3.集合、源一家(仮)

 夢を見ていた。夢の中では古びた神社の縁側で、煎餅をボリボリと暢気に食べている巫女服の女が、月を見上げていた。

 今まで見た誰よりも煎餅を旨そうに食う女は、きっと満たされた幸せな人生を歩んでいるのだと、容易に俺に想像させた。

 そんな女を、微動だにせずに俺は見つめていた。目を離せないのではない、単純に動けないのである。


(何だこの夢。誰だあの幸せそうな女は?)


 ふと、月から目をそらした女と目が合った。女は嬉しそうに煎餅が入れてある皿を持ち上げ、俺の方まで歩いてくると、


『のうのう! 我じゃ我! 煎餅食うかの? 茶ぁ飲むかの? 童、童、仏頂面を崩すが良い』


 頭の悪そうな台詞を口にしながら、興奮気味に俺頬に煎餅を押し付けてきた。なんだこのうっとおしい生物は。せめて煎餅は口に押し付けろ、頬がべた付いて気持ち悪い。

 だが、口も利けなければ文句の言いようが無いのだ。


『口は動かぬかえ? よかろう、よかろう。また来ればよい。我はいつでも、ここにおる』


 女は煎餅を引き下げると、うやうやしく俺の頬を撫でた。目を細めて微笑む女を俺はどこかで見た気がした。

 緑がかった銀色の髪。精霊や神などという比喩が似合いそうな雰囲気。白い肌に、上気した頬。俺よりも十cmほど背は低が、大人びた女だった。こんな出来すぎた、美しい人形のような女を俺はどこで見たというのだろうか?

 その答えを得ないまま、俺は意識をまどろませ、


「暑い…」


 ベッドの上で目を覚ましたのだった。クーラーをつけながら寝たというのに、妙に寝汗をかいての起床であった。縁側へと続く障子を透かして入る光が、生暖かい夏の朝を告げている。


「今何時だ…時計は―――あん? なんだこれ?」


 部屋にかけてある時計を見ようとして、自分の上に何か赤い布のようなものと、異様な重みを感じた。何かに圧し掛かられている。俺は即座に判断すると、顔に覆いかぶさりそうな赤い布を調べ始めた。


「…手触りは布だな。んで折り目がついている。ついでに俺の顔の横には足が二本。そして、この膨らみは尻。袴だなこれ」


 つまり、俺の上には俺と逆方向に寝ている何かがいるという事だ。俺は昨日の事を思い出し、連れ帰ってきた銀髪の少女ではないかと考えたが、


「尻に穴が開いてねえ。つまりは別人だ。もう面倒だしそれでいいだろ」


 わずかに、何かの理由があって銀髪の少女が袴を履き替えたのではと考えたが、それにしては何故ベッドの隣に敷いてやった布団ではなく、俺の上で寝ているのか分からない。

 正直に言うと、何か理由があったとして考えるのが面倒であった。ついでに、夢の中で巫女服の女に好き勝手やられたので、巫女服に対する印象がよくなかったのだ。


「よし、しめるか」


 俺は器用に圧し掛かっている巫女服を着た何かを起こさぬように抜け出すと、立ち上がり、


「さて、それじゃあいくぜ。喰らえ、今必殺の八つ当たり逆えび固め」

「いだだだだっ!? なんすかなんすか!? 体がっ! 体が曲がるっす!? 万力!? 万力に挟まれてるんすか!?」


 綺麗にプロレス技を決めて見せたのだ。背後で間抜けな悲鳴が聞こえてくる。その声はどこかで聞いたことがあるもので、後ろに目をやれば銀髪がベッドの上で舞っていた。ようするに、昨日連れ帰った銀髪の少女に、俺は逆えびを固めをかけた事になる。


「ふむ、人間誰しも間違えはあるもんだ」

「何でもいいから助けてくださいっすーー!!」


 数分後、一悶着を納め俺と銀髪の少女は隣の居間に移動した。


「ひ、酷い目にあったっす…。もう! 何でいきなりあんな事したんすか!」

「すまんな、不審者かと思ったんだ」

「むぅ…それじゃあ、仕方ないっすね」


 怒りを静めて、あっさり信じやがったこの少女。世間慣れしていないというか、純粋というか、からかいたくなるタイプだ。非常に面白い。


「おはよ~。義之、起きてる…わお、昨日の子も居るじゃない。よく眠れたかしら?」


 少女をからかってやろうかと思案していると、寝ぼけ眼の清美が居間へと入ってきた。目ざとく少女を見つけると、蛇のようにスルスルと少女へと這い寄っていく。


「ひぃ! や、やめるっす! じ、自分は美味しくないっすよ…!」

「あらやだ、すっかり怯えられているわ。傷つくけど、なんだか興奮する複雑な乙女心ね。うふふ」

「乙女を愚弄するな。お前のそれは、性的な加虐嗜好。つまり変態故にだ」

「ううっ…ベッドの上では痛い事されるし、変なお姉さんは怖いし、昨日から散々っす…」

「え? 何? 義之やったの? 貫通させたちゃったの?」

「黙れ、そんな訳があるか。さっさと朝食の用意でも始めろゲス女」


 清美はどうやら最初から、俺が手を出していないという事を分かっていたらしく、それ以上の追求はせずに、あっさりと台所へ向かっていった。おのれ、清美のくせに俺をからかうとは生意気な話である。

 しばらくすると、台所から味噌汁の匂いが漂ってきた。隣に居る少女がその匂いを嗅ぎ、異様なまでに鼻息荒くテンションを上げているのが目に付く。自分の状況もつかめていない筈なのに、元気そうで何よりである。

 時刻は午前十時を過ぎていたので、清美は昼を遅らせるつもりで、いつもよりも、しっかりとした朝食を作ってくれた。

 卵焼きに鮭の切り身、ソーセージに漬物と味噌汁、白米にその他作り置きの物などをちゃぶ台の上に並べて、三人そろって遅めの朝食をとり始めた。


「おいしいっす! たまらないっすー!」


 口いっぱいにご飯をかき込み、一心不乱に少女は用意された朝食平らげていく。どこの欠食児童だ。だが、非常に見ていて気持ちのいい食べっぷりである。


「おなか空いてたのね。はい、私のソーセージも食べていいわよ。うふふ」

「いいんすか!? わ~、嬉しいっす! お姉さんいい人だったんすね!」

「ええ、そうよ。たまーに持病の発作で女の子をギュってしなくちゃいけなくなるの。その時はよろしくね。はい、お近づきの印に卵焼きもあげるわ」

「うわーい! いいっすよ! 病気ならしょうがないっす! どーんと自分に任せてくださいっす!」

「あら素敵。頼もしいわね。うへへ」


 すげえ、目の前で少女が毒牙にかけられる様を見てしまった。上京してきたばかり少女を狙う人間のクズのごとく、清美は少女に取り入ったのだ。恐るべしである。

 餌付けされ騙される少女もどうかと思うが、総じて騙すほうが悪いに決まっている。俺が用心してやらねば、と気合を入れた。後で、尻を叩くための素振りでもしておこう。


「天国っす~。こんなに涼し居場所で、美味しいものを食べさてくれて、プリンまでもらえるなんて。自分は幸せ者っすよ~」


 食後にプリンを貰い、満面の笑みで少女は我が家を満喫していた。ここまで幸せそうにされると、見ているこっちまで和んでくるから不思議である。清美は鼻息荒く興奮しているようだが。


「ありがとうっす! えーっと…」


 少女が言葉に詰まった事により、自己紹介をしていなかった事に俺は気がついた。


「すっかり忘れていたな。俺は源義之、この家の家主だ。それでこっちは…」


 自分の自己紹介がされると思いきや、清美は胸を張りフンと気取ったポーズを取って見せた。妙に似合っているのが鼻につく。なので、


「こっちは竜胆清美だ。特技はイナゴの佃煮の産地を特定する事、趣味はヨークシャー・テリアの尻穴を嗅ぐという、ファンキー&クレイジーな女だが仲良くしてやってくれ」

「えっ、なんすかそれ気持ち悪っ」

「ちょっと! 何してくれてんのよ義之!」


 その無駄に決まった格好を台無しにしてやろう。清美が掴みかかろうとしてきたが、さらりとかわすと、勢いあまって頭から障子に突っ込んでいった。せっかく人が、本来の趣味と趣向を隠してやろうとしたのに、襲い掛かるとは恩知らずな奴め。

 清美はすぐさま立ち上がると、


「違うからね! もう全然違うから! そんな趣味ないから!」


 必死に俺の紹介を否定する。俺はゲスである事を自白するよりましだと思うのだが…人それぞれだ、好きにするがいいさ。


「でも、お兄さんが…」

「ジョークよ、ジョーク。その男はひょうきん族の末裔なのよ。一日一回面白おかしい事を言うか、何かの企画を考えないといけない強迫観念に支配されているの」

「おおぅ、そうだったんすか。今やこの国もグローバルっすからね。そんな民族もいるもんなんすね」

「どこのバラエティ番組だ。適当ぬかすな、ひょうきん女。それと信じるな単細胞娘」


 なぜ生まれる前の番組を知っているのだろうか。まあ俺も知っている時点であれなのだが。清美は仕切りなおしとばかりにポーズを取ると、


「私は竜胆清美。華の十七歳AB型。好きなものは初々しいお花。趣味はそのお花を育てること。蕾が花咲く瞬間を愛す、清楚なお嬢さんよ」


 またなんとも言いがたい自己紹介をするのであった。なるほど、清美の奴が妙に自分に関わりのある女子を花の名前で呼ぶのは、こう言う時のためなのか。

 清美を知るものからすれば、嘘でない事は分かるし、知らない人間にはガーデニングマニアだと思わせる事が出来る。見事だ、ゲス関係の事に関しては、よく頭が回るらしい。


「素敵っす! 自分もお花好きっすよ! タンポポの綿毛を飛ばすの楽しいっすよね!」


 そしてまた、この少女は信じてしまうわけだ。それにしても、言う事がなんというか幼いというべきか。この少女はいったい何歳なのだろうか。

 危うく別の事に気を取られそうになるが、俺はやるべき事を見失うわけにはいかなかった。


「さて、食事も終えて一息ついた所だ。話を始めようか」

「そうね、せっかく可愛いお客さんがいるんだし、晩御飯は庭でまたバーベキューでもしましょうか」

「ほ、本当っすか!? 自分、バーベキュー初めてっす!」

「阿呆共が。誰が夕飯の話をすると言った。昨日の話だ」


 和やかな空気に流されそうになるが、本題を誤魔化しておく訳にはいかないのだ。

 俺の言葉を聞き清美も気になっていたのか、しっかりと居直り聞く体勢になった。

 しかし、肝心の少女はというと、


「その…話すのはいいんすけど。バーベキューは…その…自分、バーベキューが…」

「分かった! やるよ! 家主権限で今夜はバーベキューだ! だから、話を進めてくれ!」


 わーい、と少女は喜びの声を上げ、その行動を恥ずかしく思ったのか、誤魔化すためにコホンと似合わない咳払いをし、話を始めた。


「本来はあまり一般の方々には、昨日のようなオカルトな事に関する話はしてはいけないと、言われてたんすけど…もう怒る人もいないっすから、話してしまうっす」

「そうかい。あんたがいいってんなら、話してもらおうか」

「はーい、質問なのだけど、怒る人もいないって、なにかあったのかしら?」


 清美のやつ、流して話を進めようとしたのに余計なことをしてくれる。絶対長くなりそうな話に首を突っ込もうとするとは。まあ、俺も気になっていたし、丁度よかったのだがな。


「一月ほど前に、自分の所属する組織が壊滅したんす。みんなやられてしまって、もう誰も自分を叱ってくれる人はいないんすよ」

「そうか、そいつはご愁傷様。で、昨日の話しだが」

「聞いてくださいっす! 大変だったんすよこの一ヶ月間! 深いお山の中で、お金もなく下界に下りて、頑張ってユエの後を追ったんすから! それでようやく昨日ユエを見つけたんすよ! ろくに物も食べれず、ひもじかったんすから!」


 重い話になりそうだったから、回避しようとしたが駄目だったようだ。わーわー言いながら手をバタバタと動かして、捲くし立てる少女の様子から、聞くまで話は進めてくれなさそうであった。仕方ない、適当に付き合うことにしよう。


「それにしても、ユエという単語、どこかで聞いたような」

「昨日の黒髪幼女ちゃんの事よ。銀髪ちゃんが、私に捕まりながら呼んでたわ。私は一度聞いた女の子の名前を忘れないのよ。うふふ」


 流石のスキルである。さて、そうなると昨日の戦闘に関しても納得がいくものだ。黒髪の少女が組織を壊滅させ、敵を取る為に銀髪の少女がそれを追い、鶴岡八幡宮で戦闘になったといった所であろう。


(にしては、なんだろうか黒髪の方には敵意がなかった気が…。まだ何かありそうだな)

「そのユエちゃんとは仲良かったのかしら?」

「…はいっす。ユエは物心付いた頃から自分のそばに居てくれたっす。組織の中で唯一の家族で…勿論組織の人達は優しかったっすよ。特にユエが組織を壊滅させる二週間前ぐらい前からは、すごく待遇がよくて」

「…その話、詳しくしてもらえるか?」

「ん? 詳しくといっても、突然なんだか豪華な社の中で暫く過ごすように言われたんすよ。食事も豪華でしたし、服も何だか素敵な白袴を着せてもらってたっす。外には出ちゃ駄目って言われてて、一日に三回、禊だかで大幣を振ったり、水垢離したりが面倒くさかったっすけど、まったり出来て、自分は気に入ってたっす」

「聞きたいんだが、その社の中に祭壇やら、床に妙な図とか書かれてなかったか?」

「書かれてたっす! どうして分かるんすか!?」


 俺と清美はお互い顔を合わせてどうしたものかと、眉をひそめた。


(お前生贄にされる所だったんじゃね?)


 と、言いたくて仕方なかった。だが言えない。何故なら、目の前の犠牲者が、自分に降りかかった不幸を理解していないからだ。ついでに、まだ生贄が確定した訳でもなしに口にするのはどうかと思う次第である。


「それで、あの日突然空が揺れて、社が壊されたっす。何だかその日は眠たくて、自分はぼーっとしてたんすけど、気が付いたら目の前にユエがいたっす。急に抱きついてくるし、ボロボロだし、どうしたのかって聞いたら驚いた顔をして、どっかへ行ってしまったんす。それで自分は、外で倒れていた人たちを埋めて、ユエを追ってここまできたんすよ」

(って事は、黒髪のはこいつを助けるために組織を壊滅さたって事か。しかも聞く限り間一髪だな)


 それにしても、


「…報われないわ」

「…ああ、やるせえねえ」


 あの黒髪の少女は命がけで頑張ったというのに、当の本人はまったく状況を理解せず、あまつさえ敵として襲われる始末。哀れにもほどがある。

 だが、それについてなにか言及しようにも、


「ユエは昔から何考えてるか分からないんすよ! 外に居た人たちだって、人形だったとはいえ、切り倒すなんて酷いっす! 大体、昔から姿形が変わってないのも変っす! 表情も分かりづらいし、まったく困ったもんすよ!」


 ごらんの様子である。やりづらい、非常にやりづらい。困ったちゃんはお前だ馬鹿野郎と言いたいが、本人は自覚してない上に、黒髪の少女が誤解を解いていないと言うことは、余計な事をすべきではないのだろう。歯痒くて仕方ない。


「大変だったな、心中察するぜ。それで、悪いんだが、昨日の事やらお前らの事を教えてくれないか?」


 思案の末、俺は全てをスルーする事にした。面倒事は御免だ。特に感情や思いといったものが軸にある事柄には、最近腹を刺された事もあり関わりたくないのだ。


「了解っす! 昨日起こった事。特にあの大男に関してなんすけど―――」

「ああ、あれがどうしたんだ?」

「実を言うと、さっぱり分かんないっす!」

「ほう、なるほど」


 俺は無表情でそう呟くと、


「よし、行け野豚よ。ちょっと口を割らしてこい」

「ブヒー!」


 清美をけしかける事にした。ちょっとした軽口のつもりだったのだが、豚の振りを率先して行うとは見事な芸人魂である。野生を解き放った清美は、一目散に少女へと向かっていき、背後から絡みつくように抱きついた。


「ひぃぃ!? やめっ! やめるっす! 襦袢に手を入れないでくださいっす! 自分は嘘なんて吐いてないっす!!」

「うへへ、ごめんなさい。私はあの男に逆らえないの。何故なら逆らえば、出荷されて明日の朝にはローストポークにされてしまうからよ」

「酷いっす! 義之さんは鬼っす! ちょっ! 清美さんサラシをずらしちゃ駄目っす!」

「戻れゲス豚。大義名分を与えたからって、調子乗りすぎだ」


 意外な事に、俺が帰れと命じると素直に清美は言う事を聞いた。何か企んでいるのではないかと思ったが、清美の瞳が揺れるように輝くのを見て、この少女の話が気になっているのだと気がつく。

 ならば、話を先に進めてしまおう。


「さて、本当に嘘を吐いていないのであればだが、あんたは役立たず確定になるが、相違ないんだな?」

「ひ、ひどいっすよ! 自分は確かに知識はないっすけど! 役立たずじゃないっす! 確定前世なんすよ! 裡羽栄萩嚢うちばざかえの はぎのうなんすよ! 自分はやれる女っす!」

「あん? なんだ確定前世って?」


 耳慣れない単語を聞き、俺は好奇心を揺さぶられた。ならば聞かざるを得まい。俺が好奇心を揺さぶられるという事は、絶対に面白いことに違いないのだ。


「文字通りっす。自分は前世がなんだか分かってるって事っすよ」

「よし、さっぱり分からん。一から説明してくれ」

「うう…一からっすか? 自分もあんまり詳しくないんすけど…あっ! やめるっす! 清美さんはもう勘弁っす! 説明するんで許してくださいっす!」

「うふふ、残念」


 俺が清美にゴーサインを出そうと手を上げた所で、流石に学習したのか、少女はうろたえ素直に話す気になったようだ。俺は手を下ろすと、体を前のめりにし話を聞く体勢をとった。清美もさり気なく少女へ擦り寄ると、悪戯せずに話を聞こうとしているようであった。


「その、あくまで自分が知ってる範囲の事っすよ? えっとっすね、今自分達が居るのが現世なんすよ。すると、普通の人が地獄だの天国だのと呼ぶ、死後の世界があるっすよね。それを自分達みたいな、特殊な力を持つものは他獄と呼んでいるんす」

「なんだなんだ。面白そうな話じゃないか」


 俄然興味が沸いて来た。まるで、ファンタジーの話ではないか。非常に面白い。


「他獄は四層に分かれていると言われているっす。第一層が『切望の地獄』、第二層が『遠来の丘』、第三層が『無量の泉』、そして最終層が『自失の海』、っす。これらは人間の死後、魂をろ過する装置であると言われているそうで、上から順に『肉体』『願い』『記憶』『世界』を失っていき、最後には全ての魂持つモノは最終層である自失の海で小さな骨になり、転生を待つと言われているんす」


 興味深い話だ。地獄は階層事に分かれていると聞くが、天国やらの死後の世界全てを一緒くたにするという話は、この日本ではあまり伝え聞かないものである。


「ところが、まれに最後の自失の海まで直通で来てしまう者がいるそうなんす。それらは、主に世界的に名の知れる事になる人物であったり、名の知れた伝承にある魂だけが一人歩きした事象だったりと、兎も角強靭な魂を持つ者が、そのまま骨にならずに海を渡り、この世に出てきてしまうっす。そして、その魂が定着した肉体が確定前世と呼ばれるっす」

「噛み砕くと、生まれ変わりって事でいいのか?」

「多分合ってるっす。なんでも、記憶は最初無くて、後々思い出すんで二回分人生を背負う事になるとか、ユエが言ってたっす」

「あんた自分が確定前世とか行ってたが、まだ記憶ないだろ?」

「な、なんで分かるっすか!? さては、義之さんはエスパーっすね!」


 見れば分かると言ってやりたい。それにしても、真実かどうかは定かではないが、奇妙な話もあったものである。前世が決まっているか、冗談ではないな。他人に生き方をどうこうされるのもまっぴらだが、それが自分の内に原因があるとしたら、救われたもんじゃねえ。


「それで、わざわざ『確定』、なんて言葉を付けてるって事は、他にも何かあるんだろう?」

「やっぱり、義之さんはエスパーっすね!? すごいっす、お山から下りてきて一番の驚きっす!」

「馬鹿ぬかすな、少し考えりゃ分かるだろうよ。で? 他には何があるんだ?」

「はいっす。もう一つ、推定前世があるっす」

「うふふ、なんだか順当な流れのネーミングね」


 俺も清美の言葉に同意した。なんというか、まんまなのだネーミングセンスが。


「自分が付けた訳じゃないっすよ! それで、推定前世っすけど、何というか似ている人が力を持つらしいっす」

「説明が雑すぎる。意味がまったく伝わらん」

「えーっと、確か…血の繋がりや…あと、生き様とか…それと名前とが似ていると、定着せずに彷徨っていた魂が寄せられて、いつの間にか生まれ変わりでもないのに、力を持つようになる…はずっす、多分。あと、封じ込めたりとか出来る…とユエに聞いた事があるっす」


 しどろもどろ過ぎるだろ。俺は確信した、この少女の言葉は鵜呑みにしてはいけないと。恐らく、確定前世だかにも別の呼称があるに違いない。落胆と共に、溜息が漏れた。


「なんすかその顔は! 確かに自分はきちんと説明できなかったっすけど、嘘はついてないっす! 自分が裡羽栄萩嚢なのも事実っす!」

「分かった、分かった。そういや、聞きそびれてたが、あんた名前は?」

「ああ! しまったっす…無礼な真似をしてしまったっす。自分は裡羽栄萩うちばざかえ はぎと言う若輩者っす」


 萩と名乗った少女は、居住いを直すと丁寧に畳に手をつき、俺達に座礼した。その所作のなんと美しい事か。どこぞの土下座が特技の女にも見習ってほしいほどであった。


「裡羽栄ね、あんたの名前は世襲制なんだな」

「そうみたいっすね。自分もよく聞かされてなかったんすけど、お前は裡羽栄萩嚢になるんだと、ずっと言われてきたっす。お前は容姿まで似通った特別な子だと、たまに褒めてもらってたっすよ。なんでも、裡羽栄萩嚢は自分よりもずっと大人で、冷たい人形のような顔をしていたそうっす。大人になれば、完璧だと言ってたっすから、自分も美人になるんす! 楽しみっす!」


 えへへ、と恥ずかしそうに微笑むと頬に手を当て、萩はうっとりと自分の将来へ希望をはせていた。聞く限り、萩の立場は微妙なものであったようだが、本人はこれまた気がついていないらしい。


(この純粋さ、もしかしたらわざとかもな。そういう風に育てられたんだ。萩の言う確定前世が事実なら、記憶は後からやってくる。余計な事を言わず知らさず汚さずに、まっさらにしておけば、過去の人物に近くなる。この少女は、それだけのための素材ってか? はん、気分の悪い話だ)


 他人事だというの腹を立てている自分がそこにいた。昔から、理不尽には怒りを覚える方だが、ここまで沸点は低くないはずだ。まずいな、どうやら俺は萩にわずかなりとも、入れ込んでしまっているようだ。

 情がわく前に追い出したいが、頼るものがいない世間知らずな騙されやすい少女を放り出す事ができようものか。


「…くそっ、面倒だな」

「どうかしたんすか?」


 いつのまにやら、清美の膝の上に座っていた萩が俺の独り言に反応する。萩よ、何故トラの巣穴に自ら入り込むような真似をしているのだ。ほらみろ、清美の奴がだらしない笑顔で、お前の髪をいじくりまわしているじゃないか。危機感を持て、危機感を。


「なんでもない。それより、その猛獣から早く離れ――――」


 ふと、萩の顔を見て、ある事を思い出した。


(似てる。あの夢の中で見た女と。年齢は違うが…まてよ)


 俺は萩の話を思い出していた。裡羽栄萩嚢とか言うのは、萩に似通った容姿をもつ大人の女性とか言っていたはずだ。よしよし、謎は解けたぞ。あの女の正体は、裡羽栄萩嚢という事だ。

 何故俺の夢枕に立ったかは知らんが、それが分かった以上、俺にはやるべき事があった。

 俺はおもむろに立ち上がると、台所へ足を運んだ。そして、まだ戸棚に残っていたハトサブレーを一枚取り出し、袋を剥がし中身を取り出すと、居間へと戻った。


「清美、ホールド」

「なによ急に? まあ、やるけどね」

「へ? 何すか? 何で自分、捕まったんすか? あうっ!? な、なにするんすか!? お菓子を自分の頬に押し付けないで欲しいっす! やめるっすー!」


 前世だかなんだ知らんが、自分のした事には始末を付けさせねばなるまい。決して、夢の中での事を根に持っている訳ではない。俺は、身をもって分からせてこそ、教育になると思っているのだ。ハトサブレーを頬に押し付けるのも、八つ当たりなどでは決してないのである。


「いいか、萩よ。食べ物を人の頬に押し付けるのは、いけない事だ。二度とするんじゃないぞ」

「自分まったく身に覚えがないっすよ! ぬれぎぬっす!」

「そうか、残念だ。きちんと言う事を聞けば、このハトサブレは、あんたにくれて―――」

「分かったっす! 自分は、食べ物を人の頬に押し付けたりしないっす!」


 なんという変わり身の早さ。萩は俺からハトサブレを受け取ると、さくさくとハムスターのように食べ始めた。床にボロボロと、欠片をこぼしながら。


「おいこら、もうちょっと綺麗に食べろ…そういや、その服どうしたんだ?」

「服っすか? 自分はこれ以外もっていないっすよ?」

「謀るな、昨日までろくでもない格好だったろ。尻に穴の開いた」

「失敬な! あれは継承服っす! 前世持ちは、形まで引き継ぐんで、力を引き出すと服が変わるんっすよ!」

「なるほど、力を出すと痴女になるのか。はは、前世持ちにはなりたくないな」

「痴女ってなんすか?」

「私が好きな女の子の事よ。でも、世間だと忌み名から、口にしちゃ駄目よ」

「分かったっす!」


 扱いやすいな、この少女は。さり気なく清美がとんでも発言をしていたが、あいつはもう本当に救いようがないな。

 にしても、まさか本当に変身コスチュームとは、女の感も馬鹿にできんもんだな。


(ん? どこで、そんな話したっけか?)


 何かを忘れている気がした。なんだろうか、魚の小骨が喉に刺さったような、無視しきれない違和感は。

 俺が記憶の引っかかりと格闘しいると、突然俺の携帯が鳴り響いた。


「なんだ? 電話? 誰だ?」

「わお、義之の携帯が鳴るの初めて見たわ。私以外に友達いたのね」

「黙れ。はい、もしもし」

『義君、こんにちわ。今日も真夏日ですね』

「…誰だ?」


 聞きなれない声であった。だが、どこかで聞いたような…。携帯から息を呑む声が聞こえる。次の瞬間には、


『常盤九音ですっ! 常に盤と書いてトキワ、九つに音と書いてココネですっ! あんまりですっ! 一人だけ義君の家に行けなかった上に、こんな仕打ち酷過ぎますっ!!』


 感情を爆発させ、荒げた声が聞こえてくる。やっべ、と俺は電話越しに冷や汗をかいた。何故忘れていたのだろうか、昨日の鶴岡八幡宮には、もう一人俺を事件に巻き込んだ人物がいたではないか。


「すまん…本当に申し訳ない。さっき起きて、萩から話を聞いたばかりでな。考え事やらがあって、すっかり忘れてたんだ」

『萩って誰でしょうか!? 話って何でしょうか!? 私がいない間に話を随分進めたみたいですね! プンプンですっ! 私、怒ってます!』


 完全にやぶ蛇であった。まずいぞ、完全にこっちが悪い。何とかして怒りを静めてもらわねば。


『私、朝七時には起きて、いっぱい資料とか集めてたんですよ!? それに今だってお土産を見繕って…ううっ、頑張ってましたのに…!』


 正直すみませんでした。俺達は昼近くまで惰眠を貪っていたと言うのに、一番の功労者を蔑ろにしていたようだ。さて、どうしたものか…そうだ。


「申し訳ない。今日の夜、出会いを記念してバーベキューをやろうと思うんだ。その時にでも是非埋め合わせをさせてほしい」

『許します!』


 やはりそういったイベントに弱かったか。単純でよかった。俺は、ほっと胸をなでおろした。


『では、義君のお家へ伺いたいのですが、どの辺りでしょうか?』

「ああ、そうだな、今から説明する…と、そうだ頼みがあるんだが」

『なんでしょうか?』

「その…服を用意して貰いたいんだが」


 清美とじゃれあっている萩の姿を横目で見た。あのオーソドックスな巫女服しかないのでは、流石に可哀相だろう。


『はい、きっと必要になると思いまして、もう用意してあります。私の趣味の一つに、服飾がありますので、自分以外のサイズの服も家に置いてあるんです。いくつか見繕いましたので、持って行きますね』

「…そうか、話が早くて助かる」

『あの子のためですよね? 義君、優しいです』

「それで、家の場所だが―――――」


 見透かしたように声を和らげる九音の声に恥ずかしさを感じ、俺はそれ以上話を続けず家の場所を教え、来るようにと指示した。ボケているように見えて、九音は随分としっかりしているようであった。いや、ボケてはいるな、ある意味で。


 しばらくすると、九音が大荷物でやってきた。手提げの袋を二つに巨大なキャリーバック、ついでにリュックサックを背負っての登場である。

 そして、この荷物だというのに、相変わらずの長袖、長スカートであった。外の暑さもあって、汗を随分とかいているようであった。普通に薄着すればいいものを謎である。

 清美が九音にシャワーを進めたが、九音は先に話をするべきだと断り、ちゃぶ台にお土産のお菓子を並べ始めた。清美が異様に悔しそうにしているのを見て、俺は九音がシャワーを浴びる際には、あのスケベ女を止めねばと固く誓うのであった。


「いいんすか!? 本当にどれでも食べていいんすか!?」

「はい、かまいませんよ」

「わーい!」


 さっそく萩がテーブルに並べられた菓子に手をつける。清美はその様子を見て、お茶を入れに行ったようだ。気の効く奴である。

 俺はその間に、九音に俺を含めた三人の軽い紹介と、先ほどまでの萩の話を聞かせた。


「前世が決まっている…ですか。にわかに信じがたい話ですけれど、陰陽や呪術それに魔術や聖魔女術など、現在まで脈々と受け継がれてきた特異がある以上、否定は出来ないと思います」

「そうなるか。にしても、随分詳しいな。やっぱりそれも」

「はい! 趣味の範囲です!」


 うきうきと九音は答えてくれる。この女の趣味の範囲は侮ってはいけないな。知識量で言えば、この集まりの中で随一であろう。

 清美が台所から緑茶を入れて戻ってきた。お茶をちゃぶ台の上に置くとそのまま腰を下ろし、お菓子に手を付ける。


「それにしても、裡羽栄萩嚢ですか…」

「あんた、何か知ってるのか?」

「…これを見てください」


 九音は重そうなリュックサックから一冊の草書を取り出した。題名は達筆すぎて分からないが、古い体裁でありながら、新品同様に美しい本であった。


「この本は、元々私が住んでいた岩手県の一部に伝わる伝承をまとめた物と言われています。断言できないのは、誰に聞いても調べても、この本に載っている話が見当たらないからです。それと岩手県と言いながら、神奈川県の伝承も多く掲載されておりまして、こちらに来る際に気になったので持って来ました」


 九音はその胡散臭い本を丁寧に捲ると、


「その最初のページに…ここです。義君見てください」

「裡羽栄萩嚢…確かに載っているな」


 見出しに筆で裡羽栄萩嚢と書かれたページを二人で覗き見る。


「冷静にして沈着、呪いから生まれ、肉体は十六人の少女の肉から成る、か。詳しいことは書いてないが、この挿絵」

「はい、似ていると思います、萩ちゃんに」


 水墨画のような絵であったが、書いた人物は余程の力量を誇っていたのだろう。細部まで美しく書かれ、芸術の域に達したその絵は、人物絵と差し支えないほどに鮮明に裡羽栄萩嚢の姿を映し出していた。


「他には…死体葛篭、死体に宿り持ち主の記憶を受け継ぎ本人に成りすまし生活する。薄荷峰、人間から肉体を奪い空へと送り出す妖怪。ヤドヴィガの苗、希望を与え人を助ける。知らん話ばっかりだな」

「ですが、この最後に近いページに書かれている、富士坊主と言う妖怪なのですが」

「富士坊主、物事を宿しその念により成長する。恨みや願いにより成長すれば富士の如く巨大になると言われている。…まさか」


 ページの下に書かれている挿絵を見る。そこにはボロ布を纏った、どこかで見た男が描かれていた。


「どう思いますか?」

「怪しいな。専門家に確かめるべきだが…」


 チラリと専門家である萩に目を向ける。


「美味しいっす! これなんすか!? 黄な粉かかった甘いやつ!」

「きざはしね。ハトサブレー本店で売ってるやつだわ。はい、お口拭きましょうね」


 駄目だ、絶対に役に立たない。清美の息の荒さに気がつかないほど、お菓子に興奮しているようなヘモ女に何が出来ようものか。


(仕方ない、今は詳しく読むに留めて、もう一人の専門家に聞きにいくか)


 萩が役に立たない以上、真実を知る方法は一つだ。俺は、密かに今晩にでも黒髪の少女を探しに行くと決めたのだった。


「ともかく、内容をしっかり確認しないとな。なになに…本来は大気に同調し、見ることが出来ない。発見する方法は、取り込んだ事象に及び現象に近しい人間が発見する他ならない。縁なき者に認知させるためには、感応を用いて視覚を合わせる必要がある…か。よく分からんが、あの大男が富士坊主だとすると、あの場に何かしら関係ある人物がいたという事か」

「あっ! 思い出したっす!」


 お菓子を食べていた萩が突然声を上げる。


「そうっすよ! 感応っす! あの時、体がビリビリしたのは、感応があったからっすよ!」


 確かにあの時妙な感覚があったのを覚えている。


「感応は特異能力があるもの同士か、術を使わないと起こらないっす! つまり、あの場には自分とユエを含め、前世持ちがいた可能性が高いっす!」

「前世持ちね…確か条件は、最初から確定しているか」

「あとは、血の繋がりや、生き様、それと名前でしたよね?」


 全員の顔が俺の方へ一斉に向いた。やめろ、俺も一瞬考えたが、目を逸らしていた可能性を掘り返さないでくれ。


「…俺は関係ない」

「でも、義経」

「やめろっ! 違う! 俺は関係ない! 俺は義之だ! 名前が似ている程度で疑いをかけるな!」

「…怪しいっす」

「義君…残念ですけれど、一番可能性が高いのは…」


 くそっ! 寄って集って、なんという仕打ちだ!

 俺は関係ない。オカルトを見る分にも関わる分にも構わないが、自分その中心になるなど真っ平だ。

 しかも、前世が決まっているなんて願い下げである。断固拒否させていただこう。


「不用意な発言は避けてもらおうか。大体、お前ら二人の可能性もあるだろうに」

「それはそうだけど…ねぇ?」

「おのれ、証拠だ! 証拠を持って来い!」

「義君必死すぎです。言いたくはありませんが、怪しいと感じます」

「九音お前もか! ええい! 冗談じゃない! 萩、なんとかならんのか!?」

「一応、確かめる方法はあるっすよ」


 三人が同時萩の顔を見た。最初から言えよ、この野郎。


「感応があった以上、片足をこちらに突っ込んだようなものっすから、何かしら装置を用意して、気合を入れれば力が出る可能性が高いっす」

「装置ってなんだよ?」

「この場合は、魔方陣や、術式になると思います。ちょっとお待ちくださいね…」


 ゴソゴソと久遠はリュックサックの中を漁ると、スケッチブックを取り出した。


「こちらに私が装置を書きますので、よろしければお二人のどちらか、試してはどうでしょうか?」

「はいはーい! 私やるわ!」


 清美が元気よく手を上げる。よし、いいぞ、そのまま何かしら起こして疑いを丸ごと持っていくがいい。


「清美さんですか…では、外国の血が混じっているという事で、魔方陣がよろしいですね」


 九音はポケットから赤色のペンを取り出すと、ささっとスケッチブックに幾何学模様の複雑な魔方陣を描き上げた。これも趣味の一環なのだろうか。それにしてもこの女、スペックが半端ではない。


「出来ました。では、清美さんこの魔方陣を跨いで立ってください」

「うふふ、なんだか江戸時代にあった処女あらためみたいね」


 相変わらず品のない事を口にしながら、左右の足の中心にスケッチブックから離した魔法陣を置き、仁王立ちで清美は畳の上に立った。


「それで、どうすればいいのかしら?」

「説明しづらいんすけど、やるぞって感じで気合を入れると何かしら起きるっす。あと、掛け声なんかいいっすね」


 適当すぎるだろ。なんともゆるい空気である。


「掛け声…そうね。うん、決めた」


 それでも清美は何かしら掴んだのか、キッと顔を引き締め片手を開いて掌を仰向けにすると、


「いくわよっ! レッドスネークカモン!!」

「古っ! 何故掛け声にそれを選んだ!?」


 俺は咄嗟に突っ込みを入れたが、清美の掛け声の後、壁が狭まるような妙な感覚がジリジリと迫ってくるのを覚えていた。

 清美も同じらしく、顔を不安げに歪ませると、掌にノイズのような歪が走り、


「きゃっ!?」


 一呼吸置く間もなく、清美の掌から灯篭に灯されるような小さい炎が現れていた。


「どうしよう、義之…。レッドスネークこんにちはしちゃった…」

「なんという事でしょう! グリーンスネークとイエロースネークは出るのでしょうか!?」

「馬鹿たれ! そんな事に気をもんでる場合か! 清美その炎なんとかしろっ! 萩、どうすればいい!?」

「あわわっ…! じ、自分の場合は、一度気合を入れなおした後、スッと気を抜くと収まるっす!」

「よし! 清美やれ!」


 清美は萩の言うとおりに、一度息を止め体を力ませたようだ。その瞬間、


「義之~…すごいレッドスネーク猛ってるぅ…」

「なんで、火の勢いが増すんだよ!?」


 炎が火柱となり、天井に届かんばかりに勢いづいたのだ。やばいぞこれ、このままだと火事になりかねん。


「何とかしろ清美っ!」

「ごめんなさい義之…家が…私達の家が燃えちゃう…」

「こんな時に、精神の脆さを露呈させるな! ええいっ! 我が家を燃やされてたまるか!」


 俺は急いで清美へと近づき、


「チャーシューになるのに、我が家を巻き込むなっ!」

「ひぶぅ!?」


 思いっきり清美の尻を叩き上げた。清美が豚のような悲鳴を上げて体を仰け反らせると、掌から伸びていた火柱は収まり、難を逃れたのであった。

 その珍事件から数分後、


「ごめんね、義之…ごめんね…」

「分かった、怒ってねえから。いい加減、本調子に戻ってくれ」


 俺は居間で清美に膝枕をしながら慰めるという、なんとも言い難い状態に陥っていた。清美の奴は、俺の腹に顔を埋めたまま、動こうとしない。

 精神的に衰弱した清美が、俺に抱きつき離れなくなったのが原因である。グスグスとぐずり清美が俺を離そうとしないため、九音と萩はその内に隣の部屋で九音の持ってきた服に着替えるといい、居間から出て行った。おのれ薄情者共め、俺を見捨てやがって。


「ほら、気を取り直せ。もうすぐ可愛い服きた、見た目麗しい少女が隣の部屋からやってくるぞ」

「いらない…そんな気分じゃない」

「重症すぎだろ」


 天変地異が起きる予兆ではなかろうか。俺は昨日大男が現れたときよりも、今の清美の言葉に恐怖を覚えた。


「ぐすっ…もう絶対レッドスネーク呼ばない…」

「とんだ風評被害だな。家も無事だし、気にするな」

「するわよ…だって、義之に嫌われるもん」

「気持ち悪い事言うな。まったく、面倒な奴め。こっち向け」


 俺は無理やり清美の顔を俺の腹から引き剥がすと、仰向けにさせ、額をなでた。


「馬鹿みたいな事で気を落とすな。くだらん不安など抱くだけ無駄だ。お前は馬鹿みたいに明るく、狂人のごとく女の尻を追っかけ回してればいいんだ」

「うん…うん」


 清美が目を細めて、俺の言葉に頷く。しまったな、妙に甘ったるい感じになってしまった気がする。清美のデコでも指で弾いて、いつもの雰囲気に戻すとするか。


「あの~…」


 俺が清美を撫でるのをやめ、指をデコピンの形にした時、背後から申し訳なさそうに声をかけられる。


「その…お邪魔でしたか?」

「いいや、まったく、これっぽっちも、全然?」

「ぶふっ! ちょっと、いきなり立ち上がらないでよー」


 俺が直立した事により、清美は膝から投げ出され頭を盛大に打ったようであった。

 九音にとんでもない誤解を与えるところであった。慣れない事はすべきではないな、まったく。


「それで、どうしたんだ?」

「萩ちゃんの着替えが終わりましたので、お披露目をしようと」

「わお、素敵ね。是非、眺めたいわ。できれば触りた・・・ごめんなさい冗談です。だから義之、ちょうどお尻に当たりそうな高さで素振りをするのやめてください」


 清美のやつ、さっきまでの態度はなんだったのだろうか。完全復活するの早すぎるだろ。


「ではでは、めっさ可愛い女の子をお披露目です。萩ちゃんどうぞ~」


 九音に呼ばれると、ちょこんと障子から頭だけ出して、萩はこちらの様子を探ってくる。顔に赤みが増している事から、恥ずかしがっているのだろう。

 顔を出したり引っ込めたりを二、三度繰り返し、萩はおずおずとその姿を俺たちの前に現した。


「ど、どうっすかね?」


 感想を求められて、俺はしっかりと萩の格好を観察する。

 全体図を見れば、それは制服のような半袖のワンピースであった。だが、ただのワンピースでないことは、一目瞭然であった。

 上下で分かれているのだろうか、上半身は白色の制服に見えていた。フリフリのネクタイをしっかりと締め、袖口はしっかりとボタンで止められ捲られている、例えるなら軍服にフリルをつけたような格好である。

 それに対しスカートの部分は黒いレースとフリルで作られた、ゴスロリのような出来になっていた。

 本来相反するような二つの要素が見事に混ざり合い、荘厳でありながら可愛らしい洋服であった。


「可愛い…と思うが…。初めて見るぞ、そんな服。一体――――」

「軍服ワンピース!!」


 目をキラキラさせて、清美は萩のそばへ近寄った。どうやら、俺が知らないだけで、萩の着ている服には名称があったようだ。


「すごいわ! とっても似合ってる! これもしかして手作り?」

「はい! 少し前に製作したのですが、困った事に自分用に作ったものでなかったので、クローゼットに仕舞って置いたんです」

「どうして自分用に作らんかったんだ…」

「その…丁度見た写真が中学生ぐらいの子が着ているものでして、うっかりサイズを変えずに作ってしまったんです」


 どんなうっかりだ。面倒見のよさと常識をもっているのに、とことんまともじゃないとは、この女底がしれんな。


「うー…うー…!」


 皆から賛辞を受け、顔を真っ赤にした萩は両手をバタバタと羽ばたかせ、恥ずかしさと嬉しさを噛み締めているようであった。それにしても、激しい羽ばたきである。どこかへ飛ぶのだろうか。


「嬉しいっす…こんな素敵な服を頂いて…自分は三国一の幸せものっす!」

「そいつはよかった。もし外で同じように服をやると声を掛けられてもついて行くんじゃないぞ」

「と…取りあえず…どうすれば…ああ、そうっす!」


 萩はあまりの感動に情緒不安定になったのか、おろおろと周りを見回して、


「この服を脱がないと駄目っすね!!」

「なんでだよっ!?」


 突然服を脱ぎだしたのだ。即座に九音が萩を押さえ事なきを得たが、あまり萩に感動を与えすぎるのは危険かもしれない。


「め、面目ないっす。服を汚したらいけないと思ったんす…」

「次からは気をつけろ。二度とやるなよ」

「私はウエルカムよ。いつでもどう…冗談よ、義之。睨まないで…あっ、急に微笑むのもやめて! 怖い!」

「あの~、それでこれからどうしましょう?」


 穏やかな昼下がりを演出していた俺達に、九音は本題に移るようにと促した。

 だが、困った事に完全に手詰まりなのだ。あの黒髪のユエという少女に会うまで、なにもする事がないのが現状なのである。


「はい! 自分、ユエにリベンジするっす!!」


 空気が重くなりそうになる中、ビシッと萩が手を上げ意見を述べた。およそ無理であろう、残念な意見を。


「そうか、やめとけ。ボコられて終わりだ」

「ひどいっす! やってみなくちゃ分からないっすよ!」

「その~…私が言うのもなんですが、力量に差がありすぎるかと」

「私も同意見よ。昨日の大男へ向けた攻撃を放たれたら、木っ端ミジンコだわ」

「そ、そんな! 自分の味方が一人もいないっす!」


 そりゃあな、無理だろアレは。例えるなら月とスッポン、子犬とジェイソンとかそのぐらいの、ベクトルが違いすぎて気にも留められない差があるだろ。


「うう…自分は…自分はそれでも諦めないっす!!」

「諦めろ」

「嫌っす! 自分はそんな事でヘコタレないっすよ!」


 何なのだろうか、この無駄に溢れるチャレンジ精神は。面倒なことこの上ない。


「気に入ったわ!」


 俺がどう止めようかと考えていると、阿呆が両手を組んで立ち上がった。

 どうしたものか、絶対ろくでもない事を言うぞ。


「その溢れ出るガッツ大いに結構。でも、今ままじゃ歯が立たないはずよ。ならばする事は一つ。修行よ!」

「しゅ…修行!」


 ほら、やっぱりとくでもない。どうしろと言うんだ修行なんて。オカルト関係の修行なんて出来るはずがないだろう。

 と、思っていたら、


「表に出なさい! 私が今まで習ってきた武術を一から叩き込んであげるわ! 手取り足取りね! うふふ」

「はいっす! 自分、清美さんについていくっす!」


 二人そろって玄関へと走っていき、靴を履いて庭に出て行ったようだ。障子を開け、縁側から庭を見ると準備運動を始める二人の姿がそこにあった。


(ああ、そうか。馬鹿なんだな、こいつら。よし、放って置こう。馬鹿は見てて面白いからな)


「元気ですね」

「ああ、馬鹿だがな」

「義君は行かなくていいんですか?」

「誰が行くか。馬鹿がうつる」

「そうですか、私は混じってこようと思います」


 嘘だろと俺は九音の顔を見た。その顔は慈しむ様な微笑を浮かべ、庭で暴れている二人を見ていた。


「楽しそうです」

「そうか?」

「はい。それにしばらく厄介になりますから、懇親を深めてこようと思います」

「おいまて! 聞き捨てならん事を口走らなかったか!?」

「お二人とも、直接のパワーアップには繋がりませんが、前口上などを述べると強くなった気がしてお得ですよー」


 九音は二人に声を掛けながら、縁側に備え付けてあるゴムサンダルを引っ掛けて、庭へと出て行った。

 俺は溜息を吐くと、頭を乱暴にかき、どうしたものかと考える。だが、庭から聞こえてくる、楽しそうな声に意識を奪われ、考えがまとまる事はなかった。


「もういい…どうにでもなれ。おい、お前ら! 前口上なら歌舞伎と相場は決まっているぞ! 白波五人男を知っているか!?」


 もうやけくそであった。拳を突き出し武術の鍛錬をしながら、前口上を本気で考えている三人に混ざるため、縁側にあるもう一つのゴムサンダルをひっかけ、馬鹿共へ近づいていく。

 馬鹿を相手にする際取れる手段は二つである。適当にあしらうか、自分も馬鹿になるか。俺は今回、後者を選ぶことにしよう。何故なら、俺もたいがい馬鹿であるからだ。

 同じ馬鹿なら踊らにゃ損。あいつらに混ざり、見事に馬鹿を晒そう。その方が、きっと面白いだろうから。


「知らないっす! なんすかそれ!?」

「いいか? 知らざあ言って聞かせやしょう、から始まり―――」


 蝉の声が響く。気温は三十度近いだろう。そんな中、外で笑いあう。そんな日があってもいいだろう。俺はそう思うのだ。

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