act6:排出者 ―Eject―(後編)




 現実世界――――V-tecLife社の地下ホールでは、黒瀬の父が作業を終えようとしている。


 コーディが眠っていた棺の隣に、新たな棺が用意され、そこにあふれかえったエメラルドの液体に浸かった黒瀬が、寝息も立てずに気を失っている。父は彼に無数のスパゲティーチューブを接続し、ちょうど今、全ての接続を終えた。


 棺の脇に置いていた拳銃を手に取る。


 ゆっくりと歩き出す。向かう先は、コーディの棺。


 今、アウターワールドのサーバー機能は、黒瀬とコーディの二つに分散されている。言わば二つの心臓で血液を循環させているのだ。このうち片方の機能を停止させれば、血液は残った方へと全て流れ込む。


 そうすれば一つの心臓で血液が回るようになる。それと同じ事を黒瀬とコーディに施してやればいい。つまり、不要な生きた機器サーバー機能停止させる殺す


 瞼をふるわせる彼女に、彼は銃口を向けた。









「……聞いてるんだろ、コーディ」

 黒瀬が振り絞った声に、ワールドメイカーは髑髏むくろの下の眉根を寄せる。何?

 黒瀬は荒い息の中から、命を削って絞り出すような声を上げる。


「ここがアウターワールドのサーバーの中なら、コーディ――お前の頭の中って事だろ。俺の声が聞こえるんだろ……聞いてるんだろ、コーディ!」


 黒瀬は天を仰ぎ見る。


「現実世界は酷い事でいっぱいだ。俺の手も、脚も、まともに動かない。皆が俺を変な目で見るんだ。親父はクズだし、ただ一人信じられた爺ちゃんも死んじまった。だからもう、俺はあんな世界、大っ嫌いだ! 最低だ、あんな世界! 消えちまって――そう思って」


 ワールドメイカーは困惑気味に黒瀬を見つめている。黒瀬は構わず、叫び続ける。


「だけど、だけど違うんだ、そうじゃない……アウターワールド嘘の世界じゃないんだ!! 俺は、俺は――――」


「おいおい、気が狂ったのかよ。彼女に届くはずがない」


 ワールドメイカーは呆れきったようにそう言ったが、黒瀬はなおも声をからす。


「――――上手く言えないけど、俺はアウターワールドで永遠になんてなりたくない! だってそうだろう。俺は現実世界が憎いけど、こんな所に逃げ込みたいわけじゃないんだ。お前、教えてくれただろ、料理の仕方も、服の選び方も、デートの仕方も――――俺うれしかったんだよ! あれ、最高にうれしかったんだよ!」


 ……おい、黙れよ。ワールドメイカーが低い声でそう言う。


「あの時俺、現実を生きてるって感じたよ! 嘘じゃない。体が奥の方から震えたんだ。だって誰も、俺にあんな事教えてくれなかった! かわいそうだとか、ショーガイシャだとか、哀れんだり、蔑んだりするばっかりで、俺にあんな風に接してくれる人いなかった!」

 だぁまれよ! そう言って、ワールドメイカーは裏拳で黒瀬を殴りつけた。切れた口の中から、血がまき散らされる。

 それでも。

「――――コーディ! 聞いてくれ、俺……俺は、俺は……俺は『現実』を生きたいんだ。俺はこの瞬間を生きたい、誰かに用意され世界じゃなくて、簡単に出来上がる都合の良い世界じゃなくて、いつくばってでも良い、お前と一緒に生きる『現実』を、生きたいんだ!」

「てめぇ……!」

 ワールドメイカーの怒気、そして彼は手にした拳銃を黒瀬の頭に押しつけた。黒瀬はそれから目をそらさない。その向こうにある、天へと向けて――――いや、天の向こうにいる、『彼女』に向けて、叫ぶ。


「お前に教えられて分かったよ、俺、現実を生きたい!! "昼の世界"に立ちたい! お前と一緒に作り上げる、未来がいいんだ!! 俺の手を握ってくれよ! 今度は俺、握り替えすから、お前の手――――」


「ふざけやがって……この欠陥品ッ!」

 ワールドメイカーの指が、撃鉄を引き上げる。

「そんなに現実と心中したいか!! いいだろう――――新たな世界の創造は全部取り消しデリートだ。全部消し去ってやる。てめぇも、あの哀れな女も、アウターワールドも、全部――全部だ!!」

 引き金が引かれるその瞬間、黒瀬は虚飾にまみれた人生を脱ぎ捨てて、裸のままの言葉で。祈るように叫んだ。




「理想の世界なんていらない――――俺はお前と現実を生きたいんだ、コーディ!!!!」 




 発砲音が、響き渡った。










 引き金を引いた黒瀬の父の手に、太い老木のような腕が覆い被さり、次の瞬間、彼の体は遅れて飛び込んできた何者かに押し倒されていた。

 暴発した弾丸が明後日の方向に飛び、炸裂音が響き渡る。


 離せと叫ぶ父は覆い被さってきた影に抵抗するが、襲いかかってきた男は彼の顔を硬い拳で殴りつけた。


「過ちは今、正されるッ!」


 それは天田の声だった。

 やけどの跡が真っ赤にふくれあがった満身創痍の姿で、彼はのしかかった黒瀬の父を何度も殴りつける。だが、黒瀬の父も抵抗する。逆に天田の体を押し返すと馬乗りになり殴り、どこかへなくしてしまった拳銃を手探りで探す。その隙をついて、今度は天田が彼に殴りかかる。再び馬乗りになった彼は拳銃を向けようとするが、それを蹴り飛ばされ、どこかへ転がっていった。素手以外の武器を失った二人は、もみくちゃになって殴り合う。










「どうなってる……なんなんだこれは――――!」



 それを呆然として見つめているのはワールドメイカーだった。突然現れた二人の男の姿に困惑する。

「まさか……現実世界がアウターワールドに入り込んでいるのか……? 混線している……? こんな事があり得るのか――!?」

 ワールドメイカーが引き金を引こうとしたまさにその瞬間だった。彼の背後から、一歩先んじて発砲音が鳴り響いたのだ。見ると、二人の男が、横たわった黒瀬とコーディの体を前にしてもみ合い、怒声をあげて殴り合っている。

 奇妙な光景だった。

 アウターワールドと、現実の世界が、同時にそこに存在しているように――――

「くそ、また天田の娘が引き起こしたバグなのか!? ――――おい、何してる!? さっさとサーバーを天田の娘から移せ!!」

 ワールドメイカーは黒瀬の父へ声を荒げるが、もみ合う二人の力は拮抗していて決着はつかない。必死の殴り合いが展開される。苛立たしげに、またワールドメイカーは声を荒げる。



 その背後で、呆然とやりとりを見つめていた黒瀬の視界は、しかし次第に暗転し始めていた。

 意識が保てないのだ。血液を失いすぎた。


 目の前で起きているこの事態が、現実の出来事なのか、アウターワールドの出来事なのか、ただの幻覚に過ぎないのか、まったくわからない。それはこの場にいる誰にとっても同じだった。

 ただ一つわかる事があるとすれば、自分はこのままでは死ぬという事だ。アウターワールドでの死が現実の肉体にどのような影響を及ぼすかはわからないが、ワールドメイカーは「ここは現実空間と同じだ」と言っていた。おそらくここで死ねば、現実では元気に元通りというわけにはいかないだろう。


 重くなった瞼が閉じようとする。全身から、疲労や苦痛がかき消えていく。もう休むんでも良いのだろうか。必死に瞼を開けようとしていたが、どうしてそんな事をしていたのか思い出せなくなった。まぁ、いいか……ゆっくりと瞼を落とし、安寧とした暗闇に沈み込む。


『クロセ』


 霞んでいた意識が、その声に突然目を覚ました。崩れ落ちそうになる体を必死に支えて、閉じていた瞼をこじ開ける。霞んでまるで見えない光景の中に、はっきりと立つ、一人の少女の姿。


「コー、ディー…………!」


 黒瀬の声も滲んでいた。声とも言えない程かすれている。彼女はじっと立ちすくんでいて、何も言わないし、何もしない。ただ、その表情が歪んでいるのが見えた。いつもみたいな能面じゃなくて、おどけたみたいに目の色も変わらない。彼女は泣きそうだった。泣きそうな顔で、目をそらしている。


 黒瀬は叫んだ。


 それは声になっていない言葉だった。ただ、胸の奥底でずっと抱え込んできた思いを、そのまま叫んだ。届いて欲しい。どうか、彼女に聞き遂げて欲しい。自分の思いを、彼女への思いを、この先の、未来と希望の話を。


 気づくと、彼女は自分に抱きついていた。


 嗚咽が耳元で聞こえた。動かない両手がもどかしかった。首元に微かに触れる彼女の吐息、頬をなぜる髪、震える頬、早鐘を打つ鼓動、温もり、人間の香りがして、人間の感情があった。抱きしめられないのが悔しくて、だが彼女の方から抱きしめてくれた事で、その喪失感が埋められた。


 左手に添えられた彼女の手の温もり。


 感覚がないはずのその手に、力がこもる。震える指先、引きつる手首の筋、だが次第に動き始めた手のひらに、力が溢れる。そうして握り返した彼女の手が、少し驚いたように震えて、それからもう一度、応えるように、そっと握り返してきた。







 天田の体から力が抜けてから、もう随分長い時間がたっていた。

 血みどろに染まった殴りつける手、それを力なく見つめる、死体のようにどす黒い天田の目。殴りつける。何度も、何度も、何度も。


 血しぶきはもう呆れる程に辺りにまき散らされ、殴打する音だけが、ホールに木霊する。二人の姿はホールの中心から大きく外れ、光の当たらない、陰った所にまで及んでいた。


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ――――!」


 いつの間にか――――そう、いつの間にかはわからない。現実と仮想世界、二つの世界が交差したこの場所では、もはや何が現実で、何が仮想世界なのか、曖昧に、混線してしまっていた。

 ここはまさに複数の可能性が同時に存在する量子の世界。いま、この空間は、その名の通り、現実でも空想でもない、一つの空間に二つの世界が重なった、二重世界となってしまっている。


 そして今、天田を殴りつけている腕には、真っ黒なグローブがはめられていた。その手を、眼前にかざし見つめる目は――――それは、頭蓋骨の骸の、陥没した眼窩の下で震える目だった。W.makerワールドメイカー――天田の血にまみれたその姿は、切れかけた蛍光灯のように、点滅している。今この瞬間は凶悪なワールドメイカーの姿、だが点滅したその瞬間、黒瀬の父の姿に変わる。

 現実と仮想世界、二つの世界の二つの存在が、不安定に切り替わっている。


「どうなって――どうなっているんだ、クソ、こいつは、一体――――!?」 


 アウターワールドと現実の世界、二つの世界が重なったここでは、二つの世界のルールが複雑に絡み合っているようだった。いずれにせよはっきりしているのは、これは衰弱しきったコーディの脳が引き起こした事態であり、黒瀬の脳にサーバー機能を移してしまえば、この『バグ』は解消されるだろうという事だ。


「くそッ、早くサーバーの移転を――――」


 立ち上がりかけたワールドメイカーの体が、ぐっと止まった。振り返ると、その腕を、血だらけになった天田が、震える程振り絞った弱い力で、掴んでいる。

「……お前は………もう消えなくてはいけない……大きな過ちだったんだ……お前を、生み出したのは……」

 ワールドメイカーの目が怒りに打ち震え、見開かれた。怒りのままに、拳を振り上げ、もはや瀕死で虫の息の天田の顔を殴りつける。殴りつける。殴りつける――――


 広大な空間に木霊する鈍い殴打の音。その背後で、力なく横たわっていた黒瀬の体が、ぴくりと動いた。

 その手が、痙攣するように震える。


 薄ぼんやりとしていた黒瀬の視界に光が宿り、辺りの様子が微かにつかめるようになる。意識ははっきりとしない。感覚もぼやけている。

 だが、何をしなければならないのかは分かっていた。まるで動かない体。それでもどうにかして、目の前で一方的な暴力を繰り返すこの男を倒す術を考える。


 考える事をやめた瞬間、自分は意識を失い、今度こそ死ぬだろう。それが分かった。何か、何か術はないか、なにか――――。最後の力を振り絞り、首をもたげる。右、そして左へ。


 拳銃が転がっていた。


 回転式拳銃リボルバー。それは天田が自分を救出する時に使ったあの銃だった。体を起こそうとする。が、まるで意識が伝わらなかった。感覚そのものがない。まるで海に浮かべられた死体だ。足先から首まで、まるで動かない。

 歯を食いしばる。

 ここであきらめる訳にはいかない。生きるんだ。どんな形でも、現実を、生きる――――そう思った時、ふと左手の指先が痙攣するのを感じた。はっとして見る。動いている。微かに、感覚があった。

 力を込める。

 最初はおそるおそる、そして渾身の力を込めて。ぶるぶると震える手は、僅かずつ、僅かずつだが、拳銃に向かって動き始める。


 これが最後だと思った。

 これさえつかめれば、これさえ手に取れれば――――だが、すんでの所で手は動かなくなった。いくら力を込めても、ぴくりとも動かない。再び長い眠りついてしまったかのように、感覚がかき消えていく。


 待ってくれ! 声に出せず、必死に叫んだ。あと少し、もう少しなんだ。あともう少しでたどり着くのに、手にする事が出来るのに――――どうして、どうしていつもこうなんだ。どうして、現実の世界の自分は、いつもいつも、無力なんだ。目の端に、涙がにじんだ。祖父に連れられてあの屋敷に住み始めて以来、初めてこぼれる涙だった。これ程強く何かを願った事はなかった。奇跡を求めた事などなかった。両親に捨てられても願わなかった祈りを、噛みしめた奥歯の間で叫んだ。誰か、お願いだから、助けてください、どうか、この手を、あと少しでいい、ほんの少しでいいから、動かして、こんなどうしようもない現実を、どうか、俺に――変えさせて―――




 絶望的に手の届かない拳銃に、視界の外から真っ白な腕が伸ばされた。








「死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね――――――――!!」

 天田を殴りつける拳、拳、拳。何度も何度も何度も、振り上げ、叩きつける。


 まき散らされる血、砕けた骨の感触。ふくれあがったその顔はもはや原型をとどめていないただの肉界にしか見えず、だがそれでも、臓物の奥からわき上がるどす黒い怒りは収まらない


 過ちだった? 

 生み出した事が、過ちだっただと?


 その言葉は、彼の中にある何か根源的な物を揺り動かした。ドブネズミに噛みつかれた、剥き出しの部分。そんなはずはない――内心で叫んだ。そんなはずは、ない!


 ――――この胸の内に抱き続けた怒りを、今こそ現実に叩きつけるのだ。復讐を、復讐を! 復讐を!!


 かき消えて良いはずの感情ではない。今この瞬間、達成されなくてはいけない怒り、今この瞬間、解消されなくてはいけないはずの、怒り――――それが今、完結するのだ……今、ここで!



 かちゃり、と金属が揺れる音がした。



 ワールドメイカーの瞳が、ぎゅっと見開かれた。背後のその気配に、気圧されるようにゆっくりと、振り返る。


 黒瀬が握りしめた拳銃の銃口が、彼を見つめていた。


「――――――――」

 ワールドメイカーは、言葉に詰まってそれを見つめた。わずか五メートルもない距離で向けられた銃口。そして向けている黒瀬は手は、もう片手で構えてはいない。しっかりと、黒瀬の手よりずっと真っ白な、微かに燐光すら放っていそうな細い腕が添えられている。


 黒瀬と、コーディ――――抱き締めあった二人の両手が、拳銃を握りしめていた。


 ワールドメイカーがわずかに動いて、コーディが沈んでいたはずの棺に目をやると、彼女の姿はそこにはなく、エメラルドの液体がべたべたと床にこぼれ、黒瀬の元まで点々と続いていた。


 振り返った時、彼の見開かれた目は、次第に冷静さを取り戻し、歪んだ愉悦に細められた。天田の血で染まった両手を広げて見せ、居丈高に言ってみせる。

「無駄だ、分かってるだろ、現実では立つ事すら出来ないお前達が、手を取り合った所で何ができるっていうんだ? ――――やれると思うなら、撃ってみろよ! さぁ!! やってみろ!!」



 炸裂音がした。



 黒瀬とコーディが引き金を引いた瞬間、ワールドメイカーは口元は獰猛に笑みを浮かべ、声高に叫ぶ。

「オーバークロック!!」




 真っ赤な鮮血が、炸裂音に貫かれ、ワールドメイカーの背中から吹き出した。




 その胸を貫く重い衝撃、噴き出す血、花開く鮮血の花火、炸裂する激痛に、急速に失われる全身の力。

 その手に収めるはずだった世界をかき抱くように、ワールドメイカーは両手をぶるぶると震わせた。


 支える力が失われた膝が崩れ落ちた。愕然と目を見開く彼は、貫通した腹の傷に手を添えた。ぼたぼたと、血のような液体がこぼれ落ちる。エメラルドブルーの、淡い液体。

「な……が……!?」

 彼は愕然と震える声を漏らし、それから喉からせり上がってきた物にえずいて、咳き込んだ。口からも溢れる、エメラルドブルーの液体。両手に溢れたその液体を見開いた目で見つめ、震える声を漏らす。信じられない、信じたくない――そう言いたげ声、言葉。


「なんだ、これ……ここは……ここはアウターワールド(本当の世界)なんだ……理想の世界なんだぞッ! こんな事が、こんな事があって良いわけが――――」



「自分の姿を見てみろよ」



 コーディと互いを支え合った黒瀬が、震える体を必死に維持しながら、口角から血を垂らして言う。

「憐れなのはどっちだ――――」

 そう言った黒瀬の目に、映るワールドメイカーの姿。その自らの姿に、彼は驚愕し、打ち捨てられた子供のように呆然と立ち尽くした。


 黒瀬の、力強く見開かれたその目に映るのは、頭蓋骨をかぶり、凶悪な武装で身を包んだあのWold・maker創造主の姿では――なかった。天田との殴り合いで、見すぼらしく上物のスーツをしわくちゃにした、ただの黒瀬才助の姿が、その震える瞳の中で、呆然とこちらを見つめている――――


「これが現実だよ。父さん」


 黒瀬とコーディは、握りしめた拳銃の撃鉄を押し上げた。父は口惜くちおしげに口元をふるふると震わせて、それを見つめる。それからゆっくりと手のひらを差し向けると、

「……それを、下げなさい」

 彼は血みどろのまま、父の威厳いげんを振りかざすようにそう言った。黒瀬は返事をしなかった。ぎゅっと、コーディが黒瀬の体を抱き締め、黒瀬は彼女の手を握りしめるように、銃把じゅうはを強く握った。

「父さんを撃つ気か!?」

 聞き分けのない子をしかるように、彼はそう叫んだ。半狂乱でもあった。

「安心しろよ」

 黒瀬の返事は明瞭めいりょうだった。

半身不随はんしんふずいにはさせねぇよ」

 その宣告に、父は愕然がくぜんひざをついていた。

 二人が握りしめた拳銃の銃口が、一切ぶれずに、じっと自分のひたいを見つめているのを目にした父は、伸ばしていた手をゆっくりと落とし、それから、唇を噛みしめて、ぶるぶると震えながら、うつむいた。その体が、切れかけた蛍光灯けいこうとうのように明滅する。父の姿とワールドメイカーの姿が、明滅する度、交互に現れる。 

「……俺を殺した所で」

 そして半透明のエメラルド色に染まったワールドメイカーは、少しも笑っていない、固い口元をゆっくりとひらいた。沈み込むような、低い声。

「もう人類は外側世界この世界からはのがれられない。火、石油、原子力、核、そしてアウターワールド――――例え危険をはらんでいると知っても、人類は一度手にした麻薬のような価値観を絶対に捨てる事は出来ない」

 わかるだろ――――ワールドメイカーは顔を上げた。

「この現実に、現実感を抱けない人間が無数にいる――――必要なんだ、この世界には、外側世界アウターワールドが」

「俺にはもう必要ない」

 黒瀬がそう言うと、ワールドメイカーはふっと笑みを浮かべた。

「忘れられないさ、そう簡単には。そうだろう?」

 問われ、微かに震えるコーディの体を、血が流れて真っ白になってしまった黒瀬の腕が、抱きすくめた。

「なぁイジェクター……一つ予言をしてやるよ。お前はいずれ、自らこの世界にちる日が来る。遠からず、必ずな。お前はこの世界からは逃げられない。俺にはわかる。お前は、俺と同じ臭いがするんだ……遺伝子いでんしの問題じゃない。たましいの問題なんだ」

 ワールドメイカーは黒瀬の目を見つめた。その目は底が知れない闇に覆われていて、黒瀬はそれを黙って見つめた。ふと、耳元をコーディの柔らかな髪が撫ぜた。彼女が黒瀬を必死に抱き留めるように、腕を回して、言う。

「大丈夫。そうなったら、私があなたを排出イジェクトするから」

 黒瀬はそれに、噛みしめるように頷いた。そして、二人は視線を一瞬だけわしてから、ワールドメイカーへと目を向けた。

 二人のかすれかかった意識が、銃口を微かに揺らしている。その引き金に、二人の指がかかる。今にも消え失せそうな力を重ね合わせ、ゆっくりと、ゆっくりと、引いていく。

 ワールドメイカーが、笑った。


「さようなら、排出者イジェクター――――


 それは彼が此の世に残した最後の嘲笑ちょうしょうだった。地獄の底から生者をあざ笑うかのようなその笑顔に、黒瀬とコーディは引き金を引き絞った。



 二人、携えた手の内で拳銃が吠え、創造主ワールドメイカーの頭が跳ね上がる。



 その身体が、ゆっくりと崩れ落ちる。見つめる二人のひとみには、彼が力を失って床にたたきつけられるまでのその時間が、無限に続く時間のように、ひどく緩慢かんまんに映った。固い床に、乾いた頭蓋骨が跳ねる音、そして、二度と動かない両腕、ゆっくりとしみ出す、血――――全てが終ったとわかるまで、二人はその死を見つめ続けた。今にも消え失せてしまいそうな意識と、震えだしそうな身体を、強く抱き締め合って。


 二人の前で、二度と動かない邪悪な肉体から、炎がくゆった。それはエメラルドの光を宿していて、明滅するほたるの光のように、暗闇の中に舞った。光は、抱き締めあった二人の姿も照らしだした。全ての力を振り絞った彼らは、舞い上がる光を見つめながら、ゆっくりと倒れていった。


 光は次第に輝きを増して、倒れた二人の姿を照らしだした。遂に真っ白になった光は、まるで天にかえる雪のように、昇っては昇っては、消えていく。その舞い上がる雪の中で、二人は母体で眠る子供のように向かい合って、しっかりと握りしめあった手を、胸の前にかかげていた。


 やがてようやく現れた兵士達が部屋になだれ込んでくる。彼らは周囲の惨状さんじょうと光を失った異様な施設に圧倒されながらも、天井から一筋垂らされた真っ白な光に照らし出された二人の姿を目にした。血やすすにまみれ、すさみきった表情をしていた兵士達は、この世からぽっかりと切り取られたような二人の姿を呆然と見つめていた。やがて衛生員が担架を用意して救出に現れたが、担架たんかに乗せようとしても、二人の手は、固く結ばれたままだった。



 もう、二人の手は、決して離れる事はないだろう。



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