十九:路地裏の挑戦

 住宅地を抜けて駅前の繁華街に行くと、そこはスーパーや小売店、カフェ、雑居ビルなどが建ち並んでおり、屋内から漏れる照明や、店先の看板ネオンに、数多く立てられた街灯の光が加わってまばゆく辺りを照らしていた。出ている人数も多く、仕事帰りのスーツを着込んだサラリーマンを別として、皆薄手の服だ。買い物の主婦、カラオケに集う大学生の集団、これから飲みに向かう会社員など、様々にこの場所に集い、各々仲間や友人、知人、恋人達と連れ立って大声で話し、騒ぎ興じている。初夏の過ごしやすい中に生命の横溢を感じる時季、一日の緊張から解放され、皆の気持ちが外に向かって弾け飛んだかのように、活発さが暴力的ともいえる激しさで迫ってきていた。この駅前は目立って大きくはないこの街で一番賑わう場所だった。


 ただ異様なのは広場に数台のパトカーが回転した赤色灯を付けたまま停められ、体の前面と背面だけを覆った肩ベルトの黒いチョッキを上に着込んだ警官たちがあちこち歩き回り、行き交う人たちに聞き込みを行っていることで、時々ボードに留めた用紙にボールペンで相手から聴き込んだ話を書き込んでいた。昨夜の青年による襲撃事件――ナミカゲによるものだが――の捜査をしているのだ。そのせいか、解放的な中にもピンと張りつめた空気が夜の街に漂い、通り過ぎる人達はチラチラと、聞き込みを受けている人間と、彼らから聴取を取っている警官を振り返って見やる。榊は現実にこの光景を目にして、想像以上に深刻な問題、また自分がこれから立ち向かおうとするものの禍々しさを自覚するとともに、高揚した気分が薄れ、体が冷えて固くなり、背筋がピンと伸びた。


「君、高校生?」

 三十代半ばほどのがっちりした体格の警官の一人に声をかけられた。

「――あ、はい」

 固まりながら慌てて榊は返事する。学校の制服姿でこの時間にここにいるのは目立ったようだ。

「どうしてこんな時間にここにいるの? 家は?」

「あ、あの、俺今部活の練習が終わったとこなんで」

「ふーん、早く帰りなさいね。最近ここいらで事件あって物騒だから」

 榊の返事を聞くと納得したらしく、すぐに離れていく。慌ただしいのはやはり事件の捜査に忙しいからだろう。高校生の補導などに時間をかけている暇はないというわけだ。今度はOLらしきスーツを着た二十代の女性に聞き込みをしている。


 榊はほっとして、信号が青になった横断歩道を、より店が集まり、賑わっている向かい側へと渡り、駅から離れた左の方向に大通りを進んで行った。事件が起こったのが正確にどこかはわからないが、より駅近くだったのだろう。この辺りにはもう警官はいなかった。途中で脇道に入る。ここいらは飲み屋やバーが多く、ごみごみ密集しており、狭い隘路は周囲の店から漏れる光だけで暗く、人もめったに通らない。店の壁は黒く薄汚く汚れており、荒んだ感じが漂っていた。すぐ引き返せば明るい街があるとはいえ、先ほどの警官に言われるまでもなく高校生がこんな時間に(ひょっとして昼間も)歩いていい場所ではない。ところどころ店の排気の換気扇から澱んだ油のむせるような臭いが漂い、道端には酔っ払いの残したものであろう吐瀉物が落ちていた。榊は肩を上げて縮こまり、ぞくりと怖気をふるう。神社の清々しい緑の中で日々過ごしている榊はこのような場所が嫌いであった。


 息を詰め、嫌悪に身を縮めながら歩いていた榊だが、ふと目の端に光が映った。開け放しにしたスポーツバッグの中を覗いてみると、霊縄が青白く光っている。すっかり前屈みになっていた榊は緊張して背筋を伸ばし、ピンと気を張り詰める。比恵の言ったことによれば、ナミカゲがそばにいる徴だ。榊は慎重に肩から外したバッグを、路上の出来るだけ汚れていない所に置き、中から霊縄を取り出す。榊は思い浮かべた――響美神社の豊かな緑の林――神域であることを別にしても、この汚物と汚い空気にまみれた場所と正反対にある清澄な空気の場だ。ギュンギュンと体の中を霊力が巡って、霊縄に注ぎ込まれるのがわかる。パアアアアァッ――縄は強い光を持って輝いた。榊の緊張と気合が反映したためか、今までで一番強い光だ。両手でぎゅっと両端を持ってシュルシュルと伸ばしていく。差し当たって1メートル60ほどに伸ばした。これだけの長さである程度相手の動きを封じて、それから徐々に足りない分を伸ばしていけばいい。戦闘中にそう器用にうまくいくかはわからなかったが、とりあえずやってみるしかない。


 両手に縄を持って――右は上手、左は下手持ちだ――、やや前屈みに、膝を軽く曲げ、腰を落としてすり足気味にじりっと警戒しながら前に進む。榊自身は自覚していなかったが、普段バスケで取るのと同じ姿勢だ。

 と、四つ辻の十字路に行き当たったところで、正面向かいの道に何やら暗く細長い影のような物体がぼんやりと立っているのが見えた。薄暗いとはいえ、周囲の店の窓から漏れる光ではっきりわかる――ナミカゲだ。あの背の低い中年のサラリーマンの時と同じように、全身消し炭を塗りたくったように暗く、辛うじて輪郭がわかる程度だ。体は細身だが背が高く、恐らく185~6はあるだろう。黒い輪郭からでも見て取れる服装はTシャツにジャージといういかにも若者らしいカジュアルな格好だ。髪は短髪で前髪がツンと突っ立ち、逆三角形のような顔立ちで鼻がやや大きく、あのサラリーマンと同じように目がグリンと上を向いているのがわかる。あのサラリーマンを初めて見た時と同じように薬中患者を思わせたが、実際はナミカゲに乗っ取られて意識を支配されて操られているのだ。それを思うと榊は何とも痛ましい気持ちになり、顔が歪んだ。


 相手もこちらに気づいたようだ。体を横に曲げる形で左脇腹を屈め、首をこれも左後ろに倒し、肩を落とした姿勢でぼんやり口を開いて突っ立っていたが、榊に気づくと徐々にゆっくりと胴体を起こし、真っ直ぐの姿勢に戻ると、サラリーマンの時のように両腕をもたげて、『あ~、あ~』と低い声を上げながらゆっくり向かってきた。ゆっくり向かってくる相手に対し縄を構えて身構えながら、どうやらこのナミカゲにも人の目につくところから身を隠す知能はあるようだと榊はちらりと思った。


『う~、あ~』

 ナミカゲが近づいてくる。正直、相手の自分よりかなり高い上背を見てひるんだのも確かだが、今回は比恵から受け取った霊縄がある。彼女が言うにはこれで相手に衝撃を与えることが出来るとの事で、こちらから素手で相手に触れることは無理だが、この霊縄に関しては大きなアドバンテージだ。これがあれば何とかなるかもしれない。榊の両手に持った霊縄がますます強く光る。と、相手はその光を見て一瞬動きを止めた。戸惑っているようだ。どうやら相手にも霊気の通った霊縄が危険なものだと理解できるらしい。しかし、くねくねといやらしく体全体を揺らしてためらった後、再び相手はこちらに向かってきた。


 ――この武器を見てもそんなに俺の精気が欲しいのか――榊は汗を流しながらも、緊張から来る興奮が高じて、ニヤリと笑った。

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