二十三:時代劇からの啓示

 榊が食べていると、目の前の食事に没頭している彼の耳に、間の戸を開け放したリビングから両親の会話の声が届いてくる。


「――あなた、この前からここら辺物騒だけど、昨夜は駅前の方で不審者が出て人が襲われたんですって。心配だわ」

「ああ、この夕刊にも小さく載ってるな。禊、お前は夜遅く出歩いちゃだめだぞ」

「うん」

 父が新聞をガサガサいわせながら言うと、すぐにおとなしい妹の素直な返事がそれに続いた。

 物々しい調子で話している両親は、隣で食事中の榊にはあえて声を掛けなかったが、その彼が先ほど体験してきたのがまさに当の不審者との遭遇と戦いだった。空腹も幾分収まりかけ、榊は箸の速度を落として考え込んだ。――いくら縄で触れた周辺を掴むことが出来ると気づいたところで、どうやって戦えばいいのか。もっと縄を伸ばしたところでこんがらがるだろう。比恵に相談に行くことも考えたが、彼女は戦いのことはわからないと言っていた。そして何より、榊自身の意地もあった。どうせきちんとした助言を当てにできないのなら彼女の労を煩わせるだけ無駄というものだろう。――正直、美しい彼女にもう一度会いたいという思いがないわけでもなかったが、中途半端な口実で会いに行くのは卑しいことだと思った。出来ればナミカゲを捕まえて堂々と比恵のところに連れていきたい――


 いつの間にか榊の視線はぼーっと宙を向き、箸も口のところで止まったままになっていた。

「お兄ちゃん早く!」

 禊が大声を張り上げる。見ると、棚の小物入れから取り出したトランプを片手に持ち、父の座るソファの傍に立って、小柄な体の可愛らしい苛立ちに眉を寄せながら榊の方をじっと睨んでいた。

「――お、おう――」

 榊は急いで残りを食べにかかった。


 食べ終わると榊は最後に冷えた麦茶で口をさっぱりさせ、食器と鍋を流しに置いて水を張ると、その中に一緒に箸を浸ける。手を一洗いすると、再び麦茶を注いだコップを手にして、家族のもとに向かった。そこではすでに禊がソファの前に置かれた座卓を横にどかし片付け(非力な彼女に父親が多少手助けしたが)、空いた絨毯のスペースの上に三人がそれぞれ四角の角の位置に向かい合う形で正座して彼の到着を待っていた。榊が大股の早足でそこに進み、空けられた四角の一角にこれも正座で座り込むと、発案者の禊が待ちかねたように、すでに繰り終えていたトランプを配り始めた。普段家族四人でやるカードゲームは七並べか大富豪がメイン。それに時々ババ抜きや神経衰弱、ポーカーといった他のゲームが加わった。今回やるのは七並べだ。皆、中央のスペースに充分カードを置けるように少し後ろに下がって間合いを取る。


 しばらくゲームをしている間に、ふと榊はずっとつけっぱなしになっているテレビに目をやった。時代劇をやっている。帰った時はバラエティー番組だったから、恐らくいつの間にか父が適当にチャンネルを変えたのだろう。父は見るともなくテレビをつけっぱなしにするのが好きだった。多分そこから流れてくる音声が人肌の温もりを伴った心地よさを届けてくれるからだろう。さっきからゲームに意識が向いている榊の眼の端と耳に、茶色や紺といった地味な色合い、特有の威勢よく張り上げる声がそれぞれ入ってきていたので、意識の片隅でそうと認識していたはずだが、今までそれこそ頭の中を情報がすり抜けて行ってしまっていたため、気付かなかった。


 何かの直感が働いたのか、考える母の手番のまま、待つ立場の榊はそのままぼーっとテレビを眺め続けていた。いつの間にやら無意識に入っていた情報や、時代劇の約束事から筋の脈絡は想像がつく。そこでは刀を振りかざし、大声で喚く素浪人を役人たちが取り囲み、捕まえようとするところだった。

「来るんじゃねえ!」と喚く素浪人に対し、指揮役の与力が「行けっ!」と指示すると、配下の同心たちが前屈みになったままじりっじりっと三人で押し包むように近づいていく。浪人が刀を振り回すと同心は前に構えて突き出した十手の横の出っ張りの部分でそれを受け止め――刀相手にそういう物も当時実際に通用したのだろうが、それにしてもドラマで見るこれは双方の動きが不自然でオーバーアクション過ぎると榊は思った――、十手を捻じって刀ごと相手の腕の自由を奪うと、続いて残っていた二人が一気に駆け寄る。その時すでに後ろ手に極められた浪人は初めの同心が腰から外した縄によって縛られているところだった――


 榊の頭に電撃が走った。口を半開きにして呆然とそのまま見とれる。一人の同心が浪人の手からもぎ取られた刀を受け取り、残りの一人は構えた十手で相手を威圧している。最初の同心はその間も手際よく縄を相手の体に掛けていった――


「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

 くいくいと袖を引っ張られて榊がハッと向くと、禊が拗ねて怒ったようにこちらを睨みつけている。

「お兄ちゃんの番だよ!」

 はっとした榊がきょろきょろ顔を見回すと、両親もじっとこちらを見ている。二人とも少し困ったように優しく微笑んでいる。

「榊、お前こんなの好きだったか?」

「テレビに夢中になるのもいいけど、せっかく家族揃ってるんだからちゃんとゲームに集中しなさいね」

「――う、うん――」


 榊はざっと札が並べられ場を見渡してさっとカードを出す。幸い七並べはしばらく目を離していても不都合のないゲームだ。カードを出し終えると、また素早くテレビ画面に目をやった。すでに先の捕り物場面は変わり、町屋で若い町人の男女と先ほどの与力が普段着の格好で、その他数人と楽しげに話しているところだった。どうやら人情捕り物話だったらしい。榊はそこからもドラマが終わるまでぼーっとテレビに目をやっていたが、今度は順番が来てもちゃんとカードを出すことができ、ゲームも無事終了した。


「あーん、ババが残っちゃったー。お父さんの勝ちー」

 いつの間にか正座から膝下を左右に開いて尻をペタンと下につける女の子座りになっていた禊が声を上げる。

「あっはっは、まあこんなもんだな」

「私は全然駄目だったわ」

しばらく前に三度のパスを使い切って飛んだ母親が微笑みながら言う。

「お兄ちゃんが二番目だね」

「ああ――」

 CMに移り替わったテレビ画面に相も変わらず意味もなく目を当てながら、妹の可愛らしい微笑を含んだ呼びかけに榊は上の空で返事する。そのまま最後の一枚を所定の残り場所に置。


「――ね、もう一回しよ、もう一回」

 禊が女の子座りのまま、肘を曲げて拳を握った両腕をぶんぶん上下に振り回しながらおねだりするように言う。

「俺はいいが、榊はどうなんだ? 明日も朝練習なんだろ?」

 父親は出張帰りから、明日は休みを取っていた。

「――いや、もうしばらく大丈夫だよ――」

 せっかくの夕食の団欒の機会を潰してしまった妹に対する罪滅ぼしで答えた榊だが、嬉々としていそいそと床の上のトランプをかき集める禊をよそに、榊は一つの思い付きを決心していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る