2.青春と非日常と

「あつーい! でも、なんだか爽やかで気持ちいいわ!」

「後ろで騒ぐな! 暑苦しい!」


 何の因果か、俺は清美を自転車の後ろに乗せて、わざわざ鎌倉駅近くにあるスーパー目指して、この暑い中サイクリングする羽目になっていた。


「なんで、わざわざ鎌倉駅まで行く事になってんだよ!」

「今日が卵の特売だからよ!」

「お前、行動も資産の内だって知ってるか!? 結果的に損だろこれ! しかも、俺ばっか損してるじゃねえか!」


 自転車を漕ぎなら、俺は清美に文句を言った。なにせ、俺は二人分の重さを背負って自転車を漕いでいるというのに、清美の奴は後ろで荷台部分に腰掛けて、のんびりとしているのだから。


「あらいいの? こんな真っ白いワンピースに麦わら帽子をかぶった、絵に描いたような美少女に自転車なんて漕がせて。周りはどう思うかしらね?」

「くっそ! 納得いかねーぞ!」


 だが清美の言葉も尤もな話であった。どうも女に自転車をこがせて後ろでのんびりなんて気にはなれない。妙な所でこだわりのある、損な性格だと自分でも思う次第である。


「はいよー義之! 源氏を馬に鎌倉参りなんて、歴史的冒涜よね! たまらないわー!」

「後ろで暴れるな! それに言っておくが、俺は苗字が源なだけで、まったく所縁とかないからな!」

「どーでもいいわよー。私の勝手だものー」

「自由な奴だな、本当に」


 日差しは強く、自転車を漕ぐ俺は体力を奪われ、汗をダラダラとかき始める。鎌倉はただせさえ勾配の差はあれど坂が多いのだ、当然の結果といえるだろう。しかし、俺は不思議と悪い気がしていなかった。


「夏に二人乗りの自転車! ん~、青春って感じ! 悪くないわね!」


 後ろで清美が体を伸ばしながら、喚いている。その言葉に、


「そうだな、悪くない」


 俺は思わずそう呟いていた。そして、自分が口にした言葉の恥ずかしさをワンテンポ遅れて気が付くが、


「わお! どうしたのようもう! 義之、暑さにやられちゃった!? もー、仕方ないわね! 青春に飢えてるなら、与えてあげるわ! この私がね!」

「うわっ! おい馬鹿! 抱きついてくるんじゃねえ!」


 すでに取り返しの付かない事になってしまっていた。清美が何を興奮したのか、ものすごい高いテンションで俺の背中に抱きついてきたのだ。

 突然の行動に、俺は動揺し自転車の舵を旨く操れず、蛇行しながらもなんとかバランスを取り戻す。そして、安全のため自転車の速度を一旦緩めた。


「お前な! 危ねえから止めろって!」

「義之、背中湿ってる。暑いものね。それと、男と女の汗の匂いって、結構違うのね」

「離れてくれ! 切実に!」

「やーよー。それに、役得でしょう?」


 そう言われて、抱きつかれていたことばかりに向いていた意識が、背中に押し付けられる柔らかい圧力に向けられる。

 今を言葉にするのなら、わずかな気恥ずかしさを感じる爽やかな夏の日、といった所であろう。完璧な状況ではないか、これこそまさに青春である。清美相手だとしても悪くない。


「そうだ、お前に聞こうと思ってたことがあるんだけどよ」

「おうさ、言ってみなさいな」

「胸、どんぐらいあんの」


 俺の口から出た言葉は、紛う事なきセクハラであった。俺としては、純粋な興味からなのだが、こんな事を女子に聞こうものなら引っ叩かれてしかるべしだろう。だが、そんな事を心配する必要はないのである。


「貫禄のF!」

「なるほど、ご立派だ」


 案の定、清美は胸を張って答えてくれた、胸のことだけに。ここ数日の付き合いで、ある程度お互いの踏み込んでいいゾーンが分かっているのである。


「それにしてもセクハラよ義之。女の子はデリケートなんだから、その手の質問はしちゃだめよ」

「お前はデリケートじゃねえから大丈夫だ。他の女になんざする訳ねえっての」

「わお、不遜な意見。仕方ないわね、お姉さんである私は、そんな義之を許してあげましょう。うへへ」

「なんだなんだ、俺の前でお姉さんキャラ気どるとは傲慢な奴め。お前がそれを許されるのは、女子の前だけと知れ。それと、たまにでるその笑い方、女にもてなくなるぞ」

「うふふ、ご忠告ありがとう。大丈夫よ、義之の前でしかやらないから」

「そうかよ」

「ええ、そうよ」


 何故か互いに無言になる。自転車を漕ぐ音だけが、蝉の声に混じって聞こえてくる。ふと、何か恥ずかしい事を口走ったような気がして、俺は妙に気まずくなってしまう。そんな俺の心中を知ってか否か、そのモヤモヤとした気持ちを掻き消すように、


「青春ストラーイク!!」


 大声で清美はそう叫ぶと、俺の背中をさらに力強く抱きしめた。何だこいつはと思ったが、今の状況を表すのに適している言葉だと気が付くと、俺は思わず笑い出してしまった。

 楽しいのだ、こんなくだらないことが。俺は自転車のペダルを思い切り踏み込むと、


「空振り三振! スリーアウトチェンジ!」


 清美にならいそう叫んで、全力で自転車を漕ぎ出した。


「駄目じゃん! 攻撃終わっちゃったじゃない!」

「いいんだ! その方が俺らっぽいだろ!」

「何よそれ! 悔しいけど反論できなーい!」


 俺と清美は同時に大笑いする。自転車は再びバランスを崩し蛇行運転となったが、俺達は気にすることがなかった。

 一生に一度はこんな日があってもいいだろう。俺はそう考えると、自転車のバランスと取り戻し、鎌倉駅へと道を急ぐのであった。

 予断だが、これだけ盛り上がっておきながら、すぐに勾配の急な坂に出会い、俺達は自転車から降り歩くことを余儀なくされる。不完全燃焼とはこの事だろう。腑に落ちないながらも、清美と自転車を引きながら歩いていると、


「この状況、まさに私たちだわ」


 楽しそうに皮肉めいて清美の口から出た言葉を聞き、俺は思わず噴出してしまう。まったくだ、と心の中で頷くのだった。




 さて、そうこうしている内に鎌倉駅前までやってきたのだが、


「さすが夏休み。みんな暇なのね」

「普段から人は多いが、毎年ながらすごい数だな」


 夏休みも相まって、駅前から続く小町通までごったがえしていた。人ごみはおそらく小町通の終わりまで続いているのだろう。

 それというのも、小町通には多数の土産屋と食事処、それに色々なショップなどが軒並みならび、観光客が鎌倉に着いて、そして鎌倉から帰る時にほぼ必ずよる場所になっているからだ。最初に小町通、帰りにも小町通と、立地も相まって休日は大体いつきても、このありまさなのだ。

 最早まともに歩けそうもない歩道を自転車を押して進んでいく。こうなってしまうと、自転車は邪魔以外の何者でもない。

 幸い小町通を抜けなくとも目的地にはつけるので、俺と清美は少し大回りしてスーパーへと向かうことにした。

 照りつける日差しに、それを反射し吸収するアスファルト。そこにきて、この人ごみである。自転車に乗っていた時の方が、あんなに激しい運動だったというのに涼しく感じているほどであった。


「はい、到着。自転車どうする?」

「時間はそんなにかからんだろ。スーパー前の無料駐輪所でかまわんさ」

「そうね。それじゃあ、さっさと行きましょう。暑いったらありゃしないわ」


 俺をおいて、さっさと清美はスーパーへと入っていってしまう。お前のせいでこうなっていると言いたかったが、これまでの過程を楽しんでいる以上、文句を言うのはどうかと俺は口を噤んだ。


「ったく、どこいきやがった?」


 すぐに自転車を止めると、スーパーに入り清美の姿を探す。おそらく、食品コーナーにいるだろうと、足を進めると、


「ええ、そうなのね。いい事が聞けたわ。ありがとう」


 なにやら、爽やかな笑顔で同年代の女子と話す清美がそこにいた。なんだあれ、まるで美少女ではないか。少なくとも俺が知っている我が家の居候ではない。

 キラキラと輝くようなオーラを放ちながら、ガールハントしている清美もどきに背を向け、俺はその場を後にしようとした。

 あれが、清美でないのなら本物を探しに行かねばなるまい。きっと本物は今頃は、女性下着売り場で妄想に浸りながらニヤニヤしている事だろう。近隣の迷惑はなはだしい醜態である。早く行って止めさせねばなるまい。


「あ、義之!」


 現実逃避していた俺に清美もどきは笑顔で声をかけ、こっちにこいと手招きする。俺はため息一つ吐くと、呼ばれてしまったからには清美もどきの元へ、足取り重く近づいていった。


「よう、清美もどき」

「え? なにその無理やりな否定ネーミング。私は正真正銘、竜胆清美よ」

「そうか、猫かぶりが得意なようで何よりだ」

「ああ、そういう事ね。営業用よ、またの名をナンパ用。普通女の子の前では格好つけるものでしょう?」

「それは男の場合だ。いつかまた腹を刺されるぞ」


 清美は、あー…かんべん、などと心底嫌そうに呟くと、買い物かごを手に取り俺の隣に並んだ。自然と俺は歩き出し、清美も笑顔で横についてくる。どうやら、清美のやつはご機嫌のようであった。


「なんかいい事あったか…ああ、そうか可愛い女子と話してたからか」

「ええ、やっぱり女の子はいいわ。可愛いし、面白い話を持ってきてくれるもの」

「面白い話?」


 俺は、思わず清美の言葉に反応してしまう。清美の瞳が怪しく光り、口元がニヤリと釣り上がった。その反応を見て、俺は清美の言う面白い話を聞かねばならなくなった。気になる事は何を置いても知らねば気がすまないのだ。


「それじゃあ、さっさと買い物を終わらせて、喫茶店にでも行きましょう」

「そうだな。卵と…」

「ついでだし、他のものも買い込んでおきましょう。わお、豚肉が安いわ」


 清美は食材を見ながら、ここしばらくの献立を考え、俺にかごを渡すとその中にどんどん食材を入れていく。すっかり、我が家の台所は清美のテリトリーと化しているのであった。

 文句を言う気はさらさらないが、清美が出て行った後のことを考えると、食事の用意の面倒くささ、さらにはグレードダウンは免れぬ事に、今から俺は憂鬱な気分になった。


(いかんな、顔に出さないようにしなければ。こんな事ばれようもなら赤っ恥だ。女々しい事この上ない)


 俺は気を引き締め、清美の後を追った。

 その後、俺と清美は食材を大袋二つ分買い込むと、喫茶店へ入ろうと小町通付近をうろついたが、この観光客の数ではどこも満席のようで、小町通の入り口にある、舌を出した女の子のマスコットキャラが有名なケーキ屋へと足を運んだ。

 ケーキ屋の上、二階がファミリーレストランになっている事を思い出したからだ。中に入ると、運良くテーブル席が一つ空いていると言うことで、俺と清美は相談し、素麺は夜にしようと空腹もついでに満たしてしまうことにした。


「ここにくるのは久しぶりだわ。もう何年も来ていないもの」

「俺は初めてだ。一階のケーキ屋も使った事がないぐらいだしな」

「甘いもの嫌いなの?」

「買ってまで食う事があまりないんだよ。あれば美味しく頂くがな」

「本当にものぐさよね、義之って。ここ数日で、よく分かったわ。興味ある事か、それに役立ちそうな事でしか、基本やる気出さないのよね」


 失敬な女だ、それではまるで俺が好きな事しかしない駄目人間のようではないか。


「馬鹿をいうな、普段は充電してんだよ。意図的な省エネだ。非常に合理的だろう?」

「義之らしい言い方ね。でも、はたから見れば、関係のないことよ。でも、私は覚えていてあげるから、感謝しなさい。うふふ」


 そう言って、清美は俺にウインクを投げつけてきた。無性に腹が立つ、俺は上から見下されるのが嫌いなのだ。俺はいつか覚えてろなどと身勝手な決意を胸に、今は微笑んでおくことにした。


「え? ちょっと、なにその朗らかスマイル。やめてよ、絶対何かする気でしょ!? 怖っ! 意味深な笑顔怖っ!」


 清美をおちょくりながら会話を楽しんでいると、頼んでいた料理がやってくる。お互いこの暑さの中、夏バテなどなんのそのと、ハンバーグにステーキと昼からガッツリと油物を頼んでいた。


「それで、面白い話ってなんだよ」


 食事をしながらも会話を進める。マナー違反と言う人もいるだろうが、我が家では適用されないのでセーフである。


「それがね、夏にふさわしい怪談系なのよ」

「怪談? 怪談か…」

 

 内心俺はがっかりしていた。怪談では、実地的な証明は難しい。そうなると、完全に理解が及ばないことになる。何が嫌かって、理解が及ばないなら、しばらくの間もやもやとしたやり所のない不満を感じ続けなければいけないからだ。


「あら? 興味が薄いみたいね」


 清美が食事の手を止めて、意外そうな顔で俺を見てくる。


「興味がない訳ではないが、実際に確かめられる事か、現実と地続きでないと、あまり気が乗らないんだよ」

「そう、じゃあ少しは乗り気なってくれそうね」

「その言い草、何かあるな」

「ええ、勿論。怪談の舞台は私たちの知る鶴岡八幡宮よ」

「あそこか」


 鶴岡八幡宮とは、小町通をまっすぐ行くと数分程度で見えてくる、巨大な神社である。小町通から出た場合、そのままでは神社右端になるので、右に曲がり少し進めば、本来の正門である大きな鳥居が観光客を迎えてくれる

 どのような作りかというと、入り口である大きな鳥居をくぐると橋があり、まっすぐ進むと舞殿という、かつて静御前が義経こと牛若丸に思いを乗せて舞ったという伝説の残る場所に突き当たる。

 さらにそこから道は左右に分かれており、舞殿をよけてまっすぐ行くと階段がありそこを上ればようやく本宮につくのである。左右の道の先も本宮につながっているが、確か小さな神社や池が設けられていたはずだ。

 季節によっては流鏑馬や、季節の花の催しや、舞殿での婚式なども執り行われる鎌倉でも人気の高いスポットである。


「それで鶴岡八幡宮で、最近騒がれている妙な目撃情報あるのよ。いたずらにしても凝っているし、人間がどうこうして仕込めるかも分からないから、怪談として名を上げたらしいの。目撃情報は私も聞いたけど、荒唐無稽な話だったわ。それをする意図も、意味すらも分からないもの」


 途端に俺は清美の話に興味を示した。最近の話、そして怪談として語られるほどの話題性、目撃情報を荒唐無稽と言う気になる事態。きっと、こいつは現実と地続きで、それが噂になるだけの原因があると、俺は睨んだのだ。


「顔色変わりすぎ。本当に分かりやすいわね、義之は」

「ほっとけ、それより怪談とやらを聞かせろ」


 清美が言うには、どうやらここ数日鶴岡八幡宮にて奇妙な生き物が目撃されたと、まことしやかに囁かれているのだと言う。


「奇妙な生き物か。UMAでも出たか?」

「案外それに近いのかも。なんでも黒い大兎と、白い大兎が、境内で火花や爆発を伴って跳ね回ってるって言うのよ」

「はは、なんだそれ」


 予想以上の不明瞭っぷりに、俺は嬉しい声を上げるのを抑えられなかった。鎌倉の顔とも言える鶴岡八幡宮で巨大な兎が跳ねてるなんざ、とんだメルヘンの世界である。


「ついでにその周りで。無数の蝶が飛び回っているのを見たって言う情報もあるぐらいでね。本当に噂の出所は何なのか、何が原因で噂になったのか、さっぱり掴めないらしいわ。といっても、最近の話しだし、話してくれた子も今日聞いたばかりだって言ってたから、事態があまり動いていないのかもしれないのだけど」

「どちらにしろ奇妙だ。実に奇妙な話だぜ」


 俺と清美は一旦話を打ち切ると、黙々と料理を片付けた。料理を平らげると、休憩のために入ったはずなのに、会計をさっさと済まし、外に出てしまう。

 日差しを手で遮りながら空を見上げる。雲ひとつない晴天、隣を見ると清美も同じような動作をしていた。二人で顔を見合わせると、店を後にし歩き出す。


「さて、と」

「それじゃあ」

「準備しないとね」

「準備しねえとな」


 俺と清美の声がハモった。お互い確認する事もなく、互いのやりたいことを理解していたのだ。

 今夜、俺たちは鶴岡八幡宮へと向かうのだ。噂の出所を探るために。


「一応聞いておくが、いいんだな? 行った所で得になるような事は多分ねえぞ」

「うふふ、得ならあるわ。その結末や結果を餌に女の子との距離を縮めるのだから」


 家でなんだかんだと言っていたが、清美の根幹にある部分はまったくぶれていないようで、俺は軽く軽蔑すると共に安堵を覚えていた。


「本当、予想を裏切らないなお前」

「素直で純粋なのよ」

「え? なんか言ったか?」

「わお、完全に聞こえているのに、無視するなんてひどいわ。でもいいの、今夜しだいでは幸せな一時がやってくるのだからね。傷ついた心は女の子で癒すとするわ」


 うへへ、と相変わらず気持ちの悪い笑みを浮かべてトリップしている清美を見て、俺はこの女は置いていこうと心から思った。この女の性質を考える限り、どう足掻いてもついて来るのだから、思うだけ無駄なのだろうがな。


 その後急ぎ家へと帰ると、清美は準備があると自宅へ荷物を取りに行き、俺は物置へ懐中電灯など必要になりそうな物を取りに行った。

 俺が準備を整えていると、清美が今まで見たことのない服を着て帰ってきた。上はピンクの線が入った薄手の黒いパーカー、下はいつものスパッツという、今からランニングにでも出かけるのかという服装である。ちなみにパーカーの下は運動用のショートタンクトップらしい。


「これが一番動きやすいのよ」

「蚊に刺されるぞ」

「大丈夫よ。虫除けスプレーかけるし、腰に音波で虫除けするのもついてるし」

「それ、効果あるのか?」


 多分ある、などと適当な返事をすると清美は家の中に入り、何をするかと思えばゴロゴロと寝始めたのだ。いつの間にかパーカーのジッパーを下ろし、前が開きっぱなしになっているため、へそ丸出しである。


「体力はあった方がいいでしょう? なにあるか分からないし」

「まったくだ」


 清美と共に俺もたたみの上に寝転がると、座布団を枕に眠りにつくのであった。

 次に俺と清美が起きたのは二十一時ごろであった。六時間近く寝ていたのかとお互い驚いたが、夕食を食べようという俺の意見に、清美が素麺をゆで始め、まずは食事をとる運びとなった。


「噂の時間帯ってのは、零時ごろでいいんだったか?」

「そうよ、だから急ぐ必要もないわ。強いて言うなら、補導されないように気を付けましょうって所ね」

「同感だ」


 そんな事を話しながら食事を済ませると、気がつけば二十三時をとっくに回っていたため、俺と清美は昼と同じく、自転車に二人乗りし鶴岡八幡宮まで向かいだした。

 清美は来た時と々格好で、俺は昼とは違い虫対策に長袖のシャツを着ての出陣であった。

 家を出る前に見た情報では気温は夜だというのに、二十六度近くあるようだ。失敗したかもしれないが、そんな事より現場に行くのが先決だ。

 あたりは暗く、空には三日月が昇っていた。気温のせいで、蝉の声が所々で聞こえてくる。俺達は自転車のライトを付け、深夜のパトロールを警戒しながら自転車を走らせ、目的地に着いたのはちょうど零時を回ったころであった。


「人いないわね。昼とは大違い」

「当たりまえだろ。自転車は…適当に置いておくか」


 俺達は鶴岡八幡宮の左に位置する適当な場所に自転車を置くと、正面からではなく横にある西鳥居から入って行く事にした。境内は静まり返り、当然のように人っ子一人いる様子はなかった。


「静かね」

「ああ、静かだ」


 時たま吹く風に木々が揺れる音だけが聞こえ、境内は静まり返っていた。そのまま、中央の道へ合流すると石畳の上へ移動し、まっすぐ歩いていく。自分達の会話する声だけが境内に響き、噂など影も形もない事に俺と清美は落胆していた。


「仕方ないわよね。眉唾物だった訳だし」

「だな、暇つぶしにはなった―――――」


 俺は自分の言葉を途中で切る事となった。目の前に、ありえない光景が飛び込んできたからだ。


「どうしたの?」


 清美が俺が立ち止まったことにより、足を止めると心配そうに声をかけてくる。


「ないんだよ」

「なにが?」

「賽銭箱と柵」

「はい?」


 鶴岡八幡宮は夜なると本宮へと続く道の途中に、通行止めの柵と参拝者用に賽銭箱が置かれるのだ。それが今はない。このままだと手水舎を素通りし、本宮までいけてしまうではないか。


「それって、まずい事なの?」

「いや、誰かのいたずらかもしれない。ただ、もう一つ妙なことに気がついたぞ」

「わお、まだ何かあるの?」

「静か過ぎる。虫の声が聞こえてこない。今日は夜だってのに二十六度近くある。そうすると蝉が鳴く可能性があるはずだ。現に、ここに来るまで、聞こえていたしな。気のせいかもしれないが、ちょいと妙だな」


 妙だと思ったら考える。二十六度以上だと蝉って鳴くんだ、などと感心している清美を無視し、俺は押し黙り他に妙なことはないかと思考の海へ意識をダイブさせた。

 すると、ある事に引っ掛かりを覚えたのだった。


「そうだ、もう一つ妙といえば、どうしてお前はこの噂を知らなかったんだ?」

「どうしてって…聞いなかったからじゃない」

「ここ数日っていってたよな。お前確か、携帯で情報収集が趣味なんだろ? なんでその時、噂が入ってこなかったんだ?」


 清美は俺の言葉を聞き、何か考えるような仕草をとると、ハッと何か思い立ったらしく、携帯を取り出して誰かへ電話をかけ始めた。


「そう…うん…知らないのね。ごめんなさい気のせいだったわ。夜遅くにごめんなさい。今度何かおごらせてね。それじゃあ、お休みなさい」


 通話を終えると、清美は怪訝そうな顔をして携帯の液晶をしばらく眺めていたかと思うと、突然顔を上げて、


「今日私に噂を教えてくれた子に電話したの。噂の事なんて聞いたことないって」


 真剣な顔で俺にそう告げた。生暖かい風が頬を撫で、静寂が訪れる。二人で顔を見つめあったまま、時間だけが過ぎていく。


「奇妙すぎるな」

「ええ、ちょっと怖いほどにね。どうしたものかしら?」

「よし、帰ろう」

「ええ、そうね―――えっ!?」


 俺は踵を返すと、さっさと来た道を戻り始めた。


「ストップ! ちょっと待ちなさいよ!」


 そんな俺を清美が道の先回りをして止めてくる。そうくるとは思っていが、手を広げて大の字でのブロックとは、古典的な止め方である。


「どうしたのよ義之。さっき食べた素麺に水銀でも入ってたの?」

「俺死ぬからそれ。ついでに犯人のお前って事になるからな」

「どうでもいいわよ、そんな事! 義之、僭越ながら言わせてもらうけど、ここは行くべき時よ。気にならないの? この先には多分何かがあるのよ!」


 俺も同感であった。この先には恐らく俺達の知らない、普通に生きていくならば関わる事のない何かが待っているのだろう。そう、好奇心を揺るがす何かがだ。

 それを逃すことは、俺にとってはありえない事であった。それでも、


「リスクが高すぎる。やめておいた方がいい」


 心にもない事を口にしよう。俺一人ならば問題なく進むことができるだろう。だが、今は清美がいる。俺が行くとなれば、清美は意地でもついてくるだろう。

 そうなれば、危険は互いが持つ事となる。俺一人の責任で、ろくでもない事に巻き込まれるなら大歓迎だが、目の前の間抜けなゲス女を道連れにするのはご免こうむらせていただきたい。


「…それに、今の暮らしでも楽しむ分には、まあ悪くはない」

「なによ、ぶつぶつと」

「なんでもねえよ。結構やばめな臭いがするんだ、さっさとずらかるぞ。幽霊だ何だと、妙な目にあっても助けねえからな」

「うふふ、私が助けを求める? 馬鹿な事を―――――」


 どうせまた馬鹿な事を口にしようとしたのだろうが、途中まで口にして、清美は何かが途切れたように、それ以上喋る事はなかった。どこか宙を見たまま固まってしまっているのだ。俺は背筋に冷たいものが走るのを感じた。


「おい清美、どうした」


 肩を揺らすと、今清美は俺の顔を見たが、その表情は能面のように表情を持っていなかった。そして、俺から目を離すと舞殿の上の方をじっと見つめるのである。

 俺も清美の見ている場所へ目をやるが、そこには何も存在していない。俺は嫌な予感が頭の中でけたたましく警報をならすのを感じていた。


「いかなきゃ」


 予感が現実のものとして降りかかってきた。清美の口から出た言葉は、俺が感じる不吉を物語っていた。よくある話だ、何かに呼ばれるなんて怪談は。オカルトなんて冗談ではない。


「馬鹿を言うな、帰るぞ」


 俺は焦り、清美の手を取ると引きずってでも帰ろうと歩き出した。しかし、清美は動かない。力をこめて引いているというのに、強い意志によって動くことを阻まれているようであった。


「だめ、義之。私見ちゃったもの」

「何をだ」

「私、多分呼ばれてる。きっとそう、応えなくちゃ」

「いいか清美、俺の顔を見ろ。それで落ち着いて話せ、一体何を見たんだ」


 清美を俺の瞳をじっと見据え、表情は変わらないまま目だけを輝かせると、


「黒髪の、可愛い幼女が、背中丸出しの、レオタードのような服を着て、こっちを見ていたの」


 噛み締めるように、所々言葉を区切り、はっきりとそう口にしたのだ。


「レオタード姿の黒髪幼女がいた、と」

「いえす」

「そうか…」


 俺は想像する、深夜の神社境内でレオタードを着た幼女が清美に向かって手を振っている姿を。なんと滑稽で、馬鹿げた光景であろう。その結果、


「居るわけねえだろ!! 頭沸いてんじゃねえの!? ここ数日大人しかったと思ったら、突然大爆発してんじゃねえよ!!」


 俺は清美の溜まり溜まったフラストレーションが爆発したと考えた。抑圧された欲望が、夏の夜に蜃気楼のごとく幽玄と現れ、その持ち主を惑わそうとしているのである。怪談を追って鶴岡八幡宮まで足を運んだが、それより身近にもっと恐るべき怪談を発症する女がいたとは恐れ入る。心配して損した気分だ。


「いたのよ! 黒いフリルのついたレオタードっぽいピチピチの服を着た、前髪パッツンの黒髪ロングの美幼女がっ!」

「おい、情報を増やすな! 自分のフェチズムに従順するは勝手だが、とち狂うのはやめてくれ!」

「いたもん! 幼女いたもん! 清美嘘ついてないもん!」

「なに幼女みたいな駄々こねてんだよ! 幼児退行した所で、幼女でてこねえからな!」

「ドリームカムトゥルー! ネバーギブアップ!!」

「その日本人丸出しのヘボ発音の英語止めろ! あれだ、お前が見たのは霧とか枯葉が風で揺れる音なんだよ坊や」

「魔王なの、あの幼女!? うわぉ! 信じられないぐらい興奮する!」

「馬鹿な、頭は正常に働いているというのに、回路がピンク色に染まっているせいで、出力がバグってやがる。手遅れだ」


 なんと不穏かつ無駄な言い争いであろう。人生の中でこれほど幼女と口にする事はもうあるまいというほどに、清美と幼女の有無について言い争いが続いた。

 収拾がつかなくなると思われた争いであるが、しばらくすると、


「本当はね、義之の言う事が正しいって分かってるの」


 突然清美はしおらしくなり、俺から視線をそらした。不自然な行動であったが、俺は清美の言葉に心底ほっとしていた。我侭言うのは止めてくれたのだろう、そう油断したのだ。


「分かってくれたか。それじゃあ、帰るぞ」


 俺は清美に背を向け、一刻も早く頭痛を発症しそうなピンク色の電波空間から抜け出したく、足を急がせた。しかし、清美がついてくる気配がない。俺は、どうしたのかと振り返ると、


「それでも私、行くわ」


 頭痛の種が、思い切り頭にハンマーを振りかざしてきた。絶望である、この女まったく人の言葉を聞く気がない。


「お前まだ――――」

「だって!」


 清美が、大声を上げた。暴れるような動作で振り上げられた拳は左右硬く握られ震えている。清美は目を見開くと、拳を振り下げ、


「だって私! 清美だから!」


 力強く息を切らせてそう叫んだ。驚いた、今まで清美というのは一人のゲス女をさす名詞だと思っていたが、目の前の変態曰く、何かの単語であったらしい。もしかしたら、動詞でもあるのかもしれない。これからは清美る、清美った、などをバラエティ豊かに使うことにしよう。

 などと、現実逃避に身をゆだねていたのだが、思った以上に清美の発した言葉は俺に衝撃を与えたらしく、俺は啞然としたまま、突っ込み一つ入れることのかなわない状態に陥っていた。


「義之と過ごした数日間は、本当に楽しかった」


 だから、シリアス調に話し出す清美を止めることも出来ないのである。


「私、このままで楽しくやっていけるって思ってた。本当に満たされたと感じていたの。でもやっぱりだめだったのね。あの幼女を見た瞬間、自分が何者であるか教えられたわ」

「―――はっ! やばい、意識飛んでた」


 ここにきて俺はようやく自分を取り戻したが、


「私は清美、竜胆清美。百合を拗らせた馬鹿な女の成れの果て」

「は? お前何急に語りだしてんだ?」


 もう後の祭りであった。語りは佳境に入っている。誰も止める事など出来ないのだ。


「ありがとう、義之。素敵な夢だった。それを抱いて、私はこれから自分の道を歩んでいけるわ」

「おーい、もしーもーし。頭逝ってるお嬢さん、話を聞いてくれないか?」

「もし、義之と会うのがもっと早ければ、私はどうなっていたのかな?」

「え? 何だその死亡フラグのような台詞。自分に酔いすぎだ、至急落ち着くことをお勧めするぞ」

「それじゃあ、もう行かなきゃ」

「行かなくていい。ってか行くな。お前疲れてんだよ、主に脳が」


 残念だが俺の声は清美に届かないらしい。清美は俺に背を向けると、顔だけをこちらに振り返らせ、


「義之、生きるのって大変だね」


 目じりに涙を浮かべ、意味深な、それでいてまったく中身のない台詞を無理やり作ったような笑顔で口にした。そして、前を向くと一度大きく深呼吸をし、


「つっしゃ! 今行くからねー! 私の溢れ出る母性を舐めるんじゃないわよ! 待ってなさい幼女ー!!」


 すべての茶番を台無しにするゴミのような内容の大声を上げて、広場中央の舞殿まで走っていき、右に進路をかえ、それっきり姿が見えなくなった。

 俺はその姿をなす術もなく見守ると、すげえ、と口から感嘆の声を漏らした。


「あの女、自分で盛り上がって、自分だけで自己完結した挙句、すべてを台無しにして自分の欲望に向かっていきやがった」


 原初の時代より、人間の三大欲求は根源として存在し、それに逆らうのは不可能であると言われている。理性とは即ちそれを抑えるために生まれたのだと俺は思っていた。操縦不能であるからこそ、留めるべきなのだと。だが、乗りこなし、さらには新たな波を起こす事が出来るのだと、今日始めて知る事となったのだ。

 竜胆清美、時代が違えばあるいは世に影響を及ぼす人物になっていかたもしれん。そんな世の中、ろくなもんじゃねえけどな。


「静かだ…さて、どうしたものか」


 蓋を開けてみれば、友人への心遣い空しく、不思議への入り口で一人寂しく佇んでいる俺がいた。腑に落ちない、理不尽ではないか。何故俺が、このような仕打ちを受けねばならないのだろうか。


「…帰るか。そうだ、そうしよう」


 俺は自分に言い聞かせるように独り言を呟くと、鶴岡八幡宮の本宮へ背を向け、帰路に着いた。あのスケベを拗らせた女の事など忘れてしまおう。何かあったとして、自業自得だ。そう、何かあったとして…。


「クソっ! 何かあったらどうすんだよ!」


 俺は自分の性分を呪った。放って置ける訳がないのだ。善悪の境はあれど自分が認めたうえに、数日間共に過ごした友人を見捨てる事などできようものか。

 清美が飛び込んでいった場所は、普段の鶴岡八幡宮とは違うのだ。奇怪な者がどこに潜んでいるかもしれない空間に、何をしても死ななそうとはいえ、無防備に入っていって無事で済む訳がない。


「なんでこんな…放っておけばいいものを! ああ、そうだ、そうそう。俺は元々ここへ来た目的を果たそうとしているだけだ。あの女など関係ないが、それはすべき事だろう。仕方ない、危険かもしれんが、先へ進むとするか」


 自分で口にしておきながら、不恰好な理由付けであった。素直に清美を助けに行くと言えばいいのだが、羞恥心がそれを邪魔するのである。それに加え、あのゲス女の走っていった理由がろくでもなかったせいで、助けに行くという行動が恥ずかしく思えるのだ。

 ともかく、


「清美ー! どこだー!」


 俺は走り出した。清美が走り去った道を同じように辿って行く。馬鹿の友人が馬鹿である事が証明された瞬間であった。

 広場中央にある舞殿を右に曲がると、自分から見て左手には何かの施設と階段、正面には小さな池が見ていた。どちらに行ったか分からなかったため、俺は立ち止まり周りを見渡した。

 すると、


「何だ今の」


 右手頭上、木々が茂る辺りで何か物音がした。目をやるが、鳥も小動物も見当たらない。ついでに空も見てみるが、結果は同じであった。どうやら今の鶴岡八幡宮には俺ら以外の生物がいなくなっているようであった。


「こっちか…?」


 音のした方、すなわち池がある小道へと足を進める。すると、意外な事にすぐに何か動く影を発見した。池の端でなにかを探すようにゴソゴソと動いているのである。しめたと、俺はすぐにその影へ歩み寄り、肩をつかむと、


「このノータリン女! さっさと帰るぞ! 幼女なんてここにはいないんだよ!」


 そのまま体を引き寄せて、顔を正面から見定めた。

 すぐに目に入ったのは、美く長い黒髪であった。瞳が隠れそうになるまで伸びた前髪が揺れ、その下からたれ目気味の大きな黒い瞳が俺を見つめている。大人びた雰囲気の顔は、くたびれる事を知らず、若々しさを醸し出し妙な色気を放っていた。肌は驚くほどに白く、夏だというのに厚手の長袖にロングスカートを履いていた。背は160センチ前後だろうか。全体を見て言葉で現すなら、近所の初恋のお姉さんといった所だろう。

 だが、それらを一瞬で忘れさるほどに、その女にはある特徴があった。


(胸でかっ!)


 規格外であった。服の上からでも分かるほど張っているご立派なものは、清美の胸が霞んで見えるほどに巨大であったのだ。清美がFだと言っていた事を踏まえると、四つぐらいはサイズが上なのではなかろうか。

 ここまで言えば分かるだろうが、人違いであったのだ。どうみても年上である推定二十代の女性に、俺は掴みかかってしまったのである。

 赤っ恥だ。俺が肩を掴む女性しだいでは、警察沙汰になる可能性すらある事態であった。


「あの~」

「あ、す、すまん。いや、すみません」


 思わず言葉を敬語に直すと、俺は見知らぬ女性の肩から手を離した。


「申し訳ない。友人を探していたもので。まさか、こんな夜中に自分たち以外に人がいるとは…」

「ご友人ですか? もしかして、金色御髪の女性でしょうか?」

「それです。どちらへ向かったか、ご存知でしょうか?」

「脇目もふれず、あちらの階段を上っていったはずです。幼女、と大声で叫んでいましたが、何かあったのでしょうか?」


 俺のもう一方の選択肢にあった階段の方を指差しながら、九音は首を傾げた。俺は自分の事ではないのに、恥かしさを感じていた。見つけたら、至急躾けて二度とこんな目に合わされない様にしなければなるまい。治るとは思ってはいないが、やらねばならない時があるのだ。


「貴重な情報ありがとうございます。では、先を急ぎますので」

「あ、お待ちなってください」

「はい?」


 さっさと馬鹿を追おうとして、女性に引き止められる。丁寧な言葉遣いだ、育ちのよさが伺える。それにしても、何か用があるのだろうか。


(待てよ、夜中に女性が一人でこんな場所にいるなんておかしいだろう)


 俺はいやな予感がしていた。何か事情があるというなら、


「私も人を探しているんです。ご存じないでしょうか?」


 それは厄介ごとに決まっているのだ。一刻も早く追いかけるべきなのだろうが、このまま放っておく訳にもいかず、俺は話を聞くことにした。


「人ですか…えーっと」

「申し遅れました。私は常盤九音ときわ ここねと申します。常に盤と書いてトキワ、九つに音と書いてココネと読みます」


 なんとも独特の間を持つ女性である。彼女の持つ雰囲気のせいか、のんびりとした空気が場に充満しつつあった。


「どうもご丁寧に。俺は源義之という者です」

「まあ、源!」


 常盤九音と名乗った女性は俺の苗字に目を輝かせて反応した。鎌倉で名を名乗ると似た反応をされるが、彼女ほど喜びに満ちた反応をした人はいなかったであろう。


「素敵な苗字ですね。私、めっさ感動しています。でも、呼ぶなら名前のほうがいいですよね。義君でいいでしょうか?」

「めっさ?」


 会話が自然と脱線しつつあったが、言葉の途中に妙な単語が混ざった事で、俺はそちらの方に気を取られてしまった。めっさとは確か、東北だかで使われている方言だった記憶がある。この女性は、東北の出なのだろうか。

 俺はそんな推測をしながら、目の前の女性がどのような人間なのか大体察しがつき始めていた。


(恐らく天然だ。しかも類を見ないほどの、一歩間違えば電波とかわらないぐらいのだ)

「あの~」

「へ、ああ、はい。かまいませんよ、常盤さん」


 俺が許可を出すと、常盤さんは首をかしげた。


「その、九音です」

「はい? はあ、伺いましたが」

「では、九音と呼んでください」

「…分かりました、九音さん」

「もうっ! 九音です!」


 どうやら敬称つけたのが気に食わなかったらしい。頬を膨らませてぷりぷりと怒る九音は、大人びた容姿とかけ離れた幼い子供に見え、そのギャップが可愛らしさを生み出していた。それ以上に面倒である事は否めないが。


「あー…それじゃあ、九音」


 この際敬語もやめてやると、九音は手をパンと叩き笑顔で喜びを示した。変な女だ、非常に興味深い。


「でだ、人を探してるんじゃなかったのか?」

「そうでした! 申し訳ありません、舞い上がってしまいました」

「いや、かまわんよ。結論から言うと、俺は連れと九音以外はここに来てから見ていない。けれどまあ、お互い人探しがある訳だ。特徴を教えてくれれば、ついでに探すことも出来るだろう」

「ありがとうございます。では、特徴…といいますより姿格好を申し上げますね」


 にっこりと微笑むと、九音は息を吸い込み、


「銀髪でお尻に穴の開いた下着丸出しの巫女服のような格好をした、女子中学生ぐらいの女の子を捜しているんです」

「よし、分かった。あんたも卵子弾ける系女子か」


 一気に言葉を吐き出した。まさかの清美の同類である。俺は、自分の運無さを呪った。人間見かけにはよらないのである。以後、多少まともに見えても、例え容姿が好みであったとしても、安易に関わろうとするのはよしておこう。


「あの~、ランチ始める系女子とはなんでしょうか? 私はお弁当派なのですが」

「素晴らしい聞き間違えっぷりだな。それで、その女の子とあんた知り合いなのか?」

「いいえ、夜の散歩をしていましたら、ここに入っていくのを見かけました。お知り丸出しでは風邪を引いてしまうと思い、追いかけてきたのですが、見失ってしまいまして」


 どういう動機だ。俺は突っ込みどころ満載の話に、思わず突っ込みを入れそうになるが、グッと堪えていた。清美系女子だと思ったが、どうやら表情から察するに本気で心配して追いかけて来たようであった。

 俺の言葉を聴き間違えてくれてよかった。そして、清美の同類でなくて心からよかった。ある意味、同じぐらい厄介な気がしなくもないが。


「事情は飲み込めた。お互いする事は決まっているようだな」

「はい、占いです」

「…まて、どういう事だ」


 お互いの探し人を見つけに行くのではなかったのだろうか。


「闇雲に動いても見つかるとは限りません。ですから、まずは居場所を占い、それにしたがって進むのが最善だと私は思うのです」

「ああ、そう言う事か…言いにくいが、素直に探したほうが早いと思うぞ」


 俺は意見を述べたが、どうやら九音はまったく俺の話に耳を傾ける気はないようであった。まかせてください、とばかりにガッツポーズで意気込んでいるのがその証拠だ。どうして俺の周りにいる女は、人の話を聞かないのだろうか。


「安心してください。私の占い当たるんですよ。最近始めた趣味ですが、自信満々です」

「不安しか残らんぞ。はぁ…もういい、好きにしてくれ」


 九音のぽわぽわと宙に浮くような雰囲気と、掴み所のない言動に、俺は黙って従ったほうが話が進むと判断した。


「では、参ります。いざ! え~い!」


 気合いを入れた掛け声と共に、九音の靴が宙を待った。どうやら、九音が自ら靴を蹴る様にして吹き飛ばしたようであった。

 打ち上げられた靴は大きく弧を描き、木を揺らしながら清美が上って行ったであろう脇道にある階段の方まで飛んでいった。俺はそれら一連の動作を目で追ってしまう。今日はなんだか空を見上げる事が多い気がした。

 どういう占いなのか知らないが、随分とアグレッシブな行動であった。俺は占いの結果がどうなったのか知ろうと、九音の方を見ると、


「めっさ飛んでしまいました。私、びっくりです」


 目を丸くしている九音がそこにいた。なんなんだこの女は、意味が分からすぎる。非常に面白いが、今はそれに付き合っている場合ではないのだ。


「失敗なのか?」

「いいえ、これ表か裏かを確認しまして、占いは完了です」

「お天気占いじゃねえのかそれ!?」


 俺の言葉を聞き、あっと声を漏らすと九音は俺から目をそらした。驚愕である。まさかのお天気占いとは、流石の俺も予想できなかった。だが、九音は何かを思いついた顔をして、


「違います、勘違いです。飛んでいった方向に探し物があるのです。お天気占いではありません」

「本当か? 取って付けたような話だが…まあいい、それならさっさと見に行くぞ」


 俺は内心嘘だと思いながらも、九音の靴が飛んでいった方へと急ぎ歩き出した。早くこの無益なイベントを終わらせたい一心であった。


「あの~!」

「今度は何だ?」

「助けてください! 靴が片方ないので、歩けません!」

「まったく! 面倒がかかる女だな!」


 俺は悪態をつきながら、片足でピョンピョンと跳ねながら俺に近づく九音に手を差し伸べ、九音が掴まった瞬間、強引に引き寄せた。キャッという小さな悲鳴が聞こえたが、気にしていては話が進まないので、そのまま背を向け、九音に乗るように顎で合図を送る。


「あの~」

「ああん? なんだ、男に背負われるのは嫌ってか? それなら却下だ。いいから早くしてくれ」

「私、お姫様だっこを希望します!」

「本当面倒くさいなあんた!」


 だが、言い争っている場合じゃない。俺は即座に九音を持ち上げると、階段の方へと足を向けた。九音が妙に恍惚の表情を浮かべているが、そんな事に気を取られている暇はないのである。


「素敵です~。このまま江ノ島水族館まで行きたいです。どうでしょうか?」

「夜中で閉まってる。それにデートなぞする気は毛頭ない!」

「そう言えば、私重たくないですか?」

「話しがコロコロ替わるなあんた。想像以上の重量感だが、問題ない。許容範囲内だ」

「めっさショックです」


 俺の腕の中で九音がしょんぼりする、が慰めの言葉をかける前に、九音の靴のある階段前へ到着したので、そちらを優先する事にした。


「靴は…裏側だな。それで、占いの結果この辺に何かあるって事か?」

「そうですね…靴が裏側なので恐らく、この辺でもう一つ何かしらの行動を取る必要があるのだと思います」

「案外細かいな、あんたの大雑把な占い」


 と言っても、清美がこの辺りに隠れているなんて考えづらかった。それに、九音の話しが正しいならば、清美はこの階段を上って言ったはずだ。


(九音をこのまま放り出すのは気が引けるが、清美の事が最優先だ。悪いが、一人で行動させてもらう事にしよう。人違いの件なら、もう十分付き合ったことだし、チャラでかまわんだろう)


 俺は、九音を靴のある場所で下ろそうとして、


「なんだ? 靴の隣に石が二つ?」


 九音の靴が落ちている場所に、同じようにして平べったい特徴のある石が隣に添えてある事に気がついた。俺は首を傾げたが、九音を下ろす事が先決と放っておく事にした。


「あっ」


 靴を履いていた九音から声が上がる。


「なんだなんだ? 今度はどうした?」

「三日月綺麗ですね」


 空を見上げると、確かに三日月が煌々と輝いていたが、だからどうしたと言う話だ。この九音とか言う女、本当にとらえどころない変人である。


「そうだな。早く靴を履いてくれ」


 九音が靴を履くのを待って、俺は一人で行動すると決めていた。こんな夜中に女性を一人放って置くのはどうかと思うが、清美とて一応、奇しくも、生物学上、女性のカテゴリーに入っているのだ。放っておく訳にもいくまい。


「悪いな、連れが心配なんだ。先に行かせてもらう」

「そうですか、私はこの辺りを捜索しようと思います。名残惜しいですが、私も銀色御髪の女の子の風邪引きさんを阻止しなければいけませんし、お互い頑張りましょう」


 むん、と九音は両手を胸辺りまで上げて、気合満々のポーズをとる。基本的に善人なんだろう。俺は後ろ髪を惹かれる思いで、九音に別れを告げると、


「すまない、それじゃあ――――うおっ!?」


 階段の直前、何もない場所で見事にすっ転んだのだった。今日は厄日だ、ろくな事がない。


「大丈夫ですか!? 何もない所で躓いたようですけど、大丈夫ですか!?」

「頭の事を言ってるのか、体の事を言ってるのか、どっちか分からんが、両方とも大丈夫だ」


 しかし、何故こんな所で転んだのだろうか? 足元には何もなはず…いや待てよ、何かあるぞ。


「なんだこれ?」


 俺が転んだ場所には、黒と白のブヨブヨとしたクラゲのような物が宙に浮いていた。触れてみると感触がなく、その代わりブヨブヨに触れている手の平に、捕らえ所のない違和感を覚えた。

 足元付近に設置されている辺り、何かのトラップだろうか? 軽く突いてみるが、指はこの妙な物をすり抜けるし、通常ではありえない物体である可能性が高かった。

 しかし、何故感触もないのに足が引っかかったのだろうか。気がかりである。


「陰陽結界…?」

「あん? なんだそれ?」


 俺に近づいてきた九音が口元を押さえながら、信じられないものを見るような目でブヨブヨを見ると、搾り出すように呟いた。


「どうしてこんな所に…ありえません。視覚できる事もそうですが、それ以上に――――」

「すまんが、何を言っているのか分からん。何なんだこの物体は」


 九音は俺の言葉に答えるよりも先に、陰陽結界と九音が呼んだ物へ近づきしゃがみこむと、スカートのポケットからメモ帳と赤いペンを取り出し、メモを取り始めた。


「物体ではありません。これは結界の一種です。結界とは、場を制定する意味もありますが、これは場を隔離するためのものです。真逆の力をぶつけ合う事で、新しい同等の力を発現させ、そこにこの場所を映しているといった所でしょうか…。境内の様子がおかしかったのは、これの影響です」

「まったく分からん。分かりたくもないところだが、あんたが電波じゃないと仮定すると、ようはオカルトの話って事でいいんだな?」

「原理はありますが、概ね義君の言うとおりです」

「そうか。それで何であんたは、そんな事を知っているんだ? まさかとは思うが、今の鶴岡八幡宮の状況はあんたが絡んでるんじゃ――――」

「あっ」

「おい待て、何だ今の声。俺の質問はいいから、そっちを答えてもらいたいんだが」


 九音は笑顔を浮かべて俺に振り返ると、


「やってしまいました」


 舌を出して、コツンと自分の頭を小突いた。何をやってしまったのかと、恐る恐る九音が調べていたブヨブヨに目を向けると、


「なんだこれ? 赤色と白色で出来た玉が震えてる? …何処かで見た事あるぞ。これ漫画とかでよく見る、陰陽師的なマークじゃないか?」

「はい、よくできました。義君の言うとおりです。俗に言います、大極図というものです。結界が不安定だったので、原理を解析して、安定させようと試みたのですが…」


 何故そこで言葉に詰まるのだろうか。不安しかない、止めてくれこれ以上の厄介はごめんなのだ。この先の言葉を聞きたくないが、聞かざるを得ないのだろう。なにせ気になる上、話が進まないのだから仕方あるまい。


「安定したんじゃないのか? 形にはなっている訳だし」


 俺は意を決して、そんな質問をする。


「安定させすぎました。新たに結界の主と認識された私たちは、結界内へ旅立つ事になります」


 沈黙が場を支配する。だが、赤と白の宙に浮いた陰陽マークは、その存在を誇示するがごとく、より振動を増し、機械のような鈍く高い音を出し始める。これはやばい、九音のいう事はともかく、まずい事になっているのだけは分かる。


「頼む、一人で行ってくれ」

「私達、です」

「くっそ! 付き合ってられるか、俺は逃げ―――――」


 陰陽マークに背を向けて走り出そうとした瞬間、


「あ、臨界突破です。吸い込まれますので、お気をつけください」

「なんであんた、そんなに冷静なんだよ!? うわっ! まじか、吸い込まれ――――」


 俺は、自分の体が浮くのを感じ取った。浮遊感とは、かくも精神的にも不安を催すものなのかと思うや否や、ブラックホールのような黒くどこに繋がっているも分からない物騒な空間へと引き込まれていった。

 そして、


「おわっ、あぶっ――――ぐふっ!」

「あらあら? 地面に落ちたはずですのに、柔らか硬いのは何故でしょうか?」

「俺の…上に乗ってるから…だっ! 早くどいてくれ!」


 何故か入った位置よりも高い場所から落とされると、九音の下敷きになるのであった。やはり見た目よりも重い気がする。口に出す気はないが、ダイエットをお勧めしたい。


「んで、ここは…さっきと同じ場所か?」


 辺りを見回すと、後方には階段、右前には池と木々、そして左には社務所であろうか、吸い込まれたはずの場所と同じに見えた。


「そんなはずはないと思うのですが…。趣味でやっていたとはいえ、陰陽の原理は知っているはずなので」

「一気に信用が落ちたぞ。趣味って何だ、趣味って。むしろ、趣味の範囲で、こんな妙なこと起こせるなら、そっちの方がびっくりだぜ」

「むー、趣味を馬鹿にしないでください! 私の九十九の趣味はどれも一級品です!」

「どんだけ趣味多いんだよ!?」


 などど軽口を叩いていると、


「っ!?」


 前方、舞殿のある方向からけたたましい爆音と、金属がぶつかり合うような鋭い音が聞こえてくる。俺と九音は顔を見合すと、立ち上がり無言で、ゆっくりと慎重に足を舞殿の方へと向けた。

 そして、用心深く社務所の影に身を潜めると、広場を覗き込んだ。


 ―――――そこは砂埃舞う、奇妙な戦場であった。


 響き渡る爆音、舞うように巻き上がる砂埃、地面は所々削られ戦局の激しさを物語っている。大地には墓標のように、黒く太い鈍重な輝き放つ長い棒がいくつか刺さっていた。


「なんだこれ…?」


 俺の疑問に誰も答えることは無い。俺よりもオカルトの知識を持つ九音とて、口を押さえ目を見開き固まってしまっていた。

 奇妙といえば、広場にはあるはずのものが無くなっている事に俺は気がついた。


「舞殿がない…? 結界…本当に違う場所なのか」


 俺が自分の身に降りかかったオカルトを認めると同時に、


「一錠にて黒鉄!」


 幼さを残した透き通るような声が聞こえてきた。

 周りの風景がノイズが走るようにぶれていく。すると、誰もいなかったはずの広場に二つの影が現れた。


「二錠にて鍵と成し、三錠にて定を解し、四錠にて箱に至る!」


 二つの影が、月に照らされ跳ねている。一人は黒髪で、もう一人は銀色の髪をしていた。俺は途端に得心した。噂は事実であったのだと。ただ、そこにいるのは兎ではない。声からして少女、人間なのだ。


「四辺にて紡ぎ候! 鋼結『四錠影送り』!!」


 銀髪の少女が叫ぶ。すると、空には地面に刺さっているのと同じ、黒い棒が四本宙へと浮かび現れた。宙にあんな物が浮いている事自体不可思議であるが、その四本の棒は宙で互いを合わせ四角を描くと、まるで風呂敷のようにヒラヒラとした黒色の布のような物に変わり、宙に浮く黒髪の女を包みこんだのだ。


「違う。これはそう使うものじゃない」


 小声だというのに響き渡る、凛とした声が聞こえた。黒髪の少女だ。黒い布に包まれながら、少女はボソボソと何か呟くと、


「謳いなさい『地獄蝶弔(じごくちょうちょう)』」


 体に纏わり付く布を物ともせず、両手を広げた。すると手を広げた先から、金色の靄と共にガラスのような羽を持つ黒い蝶が何頭も現れ、二枚の羽を優雅に羽ばたかせると、鈍い光を放ち布をいとも簡単に切り裂いたのだ。


「行きなさい。貴方達は死こそ相応しい」


 黒髪の少女は自由になった体で、両手を掬い上げる形にし口元までもっていくと、慈しみをもって吐息をかける。たちまち黒い蝶は少女の手から姿を成し、周りを泳いでた蝶と共に銀髪の少女へと向かっていく。


「っー! 一錠にて黒鉄! 飛んで六錠にて結び申す! 衣仕立に在らざりて紡ぎ候! 無縫『織部不知(おりべしらず)』!!」


 銀髪の少女を守るように、黒い壁が地面から現れる。されど、それは壁にあらず、幾つもの糸の集まりであった。銀髪の少女が駆け出し、蝶を引き離すように跳ねながら舞う。それに合わせ、黒い糸達はいくつもにバラけ蝶を通さぬようにと、縦横無尽に踊り狂う。


「それも違う」


 無秩序な動きを見せていた糸たちは、蝶を追い様々に伸び縮みし、その進行を阻害しているようであった。されど、黒い蝶は黒髪の少女が右手を上げると、命令に従うように一頭の蝶を先頭に列を成し群がり、先頭の蝶が糸の壁に遮られると同時に、四散し見事に糸をかく乱して見せた。

 そうして、何頭かの蝶が糸の間をすり抜けて、跳ねる銀髪の少女へと近づいていく。銀髪の少女はしまった、と目を見開いた。


「笑いなさい『地獄蝶弔』」


 刹那、糸に阻まれていた蝶達が燐光を放ち、燃えるように赤く染まると、轟音と共に爆風を伴い小さく爆ぜた。

 小さく、目に見えて控えめな爆発に見えたが、その威力は耳に劈く音と顔を覆う程の爆風で、容易く想像するに至った。あんなものを受けては無事ではあるまい。

 されど、銀髪の少女は姿形も地面にあらず、その声は、


「十二錠にて構え候!」


 遥か頭上より、聞こえてきた。見れば、黒い紐が蜘蛛の糸のように天井から一本ぶら下がっているではないか。それに摑まり銀髪の少女は難を逃れたのだ。

 銀髪の少女の声に従い、空には十二本の黒い棒が現れていた。空から生えるようにして伸びる黒い棒は、今か今かと主の命を待つように細かく震えている。


「降り注げや黒鉄! 『天ノ雨屠(てんのあまと)』!!」


 少女の怒号が響き渡る。宙に浮く十二本の黒い棒は、待ちわびたとばかりに黒髪の少女めがけて一直線に空から放たれた。落下の速度では考えられない勢いで、十二本の棒は黒髪の少女へ迫る。されど、黒髪の少女は溜め息一つ吐き、慌てる様子もなく、掌を迫りくる棒へと差し出すと、


「それは正解。でも、あまりに弱すぎる。囀りなさい『地獄蝶弔』」


 その掌から放たれるように、一際大きい蝶がゆっくりと姿を現した。そして、羽ばたくまもなく、蝶の羽は透き通るように輝き、光の渦を放ったのだ。

 渦は二本の線へと形を変える。それらが交じり合い、螺旋を生み、一直線に黒い棒へと向かっていく。

 螺旋にうねる光線は、幾つもの楕円の繋がりになり大きく広がると、黒い棒をすべて消し去りながら、夜を切り裂くように空高くまで伸びていく。それがおまけであったと言う様に、光は空で美しく花火のように美しく散り散りに輝くと、辺りには静寂が訪れた。


「はぁ…はっ…」

「無駄。諦めて。私には及ばない」


 片膝を付き息を荒くしている銀髪の少女を一瞥し、黒髪の少女は地面に降りると、子供がじゃれるのをたしなめるような口調でそう告げた。そして余裕を誇示するかのように、何頭かの蝶を生み出し、体の周りを舞わせ戯れる。

 黒髪の少女の言うとおりであった。俺から見ても力の差は歴然、銀髪の少女は全力で挑んだのであろうが、黒髪の少女は歯牙にもかけていない様子であったのだから。


「めっさすごいです…こんな事、こんな光景が現実にありえるなんて」

「同意見だ。だが…」


 現実離れした、漫画の世界でしか有得ない光景であった。片や黒い棒を宙に浮かせては形を変え、あるいはそれを矢として戦う銀髪の少女。片や、黒く美しいこの世のものとは思えない蝶を操り、多彩な戦法をもってして、優雅に佇む黒髪の少女。

 鶴岡八幡宮という特殊な場所である事も手伝って、幻想的な光景は俺達を魅了していた。だが、俺は今一のめり込めていなかった。こんなにも不可解で不可思議な興味そそる出来事が目の前に吊るされていると言うのに、どこかで興奮が冷めているのを感じていた。

 それというのも、


「あの服装は何とかならなかったのか…」


 彼女たちの破廉恥極まりないコスチュームが原因なのだ。

 恐るべき事に、清美の見たものは妄想などではなく、実在する人物であったのだ。そして、半信半疑であった九音の見た少女もまた実在しているのである。それも目の前に。

 つまりはだ、清美の言う『黒いフリルのついたレオタードっぽいピチピチの服を着た、前髪パッツンの黒髪ロングの美幼女』と九音の言う『銀髪でお尻に穴の開いた下着丸出しの巫女服のような格好をした、女子中学生ぐらいの女の子』が広場中央で睨み合っているのである。

 先の戦いも、その服装で見事なまでにこなしていたのだ。実に滑稽だと言わざるを得ない。


「あの服のせいで、世界痴女対戦にしかみえねえ…」

「世界忍者大戦? 彼女たちは忍者さんなのですか!?」

「どう聞き間違えれば、そうなるんだよ。っていうか、聞いてたのよりも衣装際どいだろアレ」


 銀髪の少女は前から見れば巫女服にも見えなくはないが、上着である白衣はヘソの上辺りで纏められ、腹丸出しで余った布は背中の部分にリボンのように結ばれているようであった。

 さらにズボンに相当する緋袴は尻丸出しなのも最悪であるが、足の部分も袴である部分がなぜか均等に穴が開いており、白衣と同じく太ももと膝辺り他数箇所でリボン結びのように纏められていた。ようするに、ほぼ足丸出しである。

 ついでに何を思ったのか手には、オペラグローブと呼ばれるドレスなどに用いられる黒色の手袋が中指だけ残し、他四本は指貫状態ではめられていた。何の用途かさっぱり分からず衣装をちぐはぐにしているのだ。

 総体的に体を隠す部分が、服を着ているというのに不自然に少ない。紛う事なき痴女である。

 次に黒髪の少女…いや、幼女といったほうが正しいだろうか。なにせ身長がどう見積もっても140cmを超えていないのだから。

 その幼女の服装であるが、彼女がもし新体操やアイススケートを嗜んでいないとすれば、完全に児童虐待である。やっていたとしても、不自然なのだから救いはあるまい。

 黒に白い線が入ったレオタードのような服は、所々に精一杯のお洒落と言わんばかりにフリルがついており、よくみると背中だけでなく、全体的に市販されているものよりも生地が少ないのである。腰の辺りはメッシュになっているようだし、手袋も銀髪の少女とお揃いで、色だけが白と銀髪の少女と違っているが、それ以外はまったく同じものであった。

 あとは強いて言うならば、右手にはめてある、やけすっぽ太い黒色のブレスレットが妙に目立って見えた。だからどうしたという話であるが。

 ついでに言えば、レオタードと言ったが光沢からして、エナメルに近い素材を使っている可能性がある事を追伸しておきたい。

 足は太ももまで服と同じ素材を使ったブーツのような物が履かれており、踵部分がハイヒールのようになっているのか非常に歩きにくそうであった。所々にこれまた服と同じく、可愛らしいフリルが付けられているのが伺える。こちらも紛う事なき痴女である。


「駄目だ…どう考えても正当な理由が浮かばん。何を思ってあんな格好で戦っているんだ? 不可解だ、不可解すぎる」

「魔法少女とかによくある、変身コスチュームではないでしょうか?」

「馬鹿な、機能性重視でないパワーアップなど、俺は認めんぞ」

「魔法少女を馬鹿にしないでください! 可愛ければそれで強くなるんです! 少女趣味の私が言うんですから間違いありません!」

「あんたの趣味の基準がまったく分からん! くそ、あの衣装のおかげで歯痒くて仕方ない。どうしてくれるんだ、このもやもやを!」

「出歯亀しておいて、文句を言うのはどうかと思うのですが…」

「正論だ、実に正しい! だがな、この理不尽な事態に正論など、必要ないんだ。覚えておけ、邪道に正道をぶつけた所で混ざり合って結局邪道になるだけだと」


 九音は俺の適当な今しがた思いついた、中身スカスカの意見に感銘を受けたらしく、メモ帳を取り出して今度は黒ペンでメモを取り始めた。

 だが、俺はそんな事よりも、目の前の少女たちの服装が気になって仕方がなかった。こうなれば聞きに行くべきだろうか。何せ今は落ち着いているようだし、聞けば答えくれる可能性はゼロではないはずだ。


「…ちょっと行ってくる」

「ええ!? む、無茶です! 何を言っているんですか義君! 死んでしまいますよ!」


 中腰をやめて背を伸ばし、いざ行かんと広場へ向かおうとする俺を九音がしがみ付いて止めてくる。九音の言う事も最もであるが、気になるのだから仕方がない。今になって、清美が俺の言葉を理解しながら走り去った気持ちが分かる。己の内にある衝動とは止め難きものなのである。

 すると、俺が九音の妨害を受けている内に、二人に動きが見られた。


「それでも…それでもっ!」

「無駄なのに」

「あっ! しまった! やりとりが再開されちまった!」

「あらあら、残念ですね~。邪魔しては申し訳ありませんし、大人しく覗き見していましょう。ね?」


 子供をあやす様に俺の頭を撫でながら、九音は頭半分建物影から出ていた俺を引っ込めた。男の頭を撫でるなど、よして欲しいが、恐るべきはその母性である。嫌悪感を抱くどころか、非常に気持ちいいのである。大学生かOLだと思っていたが、もしかすると九音は子供でもいるのかもしれない。

 などと、下らん事を考えているうちに、広場は佳境を迎えていた。


「諦めないなら」


 黒髪の少女が、両手を広げ深呼吸をする。次の瞬間、


「なっ…!?」


 銀髪の少女は地面に膝をつきながら、固まってしまった。俺と九音も言葉を失い、目を見開いていた。


「諦めないなら、動けなくさせるだけ。触ったら爆発するから気をつけて」


 銀髪の少女周辺に、百近い蝶が現れ、羽を動かしながらその場でユラユラと揺れているのだ。一歩でも動けば、触れずには済まないであろう。黒髪の少女は触れれば爆発するといった。ならば、動く事は即ち死に直結するという事に相違ない。

 俺は、チャンスだと思った。


「いいぞ、そのまま膠着していろ。タイミング的に、行くなら今だ」

「義君!? まさか、まだ広場へ行くつもりですか!?」

「おうよ。今なら行っても問題ないはずだ」

「問題だらけです! 死んでしまいます! 駄目です! メッですっ!」

「よく見ろ、銀髪痴女が俺達とは離れた逆位置にいるせいで、あの黒い蝶は黒髪痴女の背後、こちら側にはまったくいないんだ」


 つまり、背後からであれば安全に近づき会話ができるという事だ。実にさえている。流石俺であると自画自賛したいほどだ。


「そういう問題ではありません! 駄目です! 絶対に駄目っ!」

「九音とやらよ、よく考えてみろ。あの二人は人間かどうかも分からんが、人語を介しているんだ。という事は、会話ができるはず。童謡の森の熊さんだって、言葉が通じれば理解しあえただろう? いけるって」

「それは少女が武器を持っていなかったからです! 猟銃を持っていれば、言葉をしゃべる熊追い駆けてくるのですから、撃ったはずです! ズドンでバイバイです!」

「馬鹿を言うな、メルヘンの世界にそんな物騒な話はありえない。あんなに蝶が飛んでいるんだ、朗らかに笑顔で話しかければ、俺とてメルヘンの一員になれるはず。それならば、撃たれる心配もないだろうよ」

「何てことでしょう。つい数分前まで頼りになると思っていた男の子が、めっさ困ったさんになってしまいました」

「俺は逆に、あんたが案外しっかりしてるんでビックリだ。さすが子持ちだな」

「? ししゃもの話ですか?」


 トンチンカンな事を言い小首をかしげる九音を見て、それでなくてはと内心ガッツポーズを取ると、俺は一歩前へと踏み出し建物の影から躍り出た。九音も俺を止めるため、一瞬遅れて建物から半身を出す。


「――――おぉぁ…」

「ん? なんだ?」


 俺が体を建物影から出すと同時に、どこからか獣の叫びに似た声が聞こえてきた。広場にいた二人の少女もそれに気がついたらしく、声のする方へ顔を向けた。


「――――っけ…たぁ…!」


 どうやら、何か言葉を叫んでいるようであった。叫びが鮮明になるにつれて、地鳴りのような何かが駆ける音が聞こえてきた。

 嫌な予感がする。俺が眉をひそめた瞬間、


「みぃつけたぁぁぁーーーっ!!」


 遠くで金色の髪が靡いているのがよく分かった。それは俺達とは反対側から、全力疾走で現れた。そして、獣と間違うようなうねり声は、恥ずかしい事にここ最近よく聞く声であったのだ。


「あの馬鹿! まさか今までずっと探してたのか!?」


 その声の主は、清美であったのだ。どこから現れてたのか、髪はぼさぼさで服には緑色の葉が付いていた。あの女はどこを捜していたのだろうか。とんだ執念である。


「なにあれ?」


 黒髪の少女が呟いた。銀髪の少女は固まったまま動かない。すまない、奇特な格好の少女達よ。あれは金髪ピンクグリズリーと言って、少女を好み襲い掛かる妖怪なのだ。俺の監督不届きで、恐ろしい目に合わせてしまい申し訳なく思――――。


「まてよ…嘘だろ。あの馬鹿まさか!?」


 俺はその場から駆け出し、黒髪の少女へと向かっていった。九音が驚き、俺の後を追う。背後からの気配に、黒髪の少女はすぐに俺達の事に気が付き、驚愕の色を浮かべた。

 だが、そんな事に気をとられている場合ではないのだ。清美が俺達の反対側から駆けて来る。

 つまり、黒い蝶がひしめき合う場所へ突っ込もうとしているのだ。俺は蝶が爆発する瞬間を見ている。いくら妖怪とはいえ、流石の清美もあれに耐えられはずがない。


「清美! くるなあぁーーっ!!」


 俺は全力で叫んだ。だが、清美の奴は自分の目的を達成する事で頭が埋まりきっているらしく、俺の声は届かない。

 清美が広場へと足を踏み入れる。蝶の事が見えていないのか、あるいは気にもしていないのか、速度を緩める様子はない。

 俺の頭に、最悪の光景がチラついた。させる訳にはいかない。俺は脚に力を入れ大地を疾走すると、


「うおぉぉ!!」

「へ?」


 黒髪の少女へ飛びつくようにタックルをかました。黒髪の少女と転がるように倒れこむ。ここから止めに走っても間に合わない。ならば、その元凶を断つしかないと一か八かの賭けに出たのである。

 しかし、


「駄目だ! 蝶が消えない!」

「捕まってしまった。ぬくい」


 世の中そう甘くはなかった。

 顔を上げた先には絶望が待っていた。ものの数歩で、清美は蝶へと触れることになるであろう。その先に待つのは、避けようのない死である。俺は後悔していた。あの時、あいつを止められていれば、こんな事にはならなかったはずだ。


「清美とまれえぇぇ!!」


 だが、俺の叫びもむなしく、清美は蝶へと触れ…、


「つっしゃあああ! そこ動くんじゃないわよぉーーーっ!!」


 触れたはずなのだが、何故か止まることなく、爆発も起こることなく走ってくるのだ。俺も少女達も九音もポカーンと口を空けて清美を見ていた。

 すると、


「きゃっ!?」

「うおっ!?」


 清美の背後で爆発が起こる。清美が走り去る背後で、次々に爆発が起こり、まるで清美が爆発を先導しているかのような錯覚すら覚える。その爆風の中、欲望のままに清美は走り続ける。気高きその姿は、英雄と見まがうほどに猛り嘶かんばかりである。


「す…すげえ! 戦隊物の特撮のようだ!」

「違います! 西部警察ですよ義君!」


 俺と九音はあまりの事態に、タガが外れたのかはしゃいでいた。先ほどまでの緊迫した空気はどこへやら、完全に喜劇と化した現場は、明るい混迷を極めていた。

 妙なテンションの中、俺は清美が近づくに連れ、蝶が清美のから離れていっている事に気がついた。そして、統率の取れなくなった蝶同士がぶつかり合い、爆発を起こしているのだ。

 さらによく見ると、腰辺りにいた蝶が一番最初に清美から離れていっているようであった。何故腰辺りからなのだろうか? 疑問に思った俺は少し考えてみて、


(まさか! あいつの腰についてる虫除けようの音波装置のせいか!?)


 とんでもない可能性に気がついた。そんな馬鹿な話があるのだろうか。てっきり俺は、蝶が清美にどんびきして離れていってるものだと思っていたのだが、事実は小説より奇なりである。なんという豪運、そして気運。あの女いずれ現人神にでもなるではなかろうか。

 こちらの困惑も知らずに、一直線にこちらへと突っ走ってくる清美であったが、突然軌道を横へとずらすと、


「そっちだぁぁ!!」

「ええ!?」


 何故か銀髪の少女の方へと走っていった。片膝をついていた銀髪の少女が自分へ向かい来る獣に驚き、素っ頓狂な声を上げる。

 清美の目的は、俺が地面から半身起こした状態で抱きかかえている黒髪少女の方ではなかったのだろうか。まあ、清美の事だ、女であればなんでもいいのだろう。清々しいゲスっぷりである。

 だが、よくよく考えればまずい事態であった。


「やばい! もう銀髪のと近いぞ! このまま止まると、爆発にまきこまれるんじゃねえか!?」

「っ――――! 眠りなさい! 『地獄蝶弔』!」


 黒髪の少女が声を荒げると、黒い蝶達は一斉に黒い靄を残し消えていった。その靄も、清美の走りに掻き消され、戦場であった広場は平穏を取り戻したのだ。約二名を除いてであるが。


「ひいぃぃぃ!?」

「まてまてまてーっ!! こんなに探し回ったんだから、絶対逃がさないわよーっ!!」


 広場を駆け回る金髪と銀髪。広場をぐるぐると回るように走る二人の姿は、実に滑稽である。某猫とねずみのアニメーションを思い出すが、こちらの方が間抜けであるため、一緒くたにするのは失礼だろう。


「平和ですね~」

「この光景を見て、その言葉を吐けるとは。あんたも大物だな」


 そのままの姿勢でいるのもなんであったので、俺は胡坐をかいて地べたに座り直していた。傍らに立つ九音も俺と一緒に目の前の催しに目向けながら、くつろいでいるようであった。


「あなたも大概」


 すると、俺の胡坐にすっぽりとはまる様に抱きかかえられた黒髪の少女が口を開いた。すっかり忘れていたが、俺は少女を抱きしめたままであったのだ。そのままの流れで、膝に乗っけてしまったらしい。

 黒髪の少女は俺の様子を伺うように、顔をこちらへと向けた。和風美人といった様子の顔立ちだが、表情に乏しいその顔は、肌の色よりも少女の顔を白く見せている気がした。眉は比較的太く、しっかりと真っ直ぐに整えられた前髪から、お姫様といった印象を受けた。頬には何故か赤みが差しており、表情は硬いが、今は機嫌がいいのかもしれない。


「すまん、今離す」

「ぬくいから、いい」

「ぬくい? 暑いの間違いじゃないか?」

「あらあら、仲良しさんですね」


 まったりとした空気が流れていた。気分はピクニックである。

 さて、数分にわたる清美と哀れな子羊の格闘は、子羊がこちらへ助けを求めて走ってきている最中に、頭から転んだ事により終結する事となる。

 清美が地面に倒れた少女を優しく起こす振りをして、抱き寄せ捕獲したのだ。そのまま地面に二人して倒れこみ、現在くんずほぐれずの状態である。


「うへへへ。たまらないわ! 細いのに柔らかい! 汗かいてるのに甘い匂い! 頑張った甲斐があったわ! うへへへっ」

「いやぁーーっ!」


 もみくちゃにされながら、銀髪の少女は必死に抵抗していた。だというのに、清美はまったく離れようとはしない。

 俺ははたして、目の前の銀髪の少女は、あの苛烈な戦いに身を投じていた人物と同じなのかと、疑問に思い始めていた。


「うわぁおっ! お尻丸出しじゃない! 何でかしらって? 知っているわよ、私に揉まれるためによね。グッドサービス!!」

「やっ…」


 清美はその欲望を抑えるどころか垂れ流し、己の醜さを糧に更なる暴挙へと出ようとしていた。性欲の権化と化した清美は、銀髪の少女のウィークポイントであろう、穴が開いているため、パンツ代わりの布のみで隠された尻へと手を伸ばす。俺は流石に止めるべきだろうと、立ち上がろうとし、


「やめるっすーーーーっ!!」


 情けない叫び声に押し留められた。どこからか、俺の行動を止めようと見知らぬ誰かが叫んだのかと思ったが、


「もういやっす! 何で自分がこんな目にあわなきゃいけないんすか!? 離れるっす!   離すっす!!」


 どうやら声の発信源は銀髪の少女のようであった。声もあの戦いの最中聞いていたのに、どうして他人の叫びと思ったのだろうか。

 まあ、原因は明白であったのだがな。


(似合わねえよな…。あの顔で、あの声で、体育会系の喋り方って)


 間近で少女の顔を見ると、睫は長く小顔で日本人とも外国人ともとれないが、非常に整った清楚な顔立ちであった。それに銀髪である事も加えて、神秘的な雰囲気を醸し出しているのだが…。


「堪らないわ! 見た目に反して体育会系なのね!? うへへへ」

「ひぃぃぃ!? た…助けてほしいっす! ユエ! 助けてぇ!」

「でも、私と萩、今敵同士だから」

「うわぁぁん! 薄情ものぉ! 絶対根に持ってやるっすーーっ!!」


 ついにあれほど争っていた相手に助けを求めたことにより、俺の中で銀髪の萩と呼ばれた少女の位置づけが確定された。すごいのだろうが、今一締まらない残念な存在だと悟ったのだ。


「…ヘモいな。そうだ、実にピッタリの語感じゃないか。この締まらない感じ、まさに言いえて妙だ」

「そこのお兄さんも、見てないで助けて欲しいっす!」

「ん? ああ、すまんすまん。ちょっと待ってろ、ヘモ子」

「誰っすかそれ!? ひぃ!? ちょっ! 何してるんすか!? 褌に手を入れようとしないでくださいっす!!」

「お尻もちもち…たまらぬぅ」


 ヘモい少女の要請もあり、俺は盛った清美を駆逐することにした。ユエと呼ばれた少女を膝からおろすと、不満げな視線を向けられたが無視し、よこらせと立ち上がり清美に可及的速やかに近づくと、


「他人に迷惑かけるな! 金華豚!!」

「ひぎぃ!!」


 思いっきり尻を引っぱたいた。清美が叩かれたショックで怯んでいる隙に、銀髪の少女は地面を這いながら素早く抜け出し、九音の足にしがみつく。九音が銀髪の少女をなだめている間に、俺は清美の尻を謝罪の言葉が出てくるまで、清美の尻を叩き続けたのだった。

 大体十回ほど引っ叩いた後に、


「…はい、女性関でもセクハラは成立します。…はい、私のしたことは犯罪です。でも私の話も聞いて欲しいわ! あんな無防備なお尻があったら、そりゃ揉むでしょう!? 私の前に尻を出すのが悪い…あ、ごめんなさい。ちょっと責任転換しようとしちゃった。反省してます。二度としないとは言えないけれど、キチンと肝に銘じるわ。うふふ」


 一応反省の色を見せた気もしない様な態度をとったので、一旦折檻を止めにし、清美を解放した。清美が自由になると銀髪の少女がビクリと体を跳ねさせ、九音へとすがり寄ったが、清美も反省の色を見せた手前、すぐに襲い掛かることもなく、ようやく場に平穏が訪れたのであった。

 が、何故か皆の俺へ向ける視線は場を調停した者に対する、敬意あるものではなかった。


「怖いっす…あの人平気で女の子の尻を叩いたっすよ…」

「義君、女の子にそんな事しちゃ、メッですよ」

「とてもパワフル。躊躇がなかった」

「うちにはうちのやり方があるんだ。口出しは止めてもらおう」


 俺がそう言うと、何故か清美まで交えて女子四人でヒソヒソと俺の方を見ながら会話し始める。数日前に家で味わった疎外感を俺は人数が倍に増えたため、二倍のダメージをもって受ける事となった。結構傷つくんだぞ、それ。やめてほしいものだ。

 ようやく女子共が会話を止めると、場にもやもやとした静寂が訪れた。考えてみれば、こうして仲よさ気にしている事がおかしい集まりなのだ。冷静になってしまった今、なんとも言いがたい空気になるのも仕方がないだろう。


「あなた達、誰?」


 重苦しい遠慮と疑惑が入り混じった空気の中、先陣を切ったのは黒髪の少女であった。小首をかしげて子リスのように、俺たち―――俺と清美と九音を見る。


「結界張っておいたはず。何で入ってこれてるの?」

「それなら、私が制定してしまいました」

「え? 嘘?」


 黒髪の少女は初めて顔に表情らしいものを浮かべ驚くと、何処から取り出したのか、先に六角形の青い宝石のような物が取り付けられた紐を取り出し、地面へ垂らせた。すると、青い宝石の部分が振動し始め、キィンという音を立て、赤く染まった。


「冗談はよし子さん…って、本当に制定されてる。…貴女術者?」

「いいえ、趣味で陰陽を学びまして。それを披露させて頂きました」

「嘘…素人? そんな事…あっ」


 黒髪の少女は、ハッと何かに気がついた顔をし、俺達に真剣な顔を浮かべ向き直った。何を口にするのかと俺達は緊張した面持ちで少女の言葉を待った。


「素人に結界をせいてい(・・・・)されてあせってい(・・・・)る、なーんちゃって」


 場が凍りついた。この場面で微妙な上にまったく上手くもなく、ともすれば気がつかれないようなギャグをかまして来るとは驚きである。

 なんだか、喋れば喋るだけ黒髪の少女も銀髪の少女もメッキがはがれていく気がする。もういっそ、ずっと戦っていればいいのではと、俺が不謹慎な事を考えた時、


「っ!?」

「えっ!?」


 黒髪と銀髪、二人の少女が階段上にある本宮へと目をやった。俺達もつられて目を向けるが、三日月だけが空の主として、夜空に君臨しているだけであった。だが、妙な違和感を俺は覚えていた。

 結界とやらの中にいるからなのだろうか。ここが何か偽りを斡旋しているような、確証のない疑念を抱いていたのだ。

 俺は目を凝らす。すると、空が突然波打つように湾曲した。俺は驚き清美に声をかけようとして、顔を向けた。それと同時に、


「うおっ!?」

「えっ? 何これ!?」

「ビリビリします?」


 俺と清美と九音の体に異変が起こった。皮膚がピンと張り詰めたように敏感になり、体内に熱に似た痺れを感じる。それが過ぎると耳鳴りが頭の中で反響し、体の内側から崩れんばかりの揺れを感じた。

 そして、あまりの事態に目を瞑ると、どこかも分からぬ風景が浮かび上がる。


(橋…? それに…手紙…?)


 川に架かった橋の上で、誰かが優雅に踊っていた。豪華な着物を着た男であろうか。服装からして、古い時代の貴族なのかもしれない。次に見えたのは握り締められた手紙であった。それらは、交合に現れ、点滅を繰り返しいつの間にか見えなくなってしまった。


「クソ! 何だってんだ!?」

「義之…あれ…何?」


 状況が把握できず、苛立ちながら目を開くと、清美の震える声が聞こえてきた。俺は焦った。清美のこんな情けない声を聞いた事がなかったからだ。同時に周りを見ると、皆本宮のほうを見て、固まってしまっていた。

 俺は恐る恐る彼女たちと同じように、本宮へと目を向けた。

 そこには、


「アレは…何だ?」


 この世の者とは思えない、巨大な何かが俺達を見下ろしていた。

 我々を見下ろすのは巨大な男であった。ボロボロで見るからに粗末な着物を身に着け、俺達を興味深そうに鶴岡八幡宮の本宮から顔を覗かせ、見つめているのである。

 そして、俺達もその大男を全員で見つめていた。だが、それは信じられないものを見る目であり、興味深く観察する余裕など、どこにもなかったのだ。


「アレは…何だ? あの巨人は…幻か何かか?」


 俺の疑問に答える者はいなかった。皆一様に、目の前に突きつけられた理不尽に動揺し、言葉を失っていたのだ。

 大男は動かない、五十メートル近くあるその巨体は、山の如く静かにそこで鎮座しているようであった。


「下がって!」


 最初に動揺を叩き伏せたのは、黒髪の少女であった。黒髪の少女は、どうやってか虚空を蹴り空を駆け上っていくと、遥か上空、大男の頭上で静止し、両手を大きく広げた。


「さえずりなさい! 『地獄蝶弔』!!」


 黒髪の少女は、十頭ほどの巨大な黒い蝶を呼び寄せ、銀髪の少女との戦いで見せた螺旋状の光線を十頭という数をもって、何倍もの威力で撃ちせしめたのだ。

 光線は銀髪の少女との戦いの時とは違い、螺旋状のまま大男を貫いた。その威力たるや、本宮を吹き飛ばさんばかりの衝撃と余波を生じさせ、周りが砂煙で満たされる。俺たちは黒髪の少女が下がれと言った意味を痛いほど理解する羽目になった。


(さっきの戦い、黒髪の少女の余裕から加減してると思っていたが、加減なんてもんじゃねえ! あれは戦いにすらなっていなかったのか!)


 次いで黒髪の少女は空中で体を宙返りさせると、足の先から金の鱗分が生まれ黒髪の少女と共に宙で円を描く。円は黒髪の少女からまるでパイプの煙のようにゆったりと離れていくと、正面を向き何倍も拡大され、二メートル以上ある大きな蝶へと姿を変えた。


「謳いなさい! 『地獄蝶弔』!!」


 蝶の羽から、鋭い光が漏れ、眼下の大地を十字に切り刻み、光線の影響で舞っていた砂煙が一掃される。


「嘘…」


 しかして、そこには微動だにしない大男が、地面に居る俺達を未だ見つめる姿があった。

 あれだけの猛攻を受けて、何もなかったかのように影響を受けていない大男を見て、俺は恐怖よりも、疑問が浮かび上がってきた。

 宙に浮いていた黒髪の少女が、これ以上は無駄と判断したのか、泳ぐように俺の隣に降り立った。ちょうど良いと、俺は自分の抱いた疑問を黒髪の少女へぶつける事にした。


「なあ、あれは本当にここに存在しているのか?」


 あれだけやって何一つ影響を受けないというならば、幻影である事を疑うべきだと思ったのだが、


「確実にあそこに大男は居る。手ごたえがあった。幻影だとしたら、そっちの方が厄介」

「そうか…」


 どうやら的外れであったようだ。そうなると、手詰まりである。あの大男に対して俺らができる事は一つもなくなったのだ。


「どうしたもんかね…」

「一応まだ幾つか手立てはある」

「あん? じゃあなんでやらねえんだ?」

「一つは半径二十メートルが吹き飛ぶ。もう一つは何が起こるか分からない」

「OK、やめて正解だ。俺たちの居ない所でやってくれ」


 どうしたものかと考えていると、あることに俺は気がついた。根本的な問題であるのに、場の空気に流され、すっかり忘れていたのである。


「あれって、俺達になにかしてくるのか?」

「分からない。未知数」

「って事は、放って置いても問題なんじゃないか?」

「は?」


 黒髪の少女は信じられないものを見る目で俺を見つめる。


「そう、あなたも一般人なの。素人いっぱい。やりづらい」

「なんだ、放って置くとまずいのか?」

「私達は、まずその考えに至らない。素人に言ってもどうしようも…あっ」


 黒髪の少女はまた何かに気がついたように言葉を止め、


「ド素人にそんな事いって、どーしろというの。なーんちゃって」

「頼むから、話の腰をくだらん事で折らないでくれ…」

「くだらない…ショック」


 再びキリっとした顔でギャグを俺にかましてきた。頭が痛くなる。ギャグのつまらなさもそうだが、真面目な話の途中にそれをやられては話が進まなくなるのである。

 だが、俺の言葉は黒髪の少女に予想外のダメージを与えたらしく、表情こそあまり変わらないが、落ち込んでしまったようだ。

 この少女は親父ギャグに命でも掛けていたのだろうか。ますます持って不可解である。


「しょんぼり」

「そんなに落ち込むなよ。やりづらいな――――おい、地面揺れてないか?」

「…やりすぎた。結界が決壊する…これはどう?」

「馬鹿やろう! 一大事にギャグをかましてる場合じゃ――――」


 文句を言おうとして、声を張り上げるとそれに呼応するかのように、目の前が揺れ、渦のように景色が混ざり、光となって弾け飛んだ。

 あまりの眩しさに手で目を多い難を逃れ、落ち着いた事を確認し、手をどけ辺りを見回すと、


「舞殿がある、という事は結界とやらが無くなったって事か? 現実だってのに、どうも腑に落ちんな」


 同じ広場に居るものの、広場の中心には舞殿が鎮座しており、気がつけば周りからは蝉の声が聞こえてきていた。今まで異常であった部分はすべて取り除かれたように思えたが、


「あれは無くならねえか」


 空に浮かぶ三日月と共に、大男は結界内と同じように本宮から俺達を見下ろしていた。微動だにせず、もはや本宮に付随するオブジェのようであった。


「おい、お前ら無事か?」


 大丈夫だとは思うが、一応他の面々に声を掛ける。


「問題ないわよー」


 と、異常事態に疲れたのか少しくたびれた様子の清美。


「はい、だいじょうブイです」


 と、まったく動じてない様子の九音。


「平気」


 と、声を掛けたつもりは無かったが、返事をする黒髪の少女。

 俺は首をかしげた。もう一人居るはずの銀髪の少女の返事が聞こえないのである。黒髪の少女と同じく声をかけたつもりはなかったが、一人だけ返事がないとなると、途端に気になるものだ。


「なんだなんだ? 何かあったのか?」


 辺りを見回すと、結界内で銀髪少女が最後に立っていた辺りに、何かが倒れているのを発見した。


「きゅ~…」


 倒れていたのは銀髪の少女であった。地面に仰向けに倒れ目を回すという、お手本のような気絶の仕方である。なんという事であろう、黒髪の少女と同じくオカルト関係のプロだと思っていたのだが、的外れであったようだ。


「素人以下…。身内として恥ずかしい」


 黒髪の少女が、俺の抱いた感想を言葉にしてくれる。やはり、黒髪の少女と銀髪の少女は親密な関係にあったようで、黒髪の少女は銀髪の少女の痴態を見て、眉間を指で押さえ溜息を吐いた。


「約一名気絶しているが、ともかく全員無事というわけだな。あの大男も息災なのには困ったものだがな。それでだ、あの大男についてだが――――」

「あの~」

「なんだ、どうかしたのか?」

「はい、結界がなくなった今、私達全員不法侵入なので、どうにかすべきかと」


 俺と清美は九音の言葉を聞き同時に顔を見合わせた。


「よし! 撤収!!」

「さっさと、ずらかるわよ!」


 俺と清美は何も言わず意見を一致させると、一目散に広場から逃げ出そうと試みた。大男など気にしている場合ではないのだ。法の裁きほど恐ろしいものはないのである。


「あの~!」

「今度は何だ!?」

「その子、どうしましょう?」


 不安そうに九音は、地べたで気絶している銀髪の少女を指差した。しまった、すっかり忘れていた。面倒だから放置していきたいが、そう言う訳にもいかないだろう。


「あんたは…流石に女性に背負ってけってのは無理か。しかたない! 迷惑極まりないが、俺が連れてく! あんたも、さっさと逃げるぞ!」

「はい、途中までご一緒します!」

「うへへ。予期せずして、戦利品ゲットね。来てよかった。神様ありがとう」

「言っておくが、前科ありのお前には触れさせねえからな」

「うふふ、大丈夫。私が触れなくても、女の子が勝手に寄ってくるのよ。あら不思議」

「阿呆が。一度お前の本性見てんだ。このヘモいのが寄って来ると思うのか?」

「あっ」 


 しまった、アホ美なんぞにかまっている暇はなかったのだ。俺は銀髪の少女を抱きかかえると、自転車の止めてある西鳥居の方へと駆け出した。後ろから清美と九音も着いてくる。だが、黒髪の少女は俺達と行動を共にする気はないらしく、本宮の方へと歩いていく。


「おい! あんたは逃げないのか!?」

「うん。私は一緒には行けないから。だから、その子をお願い」


 立ち止まり声を掛けると、黒髪の少女は振り返り、俺の言葉に答えた。相変わらず無表情であったが、どこか温かさを感じる言葉であった。


「ああ、承知した! あんたも気をつけろよ!」

「ありがとう」


 黒髪の少女は俺を見て微笑んだ。朗らかな優しい笑顔であった。まるで子を見守る母のような、安心させる笑顔。


(こりゃ、仲が悪いって訳じゃねえな。なんで、こいつら争ってたんだ?)


 疑問が生じたが、今はこの場から去る事が最重要である。いつの間にか俺を追い越していた九音と清美を追いかけ、俺も広場を後にした。途中振り返ると、黒髪の少女はもう影も形もなくなっていた。

 その後、俺達は脇目も振らず自転車まで走り、鶴岡八幡宮から脱出するのであった。自転車を前にして、


「皆さんは義君の家へ行くのでしょうか?」

「ああ、そうなるな」

「すみません、私は一度家に帰ろうと思います。あの巨人さんについて話し合おうにも、情報が少なすぎますので。家で役に立つものを探そうと思います。皆さんとお泊りできないのは名残惜しいですが…」

「そうか、分かった。俺の家は…と、携帯の番号を交換したほうが早いな…ん? なんだ? 膨れた顔をして」


 俺が携帯を取り出すと、九音は頬を膨らませて、あからさまに不満げな顔を浮かべていた。


「引き止めてくれてもいいと思います。皆さんは仲良くお泊りなのに一人だけ、と」

「なんでだよ。あんたの行動は実に合理的だ。止める理由なんてねえだろ」

「むぅ…めっさ不満です」

「なんでだよ…。意味の分からん駄々をこねてくれるな」

 

 何故か機嫌を損ねた九音をなんとかなだめて、俺達は北鎌倉方面へ、九音は鎌倉駅方面へと別れ帰路に着いた。ふと、少女を抱きかかえ歩きながら、気になっていた事を自転車を俺の変わりに押している清美に聞く事にした。


「お前さ、なんで最初の目的だった黒髪の方じゃなくて、こっちの銀髪を標的にしたんだ?」

「そっちの方が、ちょろそうだったからよ。やりやすいって言うのかしら? 何となく分かるのよね私」

「獣並みの勘の良さだな。的中している事といい、見事としか言えんな」


 俺達は口数少なく、自宅へと疲れた表情で向かっていく。だが、銀髪の少女をいつまでも抱えておくのも非常に疲れるもので、俺は自転車を押している清美に何か案はないかと尋ねた。


「ここに入らないかしら?」

「ここって…自転車のかごか? そりゃ、このかごは大きめだし、こいつは小さいが…入るのか? よいしょっと…流石に無理か…いや、手足を外に出せば。よし、入った」


 銀髪の少女は自転車のかごに、手足を外に出しお尻から自転車のかごに入る形で見事に収まった。実に間抜けなオブジェが完成した。やっとこさ楽になったと俺は体を伸ばし、一息つく。


「うふふ、なんだかヤバゲな絵づらね。すっごくそそるわ。警察に見つかったらどうしましょう」

「うっし、可及的速やかに帰るぞ。ヘモいETモドキのせいで警察行きなんざ、まっぴらだぜ」


 俺達は夜の街をコソコソと急ぎ家へと急行した。幸い警察に見つかる事も無く、家へとついた時には午前三時を回っており、俺達は銀髪の少女を予備の布団が置いてあった俺の部屋に適当に寝かせて、就寝する事にした。

 今思えば、布団を動かすのが面倒とはいえ、同じ部屋で寝るのはどうかと思うが、いかんせん本当に疲れていたのだ。清美すら、その配置に異議を唱える事も無く、俺の部屋の二つ隣に与えられた自室に帰ったほどだ。

 かくして、長い一日はようやく終わりを告げ、俺達は問題をすべてほったらかしにしたまま、眠りについたのだった。

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