act4:夢の終わり―the dead end―[後編]




 どれくらい時間が経っただろうか。

 暗闇の中、体の感覚がまだ残っていた。痛む全身をなんとか動かして身をおこす。体にのっていた破片がぱらぱらと落ちた。頭ががんがんと痛み、手を当てると、べったりとグローブに血がついた。辺りを見渡すと、ばらばらになった敵味方の死体があちこちに散乱していて、振り返ると、半分つぶれたヘリが窓から突っ込んだまま止まっていた。

 搭乗口で下半身を潰されて死んでいた軍曹に歩み寄ると、その手に握られていたアサルトライフルを手に取った。それを見つめながら、思う。自分がまだここにいるという事は、アウターホリッカーは今だ顕在だという事だ。

 司令官を殺さなくては。

 ライフルのボルトを引き、初弾を薬室チャンバーに送り込む。銃の扱いなど知らないはずだが、なぜだか体によく馴染なじんだ所作しょさだった。

 辺りを見渡す。ヘリのプロペラで破壊された壁の向こうに、明かりが見えた。照明システムが損傷したのだろう、明かりはまばたきするように点滅していた。吸い込まれるように、歩みを進める。

 そこは激しく損傷していたが、紛れもない司令室だった。作戦マップを表示するホログラフテーブルや、資料を並べたボード、円卓やそれをずらりと囲む椅子が並んでいる。壁面に、巨大な国旗が掲げられている。血にれてかすむ視界で目を凝らすと、それは巨大な鴉の絵だった。翼を広げて襲いかかろうとするカラスのシルエットが、司令室を睥睨へいげいするように描かれている。


「遅かったな、排出者イジェクター


 円卓の奥、上座の位置に、回転椅子が背を向けていた。微かにそこに座る人影が見えて、黒瀬はとっさにライフルを向ける。老いてかすれた声色だった。全く動揺する事もなく、手を組んで座ったままだ。司令官だろう。直感で確信する。間違いない、アウターホリッカーだ。

「お前を排出イジェクターする」

「いいや今回は逆だ」

 引き金を引こうとした黒瀬の手が止まった。

 何? こいつなんと言った――――? 

「つまりこういう事だよ排出者イジェクター

 回転椅子がぐらりとこちらに向いた。腰を深く預けていた老将は、この惨状にもかかわらずきっちりと着こなした制服のえりを正す。よわい90は超えているだろうその小さな体からは、しかし今だ消え失せない威厳があふれ出ていた。若かりし頃からそうだったのだろう、落ちくぼんでぎらついた目が、黒瀬を射貫く。

「私は自らの意思でアウターホリッカーとなった、君を誘い込むためのエサだよ」

 眉をひそめた。誘い込むためのエサ――――? 自らの意思で、アウターホリッカーになった――? わけもわからず、ただ目の前の枯れ木のような老人に恐怖感を抱く。それを押しつぶしてしまおうと、引き金にかけた指に力を入れたその瞬間、老人は声高に叫んだ。 

「無駄なんだよ!! 君は今や誘い込まれた豚だ、やれ」

 

 胸に衝撃


 槍に心臓を貫かれたと思った。急速に力を失っていく体を感じながら視線を落とすと、ちょうど胸の中央から放射状に広がる血の跡が見えた。地面にぼたぼたと、血のかたまりが脈打って落ちる。手を当てると、グローブ越しに親指大の銃創があるのが分かった。

穴が開いている。

心臓に。

熱い血が手のひらを染めると同時に、体から熱が失われていく。脚から力が抜け、意識せぬままひざをついた。

「よぉ、排出者イジェクター

 床に倒れした黒瀬の視界に、背後から歩みでてくるブーツに包まれた脚が見えた。大口径の拳銃が、ぶらりと下げられる。

「警告したはずだぞ、三度もな」

 男が振り返る。黒瀬は震える喉を驚愕に鳴らした。

 男の顔は、髑髏に覆われていたのだ。コーディがかつてそうしていたのと、同じように。そしてその姿は黒瀬と――イジェクターと同じジャケットに同じカーゴパンツ、同じ編上げブーツに同じフード――うり二つの格好をしていた。違いがあるとすれば、黒瀬のそれが汚れてぼろぼろになっているのと対称的に、男のそれはまるで新品のように身綺麗だった。

「二代そろって計画の邪魔をするとはな」

 男は黒瀬にゆっくりと歩み寄る。しゃがみ込み、その髑髏で黒瀬の顔をのぞき込んだ。

「あの女と二人、幸せな世界の中で浸っていればよかったのに、『真実』だと? 抱え込む気概もないくせによくも言ったもんだ」

「……! …………!!」

 黒瀬は大口を開けて、声にならない叫びを上げようとする。何を言おうとしているのかは自分でもわからない。だが、この男が決して存在を許してはならない、凶悪な男なのだという確信があった。

 男は嘲笑する。

「わめくな。こうなったのはお前の責任だ。最初は売れないライターに、次はあのバカ女に、しまいには菅野博士にまでメッセージを届けさせたのに。『お前を監視している』『俺に逆らうな』ってな――――署名までつけた」

 こいつ、何言ってやがる。黒瀬は消え失せそうになる意識を歯を食いしばってつなぎ止める。この男は俺の事を知っている? なぜだ、なぜ俺を撃った? 計画とはなんだ?

 男は手のひらを広げた。「何が何だかわからないって顔だな」そう言って立ち上がった男は、ゆっくりと歩み、姿をさらすように黒瀬の前に立つ。そして顔を覆うその死骸の能面に手をかけた。

「俺だよ、イジェクター」


 髑髏が引きはがされる。

 黒瀬の目が見開かれた。


 あまりに見慣れた顔だった。朝起きて洗面台に立った時、道を歩いてふと車のウィンドウを見た時、バスの窓を見上げた時、コーディの瞳に映った時。その無愛想でいつも不満げな顔が、今、目の前で不敵な笑みを浮かべている。この顔、この顔! 知っている! そう知っている! だがどうして どうして――――!?


「初めまして兄弟、偉大な兄Big brotherがご挨拶だ」

 自分と寸分違わぬ同じ顔が、嘲笑を浮かべていた。


「計画の最終段階はこれで達成したんだな。私の任務はこれまでか」

 椅子に腰掛けた司令官が、自分と全く同じ顔をした男に話しかける。男は軽々しい仕草で敬礼する。

「これでこいつは現実世界にロックされる。アウターワールドには二度と戻れない」

「Dr.が回収に失敗したOSは? 最高権限を有しているあれを処理しない限りロックは完成しないはずだ」

「もちろんだ大佐。ワームは仕込んでおいた」

 男がペットでも呼びつけるみたいに人差し指をくいっと動かした。すると唐突に虚空の空間が歪み、そこから現れたのは――――

「アウターワールドはこれで永遠だ。よくやった"Sleeping beauty"」

 初めて会った時と同じように、長く垂れ下がるような軍用コートに身を包み、髑髏をかぶったコーディの姿。黒瀬の動かない体が驚きで震える。コーディ、何してるんだ……!? 叫びたかったが、肺から押し出した空気はしぼむ風船のように声にならずにかすれて消えた。

 男は彼女を誘うように手を差し出す。

「…………どうした」

 コーディは黙ったまま、倒れ臥して、必死に口を開閉させる黒瀬を見つめている。

「わかってるだろう。こいつを救えるのは俺と、お前だけだ」

 コーディ!!!!

 声にならない叫びを真っ黒な瞳で見つめた彼女は、まるで何も見ていなかったかのようにふっと視線をそらし、男の手を取った。

「そうだ。それでいい」

「……私の体にも限界が訪れたようだ」

 司令官がそう言うと、その体が白と黒の砂嵐に染まり始めた。スパークしたような鈍い音がその体から漏れ出し、砂嵐は次第に彼の体を飲み込んでいく。

「貴君の任務達成を祈る。必ずや我らの現実を弄んだ悪鬼共を駆逐するんだ」

 砂嵐がのど元まで来た時、司令官は威厳に満ちた敬礼を男に向けた。男は変わらず、軽々しい返礼をする。彼が黒瀬に振り返った時、砂嵐に完全に飲み込まれた司令官の体がぐずぐずに溶け、ぐらついた首がごろりと、床に転がり落ちた。

「さぁ、遊びは終わりだゲームオーバー

 男は太ももに下げた拳銃を掴むと、スライドを引いて初弾を装填した。コーディは、彼の後ろで、それを黙して見つめている。どうしてだよ。胸の内で、声にならない慟哭を上げる。どうして! どうして!! どうして!!!! 答えを求めて彼女に焼けるような視線を向けたが、彼女は髑髏越しの目で冷然と見下ろすだけだった。

 手を伸ばす。何を掴もうと思ったわけではない。ただ、胸をかき乱す疑念と怒りの荒れ狂った情念が、ほとんど力の入らない体を動かして、腕を伸ばした。

「お?」

 拳銃を操作していた男がふと視線を落とす。その脚を掴む黒瀬の手を見つめて、鼻を鳴らした。

「おいおい」

 撃鉄を上げて、銃口を向ける。燃えるような慟哭を滲ませる、黒瀬の目に向けて。

「嫉妬は見苦しいぞ」

「……ま……ぇ…………お、ま……え…………!!」

 かすれた声を、血を吐くかのように口にしたその言葉に、男は口元をもたげた。「俺の名か」尋ねた彼の顔に浮かぶのは、圧倒的に優位に立った者だけが見せる、酷薄な笑み。銃口を黒瀬の頭に押しつける。ふきだしそうな程愉悦のこもった声。

World maker創造主――――空虚な現実世界リアルワールドで、無力さに打ち震えて死ね。俺の名を噛みしめながら、な」

 炸裂音と閃光。

 巨大な固まりが頭蓋を砕いて押し入ってきた。吹き飛ぶ血と脳漿のうしょう、頭蓋の破片を、のけぞった頭が天井越しに見つめていた。暗転した世界の闇の中で、高らかな哄笑こうしょうを上げる自分そっくりな声を、聞いた気がした。

「ごめんなさい――――さようなら」

 短く告げる、彼女の声も。

 

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