第4話

 祖父との秘密を持ったあの日から、僕は洋間を訪れる事が増えた。理由は、行けば面白い話を聞く事が出来たし、宿題に躓いた時なんかでも、アドバイスをもらう事ができたからだ。尤も、当の祖父は、行く度に「帰れ」だの、「また来たのか」だの言って追い払おうとしていた。しかし、最後には楽しくなって二人とも笑っていたりするのが、僕は密かに嬉しかった。

 その日はよく晴れていたので、絵の宿題を終わらせようと考えていた。けれども、僕はこの崎津の町の事をよく知らないので、どこに行けば思わず描きたくなるような物や景色があるのか、全く知りもしなかった。

 その頃になると、僕は日常的に祖父の部屋を訪ねていたので、その時も何かアドバイスを求めてやって来た。

「おじいちゃん、この町にゼッケイってある?」

「隼人、もう少し声を小さくせんと、外まで聞こえるだろう」

「ごめん。それで、ゼッケイは?」

あまり懲りていない様子の僕に、少し苦い顔をしたが、次の瞬間には、「絶景なぁ」と言いながら、祖父は無精髭を手で触り、考えている様子だった。やがて、思い付いた様子で、言った。

「隼人は神社に行った事があったかいな」

「え? 無いけど」

「なら行ってみるといい。あそこは小高くなっているから、景色も良かろう」

祖父の顔はどこか誇らしげだった。

「ありがとう」

 僕が礼を言って部屋を出て行こうとした時、祖父は僕を呼び止めた。

「隼人」

僕は立ち止まり、振り返り様に、「何?」と聞いた。

「一つ頼みがあるんだが。いいか?」

「うん、いいよ」

「神社にはご神木があるんだが、その根元に穴を掘って、埋めてきて欲しい物があるんだよ。ほら、そこの戸棚にあるだろう? あの箱だ」

僕は戸棚と言われ、指差されている方に歩き出し、透明な戸の付いた棚を見つけた。確かにそこには、赤く塗られた金属製の頑丈そうな箱が入っていた。大きさは、子供の僕の両手には少しばかり余るくらいだ。僕はそれを取り出し、抱えた。

「うわぁ、何、これ。結構重たいし、それに、宝箱みたいだ。何が入ってるの?」

「それは秘密だ。開けようとしても無駄だぞ? 鍵がかかっているからなぁ」

祖父はそう言ってにんまりとした。

 中身がわからないのは少し残念だったが、祖父の役に立てるという事で、十分満足だった。

 僕は小さなスコップを庭の納屋から借り、絵の具や筆、それに預かった箱を手提げ鞄に入れて、画用紙と画板と水筒を持ち、神社へ向かった。

 神社への道はすぐにわかった。外に出た瞬間から、大きな木の葉の群れを従えた巨木が、家々の屋根を突き破るようにそびえ立っていたからだ。

 今までは特に気にして見ていなかったから気が付かなかったが、紛れも無くあれがご神木だというのを、僕は理解した。

 後は、その方向へ駆け出すだけだった。

 長い石段を登り、僕は神社の境内へと入った。

 最初にした事は、この神社に祀られている神様に挨拶をする事だった。といっても、ただの条件反射のような物だった。

 お賽銭は持ってこなかったので、とにかく、ぶら下がっている綱を取り、鈴を鳴らした。実を言うと、条件反射というのがこれで、神社に来たら鳴らしたくなる欲求が、自然と生まれる。

 鈴を鳴らした後は、二回柏手を打ち、一礼して願い事を心に浮かべた。何をお願いしたのか、今となっては覚えていない。

 次は、祖父から言付かった用事に取り掛かった。まずは、穴掘り。こういう時、やたら深い穴を掘りたがるのが、一般的な小学生男子の心理だ。

 小さなスコップだったが、先日降った雨のお陰で土は柔らかく湿っていた為、それ程苦労はしなかった。

 出来た穴の深さを確認する為、最後に僕は自ら穴の中に入った。大体、腰の辺りまであった。

 僕は、預かってきた箱を穴の底に置いて、今し方出来上がったばかりの土山を穴の方に崩して、埋めていった。

 一仕事終えた後、僕は汗だくになっていた。

 周囲の木々の合間から吹き抜けてくる風が、冷たくて気持ち良かった。

 一頻り汗が引くと、僕は石段に座って、今日のメイン・イベントである絵を描き始めた。4Bの鉛筆で輪郭を描き、後は絵の具を塗る。その筈だった。だが、その神社には水が無かったのだ。

 水筒の中身は麦茶だ。絵が麦茶色になるのを恐れた僕は、塗りを家で仕上げる事と決めた。

 あと、余った時間は、神社の境内を眺めて周り、風を全身に浴びつつ木陰で休んで過ごした。


 翌朝、僕が居間でテレビを見ていると、由美姉さんが白いワンピース姿で入ってきた。

「隼人君、今から外に行かない?」

「え? 大丈夫なの?」

「今日はお母さん、買い物でいないから、大丈夫よ」

僕が心配していたのは、そちらではないのだが、それを口に出す前に、由美姉さんは僕の腕を取って、無理矢理引っ張っていこうとした。

「ちょっと待って」

そう言ったところ、由美姉さんは手を離して、とんとんとんと、廊下を駆けていった。

 僕はテレビを消し、黙って彼女の後を追い掛けた。

 麦わら帽子を目深に被り、もう外に出ていた由美姉さんは、こっちに手を振りながら、「早くー」と呼んでいた。日差しを浴びて輝く白地のワンピースが、風にひらひら揺れて眩しかった。

 僕は由美姉さんと並んで歩き出した。

「どこに行くの?」

「とっておきの場所、教えてあげる」

どうやら、目的の場所があるらしかった。

 由美姉さんは、風で麦わら帽子が飛ばないよう、片手で押さえながら歩いた。僕はというと、何だか落ち着かない気分で、胸の辺りをざわつかせていた。

 しばらく二人で歩いた後、突然由美姉さんは立ち止まった。案内人が止まったのだから、僕も止まらない訳にはいかない。

「どうしたの?」

「この坂を登ったら、到着よ」

 僕等は、これから登ろうとしている坂を見上げた。勾配は急な上に、やたら長い坂だった。

「これ、登るの?」

「うん。この坂を上がって少し下ったところが、とっておきの場所よ」

誇らしげだが、本当に大丈夫なのだろうか。もちろん僕は、彼女の体調が悪くならないかと心配していた。

「ねえ、僕だけで言ってくるから、由美姉ちゃんはここで待ってて」

そう言うと、彼女はすぐに表情を曇らせた後、怒った顔に変わった。

「ダメ。私も見たいんだもん」

「でも……」

彼女は、何がなんでも考えを変えそうになかったので、最後には僕の方から折れた。

「じゃあ、行こうか」

由美姉さんは固い表情を崩した。

「うん!」

 朝は昼へと向かい、日差しはどんどん強くなっていく。地面を焦がした熱が、下の方から僕等を焼いた。さながら、両面焼きグリルのようなものだ。

 坂の途中、僕は何度も後ろから来る由美姉さんを振り返って、声を掛けた。彼女の口からは、「大丈夫」としか返ってはこなかったが、聞こえてくる息遣いから無理をしているのは明白だった。

 それでも、僕達は時々休息を入れながら、何とか坂を登り切った。

 坂を越えると、由美姉さんが僕に見せようとしてくれていたものが、はっきりした。

 道の脇一面に、太陽の光を受けて、油を垂らしたように黄金色に輝くひまわり畑が広がっていた。さながら、黄色の絨毯が敷き詰められているように見えた。

「ね、とっておきでしょ?」

「……うん、凄いや」

僕はそれ以外の言葉を思い付く事ができなかった。

「ここはね、前まではただの畑だったんだけど、夏の間は何も植えないから、草がボーボーだったんだって。それを、どうせ雑草が生えるんなら、別の物を植えようって事になって……ごほっ、ごほっ!」

そこまで話すと、由美姉さんは咳き込んだ。

「大丈夫?」

「うん、大丈夫よ……。さぁ、帰りましょうか。もうすぐ、お母さんが帰ってくるかもだから」

 僕等はそれで家路に着いた。

 家に着くと、既に伯母さんは戻っていて、勝手に外に出ていた由美姉さんはこってりとしぼられた。何故かその時は、僕も一緒だった。

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