二十:格闘

『うあ~、あ~』


 迫ってくるナミカゲに対し、榊は様子見のつもりで少し横にステップし、相手の遅い動きでは反応しきれないと見て、右足で相手の左足首の辺りに軽くローキックを見舞った。前の経験でいきなり大振りな攻撃は危険と考えたのだ。テレビの格闘技の試合などで見るのを真似する程度で、昨夜の小太りのサラリーマン相手に放ったハイキックと違い、距離と勢いによる遠心力に頼れないこの技でどうやって強い衝撃を加えられるのか、本格的なトレーニングを積んでいない榊にはわからなかったが、どうせ様子見だ。足払いのつもりで蹴った。


 ――スカッ。案の定右足は空を切った。前のサラリーマンの時は最初の一撃は当たったものだが、今回は初めから空体化しているようだ。――まあいい、ある意味これでやりやすくなった。『あ~、あ~』と近づいてくるナミカゲに対し、霊縄の真ん中らへんを右手で掴み、ひゅんとしならせて振り回して相手に打ち付けた。


『ああ~!』

 ビシッと相手の左肩らへんに当たり、ビリビリとした強い衝撃と共に、霊気が相手の表面を擦り削るような手応えが、霊脈を通して半ば霊縄と一体化した榊の手の内部に伝わった。男が顔をあらぬ方に上げ、眉をしかめると口を大きく開けて苦悶の声を上げる。


 ――よし!

 比恵の言った通りだった。霊気を通したこの霊縄なら空体化した相手に触れることが出来るし、それだけでダメージを与えることも可能だ。それを実際に目の当たりにした榊は高まる気分で思わず口の端に笑みを浮かべ、調子に乗ってダッと追撃しようとしたが、危うく踏み留まった。普通の喧嘩――といっても榊にはろくに経験がないが――のつもりで手で掴みに行くところだった。危ない。このまま進んでいたらまた昨夜の危機を繰り返すところだ。


 ――そこまで考えたところで、はたと、榊にはどうやって相手を捕まえるか――そもそも行動不能に追いやるか――の明確なビジョンがない事に気づいた。ただ何となく霊縄の力に頼って相手を倒し、捕まえようと思っていたが、どうやって縄一本で戦えばいいのだ。相手を打ち据えたところはシューシュー白い煙が立ち上り、打たれた瞬間の反応からも相手が‘痛がって’いるのがわかるが、霊気が相手の表面を‘焼き尽くす’(榊にはそんな感じがした)にしても最後までこうやって鞭を振るうように戦うしかないのか。確か比恵は『捕まえてこい』と言ったが、これで相手をどうやって縛ればいいのだ。霊気がダメージを与える分は少しやりやすいだろうが、それでも一般人相手に縄で戦うイメージなどできないし、しかも相手は素手で触れるところは全てすり抜けてしまうのだ――


 榊が混乱している間に、いつの間にか受けた霊気の衝撃とダメージから立ち直った相手がもたげた両腕がすぐそばにまで近づいていた。

「――わわっ――」

 咄嗟に両手で持ち直した縄を相手の左手首に巻き付けてぐっと締め付ける。ビリビリビリッと、電気が通った線が相手の表面を焼き焦がすかのような衝撃と音が伝わり、縄と一体化した榊の手と手首の内側にも軽い振動と共に痺れるような感覚が走った。


『ああ~!』

 再び相手が悲鳴を上げたが、残った右手を榊の顔と首らへんに向かってぬうっと伸ばしてくるとともに、手首の縛られた部分からシュウシュウとした音を立ち上らせ、ダラリと力を失った左手も、体の進行と、肘を突き伸ばしたままの上腕の動きでそのまま無理やり押し込もうとする。明らかに左手は‘死んで’いるのだが、ピクリとも動かないとはいえ、黒いそれが顔のそばに迫ってくるのはやはり不気味であった。榊は焦って、咄嗟に右手を縄から離し、縛られた相手の左手首を掴もうとする。


 ――しまった。反射的にした動きだが、空体化した相手のことを忘れていた。しかし、榊の繰り出した右手は思いがけず、相手のそれなりに肉が付き締まってはいるが、その上背の割に骨っぽくある手首をガシッと掴んだ。位置は手首を縛った霊縄の先――相手の肘に近い方だ。その瞬間榊は気づいた。――霊縄で縛ればその周辺も素手で触れることが出来るのではないか。縄を掴んだ左手でもう一巻き霊縄を絡ませて確かにすると、左手も縄から放して指が縄に触れる形で相手の手と手首の関節の辺りを――やはり掴めた――持ち(互いの手のひらの一部が触れる形になった)、そのまま右脇に抱え込むようにして、両手で相手の手首をぐいと体ごと強く引く。相手が体をぐらつかせたと見るや、その隙に、肘に近い方を握った右手を少し先に沿わせ、人差し指と中指を伸ばしてちょいちょい先を探った。――やはりその黒い腕のより肘に近い方では空体化したままで、指が相手の体をすり抜けた。

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