十三:神社からの辞去

「でも連れてくるってどうやって――」

 戸惑った風の榊の持つ縄に通る霊力の光は随分薄くなっていた。


「相手を完全に縛ればある程度霊力で行動を制御することができますが――申し訳ないのですが、私は戦いの事については疎いですのであまり確かな助言は致しかねます。ただ、この霊縄を扱えるのは先ほども言った通り、誰でもというわけではありませんし、ここにあなたが追われて迷い込んだのも何らかの導きでしょう。ぜひお受けください」

 細い眉を上げ、閉じた眼できっと榊を見つめる。榊は小柄な比恵のなで肩の華奢な体格と、彼を見つめる真剣な眼差しのギャップに思わず胸がキュンと締め付けられるのを感じた。ぽーっと見惚れていると、

「その霊縄は近くにナミカゲを探知すると勝手に青く光り出します。それを見て奴らを探し出してください」

言い、すっと足を動かして榊の傍に寄ると、数十センチのところまで近寄ってくる。

「そういえば、まだあなたのお名前をお伺いしておりませんでした。よろしいでしょうか?」

 さらに顔を見上げて尋ねてきた。


「あの――天海榊です」

 榊は近づいた比恵の顔を寄った目でどぎまぎと見下ろしながら、しどろもどろに答えた。

「――そう、姓の方はまだこの神社に人と山神様がいらっしゃった数十年前とお変わりないのですね。榊さんですね。改めてよろしくお願いします」

 比恵は少し小首を傾げると、初めて薄い笑顔を浮かべた。目尻が優しく下がり、黒い艶のある長い睫毛がこぼれるように目立つ。小さな赤い柔らかみを感じさせる唇の両端が軽く持ち上がった。

 榊は完全にのぼせ上った。この華奢な着物服姿の少女を抱きしめたいと思った。黒く艶光りする長い黒髪からはしっとりとした香りが立ち上る。そこに顔をうずめて思いっきり匂いを嗅ぎたかった。


 しかし現実には、

「あ、ああ、はい――」

相変わらずしどろもどろの声が出るだけだった。さすがの彼も神社から出ることのできない神様相手にはどういう思いで対応すればいいのかさっぱりわからなかった。


 比恵は両手を体の前に揃えて慎ましくぺこりとお辞儀した。

「もう遅い時間です。今日はもうお引き取りになられた方がいいでしょう。ご家族の方も心配なさっておられるでしょうし」

 榊ははっとした。いつの間にか家を出たときから月が随分動いている。そして、今はまだ明るく照らしているが、周囲に厚い雲が寄ってもきていた。

「うわ、大変だ、帰らなきゃ」

 榊は急いで身を翻す。手には受け取った縄を持ったままだ。比恵はそちらにじっと目をやって、

「くれぐれもお気をつけて。その縄があるとはいえ、奴らは手強いですし――」

最後の方は声が細くなってぽつりと途切れた。榊は、それが自分の身を案じてからのものであってほしいと思った。


 しかし榊には思いを巡らしている暇はなかった。顔と体を捻じって縄を比恵に向かってかかげて見せ、

「ありがとうございます」

とだけ慌ただしく言って軽く頭を下げると、登ってきた小さな参道の階段に向かって小走りで走る。階段の一段目を降りた時ちらと振り返ると月明りに照らされる広場にもう比恵の姿はなかった。名残惜しく巨大なイチョウの神木を見ることで思いのよすがとし、細くしか月明かりを通さない鬱蒼とした木立の暗闇の中、参道の不安定な段差の階段を注意深く降りた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る