5.カモノハシとパンジー

「あ、義之起きた?」


 朝目覚めると、目の前に清美の顔があった。寝ている俺の腹に手を置いて、正座の状態から膝を立てて、ベッドに身を乗り出しているようだ。それにしても近い、人の顔を覗き込むとは無礼な奴め。


「なんだ、寝込みを襲いに来たのか? …ないな、お前に限ってそれはないか」

「うふふ、とっても信頼されているというに、不思議と虚しいわ」

「で? 何用だ? どいてくれると嬉しいんだが」


 このまま立ち上がると、清美の顔に俺のか顔がぶつかる事となる。それは非常にまずい事だ。


「ちょっと知りたい事があるんだけど」

「顔を引っ込めてくれたら、いくらでも聞こう。ほれ、どきやがれ」

「昨日の夜どこへ行ったのかしら?」


 ミシっと、空気が軋む音が聞こえた気がした。何故だろうか、妙に雰囲気が張り詰めている気がする。


「…どこだっていいだろ? そんな事より、そこを――――」

「ねえ、どこいってたの?」


 怖い、無表情で清美の口から出る責め立てるような質問に、俺は恐怖を覚えていた。俺の顔を覗き込んでいるのも、逃がさないためなのだろう。なんという迫力だろうか、関係ないはずなのに、修羅場という言葉が頭をよぎった。


「…夜の散歩だ」

「何で顔をそらしたの? こっち向きなさいよ」

「喋るだけなら、顔を向き合う必要ないだろ。まったく、そんな事も分からんのか」

「そうね、でも私は顔をつき合わせて喋りたいの。はい、こっち向いて」

「断るっ!」

「わおっ! なんて力強い拒絶! 清美さんびっくりだわ!」


 しつこい奴め、俺は明確に騙す意図がないと嘘を吐くのが苦手なのだ。そんな風に詰め寄られては、嘘がばれてしまう。早いところ、適当にあしらってしまおう。


「だいたい、俺が何してようと、お前には関係ないだろ?」

「そうね、でも心配はするわ」


 予想外の言葉であったため、俺は思わず清美と顔を合わせてしまう。清美は怒ったような悲しいような複雑な表情を浮かべて、俺の顔を見る。


「義之が私に内緒で楽しい事してる気がして、私は心配なのよ!」

「はは、そういう事か。よーし、失せろクソ女」


 俺は無理やり清美の体を押しのけると、ベッドから出て体を伸ばした。

 そんな俺を恨めしそうに清美は睨んでいる。昨日ユエと会った事に気がついているのだろうか。恐るべき勘を持つ女だ油断ならない。

 だが、昨日の行動は安全といえるものではなかった。それに付き合わせる訳にはいかないのである。


「ふん! いいわよ、朝食で目に物を見せてあげるから!」

「威勢がいいな。食べ物を粗末にするような真似だけは止めろよ」

「うふふ、今日の朝食は目玉焼きを焼くつもりなの。義之は愚かにも醤油派だったわよね」

「ああそうだ。そしてお前は間抜けな事に塩派だったな」


 数日前に起こった戦争を思い出す。お互い我が強い俺達は、目玉焼きに何をかけるかで、軽い諍いを起こしたのである。

 俺の放ったパロスペシャルにて、清美がギブアップ宣言をし決着がついたのだが、まだそれを引きずろうというのか。


「昨日のバーベキューを覚えているかしら? あの二人は塩の魅力にメロメロよ。そう、彼女達は塩勢になっているの。今日の朝食、その時に義之は孤独を味わうことになるわ。うふふふふ」

「なんだその安い嫌がらせは」

「見てなさい義之。あの時は暴力に屈したけど、民主主義の恐ろしさを叩き込んであげるわ」

「あの時先に襲い掛かってきたのお前だからな? 間接技を掛けようとして失敗したがな」

「その余裕がいつまで持つかしら? うふふふっ」


 ―――――二十分後。


「私、目玉焼きは醤油派なんです」

「自分も醤油派っす」

「ガッデェムッ!!」


 哀れ民主主義に屈するのは清美のほうであった。清美がテーブルに倒れるように伏した衝撃により、当人が自宅から持参した、初日に見せた塩とは違う形の岩塩が、虚しくテーブルの下へと転がっていった。

 うむ、今日も朝から飯がうまい。


 朝食をとった後、俺は服を着替え玄関へと足を運んだ。昨日交わしたユエとの約束を守るためである。白のポロシャツにジーンズ履き、待ち合わせ場所である小町通前に行かねばならないのだ。


「あら? 義君、お出かけですか?」


 白い長袖のブラウスに、紺の長いスカートを履いた九音がお盆に麦茶の入ったコップを二つ乗せて、こちらへ歩いてきた。

 ご苦労な事に朝っぱらから庭で修行している二人への差し入れだろう。それにしても、相変わらずの長袖で暑くはないのだろうか。


「約束があってな。そんなに遅くはならないから、留守を頼む」

「はい、承りました」


 朗らかに微笑む九音を見て、俺は一言言っておくべき事があるのを思い出した。


「九音、聞いてくれ」

「え? と、突然なんでしょうか?」

「いいか、覚えておいてくれ。世の中良かれと思ったことで、被害を受ける人間がいるという事を」

「…はい?」


 俺が何の事を言ってるのか分からず、九音は小首をかしげた。だが俺は、最初から理解してもらおうなど思っていないので、そのまま話を続ける。


「例えばだ、お腹が空いている人間がいたとしよう。その時自分の手持ちはフリスクのみだ。ああ可哀想とそれを渡したとして、空腹にそんなものを食べれば、胃がスースーしてしまうだけなんだ。分かるな、これが一時被害だ」

「は…はあ」

「するとだ、お腹が空いている人には連れがいて、隣で微妙な表情をしながら苦しんでいる友人を見て、公衆の面前で多少なり恥ずかしい思いをし、さらにそれの面倒まで見なければならなくなる。これが二次被害だ。分かるな? そういう事が世の中にあるんだ。こんな事を言うべきではないかも知れないが、善意を与えるにしても、多少の配慮は必要なんだ」

「そ…そうですね?」

「覚えておいてくれ…俺はそれだけで、少しは救われる」

「??」


 俺は言うだけ言うと、目を丸くして混乱気味の九音を放っておき、靴を履き外へと出て行った。

 今日も太陽は嫌がらせを思わせるほどに快調で、湿度が高く熱気はこもり、外気温は三十度を超えているようであった。

 俺は歩く、鎌倉駅へ向けてひたすらに。汗をぬぐう事もなく、無心になり進んでいくのだ。

 気がつくと、俺は鎌倉駅の改札口にいた。今日も今日とて、小町通の方へと人は流れていき、群れるように人の列が作られていた。

 ふと、視線を小町通入り口の鳥居へ向けると、その足元で観光客が一旦足を緩めいているのが分かった。よく見れば、その周囲には人が近寄っておらず、小さな円が出来上がっているのである。


「あそこか」


 俺は呟くと覚悟を決めた。重い足取りであったが、一歩一歩逃げる事無く踏み出していく。

 不自然に人が寄り付かない場所。待ち人はそこにいるのである。

 人ごみを抜け、鳥居の足元へたどり着くと、


「おいすー」


 カモノハシと化した、ユエが機嫌よさ気に手をパタパタと振り、俺を迎えてくれた。八月も中旬、俺は今日カモノハシを連れて買い物へ出かけるのである。


 哺乳綱単孔目、カモノハシ科、カモノハシ属、カモノハシ。オーストラリアの熱帯雨林などに生息する、鳥のような嘴に、蛙のような水かき、そしてビーバーのようなフサフサの体毛を体にまとった珍妙な生き物である。

 そのなりで哺乳類だというのだから、ますますもって不可解である。水かきに付いている爪で、水辺に巣穴を掘って暮らし、二十年近く生きる個体もいるという。

 そのカモノハシが今、


「おい、暑くないのか?」

「ぬくい」


 俺の前を堂々と闊歩しているのである。正確にはカモノハシの寝ぐるみを着たユエが、この暑さの中汗一つ掻く事無く、無表情に見えるが、ご満悦な様子で歩いているのである。

 衆人観衆の視線は俺たちに釘付けである。当然だ、こんな格好をしている人間など周りにいるはずもない。

 どう見ても異常である。黒枠に白目の間抜けな瞳を縫い付けられたカモノハシの着ぐるみも変であるし、わざわざ歩くとピョコピョコと鳴るサンダルのような専用の靴も異常であるが、それよりも、


「暑苦しい。見ているだけで暑苦しい」

「ぬくい。超エキセントリック」


 夏に似合わぬ暑苦しさこそが、全ての不の要因を生み出しているのだ。熱気がすぐ後ろを歩く俺にまで伝わってくるのだ。

 絶対に冬用である。九音は何故このような物を夏に渡したのだろうか。善意なのは分かる、それしかなかったとも聞いている。

 だが腑に落ちない。被害を現在受けているからこそ、なお虚脱感が体を支配する。


「奇抜と分かっているなら、早く着替えを買いに行くぞ」

「え…?」

「まて、何故悲しそうな顔を俺に向ける」

「向こう数年これでいい」

「よくない! すぐに着替えるんだ! いいな、さもないと――――」

「…なにあれ?」


 周りからヒソヒソと声を抑えた会話が聞こえてくる。案の定である。


「…夏なのに…趣味…?」

「…子供に…虐待…」

「…警察…児童相談所…」


 不吉なワードが各所から聞こえてくる。俺は一日に一回ヒソヒソされなければいけない呪いにでも、かかっているのだろうか?

 不思議生物と練り歩くのは問題ない。ユエの趣味に付き合ってやるのも、よしとしよう。だが、危険に晒されるのは御免なのである。


「くそっ! こんな場所にいられるか! おい、路地に入るぞ!」

「え…?」

「何故また悲しそうな顔をするんだ! やりづらいから止めてくれ!」

「楽しい。このままがいい。駄目?」

「駄目」

「しょんぼりショック」

「露骨にへこまないでくれ。ほら、服を着替えて戻ってくればいいだろ?」

「やだ」

「おいおい、あんたそんなキャラじゃないだろ! 駄々をこねるな、こっちいくぞ!」

「やー」


 踏ん張ってその場に留まろうとするユエの手を乱暴に引っ張り、路地裏へ移動させようとするが動く気配がない。くそ、手の水かきの部分もフェルトで出来ていて熱いぞ。九音の奴め、無駄にこったものを作りやがって。


「おのれ、無駄に力強いなあんた!」

「鍛えてますから」

「無表情なのにドヤ顔決めてるのが、感覚で分かるぞ。頼むから言う事を――――」

「…なに、してるんですか?」


 背後から声をかけられ、俺はユエの手を離し振り返った。そこには、どこかで見た事のある少女が立っていた。


「誘拐ですか? 最低ですね、やっぱり男ってクソ。でも、ある意味お姉さまにお似合いなのも納得いって、複雑な気分ですよ。総合すると最悪の気分です、ロリコン先輩」


 ミルキーブラウンのショートヘアー、ぱっちりとした大きいな瞳に、長い睫、幼さのこる顔立ちであったが、俺の事を睨んでいるので、今は獣のような獰猛さを秘めていた。

 耳には小さなピアスをつけており、身長は百五十ちょっとといった所だろう。化粧はしていないが髪の色と、だるそうにしているのもあってか、清楚というよりはギャル寄りの見た目であった。

 夏休みだというのに制服を着ているのが不思議であったが、鞄を持っている事から、学校に用事でもあったのだろう。


「…パンジーか。一つ断っておくが、俺はロリコンじゃない。ついでに、お姉さまこと清美とも何の関係もない」

「パンジーじゃないです。私は吾妻静流あずま しずるですよ。人の名前を覚えられないとか、ほんと男ってクソですね、先輩」


 パンジーこと、元清美のステディであり、俺の腹を刺した一歳年下の中学生、吾妻静流がゴミを見る目で、俺たちの様子を見ていた。


 ―――――数分後


「口止め代わりにお茶をおごるなんて、やっぱり男ってクソですよね」

「すんなりついて来たくせに、文句言うなよ」

「文句ですか? 私、先輩に文句なんて言ってませんよ? 難癖つけるとか、ほんと男ってクソ」

「馬鹿な! 意識せずにクソだと口にしているのか!?」


 昨日清美と入ったファミレスに、静流とユエを説得し一時避難とばかりに、窓際の席に陣取っていた。俺とユエのやり取りに静流も参加した事により、痴情のもつれや複雑な家庭環境を連想され、本当に警察を呼ばれそうになった故の行動である。世の中理不尽だ。


「冗談ですよ先輩。それと、道でロリコンだなんだと言ったのも同じく冗談です。先輩の妹さんですよね、その子。先輩は一日ほどしか過ごした時間はありませんが、そんな馬鹿なまねする人じゃない事は分かってますから」

「…ああ、そうなんだ。まったく、変な趣味の妹で困るよ。はっはっは」


 にこりと微笑んだ静流に、罪悪感を覚えながらも嘘をついた。これ以上の面倒はごめんなのである。

 隣から、ユエの刺さるような視線を感じる。頼むから話を合わせてくれとアイコンタクトを送る。


「…お兄ちゃん、お兄ちゃん」

「…なんだ、妹よ」

「パフェ、食べたい」

「いいぞー、山ほど食べろ。そして、食べている間は静かにしてるんだぞー」


 交渉は成立した。危機は去った、ようやく一息吐けるといったところだ。


「それで、先輩。お姉さまとは仲良くしていますか?」


 前言撤回、俺の気が休まる事はないようである。


「前から言っているが、あのレズとは男女の関係はない」

「はぁ? そんな訳ないじゃないですか。お姉さまの他人との距離感しってますよね? 人の恋人寝取っておいて、言い訳とか男ってマジでクソ」

「色々言いたい事はあるが、あの女の距離感ならしっているぞ。人懐っこく、厚かましく、図々しい、だろ?」

「誰の話ですか?」

「竜胆清美の話だ」

「すごい。パフェ超デリシャス」


 俺と静流が噛み合わない意見に、怪訝な顔で言葉なくにらめ合っている中、俺の隣で運ばれてきたパフェを食べ、賛辞を述べるユエの声だけが聞こえてくる。

 痺れを切らしたのか、静流が嫌そうに口を開いた。


「…一つ質問していいですか? 先輩とお姉さま、どんな出会い方をしました?」

「喫茶店で話しかけられた。あまりのゲスっぷりに、思わず褒めたら家までついてきて、いまだに居候してるって感じだ」

「そうですか。ああ、そうですか。なるほどなるほど、ある意味運命だったんですね。むかっ腹が立ちますが、存分に理解できました」

「俺はまったく理解できん。このままだと消化不良だ。分かるように説明しろ」


 静流は俺のおごりで頼んだアイスティーを乱暴に持ち上げ飲みほすと、不貞腐れたように机に頭を伏せた。そして、当て付けのように舌打ちをし、しぶしぶ口を開いた。


「…お姉さまは、女の子が大好きですけど、深入りはしようとしないんですよ。それは女の子限定って訳じゃなくて、誰にでもそうなんです。私、去年姉を亡くしてまして、それを教えたら話してくれたんです。一人でのんびり生きていくって。同情とか共感とか、何か思う所があったんでしょうね」

「初耳だな。にわかに信じがたいが…それと、それ以上はその時の話を俺に言うな。断りもなく、聞く事じゃない」


 至極正論である事を俺は口にする。当然の話であるべきなのに、静流は汚い物を見るような顔で眉間に皺を寄せ、ケッと悪態に近い音を口から漏らした。


「あーあー、いい人ぶって最悪です。知るべきでしょう、身内の事なんですから。いざという時、何もできない自分を正当化する気ですか? 先輩の行動は卑怯です。話が重くなると逃げ出すとか、男ってほんとクソ」


 静流の言葉に俺は動揺した。その言葉は、俺の内側をそっくり言い当てたものだったからだ。嘘偽りなく俺は清美に対し勝手に話を聞くのは悪いと思っていたが、その背景にあったのは、静流の言葉通りだったのだ。

 勿論静流の言い分が絶対に正しい訳ではない。だが、静流のいざという時という言葉が、自分の中でこびり付くように離れてくれないのだ。


(そうだな…それが頭に残るって事は、もう他人と考えるのは無理ってことか)


 それならば、聞くべきなのだろう。自分の主義やプライドはこの際無視すべきだ。俺は自分で頼んでおいたアイスコーヒーを飲み干すと、意を決し静流へ向き直った。


「…分かった、話を聞かせてくれ。ただし、噛み砕いてで頼む。知っておくべき事だとしても、やはり覗き見するようでバツが悪い」

「へー、割と本心で悪いと思ってたんですね。私も言い過ぎました、ごめんなさい。お詫びに恋敵に塩をたっぷり送ってあげますよ」


 皮肉めいた笑顔を浮かべる静流の話をまとめると、こうである。

 清美は早い内に両親を亡くしており、外国と日本とを行き来していたらしい。外国に行けば、自分の本当の名ではなく、その国に適した名前で呼ばれ、日本に帰れば髪や容姿などで距離を置かれることが多かったらしい。

 どちらからも距離をおかれ、なにもかも面倒になった結果、他人との距離を保ち、適度に楽しんで生きていく事を決めた、という内容であった。


「…その環境で何故、女を選んだんだ? あいつの容姿なら、男でも構わんかっただろうに」

「はぁ? 乙女をなんだと思っているんですか? 無理ですよ、お姉さまはああ見えて、性的な部分以外は純情なんですから。あと、男がクソだと直感で理解したんでしょう。お姉さま素敵です」

「性的な部分が一番純情であるべきだろ。あいつ本当に面白いな。内面が意味不明すぎて、興味しか沸かん」

「それですっ! それなんですよ! 先輩がお姉さまの信頼を勝ち得た原因!」


 静流は顔を起こし、悔しそうな顔で頬尻に涙を浮かべると、ビシっと俺を指差した。人を指でさすなと言いたいが、話の腰を折るわけにはいかないので黙っておこう。


「先輩は適当な気持ちで自分の身の上を語ったお姉さまを適当に肯定したんです。だからお姉さまは先輩に付きまとったんですよ。あれ? こいつもしかして、ろくでもない自分を受け入れてくれるんじゃないか、って」


 そんな訳ないだろうと否定したかったが、清美の変人っぷりを目の当たりにしていると、そういう事もある気がしてくるため、俺は何も言えずに、黙って話の続きを聞くことにした。


「値定めの結果、先輩は完全に信頼を勝ち取ったんです。裏切る事も拒絶する事もないだろうと。ああ、そうだ! きっと私が先輩を刺した後の対応が決まり手だったんですよ! ずるいです! 私だって頑張ったのに、最後は人間性とか! しかも、ろくなものじゃないはずなのに!」

「ろくなもんじゃないだと。馬鹿言え、俺は普通だ」

「普通の人は、自分を普通なんて言わないですから! ああもう悔しいなぁ。話せば話すほど、お姉さまを任せられる気がしてくるし、最悪です。こっちは、必死になりすぎてお姉さまのお腹を刺すほど追い詰められたっていうのに」

「…今更だが、なんで清美の腹を刺したんだ?」

「お姉さまが、あまりにも本心で話してくれないから、お腹裂いたら本心でてこないかと思いまして」

「ナチュラルに狂ってやがる。ついでに聞くが、俺を刺した理由は?」

「二人を見た瞬間、敗北を知ったので、悪あがきに脅してやろうかと。本当は寸止めするつもりだったんですけど…人間の感情って不思議ですね。あ、ちなみに本気で今でも悪い事したと思ってますよ? 腕の二、三本折られても文句言わない程度にですけど」


 静流の軽く語る口調で、話の殆どを冗談と捉えたかったのだが、いかんせん目がマジであった。

 この女もまた狂人である。どうして俺の周りには、頭のおかしい女が集まってくるのだろうか。


「類は友を呼ぶ。似たもの同士、どーしよーもな…あっ、奥に入ってる、ケーキ美味しい」

「妹よ、お前は余計な事を言わず、無心でパフェを食べてろ」


 ユエがまた親父ギャグをかまそうとしたので、グラスに刺してあったスプーンでパフェを掬い、口に突っ込んで黙らせた。

 その様子を静流はジト目で見ながら、うあー、などと情けない鳴き声をあげて机に両手を伸ばし倒れこんだ。そのまま、指で机を撫でながら顔を少し上げて、やはりジト目で俺を見る。


「先輩は本当にずるいですよぅ。不思議と自分をさらけ出せますし、さらけだしたものが何であれ受け止めるじゃないですか。どんな人生歩めばそうなるんですか? レクチャーしてください、お姉さま寝取りますんで」

「知るかそんなの」

「こんなに色々教えたのに冷たくあしらうとか、男ってこれだからクソ。いいですよ、ろくなもんじゃない同士、ずぶずぶ沈んでいけばいいんです。…やっぱり嘘です、お姉さまをよろしくお願いします。振られたから毒づこうと思いましたが、無理っぽいんで仕方なく応援させていただきます」


 大きく溜息を吐くと、静流は体を起こし、俺から顔を逸らし窓の外を見た。憂鬱そうな顔が、窓に映りそれを消すように静流は窓に息をかけ曇らせた。


「本当に不本意ですが、先輩の事も嫌いでないですし。男はクソですが、先輩は男と言うジャンルには入れないであげます」

「偉そうにものを言いやがる。じゃあ、俺はなんなんだよ」

「父親とか兄弟とか? その辺のジャンルですね。もう死んでますが、私あまり実の父親好きじゃないんで、先輩にベスト父親譲ってあげますね。あ、そうなると父親に恋人寝取られた事になるのか…死にたいです」

「勝手に変な愛憎劇に巻き込むな! 失礼なやつめ!」

「完食。幸せ。話し終わった?」


 黙って食べてろとは言ったが、ユエの奴本当にマイペースだな。頬にクリームが付いているので紙ナプキンで拭ってやる。


「うん、話は終わったよ。ごめんね、お兄さん取っちゃって。お兄さんは優しい?」

「すごい変人」

「おいこら」

「ふふっ…そうだね、先輩は変人です。ではでは、長居する理由もありませんし、おいとましますね。妹さん大切にしてあげてください」


 ふと、静流の顔に影がさした気がした。ああそうだ、こいつは姉を亡くしていたんだった。変な嘘を吐くべきじゃなかったな。

 静流はすっと席を立ち、店から出て行こうと階段へと向かう。俺はどうしても聞かなくてはいけない事があったのを思い出し、静流を呼び止めた。


「すまん、どうしても聞きたいんだが、清美のやつ外国でなんて呼ばれてたんだ?」

「メアリーです。本人曰くですけど」

「…メアリー。…いや…すまん…呼び止めて悪かった…またどこかで…」


 顔を横に逸らした俺を妙な目つきで静流は見たが、一瞥すると去っていった。

 残された俺は、


「メアリー清美」

「やめろ…やめてくれユエ…。ツボなんだ…やばい…一度笑ったら止まらなく…なるっ」

「竜胆=メアリー=清美」

「やっ…やめろぉっ!」


 ユエの無表情での猛攻に、俺はついに耐えられなくなり噴出してしまう。表情も変えず面白い事をいうのは反則だろ。


「笑うの止めたい?」

「ああ、是非…にっ!」

「じゃあ、丁度いいから言っておく」


 必死に笑いを止めようと息を止めたりと工夫を凝らす俺に、元凶であるユエはそう口にして、


「常盤九音には気をつけて」


 宣言どおり俺の笑いを止めたのである。隣に座るユエの顔を見る、ユエはお冷の入ったグラスを弄りながら、無表情で中で浮いている氷を見つめていた。俺と顔を合わせようとはしない。

 逆にそれが、冗談で言っているのではないと、俺に直感させた。


「どういうことだ?」

「言葉のまま。あの人は、こちら側の可能性が高い。だから、気をつけて」

「…昨日、九音が結界を解いたからか?」

「うん」


 思ったとおりであった。確かにオカルトに関して精通している素振りは、いままでも見せてきた。だが、萩の話を聞く時の様子は初めての話に興味津々とばかりの様子であったのを俺は覚えている。とても演技とは思えない、嬉々とした表情であったのだ。


「早計じゃないか、そんな言い方は」

「結界を解いた上で制定した人間を普通と言う方が無理」


 ユエは口早に俺にそう言うと、ようやくグラスから手を離し、俺の顔を見た。眼光に鋭さを感じる。昨日、富士坊主へ向かっていった時と同じ目つきだった。


「そもそも術が、ただの人間が扱えるものじゃない。術は常に流動しているから」

「流動? 時代毎に変革されていくって事か?」

「違う、常に形を変えている。同じ陰陽術でも、同じ術式を持ちうる事は出来ない。個人によって、式も形も何もかも違うから。簡単なものじゃないの。言葉のように国々で形が決まっているのと違い、一つだけ共通の文字があって、個人個人で皆違う言葉を使うようなもの」


 要するに、元になるものがあり、それを共有し発展させていくと言う事だろうか。聞く限りだと、ねんどを個人個人で作品にしたり、箱庭を作るのに近い事なのだろう。


「それじゃあ、俺たちの知っている陰陽術だのオカルト系の知識ってなんなんだよ?」

「それが文字。そこから全てを作り、共通する認識に当てはめていく。結界や術は個人の内面に近いもの。仮に結界がある事が分かったとしても、即座に何を用いているかなんて、分析しきれない。でも、お兄ちゃんの話を聞くと、常盤九音は即座に言い当て、数分もかからずに制定しきった。これは解呪や解術の専門家クラスの上位でようやく出来る事。趣味の範囲なんて、絶対に嘘」


 ユエの話は初めて聞くことばかりで、それが事実だというならば、九音はユエ側の人間なのかもしれない。

 だというのに俺は、あいつの事もろくに知らず勝手を言うな、とユエに言いそうになっていた。それを留めたのは、


(ああ、そうだ。言い返そうにも、俺は九音の事を何も知らない)


 自分の不甲斐なさであった。静流に言われた事が俺に重く圧し掛かったのだ。


(何一つ聞いてない。あいつが自分で何も口にしないから、踏み込むべきじゃないと二の足を踏んだんだ。萩と清美に対しても、知りたい欲求はあれど同じだ。疑われて言い返したいと意気込むほど、他人を思っているというのに)


 静流の言うとおりであった、いざという時に、何も出来ないではないか。反論一つ口できないとは情けない。

 一日や二日という短い期間の付き合いというのも災いしたのだろうと思う。言い訳に使えるからだ、そんな短い時間で相手の何が分かるのかと。


「そうか、つまらん事をしていたんだな…」

「?」


 自分を鼻で笑うと、思わず言葉が口から漏れた。本当につまらん事だ。

 例え他人に踏み込もうとしなくなった理由が、国を離れ鎌倉に来る事になった原因だとしても。人間関係のもつれなどの面倒くささを知っていたとしても。

 それを言い訳に、つまらん事をすべきではないのだ。俺は日々を楽しく過ごす事を掲げているのだから。


「ありがとよ、ユエ。あと静流にも会ったらお礼を言わないとな。昔の事を引きずって、うじうじしてるなんざ、俺の性に合わんのだ。ようやく分かった」

「よく分からないけど、褒められてるなら、嬉しい」

「おう、褒めてる褒めてる」


 俺はユエに感謝を示すため、カモノハシのフードを脱がすと、ユエの頭を撫でた。


「おおぅ、ちょいびっくり。大胆コミュニケーション。吹っ切れてる?」

「吹っ切れた。九音の件は俺に任せておいてくれ。大丈夫だ、時機を見てしっかり聞いておく」

「むぅ、危険だって言ってるのに」


 頬をぷっくりと膨らませ遺憾の意を俺に示すユエであったが、本気で怒っているという訳ではなさそうであった。


「なんとかするさ。危険なら危険で、上手い事付き合うだけだ。萩も九音も清美も、全部まとめて面倒見てやる。一癖も二癖もある連中だが、悔しい事に面白い奴等なんだ」

「好奇心は猫をも殺す。好奇しんで、しんでも、しらんでー…なーんちゃって」


 完全に他人とのわだかまりに対し吹っ切れていた俺は、ユエの両頬を摘むと親父ギャグの詰まらなさを責めるため、みょーんと伸ばした。


「のーびるびるびるー。やめてー」

もくだらん親父ギャグを控えろ。愉快な奴め」


 そんな事をしながら、俺は自分が笑顔を浮かべているのに気がついた。ユエは頬を伸ばされながらも、俺の顔を見て微笑んだ。奇妙な光景であった。


「忠告はしたから。あとはあなた次第。萩をお願い」

「分かってる。任せろ」

「そう、信頼する。あと、重い話してごめん。本当はするかどうか、迷ってた。ちょうどいいと思ったけど、様子が変わったし、良し悪しの判断が出来ないから」

「つまらん事を気にするな。ありがとよ、俺のために言ってくれたんだろ? なら、自分で考えて、なんとでもするさ」


 俺は自分の頬を軽く叩くと、気合を入れ立ち上がった。


「それじゃあ行くか。やるべき事が、出来ちまったしな」

「うん、洋服買いに行く」

「あっ」


 家に戻ろうと考えていた俺は、とたん現実に戻された。そうだ、このカモノハシと買い物をしなければいけなかったのだ。


「可及的速やかに、買い物を済ませるぞ」

「うぃ」


 途端意気消沈した俺は、萎える気力をギリギリで保ちながら、ユエを連れ会計へ向かった。


 その後、ファミレスで予想以上に時間をくったので、俺とユエが買い物を終えるのは三時を過ぎていた。

 ユエには夏っぽい真っ白のワンピースを買ってやった。本人も気に入っていたので、着ぐるみを使う事は、もうないであろう。多分、そうであってほしい。

 ついでに、俺の趣味で麦藁帽子を買い、ポンと頭に乗せてやると、嬉しそうにその場でクルクルと回っていた。気に入ってくれてなによりである。

 絵に描いたような和風美少女になったユエを見送りながら、俺はようやく肩の荷を降ろすのであった。

 さあ、帰ろう。やるべき事と聞くべき事がある。場合によっては、俺も色々と話さねばならないだろう。

 俺は、夏の暑さに負けないほど、心の内を滾らせて、帰路に着くのであった。

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