2 岡山・倉敷 Ⅱ


 旅の魅力の一つに、普段は目にすることがない、目的地やその道中で楽しめる景観、そしてこれまた普段の生活ではあまり縁がない長距離用の交通手段がある。

 あまり乗り慣れていない新幹線や飛行機、それらを使う際の気持ちが浮き立つ感覚は、非日常への入り口だ。煉が神奈川への往路に寝台特急を選んだのは、これに期待するところが大きかった。


「単純にお金の話なら新幹線が一番いいですし、飛行機って手もあったんですけどね。せっかくの旅行ですし、ちょっと記念になるものに乗りたかったんです」


 十時を回り、夜の喧騒もひと段落した街から、岡山駅のホームに向かう。旅の高揚か幼馴染と再会した嬉しさか、煉の声もうきうきと弾んでいた。


「良かったですね、もう一つ予約取れて。ほっとしましたー」

「この時期の寝台車は本当に大人気だものね。よく空きがあったわ」


 繁忙期のこの時期に、部屋に空きがあった幸運を二人は噛みしめる。

 同行が決まった時、二人はすぐに端末から、空席の確認と予約手続きを取った。

 十数年程前まで、それこそ二人が生まれる前の時代は、寝台特急と言えば窓口で直接の予約が必要だった。しかし2037年現在、ネットワーク及びその周辺分野の目覚ましい発展により、電話は勿論、ウェブからのワンタッチ購入も可能になっている。予約状況によっては、寝台の変更も可能だ。

 煉は切符が発券されたことを示すホロスクリーンをタッチ、格納した後、手首を改札へかざす。

 腕時計の、小型携帯端末機能を備えたモデルだ。指や手の動きに連動して空中にタッチスクリーン式ホログラムを呼び出す携帯端末は、型遅れニッチモデルなどと揶揄されつつも根強い支持層を獲得し、立派に市民権を得ている。

 そして、ネットワークの発展や、このホロスクリーン端末の普及に大きく貢献したのが、遠隔電力送電技術「エル・ワーク」であった。


「わ、やっぱり寝台車にもある。この充電が増えてくのが気持ちいいんですよねえ」


 丁度、ホームに滑り込んできた列車に搭乗した煉が、感嘆の声を漏らす。携帯端末の充電量は、街中から電車に移ったのちも減る事はなく、むしろ増えていた。


◇◆


 「エル・ワーク」。米国の巨大コングロマリット「ラビーコープ」により発表された無線式通信給電装置つうしんきゅうでんそうち、およびそのネットワークシステムの総称である。

 従来のサーフェイスLANを基に量子工学の最新研究を用いて開発されたそれは、強力な独自の無線通信機能により、電子機器への非接触電力伝送を可能にした。

 ラビーコープは持ち前の資本力とコネクションにより、量産化と各国の電力会社・通信会社への売り込みに成功。数年前より都市圏を中心に装置群による導電網どうでんもうシステム設置を推進した。

 ……結果として、その利便性からエル・ワークは、新たなインフラの一つとして瞬く間に受け入れられた。この恩恵として最も端的な形が、携帯電話やモバイルPCを初めとした、各携帯端末への無線式充電サービスである。

 また、その社会的機能ゆえ、多分野における独自プログラムの開発も容認されている。情報分野を初めとして医療、工学など、様々な分野で電子機器の小型化、高速化、効率化に貢献していた。

 携帯端末のホロスクリーン実用化は勿論、煉のひざに埋め込まれているチップも、それらの技術発展により生まれた物だ。

 社会そのものに激動の変化は無い物の、技術の進歩は少しづつ、確実に人々の暮らしを変えつつあった。


◇◆


 煉と芽依子がそれぞれの寝台を確認した辺りで、特急は発車した。遅い時間な事もあって、車内は静かな物だ。多少の物音や話し声を除いて、後はガタゴトとした走行音のみである。

 既に部屋で休んでいる者も多いのだろう。部屋を出て通路を歩くと、時折り寝息が聞こえる事もあった。

 雰囲気につられて、二人も黙り込む。心なしか、歩みも忍び足だ。前を歩いていた煉が振り返って、人差し指を鼻と唇の前に当てる。

 『しーっ』と言う呟き。芽依子がクスリと笑った。煉も表情だけで笑ってみせた。

 発車から約一時間。自販機で買ったドリンクを持って、二人は車内から景色を楽しんでいた。窓辺にカウンターが設置された、ミニラウンジのスペースである。


「うわあ綺麗……。そうそう、これに憧れてたんです!」


 お茶を飲みつつ、目の前を流れていく風景にうっとりとする煉。夜半を過ぎ、すっかり明かりの減った田園や、地方住宅街の中を走り抜ける。車窓から眺めるその様は、独特の静かな風情があった。


「さっき姫路を出た所だものね。もうしばらくすれば神戸……都会に入るかしら」

「あ、いいですね。街に入ってから見るビルも、嫌いじゃないんです」


 盛り上がりつつも、騒がないように。声に気をつけながら、二人は景色を楽しむ。そんな調子でお茶を啜りつつ、横目で芽依子を見た煉が言った。


「……ん、良かった」

「うん? 何が?」

「喫茶店の時のめいちゃん、何だか硬かったです。今は肩の力、少し抜けて来たみたいかなあ、と」

「そう……? そんなつもりも、ないのだけど」

「ふふ、じゃあわたしの勘違いです。ごめんなさい」


 自分の額をペシリと叩く仕草で、煉がおどける。そしてやや声の調子を落として、呟いた。


「めいちゃん。今日、さっきですけど膝の話、聞いてくれてありがとうございます」


 芽依子は、黙ったまま顔を窓から煉へと向けた。


「はじめてだったんですよね、怪我してから今日までちょっとモヤモヤしてたこと、人に話すの。……お世話になってる叔母さんとか、友達とか、普通に仲は良いですし、聞いてはくれるでしょうけど……何か言い出し難くて」

「それは、普段私が明道さんと付き合いがないからよ。通りすがりみたいなものじゃない」

「……ふふ、私もそう思います。ばれました?」


 即断した芽依子に、煉が笑って誤魔化す。芽依子も呆れたように息を吐いた。久しぶりに再開した幼馴染は、対応こそ丁寧だが、中々あけすけだ。芽依子も何となく、今の煉が掴めてきた。だが、悪い気はしない。


「まあ、でもそうね。そういう事もある、かな」


 窓の外を、僅かな明かりを灯した民家が過ぎ去る。

 静かだった。世界は既にこの窓と車両だけに切り取られて、それ以外はもう何もない。そんな錯覚を起こしそうな眺め。


「……そうでしょうか」

「ええ」

「……うん、少し楽になりました。出発初日からこれって、幸先いいですね! やっぱり、行くの決めて良かったです」


 体が軽くなった気分だった。実際、十年顔を合わせていない知り合いだから話せた、と言う所はある。しかし、それを抜きにして話し易い気持ちがあったのも、また本当の事だった。


「それじゃあ、そろそろ日付も変わるし、もう休みましょうか。明日は早く起きて、山の中で電車に揺られて過ごします! 楽しみです」


 椅子から降りた煉が犬型のリュックを肩に掛ける。それなら、と芽依子も倣った。


「向こう着いたら、色々見て回るつもりなんです。めいちゃんも、小学校から今日までの事とか、いろいろ聞かせてくださいね」

「……うん、そうね」


 共通の洗面所は煉に取っては中々新鮮で、その反応にまた芽依子から苦笑が漏れた。歯も磨き終え、部屋の前で芽依子が口を開く。


「じゃあ、おやすみなさい」

「ん、おやすみ。それじゃあね」


 軽く手を振って、煉は部屋に入った。電灯を消しベッドにもぐると、ちょうど加古川かこがわの辺りだった。河と鉄橋。窓の外は飽きることのない眺めだったが、いつの間にか眠ってしまった。


◇◆


 その音と衝撃と、どちらが先だったか。

 前につんのめる様な重力に、煉は叩き起こされた。同時に重く、大きく、金属が擦り合わされる不快な音。音自体は瞬間的な物で、既に聞こえなくなっていたが、その二つの異常は煉を微睡みから覚ますのには充分だった。


「わ、わわっ。な、何!?」


 慌てて上体を起こし枕元の電灯のスイッチを押すものの、灯りは点かない。


「えっ。ど、どうして……?」


 二、三度押しても変わらない。ラジオも点かない。仕方なく、そのまま窓の外をうかがう。そこから覗ける風景は、微動だにしていない。

 まさかとは考えたが、電車はやはり停まっているようだった。外は田園地帯で、車両の不自然な傾きも感じられない。

 僅かに残った眠気が引いていくのを自覚する。何が起こったのだろう。危険はないのだろうか? アナウンスの様子はない。

 走っている電車が、線路上で急停止する事態。煉はとっさに思い浮かんだ嫌な想像を振り払い、ベッドから降りる。扉を開け、通路を確認した。部屋と変わらない闇。起きた所だろう、隣の部屋から芽依子も顔をのぞかせた。


「めいちゃん。大丈夫でしたか」

「明道さん。うん、平気。電車、停まっているの……?」


 不安げな様子だった芽依子も、煉を確認すると胸を撫で下ろしたようだった。

 次第に、廊下にも人の声が漏れ始める。他の乗客も異変に気づいたのだろう、ざわざわと車内が浮足立ってきた。


「めいちゃん、取り敢えず情報を確認しましょう。もしかしたら地震か何かかもしれません」

「ええ、そうね。わたしも……」


 煉は携帯端末を取り出し、起動に掛かる。まだ電車側から連絡はないが、この状況なら落ち着いて待つのが鉄則だろう。しかし何らかの急を要する事態なら、異常はこの電車だけではない可能性もある。確認するに越したことはない。

 端末をスリープから起こし、空間をタップ。そしてネットワークに繋いで――。

 がくん、と。煉の体がこわばった。


「えっ」


 瞬間、端末の物とは別のホロスクリーンが、次々とポップアップ。それらはどれも青く発光し、煉の周囲を取り囲む。


「明道さん?」


 光に気付いた芽依子がタブレットから視線を上げる。


「あ」


 その芽依子の目の前で、煉が室内へと倒れ込んだ。どさり、柔らかい音。体はベッドの上、車内の壁にもたれかかる形で止まる。


「ちょっと、明道みょうどうさん!?」


 慌てた芽依子が隣室へ移動、煉に駆け寄る。しかし、煉は全くの反応を見せない。


「何これ、どういうこと? 明道さん、何かのいたずら? 冗談はやめてよ」


 ホロスクリーンは光を発したまま、煉の周囲をゆっくりと回っている。タッチホログラムのこんな動作、聞いた事も無い。ごくりと唾を飲む音が、耳に響いた。


「もう分かったから。災害ニュース、早く洗いましょう?」


 声を掛けても揺すってもまるで無駄。突然の停車に加えてこの状況。言い知れぬ不安が、芽依子の内心で頭をもたげてきた。部屋の外のざわめきだけが、妙にはっきり聞こえる。


「ねえってば!」


 焦りとも苛立ちともつかない叫びだった。

 静寂。

 ピ。そんな中、間の抜けた音と共に端末のランプが灯った。電話でもメールでもない。大容量データ送受信中の表示だ。こんな時に? しかし直後、端末から吐き出されたものは、芽依子を更なる混乱に陥れた。

 音声だ。


『Hello,Hello,This is GRE‐04092s"Strombos". This is GRE‐04092s"Strombos". copy that?』


 全く聞き覚えのない声だった。その声の英語が、この腕の端末から聞こえてくる。


「……っ!」


 全身から血の気が引く。その瞬間、芽依子は躊躇した。

 何だこれは。? この状況で、

 様々な種類の焦りが脳裏を過ぎる。そして三秒間考えた後、静かに、だが掴みかかる様に端末へ問いかけた。


「もしもし、誰か。誰か、そこにいるの!?」

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