10.嵐の前でも空気を読まず
「なんや、自分から呼んどいて、だんまりかいな」
空から木の葉のように舞い降りた新免柳と名乗った女は、面食らっている俺達を見て、溜息混じりにそう口にした。
色の抜けかけた茶色い髪、日焼けをしたような小麦色の肌と大きな猫目が特徴的な女であった。
美人ではあったが、それ以上に特徴的なのがその格好である。
赤い着物に紫の袴、それように拵えたかのように黒いティアラに似た兜らしき頭飾り、白い胸板に手甲、短く腰辺りしか覆えない銀色の胴にスカートのような草摺。
はっきり言って時代物のコスプレをしているようにしか見えなかいのである。
「なんだ、珍奇な格好をしているくせに随分と軽い女だな」
新免柳と名乗った女の姿を再確認し心を落ち着けた後、俺は負けじと溜息混じりに素直な感想を口にした。
「うおっ、喋ったかと思たらなんやねん。自分唐突すぎやろ。ちゅーかなに? 褒めとるん? 貶しとるん? どっちやっちゅーの」
新見柳はそんな俺の言葉を冗談交じりに軽口で返してくる。
やはり軽い、全体的に飄々として、名前の通り柳のような女であった。
それを理解して言おう。俺はこの手のタイプが嫌いである。口が軽そうなのも嫌だが、全力で人生舐め腐ってそうな軽薄さも嫌いであるし、不可解なまでに自信に溢れてそうなのも癇に障る。もう一度言おう、第一印象からして俺はこいつが嫌いだ。
「もちろん貶めてるんだよ。言葉も体もフワフワ浮きおってからに、何だあんたは。敵かどうかもわかり辛いってんだ。面倒だ自害しろ、自害」
「え? ちょっ、辛辣すぎひん? ウチ何かした? ウサギちゃん、変なこと吹き込んだんとちゃうか? どうなん? ボコったん根にもっとるん?」
「なにもしてない。それに、ボコられてない」
突然ここにはいない動物の名を出したので、その珍奇な格好と同じく脳までアレなのかと思ったが、どうやらウサギちゃんとやらはユエの事らしい。
それにしてもあの様子だと以前に二人は面識があり、争っていたのだろう。
軽口女のおかげで、俺のユエが萩以前に戦闘を行っていたという推測が大当たりであった事が証明されたようだ。
馬鹿め、口の多さは弱点の多さと言う事を理解していないらしい。まったくもって嘆かわしい限りである。
「阿呆が」
「ちょ、お兄さん? もしかしてウチに言うたん?」
「すまん、思っていた事が口に出た。気にしないでくれ」
「いや、気にしますって。ほんま何なん、自分。初対面でここまで、酷い態度とられたん初めてなんやけど」
俺の塩対応を超えた粗塩を擦り付けるような対応を受けて、半ば呆れながらも困惑しているようだ。
因みに俺もここまで酷い対応を取る気はなかったため、自分の辛辣さに困惑していたりするのはここだけの話である。
恐らくは、嫌いであるからに一切の気を使わなかった結果であろう。ついでにいえば、敵であるという事実も拍車をかけたに違いない。
だが、俺はそんな対応をとったにもかかわらず、妙に新免柳の口調が明るい事に気がついた。
嫌な予感がする。
「まあ、嫌いではないんやけどな! スッパリしてて結構好みや! もうちょいマイルドになってくれたほうがええけどな!」
予感的中である。稀にいるのだ、悪態などものともせずに間合いを詰めてくる人間が。そうなると、まるで大人と子供の構図になってしまうのだ。そして、どちらが子供かと言えば、言わずもがなである。
「なんや、お兄さんとは妙に気が合う気がするわ! トゲトゲしくせんと、仲良うしよや! 」
なるほど一理あるが、一度悪態をついた以上、こちらが態度を変えるのは癪である。というより、やはりこの手のタイプは嫌いであるので、態度を軟化させる必要はないだろう。よって無視である。子供であると仮定された以上、それを最大限に生かさねば、情けないだけになってしまうからな。
「難しい顔せんと、聞いてえな。聞こえへんのか? 生きとるー? もしもーし」
煽りおってからにこの女。しかし、ここで口を挟めば相手を調子付かせる一方である。
よって態度でしめそう。俺は、全力で嫌悪に満ち溢れた嫌な顔を浮かべた。
「なんやその表情! おもろいわ!」
意図せずして調子付かせてしまったようだ。失策であった。
というか、人の顔を指差して笑うなぞ、無礼にもほどがある。やはり仲良くする必要などないと再認識させていただき実に結構である。
「いやー、ウサギちゃんといい、この街にはおもろい奴が多いなー。ほんま、飽きひんわ。さて、と」
新見柳はひとしきり笑い終えた後、こんどは顔に薄い笑顔を浮かべ、片目を開けウインクくのような動作をすると、
「ほんなら、やろか」
旧友を食事に誘うような気軽さで、そう口にした。
俺とユエに緊張が走るが、新免柳は呆れたように笑い、付いて来いと指でジェスチャーし、俺達に背を向け中央の階段へと歩きだす。
俺とユエは顔を見合わせ新免柳の様子を伺っていたが、
「なにしけた面してんねん。ここやと結界が壊れるの心配やろ? この前はすまんかったな。ここの外。あれや正門…正式名は分からんけど真っ直ぐいった道路沿いに新しい結界用意しとるやろ? ほんなら、そこでやろうや。それと、急に暗くなるなや。やり辛いやろ、自分ら。もっと楽しくいかなあかんて」
当の本人はカラカラと楽しげに笑いながら、階段を降り始めてしまった。
「結界を外に張ってるのか?」
「うん。この間、壊れかけたから頑丈なのを。また、あの人来るの分かってたから」
「そうか、それなら癪ではあるが、あいつについて行くしかないか」
どうやら様子見をしている訳にもいかないようだ。俺とユエは急ぎ、新免柳の後を追い中央の階段へ向かった。
階段へ到着し、降りようとすると途中で足を止め待っていた新免柳と顔が合う。
「なにしとんねん。はよ行こや」
敵意なんてどこ吹く風か、新免柳は楽しそうにニッと笑うとまた無防備に俺達に背を向け階段を悠々と降り始めた。
着物の上から甲冑を着込んでいるような服装をしているため、階段を降りるたびにガシャガシャと音がして非常に煩わしい限りであった。
その煩わしい発生源の後ろを、毒気を抜かれたように俺とユエは静かに着いていく。
「しっかし、暗いな自分ら。死に掛けの蝉の方がいくらも元気なぐらいやん」
階段を降り終わり、舞殿を過ぎあたりで何気なしに新免柳がぼやく様に口にする。
死に掛けの蝉を馬鹿にするとは失敬な。アレは兵器と言ってもいいほどに危険で瞬間的な爆発力は賞賛に値するほどだろうに。
「阿呆が、あんた敵だろうが。元気に話す必要がどこにあるってんだ」
「誰が阿呆や、それとあんたやない新免柳や。新しく免じると書いて新免。そんでウチみたいにクールになびく柳。覚えやすいやろ? あ、柳でええで。んで、お兄さんは?」
懇切丁寧に自己紹介をされてしまっては、こちらも返すほかないだろう。
「源義之。呼び方は好きにしろ」
俺は心底面倒くさそうに、そう答えた。
「なんや、源氏もんかいな。ちゅーことはや、義之のお兄さんは源の前世持ちなんやな。ちょっとは隠しときや。やりあう予定なくても、まんま自分を不利に追い込む必要あらへんやろ」
「あんたもか、俺はたまたま苗字が源だったというだけだ。前世だ何だとは関係ない。それと、お兄さんを付けるのは止めろ」
何度目になるか分からない否定と、一連のドタバタにより刻まれた「兄」という単語への拒絶を言い渡す。
「よう分からんけど、“お兄さん”が嫌なら、旦那やな。義之の旦那。ええやん、響きが心地ええわ。そんで、どうやらウサギちゃんがハッキリ言っとらんみたいやから、言うたるわ。旦那、前世持ちやで」
「は?」
「えっ?」
俺とユエの足が止まる。そして、お互い驚いた表情で顔を見合わせる。
俺はどういう事かとジェスチャーでユエに伝えたが、ユエは首を振るばかりで本当に何も知らないようであった。
「なんや、ほんまに分からんかったんかい。あかんあかん、ウサギちゃん修行が足りひんわ。隠してないんやったら、見た瞬間に分からんと駄目やろ。まあ、実践不足なんは、こないだじゃれ合ったんで分かっとったけどなー。しかしまあ、ウサギちゃんとこの組織もええ加減な事しよるなー。必要な事の順序が滅茶苦茶や。戦い方教える前に、それを避けるすべを教えなあかんやろが」
溜息混じりに愚痴をこぼす柳。しかしながら、この女必要以上に大事な情報をボロボロと出してくる。
ここまでくるとわざとである可能性も視野に入れるべきだろう。気を引き締めておくべきかもしれん。
「ユエの組織か。柳とやら、あんたはそこからの依頼を受けたのか?」
「そうそう、ウサギちゃん狩ってこいってなー。羽振りがよかったんで引き受けたんやけど、失敗やな。ウサギちゃんは可愛ええし…」
不自然に言葉を区切ると、何故か足を止めずに俺の顔をちらりと見て、
「気にいった人間に恨まれてまうからなー。恨まれるんは上等やけど、それでも慣れる程人間やめたつもりやない。金に釣れるんはいつもの事やけど、今回は反省やな」
などと、やれやれといった様子でほざきおった。すでに勝ったつもりでいるらしい。侮りおってからに、寝首をかかれてしまえ。
「けどまあ、受けた以上はやらなあかんし、スッパっと決着つけよや。で、ウチの自己紹介はこんなんでええか? どうしてここにおるか、背景は分かったやろ? なんやったら、スリーサイズぐらいは答えるけど、どないする?」
「―――いや、結構だ。多大な協力感謝する」
「おー、律儀やな。気にせんでええで」
「皮肉だ阿呆」
「こっちもや」
こちらがコソコソと情報を集めようとしていた事は、織り込み済みだったようだ。動揺を誘うつもりで柳の口ぶりから察した事を口にしたのだが、逆にこちらが動揺されらる事になった。
(だが、どうにもわざと情報を漏らしていたようには思えない。…ああそうか)
動揺する事になったが、怪我の功名か俺は柳が余計な情報を口にする理由が分かった気がした。
恐らく柳は、何一つ気にしていないのだ。情報に無頓着なのではなく、隠す必要がないと判断しているのだろう。
柳の口ぶりからこちらを見下している訳ではない事は分かっている。つまり、圧倒的な自信からくるものなのである。知られようが関係ないと。
それが過信ならいいのだが、ユエの結界を一目で見破ったことやユエと戦いピンピンしている所を見ると、
「話は戻るが、俺に前世があるってのか確実なのか?」
「確実や。魂がずれとる、雰囲気に何かしら重なった気配が混じっとる、ついでにあの富士坊主見えとるんやろ? 二つも重なったら仮定、そこに確信がはいったんなら確定や。何者かまでは分からんけどなー」
恐らくは実力を伴っているだろうからこそ、始末に終えない可能性が高いのだ。
「富士坊主…あんた見えてるのか?」
「おう、もちのろんろんや。言うても、あんたらの動向を見といて感応してもうたんやけどな! いやー、焦ったわー。見つかるかと思たんやけど、なんや自分ら鈍すぎやろ。拍子抜けしたわ」
「黙れ出歯亀女。犯罪予備軍が地獄に落ちろ」
「辛辣すぎやろ!?」
俺に清美や萩のような前世があるという衝撃の事実が明かされた訳だが、今はそれどころではないだろう。あの場に柳はいたらしいが、誰一人気がつく事はなかった。
今までの言動、知識、などを鑑みてもどう考えても柳は実力者だろう。
「ユエ、勝てるのか?」
頭にわずかな不安がよぎり、ユエにそんな質問をしてしまう。
「…分からない」
「分からない、か。難儀だな」
「難儀なもんがあるかいな。強けりゃ勝つ、弱けりゃ負ける、それだけや。そんだけの事をなんで難しく考えんねん。しかしまあ、ウチは強いで?」
俺とユエの会話に勝手に入ってきて、爽やかな笑顔からのサムズアップをかます柳。
なんと明快で豪胆な人間だと思わず感心してしまう。しかし、他人の会話に勝手に入ってくるとは無礼者め恥を知れ。
「そうか、自信過剰で結構だ。そのまま、油断して討ち取られてしまうがいい」
「阿呆いうなや。強い言うたやろ? 油断程度でウチに勝てたら大したもんやで?」
「わざとかその雑魚台詞。まあいい、どうやら物知りのようだ。聞きたいことが山ほど――――」
「ストップストップ! 時間や時間」
柳に言葉を遮られ、何の事かと辺りを見回すと、
「外…か? いつのまに」
「楽しく喋ってると、時間なんてあっというまやろ? せやから、敵だのなんだのと、下らん区別なんてしたらあかん。どのみちやり合う運命なら、楽しくいこうや」
いつのまにか三の鳥居とよばれる大きな赤い鳥居の前に来ていたことに気がつく。
鶴岡八幡宮の入り口であるそこから、数歩前に出れば鶴岡八幡宮の外へ出ることになる。
つまりは、和やかな時間は終わりを告げるという事だ。
「人生なんて短いもんや。せやから、意思あっての暇以外なんて、まっぴらってもんやろ? 一秒先には死んでるかもしれんしな!」
カラカラと笑いながら洒落にならない事を口にするなこの女。
いや、洒落ではないのだろう。新免柳はそいう世界を言葉通りに生きてきたに違いない。それはどこか美しくも、寂しく仄暗い非情を伴った生き方に思えて仕方なかった。
生暖かい風が吹く。けれども夏の夜だというのに妙な寒気を感じた。
空気がひり付き、重たくなっていくのを感じる。
「ほんなら、改めてやろか」
柳がなんの躊躇もなく鳥居を潜り道路へと足を運ぶ。それを見て、ユエは俺の顔を見上げ穏やかに微笑んだかと思うと、
「行ってくね、お兄ちゃん」
ただ一言、そう残して柳の後を追うように鳥居から外へと出ていった。
(ああ、そうか)
なんとなく分かっていたが、蚊帳の外である。思えば柳は、「やろう」と口にする際ユエのみを見ていた。ユエにいたっては、俺がこの場に残る事すら拒んでいた。
ここから先に俺が出て行くのを望む者は誰もいないのだ。
「そりゃそうか、どうにもならんよな」
手を貸すと口にしたが、戦う術がない、守る術がない、完全に足手まといである。つまり、ここで見ている事が俺に許された全てなのだ。
ここにいていいから、邪魔するな。それが、彼女たちの言いたいことなのだろう。
「随分と硬いの組んだなー。ウサギちゃん大変やったろ? でもまあ、ええ結界や。途中で止めるなんざ頭に入れんでもよさよそうやな」
「うん、終わらせる」
「なんや、この間は押されとったのに、粋がええな。虚勢か自信か、試させてもらうとしよか」
「大丈夫、負けない」
「おう、なにせ一人じゃないからな」
つばぜり合いのように言葉を交わしていた二人が、鳥居を悠然とくぐった突然俺のほうを向く。
「なん…で」
「痴呆の爺かお前は。手を貸すと言っただろうに」
俺はユエの隣に立つと、しっかりと柳を見据えて、
「二対一だが悪く思うな」
腕を組み、しっかりと宣戦布告を行ったのだ。
先に言っておくが、俺がこの二人と同じだけの技量がない事は百も承知である。
さらに言えば、空気の読めていない行いである事も分かっている。
だがしかし、
「覚えておけ、俺は蚊帳の外という言葉が大嫌いなんだ」
それらをあざ笑い、俺は戦場に立とう。
意地であるか、か細く俺を兄とのたまう友人のためか、何一つ分からないままに。
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