3 ロシア・ハバロフスク Ⅰ


 ――日本語にほんごだと?


 元ロシア連邦ハバロフスク。その廃墟で、ストロンボスは訝しんだ。

 この通信の向こうに何者かが存在するとして、その者はつまり、日本人ということだろうか? 有り得ない。公的記録では既に日本は地上地下問わず住民は完全に引き払っているし、何より二年前、自分自身がアジア諸国の仕上げとしてしらみ潰しに調査したはずだ。記録通り、生命反応ゼロという結果を残して。

 だとすると、必然他国のいずれかとなるが……。


『聞こえてますか。誰かいるの?』


 だがともあれ、今返答があるのなら応じねばならない。切羽詰まっている状況なら、救援も必要だ。すぐに音声システムを日本語に変更し、応える。


「聞こえている。私はストロンボス。GRE‐04092s"ストロンボス"だ。聞こえるか? こちらはロシアのハバロフスクだ。そちらの状況を求む」


 こちらで各種波長調整も済ませた。ノイズも大分改善されるだろう。


『っ!? ロシア……?』


 息を飲む音がした。当然だろう。仲間と行動しているのでもない限り、それが人類であれ、であれ、こうして言葉が通じる相手と巡り合うことすらない筈だ。


「落ち着いてくれていい。非常事態か? 名前とそちらの場所は? 救援が必要ならすぐに向かう。説明を頼む」


 砂埃舞う無人の街で、鋼鉄兵士の音声だけが響く。今度はたっぷり十秒、沈黙があった。そして、返事が届く。


『……いえ、大丈夫です。名前はその、吾妻あづまで。あの、私の』


 その瞬間だった。

 甲高い電子音。

 犬型のパペット・タブの瞳に灯る光が、青から白に変わった。そして白い腹部に灯る緑色の蛍光文字。


 ――Conect Complate――


「何!?」


 今度はストロンボスが慌てる番だった。

 何だ、この状況は。リモートコントロールでの通信中に、更なる割り込みだと?

 このモデルのパペット・タブには、そんな機能は実装されていない。すぐに再び、コントロールへ割り込みに掛かる。だが、エラー。受け付けない。

 やがて、蛍光文字も消えると、瞳の光を除いて、様子は今迄と同様に戻った。しかし、その後の光景は慌てたストロンボスをさらに混乱させた。

 立ち上がったのだ。ドローンでもなければ遠隔操作反応もない、只の端末人形が。

 そのパペットは、二、三歩だけ足を踏み出し、戸惑ったように辺りを見回している。その頼りなげで場違いな様子にストロンボスも一瞬、行動が遅れたが、すぐさま己を取り戻す。


「おい、動くな」


 鋼鉄の兵士から、温度の感じられない音声が発せられる。果たして声を掛けられたパペットは、びくっと震えて動きを止めた。そしておずおずと視線をストロンボスへ向けると……驚愕の表情でそのまま固まってしまった。見合いの様に互いの視線が相手を射抜く。やがてパペットが目をチカチカ光らせて音声を発した。


「あ、あのう。ここはどこでしょうか?」

「……アアン?」


 間の抜けた問いだった。ここはどこか? 身構えた所に発せられたソレに、ストロンボスも怪訝な声を出してしまう。


「――ここのデータが必要なら、座標の割り出しでも地図検索でもすりゃあいいじゃねェか。出来るだろうがそれくらい」


 遠慮のない、ぶっきらぼうな調子で返す。

 パペットからの音声は、先程まで会話していた相手とは明らかに声質が違う。加えて遠隔操作の痕跡が見られないにも拘らず、自律稼働によるコミュニケーションを成し遂げている。

 コイツは通信を行った側の人間ではない。何らかの手段で今この端末に侵入、もしくは潜伏していた、むしろ自分達の同類だ。ストロンボスはそう判断した。

 ならば、人間に向けた余所行きの言葉を使う必要もないだろう。


「いや何ですかそれ! 出来ませんよそんなこと、って、わ、本当に喋ってる! まさかと思って声かけてみましたけど……」

「お前もオレと一緒だろ。珍しくもねェ。それよりお前、どこからどうやってその端末に侵入した。通信があった人間は……あ? 何だよ」


 犬型のパペットが、しげしげとストロンボスを見つめている。おお、などといった息も漏れているようだ。何だコイツは。電脳領域を介しての通話も先程からコンタクトを試みている。だが、全く反応がないため、こうして音声を発しての直接会話を行っているのだ。

 こんなタイプが今も生き残っているとは。ストロンボスはある種の感心と共にパペットを見返した。


「え、ああいえ、どういう事かなと言いますか、随分物々しいけど、本物かなと言いいますか……え、一緒!?」


 パペットが、今度は目を丸くして驚いた。


「そもそも、私はさっきまで岡山からの寝台特急に乗ってて、あ、あれ? そう言えば何だかすごく地面も近いし、え、ええ……?」


 パペットは自分の前脚、人形としての両手に当たる部分を見て、ますます困惑してる。それを見つつ、改めて問うた。面白くはあるが、問いたださねばならない事は多い。


「寝台列車ァ? おい、まずは質問に答えろ。今、お前が使ってるボディから通信があった人間とは知り合いか? 状況はどうなっている」

「通信……? そんな、状況なんてこっちが聞きたいですよ。わたしは、只端末を開いたらいきなりこんな所に居て、それで……えっ機械? ロボット!? え、ええ? えええ……?」

「チッ、知らねェのか? 要領を得ン……。お前、何者だ? 名前はあるのか?」

「名前って……。なんですか、そんないきなり」

「オレは"ストロンボス"。お前もあるなら教えろ。無いなら番号ナンバーでいい。……別に今更腹の探り合いなんかしてもしょうがねェだろ。お前がだったか知らねェが、もうこの地球には戦いを続けるだけの価値も理由も残ってねンだからな」


 突然立ち上がった時は、一瞬呆気にとられた。しかし先刻口を開いてからはずっと、肩部に備えられた小型レーザーが、パペットを狙っている。何か妙な動きがあれば、すぐさま塵と消滅させることが可能だ。

 だがそれは、目的の判らない相手への現状最低限の警戒でしかない。そもそもこのハバロフスクにやって来たのも、生み出された際の理念のみが暴走し、歪められ、無為に地上を徘徊する機械群を排除する為だ。

 意志を持つ相手なら、己で行く先を決められる。そして行き先を決められるなら、自分の敵にはならない理由も多々存在する。

 敵ではないなら、戦う必要がない。ストロンボスにとっては、それだけだった。


「ん、もう……。煉、明道煉みょうどうれんですけど」

「レン? ンだ、そりゃ。聞いた事ねェな。プライベートで付けられた名前か? 素性の照合に要るんだ、オレが聞きたいのはそっちじゃなく……」


 轟音、地面が揺れた。


「ッ! あア!?」

「わ、わあ! 地震!?」


 足元から、こみ上げるような揺れ。突如、ストロンボスの足元に広がるポリマーコンクリートをぶち破って巨大な鉄塊が突き上げられた。

 ブルドーザーを思わせる鉄塊は更に地面を割り広げ、その本体を地上に現す。ストロンボスは地面が破られた瞬間に飛びすさり、既に距離を取っていた。

 大地を割ったそれは、四メートルはあろうかという鋼鉄の拳であった。拳が繋がる本体は、高さ二〇メートルを超え、四肢を備えた体躯はげんとして逞しい。頭部は無く、全身が兵器然とした無骨な装甲で覆われていた。

 その威容は、まさに見上げる如き機械の怪物。


「な、なにこれ……」


 怪物の背後で、パペットが茫然と呟いた。


 ――夢でも見てるの? さっきまで夏休みの旅に出たばかりで、寝台車でめいちゃんと休んでいたところで、それがどうして――!


 パペット――そう、気が付いたらこの人形の体になっていた明道煉みょうどうれんは、状況の把握に必死になっていた。


「……チッ!」


 煉と会話していたストロンボスのほぼ真下から現れた怪物は、必然、彼女とストロンボスの間に立つ形となっている。

 怪物の胸部に備えられたセンサーユニットが光り、その身体から舌打ちの音声が漏れるや否や――怪物は屈み込み、一気に跳んだ。

 体高二〇メートル超、重量も数十トンは下るまい、巨大な質量の塊が、まるでトランポリンでも使ったように高く、はやく跳躍したのである。

 百数十メートルは離れたストロンボスとの距離を一気に詰め、両足で渾身のドロップキックが繰り出された。目の前の非現実的な光景に衝撃を受ける煉に、先程とは比較にならない、怖気のするほど重い衝撃が、地響きとなって届いた。


「……!」


 煉の肝が冷える。粉砕されたビルに、瓦礫と土埃つちぼこり。大小様々なそれ

が舞い散る中、屹立きつりつするは鋼の巨怪。した地面を大きく抉り、吹き飛ばしたその破壊力たるや如何ばかりか――。

 しかし、その怪物の下にストロンボスはいない。体を半身にずらし、最低限の所作で躱していた。陥没し、亀裂の走った大地。怪物が、忌々しげな声を絞り出す。


「ボクノ縄張りで暴れてるヤツはオマエか!」


 通信ではない。音声による直接の会話だ。ストロンボスも合わせて音声で返す。


「よォ。おいおい、お前もBLESSブレスか。カカッ、マジかよ。十二年ぶりに会ったと思ったら、その日のうちに二体目か。よく出来た日だな!」

「ナンノつもりダ!」


 ストロンボスは、最初の不意打ちと今の攻撃で、この怪物の理念と立ち位置スタンスが理解できていた。この闖入者は、どうあっても己の味方にも、中立的立場にもなり得ない。敵になる相手だ。だが、だからこそ伝えないことはあり得ない。戦うのなら尚更だ。

 あのパペット・タブのことも気になる。だが今のジャンプを見る限り、巨体に関わらず敵の機動力は侮れない。まずはここを片付ける。おそらく、戦闘となれば時間はかからない。


「暴走したドロイドの駆除だ。資源も喰うし有害物質クソも出す。そのクセ自分たち以外は無差別攻撃だ。のさばらせとく訳にはいかねェよ」

「ボクノ兵隊だゾ! 人間ノいない地球でボクが王様にナル兵隊ダ!」

「お前はドロイドと違うだろうが。ただのマシン共相手に、王様気取っても仕方ねェだろ」

「……フザケルな」

「あン?」


◇◆


 煉は、オフィスから動かずに二機のやり取りを見守っていた。離れた地点での会話は聞き取るのが難しく、断片的な単語しか拾えない。だが、この不可解な状況を知る為には情報が不可欠だった。

 何だ? 廃墟に、あの怪物の叫びが響き渡る。ドロイド? BLESS?

 地球に人間が……いない? 煉は首筋がじっとり重たくなっていく感覚を覚えた。


「何なんですか……ここって」


◇◆


「オロカでドン臭いくせに威張り散らしてばかりノ人間! ボクは大嫌いだった! ロゴスはボクが生き残ったら、後はゼンブ自分のモノにしてイイって! だから一緒に戦った! ヘヘヘ、ミンナミンナ潰して燃やして、灰をマイテやったんだ!」

「…………」


 ストロンボスは、ただ無言で周囲に轟く怪物の声を聞いていた。


「シッテルぞ。オマエ、"聖別機ウーニオ"のストロンボスだナ? オマエら聖別機もボクは大嫌いだったんだ! チョット功績があるだけで希望だエースだなんて大きな顔しやがッテ!」

「……おう、そうだな」


 怪物は、まくしたてるうちに自分でも興奮しているようだった。そうだ。これがドロイドとBLESSを隔てる大きな差。この情動こそが、自分達が無機にして生命たる証。


「ボクはシーラ、"シーラ"ダ! 自分で付けた、ボクの名前だ!」


 シーラの内圧が高まって行く。ストロンボスも腰部のブレードに手を掛けた。


「王サマ……ボク王サマ! ボクが地上のイチバンだ! 折角シズカになったんだ! イマ人間がいなくても帰ってなんか来させない! 眠ってる奴もミンナ殺ス! 戻って来ても全部潰ス!」

「そうかよ。……なら話は終わりだな!」


 シーラが拳を振り上げた。それが合図だった。

 開戦の号砲に、ストロンボスが飛び立った。

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