二十七:女子高生武術家藤間都

「――お邪魔します」

 榊が女性に招かれるまま玄関をくぐると、その内部も屋敷の外観通り古びていたが、切り出した木を一本そのまま、皮の荒れた表面を削る以外、ごつごつしたその形状の処理等せずに用いられての太い梁や柱があちこちにむき出しになっており、一見粗雑だが、現代風の建築では見られないそうした家の作りががっしりした見た目と、直接木の肌に触れうる素朴な――原始的といってもいい――印象を見る者に与え、安心感のようなもたらしていた。

 榊が頑丈に作られた幅の広い廊下に足を踏み入れると、先に立った女性が入ってすぐの左手の襖を開け、廊下で一歩脇に引いたまま、片手を部屋の中に榊を導くように伸ばし、軽く目を閉じて一礼した。榊が促されるまま中に入ると、そこは部屋の中央に座卓が置いてある床の間付きの和室だった。床の間には草書で‘心身一如’と書かれた掛軸が飾ってあり、生け花が飾ってある。畳や襖は新しいのだが、周囲の梁や柱が古びてごつごつしているため、どっしり威圧的な感じを与える。後に続いて入ってきた女性は床の間の側の上座に榊を着席するように促すと、

「お茶を持ってまいりますね」

一礼して部屋を出て襖を閉じて行った。


 榊は高校生の身でこのような待遇を受けてすっかり固くなってかしこまっていたが、やがてお盆を持って女性が戻ってくると、座卓の二人それぞれの側に持ってきた茶を置き、空いたお盆を坐した自分の横に置くと、

「今日は入門のご用でしょうか?」

手を腿の上に重ね、背筋をぴんと伸ばして訊いてきた。

 榊はその姿勢に心底感嘆したが、

「――あ、はい。あの――、藤間杵造先生は――?」

しどろもどろになりながら、まずは訊きたいことを訊いた。ホームページに載っていた道場主の名前だ。女性は背筋を伸ばしたまま、一瞬丸い目でそんな彼の方を見つめ返したが、すぐに困ったように眉を顰めた。

「申し訳ありません。祖父は所用で出かけることが多くて――。今は私が師範代としてこの道場を任されております。――あ、わたくし藤間都と申します」

途中で名を名乗り、座卓との間に距離を取るためにやや身を後ろに引き、深々と座礼する。

「――あ、天海榊といいます」

榊はそんな相手に対し、手を両腿の上に正したまま軽く頭を下げるのが精一杯だった。


 藤間は身を起こし、座を前に正し直すと、依然困ったような顔をしながら言う。

「祖父はあちこちに指導に行っているため、ここに帰るのはごくわずかでして。その間なら教えを受けることも出来るのですけれど、何分わたくしもいつ帰るのか見当がつかないありさまでして――。どうしても祖父でなければいけないというのであれば、申し訳ないのですが――」

「いえ、ホームページに名前が書かれていたので藤間杵造先生が教えておられるのかと思っただけで――。えっと、先生(榊は目の前の女性に対してそう呼んだ)に教えていただけるのならそれで――」

 榊は両手を前に振りながら慌てて言った。人によってはこんな若い女性が武道を教えることに不安や不満を持つ人もいるかもしれないが、恐らくはこの女性は幼少時より家で稽古を受けてきたのだろう。バスケットに専念してきた彼として、一つの事を学んできた相手のことをよく知りもせず、貶める気はなかった。そしてまた、玄関で目にした時以来受け続けた、彼女に対する奇妙な印象の原因も理解できた。――武術家の動きだ。他の大多数の人間と同じく、榊にとっても武術家というものは漫画や小説、たまにテレビや本の写真などで目にするもので、無論大した知識もなかったが、それでも藤間都というこの女性の、周りに何らかの空気をまとっているかと思わせるほどピシッと伸び切った背筋、足と腰の浮いたようなすっとした動きの諸々は榊が何となくイメージする武術家――それもかなりのレベルの――の動きそのものだった。そして道場主の孫とはいえ、れっきとした師範代だという。どのような稽古をするのかわからないが、この女性ならきちんとした稽古を授けてくれるだろう。


 藤間は胸に手をやり、ほっとしたように息をつく。

「――よかったです。――あの、失礼ですが高校生の方でしょうか?」

「あ、隣の今駒高校の一年生です」

 榊は頭の後ろに手をやって軽く一礼する。藤間はそれを聞くとパンと軽く両手を打ち付けて明るい声で言った。

「まあ、今駒市ならお友達がいます。――それと、失礼ながらもう少し年上の方かと(――よく言われる、と榊は思った。角ばった顔の輪郭と太い眉で中学生時にも高校生と間違えられたことがしばしばあった)――。あ、わたくしここ立岡市の華泉はないずみ女子学校の高等部に通っています。現在二年生です。この道場では中学の時より手伝いをしていたのですが、高校生になった昨年より本式に道場を任せられるようになり、それ以来祖父があちこち出かけるようになってしまい――」

 初めて見せる笑顔が輝きを放射するようで、榊は本当に眩しくなる思いだったが、それ以上に相手の自己紹介に驚いた。まだ高校二年生――自分より一歳年上なだけなのか。榊が実際より年上に見られるのは顔のごつごつした作りのせいだが、この女性の場合は(女性としての)長身や、挙措、表情の凛としたところが内面の成熟――ひいては年齢の成熟を思わせるからだった。確かに今見せた眩しい笑顔からは無防備な、あどけない幼さのようなものが垣間見え、今まで感じていた凛とした‘美しい’という印象の他に‘可愛らしい’という印象を初めて榊に与えた。


「それで本日は合気道を習いにいらっしゃったのでしょうか? こちらでは高校生以上は一般の部となりますが、お月謝は千円引きで五千円となっております」

 榊ははっとした。また相手の顔に見とれていた。思いがけずも見せた笑顔に釘付けになった形だが、とにかく気を付けないと。

「――あ、いえ、俺が習いたいのは捕縄術で――」

 いつの間にか受講の話に入っていた相手に対して榊は慌てて答えた。それを聞いた藤間はきょとんとした顔をする。本当に不思議そうな顔だ。やや首を傾げて榊の方を呆けたように見やるが、元々力が抜けて下がっていた肩がさらに落ち切り、その柔らかい脱力具合の動きが榊の感性を妙にそそり、ワンピースの露出の多い肩からうなじにかけての部分に彼の目を引きつけた。榊はごくりと唾を飲むが、目をそちらにやりながらも、今度は意識がふらつかないように気を付けた。


 はっと相手が意識を取り戻した。眼に光が戻り、拍子でいつの間にか下がっていた体全体がピンと伸び切る。

「――失礼しました。――えと――、捕縄術ですか? 申し訳ありません、もうずっと習う方はいなかったものですから――」

 高校生が捕縄術などを習いに来たらこういう反応をされるのは仕方ないと榊は思ったが――それにしてもずっと習う人がいなかったということは今現在の受講者は0人なのか――。榊はそれ自体というよりも、行きがかり上必要になったこととはいえ、そこまでする人がいないものを習うことにふと不安を感じた。


「あの、それで稽古なさりたいのは本縄の方でしょうか? 早縄の方でしょうか?」

 やや俯けた笑顔から上目遣いに尋ねてくる。すっかり元の調子の落ち着きと優しさを取り戻しているようだったが、それを聞いた榊の方は混乱した。――本縄? 早縄? ――言われてみれば、何かそういう区別のようなものが縛り方にもあるのだろうが、彼にはさっぱりわからなかった。ただ道場に来て何となく教えてもらおうと思うだけで、検索結果に出てきた解説記事を読まなかった自分のことを迂闊だと思った。


「ええと、どのような目的で捕縄術を習われたいので?」

 榊の反応に藤間自身も戸惑いながら、半ば助け舟を出すように、半ば自分自身相手の意図を探るように言い添えた。


 ――目的。――目的? 榊の頭は空回りした。――と、そこで彼が覗いた道場のホームページに黄色で目立つ形で踊っていた言葉が脳裏に浮かんだ。

「え、ええと、護身術です」

 榊は数瞬の狼狽を取り繕うように腿に置いた手をぎゅっと握り、背筋を伸ばして答えた。捕縄術が実際どのように戦うものかわからないが、霊縄でナミカゲと戦うためのものという性質上間違ってはいないはずだ。それにナミカゲのことがなくても、どこに何が起こるかわからないご時世として、答えに無難だろう。

 その答えを聞くと、彼女自身相手から明確な答えを聞けたことにほっとした様子で、

「――護身術でしたら早縄の方ですね。確かに場所も取らず気軽に持ち歩け、取り締まりも受けない紐一本で相手を制圧する早縄術は護身術に最適です」

明るい眼で榊の方を見ながら言った。

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