8.りべんじまっち おぶ かものはし

 時刻は夜の十一時をまわった頃。

 俺たち一行は鶴岡八幡宮の近くまできていた。

 先頭では清美と萩が、なにやら楽しそうに対ユエ用の戦法などを考えているようだ。

 二人から数歩下がった辺りで、俺と九音は八幡宮に居る大男について意見を交わしながら、ゆっくりとその後ろをついていく。

 現在の話題は、数メートル先にある八幡宮に入るまで、大男が見えないと言う異常事態についてである。


「ここからは見えない事と、お互いしっかりと意識するまでその事に気がつけなかったという事実を鑑みるに、やはり認識除けの結界ではないかと考えられますね」

「やはりそうか。おそらくユエの奴が何かしら仕組んでいるんだろうな」

「それと、あの本に書いてあった富士坊主があの大男の正体だとすれば、それに宿っている者の正体、同時に目的が気になります。どちらにせよ厄介事だとは思いますけど。めっさ面倒です」

「同意見だ。あれが俺らにどうこう出来るかどうかはさておき、概要を知らなければ面倒が起こっている事すら窺えないからな。にしても」

「はい? どうかしましたか?」


 あっけらかんとしているが、以前より毒づいているのに九音本人は気がついているのだろうか?


「いや、化けの皮がはがれっぱなしだが、いいのかと思ってな」

「あら? はがした張本人が言うことでしょうか? めっさびっくりです」


 そう言って、物腰柔らかく微笑む九音。腹を割って話した結果、打ち解けることが出来たと考えるべきか。正直今の方が俺としては好ましいので、話した甲斐があったというものである。

 

「本当はですね、あまりよくない事なのかもしれません」


 突然九音の顔から微笑が消えたかと思うと、呟くように言葉が九音の口から漏れた。


「早計であったと言うべきでしょうか。私にも事情がありまして…。ですが、あまり私には隠し事などは向いていないのでしょうね。若…ちゃんにも、そう言われていましたし」

「誰だ若ちゃんって」

「知りませんか? 私の旧友です」

「知るかっ!!」


 そんなやり取りをしている内に、俺たち一行は八幡宮へと到着し、舞殿のある中央広場へと足を運んだ。脚を踏み入れた瞬間、妙な違和感を覚えたあたり、どうやらまた結界が張ってあるようだ。


「いないわね」

「しゅっ、しゅっ! いないっすね」

「呼べば出てくるだろ。萩、取り合えず、その無駄に鋭いシャドーボクシングをやめろ。やる気は買うが、うっとしい」

「しょんぼりっす」


 目に見えてしょぼくれてしまった萩を九音に任せ、俺は数歩前に出ると、


「おーいユエ! いないのか!?」


 大声でユエを呼びつけた。

 辺りは相変わらず虫の声もなく、俺の呼び掛けは境内に大きく響き渡る。これだけ響けば、聞こえなかったという事はないはずだ。

 だというのに、ユエが出てこない。


「? 来ないようですね」

「…まあ、待て。もう一度呼びかけてみればいいだけだ」

「もしかして、いないんじゃないのかしら? ここに居るっていうのも義之の情報だけなんだし」

「いや、居るはずだ。あいつの言葉を信じるなら、あの大男を放っておいそれと別の場所へ拠点を移さないはずだからな」


 俺はそう言うと昨日よりも立派な着物へと変化している大男を指差した。

 改めてみると、小汚さが拭われ、貫禄が出ているようにも見える。たった一日で目に見えて変化があるというのは、どうにも不安を煽られるというものだ。


(成長しているのか? だとすれば、事は良い方向に進んでくれなさそうだな)

「幼女~、幼女はどこかしら~。私の母性を見せてあげるから出てらっしゃ~い。うふふ」

「お前は本当に成長しないな。どうせその辺に居るから少し待て。いや、お前は危険だ。待つな、どこかへ消えろ」


 髪型が上品になったところで、人間性は変わらないらしい。背後で気持ちの悪い事を口にしながら、キョロキョロとユエを探している清美は放っておくとして、ユエの奴はどうしたのだろうか?

 本当に八幡宮に居るのかと不安になり始めたとき、どこからかパタパタと走るような音が聞こえてきた。

 次第に音が近づいてくるにつれ、何かがこちらへと向かっている事が分かる。


「お………ん」


 何を言っているかは分からないが、聞き覚えのある声が耳に入ると同時に、シルエットが浮かび上がってくる。

 聞き覚えのある声、そうユエの声だ。まだシルエットでしか判断できないが、頭には午前中に買ってやった麦わら帽子をかぶっているようだ。気に入ってくれているようで何よりである。


「お…い…ゃ…ん」


 いやまて、何かがおかしい。

まず、シルエットが妙にずんぐりむっくりしている。それに背丈自体はあまり変わらないが、妙に膨らんでいるように見えるのは気のせいだろうか。

 そして、妙に上機嫌なのも気にかかる。手をぶんぶん振っているようだし、声色は高く聞こえる。ご機嫌なのはいいが、その出所となるものが分からない以上、不気味でしかないのである。

 なぜだか分らんが、妙な胸騒ぎがしていた。虫の知らせとでもいうべきか。

 そして、そのいやな予感は、


「おに~ちゃ~ん」


 目の前に現実となって襲いかかってきた。

 結論から言おう、麦わら帽子をかぶったカモノハシが、俺を兄とのたまいやってきた。


「…どういう事よ、義之」

「…知らん。無実だ。俺は何も関係ない」

「どうして、お姉ちゃんじゃないのよ!! ガッテェムっ!! 義之ばっかり幼女にもててずっこいわよ! このロリータキラー!!」

「お前は本当にブレないな!! 後その呼び名やめろ! 無実だ! 断固として無実だ!!」


 事実俺に心当たりはなかった。強いて言うならあのカモノハシの寝ぐるみを渡したのは俺だが、そんなものは言いがかりも甚だしい事であろう。


「ですが、ここに男性は一人ですし…その、なんと言いますか、義く…義之さんも結構やんちゃさんなんですね」

「やんちゃってなんだ? そのやっちまったな、とでも言いたそうな苦笑いはなんだ? 呼び名を変えての中途半端な余所余所しさはなんだ? いいか九音、俺は何も―――――」

「おにぃーちゃぁぁーん!」


 俺が冷や汗をかきながら弁明を始めようとした瞬間、目の前のカモノハシが軽く跳ね上がり、そのまま俺の腹へとダイブしてきた。


「ごっふ」


 衝撃により息がつまり、口から妙な音が漏れる。

 俺が何をした。なぜこのような仕打ちを受けねばならんのか。誰か教えてくれ、いや本当にマジで。

 辛うじて踏ん張る事はできたが、かなりきつい。夕食のハンバーグがシャワーとなりかねんほどである。

 一方俺の腹にダイブしたユエは、ゆっくりとズリ落ちていくと、足元にしがみ付き頬をこすりつけてくる。犬か貴様は、うっとおしい事この上ない。


「おにーちゃーん、会いたかったー」

「何のつもりだ!? 離れろ! カモノハシ風情が!」

「…『他人を姉だの妹だの突然呼び出すなんざ、狂気の沙汰だぜ』? なるほどねー、呼ばせるのはセーフと言いたかったわけね。うふふ」

「ぐっ!」


 清美のやつ、数時間前に俺が口にした言葉をそっくりそのまま返してきやがった。

 我が事ながら見事なブーメランである。刺さると想像以上に痛いと言う事を知った、ある夏の日の夜であった。


「誰も呼んでくれなど言ってない! 俺は潔白だ!」

「ふーん…。で、どうなの? そこの哺乳綱単孔目カモノハシ科カモノハシ属の幼女ちゃん」

「お前無駄にカモノハシに詳しいな!」

「お兄ちゃんが私を妹と呼んだのが最初」

「へー…話は変わるけど、義之は知っているかしら? 幼女に対する情を見せた場合、女は母性だけど、男はロリコンと呼ばれるのよ? 世知辛いわね、一般論ってものは。どんなに言い訳したって無駄なの。うふふ」

「そうか初めて聞いたぜ。俺には関係ない話だがな。おいユエ! いい加減トチ狂ってないで、正気に――――くっさ! なんだこいつ酒臭せぇ!! お前飲んでるのか!?」


 足にへばりつくユエを引き剥がし、肩を掴んで同じ目線まで屈むと途端にアルコールの臭いが鼻につく。このカモノハシ、恐ろしい事にのん兵衛のご様子である。


「大丈夫、アルコール20度以下は基本水」

「なんだその酒を覚えたばかりの粋がった大学生のような台詞は! 何一つ大丈夫じゃねえ! お前ビジュアル的にここにいる人間の中で、一番飲んじゃ駄目だろうが!!」

「幼女を酔わせて…義之、底知れぬゲス男ね。流石の私もドン引きよ」

「黙れ元祖ゲス人間。俺が飲ませるわけあるまい。冗談はその性欲と、ピンクのコケが生えた脳みそだけにしておくんだな」

「うふふ、言うわね二代目ゲス人間。でもカモノハシな幼女はあなたのアウトっぷりを如実に示してるわよ。争ったら負けよあなた。ワッパよワッパ」

「馬鹿め、あんな水辺に住む珍妙な哺乳類の言葉を信じるというのか? してやったりといった表情だが馬鹿め、俺に覚えはないんだよ馬鹿め―――――」


 そこまで口にして、数時間前の小町通での出来事を俺は思い出した。

 小町通入り口付近にあるファミレス。静流とユエと俺での食事。俺はあそこで何を口にした?


――――『…ああ、そうなんだ。まったく、変な趣味の妹で困るよ。はっはっは』


 記憶が鮮明によみがえる。なるほど、なるほど、なーるほどな。

 ふむ、墓穴を掘ったな。カモノハシの言葉に真実などないと侮っていた。いつも間違いを起こすのは人間なのである。

 確かに俺はそれっぽい事を口にしてしまっていたようだ。やっちまったな、はっはっは。


「うふふ、どうしたのかしら義之? 顔が青いわよ? 大丈夫? 切腹する? 介錯しよっか?」


 こっ…この女! 言わせておけば、付け上がりおってからに!

 だが何も言い返せない。どのように取り繕うと真意が別にあろうと、事実は事実であるからだ。

 だがしかし、だがしかしだ! 目の前のドヤ顔でニヤついている清美に、いい様にやられたままで引き下がれというのか!

 いつのまにか萩の耳を塞ぎ、俺から遠ざけている九音の無礼を見逃していいというのか!

 否、断じて否。何か探せ、糸口を見つけ抜け出すのだ、この状況から。あるはずだ、必ず! 無いなら作れ、創造せよ可能性を!

 にわかに混乱を生じさせながら、俺はある一つの言い訳にたどり着く。


「…もの…せ…」

「え? なぁに? ものともせず? 何が? ロリコンを? わお、人間失格ね」

「ぶふっ!」


 その言葉が、俺の闘志に火をつけた。正直に言えば、流石に俺の取ろうとしている言い訳は、有り得ないと思っていたのである。道理ではなく論にもなっていない、即ち馬鹿の所存なのだ。

 だが清美の嬉々とした罵りが、九音の大きく噴出した様子が、俺の意地に力を与えたのだ。その結果、


「…カモノハシだからセーフっ!!」

「ああ、カモノハシね…はぁ?」


 俺は決して正しくない、言わば痴呆の一歩を踏み出したのであった。


「…まった。ちょっと待ってね義之。えーっと、質問いいかしら?」

「よかろう」

「え? 何で上から目線なの? まあ、いいけど…それで、そのカモノハシだからセーフって言葉だけど…何?」


 もっともな意見である。俺はお前の疑問を肯定しよう。

 だがしかし、


「カモノハシはカモノハシだ。人間ではない、即ち何があろうとセーフということだ」


 一歩踏み出してしまった以上、後には引けないのである。

 悪いが意地でも無茶を通らせてもらおうか!


「カモノハシね。ええそうね、カモノハシの寝ぐるみを着ているわね、それは確かに。でもね、中身幼女だから。ぺたぺたつるつるくんかくんか、だから」

「なんだその下劣なオノマトペは。まったく、強いて付けるとすれば、ふわふわぱたぱたもふもふ、とかだろうカモノハシなのだから」

「うわぁお! 本気でカモノハシで通すき!? 無理だから! 流石に無理だから、その言い分は!」

「馬鹿を言うな、視野の狭い人間はこれだから困る。本人に聞けばいい。ほれ、その珍妙な生物。お前は一体なんだ?」

「カモノハシ」

「ほれみろぉ!」

「ぶわっかじゃないのぉ!? 意味わかんないわよ!?」

「ほう、それは残念だ。どうやら、理解するにはオツムが足りてなかったようだな。帰ったら煮干でも買ってやろう。DHAを馬鹿みたいに貪り取るといい」

「えっ、やだ、この偏屈プライド頑固人間、折れる気ゼロだわ! 頭おかしい!」


 どうやら俺の意思はしっかりと清美に伝わったようである。

 さて、ならばこの後の押し問答もまた起こるも必然だろう。くらわせてくれる、馬鹿である事を自覚している人間の開き直りというものを。

 どこからでもかかってくるがいい、俺は理不尽を真っ向から通して見せよう。

 そんな寄る辺無き無秩序な闘志を燃やす俺に対し、清美のとった態度は、


「はぁ…仕方ないわね。もうそれでいいわよ」

「何?」


 予想外のものであった。

 身構えていた俺からすると、清美のその言葉は信じがたいものであった。

 拍子抜けを通り越して、若干寒気を感じるほどである。


「ほんと勘弁。義之までキチっちゃったら、この面子誰がまとめるのよ。追い詰められると明後日の方向に逆上する癖なんとかしてよね」


 憂鬱そうに溜息を吐く清美。どういう事だ、こんなにあっさり引くなどありえん。ていうか、頭おかしい自覚あったのか清美よ。

 さて、清美の悲しい自白はいいとして、どうしたものだろうか。そんな大人の対応をさせては、まさしく俺が子供のようではないか。まさかそれが狙いだというのか。


「考えたな。見事だ一本取られたぞ」

「? 何の話かしら?」

「…いやなんでもない」


 俺の考えすぎであったか。

 それにしても妙である。思い返してみれば、最近妙にキレが悪かったり、逆にキレたりと、変調子であった気がしなくも無い。体調でも悪いのかもしれんな。

 仕方ない今回は引いてやるとしよう。少しは労わってやるさ、その残念な頭と共に。


「それで、何の用?」


 いつの間にか俺の腰に手を回してへばりついていたユエが、まだ酔いが冷めない様子で疑問を口にする。

 すっかり本題を忘れてしまっていた。あまりに結果が見えすぎていて、驚くほどに興味が無かったからだろう。


「ああ、たいした用じゃないんだが、萩がお前にリベンジしたいんだとよ」

「義之さん! 大した用じゃないってなんすか!? 一大事っすよ!」

「遊びに来たの?」

「ユエ、話聞いてたっすか!? み、みんなして自分を馬鹿にして…目にもの見てやるっす! 勝負っすよユエ!」


 九音の元から離れビシッとユエを指差す萩。やる気満々である。


「そんな訳で、悪いが少しかまってやってくれ」

「ばっちこい」

「ふふん! 見せてやるっす修行の成果を! ボコボコにして普段言わないような事をバンバン言わせてやるっすから!」

「なんだその、みょうちくりんな挑発は。ひーひー言わせてやるとかじゃねえのか?」

「ここだけの話、ユエはピンチになると全神経を集中するんで、言語中枢がゆるゆるになるんすよ」


 どんな状態だそれ? 聞いたことの無い話に思わず眉をしかめてしまう。


「やん、はずかしい事バレちゃった」

「普段からこの様子なのに、言いそうにない事って何だ…? ああくそ、興味深いが、いらん知識を仕入れてしまった」


 まったく、苗字が難解なちっこい二人組みは、本当に意味が分からん生き物だな。実に面白い。


「因みに、自分は武術の修行をしたっす。という訳で、公平を期すために、武術で勝負っす!」

「何が公平だ阿呆め。不公平の言い間違いだろうが。誰が受けるかそんな勝負」

「やぶさかじゃない」

「ああ、そうか酔っ払ってるんだったなお前! おいこら萩! 今日の所はやめとけ! こいつ酔ってるし、勝負って雰囲気じゃねえだろ! 自分のためにもよしておけ!」

「酔ってる? むしろ勝機っすよ! なんだっていいっす! 勝てば官軍なんすよ!」


 そう叫ぶと共に、萩はキラキラと細かい泡のような光を身に纏ったかと思うと、いつぞやのケツ丸出し巫女服へと服装が変化する。

 なるほど、以前に萩が言っていたように、あの変態な服装は本当に変身的なものなのか。

 にしても意外とセコイなこの少女。ユエの奴がカモノハシのままだというのに、自分はフル装備ときたか。

 だが、全力で勝ちにいっている上に、九音達の言葉を聞くに、もしや勝ち目がるのでは、


「やったるっす! うおおおっ! タマとったらぁ!!」


 あ、ないな、万に一つも。俺の哀れみの視線を受けながら、萩はユエへと飛び掛る。だが、案の定あっさりといなされ、背後へと下がっていくユエにつられて、俺たちから離れていくようだ。

 ユエの奴、こっちに被害が及ばないようにと考えたのだろうか…にしてもだ。


「見事な雑魚台詞だったな。どんな酷い事になるか心配になってくるぞ…。おい、二人ともやはり止めるか?」

「はい? あ、清美ちゃんシートはその辺りがいいのではないでしょうか?」

「はーい。よいっしょっと…九姉ー引いたわよー」

「すでに観戦気分とは、鬼かお前ら」


 振り向けばそこはピクニック模様であった。俺から少し離れた位置にシートが引かれ、その上にランチボックスがならべられていく。

 いくらなんでも薄情すぎるだろお前ら。


「えっと、それでどうしたんでしょうか義君」

「ふう…まあ、なんだ。すまんがお茶をもらえるか?」


 よし、もういい、どうにでもなれ。俺も観戦しよう、一方的な残虐バトルを。

 もしかしたら大穴で、番狂わせが起こるかもしれんしな。

 俺は遠くでユエと追いかけっこしている萩の背を見ながら、ゆっくりとレジャーシートに腰を下ろすのだった。


―――――数分後


「ひぃぃぃぃ!!!」

「ほ、よ、は、どんどこらしょっといとい」

「おー、すごいなあれ」

「ええ、圧巻です」


 はるか上空で、カモノハシに空中コンボを決められている萩がいた。

 覚えておかねばなるまい、鎌倉ではカモノハシが空を飛ぶのである。少女を蹴り飛ばしながら。

 ユエが度重なる追いかけっこに飽きたのか、軽く萩を蹴り上げたのが事の始まりであった。最初に俺の肩辺りまで浮かし、蹴り続けられる事約三分。今やはるか上空にまで舞い上がっていた。もう少しであの大男まで届きそうである。


「あれ、どうやっているのかしら?」

「補正なし設定で、コンボを入れ続けている状態ですね。具体的に言うと、弱↑K弱↑P中Kを3フレーム以下のずれなく繰り返している状態です」

「何だその説明は!? 余計わからんぞ!」

「知りませんか? 格闘ゲームの話です。私の趣味の一環なんです」

「本当にお前の趣味の範囲がまったく分からんのだが…」

「へるーぷ! へるーーーーーぷっ!!」


 上空から情けない叫びが聞こえる気がするが、気のせいという事にしておこう。

 というより、俺達は残念ながら空を飛ぶことはできないのである。あれはカモノハシだからこそ出来る芸当なのだ。

 なので、俺達は空を見上げながら、


「ふむ、これ旨いな。スパムか?」

「はい、胡椒を塗したスパムサンドです。ジャンクながら、ほのかに上品っぽさがあるようでない辺りが癖になるんですよね」

「九姉ー、お茶ちょうだーい」

「ぎーぶーあーーーっぷ!! ぎーーーーぶーーーあぁぁっぷぅぅぅ!!」


 九音が作ってくれた夜食のサンドイッチを美味しくいただく事しか出来ないのである。

 許せ萩、お前の助けを求める声に答えられず、サンドイッチを食べることしかできない無力な俺を…ふむ、スパムサンドいけるぞこれ。


「ほう、こっちは卵焼きが入ってるのか?」

「今流行の厚焼きタマゴサンドです」

「いやー、この暑さの中飲む麦茶は最高ねー」

「おにーーーっ! おにっすーーーー!! ここにいる人達全員おにっすーーー!!」


 上空から聞こえる悲鳴をBGMに、俺達はまったりと暑さの残る夏の夜をすごすのであった。あれだな、慣れれば蝉の声と同じく、風流を感じなくもない気がする。


「あっ!」

「ん? なんだ九音? 俺が取ったタコさんウィンナーでも食べたかったか?」

「いえそうではありませんが…食べさせてくれるというなら、是非いただきたいと思います。あーんです」

「誰もそんなこと言ってないが。まあいい。ほれ、食うがいい。それで、何かあったか?」

「ほんほがほぎれまひて」

「食ってから喋ってくれ」

「んくっ…失礼しました。コンボが途切れます。4フレームほどずれましたので、恐らく数秒後に萩ちゃんは空中から解放され、地に伏すことになるかと」

「ああ、ユエの奴失敗したのか…おいまて、あそこから地面に落ちて平気なのか!?」


 などと言っている間に、ユエの蹴りが空を切り、図らずも無限コンボから抜け出せる事となった萩が、ひゅーんと空から降ってくる。

 因みにユエはそのまま空中に浮き、格闘ゲームにある勝利ポーズのようなものをとっていた。ゲームなら頭上あたりに、パーフェクトゲームとでも出るような状態だ。


「いや、そんな事してないで落ちる萩を助けろよ!」

「今まで傍観していた義之が言えた事じゃないと思うけどね」

「あー、いますね、傍観していたのに緊急事態になった途端に、その惰性を誤魔化すかのごとく騒ぎ立てる人って」

「萩ー! 大丈夫かー!?」


 俺は走り出した、背後から聞こえる嫌味を振り切るようにして。

 俺はあの薄情者共とは違うのだ。萩待っていろ、今更ながらに助けに行くぞ。

 だが俺の良心の呵責から生まれた義勇心も空しく、向かう先では声も上げずにベショリと萩が仰向けに地面に叩き付けられていた。


「マジで大丈夫なのか!? さすがにまずいだろ!」


 そして、駆けつけた俺が見たものは、


「ふふ…ふふふふ…」


 仰向けになりながら、半笑いでさめざめと涙を流す萩であった。巫女服は所々破け、痣などはないが、砂で顔は汚れきっている。

 その姿には負け犬という言葉が似合い、悲しいまでに哀愁を感じさせるものであった。

 あまりの情けない状態に、思わず口を押さえ言葉を失ってしまう。思っていたのは違うが非常にまずい状態である。


「お、おい、大丈夫か萩?」

「ふふふ…義之さん…笑ってほしいっす。あんな意味不明な状態のユエに、手も足も出なかった自分を笑ってほしいっす…」

「無理だ。笑えねえよ、今の状態」

 

 あまりの無様っぷりに流石の俺もドン引きである。


「…やりすぎちゃった?」


 上空から泳ぐように降りてきたユエが萩の様子を見て、開口一番に言った言葉がそれだった。見ればわかるだろう、そう言いたい。


「ああ、やりすぎだ。お前、少しは加減しろよ」

「お兄ちゃん見てるし、はりきっちゃった。ぶい」

「Vサインなんかせんでいい。あと、兄と呼ぶのやめろ。いらん誤解を招く」

「やー」

「なんだその駄々っ子な否定は。一々、子供のような態度をとるな」

「ううっ…惨めっす。こんなになっても無視され…放って置かれるなんて、あんまりっす…」


 萩を放って置いて話していると、萩が本格的に泣き始めてしまったため、一度萩を抱えて清美と九音の元へと戻る事にした。いわゆる匙投げである。

 萩は二人のもとへ着くと、即座に俺から離れ九音へとへばりついた。甘えられる人間を理解しているようだ。つくづく微妙にせこい少女である。


「それで、この後はどうするのでしょうか?」


 萩を抱きしめながらあやしている九音に聞かれ、本日の目的が終わっている事に気がつく。思った以上に早く決着がついたため、時間を持て余してしまったのである。


「どうする、か。ユエあの大男どうなんだ?」


 ずっと気になっていた疑問であった。この短時間での変わりよう、はたして危険な兆候ではなかろうか、と。


「よくない、と思う」

「判断つかない感じなのかしら?」

「うん、前例がない。私の知識不足。でも、きっと危険だと思う」

「何か手を打ったほうがよさそうか?」

「そうしたい、けど方法がない」


 だろうな、と俺はため息をつく。何かしらアクションを起こせる状態にすべきのようだ。

 仕方ないと俺は体を伸ばし、


「そろそろ、目を逸らすのも止めにしないとな」


 呟くように己の覚悟を口した。いい加減、こちらも今後の事を決めねばならないし、丁度いいだろう。


「二人とも、悪いがそこの情けないのを連れて先に帰っててくれないか?」

「いやよ」

「即答かよ! 少しは考えてから言葉をだな――――」

「義之また一人で何かする気でしょ」


 清美の言葉が俺の意表をつくものであったため、思わず真顔になってしまう。清美の真剣な表情が、俺を捕らえて離さない。


「図星ね。歩み寄るって言ってすぐこれだもの。話ぐらいしてくれても、いいんじゃないかしら?」

「…まったくだな。悪い、どうにも一人でも何でもしちまおうってのは癖みたいだな。ただ、今回は心配をかけるような事態にはならんはずだ」

「じとー」

「…多分」


 清美にジト目で見られて、思わず言葉を濁し目を逸らしてしまう。その瞬間疑惑の視線がいっそう強まり、俺を射抜かんばかりに鋭くなるのを感じた。

 さてどうしたものかと、困り果てていると、


「男の子ですものね」


 九音の一声がその気まずい空間を打ち破ってくれた。俺と清美は同時に九音へと顔向ける。


「男の子ですもの、頑張りたくなりますよね。いつだって、女の子に格好いい所見せたいと、微笑ましく逞しく進んでいくのが、男の子なんです。それに花を持たせてこそ、いい女というものですよ、清美ちゃん」

「…そんなの知らないわよ」


 唇を尖らせながら清美はそう言ったが、先ほどまでの勢いはそがれており、どこか諦めに似た落ち着きを持ち合わせていた。

 どうやら、九音の言葉に思うところがあったようである。俺は助かったと、ばれないように溜息を吐いた。


「義君、これを」


 九音はそう言うと、微笑みながら小さなランチボックスを俺に渡す。

 恐らく中には、俺たちが食べていたサンドイッチと同じものが入っているのだろう。最初から九音は、ユエへの差し入れを頼むために、俺が声をかけたのを分かっていたのだ。


「なんつーかな…とりあえずサンキューな」

「いえいえ、お安い御用です。では、帰りましょうか清美ちゃん萩ちゃん」

「ううっ…帰って何かおいしいもの食べるっす…」

「私、正直納得いってないんだけど」


 不貞腐れた態度で、俺の事を睨む清美。

 どうしてか、その様子を俺は微笑ましく感じてしまった。まるで、兄や姉に置いてきぼりを喰らう末っ子のような、ささやかな拗ね方だったからだ。

 思わず笑ってしまった俺に対し、清美は俺が笑った理由を即座に読み取ったのか、顔を赤らめ、そっぽを向いてしまう。


「あーもー! 勝手にしなさいよ! 男って奴は馬鹿なんだから、心配するだけ無駄って事よね!」

「返す言葉もない。すまんな、清美」


 清美の言葉に思わず苦笑いを浮かべる。


「さっさと帰りましょう九姉。ここは石は急に降ってくるし、カモノハシは空を飛ぶし、危険だもの。義之の馬鹿を置いていくには丁度いいけどね。うふふ」

「ん? 石が降ってくる?」


 なにやら気になるキーワードが出てきたぞ。


「お前の言葉が妄言でないとすれば、それはどこであった事だ?」

「一々癇に障る言い方ね。でも答えてあげるわ。丁度池方面へ向かう途中にある、あの長い階段辺りよ。幼女ちゃんを追いかけていたときに、草木を揺らしながらお空からぽーんと降って来たのよ」


 この間の清美がバグっていた時の話か。とたん信憑性が落ちたが、あいつの言葉が真実だとすれば、丁度俺の頭上を石が通り過ぎたのと同じ辺りという事になる。


「…やはりか。妙なところから、話が繋がる事もあるもんだな。いや、そもそも証明するとすれば、そこから話が始まるのか…?」

「あら、不気味ねブツブツと。何か知っているのかしらん? うふふ」

「…ちょっと思う所があってな。これも後で話す…というより話さなくてはいけない内容だから少し待っててくれ」

「不安になるんだけど、その言い方」

「何やら事件の予感ですね。めっさワクワクです」

「事件っすか? 自分のようなへちゃむくれには、関係ない話っすよね…。帰ってハトサブレーを食べるっす…自分はもうあれに縋るしかないっす」

「冷凍庫に棒アイスが入っているはずだ、食っていいから元気出せ」

「義之さんの優しさが自分の元気になるのを感じるっす! みなさん! 早く帰るっすよ!」


 今までのグッタリ具合はどこへやら、小走りで先頭に立つと、早く来いと萩は手招きをする。現金なやつである。扱いやすくて結構だがな。

 清美と九音は苦笑しながらも、萩を追いかけるようにしてこの場を去っていく。

 だが、清美は何か後ろ髪を引かれるのか、こちらをチラチラと振り返っては、俺を気にしているようであった。


「何か用か?」


 一向にそれをやめないのでこちらから声をかける。すると清美は早足で俺の元へとやってきて、気まずそうに、


「なんだかごめんね。ちょっとガラにもなくトゲトゲしくなっちゃったわ。清美さん反省ね」


 そんな事を口にした。そんな事かと思わず噴出しそうになるが、どうも真面目な話の香りがしたので、何とか押しとどまる。

 確かに若干ではあるが、普段の清美らしくない部分があった気がしなくもないが、そんな事は気にも留めていなかった。


「かまわんさ。こっちこそ、どうにも態度がよろしくないからな」

「それもそうね」

「はっはっは、俺も気を遣っているんだ、少しは気を使えコノヤロウ」


 自虐風にいった結果、カウンターを食らってしまった。

 だがこの程度では動じない。俺も日々進化しているのである。

 なので、


「そうだ、聞いておこうと思ったんだ。最近調子でも悪いのか?」


 他人を思いやる事も可能なのだ。


「あらやだ、バレてたのね。どうもこの間から、少し気が立つというか…それに体調も優れないのよね。アレも遅れてきてるし」

「そういう話は男の前でするな。普通女はそっち系の話をおおぴらにせんだろうに。なあ九音」


 九音に声をかけると、驚いた表情で口に手を当てこちらをみていた。なんだその、家政婦は見た的な態度は。非常にいやな予感がしてしょうがないのだが。


「遅れている…この間まで男女で一つ屋根の下…導き出される答えは…なんてことでしょうか」

「おいまて、勘ぐるな。俺は何もしていない。いいなノータッチだ」

「…そうですか。では清美ちゃん萩ちゃん帰りましょう。義之さんは残るんでしたよね?」

「義之さん? なんだそのよそよそしい態度は。お前本当に分かっているのか?」

「はい、大丈夫です。すべて理解しています、存分に」


 にっこりと微笑み、機嫌が逆転しスキップでもしだしそうな萩の手を握ると、清美を引き連れ去っていく。

 そして、突然立ち止まり、


「お赤飯、炊いておきますね。さ、清美ちゃん足元には気をつけてください。それと今日から私が重いものを持つようにしますので、声をかけてくださいね」

「えっ、やだ、どうして急に優しいのかしら? 美人の気遣い、その優しさにきゅんきゅしちゃうわ。うふふっ」

「何一つ分かっとらんじゃないか! おいこら! まて天然腹黒女! そこの変態もトリップしてないで否定しろ!!」


 キリリと真面目な表情を浮かべ勘違い全開の言葉を残し、俺の言葉も聴かずに、九音は二人を連れてさっさと退散してしまう。

 残された俺とユエは静かに佇み、


「ドスケベダイナミック?」

「Noだ! ノードスケベダイナミック!!」


 静かに更けていく夜に、声を上げるのであった。

 そして、その声を皮切りに、長い夜が始まろうとしていた。

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