「過去へと満ちる月光」
時刻は、その日の午後2時。
僕らは再び「アアア」へと戻ってきた。教団幹部の男に先導されて、僕ら三人は中央通りを進んでいく。やがて、都市の中央よりも少し北側に位置する、純白の大聖堂が見えてきた。敵の本拠地に正面玄関から入ろうというのだから、教授の度胸も大したものだ。
既に、彼らのトップである、教団本部と教主には連絡がついているらしい。城門で散々待たされた挙句、聖堂の玄関ホールまでしか入ることが出来ないという条件付で、教主との面会が許されたのだ。
間近で見ると、都市の心臓部である大聖堂は、さすがに豪奢な装飾がなされている。ただでさえ複雑な曲線だらけの「アアア様式」なので、美しいのを通り越してグロテスクですらある。中央広場から階段を上っていくと、正面玄関は既に開いているので、すぐにホールの内部が見えてきた。十人前後の法衣を着た人物達が並んで立っている。
「教主様。連れてまいりました。この者たちです」
「教主」と呼ばれたのは、中央にいる白髪の男だった。さすがに信仰都市を束ねる人物だけあって、相応の威圧感をまとっている。
「教主パーガッド殿ですな。私はカノッサ・ディープレッド。以後お見知りおきを」
「スタルト。本当にこの者が?」
カル・カソで僕らと戦った男は、スタルトという名前らしい。彼は、不本意そうにうなずいて見せた。教主も眉をひそめ、口をへの字に結んでいる。当然だ。僕らは全員が年端も行かない少年と少女なのだ。教授の容姿を見て、当惑しない人間がいるものか。ましてや、今日の教授とホタルコちゃんは、極彩色のエイジア民族系衣装を着ていて、どこかの舞踏家とか、芸術家のようないでたちなのだ。
「教主様、お気をつけください。こやつら、只者ではありません」
「カノッサとやら。一体、何の用件だ。この私を呼び出して」
正直、小心者の僕の心臓は爆発しそうだった。これは、最終決戦なのだ。教授と僕らは、ここにいる、そうそうたる教団幹部達を相手に、戦わなくてはいけない。都市全体が相手では、幾らなんでも物量が違いすぎる。「くらやみ乙女」と「岩窟王」の在庫をどれだけ持ってるのか分からないけど、貧乏学者が立ち向かうなんて、常識的には無謀だ。一体、教授は勝算があって、こんなことをしているのだろうか。
教授は、無言で例の美術書を取り出した。再びあのページを開いて見せるのだろう。
「既に、その方から聞いていらっしゃると思いますが?これについて、説明していただきたいですな」
幹部達は、美術書の問題のページを見せられて、一斉に顔色を変えた。
やはり、これの効果はてきめんらしい。
しかし、一体何が書いてあるんだろう……未だに僕だけが蚊帳の外なのだけれど……
「教主殿、この際単刀直入に言いましょう。この都市の『核室』に案内していただきたいのです」
「な……!」
パーガットは一瞬、文字通り絶句した。
「何を言い出すかと思えば! お前の様な部外者に、そのようなことをしなければいけない道理は無いぞ!」
本当にそうだ、一体何を言い出すかと思ったら……!
教授の頭はおかしくなってしまったのか?
「アアア」の「幹部」でも「公認学者」でもないのはもちろん、「登録市民」ですら無い、全くのよそ者の教授に、都市の心臓部であり、「フォーマットそのもの」である「核室」を見せるなんて、とんでもない話だ!
「いえ、これはそちらにも関係がある話なのです。今私は、とある『敵』と戦っております。それを倒すのは、あなた方にとっても共通の利益なのではないかと思うのですが?」
ん……? 「共通の利益」?
「その為に、お前を『核室』に入れる必要があると?」
「そうです。『マドゥ』を倒すためには必要なことです」
その名前を出した途端、アアア幹部達はどよめいた。
教主の表情は、見て分かるほどに狼狽している。
「そ……その名前を……それをどうやって知った?」
「ふむ。ちょっとした手品を使えるのですな。私の優秀なる助手は」
教主は、動揺を抑えつつ、教授への質問を続けた。
「なるほど……では、それと『核室』に入ることに、どういう関係が?」
「もっと具体的に言いましょうか。つまり、この『アアア』の『最高教典』を見たいのです」
さらに、幹部達の動揺が広がるのが見て取れた。
常識はずれの要求だ。
「最高教典」を見せろ、というのは「都市を明け渡せ」といっているのと同じなのだ。
「教主殿。そちらには『最高教典』を見せたくても見せられない理由があるのでは無いですかな? おおむね想像はついています。私にそこまで言わせますか?」
「く……貴様は……一体何者だ?」
「ご安心下さい。何の権力も野心も持っていない、ただの占い師ですな。だから、既に申し上げているように、私と共闘していただきたい」
ええと……待てよ?……何だか……妙な話になってないか?
「そして、そもそもあなたがたは『マドゥ』の動向がどうあれ、破滅の危機にある。違いますかな?」
「そ……それは……」
「私に出来る範囲でなら、あなた方が直面している『危機』に力を貸す準備があります。悪い話では無いと思いますが?」
僕は、軽い混乱状態に陥った。
おい……一体、教授は何を話してる? 力を貸す? あなた方の危機? 何で、教授があいつらを「助ける」なんて話になってるんだ?
教主パーガットは目を伏せると、やがて、全てを観念したように肩から力を抜いた。
「分かった……『核室』に案内しよう」
「きょ……教主様!」
「それは……!」
他の幹部が一斉にどよめきの声を上げた。教主は、とっさに片手を上げてそれを制止する。
「みな落ち着くのだ。我々はこの『アアア』の現状を何とかしなければいけない。 そして、この者は、どうやら何もかも見抜いているようだ。いまさら下手に隠し立てしても仕方あるまい」
教主の説得で、幹部達はあっさり抵抗を断念したようだった。やはり彼も、一つの信仰都市のリーダーになるだけの器なのだろう。
「では、シャ・ズウ。『核室』への通路を開けなさい。この者たちを案内しよう」
教授は、柄にもなく、まるで淑女のように優雅なお辞儀をしながら言った。
「ありがとうございます、教主殿……」
☆ ☆
巨大な金属製の両開きドアが、ギリギリと不快な軋み声を上げながら、数人がかりで開けられた。僕達は、幹部たちに案内されて、聖堂の中央にある部屋に足を踏み入れた。室内は何一つ装飾品が無く、殺風景という他ない。部屋は多角形をしていて、天井を見て数えてみると、角が七つあった。やはり、このアアアの基本形態は、七角形なのだと改めて納得できた。
部屋の端には、地下へ下りる階段があった。僕らは教主たちの後を追って、それを下っていった。階段は直線状だが、しばらく下がっていくと、左へ左へと、一定の角度で曲がっていく。つまり、これは「七角形をした螺旋階段」なのだろう。きっと、この先の地下深くには「核室」があるのだ。
一介の学士に過ぎない僕は、当然「信仰都市」の「核室」の実物は一度も見たことは無い。教学書で読んで、あくまで知識として知っているだけだ。階段を一歩一歩下るにつれて、心臓が締め付けられるような緊張を覚える。
一般的には、核室の中身はごくシンプルだ。床の中央には巨大な「基本方陣」が刻まれており、それを動作させるための、「マトリクス」や「暗号」や「数式」が補助として無数に配置されている。そして、大抵は方陣の中央に「最高教典」が設置してあるのだ。ただし、理論的には「最高教典」は核室に無くとも、フォーマットは稼働する。ごくまれに、「分散防御方式」を取っている都市の場合には、都市の複数の場所に分割して、「最高教典」を保護している。この方式の利点は、一部の「教典」が破壊されても、都市の残りの部分は不完全ながら稼働するため、一度に都市が全滅することを防げることにある。しかし、殆どの場合は「集中防御方式」で、「法学装甲」が最も強い「核室」に、全ての「最高教典」を集めて保護しているのだ。
僕の真横で階段を降りているホタルコちゃんが、教授から渡された美術書を持ったまま僕に話しかけた。
「あの、マサトさんは、これの中身見てなかったんじゃないですか?」
「そうですよ。僕が改めて見るほどの物では無いとか、教授は言ってたけど、あれほどみんなが驚くから、気になってるんです」
「問題になってるのは、この辺りのページなんですよぉ」
と言いながら、ページを開いて僕の方へ向けてくれた。それが何かは一目で判った。荒野に鎮座する、真っ白で巨大な城壁。「アアア」を描いた風景画だ。なるほど、これは信仰都市を描いた画集なのだろう。
「これの制作年は二十年前ですね。でも、次のページはこれなんですけど……」
ホタルコちゃんが見せてくれた次の絵も、やはり「アアア」を描いた物だった。画風からすると、明らかに別の作者だ。しかし……だけど……それはいいとして……? 待てよ……?
その絵は明らかに、「おかしかった」のだ。
「およそ二百年前の作品です。それで、次のページが二百六十年前で……最後のこの絵は……」
何故だ?……何故、昔の「アアア」の絵には「色がついている」んだ? しかも、昔になればなるほど、淡い色彩から、濃い色彩へと変わっていって……
「三百年前だから、建設当初のものですね。見ての通りなんですよぉ」
最後には、極彩色の都市になってしまった!
いや違う、逆だ!
元々鮮やかな色で、様々に彩色されていた「アアア」は、年を経るごとに色が淡くなっていって、最後には真っ白になったってことか? そんな馬鹿な。「アアア」には「色彩が存在しない」んじゃ?
「そんな馬鹿な!」
僕は思わず声に出してしまった。僕は、やはり何も知らなかった。何を知らないのかも知らなかったのだ。
「ん? 少年。一体今更何を驚いているのだ? 君はとっくに、それくらいは想像がついているのかと思っていたのだが……」
それは、勝手に僕の洞察力を教授が過大評価していただけだ。僕は、こんな事は想像もできなかった。それに「これ」が一体どういうことなのかは、未だに判ってないし。
「ならば、教えようか。『完全無欠都市アアア』の真実を」
僕の気持を察したように、教授が口を開いた。
「三百年前。信仰都市ハッタンに住む一人の天才『学者』が、全く新しい発想の『フォーマット』を考案したのだ。『マドゥ』という名のその学者は、その理論によって、新しい土地に作る第二の信仰都市の設計をたった一人で行い、世にも珍しい『七芒形都市』、その名も『アアア』を完成させた。それが余りにも強力だったため、当時の教主は、それまでの信仰都市ハッタンを、『教典』も『フォーマット』も廃棄処分にした上で、全ての住人を現在の『アアア』へと移住させたのだ。『蒼いたそがれ戦争』において、バハロウの攻撃をことごとく退けた、正に無敵都市と呼ぶに相応しかった時の『アアア』を描いたのが、その絵だな」
「相応しかった? 過去形……なんですか?」
長い長い螺旋階段を下り切って、幹部と僕達は、七角形をした広いフロアに辿りついた。その中央には、直径十メートル、高さ二メートル程の大きさの「正七角柱」をした構造物が作られている。壁の一つには片開きのドアがあり、ドアノブの近くに直径十センチ程の円形のくぼみがある。そこに円盤状の鍵をはめ込むと、ドアが開くのだろう。これが「核室」なのか? 僕が本で学んだものよりも、随分と小さいけど……。
「教主殿。私は自分の『推測』を語っています。訂正すべきところがあったら、教えて下さい」
「うむ。いいだろう」
「その功績によって、マドゥは『次期教主』の座を勝ち取った。しかし、新しく作られた信仰都市『アアア』の運営システムは、極めて特異な点があった。それは、マドゥ以外の幹部は誰一人、『教典を見たことが無い』ということです」
え? 何言ってんだ? そんな馬鹿なことは無いと思うけど? 第一、基本教典は僕も持ってる訳だし……
「もちろん『基本教典と呼ばれている物』は市民全員に配布されていた。しかし、それ以上の『上位教典』は、誰一人、一冊たりとも見たことが無かった。そして、完全無欠とも言われた『フォーマット』の情報も、教主が独占していた。パーガット殿、違いますか?」
「その通りだ。考えられないことだが、そうだったのだ」
「実は、教主マドゥにとっては、自分以外の幹部は、本来の構想では一人も運営に必要ではなかった。教団組織は『教主一人』だけで十分だったのです。しかし、『建設当初のフォーマット』は、教主マドゥの目指す完成形とは程遠く、あちらこちらに『穴』があった。その『穴』は、一時的な処置として、『既存のフォーマット理論』によって埋めていくしかなかった。それを稼働させる為に、『一時的措置として』教団組織が必要だったのです」
「恐らく、そういうことだったのだ。今となっては不明だが」
「しかし、そんな『初期アアアの運営システム』は、あっさりと崩壊したのですな。当時の幹部達はクーデターを起こし、教主マドゥを追放したのではないですか?」
「いや、正確に言えば、殺したのだ。都市から逃亡したマドゥを追跡して、この『核室のキー』を奪ったのだ」
「いや、死んでいません。現に我々は先日マドゥに会っていますので」
「何と!」
幹部達が一斉に驚きの表情を見せた。
「彼女が、『ここの教主だった頃の顔』は分かりませんかな? 参考までに、こちらのボードに表示していただきたいのですが」
「残念ながら、三百年前のこととあって、肖像画しかないのだ。どこまで正確に本人の顔を表しているのかは分からないが……ホルテン」
教主の声に応え、一人の幹部がボードを操作し始めた。教授のボードに一枚の肖像画が浮かび上がってくる。三十歳前後の女性だ。天才学者と言うから、気難しい顔をした年配者を連想したけど、こんなに若いなんて……待てよ? あの老婆がマドゥだとして、一体奴は今何歳なんだ?
「なるほど……まあ、これはいいとして、判らないことがあります。何故そんなクーデターを? そのままの状態でも、幹部達は教団の中枢にいるという地位は約束されていたはず。『完全無欠フォーマット』の中身が知りたいという、純粋な知的欲求ですか?」
「いや、公然の秘密だったが、マドゥは『不老不死』の夢に取り付かれていた。『完全無欠のフォーマット』すなわち『完全なる公理』の先に、必ずやその実現があると考えていたのだ」
とんでもない話が繋がってきて、僕は当惑した。確かに、太古の時代から不老不死は、学者が追及してきたテーマだ。しかし、『フォーマット設計』の最終目的が不老不死? 突拍子も無い話だけど。
「なるほど、それで繋がります。しかし、教主マドゥは、その究極の技術を一人で独占するつもりだった。『フォーマット』設計に関わる事を許されなかった当時の幹部達は、一切それを享受することは出来なかった。彼らはそれに反発したのですな?」
「その通りだ。幹部達は、この部屋に入れば、『最高教典』さえ手に入れば、個別の役割を機械的にこなすだけだった自分達でも、『フォーマット』全体を掌握し、完成できる、と思ったのだろう。その先に不老不死の夢があると。大国バハロウに完全勝利した当時では、自分達がこの世界の頂点に君臨できるという熱狂に取り付かれるのも、無理からぬ事だ」
現教主であるパーガッドは金属製の円盤を懐から取り出した。それをドア付近のくぼみにカチリとはめると、ギイッという金属音と共に、ドアがゆっくり外側に開いていった。
パーガットは、まるで懺悔をするような面持ちで言った。
「しかし、当時の彼らが、この『核室』の中で見たものは『これ』だったのだ」
遂に、完全無欠の「フォーマット」を生み出す根源、「アアア核室」が、全貌を現した。
しかし僕は、部屋の中にあった物の正体を、にわかには理解できなかった。
本来、「核室」の床には「巨大な基本方陣」が描かれているはずだ。大抵はヘキサグラムかテトラグラム、稀にペンタグラムだ。しかし、そんなものは、室内のどこにも無かったのだ。
「あの……ドクター。『方陣』は……どこですか?」
「ん? あるじゃないか。中央にある『あれ』だ」
教授が指で差した先に僕は視線を移した。
そして、そこに見つけた。たった数センチの大きさに刻まれた正七角形を。
僕は、思わず叫ばずにはいられなかった。
「ええ? あれですか! あんなに小さな……それで……肝心の『最高教典』はどこに?」
この、当然の疑問には、教主が神妙な顔つきで答えた。
「無かったのだ……どこにも教典など無かったのだよ。あのちっぽけな図形以外、この部屋には何も存在していなかったのだ……」
「え? すると、訳の分からない他の『これら』は一体……?」
室内は、僕が知識として知っている「核室」内部とは、似ても似つかない「異常な状態」になっていたのだ。
核室の床には、金属製の柱が六本立てられていて、その上に六角形をした巨大な金属板がテーブルの天板のように取り付けられていた。さらに、室内には、至るところに様々な形状の金属や鉱石が、所狭しと複雑な形で組み合わされている。また、宝石類や彫刻、絵画等の高級ソリッドも、補助として無数に配置されている。
「……一体、これは何なんですか? 訳が分からないんですけど……」
「やはり、こういうことになっていたか。想像はしていたが……」
教授は、ため息をついてから、話を続けた。
「基本階層ですら『フォーマット』を解析できなかった、大国バハロウ同様、ここに入った幹部達も、結局一切が判らなかったわけですな。アアアの支配権は掌握したものの、やがて、『フォーマット』の稼働が不規則になっていった。このような場合、本来ならば、『フォーマット』を把握している教団幹部が、定期メンテナンスや、微調整を行うのでしょう。丁度ピアノを定期的に調律するように。しかし、あなた方にはそれが出来なかった。『フォーマット』の基本である『七角形という基本形状の定義すらできない』のですから」
「その通りだ。外形の問題は未だに大きな謎なのだ。他の『フォーマット』同様『直角』が『九十度』として定義されているのははっきりしている。しかし、そうなると『七角形』の城壁の外角は『三百六十の七等分』となり、割り切れないのだ。『フォーマット』の解析は入り口からつまずいてしまった……」
ここで、パーガットは、何度目かの深いため息をついてから、説明を続けた。相当に心労がたまっているようだ。
「ぐずぐずしている間に、『フォーマット』の乱れは許容範囲を超えてしまった。気候は不安定になり、人々はじっとしているだけでめまいを起こし、疫病すら起こり始めた。そこで、当時の幹部は苦肉の策として、我々が理解できる『既存の理論』で強引に『フォーマット』を管理することにしたのだ。幸いにして、わが都市は支配圏に高級ソリッドである『タングステン』を大量に抱えていた」
教授がその後を受けて、彼女の推測を披露した。
「それを使って、『本来のフォーマットの動作』を押さえ込んだ上で、強引に基本階層から最上位階層に至るまで、全て『オーソドックスな六芒形フォーマット』で『全面的に上書き』したのですな」
僕は、思わずそこで口を挟んでしまった。
「え?教授?それってつまり……?」
「その通りだ、少年。すなわち、都市全体、さらには城壁外の支配領域に至るまで、『フォーマット』を、まるごと『エディット』することにしたのだな。大量の『過去へと満ちる月光』(タングステン)を、三百年間に渡って燃やしながら」
そんな!広大な支配領域全てを「上書き状態」に保ってきたなんて。そんな馬鹿げた話だったとは! 言われて見れば、核室の床には、あちらこちらに光る金属棒が配置してある。これが「上書き状態」を維持している「燃料」である「過去へと満ちる月光」なのか。
「普通、『エディット』とは基本階層の上に、上位階層だけを限られた領域に限って、一時的に上書きする技術なのだな。しかし、この『アアア』では、そもそも基本階層自体が解析できない。よって、『基本階層から全てを改ざんする』しかなかった。つまり、この都市は事実上『二つのフォーマットが同時に稼働』している。そのひずみを補正する為、この核室も、修正に修正を重ねていった挙句に『こんな無様な有様』になった……そうですな、教主殿?」
「推測」どころか、全てを正確に見通していた教授の解説に対し、パーガットはただ頷く事しか出来なかった。
核室の床にテーブル状に取り付けられている金属板を改めてよく見ると、「オーソドックスな六芒形方陣」が刻まれている。これは、都市全体に「上書き」している「六芒形フォーマット」を生む根源なのだろう。きっと、僕がエシャのために組んだ法学装甲も、上書きした「六芒形フォーマット」の上で稼働していたのだ。
「色彩の件もそれですな? 都市全体を塗りなおして、フォーマットの大きな要素である色彩コードをいじくることで、なんとか都市を管理しようとした。しかし、いくら変更していっても、うまくいかなかったわけですな。所で、少年。色というものを、どんどん『加色混合』していくと、どうなるか知っているか?」
「ええと……色の事は、ちょっと僕は……」
「真っ白になるのだよ。色彩コードをいじくっていくうちに、結局その影響を一切消すために、全ての色彩を白一色にしてしまうしかなかった。また、上書きしている六芒形フォーマットを安定稼働させる為に、本来の城壁の内側に、六角形の城壁を追加して建築した。住人が何世代も交替するうちに、やがて、都市が七角形だった事は殆ど忘れ去られてしまったということだ。結局、現在のアアアは、感覚の優れた人間にとっては、世界が二重にダブって存在し、直線がひん曲がり、歩くだけで頭痛がする、『出来損ない都市』になってしまった」
「恥ずかしながら、全く貴嬢の言う通りだ。現在のアアアは、『完全無欠都市』の面影は微塵も無いのだ」
「しかし、この状態も長くは続けられません。あなた方にとって、最も深刻な問題は、支配領域内のタングステンが枯渇しつつあることでは無いですか? そうなれば、『フォーマットの全面上書き』はこれ以上続けられない事に……」
「そこまで見抜いていたとは……その通りだ。我々には時間が無い……」
教授は続ける。
「それでは、ホタルコ嬢に聞こう。ここまで悲惨な事態になったとしても、都市を放棄するという最も簡単な選択をしないならば、次の方策は何だろうか?」
ホタルコちゃんはいきなり話を振られたので驚いた様子だった。完全に教授の「講義」になってしまっている。
「ええと……そうですね……私なら、教典が見つからないのなら、自分達で作ってしまえばいいと思いますけど……」
パーガットが、その言葉を受けて先を続けた。
「その通りだ。『アアア』の『上位教典』や『最高教典』は、クーデターを察知したマドゥが隠したか、廃棄してしまったのだろう。ならば、それを新たに復活させればいい。幸いにして基本教典は存在し、その内容も分かっている。そして、最高教典の内容はそれらを全て含み、上位互換性を持っている。だから、想定される最高教典の残りの内容を解析して、『独自に作り出す』のだ。オリジナルの教典と完全に同じでなくとも、『フォーマット』が稼働すればいいのだ。我々は三百年間それを必死に行っている。それが完成すれば、こんな無様な『暫定的処置』は必要なくなるのだ」
教授のそれに対する返答は、しかし冷徹だった。
「失礼ながら、教主殿。それは、無駄な努力ですな」
「何だと? 無駄とはどういうことだ?」
「あの基本教典すら偽物だからです」
「偽物? そんな馬鹿な!」
「正確にはマドゥが仕掛けたダミーですな。『アアア』は、明らかに『七芒形フォーマット』で稼働している。その結論までは、有能な学者なら到達できる。そして、基本教典に使われている言語や文章や文法は、『七芒形フォーマット』に適合しているかのようにも解釈できますが、その全てが『見せかけだけ』なのです。なぜなら、『アアア』の『真の最高教典』は、『基本教典と呼ばれてきた本』とは、全く異なる内容であり、『一行たりとも共通点が無い』からです」
「ちょっと待て! 一体、お前は何の根拠でそんなでたらめを言えるんだ!」
幹部の一人が叫んだ。教授の言い分が余程納得できなかったのだ。
「そうだ! 『最高教典の内容』だと?そんなものが何で分かる!」
「第一、『基本教典が偽物』だとすると『信徒が一人もいない』ことになるぞ。矛盾することを言うな!」
僕も、同じ事を思った。「フォーマットが稼働する大前提」は、教典で記されている世界観が、真実であり事実であることだ。「フォーマット」とは、「真実としての信仰的世界観を物質的世界に具現化したもの」だからだ。そして、「教典の内容が真実であること」は、「それを信仰している信徒が存在している事」によって、成立するのだ。教典には、どのような内容が書かれてあってもいいし、極端な話、信徒達は実際に信仰している必要すらない。
ともかく、その教典を信仰していることになっている「登録信徒」が「存在しているという事実」によって、「教典の内容は真実であり事実であると保証される」のだ。信仰都市が信徒である住人を増やそうとするのはそのためだ。信徒が増えれば増えるほど、教典の内容の「真実性」が強化され、「フォーマットも強固になる」のだから。
だから、逆に言えば、「真の教典」の内容を誰も知らない、信仰もしていないのならば、教典の内容は事実でも真実でも無くなってしまう。「信徒が一人もいない信仰都市」というのは言葉そのものに矛盾がある。「正しくない世界観ならば具現化も有り得ない」からだ。
しかし、教主だけは冷静にそれを受け止めていた。
「いや……みな落ち着くのだ。それは違う。『信徒』はたった一人だけいるのかもしれない。仮にマドゥが今でも生き残っているとすれば……だが」
確かに、理屈ではそうだ。信仰都市の「理論的最小単位」は「信徒一人によるフォーマット」だからだ。しかし、常識的にそんな馬鹿な事は有り得ない。「たった一人による信仰」では「世界観の真実性」を支えられるはずがないのだ。
「すると、『真の教典』とやらは、今でも存在しているのかな。ドクター」
どうやら教主だけは、教授の言葉に素直に耳を傾けているようだ。
「存在しているでしょうな。今でも、この『アアア』内に」
「なんだと? 場所は? 分かるのか?」
「おおむね見当はついています。『木を隠すなら森の中』……ということです。この建物の三階にあるようですが『文書庫』ですな。これから、皆でそこへ参りましょう」
☆ ☆
僕らは核室から出て、大聖堂の一階に昇ってきた。そこから、さらに建物の東翼の三階に上っていく。「文書庫」も「核室」程ではないにせよ、教団にとっては重要な部屋だ。そもそも、外部の人間に気安く見せられるようなものではないのだ。
当然だけど、文書庫の内部は、カル・カソの書庫の規模をそっくり縮小したような様子で、特にこれと言って不思議な点は見当たらなかった。
教団幹部達は、みな苦虫をつぶしたような顔をしている。教授の言葉で相当にプライドを傷つけられたようだった。
スタルトという名らしい幹部が言った。
「ここが、文書庫だ。断っておくが、我々を馬鹿にしないでいただきたい。とっくにここにある本は、一冊残らず調べつくした。特に、古文書や教典関係については、暗号が仕込まれていないかどうかまで、一頁ずつ解析したのだ。ここに『最高教典』が存在するなどと考えるのは、素人考えもはなはだしい」
スタルトは、既に勝ち誇ったような顔をしている。彼は、前の戦いで痛い目にあわされたため、教授に対して恨み骨髄なのだろう。教授はというと、ゆっくりと文書庫に収められている文献を見て廻っていた。書庫にはありとあらゆる文献が、分野別に並んでいた。古今東西の教典や宗教学、神秘学、占星術などはもちろん、歴史書、哲学、古典文学、文化人類学、経済学、数学、物理学、化学までもがあるようだった。都市が秘蔵する文書としては、相当のものだ。
ずらりと並んだ本棚の列を、一通り廻ってから帰ってくると、教授はパーガットに尋ねた。
「教主殿、ここにある蔵書の内容は、三百年前のクーデター以後変わっていますか?」
「いいや、ここは当時から一切変更していないはずだ。本の配列すら、全く変えないように最新の注意を払ってきたのだ。新しく増やした資料は別の研究室にまとめて保管してある」
教授は、得心したような表情になり、
「なるほど、分かりました。大体目処はつきました。やはりここに最高教典はあるようです」
と、いともあっさり言ってのけた。
幹部達は一斉に顔を見合わせ、あからさまに首をかしげている者もいる。驚いたのは、もちろん僕も同じだった。そんなことを言い切っちゃっていいんだろうかと……
教主が痺れを切らせた様子で言った。
「勿体つけないで、教えてくれ。教典はどれなのだ」
「教主殿、慌てないでください。いよいよ本題に入ります。今緊急を要するのは、この『アアア』に起こっている事態に備えることです。教主殿、ここ一ヶ月ほどで、『アアア』のフォーマットの不安定さが増してきたのではないですか?」
図星を突かれたらしく、教主の顔がにわかに険しさを増した。
「いえ、正確には『本来の』フォーマットの影響が強くなって、抑えきれなくなってきたのではないかと想像しているのですが」
「いや……全くその通りなのだ。何故だか、全く分からないが」
「簡単です。この『アアア』のフォーマットが、急速に完成形に、本来マドゥが目指していた『完全無欠フォーマット』に近づいているということです。三百年前は、やむを得ず穴を空けたままにしてあった部分が、『埋められてきている』のですな」
「どうやって? 誰の仕業だ? そもそも何故に『今』なのだ?」
「手作業で、こつこつ『数値』や『単語』を『入力』しているのでしょうな。『アアア』を構成するソリッドである、城壁や建材や道路の一つ一つに。そんなことが出来るのは当たり前ですが、この都市のフォーマットを把握している人間しかいない」
「それはつまり、三百年前に殺されたと伝えられる教主マドゥ……」
「そうです。彼女の仕業です。三百年間、機が熟するのを待っていたマドゥが、この『アアア』に真の主として戻ってくるのです」
「マドゥの復活……とな?」
「そうです。現に彼女は、自分が復活する為に、年端も行かない少女達を次々に殺害し、その肉体を利用しているのです」
その言葉を聞いて、僕の脳内に一つの閃きが衝撃となって走り抜けた。
記憶の底に眠っていた視覚情報、「あの時の光景」が鮮明に蘇る。
そして、今までずっと引っかかっていた疑問が、嘘のように氷解したと感じた。
そうだ……マドゥが古ノートを取り出した時に、僕が感じた奇妙な「違和感」。あれは、奴の手や指が、老婆の物とはとても思えないほど、若々しかったことから来ていたのだ。
不老不死に取り付かれたマドゥは、きっと老化を出来るだけ阻止しながらも、三百年間生き延びてきたんだ。そして、今「アアア」に教主として帰ってくる為に、若い肉体を必要としている。だから、次々に少女を殺害しては「身体のパーツ」を奪っているのだ。奴は既に、四肢など6箇所の肉体を手に入れている。
最後に……最後に残っているのは……
「ド……ドクター!つまり……その……マドゥが復活したなら、あの老婆の頭の部分に、エシャの頭部が……頭部がはまってしまう……?」
「ああ、全くそういうことだな」
何で、そんな残酷な事を、いとも簡単に口に出来るんだ、この人は!
僕は、頭がおかしくなりそうだった。そんなことは想像もしたくない。エシャの身体が切断されて、奪われるなんて!
母の死によって、僕の人生は一度終わった。
だけど、エシャのおかげで、再び僕の時間が動き始めたのだ。
疑いようも無く、エシャとの出会いは奇跡だった。彼女は、今の僕の人生そのものだ。
しかし、それが再び、全て消滅してしまうかもしれない。
畜生! 何故、僕なんだ。何故エシャなんだ。よりによって、こんな災厄が降りかかるなんて。
しかし、教授は僕の狼狽をよそに、冷静そのものと言った口調で話を続ける。
「問題は、少女達の死体が発見された日時が『等間隔』だということです。身体のパーツを手に入れるのに、一定の時間が必要なのでしょう。最後の死体の発見が三日前だったことを考えると、明日にはマドゥの復活は最終段階を迎えると思われるのです」
幹部達の顔はみな真剣だ。彼らにとって、事態が切羽詰っている事をようやく認識したのだ。
「ですから教主殿、時間が無いのです。私に全面協力していただけませんか? 『最高教典』を探し出すのはその後でも可能です。そちらはもう少しデータの収集が必要なのです」
「協力……というと、一体何をすればいいのだ?」
「都市内にある、ありったけの『岩窟王』と『くらやみ乙女』をかき集めて下さい」
「む?……それで、一体何をするというのだ?」
「この少年の家に寝たきりになっている、エシャ嬢の周囲に『法学装甲』を組みます。いかなる攻撃をもはねつける、強力な防御を」
その言葉には、教主は全く納得できないようだった。学者としては当然の反応だ。
「いや……それにしても、『岩窟王』と『くらやみ乙女』? 何故そんなものを? 我々は強力な高級ソリッドを幾らでも持っているが?」
「今の『アアア』の『上書きしたフォーマット』は、不安定でガタガタの状態ですな。そういったデリケートな高級ソリッドでは、それこそ数時間後には動作する保障がないのでは?」
「む……確かに……」
「だから、こういう時こそ信頼性のある低級ソリッドなのです。私が使い勝手の分かっているソリッドを大量に使用するしか、強力な装甲を構築する手段は無いのです」
教授の理路整然とした説得に対し、教主らは、ぐうの音も出ないようだった。
「既に、ここに図面を組んでいますが……」
教授は、一つの巻物を取り出して、広げて見せた。僕は、教授がこれまでこつこつと、それを制作していたのを見て知っていたが、まさか、「法学装甲」の図面だったとは。
「これに従って、『法学装甲』を組んで下さい。皆さんの協力があれば、それほどの時間はかからないはずです」
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