、


「くそっ! ちょこまかと! 酒が入っているというのに、なんて軽快なステップを繰り出してきやがるんだ!」

「千鳥足改め千鳥ダンシングトゥナイト」

「そこまで別名なら千鳥を開放してやれ!」


 駄目だ捕まらん! 何とかして動きを止めんと、どうにもならんぞこれ。

 あのカモノハシ改めハイスペック千鳥の足を止める方法はないだろうか…。


「あっ」


 そこで、自分の手に握られているランチボックスの存在を思い出す。

 これなら恐らく、


「そこな千鳥。ここにある小さな葛篭が目に入らぬか」

「千鳥はスズメにあらず」

「細かいなお前。まあいい、これを受け取れ」


 俺は九音から受け取ったランチボックスをユエに差し出す。

 すると思ったとおり、ユエは足を止め俺のほうへと寄ってくる。


「妖怪ガバー?」

「罠ではない。それに小さい葛篭だ。宝が入っているってもんだろうよ」


 俺の言葉を信じたのか、ユエは俺からゆっくりとランチボックスを受け取ると、おずおずと中身を確かめる。


「おおー」


 中に入っているのがサンドイッチと分かったのか、小さな歓声が上がる。お気に召してくれたようで何よりである。


「お気に召したようだな」

「お兄ちゃんの手作り? 愛情ギチギチ?」

「んな訳あるか。九音のだよ。愛情は知らん。入っていたとしても、ごま塩パッパぐらいだろうな」

「…そう。しょんぼり」

「露骨にがっかりするな。対応に困るだろうが。味は保障するから、食べてみろ。今の態度が180度変わるはずだ。それと、せっかく作ってもらったんだ。酒は置いて味わってくれ」

「…うん、ありがとう。お酒、巣に置いて来る」

「巣があるのか」


 そう言うと、ユエはちょこちょこと池の奥へと歩き出す。

 押してだめなら引いてみろ作戦は見事に成功であった。強引に奪うのではなく、自ら手放すよう促すほうが楽なこともあるものだ。


「さて、酒はこれでいいとして、だ。あのカモノハシの寝ぐるみは、なんとかならんものだろうか」


 ほのかに感じる嫌悪感は、主に小町通で酷い目にあった私怨が原因である気がするが、暑苦しい、気が散る、妙にしっくりきているのが納得いかないと、ほかの面でも俺的にマイナスが多すぎる。


(…いやまて、巣といっていたな)


大方荷物置場のことだろう。荷物が近くにあるなら、俺が買った服もそこにあるはず。


「おーい! ついでだ、お前その服着替えてこい!」

「らじゃ」


 こちらにへ振り向こうともせず、俺の声にこたえるように片手をピッと上げると、ユエは闇の中へと消えていった。素直にカモノハシを脱皮してきてくれればいいのだが。

 

「いや、今はそんな事よりもだ」


 俺と清美に降ってきた石がここのものだとすると、この場から故意に投げられたか、あるいはアクシデントやら拍子で空を舞った事になるだろう。


「そうなってくると、次は理由だが…」


 あの場で石が降ってくる理由。何があるかと思案するが、不思議と一つの目的のみが頭の中でチラついて消えてくれようとはしなかった。


「やはり、そういう事なのか? 早計な気がするが、俺と清美二人が見た以上そう考えるのが妥当か」

「妥当なの?」

「ああ…いつの間に戻ってきたんだユエ」

「今さっき」

「そうか、しっかり着替えて―――――」


 言葉半ばに振り返りユエを見た俺は、そのまま言葉を失い溜息を吐く事となった。

 何故ならば、カモノハシから脱皮したユエの格好は、以前萩と戦っていたあの一部にフリフリの付いた黒いレオタード姿だったのだから。


「…どういう事だ?」

「着替えた」

「そうじゃなくてだな。俺はお前に服を買ってやった覚えがあるのだが」

「うん、頂いた」

「なぜ着てこない。少なくとも今お前が着ている痴女スーツよりは、いくらもましだと自負している訳だが」

「? あれは、お兄ちゃんと出かける用。特別はとっておくもの」

「…ふん。妙な事を言う奴だ。まあ、好きにすればいいさ」


 などと顔を逸らしたが、自分の贈り物が大事にされていると分かると気恥ずかしい反面、嬉しくもあるものだ。ほんのり顔が赤くなっているのは、ここだけの話である。


「それで、だ。先ほども聞いたが、この辺りの平たい石を他で見た覚えはないか?」


―――――ごそごそ


「ここ以外ない。結界張るのに地面は友達。でも他では見なかった」


―――――ぷしゅっ


「確定だな。そうとなれば次は階段前か」

「階段前? 何かあるの?」

「お前が張った結界があったろうが――――おい、何飲もうとしているんだ」

「え?」


 キョトンとした顔をしてユエがどこから出したのか、その手に持つのは銀色の缶であった。詳しく言えば、ラベルにはなにか黄色い馬のような動物が書かれた銀色の缶である。


「おい、お前…それ」


 ユエは俺と手の持った缶を何度か交互に見比べると、


「麦じゅーす」


 ケロッと俺に嘘を吐いた。

 酒は置いて来るといったはずだというのにこの仕打ち。やはり酔っ払いを信じるなぞ、素面ですべきではないのである。


「ふざけるな! どう考えてもビールだろうが!!」

「知らない言葉。異国の健康器具の名前?」

「どんなとぼけ方だ! 没収だ没収!! そのタッパで、酒なんて飲むんじゃない!!」

「やーーっ! 麦を発酵させた後さらに何かの酵母で発酵させホップやエールと合わせた黄金水返してー!!」

「なんだその回りくどい説明調な名称は! 意地でもビールという単語を口にしない気だなお前!! その心意気や良し! だが渡さん!!」


 そんな攻防を不毛な事に数分間続ける事となったのち、ようやく諦めたのかユエはもそもそと九音お手製のサンドイッチを食べ始める。


「デリシャス」

「そいつはよかったな。おいまて、何を出そうとしている?」

「パックじゅーす」

「そうか…いやまて、言い方が妙に引っかかるな。念のため見せてみろ…おい! パック焼酎だなそれ!? 没収だ!」

「最後の砦が」

「女が飲むものではないだろうに。何なんだお前のその執念は」

「必要経費」

「何を言い出すかと思えば…」

「これ、使うのに必要」

「あん?」


 食べかけのサンドイッチを口にくわえると、自分の腕についていた黒色のブレスレットを俺によこしてみせる。


「なんだこれ?」

「地獄蝶弔(仮)」

「ふむ、胡散臭い事だけは分かるな」

「それを使って、蝶を出す」


 そう言うとユエは、両手の親指をクロスさせ、蝶々の形を取りパタパタと動かして見せる。

 蝶というと、萩との戦闘のときのか。随分と派手な技であったが、こんなに小さく地味なものが大元とはな。


「なるほど、使用条件があるわけか」

「うん。月の出ている日に、お酒飲む」

「大量にか?」

「ちょっとでいい。…あっ」

「よし、結局お前が呑兵衛なだけって話だな。今後俺の前で飲んでいたら没収だ」

「しょんぼり」


 などと、どうでもいいやり取りをしながら、サンドイッチをもそもそと食べているユエとのんびりと過ごす。

 それはそうといい機会だ、今のうちに聞きたい事を聞いてしまうことにしよう。


「食事中に悪いが、ちょっといいか?」

「好きなのは日本酒」

「誰がお前の酒の好みを聞いた。この間の結界についてだ阿呆め」

「好きな結界は五行式五芒星結界」

「誰が結界の好みを聞いた。酔っているのか? さっさと千鳥は卒業し、少しは話を――――」


 待てよ、何か引っかかるぞ。

 そうだ結界の種類だ。あの時俺が階段の下で目にしたのは陰陽マークの結界だったはず。

 まさかとは思うが、


「って事は八幡宮に張ってあった結界は、五芒星なのか?」

「いえす。私は風水に強いから地脈系のがベスト。先週からずっとそれ。前は階段の上に作っておいた」

「…階段の上? …そうか、なるほどな。実に興味深い」


 どうやら思わぬところから事実を求める鍵が見つかったようだ。

 このままこちらが掴んでいる情報を漏らさずに、さり気なく情報をいただくとしよう。


「となると、どうして舞殿を消す必要があったんだ?」

「舞殿?」

「ほら、あそこにある舞台の事だ」


 そう言って広場中央にある舞殿を指差すと、ユエも俺の指を追うようにして舞殿に目を向け、首をかしげた。


「消してない…あっ」

「なんだ、何か気にかかることがあったか?」

「けっして消してない、なーんちゃって」

「よし次の質問だが」

「無視? 酷い虐めにあった」


 いちいち付き合ってられんので話を先に進める。酒といい親父趣味を何とかしてほしいものである。


「質問の前に…場所を移動するか。ちょっと着いてきてくれ」

「ふぁい」

「分かった、食べ終わるまで待つから、口に物を入れたまま喋るな」


 ユエの食事が終わるのを待ち広場から中央階段を上り、鶴岡八幡宮の本体である本宮を見上げる。


「でかいな」

「でかい」


 本宮の上には例の大男が相も変わらず鎮座しており、微動だにしないが重圧で押しつぶされそうになるほどの存在感を放っていた。


「ユエ、この大男が八幡宮の外から見えないのを知っているか?」

「うん、隠してる」

「隠してるって…お前がか?」

「これ以上、人を巻き込むのはご法度。普通は見えないけど、関係者は見えてしまうから」


 そうか、あの大男に関係している人間は、視認することが出来るんだったな。

 という事はだ、


「つかぬ事を聞くが、いつから隠せている?」

「今朝」

「今朝までは」

「おっぴろげ見放題」


 という事になる。

 まずいんじゃないか? いや、大丈夫だと思おう。これ以上不安の種があってたまるか。見ない振りをさせていただこう。逃げたのではない、いわゆる超法規的処置である。


「…あー。なんだ、その辺りは置いておくとしてだな」

「現実逃避?」

「黙れ。さて本題だ。あの大男、なんとかならんのか?」

「ならぬ」

「さようか」

「さよう」


 一応聞いてみたがやはり駄目であった。そりゃそうだ、何とかする方法が分かっていれば、とっくにユエが解決しているに違いない。

 となると、傍観か…。流石にまずいのではなかろうか?

 放っておけば…放っておけば?


「あの大男、放っておいて何か害があるのか?」


 いまさらな疑問であった。

 見た目のでかさに驚いて、どんな問題があるかまったく理解していなかったのだ。


「地脈が乱れてる」

「地脈?」


 俺の疑問に答えるように、ユエがぼそりと言葉を漏らした。

 地脈というとあれか、陰陽やら風水やらで大地の力をもらうだの何だのってやつか。


「…まて、お前大男が与える影響は分からないって言ってなかったか」

「嘘吐いた」

「あっさりと言いやがるな。俺は誤魔化さなくていいのか?」

「なんとなく嘘を吐くだけ無駄な気がして」

「はん、なんだそれ」

「ねっちっこく、しつこそう。結果、ばれる」

「はっはっは、言葉を慎め。直球は俺もさすがに傷つくってもんだ」


 歯に衣着せぬとはまさにこの事である。ざっくりと心を抉られたが、気を取り直そう。


「あの大男と地脈。関係があるのか?」

「ある。あれのせいで地脈が乱れてる。土地に釘を打ち込み引っ掻き回された状態」

「ぐちゃぐちゃか」

「うん。しかも、根付いてる。引き離せない」

「まずいんじゃないのか」

「よくない事しか起こらない」

「まずいな、それ」

「うん。やばい」


 軽い会話に聞こえるが、おそらく事態は深刻なのだろう。

 早急に対策を練る必要がある。今すぐにでもだ。


「ユエ、どうすればいい?」

「まずあの大男の正体を探る」

「正体を?」

「あれが魂を取り込むなら、弱点はそこ。何を取り込んだかが分かれば、対策が立てられる」

「なるほど」


 富士坊主である大男を消すには、取り込んだ魂を何とかするべきという事か。

 正直な話、あの巨体を相手にするよりも遥かに現実的な話だろう。


「しかし、取っ掛かりがない事にはな」

「取り込まれたのは人間の男」

「何? 何故分かる?」

「大男」


 大男? 富士坊主の見た目が男だからか?


「そうとはかぎらんだろう。外見の変化が取り込んだ魂に順ずるか分からん以上、結論は下せないはずだ」

「違う。私たちは呼んでる、大男と。巨人でもなく化け物でもなく、富士坊主人外の事を人間と扱って」


 頭をガツンと殴られたような衝撃を受ける。

 そうだ、俺達は目の前の巨大な化け物を大男呼んでいた。


「概念が訴えかけてる。あれの正体は人間の男。理解よりも先。それは真理、あるいは定理」

「また小難しい言い回しをしおってからに…挙句、眉唾物か」


 不確定すぎる冗談のような話だと思った。しかしながら、ユエの言葉を思考を介さずに捨てるなぞ馬鹿な話である。


「まあいい、打つ手がない以上、その仮定にすがるとしよう」


 さて、男であると仮定するとどうなる?

 男、鎌倉、八幡宮、連想できるものは幾らかあるが、


「やはり、源か」

「おにいちゃん?」

「俺じゃない、源氏だ」

「やっぱりお兄ちゃん?」

「黙れ小童。俺は関係ない。たまたま苗字が源だっただけだ」

「じーっ」

「何だその目は。俺を疑っているのか? 馬鹿が、本当に俺じゃないんだよ」

「何か掴んでる?」

「さあな」


 事実掴んでいるとは言いがたかった。

 しかしながら、予測と仮定が言い訳じみた物証を元に重なってしまった以上、それが答えである可能性が高いのだ。

 犯人探しの真似事なんざ正直ごめんだが、今回ばかりは仕方ないということにしよう。


「仕方ない…仕方ない、か。どこまで本心だかな」

「?」

「いや、なんでもない。面倒な事だ。まったくな」


 自分への言い訳を口にしながらも、喜んでいる部分がある事に嫌気が差す。

 人間もって生まれた業には勝てないなんて事をよく聞くが、それが事実であるか心から知りたいと思う。


「それじゃあ、後はお願い」

「ん…? ああ、何をだ?」

 

 考え事をしていたからか、間の抜けた返しをしてしまう。普通に考えれば、俺が掴んでいる事についてだろうに。


「すまん、呆けていた。こちらは適度にやっておく。お前はどうする?」

「ここに残る。やる事があるから」

「そうか…っと」


 そこで自分が黒い腕輪をまだ持っている事に気がつく。

 大事な物のようだ、さっさと返してしまおう。


「すまん、渡されたままだったようだ。ほれ、受け取れ」

「お兄ちゃんが持ってて」

「なに?」


 まさかの受け取り拒否か。と、冗談めかしている場合ではないな。


「どういうつもりだ?」

「それは萩のためにあるもの。今の私よりもお兄ちゃんの方が相応しい」

「萩の? だとしても、だ。俺に渡された所で活用することなんざ出来んだろうに」

「大丈夫。それは『おさメもの』だから」

「オサメモノ?」


 神社などに奉納する物の事か? あるいは生贄の事だろうか。


「編み、正しく整え、装飾し、備える、すなわち『修』。そして物体たる所以に通ずるに『物』。『修物おさメもの』」

「聞いた事がないぞ。造語か?」

「多分。修物は記憶と記録を編みこんだもの。前世であり、創造であるものを基盤とした代用品。あるいは器が耐え切れぬ際の依代」

「分かりやすく頼む」

「昔の人や物語の力の入ったすごいもの。もしくは力を扱いきれない人用の補助装置」

「分かりやすい、実に分かりやすいぞ。という事はだ、昨日の蝶は」

「この腕輪の力」

「ふむ、ならばそれがないとお前がまずいんじゃないのか?」

「平気。私は自分の力があるから。これは萩のために渡された修物。なくても戦える」


 ユエは、そう言うと無表情のまま拳をぐっと握り締めた。

 どうやら嘘という訳ではないらしい。

 ならば受け取ってしまっても構わないだろう。


「そうか、そいつは結構。それでこいつはどう使うんだ?」

「分からない」

「ああん? 嘘を吐くな、お前使ってたろうが」

「それは複合物だから。色んな物が混ざり混ざってる。基点も原典も分からない。だから、使い方も人それぞれ。私の場合はお酒を飲めば使えた。お兄ちゃんは分からない」

「なんだそれは。どうしろというんだか…だがいい、実に奇妙で好奇だ」


 言葉の途中で、俺はすでに黒い腕輪をいじり始めていた。

 ふむ、なるほどシンプルなデザインではあるが、どうやらいくつもの四角い模様が刻み込まれているらしい。


(…いや、違うな。重なり合っているのか? 四角と四角が合わさって腕輪になっている? だとすればこの原典は四角に起因するものだろうか? 駄目だ、四角などと言った所で答えにはたどり着けそうもない。情報だ、情報と理解が足りない)

「お兄ちゃん?」

「ん? ああ、すまんな。夢中になってしまった」


 悪い癖が出たと素直に謝る。ユエの奴は別に気にしていないようであったが、ここで思考に没頭するのはやめておこう。


「別にいい。持って帰ってじっくり調べて」

「それもそうだな。それじゃあ」

「うん。バイバイ」

「何を言っているんだ?」

「え?」


 パタパタと振っていたユエの手が止まる。

 あまり差異は見られないが、顔には困惑の色が見て取れた。


「私はここ、お兄ちゃんは家。二手に分かれる」

「それに関しては同意だ。だが、それはまだ後での話しだ。役に立つか分からんが、俺も手を貸そう」


 困惑が驚愕に変わり、ユエの表情が今まで見ない怒りにも似たものへと変わっていく。

 それを見て俺はやはりかと得心した。


「……ふざけないで」

「ふざけちゃいないさ。この腕輪も実戦の中で試すというのもありだろうさ」

「帰って」

「断る」

「帰って!」

「絶対にごめんだ」

「…どうして」

「理由か? お前がその戦闘用の服で出てきた事、この腕輪を渡した事、以前にここで兎が踊っている姿が見られていた事。他にもあるが…まあ、そんな所だ」


 俺がここに残ると決めた要因を話すと、ユエは目を見開き表情をわずかに変え、しまったという顔をする。


「夜に見られた兎とやらは、お前と萩との諍い以前に、ここで超常的な何かがあった可能性を示唆している。そして、それにはお前が関与しているはずだ。それの考えに至る要因は二つある。まず、お前が先週からと口にした事。ここに先週からいると言うならば、お前がそれを見逃すわけがない。情報を与えないあたり、関係している上に知られたくない事であるのは明白だ」


 ユエの変化を見てこいつはしてやったりと、俺は気を良くし饒舌になる。

 分かっていても止められないあたり、業というのは実に深く自身に寛容なものだと思う。


「二つ目はその前提があっての話になるが、お前が関わっていたならば、まずその兎やら何やらを一般人に見られるというのがおかしい。事実俺達も九音が結界を弄らなければ、お前を視認する事すらできなかったはずだ。となると、結界は破られ、さらにはお前がそれを直しにいけない状態であったと考えられる。詰まるところ、お前が厄介事に巻き込まれていたと考えるのが妥当だろう。それもとびっきりのだ」

「…お兄ちゃんは頭と舌が良く回る」

「少し考えれば誰でもわかるだろうが。お前らが迂闊過ぎるんだ。今だってそうだろうに」

「…ん」


 ユエはもう諦めたように俺の言葉を待つことにしたようだ。


「兎というのは、お前と同じような能力である可能性が高い。ならば、能力を使うと仮定した場合、厄介事の内容は、自然と分かるってもんだ。結論、お前あの大男以前から、何かと争っていた。だとすれば、服装は見逃せるが腕輪を俺に託すという行為が絡めば、予想はつくだろうよ」


 俺は空を見上げると息を大きく吸い、


「どこのどいつか知らんが出てこい! いるんだろう!?」


 名も知らぬ、まだ見ぬ敵へ呼びかけた。

 俺の声は夏の星が瞬く空へと吸い込まれていく。

 声はあまり響かなかった。かわりに、


「おーおー、威勢のいい事で」


 声が空から聞こえる。

 否、違った。それは本宮の上から俺達にかけられていた。

 いつの間にか大男を避け、人影が月夜を断つようにしてピンと本宮の屋根に立っていた。


「なんや、バレとったちゅーこっちゃな。いやー、お兄さん探偵かなんかなん?」


 その声は、からからと明快な美しいものであった。

 女性だと理解した瞬間、


「ほんなら、しゃーない。出てったるわ」


 それは、本宮から飛び立ったかと思うと、甲冑と着物を合わせたような服装を揺らしながら、俺たちの前へ羽のようにふわりと降り立ち、


「いやいや、どーも。新免柳にいみ やなぎと申します。以後よろしゅう。ま、以後があったらの話しやけどな」


 短髪の色の抜けかけた茶色い髪を揺らしながら、にっこりとおよそ戦いの似合わぬほど朗らかな顔で微笑んだ。

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