十六:昼の決心

「さかっちゃん今日朝練こーへんかったな。なんかあったん?」

 4限目が終わって昼休みに入るとすぐ、同級生の部活仲間の浩史がC組に入って、榊のいる席に近づいて尋ねてきた。

「何か変なんだけどこいつ教えてくれないのよ。昨日の夜道に迷って帰るの遅くなったから疲れたとか言ってるけど」

 風呂敷包みを解く前の弁当を机の上に置いた美幸が浩史に向かって言う。美幸は榊とのつながりで浩史とは中学時代から知り合いで割と仲が良いのだ。榊、美幸、里、加代子の四人は今昼飯をどこで食べるか相談しているところだった。机に弁当箱を置いて両腕で抱えながら、その腕にもたれてだらんとしている里と、後ろの美幸の方を向いていた加代子の二人と目が合うと、浩史は「よっ」と軽く手を挙げる。この二人とは出身中学が一緒で、加代子の方とは特に接点があったわけでもないようだったが、時々浩史がこうやって榊達に会いに来てやり取りを重ねるうちに、皆でそれなりに会話をするようになっていた。


「みんな一緒に弁当? 俺も一緒に食べさせてもらってええかな?」

「いいけど、まだどこで食べるか決めてないんだけど」

「な~に、ここでええやん、ちょうど席も空いてることやし」

 ちらっと榊の前の主が出払った空席を見やる。

「まあいいけどね……」

 気の強い美幸も浩史の図々しい押しの強さには屈することがしばしばだった。人懐っこい馴れ馴れしさに気勢をそがれるというのもある


「おっしゃ、ほんならちょっと戻って弁当取ってくるわ」

 浩史はダッシュで自分の教室に戻って行った。四人が机を合わせて弁当を広げる。

「で、何があったのよ。言いなさいよ」

 美幸が早くも箸でちぎったハンバーグを口に放り込みながらさっきの話の流れで榊に話しかけた。

「うっせえなぁ、別にいいだろ」

 イライラした様子を見せて榊が答えた。美幸のこういう態度には小学校時代から慣れていたが、家族にもおいそれと話せないような昨夜の出来事と今の状況について、いつもの調子でずけずけと入り込んでこられると、つい制御がきかず、言葉遣いに軽い怒気と苛立ちを含んでしまった。

 滅多に見せない剣幕に驚いた美幸は元々大きな目をさらに開いて彼の方を見つめると、一瞬息を呑み、

「何よ! そこまで怒ることないじゃない!」

怒ったが、内心軽いショックを受けているのは傍目から明らかだった。傷ついた気持ちを隠すためか、顔を俯け、むきになったようにぱくぱくと次々箸で弁当の中身をつまんでは口に放り込んでいく。傍の里と加代子も驚いた風に二人の様子を見る。里の方はやや興味深そうだが、おとなしい加代子は親友の美幸と同じくショックを受けたようだった。榊もつい口調の端に苛立ちを表してしまったが、本気で怒ったわけではない。表面的な気の迷いといっていい物だった。内に閉じこもってしまったように、元々食べるのが早いところを、集中でのさらなる早食いに没頭する美幸を見て、申し訳なく思った榊は慌てて取りなそうとしたが、そこにいつの間にか教室に戻って入り、傍に近づいてきた浩史が高くて機嫌のよさそうな声を4人に向けてかけた。


「おっ、何話してたん? 混ぜてーな」

 にっと口の端を吊り上げて犬歯を見せて笑う。榊は自分がもたらしてしまったその場の気まずい空気が変わるのを予感してほっとした。


「何や! 俺の分も動かしてくれといたらいいのに」

 浩史が前を向いたままの榊の前面の空席をガタガタと90度回して、加代子がそのために空けていたスペースに、ぴっちりと榊と加代子の机に二辺が当たるように置く。

「おっしゃ、これでOKや。食うでー。ほんで何の話してたん?」

 言いながら席に着いた浩史だが、いつも通りもそもそ食べている里はともかく、他の3人も皆だんまりなのに気付いて不思議そうな顔をする。特に、今や手に持った弁当箱を顔のそばに近づけて、意地になったようにがつがつ食べている美幸の方を注意深く見ていた。


「エロゲ……」

 唐突にぼそっと里が口を開いた。

「おっ、またエロゲか。さとっちゃん中学んとっから好きやなー。で、今はどんなのしとるん?」

 食いつく浩史。榊は里に感謝した。彼の発言に、弁当に没頭していた美幸も心なしかその食べるペースを落としたように見える。

「吸血鬼もの……」

 里がまたぼそりと続けた。

「何やそれ、けったいやな~。その吸血鬼のを攻略とかいうのするん?」


 二人が自分越しに話しているのを聞きながら、榊は思った。――吸血鬼か。ナミカゲというのもそれに似ているな。吸精鬼と言っても正確なほどだが、やはり吸血鬼の方が漫画やテレビなどで馴染んでいる分、比較に連想しやすい。人を襲って生命力を奪うという点では同じだ。

 ナミカゲについてうまい比喩が見つかったので、気分が良くなった榊は、その明るい調子のまま向かいの美幸に話しかけた。

「そういやお前陸上の調子はどうなんだ?」

 榊は言葉を発した瞬間、頭から一瞬抜け落ちていた美幸との間の気まずい状態を思い出したが、周囲に入り込まず、一人で食事に没頭せざるを得ない様子だった美幸は、榊の先ほどの事を忘れたような(実際言葉を発した瞬間忘れていたのだが)屈託なく楽しげな声を聞くと、一瞬驚き、次いでほっとしたように顔を上げた。

「あ~、うん。調子いいわね。今度の大会レギュラーに選ばれたの。タイムが良かったし、顧問とキャプテンが気に入ってくれてる感じだし―――」

 いつもの口調通りで、表情からも声音からも硬さは完全に取れていた。続いてカッカッと箸で弁当箱をまさぐるが、すでにほとんど無くなっているのに改めて気づき、自分で呆れ、がっかりしたような様子を見せもした。


 榊はやっと一息つく思いだったが、今度は美幸がしゃべるのを黙って聞いていた浩史が横から腕を彼の首に巻き付けてきた。

「さかっちゃ~ん。朝練サボってキャプテン怒ってたで~」

「えっ……」

 唐突に体を近づけてきた浩史とその発言の内容に榊が怯んだ。浩史はそんな榊の様子を目を細めたいやらしいニヤニヤ笑い顔でしばらく見つめていたが、やがてカラカラと笑うと、

「嘘や嘘! 珍しくさかっちゃんがこーへんから心配してたで! あの怖い顔がこ~んなに心配そうでな――浩史は両手の人差し指で目の端を吊り上げて山本キャプテンの顔を真似た後、そこからぐいっと眉を下げて落ち込んだ表情を作ってみせた――。俺も理由訊かれたけど、『知りません』ゆうしかなかったわ。まさか寝坊とはな~」

バンバンバンと榊の背中を強く叩いた。一瞬むせたが、やむを得ない事とはいえ、朝練習を休んでしまったことに対し、引け目と他の部員――特にキャプテン――に対する気の引っかかりがあったので、今浩史がその状況説明をしてくれたのは嬉しかった。


 しばらくカラカラと笑い続けていた浩史だが、

「でもな、さかっちゃん」

榊の耳に口を近づけると突然低い真剣な声になる。

「あんまチンタラしとったら俺に追い抜かれてレギュラーとられんで、そしたらな……」

 ますます声を潜めた。


「俺の天下やー!」

 突然教室の天井に向かって大声を発し、またカラカラとより大きな声で甲高く笑った。教室内の他の場所で食べている女子グループが眉をひそめて「ちょっと、そこうるさい!」と怒鳴り、浩史はそれを受けて立ち上がると、片手を頭の後ろに当て、笑いながらペコペコ腰を屈めて謝った。


 ――チンタラか――榊は思った。もし、ナミカゲと戦わないといけないのならバスケに使える時間も限られてくるだろう。そもそも何で俺が――


 そこまで考えた時、榊は比恵が霊縄を彼に突き付けながら言った言葉を思い出した。『それ――ナミカゲを捕まえることだ――が出来るのはあなたのように日夜八百万の神々の霊力の影響を受け、内部に蓄積されている方だけなのです』。また、『ここにあなたが追われて迷い込んだのも何らかの導きでしょう』とも。そうしたことに思いをはせるに、何かを守るなどという大それたことを考えなくても――榊は、呆れた顔で浩史の方を見つめている美幸の方に見るともなしに目をやった――、こういう立場に置かれた以上、状況に身を投ずるのはあるかもしれない。何より、彼自身男としてそうした冒険にある程度のロマンを感じてもいる。


 榊は教室の向こうに向かってへこへことひょうきんに謝り倒す部活仲間の姿を横目に入れながら、ある程度の覚悟を決めざるを得なかった。

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