灰色の選択(5)

 アイーシャが用意してくれた料理は大変美味しく、特にメインとして振る舞われたチキンディワンと呼ばれるグラタン的なものは幸せの味と呼ぶに相応しかった。鶏肉とブロッコリーをカレーパウダーベースのホワイトソースっぽい感じのでまとめた料理である。アルフィナ曰く、アイーシャのチキンディワンは三つ星レストラン並であるとか。

 因みに、ミシュランの三つ星の意味するものは“それを味わうために旅行する価値がある卓越した料理”である。まぁ、ミシュランも人の舌で判別しているのだし、意見には個人差があるものだ。ミシュランマンも見る人によってはゆるキャラともボンレスハムともとれるのだし。

 上等なワインのおかげで狗錠女史の機嫌も保たれ、和やかな夕食会だった。食事を終えた後、チャイを飲みながらこの町の成り立ちや現在の情勢などをアルフィナと意見交換。そして程なく一同解散と相成った。僕は今朝と同じく二階の一室をあてがわれた。客間なのだとか。現代の日本人にはあまり馴染みの無い文化だが、海外ではこうした客間を持つ家が案外多い。日本も昔は客間はあったはずなんだけどね。

 それにして不思議な三人である。興味が無いと言えば嘘になるが、正直あまり関わらない方が賢明だろう。自称魔法使いの英雄とそのお付きの二人といったところだろうか。堅気の人間が関わっていい相手ではない。でも、関わってしまった。この出会いは果たして僕の人生をどう左右するのか。……まぁ、今の僕は手も足も出せない状態だ。考える時間の無駄だろうと結論づけると、早々にシーツの海へと沈み込んだ。

 そうやって眠りについてから約2時間後、喉の渇きを覚え目が覚めた。好きに飲んでよいと言われていた冷蔵庫の水を頂く為に階段を降りると、偶然や偶然。薄明かりを灯したキッチンで珈琲を入れるアルフィナに出くわした。

「あら?」

「あの、お水頂いても?」

「えぇ、どうぞ。よかったら珈琲も如何かしら? なかなかの出来よ。チャイはアイーシャの独壇場だけど、珈琲に関しては私もちょっと自信があるの。まぁ、この時間に飲んじゃうと眠れなくなるかも知れないけど」

「子どもじゃないですから。珈琲程度で眠れなくなるほどデリケートな体じゃありませんよ」

「そう、なら一杯付き合ってちょうだい。ちょっと話したいこともあるし」

 アルフィナがドリップでキッチリと入れてくれた珈琲を片手に家の外へ出て、庭に置かれた木製のテーブルセットに腰掛ける。今夜は月明かりが一層明るい。満月が近いのだろう。

「贅沢よね。こんな綺麗な月と星を眺めながら美味しい珈琲飲んで。都会だとなかなか出来ない贅沢。大気汚染が原因なのか人工の光が原因なのか正直よくわかんないけどね。アスマの住んでいるところではどう? 夜はちゃんと暗い?」

「実家は田舎なんで星は見えましたよ。でも、今の部屋は駄目ですね。夜は街の明かりが強過ぎて何も」

「そう。それは残念ね。この町も、そのうちそうなっちゃうのかもしれないわね。あぁ、勘違いしないでね、私は別にタカバの開発が悪だと言うつもりは無いの。そりゃ自然は保護したいわ。でも、人が生きていくにはある程度の割り切りは必要だと思う。例え月明かりで夜を語ることが出来なくても、星の海を眺めたことが無くても、それと引き替えに出生率の低さを改善出来るなら。幼少期の死亡率を下げれるなら。薬や食事やインフラが整備されることで皆が長く健康で衛生的な生活を送れるのなら。それはこの自然を対価に支払うだけの価値のあるものだと歓迎するわ」

 それに、開発が進んで近くにスタバとか出来たら嬉しいしね。なんてリップサービスなのか存外俗っぽい発言を見せてくれた。因みにショットをダブルにしたホワイトモカにバレンシアシロップを追加するのがお好きらしい。マニアックだ。

「明日には国連から迎えが来るはずよ。それで無事向こうに戻ったら一つお願いを叶えて欲しいの」

「何でしょうか?」

「私と、国王陛下との会談の場を設けて欲しいの。それも直ぐに。ちょっと良くない話もを耳にして、時間が無いみたい。知っての通りいつ戦争が始まっても可笑しくない緊張状態よ。もう武力衝突を止める手立ては無いに等しいわ。でも、この土地の人間全てが過激派というわけじゃ無い。少なくともこの町は……違う、と私は思ってる。だからそれをちゃんと話して、安全を確保したいの」

 だからどうかお願いします―――と、祈る様に僕の手を取る。僕は、彼女の祈りに答えることが出来るのだろうか。ただの一企業の広報担当で、三十満たない若造で。それでも、僕のこの後の行動一つでこの土地の今後は確実に変わる。そのくらいの状況把握は出来ている。彼女が僕をこの家に泊め、町を案内し、侍女が親切にもてなしてくれる理由もその為だ。少しでも僕に恩を売り、この土地への好印象を植え付ける為のアピールなのだろう。

「アルフィナ、貴女はブラッディ・レッドなのでしょう? なら私の仲介が無くても貴女が直接国王陛下に声をかければ」

「ブラッディ・レッドは暴力の象徴よ。そんな私が正面切って出たら、むしろ脅しと取られてそれこそ引き金になりかねないわ。それに、私は国王陛下とは直接の面識は無いの。真偽を確かめたり、交渉したりしている余裕は無い。渦中の人間でもあるアスマから口添えをもらうことが最短ルートよ。それに……」

 アルフィナがそこで言葉を切り言い淀む。言葉にすべきか悩んでいるのだろう。そうして数秒の思案の後、よし、と声を上げて言葉を続けた。

「ねぇ、魔法って便利だと思わない?」

 そんな唐突な問いかけに、思わず「え?」と聞き返してしまう。魔法、か。そうは言われても、僕が見た魔法はアルフィナが使ったあのスプラッタ現場だけだ。便利かと言われれば便利かも知れないが……

「あ、そっか。Heat Bloodしか見てないんだっけ? まぁ、実はもっと色々出来るのよ。でも、そんな便利なものが何の対価も無し実現出来る程この世界の理は甘くないわけで、当然私もある一定の対価を支払ってるわ。で、正直な話、そろそろ限界でね。ゲームで言うところのMP切れ。アスマを助けたときくらいの立ち回りなら大丈夫よ? でも、流石に軍隊相手にどうこうは厳しくて。だからもう奇跡には頼れない。真っ当な人間の執れる手段として、こうして手にした縁を利用して、私たちは生き延びる道を必死に探さなければならないの。……これ、正直最重要機密だから。ばらされたら私という抑止力を失って、それこそ一方的な虐殺でも始まりかねないから気を付けてね?」

 そう言って素敵な顔でにっこり微笑む正義の味方。国家と、国連と、過激派と、PMT。確かにこの四つの勢力の均衡はPMTにブラッディ・レッドがいるという情報もあって成り立っている。これが崩れたら……ぞっとしない話だ。

「私にどこまでのことが出来るか分かりませんが……なんとかしてみます」

「えぇ、期待してるわ」

「……でも、まさか自分がこんな教科書に載りそうな事案のキーパーソンになるだなんて。ゾッとしない話ですね」

 小さい頃、ジョークで教科書に載る人物になりたいなんて書いた記憶があるが……こういうのはお呼びじゃない。望んだのは功績を讃えられる的な何かだ。

「第一次世界大戦の引き金を引いたサラエボ事件の青年たちも、そのときの自分に出来る一番正しいと思ったことをしただけよ。その結果についての賛否両論は後の勝者が決めたことだわ。何はともあれ、人としての行動原理は常に一緒。今出来る最善を考えて、迷っても良いからまずは行動あるのみよ」

 最善、か。あれよあれよと言う間に流されてここまで来た。色々な不幸と幸運があって、どうにかこうにかまだ生きている。なら、ここらで一つ男を見せるときなのかも知れない。一世一代の大舞台。幕はもう上がっている。僕の立ち回り次第で、多くの人の命運が決まる。いい加減緊張も麻痺してきたところだ。

「うん、決意して貰えたようで何よりね。……迷惑ついでにもう一つ。この先、もしも私や霧慧に何かあったときなんだけど、出来ればあの子のこと、気にかけて貰えないかしら」

 あの子、というのはアイーシャのことだ。若干15歳にしてトライリンガルに加えて家事スキル上級者。僕なんかよりもよっぽど食い扶持はありそうだ。でも、そうした能力もある一定の身分と資金があってこそ生きる物。裸一貫、何も無ければどんなに才能を持っていても搾取される奴隷と大差ない。

「そのもしもは無いはずですけど……これも縁ですから。学校に入れるなり、就職先紹介するなり、美味しいご飯の恩はちゃんと返しますよ。もっとも、彼女は僕のこと嫌がってますから素直に受けてもらえないかも知れないですけど」

「あら、そんなこと無いわよ? 単に理想の女性が男だったから乙女心をこじらせてしまってるだけよ」

 あぁ、それホントだったんだ。……僕そんなになよっとした仕草かね?

 その後、具体的な交渉手段や内容について意見交換と、他愛の無い雑談を交わして再び床に就いた。憧れの正義の味方と約束を交わした深夜のお茶会。この決意の夜を最後に、僕の人生はまた激しく流転していくことになる。


 ―――最悪の結末に向けて。

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Memory Blood 時邑亜希 @Tokimura-Aki

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