act5:懺悔は終末の前に―after math―オé¥óセ /a> 、




 電気ショックを受けたような衝撃。

 全身を揺さぶる衝撃。叩きつけられたように、現実世界に覚醒する。




 体中が、死後硬直したみたいに固まって、しびれている。身をよじると、おかしくなった体の感覚器官が暴れ狂い、獣のような叫びを上げた。それでも体を動かして、意識せず垂れた涎をぬぐい、血走った目を周囲に向ける。

 いつもの屋敷の、いつもの居間だった。畳のざらつく感触が、手のひらの感触に押しつけられる。敏感になっている感覚器官が、それに痛みを叫んだが、熱く熱した意識はそれを無視した。

「……コー、ディー…………!!」

 必死に立ち上がろうとし、だが失敗し、それでもまた身を起こそうとしながら、叫んだ。

「コーディ…………!!!」

 凄まじい喪失感が全身を飲み込んでしまっていた。信じたくない、こんなのは嘘だと、意味の通らない叫びを胸中で上げながら、彼女の姿を求めて、叫んだ。

「コーディィィィィィィ…………!!!!」

 だがいくら叫んでも

 彼女の返事は返ってこなかった

「くそ……クソ――ッ!」

 散々屋敷中を駆けずりまわって、かすれる程声を荒げて彼女の姿を探し回ってから、黒瀬は呆然として、柱に拳を打ち付けた。部屋が揺れ、拳に血が滲んだ。彼女が奪い去られたのを――――いや、彼女自身が選択して、自ら自分の下を去ったのを悟った。どうして、なんで、形にならないそんな思いばかりが胸中を支配して、まともに物を考える事すら出来なかった。

 そうだ。思いつく。もう一度、もう一度ログインすれば――――だが、自分はコーディを介して以外のログイン方法を知らない。じゃあ他に、どうにかして……そう考えても、他の方法など知るはずもなかった。

 

 ――――空虚な現実世界リアルワールドで、無力さに打ち震えて、死ね。


 奥歯をかみ砕かんばかりに噛みしめる。握りしめた拳がぶるぶると震える。俺が無力? 現実世界の、俺は、無力? 

 ふと、居間の片隅に設置されたテレフィルムが起動した。小さな台形の塊に光が灯ると、映像が宙に映る。電源には手を触れていない。テレフィルムの前に人がいる時に緊急放送やニュースがあると、自動的に電源が入るように設定されていたのだ。

 クソ下らないバラエティで有名人達が隠れた名店とやらを食べ歩きしている。その映像の上端に、無機質な文字が流れていく。

『極東戦争で活躍の江原中将が死去。戦中は "情報戦インテリジェンス" を指揮。享年89歳。死因は外側中毒アウターホリックによる合併症の可能性』

 アウターホリック。死去。思わず目をこらした。江原中将?  その文字列が意味する所ははっきりとはわからなかったが、胸の内にじわりと不安が広がった。

『戦中、君のお爺さんはSADと呼ばれる "諜報部隊インテリジェンス" に所属していた』

 突然、Dr.の言葉が蘇ったのだ。

 その正体が何であるのかは定かではなかったが、だが、予感があった――――すべて、つながっていたのだ、と。

 コール音がした。電話など取る気にならなかった黒瀬は無視し続けていたが、延々とコールは鳴らされ続けた。コールはダイニングに放り出した携帯端末から流れている。携帯端末は基本的には計算やデジタルテキストの処理に使う物で、電話として利用するのはあまり一般的ではない。黒瀬がこれを使ってかけた相手は、ジョーしかいない。Play fun!12を介した通信ではコーディにばれるかも知れないと思い、用心のために使ったのだ。手に取り、通話ボタンを押す。

『すぐに会いたい』

 電話口にでたジョーは、酷く焦っていた。

『とんでもない事がわかったんだ。彼女の――――』

 とにかく、電話ではダメだ。彼はそう言った。黒瀬は携帯端末を握りしめた。力強く、握りつぶさんばかりに。














 足下がぐらついた


 その異変はジョーからの電話を切り、居ても立ってもいられず、弾かれたように居間を飛び出した瞬間突然起こった。


 視界が真っ白になったホワイトアウトした


焦り以外の機能全てがシャットダウンしたようだった。全身の感覚が一気に喪失し、空白になった意識が何も聞こえない静寂の中で何もない時を刻んだ。何をやってるんだと思った。ここはどこなんだ――――こんな所にいる場合じゃないんだ、はやく、ジョーの所へいかないと――――コーディ……コーディ――!! はやく、はやく、はやく――――!! 焦りとその熱だけが、凄まじい勢いで空回りして、意識を焦がす。だが自分には動かせるものが何一つ無かった。感覚が、ない。確かにあったはずの"全身"の感覚は完全に消え失せ、時々ぽつぽつとしたたる滴のように"点"の感覚が浮かぶばかりだった。いきなり目の奥の激痛の感覚が浮かんだり、凄まじい喉の渇きを覚えたり、胃がねじ切れるような鈍痛にもだえたり――――

 のど元を熱いものがこみ上げる。

 味覚が急に蘇ったが、そこに浮かんだのは鉄臭い不快な味だった。口の中いっぱいにその味が広がっている。次第に頬が熱くなってきた。何か、熱いものがべったりとへばりついている。その"熱いもの"の向こうに、固い床の感覚が、微かに感じられた。

 突然、頭蓋の中で頭痛が弾ける。

 頭の奥で、壊れたヴァイオリンをひっかいたような、甲高い音が、延々と続いている。割れんばかりの頭痛が鳴り響く鐘のように感じる。痛覚、というのがあった事を思い出した。痛みと痛みを結んでいくと、忘れかけていた全身の輪郭が戻ってくる。痛みのもだえるようなうずきが、体のあちこちで暴れ回る。


―――あの―――おにいさんは―――たぶん部屋からでないんじゃないかって―――

――――いいのいいの―――――話をしたいだけだから――扉越しでも―――


 痛みを誤魔化すための叫びも上げられない空白の意識の中で、もやがかかったような"音"が聞こえた。それは最初は小さなものだったが、次第に大きくなってくる。それが"声"だとわかるまで随分な時間を要した。わずかに光を取り戻した視界の中で、影が二つ、動いているのが見える。地面がぐらぐらと揺れている感覚の中で、その影もまた、揺らぎ、歪んでいた。こちらに近寄ってくるた二つの影。

 唐突に、立ち止まる。

 そして、ぼやけた大きな声をあげた。

 二つの影は慌てたように速度をあげて近寄ってきて、黒瀬の視界をその身で覆ってしまう。痛みと苦悶に覆われた身体を、影が激しく揺さぶった。二つの大きな声が、たわむように聞こえる。平衡感覚がぐらぐらと激しくゆらされる。吐き気が激しくなった。頭痛も鋭くなる。視界が影と真っ白な光のコントラストを激しく明滅させる。そして鼓膜を振るわせる、大きな声。呼びかけの声。悲鳴のような、声――――




「――――しっかりしてってば! ねぇ! ――――ねぇ!!」

 激しい衝撃が、黒瀬の意識を引きずり戻した。

 真っ白になっていた視界に、唐突に色と輪郭が戻った。初めはそれが何かまったくわからなかった。輪郭線と黄色と白と茶色と黒とピンクと白というわけのわからない情報だけが頭でぐらぐらと揺れていたが、それが大声を上げてさらに自分の体を激しく揺さぶると、強引に理性を起動させられた。意識が消失しそうな脳は疲れ切り、すり切れていて、視界の情報さえ処理するのはおっくうだった。

 雪原のようにまっさらに染み一つ無い白い肌、それに金糸のように艶やかな金髪、大きな遺伝子調整ジーンデザインされた碧眼が、不安そうにこちらを見下ろしている。額には、汗の粒が一粒、浮かんでいる。あぁそうだ――――広告で見るのとは少し違うんだ。この、顔。そんな事を、激痛の最中に思った。

「あっ、目を覚ました! 目覚したよ!」

 spring――――日和が形の良い眉を下げて、こちらを見つめている。

「おにいさん!? おにいさん!」

 と飛びつくように黒瀬の視界に入ってきたのは、眞子だった。二重に縁取られた、子ウサギみたいなつぶらな目に、いっぱいの涙を浮かべている。癖のある栗色の髪が、顔に垂れてくすぐったい。セーラー服の胸ポケットから桜色のハンカチを取り出すと、黒瀬の顔をぬぐった。次にハンカチを目にした時、それはどす黒く、赤い液体でたっぷりと湿っていた。

 視界はぼやけ、音は膜が張ったようにはっきりしない。体はまるで自分のものではないかのように動かず、ただ猛烈な吐き気と脳がねじ切られんばかりの頭痛、それに全身を覆う激痛ばかりが感覚を支配していた。

「どうしよう、すごい声――――」

 すっかり動転した眞子がそう言うまで、黒瀬は自分が腹の底から叫び声をあげているのに気がつかなかった。まるで獣のような咆吼が口から飛び出し、喉をふるわせている。なのに感覚はほとんど無かった。ただ、痛みばかりで、自分の体がどうなっているのかなんて、まったくわからない。

「――――、これ、外側中毒アウターホリックだ」

 自分の様子を、目をまん丸にして見つめていた日和が、唐突にぎゅっと唇を噛みしめて言った。眞子は目を見開いて彼女を見つめ、えっと悲鳴のような声をあげた。

「いつから連絡を取ってないの」

 日和が焦りをにじませて、眞子に詰問する。彼女は慌てて

「え、あ、たしか、昨日インターホンを押しても返事が無くて、一昨日も――――」

「………今日で三日目なのね」

 言葉の意味に眞子はすぐ気づいたようだった。目を見開き、怯えた表情で、咳き込んで喀血する黒瀬を見つめる。

 日和はじっと黒瀬の苦痛にもだえる表情を見つめると、眉尻をあげ、張りのある声で

「手遅れになる前に応急処置で塩水を飲ませなきゃ。喀血してるから体も温めて、それと、ケイ素を分離してナノマシンを非活性化させて、肺塞栓を防がないと――――君は救急車呼んで、早く!」

 目を白黒させて彼女の言葉を聞いていた眞子は、言われて慌てて立ち上がった。

 救急車、と日和は言った。

 病院へ連れて行くつもりか。

 かつて眞子を担ぎ込んだ先の病院で、彼女が施された処置を思い出す。

 ベッドの上で、いくつものチューブやケーブルにがんじがらめにされた眞子。彼女が苦痛にもだえる横で、医者が語っていた。大丈夫ですよ、時間はかかりますが、全快します。――――Play fun!12をいったん破壊しましょう。ネットワークから切断し、アウターワールドから隔離するんです。

 黒瀬は薄れ行く意識の中で、日和の手を必死で掴んだ。

「や、めろ……」

 その細腕で必死にソファへ運び、黒瀬の体に応急処置を施していた日和の手が止まった。真剣だった目が見開かれ、黒瀬の瞳へ運ばれる。その顔に、何か言葉を続けようと思ったが、息が詰まり、言葉が出ない。だめだ。声は出なくとも、焼け付くような思いだけは胸中で叫び続けた。絶対に、だめだ。病院に運ばれてしまったら、ネットワークを途切れさせてしまったら、アウターワールドへの道が、断たれてしまう。コーディとの、つながりが、断たれてしまう――――

 もうこのまま永遠に、会えない予感がした

 眞子が救急車を呼びに居間を飛び出していく後ろ姿へ、必死に手を伸ばす。だが体は鉛のように重く言う事を聞かず、声は虚しく喉の奥でかすれるばかりだった。

 自分とそっくりな顔が、邪悪な笑みを浮かべて口にしていた言葉を思い出す――――『これでこいつは現実世界にロックされる』――――『アウターワールドには二度と戻れない』――

 あの得体の知れない男の狙いは、まさか、これ――――? 

 現実世界にロックされる? アウターワールドに戻れない? この現実世界に縛り付けられたまま、空虚な世界を生きろと言うのか?


 突然のホワイトアウトフラッシュバック


 激しく痙攣する体。全身の筋肉が自らの体を締め付けて破壊しようとしている。瞼がつり上がり、見開かれた目が、暴れ狂う真っ白な光に染まる。誰かの悲鳴が、遠くで聞こえる。


 祖父が死んだ朝を思い出した。

 変わらない日々が続くのだと思っていた。祖父と二人、代わり映えしないが穏やかな日々を、永遠に、いつまでも、つむいでいくのだと――――だがあの朝、自分が信じてきた日常は、突然終わりを告げた。布団の中で冷たくなった祖父の体。冷たさを確認する、震える自分の手。じっとしていた。身動き一つ出来ず。振り返る事も、立ち上がる事もできなかった。恐ろしかったのだ――――二人には少々手に余る大きな屋敷が、空虚な、静寂に包まれているのを、目にしてしまうのが。あの時感じた、全身の力が抜け落ちてしまいそうな孤独感、無力さ、自分の存在の薄弱さ――――忘れていた感覚。忘れられたはずの記憶。それが今、苦痛にくるまれて、全身を覆い尽くしている。あぁそうだ――あの孤独を埋めて、あの無力さを希望に変え、今の自分を認めてくれた――――そうだ。そうだったんだ――――彼女がいてくれたからこそ、あぁ、ちくしょう――――自分は、もう一度『生きよう』と思ったんだ。彼女が側にいたから、彼女が空っぽだった屋敷を埋めてくれたから、自分の手を取り、言葉をかけてくれたから――――『生きたい』と思えたんだ。

 なのに

 なのに 


『ごめんなさい』

『さようなら』


 嫌だ

 口を持たない心がそう叫んだ。

 いやだ、嫌だ、嫌だ嫌だ、嫌だ――――!! アウターワールドへ戻れなくなる事がではない、こんな……こんなわけのわからない形で、何もわからないまま、彼女(コーディ)を失ってしまうのが、泣き叫びたい程嫌だった。苦痛にあえぎながら、彼女がいなくなってしまった世界を思う。彼女へと続く道すら閉ざされてしまった世界を、思う。薄暗く、無力で、何もない、空虚な世界だった。絶望。そこには"理由"が何一つ無い。顔を上げる理由も、立ち上がる理由も、手を伸ばす理由も存在しない。生きる意味が、何一つ無い。

「や、めろぉ…………ッ!!」

 こし出すような声が出た。日和の手を握る拳に、感覚なんてあるはずがないのに、痙攣する程の力がこもる。目の奥が、張り詰めていた。痛かった。泣き出してしまいそうな程に。

「……ネットワークから切断するのが怖いのね」

 黒瀬が握りしめた日和の細い手首は、真っ赤に染まっていた。彼女は自分の手を握りしめる黒瀬の手を、胸をまさぐっていた手でゆっくりと握った。慌てて居間を飛び出して、固定端末電話機から119番通報しようとしていた眞子が、足を止める。

「でもそれはアウターホリックの症状なの。発作が治まれば、アウターワールドへ戻りたいって気持ちはすぐに――――」

 日和の言葉を待たなかった。黒瀬は体をひねってうつぶせになると、痛みと熱に浮かされた腕をついて立ち上がろうとする。

「だめ!」

 日和は唖然として立ち上がりかけた黒瀬を見送っていた。その前に飛び込んできたのは、眞子だった。ぶるぶると震えて、しかし凄まじい執念で脚を床に置いた黒瀬を、彼女は押しとどめる。

「おにいさんっ、死んじゃいますよ!? 血――血を、血を吐いて――――こんなに」

 動揺の涙をこぼす彼女の言葉で、黒瀬はようやく自分の吐血に気がついた。熱い液体がべったりと口から胸へ垂れている。胸に垂れた血を見た時、黒瀬の目は自然に見開かれ、震えた。

『よぉ、イジェクタ――――』

 あのニヤついた声、自分そっくりな顔の男が放った、弾丸の衝撃がよみがえる。わき起こる憎しみに歯を食いしばった。あの男、あの、男――――!!

「動いちゃだめ、絶対。助けてあげるから――――すぐに救急車を呼びます」

 どうしても力が出ない黒瀬をベッドに押しつけた眞子は、日和に短く言づけると急いで居間を出て行った。黒瀬は、何とか彼女を引き留めようと喉に力を込めるが、肺一杯に針を飲み込んだような痛みに呻くことしができなかった。毛布を抱えてきて、黒瀬の体にかぶせた日和は、何か思い詰めた表情でじっと彼を見つめていた。黒瀬は、もはや憎しみすら込めた瞳で、その大きな碧眼を見つめ返した。

「――――待って」

 電話口に症状を語っていた眞子が、日和の言葉に顔を向けた。日和はもう一度同じ言葉を繰り返し、眞子は信じられないとばかりに目を見開いて首を振った。

「私の車で運ぶわ。救急車なんかよりずっと速いやつだから」

「そんな、だって……」

 黒瀬が荒い息を吐きながら、日和の握っていた手をゆるめた。彼女は黒瀬の崩れ落ちてしまいそうな表情に桜色の唇を寄せると、「助けてあげるわ――――今度は、私が」と、微かな温もりを耳朶に残した。

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