【エピローグ】
病院の屋上に出ると、夏の匂いがした。
夜に出歩くのはもちろん禁止されていたが、こっそり抜け出す限りはお目こぼしされているようだった。日和もそうだが、コーディは妙にかわいがられる節がある。看護婦達の目配せを受けて、クロセとコーディ、それにマコの三人は、一応は居心地悪そうな顔をして、屋上へ向かった。
「――――わぁ、こんな所に、いい場所があったんですね」
夜風に髪を押さえながら、マコは夜空を見上げてはしゃいだ声を上げた。
後に続いて、車いすに乗せられたコーディと、押して歩くクロセが扉をくぐる。ゆったりとした分厚い音が轟いた。
夜空に、鮮やかに火花が花開く。
屋上を駆けてテラスに飛びついたマコが、楽しそうな声をあげ、クロセとコーディは
二人の表情はよく似ていた。笑ってはいないし、呆然としている。
だが、心の奥底が踊っている。そんな顔だった。
「これ……花火ですか?」
「えー! なんですかぁ?」
大気が弾ける音が、夏の空気を勢いよく揺らす。コーディの声はいつも以上に小さくて、クロセは不思議総な目を向けたし、マコはきょとんとして耳を寄せた。
コーディは戸惑ったように瞬きを繰り返してから
「――初めて、見たので」
「ええ!?」
「ばっ――声がでかいって……!」
慌ててクロセが人差し指を立てると、マコは混乱したのか耳を押さえて、頭を押さえて、最後に目をふさいだ。
ほっと一息ついている。
「(すげぇ、なにもかもちがう……)」
「あ、口だった――」
ははは、と少し汗をぬぐいながらマコは笑う。さすがに愛想笑いで誤魔化せる範囲を超えてると思う。クロセはやや目を細めて、呆れたようにマコを目の端にとらえる。コーディはほとんど無表情だったが、ふり返った黒瀬が見た彼女の口元は、花火の閃光に照らされて、ほんの少しだけ持ち上がっているように見えた。
「あの……この場所、すごく良い場所ですねっ」
「はい」
マコが嬉しそうに言うと、コーディは素直に応じた。
嫌味や説教の一つも挟まない彼女を見るのは珍しい。
コーディは体調が悪くて来れなくなったと伝えたら、マコはまったく迷わずに「じゃあ一緒に戻りましょう」と病院まで戻ってくれた。
「残念ですね。それじゃあ二人で回りましょう」とならないのが彼女らしい。
いつも極端にお人好しな性格だと思うが、おかげで今日はコーディに寂しい想いをさせなくてすんだ。病室に着いたときのコーディの表情を見ればわかる。戻ろうと言ったマコの判断はとても正しかった。
「――――大きい」
「二尺玉くらいですねぇ……。あ、コレ、食べますか?」
マコはリンゴ飴の包装をパリパリめくると、ひと舐めしてからコーディの目の前にズイとさしだした。なんというか――マコは時々ワイルドだ。気が弱いクセして、ところどころが体育会系で、口をつけた食べ物を人にやるのも気にしない。
コーディは間の抜けた寄り目で鼻先のリンゴ飴を見つめていた。
それから――クロセに目をやる。
初めて見るんだろうなぁ……とクロセは頭をかいた。一応食べる真似をして、舐めて食べるものだと教える。
恐る恐る、コーディは舌をちろ、と出し、紅く
「――――甘い」
「飴ですから」
ニコっとマコは笑うと、バッグからもう一つリンゴ飴を取り出した。クロセの分はないらしい。彼が頭をかいていると、コーディがリンゴ飴とクロセを見比べて、とても悔しそうな顔をしてから、おずおずとさし出した。クロセは手を振って遠慮する。さすがにそんな顔をされて食べるわけにはいかない。
無数の花火が、夜空を明るく染め上げた。
うわーきれい! とマコが子どものような歓声を上げる。
赤や青、緑や黄色の光が降り注ぐ。煌めきを見上げながら、クロセはそっとコーディを盗み見た。
「来年も、みんなでこうして、花火を見れるといいですねぇ」
マコが妙にしみじみとした口調でそう言った。
花火とリンゴ飴、楽しい物を二つも抱えたコーディは、何度も見比べてから、マコと、そしてクロセを見つめた。
彼は吊した腕を欄干にのせ、夏の風にぼんやりと、髪を揺らしていた。
「――――はい。また、一緒に」
「一緒にですね!」
返事があって、マコはとても嬉しそうだった。元気よくうなずき、コーディと視線を交わす。
「来年……?」
二人して楽しそうな瞳を交わしてたコーディとマコ。その横で、かすれた声が上が
った。
心がどこかに飛んで言ってしまいそうな、幻影に飲まれたような声音。
聞き慣れない声に、マコは顔を上げる。
空を見上げたクロセが、表情を失っていた。
「来年……そんなものが、あるのか? 俺たちに……」
無邪気な輝きに
「クロセさん?」
呼びかけられた声に気づくこともなく、彼は打ち上げられる花火を見つめていた。
不思議そうな顔で、マコは飴を一舐めする。
すくなくとも、義理の兄の異変は、その程度に見えたのだ。
今は、まだ。
病院の前、
スーツ姿の男が、車に背中をあずけていた。
空を――いや、病院の屋上を、見上げている。
奇妙な風体だった。
ある意味、小綺麗な格好はしていた。上物のスーツはシワも無く、胸元を締める真っ赤なネクタイ。白い袖口に輝く銀のカフスを整える仕草は、
狐の面さえ被っていなければ。
「――どうも」
男は車内で鳴り響いていた携帯端末を取ると、空を見上げたまま、ぼそぼそと話す。
「いえ、実際思ったとおりに進んでますよ。はい――菊花会? 放っておけよ、あんな――いや、失礼。いずれにせよご心配には及びません。今はMILの規格外にある技術ですし――」
ふと、狐面が視線を落とす。
「失礼」
携帯端末を窓から放り込むと、男は辺りを見渡した。薄く、何度もうなずく。
頭が揺れると、笑いが漏れる。
仮面の下で、世界を丸ごとあざ笑っているかのような嘲笑が、クックと鳴る。
「なるほど。あぁ。なるほどね――」
ひとしきり笑いきると、男は胸元に手を伸ばした。
財布でも取り出すような仕草で、
初弾が装填される。
「つまり、あれだろ。わかるよ、あぁ」
男はこちらを向くと、歩み寄ってくる。
「"観客しか知らない裏側の
男は目と鼻の先に〔Error:23x68B〕立つと、じっと見下ろしてくる。
「自分を見下ろしていると世界を観測しているような気がして安心するか? そうすることで、自分以外の全てを知った気になってるんだろ? お前の人生に、描かれる
男は肩を〔Error:23x68B〕わしづかみにしてきた。
めりめりと音を立てて、黒革のグローブに包まれた指が、肩にめり込む。
「僕だけが知ってる、私だけがわかってる、この物語の真実を聞いてください――そういうわけだ」
真っ白に塗られた狐の鼻面が、ゲラゲラと下品な笑い声に揺れる。獣が牙を剥くように。
「無駄だ。お前は観客席にすらついていない。舞台で無様に踊り狂う、狂人なんだ。真実を読み取るための
男の銃口が額に押しつけられる。
狐の金色の目が、鈍くぎらつく。
「真実は、
炸裂音。
銃口から放たれた真っ赤な閃光が弾けて、世界は暗転する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます