十四:帰還

 鳥居をくぐって境内から道路に出ると、先ほどの美しい少女と初めて知り合って長時間話し合った多幸感は消え、夜中の空気の落ち込んだ冷え込みが身の内に入り込んで榊の体をぶるっと震わせた。薄い雲が空より明々と照らしていた月の上にかかり、少し陰らせている。と、見る間に厚い雲が左右から寄り集まって、その明かりをほとんど完全に覆い尽くした。

 今参道を降りてきた神社の小山を除けば、丘のてっぺんと言っていい場所に当たる道路に榊は立っており、ぽつんと一本だけ立つ街灯が弱い光で申し訳程度に闇を照らしているだけとなっている。榊は周囲を警戒してやや前屈みになってきょろきょろと左右を見渡し、先ほど受け取った縄を両手でぎゅっと握りしめながら、慎重に登ってきた左の下り道を降り始めた。



 家に着くまで何事もなかった。街灯の数が少なく、家々の明りも消えてひっそりと眠りについた丘の上の住宅地の起伏に富んだ坂道や階段を、時には全くの暗闇の中で手探りで下って行くのは大変だったが、何とかやりおおせた。途中縄が光ってナミカゲの存在を知らせることもなく、無事家に帰り着いた頃にはもう12時を回っていた。


 榊の帰りを考慮してくれて、家には鍵がかかっておらず、榊が親しみを感じる玄関の引き戸に寄りかかるようにし、それがガラガラと動くのを確認した時、彼は思わずほっと息をついた。

「ただいま~」

 疲れ果てた声を出してどさりと上がり框に座り込んだ。


 ドタドタドタと禊が階段を下りてくる音がする。廊下の階段部に隠れた右奥手の両親の部屋の襖がしゃっと開く音がして、母和子も廊下を歩いてきた。どちらも寝間着姿だ。

「お兄ちゃん大丈夫!?」

 水色に白の水玉模様のパジャマを着た禊が半分泣きそうな心配顔で、へたり込んだ榊に飛びついてくる。どうやら兄の帰りが遅いのを心配して気が気でなかったようだ。薄手のさらさらしたパジャマの布地の質感越しに、妹のブラジャーを付けてないやや小ぶりの胸の感触が彼の頭に伝わった。


「あ~、まぁ何とかな」

 榊は頭に押し付けられてくる胸を邪魔だと思いながらも、あまりに疲れ果てていたので、気持ちを切り替えてむしろその妹の胸の弾力の柔らかさを享受することとし、しばし頭をもたせ掛けて休んだ。やや硬い乳首の突起がツンツンと心地よく彼の頭を刺激する。


「遅くなってどうしたの? 妙子伯母さんのところにも心配になって電話かけたけど9時半過ぎには家出たっていうし」

 母がパタパタとスリッパの音をさせながら近づいてくると、心配とそれをかけた息子に対する困り顔が半分くらいずつ交じり合った、眉をひそめた表情で榊を見下ろす。


「あ~、ちょっと違う道通って帰ろうとしたら道に迷っちゃって」

 榊はあらかじめ考えていた言い訳を述べた。この言い訳を考え着くのは難しいことではなかった。現実にあの入り組んだ複雑な道を夜歩くのが困難だというのはあの辺りを知っている人間ならすぐわかることだ。

「そう……」

 依然眉をひそめながらも母はそれなりに納得したようだ。身を返すと、

「とりあえず無事帰ったから良かったけど。伯母さんちに電話しておくわね。二人とも心配してたし。お風呂はまだあるけど夜中だから静かにね。私ももう寝るから戸締りお願いね。禊も早く寝なさい」

「あ~、もう風呂はいいや。栓抜いとく」

榊の声を背に受けながら母が廊下の左手の居間に姿を消すと、間もなくそこから電話で話す彼女の小声が玄関の二人のもとに届いてきた。榊はもうしばしの休息を得ようと、目を閉じ、首の力を抜いて、改めてより深々と妹の柔らかい胸に頭の後ろをうずめる。


 と、兄の頭を両腕と胸で抱きかかえていた禊がきょとんとした顔をして尋ねた。

「お兄ちゃん、それ何?」

 視線は、榊が腿の上に置いた手の平からその両端をだらりと垂れ下げている藁縄に向いていた。


 榊は顔を振り向け、妹の視線に気付くと慌てた。これの言い訳までは考えていなかった。家の神社の境内に入って安心してからは邪魔にならないように、受け取った時の40センチほどの長さにまで戻していたが、これを持っていること自体が目立つとはあまりに疲れた頭では考えてもいなかった。

「あー、あ、これはな、――そう! 道で拾ったんだよ!」両手で縄をかかげてみせた。「なんか妙に気になってな。ちょっと注連縄っぽいだろ(嘘ではない、と榊は思った)? やっぱりほっとくのはどうかなと思って」

「――ふうん」

 口を少し尖らせ、その眼は依然不思議そうな表情を湛えているが、それでも妹はそれなりに納得したように榊には見えた。


 だんだん眠気半分、妹の胸の弾力に頭を預けるのにますます心地良さを強く覚えてきた榊だが、頑張って立ち上がった。玄関の鍵を閉め、

「疲れたからもう寝るわ。後はもう全部やっとくから、お前もさっさと寝ろよ」

靴を脱いで家に上がった。禊はこくとし、兄が寄りかかることで乱れたパジャマの胸元を片手でぎゅっと整えると、しばらく足取り重く廊下の奥の方に進んでいく兄の方を見守った後、静かに上に戻っていった。


 榊は浴室に行ってまだ湯の温かい風呂の栓を抜き、台所で牛乳を少し飲んで洗面所で歯を磨き、家中の灯りを消すと、二階の自分の部屋に上がって受け取った縄を床に放り出した。服も着替えずにベッドの上に身を投げ出すと――泥のように眠りに就いた。

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