4.明弥夜月(あけびよのつき)
空を見上げると、月は三日月というよりは半月に近い形をしていた。一日でこうも変わるのか、などと思いながら俺は、昨日と同じ場所に自転車を止め、鶴岡八幡宮へと入っていった。
夕食のバーベキューを楽しんだ後、家の事は九音にまかせ、俺は一人黒髪の少女、ユエへと会いにやってきたのである。
携帯で時刻を確認すると、二十二時近くになっていた。出掛けに清美に見つかり、無駄な押し問答したのが原因だ。
九音がやってきて、おもむろに清美を抱きしめ、清美が腑抜けになった所で、膝枕にて轟沈させなければ、俺と一緒に行くと言って聞かなかっただろう。それにしても、あのおっとりとした母性はもはや凶器である。
「しっかし、来てはみたものの、本当にいるのか? といっても、他に当てはない。それに昨日の話を聞く限り、あの大男を放ってどこかへ行くとは考えづらい…。考えるのも面倒だ、確認を急ごう」
九音に渡された大きな紙袋を見ながらぼやく。紙袋の中にはユエ用の服が入っているらしい。
「子供用の服はそれしかありませんでしたが、よろしければ渡してあげてください」
と、玄関先で渡されたのだ。つくづく用意のいい事である。
「今日も柵がない…って事はどこかにいるな」
昨日と同じルートで鶴岡八幡宮の広場へ向かうと、あるべきはずの物は相変わらずそこになかった。虫の声も聞こえない、ユエが結界を張りなおしたのだろう。
「しかし、相変わらずでかいな…」
広場に入り空を見上げると、件の大男が昨日と変わらぬ様子で……。
「まてよ、大きくなってないか? それに、服が変わっているのか?」
俺の気のせいかもしれないが、大男が昨日よりも一回り大きくなっている気がするのだ。そして服装のほうは間違いなく、昨日のボロ着物ではなくしっかりとした、美しい着物に変わっていた。
「富士坊主…成長すると書いてあったが、いよいよ当たりのようだな」
「そう、困ったもの」
「!?」
背後から気配もなく声が聞こえたため、俺はとっさに身を翻しステップのように仰け反った。
「あんたか…驚かさないでくれ」
「やほ」
挨拶であろうか、小さく呟き手を上げて俺に挨拶をすると、ユエは大男こと富士坊主を見上げ溜息をついた。
「どんどん大きくなる。対処法がない。困ってる」
「あんたが分からないんじゃ、こっちもお手上げだ」
「何しにきたの?」
「ああ、萩から色々聞いたんだが、どうも頼りにならなくてな。色々情報をもらいに来た」
「あの子…素人を巻き込んで…」
頭を抱えユエは大きく溜息を吐いた。これまでも困らされて来たのだろう、長年の哀愁が見て取れた。
気を取り直したユエに導かれ、俺は昨日九音と出会った広場の右側にある池のほうへと向かった。
「ここに新しい結界あるから、壊さないで」
池の端を指差し、俺に念を押してくる。じゃあ、案内するなと言いたかった。
その後、俺は今日萩から聞いた事、俺と清美と九音の簡単な紹介、それに清美のレッドスネークの件をユエに話し、詳しい説明を求めた。
「そう、残念。知ってしまったなら、仕方ないから話す。中途半端に放置するのが一番危険だから」
ユエは表情に乏しい顔を僅かに翳らせると、そう呟き俺に萩の話の補足をしてくれるようであった。
「確定前世は概ね合ってる。推定の方は、適当すぎ」
「ああ、なんだ名称はそのままなのか…いやすまん、話を進めてくれ」
「推定前世。それは魂が惹かれ合う事。寄せ合い引き合う事で、自らの中に新しい領域を生み出し、それを糧として特異を生み出す」
「まったく分からん。噛み砕いてくれ」
「相性の合う、その辺の魂から力を借りて、すごい事をする」
「非常に分かりやすい。見事だ」
「それと――――」
ユエは自分の手から黒色のブレスレットを取り外すと、
「これみたいに、力を封じ込めることが出来る」
「それは?」
「『地獄蝶弔』。もう出自も分からないほど、昔のもの。誰かと誰かを継ぎ合わせた、つぎはぎの前世。無であり有である、成れの果て」
「噛み砕いて」
「昔過ぎて、誰の推定前世か分からない。しかも色々な前世から出来ている。中身の内容が…あっ」
「どうした?」
「中身の内容がわからないよー…なーんちゃ―――」
「話の腰を折るな」
言葉の途中だったが、割って入ってしまう。どうやらここ数日の清美との生活のせいで、突っ込み癖がついているようであった。
「遮られた、ショック…酷い…人…あっ、名前聞いてない」
「すまん、忘れていた。源義之だ、合縁奇縁ではあるが、よろしく頼む」
「源義之…源。犯人みっけ」
「違う、断じて違う! 濡れ衣だ! 今回の件に俺は関与していないし、牛若でもない!」
ユエの奴、思ったとおり名前を聞いた瞬間、俺に指をさして疑いを向けてきやがった。俺は自分のみの潔白を弁明したが、ユエはジト目で俺を訝しげに見つめていた。
「…そう、どうせ数日中には分かるから。今はいい」
「数日中…何かあるって事か?」
「富士坊主、私が聞いていたのより成長が早い。何を取り込んだか分からないけど、その内正体の手がかりが分かるはず」
「その時こそ俺に身の潔白が証明されるという事か」
「源系ならアウト。それ以外なら、もう一人の清美って子が怪しくなる」
そういえば流れで忘れかけていたが、清美の奴は前世だかなんだか持ちだってのが確定した訳か。女好きの事といい難儀なやつだ。心配事が絶えんとは厄介この上ない。
「長い間、奇々怪々に関ってきたけど、ここまで判然としないのは初めて。新鮮かも」
「長い間か…そういや、萩の奴が姿が変わっていないとか言ってたな。無礼を承知で聞くが、あんた年齢は?」
「三十八」
「そうか…ちょっと待て! 嘘だろっ!?」
見た目小学生だというのに、そんな事ありえるのだろうか。まさか、萩の奴も同じように、年齢が俺よりも高いのではなかろうか。混乱し、静かに思考の海へと潜っていく俺に、
「うん、ウソぷー」
「ははは、ぶん殴りてぇ」
ユエは無表情のまま、そう告げた。この女、九音以上に掴みどころがない。
「ごめんなさい、本当は分からないの。萩は、今年で十六になるのは分かっているけど、私は…
衝撃の事実が発覚した。なんと、萩と俺は同い年であったようだ。だが、それ以上に、
「明弥夜月…あんたユエって名前じゃないのか? それと…今の話踏み入ってもいいのか?」
「本当は駄目。でも、聞いてもらいたい。不思議、やっぱり何か、あなたに力あるのかも」
そう言って、ユエは困った顔で微笑んだ。あまり立ち入るべき事ではないのだろう。しかし、聞いてもらいたいと言うのであれば聞くべきだ。断じて同情からではない。知的好奇心を満たすためである。
「昔から人間が考える事は変わらない。嘗ては錬金術と呼ばれていた物も、今では科学で再現が可能。特異な事例もまた然り。人間は体外で子を生み出す術を見出した。それが私たちの居た組織の成り立ち」
静かに語られる言葉は、不思議と悲観に満ちておらず、郷愁を思わせるような静かな深みある響きであった。
「前世を操作する。世界への冒涜こそが、彼らの教義だった。理屈は簡単、物に魂を込める事ができるなら、人間にも可能。初めに私が作られた。外で生み出せるなら、改良も出来る。いじっていじって…」
ユエは手をクルクルと回し、キッと真面目な顔で俺の瞳を見つめると、
「そうして私の出来上がり。ちゃんちゃん」
「軽いな、おい!」
話すのに飽きたのか、回していた手をパァーっと天に向けると、ヒラヒラと揺らしながら下げていき、終わりを告げた。
「暗いのは嫌い。これぐらいで十分。大体分かった?」
「まあ、な。それで、追っ手は大丈夫なのか?」
無表情だったユエの顔に、驚愕の色が浮かんだ。どうやら気取られていないつもりだったらしい。迂闊なやつだ。
「どうして…?」
「萩の奴が昨日あんたを見つけたって言ったからな。噂はその前からある。なら、噂と昨日の件は別物だ。それと冷静に考えりゃ、兎と人間とを間違えんだろ。大方、お前の特異か、追っ手だかの特異のどちらかが、それに近しいものだったんだろうよ」
「…うん。大当たり」
「追っ手だって言ったのは、あんたが萩を助けるために、組織とやらを潰してるからだ。正確には拠点をか。萩が人形だと言った以上、それを操る者がいるはずだからな。なるほど、そう考えると完全に潰す途中で見つかったと考えるべきか。ご苦労なことだ。俺にはそうまでして他人を助ける精神が分からんよ」
そう言い捨てた俺にユエは、頬を赤らめ嬉しそうに微笑んだ。九音といいユエといい、人を見透かした態度を取るのはやめてほしいものだ。
「嘘つき。あなたは昨日金色髪の子を助けようとした」
「…それで言ったら、あんたが助けたようなもんだろ。常識的に考えて、虫除け装置でオカルトを避けれる訳がねえ。あんたが、やってくれたんだろ? 尻拭いをしたって言った方が自然かもしれないがな」
「半分正解、半分間違。虫除け装置は実際に効いてた」
「嘘だろ!?」
馬鹿な、あの後冷静になって考えた結果が間違いだったとは。だから、オカルトは嫌いなのだ。常識と理論が通じないものほど、厄介な物はない。
「私もびっくり。まさかの弱点。でも、後はあなたの言ったとおり。普通の人を傷つけるのはご法度」
「そうかい。ここまで聞いたんで後二つ質問いいか?」
「ばっちこい」
何故そこで自分の胸を叩いてまで、やる気を発揮するだろうか。この女、まったく読めん。
「一つ目、なんでユエなんだ? あんた明弥夜月ってのが名前なんだろ?」
「昔、萩が私の前で『月が綺麗っすよ』、と口にした。それが恥ずかしかったみたい。それから、私の名前を中国読みで呼ぶようになった。月だがらユエ。それだけ」
「くっだんねぇ!」
思った以上にどうでもいい話であった。だが、これはもう一つの質問の前哨なのである。俺自身、どうしてその問いを投げかけるのか分からない。だが、頭に浮かんだ以上口にすべきなのだろう。
「二つ目、あんた俺ん家こないか?」
「…ありがとう」
ユエから俺に向けられた笑顔は、昨日の去り際に見せたもので、
「嬉しい。だから行けない。私は死体葛篭だから」
ユエの口から断られる事は、すでに分かっていた。それにしても、死体葛篭という言葉、どこかで聞いた覚えがある。
「死体葛篭…あの本の…!」
『死体葛篭、死体に宿り持ち主の記憶を受け継ぎ本人に成りすまし生活する』、あの本が真実を語っているというならば。
「いつなったかも分からない。一ヶ月前、私は死体葛篭と対峙した。隙を突かれ、肉体を乗っ取られるはずだった。けど、死体葛篭は私の前で砂になった」
空を見上げ、その日に思いを寄せるように、ユエは語る。
「死体葛篭は私には入れなかった。それは、すでに入っているものがある事を意味する。私はとっくに死体葛篭だった。人間でなかった」
それが、ユエが家に来れない理由か。俺は、鼻で笑ってしまった。
「馬鹿め、うちには奇妙な生物が三人もいるのを知らないのか? 一人にいたっては、女性に害をなす淫獣だぞ。人間じゃないなんざ、気にするだけ損するってなもんだ。まともに話が通じりゃ、人でいいんだよ。面倒な奴め」
「慰め方が下手…不器用な人」
「うるさい、余計な事を口にするな」
ユエがクスクスと笑う。俺も釣られて笑ってしまう。夜が深まる中、虫の声一つ聞こえない場所で、俺達の声だけが響いていた。
「死体葛篭は、死後に中から何かが出てくる」
笑いが収まったのか、ユエは落ち着き払って、そう言った。
「何かって、なんだ?」
「分からない、規則性もなく、理由も要らず、何かが生まれる。化け物であり、災害であり、あるいは人間かもしれない。だから、あなたの元へはいけない。早々死ぬ気はないけれど、何が起こるかわからない。可能性は寸分もあるなら、避けるべき」
「ふん、何から何まで人の心配か。気に喰わんな。人間なんざ自分の為に生きてなんぼだろうに」
「うん、だから私は私のしたいように生きる。たった一人の家族だから、萩に幸せになってほしい。この先は分からない。でもきっと、今はそのためにあなたが必要だから。だから、私はあなたも萩も遠ざける。あなた達の家には行けない」
困ったような、不思議と温かい笑顔をユエは浮かべる。萩がユエの事を唯一の家族だと言っていたが、ユエも気持ちは一緒のようだ。いや、萩がユエを思う以上に、ユエは萩の事を考え思っているのかもしれない。
きっと萩を助けた後に、行動を共にしようとせず逃げ出したのも、その辺りが原因なのだろう。
「…不器用な奴め」
「あなたに言われたくない」
もう何を言っても無駄なようだ。頑固者め、一度決めたら梃子でも動きそうにない。だが、困った事に、俺は口でなんと言おうと、こういう人間が好きなのである。
「何か必要なものはないか?」
余計なお世話と知っていながらも、ついついお節介を焼いてしまう。
「…ある」
気まずそうに、ユエは呟いた。俺はてっきり断られるものを思っていたので、その答えに驚いてしまう。
「今日、昼間に結界を作ってたら、失敗して姿を晒してしまった。警察を呼ばれそうになったから、服が欲しい」
「その服じゃそうなるな」
ユエの服装…と呼んでいいのだろうか。レオタードのような奇妙な格好は昨日のままであったのだ。
「そうだ、服といえば」
俺は、自分が持っている袋の事をすっかり忘れていた。今こそ九音から託された物を、ユエに受け渡す時ではないか。
「この中に、お前用の服が入っているらしい。丁度いいから、着替えて来い。そしたら、明日堂々と服を買いにいけばいい」
「…いいの?」
「おう」
小首をかしげて俺の様子を伺うユエに気持ちよく返事をする。ユエは、無表情であったが、俺から袋を受け取ると、足取り軽く池の方へと走っていった。きっと嬉しいのだろう。
見ていて心が和む光景であった。だが、しばらくすると、そんな俺の安らぎをぶち壊すように、珍奇なものが俺の視界に入ってきた。
「…おい、なんだそれ」
「分からない。ぬくい」
「それが入っていたのか? あの袋に」
「うん、ハイセンス」
俺は頭を抱えていた。九音が用意した服というのが、予想を超えて変なものであったからだ。
「明日は買い物。楽しみ」
「それで買い物に行くのか!?」
俺は自分の軽率な発言を後悔した。しかし、一度言った以上男に二言はないのである。
つまり、九音の贈り物により珍妙な生物と化したユエと、連れ立って買い物に行かなければならないのだ。
「まじかよ…」
俺の呟きは、雲一つない夜空に吸い込まれ消えていった。
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