7.鉄壁に黒いのを添えて
「いいですか、お二人とも。二度目になりますが、争いは同じレベルのもの同士でしか起こらないといいます。お二人ともそういう意味では、仲良くできるはずです。喧嘩はいけません、メッです。お互い謝罪しあい、仲直りしてください」
「レズ死ね」
「男死ね」
「お二人とも私の話し聞いていましたか?」
今の畳の上に正座させられ、俺と清美は九音からありがたい説教を受けていた。もちろん聞く耳など最初から持っていない訳だが。
先刻のくだらない喧嘩が後を引いているのである。俺の方は口喧嘩などはどうでもいいのだが、清美と同系列に扱われた為機嫌が悪いのだが…まあ、どちらにしよ、このクソレズに謝る気など毛頭ないのだがな。
「めっさ困りました。どうしましょう萩ちゃん」
九音はため息混じりに机の上でノートに何かを書いていた萩を呼ぶ。
こちらを振り向いた萩は、清美と同じく髪型が変わっていた。銀髪の長髪が左右にまとめられている。いわゆるツインテールというやつだ。
おそらく面子からして九音辺りがいじったのだろう。つくづく器用な女である。
「まったく、お二人とも仕方ないっすね~。そういう時は美味しい物を食べればすぐ笑顔になれるっすよ。という訳で、お二人のために自分のハトサブレーを…」
ごそごそと昨日九音からもらった軍服ワンピースのポケットから宣言どおりハトサブレーを取り出した。
そこはかとなく腹が立つうえ、ハトサブレーを自分のと言ったが、萩よそれは我が家の元貰い物だ。戸棚に仕舞ってあったというのに、いつのまに持ち出しやがったんだ、子ネズミめ。後でその左右の掴み易くなった部分を有効利用し、折檻してやるから覚えておくがいい。
「ほ~れほれほれ~」
まるで犬に餌を与えるかのように、ハトサブレーを指でつかみ揺らして挑発してくる銀髪のお嬢さん。ははっ、腹立つぞこのアマ。
我が家の教育方針として、しっかりと叱っておくべきだと判断し、正座を崩し立ち上がろうとした瞬間、
「いっただきマングース!!」
「へ? 清美さん!? ちょっ! なんで自分を押し倒し…ひっ! お知り触らないでくださいっす! いや、お尻以外ならいいって言ったわけじゃ…! ひいいいっ! か、肩っ! す、吸っちゃだめっすー!」
獣が獲物目掛けてまっしぐら。萩よ愚かな子だ。お前のとった行動はサファリパークで全裸になり、額に肉と書き闊歩するようなものだ。しかも、相手は万年空腹と来れば、そりゃ食われるだろうに。
「悲惨な事故だった。萩よ、これを機に自分の行動を鑑みるがいい」
「あの~…助けてあげないのでしょうか?」
「反省すべき点が多くあったからな。罰として、しばらくは放置しておく事にする。公序良俗に反したら、止めにいけばいいだろう」
「義くん、それは私怨なのでは…。萩ちゃん可愛そうです」
などと言いつつ、まったく助ける素振りを見せないあたり、九音もたいがいである。
そういえば九音に色々聞こうと思っていたのだ。丁度いい、さっさと聞き出してしまおう。
「九音、出身はどこだ?」
「はい?」
「趣味は? 家族構成は? 現在の住まいは? 好きな食べ物は? それと――――」
「へ? えっ、ちょっ、義君? あのー、突然どうしたのでしょうか? お見合いか何かでしょうか?」
あまりに急すぎる質問であったため、九音から静止がかかる。仕方なく、俺は事の次第を九音に説明する事にした。
「…という訳だ。あれだ、居候のプロフィールぐらいは知っておくべきだろうとか、そういった事に思い至った訳でな。他意はないが、お前の事を聞かせて欲しい」
「お前? あら? あらあらあら、めっさビックリです。義君はそういったデリケートな話を避けていると思っていたのですが…呼び方といい、この数時間で一体何があったのでしょうか?」
どうやら清美の言ったとおり、もろばれであったらしい。死にたい、が一度大ダメージを受けた後なのだ。へこたれてたまるものか。
「ごほん! ん、んんっ! よし、この話はもういいだろう。重要なのは、互いを知ることだ。まず先にそれをすべきだろう」
小首をかしげていた九音が、何故か俺の渾身の話題移行を聞き苦笑いを浮かべる。馬鹿め、俺はへこたれんぞ。例えどれほど傷つこうと、意地でも話を進めてやる。
俺の意思を組んでか否か、九音はすっと洗練された動作で正座をすると、しっかりと俺の目を見て話の場につけと合図してくる。
俺も素直に正座をし、九音と対面になるよう座ると、背筋をピンと伸ばし、話を聞く体制をとった。
「それでは…何から話したものでしょうか。そうですね、出自と現在からでしょうか。私は岩手は平泉の生まれでして、今年の3月頃に単身でこの地に来た次第です」
「そうか、この辺りに就職でもしたのか?」
「いいえ、家の事情です。…その、土地を出て行くことなってしまいまして」
俺は自分の顔が引きつるのを感じた。俺の脳内は「やばい、地雷踏んだ」という言葉で一杯になっていた。
絶対に重い話になる、が自分から聞いた以上逃げるわけにはいかない。
「私の父は地元では有名な資産家でして、母はその妾だったのです。母が身ごもり、私を出産したのち、父との縁を切り二人で暮らしていたのですが、去年から母が病を患ってしまいまして、父に頼らざるを得なくなってしまったのです」
(重っ!)
案の定である。俺は心に湧き上がる後悔を必死で抑え込み、九音の話を聞くし背を維持した。最後の意地である。
「父を頼り、金銭面での工面をお願いする事になったのですが…少し予想外の問題が出てしまいまして」
「ほう、予想外の」
「ええ…その…父がどうやら母をまだ愛していたらしくてですね…ええ、大人というのは存外に若者以上に障害多い恋などが目の前に吊るされていますと、飛びつくといいましょうか…。結論から言いますと、母と父が結婚いたしました」
「はぁ?」
思わず声が出るばかりの予想外の事態ではあるが、問題というほどの事でもないと思うのだが。ある意味ハッピーエンドではないか。
「それの何が問題なんだ?」
「…結婚した後が問題だったのです。結婚後消えかけていた炎にガソリンでも注いだがごとく以上に父と母の愛は燃え上がり、母も仮病であったのではないかと疑うほどの回復を見せました。そして、しばらくの後、その炎は私に飛び火したのです」
「飛び火…?」
「ええ…事の発端は、父が異常なほどに私に対して親馬鹿…いえ、愛情を注ぎだした事でした」
今親馬鹿と言わなかったか? 前々から思っていたが、ちょこちょこ毒を吐く辺り、九音のやつ強かな性格なのではなかろうか。
「しだいにそれはどこをどう間違ってしまったのか、おかしな方向へと進んでいきまして…。資産家であると共に地主でもあった父は、私を次期党首に据えようと言い出したのです」
「どんな経緯があると、そうなるんだ。非常に興味深いな」
「父の直系の子供が、私と妹の二人であった事。その妹がその…数ヶ月で大変に私を慕ってくれていたこと。さらには言うほどではありませんが、私が苦労を重ねていたこと。そして止めは、私がそういったものに一切の興味がなかった事ですね」
妹の辺りで言いよどんだ様子を見るに、慕っていたと言ってはいるが、おそら清美系女子であったのだろうな、九音の妹は。哀れな、あんなものに好かれるとは、苦労が伺えるってものだ。
「なるほど、ある程度理解してきたぞ。周りが盛り上がってしまったって、こちらの意見が通らなかったって事だな」
「ええ…本当に酷い判官贔屓にあいました。私は本当に嫌がっているというのに、やれ謙虚だとか、やれ清廉だとか、もはや宗教と呼ぶに相応しかったかと。もう二度とごめんです」
「ふむ、それで鎌倉に逃れてきたという訳か。ご苦労なことだな」
「ええ、本当に…反対派の方に手引きをして頂いたのですが…途中からひどい寝返りを…いえ、過ぎたことですね。忘れましょう、切実に」
九音が遠い目をして、開いている雨戸から空を見上げる。このような九音の表情を見るのは初めてであった。まあ、出会って数日もたってないのだがな。
「それで、今はどの辺りに住んでいるんだ?」
「はい? 今は義君の家にいますが?」
「阿呆め、現住所だ。お前の家がある場所を聞いているんだ」
成るほどとポンと手をたたく九音。いつもどおりボケてはいるが、俺は瑣末な不安を九音の言葉から感じ取っていた。即答で自分の家をここと答えた事が、ボケてではなく、九音の本心からのものであったとしたら…いや、ボケただけだろう、というよりそういう事にしておこう。
「私の家は今、鎌倉山の―――――」
「あ…あれ…? な、なんだか温かくてフワフワするっす…?」
「うふふ、今こそ蕾が花咲く時が来たのよ」
「すまん、ちょいと仕留めて来る」
俺は一言九音に断りを入れると、ゆっくりと立ち上がり清美の背後へと足を進めた。
そして、
「死ねっ!」
「ひぶぅっ!?」
思いっきり、犯罪に手を染めている色情魔の尻を蹴り上げたのだった。
「いつっ~…ちょっと、死ねって! 死ねってなによ! いきなり人のプリティなお尻を蹴り上げておいて、どういう事かしら!?」
「どうもこうねえよ! 頭沸いてるんじゃねえか!? いや、沸いてるか。すまん、今のは無しだ」
「あらやだ、うふふ。喧嘩売ってるのね? 今日は特売日か何かかしら? 安いものね義之って男は」
「ほざけ、bimboが。その見た目を神に返上し、灰になれ」
「ビンボゥ!? 誰が脳みそすかすかブロンド女よ!? 義之! 態々UKのスラングを使ってまで馬鹿にしてくるなんて―――――」
「ぶふっ」
醜い言い争いのさなか、どこからか笑いが噴出す音が聞こえた。俺と同時に清美が音の聞こえた方を向く。
そこにいたのは、
「ごほんっ。はい? なにか?」
顔を横に背け、咳払いをし微笑みながら俺達へ顔を向ける九音であった。
時が止まり、俺の中で疑惑が深まる。こいつ、意外と腹黒のでは、と。
「え…あれ? 九姉…? 今、吹き出して…え? 笑った?」
「いえいえ、何のことでしょうか?」
「そ、そうよね! 九姉は私が馬鹿にされて笑うなんてしないわ! うふふ、私ったらとんだ勘違いさん」
「はいはい、そうですよー」
なんという適当なあしらいっぷりだろうか。まさかとは思うが、俺がいない間こんな感じのやり取りが続けられていたというのか。
だとしたら、清美が哀れすぎるではないか。実に滑稽だがな。
「九姉~! 義之がひどいの~! 私の事をスラング使ってコケにするのよ~!」
情けない声を上げて九音に近づき、そのまましな垂れる様に久遠の膝にダイブする清美。
すごいぞ清美の奴。あんだけ適当にあしらわれて、めげようともしない。むしろ自分から向かっていくとは、なんという鋼メンタルだろうか。
そして、やっかいなのに絡まれた九音はというと、
「おいでー。よしよし、大変でしたね」
若干おざなり気味に、清美をあやし始める。あれがやばいのだ。清美も萩もあの溢れ出る母性にノックアウトされているのだから。
「ともかく、これで静かになったか。さしもの清美も九音の甘やかしには、手も足も――――」
その瞬間俺は見た。清美の奴が、九音の膝に顔を埋めながらこっそりと九音の服へと手を伸ばすのを。あの女、この機に乗じて九音の生乳を揉む作戦を決行しやがった。
(なんて奴だ! すでに耐性を付けており、それを利用したというのか!)
なんなんだろうか、清美のスケベにかける無駄な知将っぷりは。
流石HENTIという言葉を世界に広めた日本と、変態紳士の国イギリスとのハイブリット。キメラも真っ青の属性継承っぷりである。滅びればいいのに、そう切に思う。
止めるべきだろうが、最後の一歩手前まで見守ろう。それがお前に対する精一杯の譲歩だ。
ギリギリを見極め、どん底に落としてくれよう。それがお前に対する精一杯の義務だ。矯正しきるまで付き合ってやるさ、尻を蹴り上げてな。
そんな事を考えている内に、清美の腕は九音の上着とスカートの継ぎ目へと迫り、
「あーら、手が滑ってしまったわぁ! ぐへへ」
白々しい言葉を伴いその毒牙が九音へと迫る。そして、
――――ぺしん
「へっ?」
その牙は無残にもへし折られたのである。
手を叩かれた清美が目を丸くしている。
それをさらにキョトンとした表情で、清美の手を叩いた九音が見つめていた。
「あ…っと。ご、ごめんなさい清美ちゃん! つ…つい、そのぉ…」
「………っそおぃっ!!」
掛け声一つ、清美は受けた仕打ちが認められないか、あるいはヤケクソか、あの手この手で九音の服の中へ手を入れようと、必死にもがく。めげない、本当にめげないな、この淫獣。
だが、それら下賎の行いは、
「あら、あらあらあらあら」
―――――ぺしん、ぺしんぺしんぺしんへちょん
全て、九音の手により防がれたのだった。地味にすごい攻防であった。
右手をフェイントに使った清美に対し、迫り来る左手と囮の右手、両方の手を叩き落とす九音。やけくその連打も最小限の動きで防ぎ、終いには手を掴んで、やさしく地面へと置く始末。
見事だ、と謎の感動を味わっていると、清美が顔を俯かせながらこちらへと歩いてくる。
「あん? なんだ? 八つ当たりでもしに…何だよ? 下? 座れってか? 折る? ああ、正座か。ほれ、やったぞ、何がしたいんだお前…おい! 人の腹に顔を埋めるな…ってお前泣いてるのか!? いや、首振って否定してるけど、明らかに泣いているだろお前!」
清美にジェスチャーで指示されたとおり正座をすると俺の腰に手を回し、顔を見られないようにと蹲り、さめざめと泣き始めたようだ。
うっとおしい、が泣いているのでは追い返しづらい事この上ない。
「まったく、とんだとばっちりだ」
「申し訳ありません…その、無意識でして、癖といいますか」
「本当にいい迷惑だ。だがよくやった! この馬鹿にはいい薬だ! もっとやってやるがいい!」
「ふぐうぅ!」
俺は素直に思ったことを口にした。俺の腹辺りで、妙なうめき声が聞こえた気がするが、知った事か。
「あのー、私が言うのもなんですが、清美さんにこれ以上追い討ちをするのはどうかと…」
「大体姉だなんだと、付きまとわれて迷惑だっただろうに。切腹か? 切腹させるか? いいきかいだ、この色情魔に灸を添えてだなぁ」
「ふぐうううぅぅぅっ!」
「あ、私の話めっさ聞いていませんね。というより義君は何故清美ちゃんの頭を撫でながら、暴言を吐いているのでしょうか? 飴と鞭ですか? 躾なのでしょうか?」
「躾だ。粗相が目立ちすぎる。社会適合できるとは思えんからな。今のうちに、ある程度矯正してやるのがいいだろうよ。かといって攻め立てすぎるのもよくないからな。ある程度、情をもって接しているというわけだ」
「ふぎゅうううぅぅぅっ!!」
「そんなはっきりと…ふう、もう好きにしてください」
ふむ、どうやらお許しが出たようである。では、
「いいかよく聞け、社会というものはだな、俺たちのような学生の理屈など通じなくなる訳だ。つまりはな、お前の傍若無人も、冗談で済ませられなくなると言うことだ」
「ふうぐううううううぅぅぅっ…!」
存分に鬱憤を晴らしきってやろう。
それから10分後。
「おーい、清美。清美さーん。悪かったから離れろって」
「…ぶーぅ」
普段の鬱憤を晴らしきった代償に、俺は清美にとりつかれていた。
清美の奴が胡坐を書いた状態の俺に、背中から圧し掛かりどこうとしないのだ。非常に邪魔である。
立ち上がろうともしたが、そのままぶら下がる気らしく、一向に離れる気配がないので俺は半ば諦めに入っていた。
「躾失敗ですね。清美ちゃん拗ねてしまっています」
「不甲斐なくてすまん」
仕方ないのでそのまま会話を進める。それに、無理に引き剥がさないのには、もう一つ理由があった。
それというのも、
「お前も機嫌直せって。明日うまいもん買ってやるから」
「別に…自分は拗ねてなんていないっすから。蚊帳の外にポポンと投げられて、寂しいとか思ってないっすから」
ずっと放置されていた事で、拗ねている萩の相手をしているため、背後の清美に意識をさき続けるわけにもいかないのである。
「残念、フォロー失敗ですね義君」
「満面の笑みで、追い討ちをかけるな九音。くそっ、化けの皮剥がしやがってからに」
面倒くさい、実に面倒くさいこの状況。背後の清美は離れようとせず、目の前で横になってこちらに背を向けている萩は機嫌をなおさず、九音は俺の不幸を楽しんでいるときた。
歩み寄ったはいいが、これだから距離が縮まるってのは面倒なんだ。
さて、どうしたものか…。
「リベンジマッチっす!!」
「うおっ! なんだいきなり!?」
俺の思案をよそに、突然萩が大声を上げ立ち上がった。
リベンジマッチだと言ったか? 誰にだ?
「一応言っておくが、俺にへばり付いているレズにはよしておけ。逆に喰われるだけだぞ」
「うふふっ、うぇるかぁむぅ」
「引っ込んでろ背後霊」
「…ぶーぅ」
背後から俺の顔よりも身を乗り出した状態であった清美が、奇妙な鳴き声と共に、ゆっくりとさがっていく。素直に引っ込んでいくとは、普段よりも扱いやすいのではなかろうか。
「で、誰にリベンジするんだ? 俺か? それなら容赦はせんぞ」
「ち、違うっすよ! ユエにっす! それ以外にいなじゃないっすか!」
「どうして今までの流れでユエの名が出てくるんだ?」
「自分ずっと考えてたんすよ。いつリベンジに行くかと」
「あら、拗ねていた訳ではなかったのですね」
「当たり前っすよ! みなさん失礼すぎるっす!」
「なら目をそらさず、こちらを見て物を言え。しかし、リベンジか」
頭の中でどうなるかと予想してみる。その結果、
「やめておけ、悲惨なことになるぞ」
俺の口からは無慈悲な答が出てくる事となった。
「ひ、酷いっす! 義之さん、何でそんな事を言うんすか!?」
「客観的に見た意見だ。大体、この間手も足も出てなかっただろうが。勝てると思うほうがおかしいだろうよ」
「そんな事ないっす! 自分は修行を経て強くなったんすよ! いけるっす! やってやるんすよ!」
「寝言は寝て言え。修行なんざ一日そこらやっただけだろうが」
たった一日の修行であのユエに勝てるわけがない。俺は萩が気絶している間のあいつの本気…かどうかは分からんが、戦いを見ているのだ。
それを見ているからこそ言える、ちょっとでもユエを怒らせてみろ、一撃で吹き飛ばされるぞ、と。
「た、確かに一日だけっすけど、自分は清美さんと九音さんから全てを学んだんすよ!」
「ほざけ、浅薄者め。一日程度の努力で、何ができるというんだ」
「あのー、義君それがですね…萩ちゃん嘘をついていないんです」
「はぁ?」
嘘をついていないだと? どういう事だ?
「あら、キョトンとしているわね義之。無理もないわ、私たちもびっくりしたもの。萩ちゃんね、私たちが教えた事全部吸収しちゃったのよ。私の十年の鍛錬が数時間で追いつかれてしまったわ。うふふ、実を言うとちょっとショックよ」
「そうなんです。めっさすごいんですよ、萩ちゃん。私達の護身術から武術まで、教えた事を全部覚えてしまったんです」
「…そんな馬鹿な」
俺の目の前でドヤ顔決めているこのヘモいのが、そんな事ができるとは。胡散臭いことこの上ない。それと、ドヤ顔に非常に腹が立つ。
「ふふん、どんなもんすか! 自分はやれば出来る子なんすよ! 褒めてくださいっす!」
「分かった、分かったから擦り寄るな。そして、膝の上に勢いよく乗るな。はぁ…ほれ、満足したらどくんだぞ」
「わひゃ、撫でてもらったっす! 九音さん義之さんに撫でてもらったっすよー!」
「よかったですね萩ちゃん。義君モテモテですね」
「お前、この状態を見てよくもそんな事を言えたものだな。いや、分かっているからこそか」
背後には清美がへばりつき、胡坐をかいている膝の上には萩が乗っかり、それを見て九音が意地悪く笑っている。
自宅だというのに、アウェイの洗礼を受けている気分である。勘弁してくれ、切実に。
「なんだか、すごく温かくていい気分っす。今なら自分、何でもできる気がするっす」
俺とは逆に、テンションを上げていく萩。どこからくるのか、やる気と自信を滾らせているご様子である。
「気のせいだ、大人しくしていろ」
「やっぱり、復讐すべきは今なんすね…。勝てる、今ならきっと…いや、絶対に勝てるっす!」
「気の迷いだやめておけ」
「かつてないコンディションっす! ユエ待ってるっすよ! 自分はもう一人じゃないと教えてやるっす! この力は自分だけのものじゃない…みんなの力っす!」
何を言っても駄目なようである。俺は口で説得するのをあきらめ、別の手段を講じることにした。
「…清美、今日の夕飯は何にする予定だ?」
「え? 突然ね。今日は清美さん特製、手ごねハンバーグの予定よ」
「聞いたか萩! 今晩はハンバーグだぞ!」
「は…はんばーぐ?」
「なんだしらんのか。肉の塊だ。口の中で肉汁が踊り、非常に美味い食べ物の事だ」
「は…はんばーぐ!」
ガバっと何かに目覚めたように、俺の膝から降り立ち上がる萩。目がキラキラと輝き、まだ見ぬハンバーグへと期待を高めているのがよく分かる。
「そうだハンバーグだ!」
「はんばーぐっすか!」
「ええ、そうですよ、ハンバーグです」
「はんばーぐ!」
「それ! ハンバーグ! ハンバーグ! ほれ、九音も」
「あそれ~。ハンバーグ~♪ ハンバーグ~♪」
「はんばーぐ~♪ はんばーぐ~♪」
俺と九音が萩を囃し立て、萩がその場で小躍りを始める。その様子を見て、清美は台所で夕飯の支度をし始めたようだ。
まるで祭りの様相である。俺は謎のテンションに身を任せ、ドンチャカ騒ぐ萩を見て静かに微笑んだ。
そして、ハンバーグ祭りの熱も覚めやらぬまま、夕食の時間が訪れる。
余談ではあるが、清美の奴は己がポリシーを曲げる事を知らず、ハンバーグに塩ソースなるものを用いてきたのである。
正確にはネギ塩ソースであるが、甘さの中にピリリと来る辛さ、そして濃い目であるがため、ライスとの親和性が神がかっていた事をここに記しておく。非常に美味であった。
「ごちそうさん」
「はぁ…最高っす。自分は本当に幸せ者っすよ」
「そうか、それじゃあ片付けてだな…」
「はい、リベンジに向かうっす!!」
萩は鼻息荒く立ち上がると、高々とリベンジ宣言をした。
ハンバーグで忘れてくれたかと思ったが、作戦失敗のお知らせである。
「うまく誤魔化せたと思ったんだがなー。流石に忘れてなかったか」
「うまくいくと思ったんですけれども、やっぱり無理がありましたねー」
「? 何の話っすか?」
九音と顔を見合わせて溜息を吐く。
渾身のハンバーグ祭り誤魔化し作戦は失敗に終わった。こうなった以上、おそらく萩を止めるのは不可能であろう。
なにせ言っても聞かないのだからな。
「二人とも萩ちゃんの事馬鹿にしすぎよ。そして、当て馬にされて実を言うと、清美さんちょっとショックだったり。うふふ…」
「馬鹿を言うな、ハンバーグ最高に美味かったぞ。また、よろしく頼む」
「あ、あらそう? うふふ、仕方ないわね。今度また作ってあげるわ」
若干一名へこんでいたが、フォローを入れるとご覧の様子である。無駄にちょろいが大丈夫なのだろうか清美の奴は。
まあ、男関係で痛い目見る事はないだろう。なにせ奴はレズだ。女関係は知らんが、そこまで面倒見きれん。
「仕方ない、八幡宮へ向かうか」
「はいっす! 自分は勝利を義之さんに捧げるっすよ! ユエに今日こそ目にもの見せてやるっす!」
やる気満々でシャドーボクシングを始める萩を見て、俺は溜息を吐く。
面倒だからさっさとボコられてこい、という俺の気持ちは一切伝わっていないらしい。
ユエの奴もこの馬耳東風娘にさぞ手を焼いていた事だろう。そういえばユエの奴、食事はどうしているのだろうか?
(流石に食べてはいると思うが…一応用意でもしていってやるか)
「九音と清美すまないが、軽い軽食を作っておいてくれないか?」
「? …ああ、了解です。そうですね、手持ち無沙汰というのもなんですから、そうしましょうか」
手持ち無沙汰? 俺はユエへの差し入れのつもりで頼んだのだが。
まあ、用意されるなら何でもいいだろう。
そして、数分後俺は九音の言葉の意味を知る事となる。
「義之ー、レジャーシートこれでいいかしら?」
「卵焼きに、から揚げ、バケットも用意して~。ピクニック用のお弁当って、どうして作っている方まで心躍るのでしょうか? あっ、タコさんウィンナーも用意しましょう」
「何たる事だ、完全にこいつらピクニック気分ではないか」
哀れ萩、お前完全に見世物扱いだぞ。
しかしながら、当の本人は、
「しゅっ、しゅっ!」
何も知らずに左右の髪を揺らしながら、シャドーボクシングに精を出している始末。
お前、二人から武術を習ったのではなかったのか?
というより、武術の修行をしたはいいが、ユエをどうやって格闘戦へ誘い込むつもりなのだろうか。
俺の中で憐憫と疑問が重なり合い、多く言うべき事があったにも関わらず、
「萩、ファイトだ」
「うっす! ファイトっす!」
そんな当たり障りのない言葉をサムズアップと共にかける事しかできなかったのである。
そして夜が更けていき、我々は談笑しながら、緊張感ないままに鶴岡八幡宮へと向かうのであった。
レジャー気分で挑むリベンジマッチ。果たして結果は…まあ、見るまでもない気がするのだがな。
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