act6:排出者 ―Eject―(中編)



 手の中で爆弾が破裂したみたいだった。拳銃の反動は、アウターワールドで撃った時のそれとは比べものにならないくらい重く、熱く、生々しくて、抗いようがない衝撃を手のひらに叩きつけた。本能は一瞬怯えたが、熱く燃えたぎる心中は怒りに震えるばかりだった。


 銃口で花開いた閃光が消えた後、そこには誰もいなかった。視界の端に一瞬だけ見えた髑髏の不気味な乳白色の色にとっさに反応して、黒瀬は地面を蹴った。踏ん張れたのは片足だけで、もつれるように近くの機械の詰まった棚の影へ飛び込んだ。その軌跡をなぞるように、ワールドメイカーが放った弾丸が炸裂音と共に創口を穿つ。


「どうしたイジェクター! 逃げ回るのがお前の現実か!?」


 声のした方へ、素早く身を乗り出して片手で銃弾をたたき込むと、ワールドメイカーの高らかな哄笑が、無数の弾丸と共に返ってくる。熱い鉛の塊が頬をかすめるのが、歪んだ空気の音と、痛い程熱い熱風でわかった。必死に体を転がして、乱立する機械群の中に身を転がす。弾丸が硬い床に弾かれる甲高い音が背後に迫る。


 炸裂音、跳弾の閃光、熱風、舞い上がる破片、穿たれる創口、着弾音が暴れ狂い、這いつくばる自分、そして手中の冷たい拳銃。自分を取り囲む空間に、世界に、振り回される。状況という濁流が全身を飲み込んでいく。冷静ではいられない。圧倒され、現実に、あえぐ。

「さぁ終わりが近い! 古き世界は破棄され、新たな世界が創造される――今、この時に!!」

 ワールドメイカーの足音を追って、義足を引きずりながら移動していると、視界の中に唐突に赤いウィンドウが滑り込んできた。半透明のそれには、無機質なデジタル数字が並んでいる。



 9:18:57――――



「10分だ! お前が生きた機械サーバーとして、新たな世界の担い手になるまで10分を切った」

 ウィンドウの数字は、刻々と変化し、その数を減らしていく。数字が瞬く間に数を減らしていくと、次第に頭が重くっていくのを感じる。少しずつ、自分という輪郭が曖昧になるのがわかった。生きた機械になろうとしているのだ。頭を振り、駆け出す。

「お前も、彼女も、現実世界も、全てが消え失せるまであと十分――――さぁあがいて見せろ、証明して見せろ、戦い、血を吐き、残された時間を這いつくばって生きろ!!」

 声をたどって必死に駆け、隠れもせずに手を広げて叫ぶワールドメイカーの姿をとらえた。距離は20メートル程。ちょうど手のひらに隠れそうなくらいのその影に、銃口の照準を押しつける。引き金を引いた瞬間、一瞬その人影が残像を残してぶれた。信じがたい事に、回避されたのだと直感で悟る。顎が砕けるぐらい歯噛みし、もう一度引き金を引こうとすると、ワールドメイカーはこちらに愉悦に歪んだ目を向け、両手を広げて叫んだ。

「どうした!? ふざけてるのか? 撃ち方を知らないなら教えてやるよ!」

 片手で弄ぶように手にしていたサブマシンガンを無造作にこちらに向けると、狙いもろくにつけずに発砲した。次の瞬間、左胸に樽が叩きつけられるような衝撃が襲った。息が詰まる。力の抜けた体がぐらりと傾き、視界の下から、色鮮やかな錆のような鮮血が舞った。熱の塊が、左の鎖骨辺りからずくずくと暴れ出す。か――ッ と押しつぶされた声が漏れた。撃たれた――――頭の中が、真っ赤な危険信号でいっぱいになる。

 崩れ落ちそうになる体を、義足で支える。

 熱く沸騰した本能が、痛みと恐怖を訴える理性を踏みつぶして、拳銃を握った右手を前に押し出した。狙いなどつけられない。だが、痛みに押しつぶされてしまわないよう、声にならない咆吼をあげて、ワールドメイカーへ向けて、無茶苦茶に引き金を引く。

 ワールドメイカーは哄笑を上げ、光源のない真っ白な光で染まる天井を両手で仰ぐ。弾丸が彼の体を捉えようとする度、その体は一瞬砂嵐に包まれ、そして世界が『バグった』ように一瞬揺らぎ、だぼつく。次の瞬間、まるでその体を分子単位で一瞬で移動したように、真っ黒な装備とその髑髏が別の場所から現れる。

「なんでだよッ クソ――――!?」

 その時、甲高い着弾音とワールドメイカーの哄笑、そして黒瀬自身が上げている咆吼の合間から、小さな、か細い、道ばたで轢かれた猫が上げる鳴き声のような、寄る辺ない声が漂ってきた。聞き覚えのある声で、黒瀬ははっとする。

「コーディ!」

「おいおい、この施設を傷つけるなよ。ここは彼女の脳を支えてる機械でいっぱいなんだ。彼女の寿命が縮まっちまう。散々生きた機械として働いてもらったんだ、最後くらい静かに送ってやろうや」

 祭壇の上でもがき苦しむ彼女の姿が、並び立つ機械群の向こうに見えた。彼女の白くか細い喉が、震えている。施設が傷つく毎に、彼女の震えは増していく。命が削られている。脳の機能が削られている。

 黒瀬は荒い息を吐く口で、拳銃を構えた右腕にかぶりついた。渾身の力を込めて、拳銃の反動で跳ね上がる腕を押さえつけようと、押し込む。左肩から溢れる無数の針をねじ込まれるような痛みに耐え、狙いを定める。だがその時、ワールドメイカーも手にした拳銃を構えた。軽々しい構えで乱射する。そのふざけた構えとは関係なく、弾丸は猛速と凄まじい質量を伴って、黄金色の弾道を描く。すぐ近くに着弾する弾丸の嵐に気圧されて、身がすくむ。それでも撃つ。だが、こわばった手元から発射された弾丸は、ワールドメイカーの周囲をなぞるだけだった。施設の設備が傷つく度、コーディの衰弱しきった体が、跳ねるようにびくびくと震える。焦りと向かう所の無い闘争心が剥き出しの感情を胸中に描く。


 なんで


 どうして


 なぜ、当たらない――――!!


「わからないかイジェクター」

 彼をたたえるように周囲にはじける黄金色の光を背に、ワールドメイカーは演者のように両手を広げて見せた。一歩一歩と近づいてくるその姿が、ついにほんの5メートル先に立つ。その陰に、銃口を押しつける。絶対に、当てる。当たるはずなんだ。引いた引き金、そして、あの歪んだ骸に浮かんだ嘲笑。その歪んだ口元が、蠢いてつぶやく。


「オーバークロック」


 なっ――――と驚愕が声になって漏れる。その眼前で、超反応を得たワールドメイカーが、凄まじい速さで弾丸の軌道から身をかわし、次の瞬間、襲いかかる獣のように跳躍し、眼前に肉薄した。ほんのすぐ目の前にある体。だが銃口を向ける間もない。鞭のようにしなったワールドメイカーの脚が、身構える暇もなく側頭から襲いかかる。振り抜かれた猛速の脚に蹴り飛ばされ、一瞬で黒瀬の体が床を滑り、サーバーの押し込まれた棚に体を強か打ち付けた。

「今やこの世界はお前の物じゃないんだよ、イジェクタ―」

 激痛、鈍痛、霞む意識、血に滲む視界――――必死に手を床に付き、平衡感覚すら狂った体をどうにかして立て直そうとする。ゆっくりと歩み寄ってくる憎々しい骸の嘲笑。なんでだよ。思う。なんで、こいつがオーバークロックなんて――――

「彼女だよ」

 ワールドメイカーは、祭壇の上でもがき苦しむコーディを振り返る。

「オーバークロックは彼女の脳が補助脳となって高速処理を可能にするシステム」


 そんなはずが……あれは屋敷の地下にあるスパコンを利用していたはずで――――。だがそこまで考えた所で、コーディが悲鳴のようなうめき声を上げた。


「あぁ……すり切れる寸前の脳の反応が消失し始めてるんだ。まったく、消耗品め――――」

 彼女をまるで人間としてみていない、その壊れた電化製品でも語るような言葉に、はらわたが煮えくりかえった。私、まるで、セルロースの人形――――彼女が自分を傷つけるようにつぶやいたあの声、あの噛みしめた唇が蘇る。拳銃などかなぐり捨てて、この男を両手で縊り殺してやりたい。吹き上がった熱の塊が口から飛び出す。

「やめろ! コーディは機械なんかじゃない!」

「そうだな。彼女はもはや機械として機能していない」

 言葉にすらならない怒りが全身からせり上がって、総毛だった。だがワールドメイカーは構うことなく、悠々と両手を広げて、

「彼女に思いを寄せるのはいいんだが――――悪いが、彼女はお前じゃなくて俺を受け入れた。現実じゃないんだ、彼女に必要なのは、外側世界ここなのさ」

 怒りに背を押され、また拳銃を構えて引き金を引こうとしたが、寸前で考え直し、今にも引き金を引いてしまいそうにぶるぶる震える腕を降ろすとその場から駆けだした。このままでは彼女が耐えられない。ワールドメイカーにこれ以上オーバークロックを使わせては彼女が危険だ。

「おいおい今度は鬼ごっこか!? いいぞ、好きに逃げろ、お前にはそれがお似合いだ!」

 言いながら、ワールドメイカーはサブマシンガンを無造作に発砲し、黒瀬は放たれる弾丸の嵐をかいくぐり、並び立つ機械群の中に再び身を転がした。痛み、こぼれる血の塊、吐き気、鈍痛、激痛に、引きずる足、感覚のない腕。これが現実だ。絶望的な状況が囁く。これが現実だ、黒瀬。これが現実世界なんだ。お前は矮小で、世界は観測できないくらい巨大で、抗いようがなく、救いようがなく、無力で、ただ悲劇を見つめる事しかできない。それが現実なんだ。

 それはワールドメイカーの嘲笑だった。言葉のない嘲笑が、黒瀬の頭の中で刃になって、突き刺さる。握りしめた拳銃の銃把が酷く頼りない。あと何発残っているか、計算したくもない。絶望感に押しつぶされそうになる。

「お前にもわかるだろう!? 現実なんてものの空しさが。自分の無力さが。そうだ! 現実のお前は無力なんだ! その体を見てみろ、哀れなものだ。一人で生きる事もままならない。それがお前の現実だ!!」


 声のする方へ、機械群に身を隠しながら、肉薄する。出会い頭にワールドメイカーと接触でもすれば、即座に頭を打ち抜かれてゲームオーバーだ。おそらくこのゲームの終焉は自分の命の終焉――――そして、そのまま世界の終焉に結びつく。双肩にかかる物の巨大さ、その重さにくらくらする。だが接敵しなくてはいけない。オーバークロックを使われては勝ち目はないのだ。それも、片手でこれだけの反動がある拳銃で奴を仕留めるには、限界まで近づいて、確実に当たる距離で撃つしかない。

「教えてくれよイジェクター! あの世界でお前は何を手に入れた!?」

 ホールに木霊する、ワールドメイカーの声。その元を辿り、必死に駆ける。

「希望、夢、未来、願い、望み――――現実の世界で何か一つでも手に入れたか!? その手の中に収まったのか? おい教えろよ、答えろ!! 何も――何もだ!! 何も手に入っちゃいない!! そうなんだろう!? 隠れてないで答えたらどうなんだ!?」


 耳障りな怒声。なぜか言葉が突き刺さる。息が詰まり、反論の言葉をはき出そうとし、それを飲み込む。その怒声の最中に、唐突にサブマシンガンの炸裂音がした。連なった炸裂音が、天井へ向けてはき出されると、コーディのか細い、追い詰められた悲鳴が黒瀬の元へ這い出してくる。はっとして身を乗り出すと、ワールドメイカーが、戯れに周囲の施設を破壊するのが目に入った。視界の端でウィンドウに表示されていたデジタルな数字が急速に数を減らすのが見えて、焦る。


「終わりの時間が繰り上がるぞ! 彼女が死ねば、俺もお前も全て終わりだ。さぁこっちは心中覚悟でやってるんだ。教えてくれよ! 現実ってやつを――――お前の力を、証明して見せろ!!」


 彼女の叫びが細く、長く、悲痛な痛みにまみれていく。耐えきれなかった。冷静さを失った体は感情のままに飛び出して、二十メートルの距離を挟んでワールドメイカーに銃口を向ける。悲鳴と怒声が混ざり合ったような咆吼を上げて、銃を撃った。何度も、何度も、何度も、何度も。

 静寂。

 拳銃は唐突に閃光をはき出すのをやめた。何度引き金を引いても、虚しいカチリという音しか出なくなった。


「終わりか?」


 ワールドメイカーの冷たい声が木霊する。含んだ嘲笑が漏れ聞こえる気がした。手にしていたサブマシンガンを、突然放って寄越す。滑った銃身は半回転してから、眼前で止まった。


「やるよ。弾切れなんだろ?」


 舐められた事にいら立ったワケじゃない。

 ただ、己の無力さが絶望的な程憎かった。


 サブマシンガンの銃把を握りしめる。ボックス型のその銃身は、オモチャか何かのように見えたが、持ち上げた瞬間、人殺しの道具である事を主張するようにずっしりと片手にのしかかった。その銃口を、ワールドメイカーに向ける。全ての元凶、世界を終らせる悪夢、彼女を奪い去ろうとする死神。創世の木と、天から降り注ぐ真っ白な光、棺に横たわって声なき悲鳴を上げるコーディ、それを背にして、悠然と両手を広げて歩み寄ってくるその姿。


「さぁ撃てよ――――殺せぇ! ズタズタにしてみろ――お前の手で、終らせてみろ!!」


 含み笑いの叫び。それに向けて、黒瀬は引き金を引いた。連なる炸裂音と視界いっぱいに広がる真っ白な閃光。反動で引きずり上げられる銃口を必死に押さえつける。飛び出した弾丸は暴れ狂いながらワールドメイカーに襲いかかるが、軌道は逸れて周囲の機械群を傷つけていく。オレンジの跳弾が暗闇の中に軌跡を描く。何度も、何度も引かれる引き金、上がる閃光、飛び出す弾丸。笑い声を上げるワールドメイカーはゆっくりと歩み寄るが、その姿が揺らぐ事はない。黒瀬の手中で暴れるサブマシンガンは、彼の片手程度の握力ではコントロールできず、ただ無意味に、弾丸をばらまいた。


 そして、全ての弾は尽きた。


 愕然と立ち尽くす黒瀬の眼前に、ワールドメイカーは立つ。かすめた弾丸が作った傷口の血を舐め取る。ぐっと鼻と鼻が触れそうな程顔を近づけると、無造作に一発、取り出した拳銃で黒瀬の膝を撃ち抜いた。痛覚がねじ切れそうな痛みに、凄まじい悲鳴を上げて、黒瀬は膝をついた。まるで、眼前に立つ男に跪いたかのように。


「これでわかったか? 現実のお前の、矮小で脆弱な姿が。無力だな黒瀬。お前は――現実のお前は、立ち尽くす事しかできないただの人間。世界を変えようというに、一矢も報いる事が出来ないとは」


 血走った黒瀬の目がワールドメイカーにその切っ先を向ける。怒声を上げて、黒瀬は血の吹き出す右足を踏ん張り、振りかぶった拳を冷然と見下ろす髑髏に叩きつけようとする。

 だが、ワールドメイカーの姿はまたエメラルドに煌めいて揺らぎ、黒瀬の拳は空を切る。そして空ぶったその腕を掴み上げれ、たたらを踏んだ体に間髪入れずに膝打ちをたたき込まれた。肺から空気が押し出される。鈍痛がのど元へせり上がってくる。その痛みに耐える事も出来ないうちに、ねじり上げられた黒瀬の腕に、ワールドメイカーは掌底を叩きつけた。間接を極められて限界まで引き延ばされていた肘は、その一撃で音を立てて外れ、腕全体をもぎ取られたような激痛が背骨と脳を走り抜けた。


「があああああああああああああああああああああ――――!?」


「世界の終焉を前にして、泣きわめく事しかできない。まるでガキだ。だがそれがお前の全て。現実の限界点だ。お前が見てきた世界がいかに夢物語だったか思い知ったか? この痛みが現実の全てだと理解できたか? 彼女を見送る気分はどうだ?」


 ワールドメイカーのグローブ越しの手が、黒瀬の顔からガスマスクを引きはがした。どこかから出血しているのだろうか、血が注がれるように硬い床に流れ落ち、びちゃびちゃと音を立てた。黒瀬は絶望の底から、コーディを見上げる。彼女はうめき声も上げなくなり、ただ荒い息を苦しげに上げるだけだった。ぐっと黒瀬は痛みをはらんだ息を飲み込んだ。義足をはめた脚に、大きく吐いた息と共に力を込める。体を一気に押しやると、ワールドメイカーの喉元へ歯をむき出しにして襲いかかる。


 視界が一瞬で横に流れた。


 身構えもせず軽くバックステップを踏んだワールドメイカーに、フック気味の掌底を叩きつけられたのだ。機器の詰まった棚に顔面から叩きつけられ、意識がぐらんぐらんと揺らされる。


「できない。黒瀬。お前には出来ないんだよ。お前には、目の前の悲劇を覆す力も、たった一つの願いも叶える力もない」


 全身が痛みを通り越した痺れに覆われていた。意思に反して、体はまるで動かない。それでも、それでも、何度も何度も怯える本能を押さえつけて、ぶるぶると震える体を動かして、体を起こす。溢れた血でぐずぐずつに濡れた服が湿った音を立てる。硬いブーツの底が、地面を踏みしめると、滴った血で滑りそうになる。それでも立つ。立たなくてはいけない。立たなくては、立たなくては、彼女が


「だが!! お前はぁ!! 立つ事すら出来ないッ!!」


 視界いっぱいにワールドメイカーのブーツのつま先が溢れて、次の瞬間頭蓋が一瞬で上にたたき上げられた。不躾な白の閃光が天井を覆っているのが見えた。喉の奥から不快な熱の塊がせり上がってきたから咳き込むと、ごっぷと鉄っぽい味の血が、空にまき散らされた。


 今にも死体になりはててしまいそうな、重い体をぐったりと傾ける。消え失せそうになる意識を奮い立たせて、這いつくばって、身を起こす。立たなくてはいけないのだ。立たなくては。


「どうしようもないだろう、今のお前じゃ――――こんな世界が、こんな現実が、本当の世界であって良いのか?」


 ワールドメイカーは、懺悔するようにへたり込んだ姿勢の黒瀬を、睥睨して言う。


「誰にとっても楽園足りえる世界。麻痺も差別もどこにもない。お前の左腕も、左足も、自由に動く世界。お前が失ってきた当たり前の日常も取り戻せる。理想世界だ。それがアウターワールド本当の世界。彼女もお前の幸せを願っていたよ」


 黒瀬が目を見開くと、ワールドメイカーは優しく諭すように、しゃがみ込んで、視線を合わせる。


「アウターワールドでのお前は実に幸せそうだったな。動く手足。ヒーローとして敵と戦い、世界中から賞賛される。一人ぼっちで家に引きこもる現実のお前とは正反対だ。天田の娘コーディは、お前をずっと見ていた。ずっと知っていた。お前が初めて、Play fun!12を脳に導入した時から、お前を見つめていたんだ」

「初期型のPlay fun!12によるバグで損傷した脳の機能が回復すると共に、お前の記憶は都合の良いように書き換えられていった。母親がどうして失踪したか、手足が動かなくなったのはいつか、覚えているか? お前にとって都合の悪い記憶は全て消去されていったんだよ。全ての元凶であるPlay fun!12の導入もなかった事にしたんだ。そしてお前は彼女を忘れたが、彼女はお前を忘れていなかった。お前が目も向けなくなった傍らで、お前が現実に苦しむ様を、ずっと見ていたんだ」


 ワールドメイカーは黒瀬の肩を叩く。


「だからなぁ、黒瀬。彼女はお前がアウターワールドで幸せそうなのを見て、決断してくれたよ。お前のアウターワールドでの幸せを願って、サーバーの移転を認めたんだ。機械から切り離されれば彼女は死ぬ。だが、そうでなくとも、劣化によっていずれ彼女は死に、アウターワールドは消失する。彼女はお前からアウターワールドを奪いたくなかったのさ。現実のお前が、あまりに、哀れだったから――――」


 ワールドメイカーは、ふっと一度笑みを浮かべた。それはさまざまな感情のこもった複雑な笑みで、真意をおしはかるのが難しい笑みだった。黒瀬が落とした拳銃を拾い上げ、弾を込めて初弾を装填すると、黒瀬の額に押しつけた。


「さぁ決断しろ黒瀬。彼女の想いを無駄にしてここで死ぬか。サーバーとして永遠になるか」


 黒瀬は向けられた銃口を見上げる。もはや体に力はこもらない。震える喉。霞む視界。脳裏に浮かぶ答え。それがゆっくりと、のど元にせり上がってくる。

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